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第五章 【禍津神の如し】

◆◆◆◆◆






 明日には鋼鐵塚さんがあの錆びた日輪刀を研ぎ終えると言う事で、俺は結構そわそわと落ち着かない気持であった。何せ、あの絡繰人形の中に数百年も眠っていた物なのだ。
 どう言う意図で絡繰人形を作った人がその刀を人形の中に隠していたのかは分からないけれど、その時代……縁壱さんが実際に鬼狩りの剣士として戦っていた時代の刀である事は間違いが無いので、何だか「縁」とでも言うべきものを感じる。まあ、本来の持ち主は、絡繰人形を受け継いだ小鉄君なのだけれども。
 小鉄君くんのご厚意で譲って貰えたので、大切にしたいものだ。

 悠さんは日輪刀の事で鉄地河原さんに呼ばれているらしく少ししたら宿を出る予定で、伊之助はと言うと鋼鐵塚さんが日輪刀を研磨しているその様子を見に行った様だ。
 鋼鐵塚さんは気難しいし自分の作業を中断されたり集中するのを邪魔されたら物凄く怒ると思うので、伊之助が見に行っても良いのだろうかと思ったのだけれど。悠さんは、「伊之助はきっと鋼鐵塚さんを邪魔したりはしないよ」と微笑みながら言っていたし、何より鋼鐵塚さんの傍には様子を見守りに行っている鉄穴森さんや小鉄君も居るので多分暴れたり騒いだりする前に止めてくれるのだろうと思って、何も言わずに見送った。
 どうやら伊之助は、日輪刀が打たれているその現場を直接見た事で、そうやって何かを作ると言う事に強い興味を持ったらしい。知りたいと思った事を、勢いよく素直に学ぼうとするのは伊之助の良い所だ。
 勢い良過ぎてよくしのぶさんには怒られているけれど。

 そんな訳で、禰豆子を交えて善逸と玄弥と一緒に色々と遊んで時間を過ごしていた。
 鬼になってから禰豆子のそれは随分と幼い反応になってしまったけれど、しかし何も分かっていない訳では無くて。誰かに優しくして貰ったり、何かをして貰った事はちゃんと覚えているのだ。
 折り紙で遊べば、禰豆子は長い爪で器用に折鶴を折れるし、俺が見た事も無い複雑な形の鶴まで折って見せる。
 どうやら、悠さんに相手をして貰っている時に色々と折り方などを教えて貰った様だった。
 そう言えば、沢山の鶴が繋がった折鶴を大事そうに抱えて持って来た事もあったなと思い出す。
 任務であちこちを移動する事もあり拠点と呼べるそれが蝶屋敷くらいしか無かった為持ち歩けないからと、それを禰豆子に作ってくれた悠さん本人に預かって貰っているけれど。
 禰豆子は、八羽の鶴が仲良く繋がっているものと、大きな一羽と小さな六羽が繋がっているものが特に大好きみたいだよ、と。折鶴を預ける時に、悠さんはそう優しい目で教えてくれたのだった。
 ……禰豆子は、仲良く連れ添っている鶴に、自分達家族の事を重ねているのだろうか。
 ……禰豆子は何処まで分かっているのだろう。もう、母さんも竹雄も花子も茂も六太も居ない事を……あの雪の日に喪ってしまった事を。分かっているのだろうか。
 もし分かっていないのだとしたら、人に戻った時に……或いはその意識と記憶がハッキリと戻った時に。
 禰豆子はその事に向き合わなければならなくなるのだろう。自分が鬼になっていた事も含めて。
 今の禰豆子は鬼だから、その身体に傷痕などは残っていないけれど。でも、痛みの記憶が無い訳では無い。
 俺が不甲斐無いばかりに、下弦の伍との戦いでは随分と痛い思いをさせてしまったし、柱合会議でも辛い想いをさせてしまっている。……その記憶が、全部分かる様になった禰豆子の心を苛まなければ良いのだけれど。

 そんな事を考えていたからか、禰豆子は「む……」と心配そうに俺を見上げていた。
 それに気付いて、「ごめんな」とその頭を撫でる。
 そう、そんな事は今考えていても仕方無い事ではあるのだろう。
 それに、今は幼い子供の様でも禰豆子は本当に強い子だから、思い出したその時には苦しんだとしても、きっとそれを乗り越えられると思うし、乗り越えられる様に俺が傍に居る。
 ……もう少しで禰豆子を人に戻す事が出来る薬が完成するかもしれないとの事で、最近は禰豆子が人に戻った時にどうしようかと考える事が増えた。

 禰豆子にはしてやりたい事が本当に沢山ある。
 ずっとずっと我慢してきて、そして鬼にされた後も酷く我慢させ続ける事しか出来なくて。
 だから、精一杯の事をしてやりたいのだ。
 もう母さんや竹雄たちにはしてやれない分を、本当は皆にしてやりたかった分も含めて、沢山の事を。
 綺麗な着物を沢山買ってやりたいし、綺麗な簪や帯留めなども買ってやりたい。
 禰豆子が興味があるなら、洋装などのハイカラでモダンな服だって。
 それに、鬼になっている間は美味しい物とかを何にも食べさせてやれなかったから、沢山そう言うものをお腹いっぱいに食べさせてやりたい。
 あまり無駄遣いは出来ないけれど、鬼殺隊の隊士になってからの給金は、雲取山で炭焼きをしていたその時の収入よりもうんと良いのだ。上弦の陸の討伐に貢献した事で更なる支給金も貰えた程で。
 細かな消耗品以外に自分では使い道が無かった事もあって、禰豆子にちょっとした贅沢をさせてやれるだろう程には貯えがある。
 お嫁に行く時だって、ちゃんと着物や嫁入り道具を買ってやれるだろうし、そうしてやりたい。
 禰豆子に沢山してやりたい事があった。沢山、話してやりたい事があった。
 本当に沢山の人たちの優しさによって、俺と禰豆子が生かされている事を、支えて貰っている事を、そんな優しい人たちの事を、禰豆子に教えたかった。

