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第五章 【禍津神の如し】

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 時透くんとの訓練の中で、どうやら頭を木刀で打たれた際にその衝撃で気を喪っていたのか。
 気付いたらもう夕刻になっていた。
 何と言うのか流石に色々と申し訳無くて、その場に居た時透くんには謝ったのだが。謝ると時透くんは逆に怪訝そうな顔をして、「別にいい」と言ってそのまま去って行った。

 人を傷付けたくない殺したくないと言う一心で、人に力を使ってまで攻撃する事を拒否し続けていたのだが。
 流石にそれは失礼なのではないかとも思うのだ。驕っているつもりは無かったが、ある意味傲慢な考えだとも言える。
 しかし、木刀と言えども剣を握って手合わせすると言うのは自分にはまだ心理的な壁が大きい。
 だが、木刀よりも殺傷力の無い武器はあると思うのだ。
 例えばハリセンとかなら丁度良いのではないだろうか。
 本気で叩けば幾らハリセンでも痛いかもしれないが、流石に手足が千切れ飛ぶなんて事は無いだろうし、万が一にもそんな威力が出そうになったらハリセンの方が耐えられなくて壊れるだろう。
 ハリセンで攻撃する位なら、多分大丈夫だ。
 考えれば考える程に、「名案だ!」と思う。どうしてもっと早くに思い付けなかったのだろう。
 手合わせを嫌だと思い過ぎて、それをどうにか回避する方向にばかり意識が向いていたのかもしれない。

 何にせよ善は急げと早速ハリセンを作った。
 叩いた際の音はかなり派手だが、基本的に痛くは無い。
 見た目からふざけているのかと怒られるかもしれないが、それでもこれで手合わせが出来るとなればきっと時透くんも許してくれるだろう。
 時透くんはどうやら記憶に何らかの障害があるらしく、明日になれば今日こうして訓練しようとしていた事を忘れてしまうかもしれないし、何ならまた小鉄くんの所に行ってしまうかもしれない。
 なら、今日不甲斐無い所を見せてしまったお詫びも兼ねて、明日は全力で時透くんの要望に応えようと思う。

 ……それに、過去の事を思い出せないし記憶を留める事が出来ないと言ったその時の時透くんの表情が、どうしてもマリーの事を思い出してしまい気に掛かってしまうのだ。
 思い出した過去の記憶が幸せなものなのかは別にして、それを思い出せない事に苦しんでいるのなら何か力になりたいものである。自分に何をしてあげられるのかは分からないが、出来る事はしてあげたい。
 記憶を取り戻す事が出来たら、記憶を留められる様になれば。
 きっと、上手く良い方向に時透くんの何かを変える切欠になるのではないだろうか、と。そう思うのだ。
 要らぬお節介なのかもしれないし、ともすれば迷惑だと拒絶されかねないけれど。
 それでも、出逢ってしまった以上は、ほんの少しでもその心に触れてしまった以上は放っておけないのだ。
 そして、時透くんとの間に芽生えた【月】の絆が、自分には彼に対してしてあげられる事がきっとあるのだと教えてくれる。

 絆。それは自分にとっては特別に大切な意味を持つ心の繋がりだ。
 この世界でも見出したそれは、八十稲羽で紡いだものの重さと全く変わらない。
 この世界に迷い込んで、少なくはない時間を過ごして。
 何時の間にか、殆ど空っぽに近かった様々な絆も、随分と新たに結ばれ満たされてきていた。
 絆が満たされていく度にそれが大きな力になっていくのを心の奥底から感じているし、真に満たされた絆が自分を限り無く助けてくれる。
 でも別に、強くなりたいから、力を取り戻したいから、絆を満たしたい訳では無い。
 向けられた信頼に応えたいだけだし、そうやって絆を満たしていく中で少しでも「何か」を良い方向に変える切欠になりたいと思っているだけだ。
 鬼舞辻無惨を倒すと言う目的を果たす為だけではなくて、その先の未来で大切な人たちが少しでも笑って幸せになる為の些細な切欠になりたいのだ。ただそれだけである。
 そして、その為に自分に出来る事を全力でするのだ。

 逗留先の宿に戻ると、丁度同じ様なタイミングで皆も帰って来た。

 破天荒で自由な伊之助と、素直で常識的な感覚の強い玄弥の二人だが、相性自体は悪くないのか、「宝探し」の中で更に打ち解けた様だ。
 捜していた「宝」自体は見付からなかったらしいが、伊之助は山育ち故に周囲の山の探索がそれはもう楽しかったらしく、途中で見付けた色んなオタカラを見せながら興奮した様に話してくれた。更には、子分へのお土産だと言ってツヤツヤとした形の良い綺麗なドングリをプレゼントしてくれたので、後でドングリ独楽かやじろべえなどに加工して伊之助にあげても良いかも知れない。きっと喜ぶだろう。
 玄弥は山自体は悲鳴嶼さんとの鍛錬で慣れているからか、伊之助のハイテンションにもちゃんと付き合ってやれたそうだ。「宝」は見付けられなかったが、まるで童心に返ったかの様な時間を過ごせたからなのか、何時にもまして楽しそうな顔をしている。良い息抜きになったのだろう。

 善逸と獪岳も、その蟠りが解消された訳では無くとも、少しは話し合って歩み寄る余地が生まれたのか。
 少しばかりその距離は縮められている様な気がする。
 獪岳の行いが行いだけに、それを簡単に許す事は出来ないしそれはしてはいけない事を善逸は分かっている。
 そして獪岳自身もそれを分かっているのだし、幾らあの場ではその命を捧げる事になってでも生き延びたいと思っていたのだとしても、命の危機を脱して冷静になれば、それを積極的に肯定してはいけないのだと思う程度にはちゃんと自制心はあるので、獪岳自身も自分の選択を正当化はせずにいる。
 今はまだ歩み寄る程までにはいかないし、お互いにどう落としどころをつけるべきなのか探っているのかもしれないが。
 きっと、悪くはない方向に進む事も出来るのでは無いだろうかとも思うのだ。
 まあ、自分に出来るのは見守る事だけなのだけれど。

 そして自分が時透くんに連行された後は小鉄くんと取り残された結果になった炭治郎は、それはもう……倒れる寸前と言うべき程にまで疲れ果てた状態で帰って来た。
 一体、あの後何があったと言うのだろう。
 話を聞くと、あの絡繰人形を時透くんに馬鹿にされた事にブチ切れた小鉄くんが、時透くんを見返してやると気炎を吐きながら炭治郎を巻き込む様にあの絡繰人形を使った特訓を開始したらしい。
 それが本当に過酷であったらしく、ほぼ休憩も無しにぶっ続けで延々と戦い続けていたのだとか……。
 分析能力は確かであるらしく、的確に炭治郎の弱点を潰そうとしてくれてはいたらしいのだが。
 出来るまで不眠不休で食事も水も抜きだなんて暴挙を平気で課そうとしていた辺り、指導係としての素質も経験も全然足りていない様だ。まあ、そんな悲惨な事になりかけていたら、流石に自分たちが止めに入るけれど。
 そんな過酷な特訓も、取り敢えずは今日の目標は達成出来たとの事で解放されたそうだ。
 しかも、特訓は明日もやると宣言されたらしい。
 真面目な炭治郎は、特訓から逃げると言う選択をする事無く、それに応じるそうだ。
 ……本当に大変そうだが、本人が良いと思っているのだから良いのだろう。

 炭治郎たちを存分に労って、その後は皆で明日に備えてゆっくりと休むのであった。






◆◆◆◆◆






 ふと何かを感じて目を覚まし、横を見ると。
 炭治郎が寝ながら物凄い勢いで涙を零していた。
 既に朝日は昇っているので禰豆子は何時もの箱の中に隠れているが、炭治郎が泣いている事を察しているのか、心配そうにカリカリと控え目に箱の中を掻いている。
 呼吸に乱れが生じていたり、或いは熱がある様子も無いのだが、しかし炭治郎の涙は一向に止まる気配が無い。
 何か悪い夢でも見ているのだろうか。それとも、もっと別の何かを見ているのか。
 思い出すのは、あの列車の中で鬼に見せられていた夢の事だ。
 だからこそ少し心配になって、まだ起きるには早い時間ではあったのだが、炭治郎の身を揺する様に起こした。
 目覚めた炭治郎の様子に何かおかしな所は無く、ホッとしていると。
 炭治郎は『夢』……自分のご先祖様の記憶の様な夢を見たのだと教えてくれた。
 以前、縁壱さんの姿を見掛けたのだと言う不思議なその『夢』の、更にその先を見たのだろう。