 そんな事を、そんな細やかかもしれないけれど大事なその願いを、俺以外に禰豆子を人に戻す為の薬がもう直ぐ完成するかもしれない事を知っている悠さんに話してみると。それはとても素敵な事だ、と。悠さんは何時もそう嬉しそうに笑ってくれる。
 未来の事を考えられるのは良い事だ、誰かに何かをしてあげたいと言う前向きな欲をちゃんと抱えて頑張れるのは素敵な事だ、と。
 悠さんは何時も俺がやりたい事を肯定してくれる。
 悠さんが蝶屋敷で時折作って食べさせてくれる、お団子やカステラや聞き馴染みの無い横文字のお菓子などを食べる度に、禰豆子にも食べさせてやりたいと俺が思っている事はお見通しなのか。
 禰豆子がそれを食べられる様になったら、必ず作ってあげるよと何時も微笑んでくれる。
 そして、そう言ったお菓子や外つ国の料理の作り方を、俺が禰豆子に何時でも作ってやれる様にと、帳面に書き留めたものを作ってくれている様だった。悠さんの部屋を訪れた時に、悠さんがそれを書いている所を一度だけ見かけた事がある。その時は、ちょっと照れていたけれど。
 目に見えない形でも目に見える形でも、抱えきれない程に沢山向けてくれる悠さんのそんな優しさが、胸を温かくさせてくれる。
 善逸が禰豆子を大事にして、夜にしか出歩けない禰豆子の為に夜でも綺麗に見える場所に連れて行ってやってくれたり、意外と器用に花冠を作って贈ってくれていたり。ちょっと喧しい位に俺の事を心配して気遣ってくれたりする時や。伊之助が禰豆子に大事にしている綺麗なドングリを沢山くれたり、伊之助が山や野で見付けて来た綺麗なものを禰豆子にくれてやったりしているのを見た時などに感じるそれと同じ温かさだ。

 思えば俺は人の縁には心底恵まれているのだろう。
 理不尽な悲劇によって沢山のものを一度に喪ったけれど。
 何も出来ないまま蹲って動けなくなってしまう前に冨岡さんに道を示して貰えたし、そして鱗滝さんには厳しくも優しく鍛えて貰った。鱗滝さんの事をずっと見守っている真菰と錆兎には稽古まで付けて貰って。
 そして鬼殺隊に入った後も、珠世さんたちに出逢って禰豆子を人に戻す為の希望を貰って。
 任務の中で善逸に出逢って伊之助に出逢って。
 辛い事も沢山あったけれど、冨岡さんと鱗滝さんが自分の命を懸けてでも俺たちを信じてくれている事を知って。
 蝶屋敷の皆には全集中の呼吸の常中の習得を手伝って貰って、しのぶさんにもお世話になって。
 そして、偶然任務に出掛けた先で悠さんに出逢って。
 煉獄さんに出逢って、信じて貰って。
 宇随さんに出逢って、一緒に戦って。そして上弦の鬼を倒す事が出来た。
 その人の縁のどれか一つでも欠けていたら、俺が生きて此処には居るかどうかも怪しいし、そして禰豆子を人に戻す為の道程は遥か遠かっただろうと思うのだ。

 鬼舞辻無惨を倒すと言う目標はまだ遠い。
 とても強かった縁壱さんですらその刃を届け切れなかったものを、縁壱さんにはきっと遠く及ばないのだろう俺たちが倒す為にはきっとまだ色々と足りないのだ。
 それでも、鬼舞辻無惨に関しての情報は今までにない程に物凄い勢いで集まって来ている。
 そして少しでも鬼舞辻無惨に効果がありそうなものに関しても。
 それは全て、数百年前の縁壱さんが繋いだ縁によるもので、そしてその情報をより有意義なものにしてくれたのは間違いなく悠さんだった。
 悠さんが居なければ『赫刀』と言う現象がある事は分かっても一体どうすれば良いのか誰にも分からず仕舞いだっただろうし、『透き通る世界』だってそれに辿り着くまでもっともっと時間や経験が必要だったと思う。
 鬼舞辻無惨を具体的にどう倒せば良いのか、そしてその状況にどうやったら持っていけるのかはまだ分からないし、俺はそう言うのを考え付ける程頭が良い訳でも無いのだけれど。
 でも、何も分からないままに対策を立てるよりは、ずっと良い作戦を考えられるだろうと言う事は分かる。