 一体どんな『夢』であったのかを、炭治郎はゆっくりと教えてくれる。
 縁壱さんが見せてくれた日の呼吸の説明などは擬音だらけの斬新な説明だったが、概ねは縁壱さんが語ったそれをそのまま伝えてくれた。
 数百年前の時間に生きた『継国縁壱』という一人の人間の半生を知って、どうする事も出来ない様な遣る瀬無さを感じて深く溜息を吐いてしまう。
 優しく善良な人が報われるとは限らず、どんなに強くてもその手の中から大切なものが指の間を零れ落ちる砂の様に喪われてしまう……。理不尽で残酷なその世界の在り方に翻弄されたその人が、その生の終わる時に少しでも幸いを見出せている事を願わずには居られなかった。
 凄まじいまでの剣の才に恵まれて、神業としか思えない程の力を持っているのだとしても。
 炭治郎の話から見える縁壱さんの姿は、何処までも善良で悩み苦しみを抱える『人』のそれであった。
 だからこそ、少しでもその心が救われていて欲しいと願ってしまう。
 ……どうすれば縁壱さんを襲った苦しみを回避出来たのかなんて同じ時を生きた訳では無い自分には分からないし、もし自分が夢の中で出逢ったのが炭治郎ではなく縁壱さんだったとしても、その時その時の選択の先の未来を見通し切る事など出来ない以上はどうにもならなかったのかもしれない。
 炭治郎のご先祖様が交わした『約束』が、少しでもその心を軽くしてくれる事を願うしか無かった。
 縁壱さんが遺した沢山のものが今こうして再び集まって、その最大の心残りであったのだろう鬼舞辻無惨討伐に向かおうとしている事を、数百年前のその人に教えてあげたくなる。……そんな方法は無いのだが。

 そして、一通り話終えた炭治郎はふと決意した様に「上弦の壱を自分の手で倒したい」と言い出した。
 縁壱さんの兄であろうその人を、止めたいのだ、と。
 その困難さを理解した上で「それでも」と決めた炭治郎のその意志を翻意させる事など出来ないし、そうしたい訳では無かった。炭治郎の気持ちはよく理解出来る。
 なら一度軽く斬り結んだだけとは言え実際に上弦の壱に遭遇した経験のある自分に出来る事は、上弦の壱に相対した時に少しでも炭治郎が生き延びてその望みを達成出来る様に鍛える事なのだろう。
 上弦の壱の戦い方を再現出来る訳では無いが、どの程度の反射速度や回避速度が無いと即死するのかは分かる。
 そして、それを直接教えてあげられるのも自分だけだ。まだ躊躇いはあるのだが、手合わせなどで直接剣を通して伝えるしか無いのだろう。

 改めて炭治郎が『夢』で得た情報を整理していく。
 鬼舞辻無惨が五つの脳と七つの心臓と言う事、そしてそれを見抜いた「身体が透き通って見える」感覚、更には鬼舞辻無惨にも有効だと言う赫く染まった日輪刀──『赫刀』。
 そのどれもが、恐ろしく有益な情報だ。
 きっと鬼殺隊が喉から手が出る程に欲しているものであるのだろう。
 炭治郎の『夢』や珠世さんを通して得たそれらは、全て縁壱さんが遺してくれたものだと言っても過言では無い。
 もうとうにこの世を去っている人ではあるが、本当に感謝してもし切れない程だ。
 そして炭治郎は『夢』の中で縁壱さんが見せてくれたそれによって、日の呼吸を完全に見取ったそうだ。
 元々見取り稽古で代々継承されて来たものであり、炭治郎も見取りにはかなり自信があるらしい。
 それって相当凄い才能なのでは? と物凄く想う。そもそも見取り稽古だけで数百年間ほぼ完璧に伝承させ続けている時点で尋常では無い。……鬼舞辻無惨に襲われてその温かな幸せが壊される事さえなければ、戦う為の術では無く神楽としてこれからもその異才を発揮する事も無く静かに受け継がれていったのだろうけど。
 そう思えば、鬼舞辻無惨は本当に踏まなくても良い虎の尾を踏み千切り、触れなくても良い竜の逆鱗を粉砕し続けているのだろう。それでも千年以上も誰も倒す事が出来ていないのだから、その存在の規格外さと言うのか……身を隠す力は尋常では無い。

 だがそんな凄い事をしているのに、縁壱さんや炭治郎のお父さんと比較すると、炭治郎は自分にはそこまでの才は無いのだと言い出す。
 炭治郎のお父さんがどれ程凄かったのかはよく分からないが、きっと炭治郎が言う様にヒノカミ神楽への凄い才能があったのだろう。
 しかし、今此処に立って戦っているのは炭治郎であるのだし、命を懸けて鬼舞辻無惨を討たんとしているのも炭治郎だ。
 それに、炭治郎はまだ十五歳なのである。現代ならまだ中学生なのだ。身体はまだ出来上がっているとは言い難いのだし、それと大人として身体もしっかり出来上がっている人たちと単純に比較する必要はないと思う。
 更には、鬼殺隊に入ってまだ半年も経っていないのに、ベテランの隊士でも経験し得ない様な激戦を何度も潜り抜けて今も戦い続けられているのだ。それは物凄い幸運と積み重ねた努力と、そして間違いなく才能のお陰であると思う。自分は剣や呼吸の才能の云々なんて殆ど分からないが、それは分かる。
 炭治郎は凄い奴なのだ。
 だが、きっと周りには炭治郎が持っていない形の才能の持ち主や、或いは炭治郎よりも長く努力して遥かな高みに居る人たちばかりだから、その凄さを自覚しきれていないのかもしれない。
 現状に満足せずもっと強くならなくてはと研鑽を怠らないその姿勢は本当に眩しく見えるし、それでいて周りの事を気遣う心も忘れないからこそ炭治郎の周りには人が集まるのだろう。
 自分が苦しい時ですら人に優しくし続ける事も、そして自分を律して努力し続ける事も。
 その何れもが簡単な事では無いし、そう出来ない人の方が圧倒的に多い程に難しい。
 炭治郎はそれを、自分は長男だから、自分はまだまだ弱いから、と、そうやって踏ん張って成し遂げているが。
 高潔な在り方や彼方の星の様な高い目標を掲げて努力し続ける事は大切な事であり素敵な事だけど。
 それも過ぎれば心を疲弊させる猛毒になりかねないものだ。
 努力したそれが自分が思った形で正しく報われるとは限らないし、極めれば極めるだけ「才」としか表現しようの無い壁に何度でも行き当たってしまう。だが、その壁に行き着けるだけの努力が既に其処に在るのだ。
 その時に更なる努力を重ねて壁を乗り越えようとする時に、自分が重ねて来たものを肯定出来るのかは重要だ。
 それが出来なくては、何時か路を見失って途方に暮れてしまう。
 だからこそ、「自分には才が無い」なんてその自覚が無くても卑下したりするのは良い事では無い。
 それは、才の有る無しの問題では無いからだ。

 八十稲羽で過ごした一年で、今までの自分では考えられない程に「人の心」と言うものに真剣に向き合った。
 苦しみや悲しみに寄り添って、共に悩んで。儘ならない現実に藻掻き苦しみながら一生懸命に何処かに辿り着こうとするその姿を見届けてきた。人の数だけ存在する様々な『真実』を、一緒に探してきた。
 様々な影を見詰め、影が生まれたその背景を見詰め。虚構の霧の中に隠されてしまった『真実』を探し、全ての人の心の願いが生み出した『神』の姿をしたそれを討ち果たし。
 そうやって色々経験してきたからこそ、『心』を大切にしたいと真摯に思う。
 炭治郎は凄い奴で、その心もとても強い人だ。
 あの『心の海の中』の世界で影と対峙したとしても、きっとそれを受け入れて己の力にしてしまえるのだろうと確信出来る程に。その心は強い。
 それでも、強い人なら傷付かないなんて事は無いし、どんなに凄い人でも心が摩耗してしまう事はある。
 だからこそ、その心が無為に傷付く事からは守りたいと思う。
 そう言うと、炭治郎はちょっと驚いた様な顔をしたが、しかし何処か気恥ずかしそうでありながらも嬉しそうに微笑んだ。

 そして、縁壱さんが知覚していたと言う「身体が透き通って見える」感覚に関して、炭治郎はお父さんがその様な事を言っていたのだと言い出した。
 努力し続けた上で不要なものを削ぎ落した先に見えるのだと言うその感覚がどんなものなのか、自分には全く見当が付かない。が、お父さんはその感覚を使って小さな手斧一つで巨大な人食い熊の頸を一瞬で落としたのだと言う。しかも病で亡くなるほんの数日前に。本当に実在の人間の話をしているのかと疑いそうになる程だ。
 それがどんなものなのかは全く分からないが、確かに『何か』が見える事はあるのだろう。