 時々思うのだ。もし悠さんに出逢っていなかったら、と。
 あの日、何処にも行く宛ての無かった悠さんが俺や或いは他の人に出逢えないままだったら、一体どうなっていたのだろう、と。
 それは今となってはあまり想像するのは難しいし、それに想像する意味も乏しい「もしも」だけど。
 少なくとも、煉獄さんはあの日死んでいたし、しのぶさんとカナヲも死んでいたかもしれないし、俺たちは上弦の陸に殺されていたのではないだろうか。……殺されていなくても、半死半生の重体にはなっていたと思う。
 蝶屋敷に運ばれてきて助からなかった人はもっと多かっただろうし、少なくとも今とは全然違う状況だったんだろうと思う。
 勿論、誰が居なかったとしても今と同じになんてならないけど。
 でも、悠さんの存在は間違いなく大きいと思う。大き過ぎる程に。

 だからなのか、時々ではあるけれど心配になるのだ。
 悠さんは、もしかして頑張り過ぎているのではないか、と。
 悠さんから感じるそれは、何時も変わらずに優しく人を思い遣る匂いなのだけれど。
 それは本当に「何時も」変わらないのだ。
 誰かが傷付けられたりしたら怒ったり哀しむ匂いになるけれど、悠さんの匂いがそんな風に変わるのは自分以外の誰かが傷付いた時だけで。
 悠さんから、辛いとか苦しいとか恐いとか不安だとか、そう言った匂いを感じた事が無い。
 悠さんが凄い人だから、で片付けてしまう事も出来るのかもしれないけれど。
 でも、それで済ませて良い事でも無い様に思うのだ。
 現に、悠さんは本当に力尽きる時、まるで糸が突如断ち切られたかの様に倒れてしまう。
 でも力尽きる寸前まで悠さんの心から感じる匂いは全く変わらないのだ。
 もしかして悠さんは、自分自身に向ける辛いとか苦しいと言う感情に疎いのではないだろうか……? 
 疎いからって本当にその匂いを欠片も見せないなんてあるのだろうかとは思うけれど、悠さんは色々と不思議な人だし有り得ないって事も無い気がする。
 だから、何だかそれがとても心配だった。

『自分に出来る事を』や『大切な人の力になりたい、大切な人の大切なものを守りたい』とよく言っているけれど。
 でも、悠さんの場合、『自分に出来る事』と言うのは余りにも広過ぎるのではないだろうか。
 俺だったら、精一杯やってもどうにも出来なかった事には、本当に苦しいし後悔するし自分の未熟を恥じるけれど。でも、その時の自分に出来ない事はどう足掻いても出来ない事でもある。だから、次に同じ様な事があればもう二度と後悔しなくても良い様にと頑張る為の活力に変えて行くしかないのだけれど。
 しかし悠さんの場合、もしもっと上手く出来ていたらと言う後悔は、俺が感じる比では無いのかもしれない。実際ほんの少しでも何かが違えば、悠さんなら全部助ける事が出来ているのかもしれないのだから。
 ……悠さんは『神様』では無いのだし、自分の選択の全てを見通したりも出来ないのだから、全てに責任を負う必要なんて無いのだけれど。
 でもそれで善しと出来る人でも無いのだろうと、俺は思っている。そう言う割り切りが上手い人では多分無い。

 悠さんが辿って来た戦いの話を聞くだけでも。優しい部分は多分全く今と変わらないのだけれど、今の様に物凄く強い訳でも無かったのだろう悠さんは、沢山沢山傷付いて迷ってたまに不安になりながら頑張って戦っていたのだと分かるのだ。
 仲間が傷付く事を、そして仲間を傷付ける事を、心の底から嫌うそれも。きっとそうやって沢山心も身体も傷付けながら頑張って必死に足掻いて来た結果なのだろうと思う。
 物凄く当たり前の事ではあるのだけれど、悠さんだって最初から完璧だった訳じゃ無いし、完全無欠の無敵の人だった訳では無い。その証拠に、普段は俺たちに見せないだけでその心の傷は結構多い様だ。
 そんな人が、努力の果てに物凄く強くなったからと言って、もう二度と傷付いたり迷ったり不安になったり恐いと感じなくなったりするのだろうか……? 
 それは……そんな事は無いと思う。
 傷付き難くはなったとしても、傷付かない訳では無いのだ。
 だから、何もかもを背負ってしまおうとしてないかと、心配であった。
 悠さんは実際に凄いので普通は背負えない筈のものですら背負えてしまえるのかもしれないが、それは無理をしていないと言う訳では無い。

 ……そして最近少し気になっているのだが、上弦の陸を倒した後辺りから、隊士の中で悠さんの事を『神様』みたいだって言う人が増えている気がする。
 前からそう言う事を冗談交じりに言う人はポツポツ居たけれど、でも最近のそれは冗談と言うよりはもっと祈りの様な真摯なものが籠っている気がするのだ。
 まあ確かに、悠さんを『神様』だって言いたい気持ちはとても良く分かる。
 普通なら絶対に助からない人だって助けてみせるし、実際に「神様」だって呼べるし、それなのに傲慢さなんて欠片も無く真摯に優しい。
 凄い人だっていう意味での「神様」と言う尊称は分かるけれど、でも。
 悠さんが人々から信仰される『神様』の様なのかと言うとそんな事は無い。
 ヒノカミ様に毎年の様に神楽を捧げているから特にそう思うのかもしれないけれど。悠さんは血肉の通った心ある『人』なのだ。祈りを捧げて願う先とはやっぱり違う。
 そんな事をする位なら、「力を貸して」と素直に頼んだ方が間違いなく快く応じてくれるだろう優しい人なのだ。
『神様』と、そう悠さんが呼ばれた瞬間を見た事はあるが。悠さんは物凄く必死にそれを訂正しようとしていたし、そう呼ばれると何だか哀しくて寂しそうな匂いもさせていた。
 俺だって、冗談で何度かそう言われるならまだしも、本気で『神様』だなんて言われ出したら凄く嫌だ。
 大した事が出来る訳でも無い自分がそう言われるのは畏れ多いとかってのもあるけど、何と言うのか想像するだけでも背筋がムズムズゾワゾワして何かこう……とにかく嫌だ。
 悠さんも同じ感じなのかもしれない。
 でも多分、人の心を何時も思い遣っているからこそ、本気でそんな祈りを向けられてしまったら、悠さんは無理をしてでもそれを無碍には出来ない気がする。
 ……だけど、もし悠さんが何か無理をしているのだとしても。
 じゃあ、俺に何が出来るのだろうか、と。そう思ってしまうのだ。

「はあ……」

 儘ならないなあ、と。遊び疲れて寝てしまった禰豆子の頭を撫でてやりながら、思わず溜息を零してしまう。
 大切な友だちであり恩も物凄くある人の力になりたいってだけなのに。

「どうした? 何かあったのか?」

 その溜息を耳聡く聞きつけたのは善逸だった。
 どうしようかと一瞬思ったけれど、耳が良過ぎる善逸に誤魔化しは出来ないし、何より善逸にとっても悠さんは大切な友だちだ。
 俺一人では分からない事でも、相談してみたら何か良い考えが浮かぶのかもしれない。

「悠さんが最近もしかして色々無理しているんじゃないかな、って思って。
 何か俺に出来る事があれば良いんだけどって思ったんだけど、中々良い考えが思い浮かばなくってさ……」

「悠さんが無理している……?」

 そうだろうか、と善逸は少しだけ首を傾げる。
 まあ、確かに。悠さんの匂いは本当に何時も変わらないし、多分音も全然変わらないから、そう言われてもあまりピンとは来ないのかもしれない。
 だが、思いもよらぬ方向からそれは肯定された。

「ああ、確かにな……。悠のやつ、多分どっか無理しているよな」

 うんうんと頷いたのは玄弥だ。
 何か思い当たる節でもあるのだろうか? 

「いや、悠はさ、元々結構色々悩んでたんだよな。
 鬼を殺す時に民間人とか巻き込んだらどうしよう、とか。
 自分の弱点を分析されて人質を取られたらどうしよう、とか。
 上弦の鬼とか鬼舞辻無惨と戦ったら、街一つや山一つ全部根刮ぎ吹っ飛ばしてしまうかもって……。
 何て言うのか悠はとにかく、傷付けるべきじゃない誰かを絶対に傷付けたくないってずっと言ってたんだよな。
 まあその誰かってのは、俺たちだったり知らない隊士だったりその辺にいた民間人とかなんだけど」

 まあ、そんな事を悠さんは玄弥にポツポツ零していたのだと言う。
 確かに、悠さんはそれは絶対に嫌だと拒否するだろう事である。

「でもさ、何つーのか……。
 上弦の陸を倒してからなのかその辺りから、そう言う事を全然言わなくなったんだよな。
 その悩みが消えたって言うよりかは、どっちかと言うと……」

 玄弥も、やはり上弦の陸を倒した後辺りからちょっと悠さんの様子が心配だった様だ。

「まあ、悠は誰も見捨てられないんだろうな。
 普通は無理だって事でも、無茶してでも抱えて助けようとするし。
 自分には出来るからって、そう言う事なんかも知れないけどよ。
 でも、何でも出来るからって何でもかんでも抱え込んでたら全部が上手くいく訳じゃねーし、上手くいってる様に見えてるならそれは相当な無茶をしてるって事だと思う。
 悠は優しいし強いけど、だからって無茶苦茶な事をしてまで全部を抱えなくても良いと思うんだよな」

 とは言え、じゃあどうすればそれを止めさせられるのかと言う話になると、玄弥もうーんと唸ってしまう。
 無茶してるなら止めてくれと、そう言うだけで抱えているそれを放り出せる様な性格なのかと言われると……。
 そうしている内に、何かを思い出したのか、善逸は「あっ」と小さな声を上げた。
 どうしたのだろうかとそちらを見ると。

「あ、あのさ……前に、『特別なのは寂しい』って、悠さん言ってたんだ。
 それで、その時すっごい寂しそうと言うか……『孤独』って感じの音がしたんだ」

 本当にその瞬間だけだったけど、と善逸はそう言うけれど。
「特別」を寂しいと思い、そしてそれに「孤独」を感じていると言うのであれば。

「じゃあ、『神様』って言われるの、悠さんにとっては本当に嫌だったんだろうな……」

 ある意味、『神様』なんて「特別」の最上級みたいなものだから。
 そんな風に扱われては、強く「孤独」を感じてしまっても仕方無いのかもしれない。
 じゃあ、隊士の人達に悠さんの事を『神様』って呼ばない様にお願いしてみたら、少しは悠さんの気持ちを楽にしてあげられるのだろうか? 
 そう思っていると、善逸はやってしまったと言わんばかりの顔をした。

「俺……悠さんに『神様』って言っちゃった……」

「おい、何でそんな事言うんだよ。
 悠のやつ絶対嫌がっただろ、それ」

 玄弥はギロリと善逸を睨む。
 掴みかかって来たりはしないだろうが、玄弥のその眼光はとても鋭い。
 それに善逸は慌てて弁明した。

「あの時は本当に必死でさ。今思えば酷い事言ったとは思うけど。
 でも悠さん全然嫌がってなかったし、音だって全く変わらなかったし……」

「でも俺が前に一度見掛けた時は、『神様』って言われると物凄く哀しそうで寂しそうだったんだけどな……」

 善逸に言われたから嫌がったり訂正しなかったのだろうか? 
 でも悠さんの性格的には、あまり交流の無い人にそう言われるよりも、善逸の様に親しい相手にそう言われた方が嫌がりそうなものなのだけど……。

「とにかく、善逸はちゃんと悠さんに謝っておいた方が良い」

 悠さんはちゃんと謝ればそれを受け入れてくれるだろうから、変に逃げずにちゃんと謝るべきであろう、と。そんな事を話していると。
 部屋の襖が何の声掛けもなくスっと開いた。
 そこからひょっこりと顔を出したのは時透君だ。
 鍛錬場以外で時透君と顔を合わせる事は殆ど無かったのだけれど、どうしたのだろう。何か俺たちに用事でもあるのだろうか? 

「鉄穴森って刀鍛冶知らない?」

「鉄穴森さんは知ってるけど……どうしたの? 
 今は鋼鐵塚さんと一緒に居る筈だけど」

 ついでに伊之助と小鉄君もそこに居る筈だ。
 それにしても、どうして鉄穴森さんを? 

「鉄穴森は僕の新しい刀鍛冶。
 鋼鐵塚は何処にいるの?」

 日輪刀を受け取るとか、そう言った用事なのだろうか。
 なら、折角なのだから俺も一緒に鋼鐵塚さんの所に行って案内するよと声を掛けたら。
 時透君は不思議そうに首を傾げた。

「……君、何でそんなに人に構うの? 
 あの人もそうだけど、何の得があるの? 
 君には君のやるべき事があるんじゃないの?」

 あの人とは悠さんの事なのだろうか? 
 本当に不思議そうな顔をする時透君に、俺は返事をする。

「人の為にする事は結局、巡り巡って自分の為にもなっているものだし。
 俺も行こうと思っていたから丁度良いんだよ」

 伊之助が大人しくしているのかとか、俺の刀なのだからちゃんと見てみたいとか、鋼鐵塚さんの所に行く理由自体はあったのだ。
 そう答えると、一拍程の間を空けて。
 時透君は虚を突かれたかの様に驚いた顔をした。

「えっ? 
 何? 今何て言ったの? 今、今……」

 ちょっと様子がおかしいそれに、俺たちは揃って首を傾げた。
 何か変な匂いって訳では無いのだけど……。
 何だろう、焦り? いや違うな……。
 でもそう言えば、一緒に鍛錬していた時に、俺や悠さんと話している時にちょっと時透君の様子が変わった事は何度かあった。
 何だかもどかしい何かを一生懸命に探し当てようとしている様なその様子を見る度に、悠さんはそっと見守る様な顔をして、ポンポンと落ち着かせる様に優しくその頭や背中を撫でてあげていたっけ……。
 俺も悠さんの様にそうするべきなのだろうか? とちょっと思いつつも、歳下ではあるけれど霞柱って立場でもある時透君の頭とかを撫でるのは、俺にはちょっと難易度が高かった。

「へ? 丁度良いよって……」

「……いやそうじゃなくって……」

 うんうんと唸り出した時透君に、善逸が俺の言葉を思い返しながら復唱する。

「えーっと、巡り巡って自分の為にもなっているって所?」

「もうちょっと……」

「『人の為にする事は』ってやつか?」

 玄弥のその言葉に、フワッと再び大きく目を開ける。

「それ、だ。
 僕は。僕はその言葉を知っている。
 誰かが僕にそう言ったんだ、誰だ? 誰なんだ……?」

 頭を抑えた時透君の様子を、三人でアワアワと見守る。
 大丈夫なんだろうか? 
 いやでも確か、前にこんな感じになった時、悠さんは確か……。
『時透くんは、自分の記憶にかかっている霧を晴らしたいんだよ』、と。そう言っていた。
 そしてきっと、その為の鍵は、俺たちや他の人たちと関わっていく内に見付かるものだろう、とも。
 俺の言葉がその切欠となる鍵だったのか? 
 でも、そんな凄い事を言った覚えは全然無いのだけれど。

「僕は、君のその目を知っている気がする。
 僕たちは、逢った事がある? 
 何処か昔に、ずっと昔に……」

 真剣に見詰められて、思わず緊張しつつも首をそっと横に振った。

「あの、多分……無いと思う。
 俺は鬼殺隊に入るまでは雲取山から離れた事が無いから」

 狭霧山に居る間にも出会った記憶は無い。
 時透君が何処で暮らしていたのかは知らないけれど、少なくとも雲取山やその麓の街ではない事は確かだろう。
 記憶にも残らない程うんと小さい時はどうであったのかと言われると少し自信はないけど。
 でもそんなに幼い時だったら時透君の方にも、霧に隠されるまでも無く記憶が残っているとは思えない。

 もう少しで何かが掴めそうで、でも後一歩が届きそうに無いもどかしさに時透君は辛そうに唸る。
 思わず、その手を勢いで握ってしまった。
 しかし、握った後でどう言葉を掛ければ良いのか思い付かなくて。
 どうにか振り絞って、「大丈夫だ!」と声を掛ける。
 何が大丈夫なのか、自分でもあまりよく分からないままに。

 その時、寝ていた禰豆子が目を覚まして、キョロキョロと辺りを見回す。
 それと同時に、何かを伝えようとしてか俺の服の裾を引っ張った。

「ん? どうしたんだ、禰豆子」

「あれ、誰か来た? 獪岳、じゃないよね」

 俺が禰豆子に声を掛けるのと、善逸が襖の外を見るのはほぼ同時だった。
 そして──


「ヒィィィィィ……」


 いっそ情けない程の声を上げながら這い蹲る様にして部屋に入ってきた《《それ》》が。
 一瞬何であるのか、その場の全員に理解が追いつかなかった。
 それ程までに、ここまで接近されるまで俺も善逸も時透君も玄弥も、その存在に気付けなかったからだ。
 それは、余りにも気配のとぼけ方が上手かった。

 瞳は裏返っている為そこに何が刻まれているのかは分からないが、間違いなく上弦の鬼である。
 見聞きした情報に合致するものが無い為、恐らくは上弦の肆か伍。
 或いは無惨が新たに加えた上弦の陸か。
 とにかく、見た目と行動とにそぐわない程の強敵である事は間違い無い。

 瞬きにも見たぬ刹那にその場の全員がそれを判断し、武器を構える。
 玄弥以外のこの場に居る全員のそれは自分用の刀では無いけれど、それでも戦えない程のものでは無い。

 そして、この場の誰よりも速い時透君が真っ先に動き、一瞬の内に斬り込む。
 しかし、その一撃は僅かにその顔面を切り裂いただけで。老人の様な見た目に反して恐ろしく速い。
 しかしこの場には時透君に匹敵する程の速度を誇る者が居る。
 時透君が動くのとほぼ同時に、《《その攻撃が回避された時を予測して》》善逸は既に霹靂一閃を放っていた。
 天井付近に飛び上がり張り付こうとしていた鬼の頸を、その一撃は斬り落とす。
 切断された頸が、床にゴトリと落ちて跳ねた。

 だがおかしい。《《余りにもあっさりと斬れてしまった》》。
 善逸は強いが、そもそも上弦の鬼の頸は尋常で無く硬い。
 上弦の陸の妹鬼のそれは硬いと言うよりは靭やかと言うべきであったが、何にせよそうそう簡単に斬れるものでは無いのだ。
 それを、ほぼ完璧な不意打ちにも等しい一撃であるとは言え、あの妹鬼よりも強い可能性が高い上弦の鬼であるのにこうもあっさりと落とせるのか? 
 そして、上弦の陸の様に単純に頸を斬って終わりと言う訳では無い可能性もあるのだ。

「待って! 何かおかしい、油断しないで!!」

 瞬時にそう判断して叫んだ瞬間、皆がそれを注視している中で、切断された頸から身体が生え、そして首を落とされた身体からは首が生えた。
 しかし、最初の老人の様なその姿とは服装も見た目も違う。
 分裂に見えるが、もっと根本的に違う様な……。
 何にせよ、また同時に頸を落とさねばならないのか? 
 あの上弦の陸の様に。
 でも、何かがおかしい気がする。
 そしてその違和感の理由に気付かないまま攻撃するべきではない気もするのだ。

 禰豆子は瞬時に大きくなって、二体に増えた鬼と対峙し攻撃しようとするが。
「待て!!」と鋭く叫ぶと一旦それを止める。
 狭い部屋ではないが、五人で鬼二体を相手するのは無茶な広さだ。
 存分に刀を振るうのは難しい。
 何れにせよどうにかして場所を移さねば。

 そう瞬時に考えて次にどうするべきかと考えながら動こうとした時。
 斬られた頸の方から増えた山伏の様な結袈裟だけを身に付けた上半身が半ば曝け出された鬼が、動いた。

 《《猛烈に嫌な予感がした》》。《《何度も何度も体感してきたそれに突き動かされる様に》》、《《次にしなければならない事の為に身体が動かされる》》。

 その腕が僅かに動きかけた瞬間には、俺たち全員が一斉に回避の為に動いていた。
 善逸は禰豆子を抱え、一気に身を屈める様にして畳を蹴って。
 そして。

 葉で出来た様な形の団扇を、鬼が横薙に大きく振るった瞬間。
 その団扇の動きの先にあったもの全てが、突如吹き荒れた烈風によって吹き飛んだ。
 屋根が、襖が、壁が、畳が、全てを巻き込みながら、一掃されていく。
 気付けばそこはもう部屋とは到底呼べない惨状になっていて、吹き飛んだ屋根からは月明かりが下界を照らしていた。

 あんな物を人の身で喰らったら一溜りもないだろう。
 以前、脱線しかけた無限列車を止めた時の悠さんが巻き起こしていたそれよりはマシな規模ではあるけれど。
 この鬼が起こすそれは、全てを薙ぎ払い叩き潰す凶悪な風である。
 それを、団扇を振るうと言う簡単過ぎる動作一つで引き起こすのだ。
 とんでも無い相手だと言うべきだった。

 先程は裏返っていて確認出来なかったその眼球に刻まれた文字は。
『上弦』・『肆』。
 単純に考えれば、俺たちがどうにか頸を落とした妹鬼よりも、そして悠さんと宇髄さんで激闘の末に頸を落とした妓夫太郎よりも、更にずっと強い鬼である。

 あの老人の様な見た目からは、まるで若返っているかの様に二体とも見た目からして最初の姿とは違う。
 そしてベロリと主張される様に上半身半裸の鬼が舌なめずりしたそこには、『楽』の文字が刻まれている。

「カカカッ! 積怒よ、見たか? 今のを避けおったぞ。
 楽しいのう、骨があるやつを嬲るのは久方振りじゃ」

「せきど」……『積怒』? と、上半身半裸の鬼は、己と共に増えた錫杖を携えた鬼をそう呼んで語り掛ける。
 しかし、そう呼ばれた方は苛立たし気に牙を剥く。

「何も楽しくはない。儂はただひたすら腹立たしい。
 ちょこまかと鬱陶しい小僧どもも。
 そして可楽、お前と混ざっていた事も」

「そうかい、離れられて良かったのう」

 呵々と笑う「からく」……『可楽』に構う事無く、『積怒』と呼ばれた鬼はその錫杖の先端を畳に叩き付けようとする。
 《《再び最早予知に等しい程の直感が囁く》》。
 僅かに肌をピリピリとさせる様な大気の気配を《《俺たちは既に知っている》》。
 だから、再び回避した。

 その直後、畳に叩き付けられた錫杖の先端から周囲一帯に迸る様な電撃が辺りを蹂躙する。
 どうにか全員直撃は避けたが、空気自体を哭かせる様に震わせるそれは中々止まない。
 錫杖の先端から絶える事無く放出されている様だった。
 これでは到底近付けないし、何より動きが制限されている。不味い状況だ。
 だからこそ、次に起こる脅威を再び判断し、また一斉に動いた。
 今度は縦に振るわれた団扇による風の一撃はどうやら俺を狙っていた様で。
 回避したその直後に、俺が居た場所の背後が全て吹き飛んで行った。
 鬼たちは何の躊躇も無く周囲を破壊していく。
 本来、人の間に紛れて人を襲い喰らう為に、人を多く喰らい理性がある鬼程、街中など人が居る場所で派手に暴れる事は避けようとする。餌場を喪う結果になりかねないからだ。
 しかしこの鬼はおそらくこの里を襲撃しにやって来た鬼で、そして周囲から隠されたこの里で幾ら暴れようとも誰も困らない。
 あの上弦の陸の鬼が見せた以上の暴威が、何の躊躇も無く叩き付けられる可能性があった。

「カカカっ! 面白い! これも避けおるか! 
 まるで鼠の様じゃのう、ちょこまかちょこまかと動き回って。
 ええぞ、じっくりと嬲り殺しにしてやろう」

 周囲を蹂躙する電撃によって中々思う様に回避する事が出来ない。
 それなのに、『可楽』は電撃を物ともせずに動き回って皆を攻撃しようとする。
 電撃が確実にその身を貫いても気にも留めない。同じ鬼だからその身体には電撃が効かないのか? 
 何にせよこのままではジリ貧だ。
 そして、相変わらず妙な違和感の正体が掴めない。

「善逸! どうだ何か分かるか?」

「炭治郎の方こそどうなのさ! 
 ああでも、こいつらは最初に入って来た鬼の音とはちょっと違う!」

「そうか! ありがとう!!」

 最初の鬼とは、違う。
 そうだ、そうなのだ。双方の鬼はそれぞれ異なる匂いがするし、最初に頸を落とした鬼の匂いとも確実に違う。
 そして、最初の時点で頸が柔らか過ぎた。
 まるで、《《頸を斬らせる事自体が目的》》であるかの様に。
 本来、鬼にとって頸を斬られると言う事は最も忌避される事である。
 例えそれでは死なないのだとしても。あの上弦の陸たちだって頸を斬られる事には強い拒否反応を示していた。
 悠さんが言うには、上弦の弐や上弦の壱だって、日輪刀じゃない刀でも頸を斬られる事は嫌がっていたらしい。
 なら、おかしいのだ。
 頸を斬られる事を厭うのが鬼の本能であるならば、最初からこの鬼はおかしかった。
 本体と、それに操られた虚像。
 《《俺はそんな存在を何処かで知っている》》。《《何処かで戦った気がする》》。
 《《そして》》、《《それを倒すにはどうすれば良いのかも分かっている》》。

「この鬼は上弦の肆本体では無いのかもしれない!! 
 最悪の場合、こいつ等を幾ら斬ってもキリがないぞ! 
 近くに別の鬼が居ないか探そう!!」

 そう皆に叫ぶ様に伝達した瞬間。
 二体の鬼の反応が明らかに変わった。
 一層苛烈な攻撃を仕掛けて来るのだ。
 まるで、そうはさせないと言わんばかりの反応だった。
 語るに落ちるとはこの事か。
 だからこそ、半ば当て推量の様であったそれが「正しい」のだと分かる。
 とは言え、こうも引っ切り無しに攻撃されては、『本体』を探す事すら儘ならない。
 そして、斬ってまた増殖されたらと思うと迂闊に斬り掛かる事も難しい。
 どうにかして一時的にでも無力化させないと不味いのに。

「こいつ等の足止めが出来れば良いんだな!?」

 回避に全力で専念していた玄弥がそう言って、見慣れない武器……銃の様なものを構える。
 一体何をしようとしているのかは分からないが、俺がその言葉に頷くと。
 よしと頷いて、玄弥はそれを鬼たちへと向ける。

 ドンっと言う激しい音が二度鳴って、その直後には鬼たちの胴体が抉れた。
 日輪刀と同じ匂いがする。銃だろうか? 
 鬼の身体を引き千切って吹っ飛ばす事は無かった為、増殖はしない様だ。
 頸を斬る事が増殖の条件なのか、或いは完全にその身体を分割する事が条件なのかは分からないけれど。
 斬り落とさなければどうにか出来るのかもしれない。
 なら、胴体などを狙って刺突などを主体にすれば分裂させない様にしつつ足止めが出来るのだろうか。
『本体』を探すなら、鼻が利く俺か耳の良い善逸か豊富な経験によって鬼を感知する力の強い時透君が適任なのだろうけれど。
 温泉の硫黄の匂いがキツい此処だと俺の鼻も万全な状態じゃない。
 なら、霹靂一閃での斬首と言う手を封じられた善逸が探知に専念するのが最善だろうか。
 玄弥の攻撃によって、鬼は痺れた様にその動きを止める。
 錫杖の先端から迸っていた電撃も止み、烈風が襲い掛かる事も無い。

「小僧! 一体何をした!」

「ハッ! 誰がこっちの手札を態々明かすかよ、馬鹿が」

 吐き捨てつつ煽る様に玄弥はその口の端を歪める。
 それに憤激した様に鬼は吼えるが、しかし身体は動かない様だ。
 とは言え、それが永続的なものではない事位は分かる。
 今の内に、動かなければならない。

「善逸! 任せた、お前が見付けてくれ!! 
 俺たちは此処で少しでもこいつ等を足止めする!!」

 それだけで何を任されたのか分かったのだろう。善逸は頷いてその場から駆け出す。
『本体』を見付ける事が出来たとしても、上弦の肆である以上確実に弱くはない筈だ。
 その頸は間違いなく硬い。善逸一人で斬れるかどうかは分からないけれど。
 でも、ここで全員がこいつ等に足止めされていては何時までも状況は変わらないどころか悪化する一方だろう。

「禰豆子、良いか。絶対にこいつ等の身体を千切っちゃ駄目だ! 
 穴を空ける位に留めてくれ!」

 そう言うと、了解とばかりに禰豆子は頷く。
 本当は妹をこんな危ない戦いに巻き込みたくは無いけれど。でも今は少しでも人手が必要な状況だった。
 この鬼たちがある意味血鬼術で作られた存在の様なものであるのなら、爆血なら有効打に成りえるのかもしれないけれど。しかし上弦の肆のそれを一度に燃やし尽くす事は不可能に近いだろう。
 燃やし切る前に禰豆子の限界が訪れてしまう気がする。
 しかし、この場をどう抑えるのかを考えようとしたその刹那。

「忌々しい、忌々しいぞ。小僧どもめ。
 儂は実に腹立たしい」

「カカカっ! 楽しいのう、無駄な足掻きを全て蹴散らされた絶望を見るのは、何時も楽しみじゃ」

 そう言いながら『積怒』はその錫杖を振るって『可楽』の頸を引き千切る様に落とした。
 そして、『可楽』の腕が『積怒』の頸を捥ぎ取る。

 そうして落とされた頸から、また新たな鬼が増えた。
 鳥と人を混ぜた様な翼と猛禽の手足を持つ鬼と、槍を携えた鬼に。
 此方が攻撃していなくても、勝手にあちらの側で強引に増やせてしまう様だ。
 どうにかしてこの場で抑えないと、と。そう動こうとするが。
 崩れ落ちた天井から上空へと舞い上がった翼を持つ鬼を捉え切る事は出来ず、また槍の鬼が鋭い攻撃を繰り返してくる為中々突破出来ない。
 そんな状態を、再び動けるようになった『積怒』と『可楽』が見逃す様な事は無く、再び電撃と烈風に蹂躙される。
 どうにかして回避しようとするも、槍の熾烈な攻撃がそこに加わった為それも中々上手くいかない。
 回避するその動きもかなり厳しいものになって来た。
 玄弥は再び銃を構えようとするが、それはかなり警戒されている様で、玄弥は集中的に狙われている様だった。
 気付けば翼を持つ鬼の姿が見えない。善逸の所へと行ってしまったのか。
 ああ、不味い、不味い状況だ。
 どうにかしないといけないのに。

 その時、足元の畳に空いていた穴に足を取られたのか、玄弥の動きが僅かに鈍る。
 そして、それを逃さずに『可楽』の団扇の一撃が玄弥に迫るが。
 その烈風が吹き荒れる寸前に、玄弥は時透君に体当たりで押される様にして庇われる。
 しかし、そうやって庇った直後に、時透君は踏ん張る事も出来ない状況で烈風の一撃が直撃し、壁に開いていた穴から勢いよく空へと放り出される様に吹き飛ばされてしまう。
 無事なのかどうなのかとそちらに一瞬目をやるけれど。
 隊服の黒は夜闇の中では全く目立たない為、直ぐに見失ってしまう。
 少し離れた場所に、まるで虹の様な煌めきが見えた気がしたが、それも直ぐに見失った。


「カカカっ。豆粒がよう飛んで行ったのう。楽しいぞ、楽しいのう。
 して、小僧どもよ。あの柱の小僧抜きに、儂らとどう戦うつもりなのかのう?」


『可楽』は、ニヤリと。そう不愉快な嗜虐心に溢れた、歪んだ笑みを浮かべて俺たちを嘲笑うのであった。






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