 そして。炭治郎は最後に残ったものの事を……『痣』の事を、話題にする。
 人の身で人以上の力を得たその証に現れるのだと言うそれ。……ただしそれは寿命を前借りしたに等しい力で、その代償は余りにも重いものである。
 明日の命があるかどうかも分からない様な戦いが常である鬼殺隊の隊士たちにとっては、寿命程度で強力な鬼を倒す力が得られるなら躊躇する必要など無いと思うのかもしれないし、実際に躊躇なくその『痣』の発現を目指してしまいそうな人たちに物凄く心当たりがある。炭治郎もその一人だ。
 その様に凄まじい力を得られるのなら、間違いなく鬼舞辻無惨を討つ為の力になるのだろう。それを本懐だと思う人は少なくないのは分かるし、寿命を捨ててでも鬼舞辻無惨に一矢報いたいと思う人は多いだろう。
 だが……。それは自分の我儘でしかなく、傲慢で人の心を顧みない考えであるのかもしれなくても。
 その様な力を得て欲しいとは、微塵も思わないのだ。
 皆にそんな選択をさせる位なら、上弦の鬼たちにわざと捕まって鬼舞辻無惨の前で全力の『明けの明星』などで諸共に自爆する方がまだマシである。
 鬼舞辻無惨を討ち果たした先の、鬼の居ない夜明けを皆と迎える事が望みではあるけれど。
 それが大切な人たちの寿命で贖われるなんて、冗談では無い。
 しのぶさんが上弦の弐を道連れに自分の命を擲とうとした時と同じかそれ以上に嫌だ。
 自分の命を積極的に捧げる事と同義であるそれを肯定して欲しくは無いのだ。
 そんなの、まるで鬼舞辻無惨を倒す為だけに生まれて生きて来たみたいなものじゃないか。
 奪われた幸せの為に、自分では無い誰かに繋げる為に、それを選ぼうとする気持ちを理解出来ない訳ではないけれど。その悲しみの連鎖の外側からやって来たからこそ、自分にそんな事を是と言える筈も無い。
 鬼舞辻無惨を倒した先の未来で笑って幸せになって初めて、鬼舞辻無惨に本当に打ち勝ったのだと言えるのではないだろうか。
 ……この先、鬼舞辻無惨を討ち果たしたとしても、二つの世界大戦や関東大震災などが起きる事は知っている。
 この先の未来でずっと幸せに笑って生きる、と言うのは難しい事も分かっている。
 それでも、大切な人たちには少しでも長く生きていて欲しいし、苦しい事や悲しい事があってもそれを乗り越えた先にはきっと、何か幸せに思う事はあるのだと思いたい。
 だから、自らの命の時間を差し出す事を選ばせる事を肯定出来ない。
 それ以外に本当にどうする事も出来ないと言うのなら、此処で自分が拒否した所でどうしようもない事なのかもしれないが。まだ本当に他に方法が無いのかなんて誰にも分からないのだ。なら、それ以外の道を全力で探したいし、その為なら自分の力を幾らでも使い潰して貰っても良いと思っている。
 自分は『人』以外の何者にも成れないし成りたくはないけれど、皆にそんな選択をさせない為なら……そしてそうさせずに済むのなら、『神様』にでも『化け物』にでも成ってしまっても構わないとすら思った。


『痣』の事については、お館様への報告も細心の注意を払って慎重に行おうと言う事になった。
 お館様が皆に『痣』を出す様に強制するとは思わないが、その代償を思うと幾ら慎重になっても足りない位の内容だからだ。
 他の内容、特に縁壱さんに関連する事に関しては、珠世さんから得た情報と併せてお館様の反応を伺いつつ伝えると言う方針である。
 人並外れた先見の明があるお館様なら、『夢』を介して先祖の記憶を垣間見たと言う事も頭ごなしには否定する事は無いだろうが、少しばかりそれを実証出来る様な証拠を得てからの方が良いのは確かだろう。
 産屋敷家に縁壱さんの事に関して何か伝わっている可能性は大いにあるので、その辺りを確かめてからでも良いかも知れない。



 そんなこんなで朝になり皆が起きて来た。
 大所帯で賑やかな朝食を終えた後は、其々に用事をこなしに行く。
 炭治郎は小鉄くんとの特訓に、玄弥は南蛮銃の調整に、善逸と獪岳は打ち直して貰う日輪刀に関して、より今の自分に合った具合にして貰う為に刀鍛冶の人からのヒアリングを受けるらしい。
 伊之助はと言うと、刀を研ぎに出すべきなのだろうが、まだ一言も謝っておらずその為まだ許して貰えていないらしい。今日も山を駆け回ろうとしていたので、流石にそれは良くないからと、引き留める。
 伊之助は山でずっと育ってきたが故に、誰かが自分の為に造ってくれた何かと言うものへの認識が薄く、更にそれを作るまでにどれ程の時間や労力が掛けられているのかが分からないのだろう。
 伊之助にとって、刀鍛冶の人達が精魂込めて打ってくれた刀も、山で採れるドングリも、そう大きな差は無い。
 が、流石にそんな認識ではこの先伊之助も困るだろう。
 なので、刀を打って貰うと言う事がどんな事であるのかを実際に見て貰ったら良いのではないかと思った。
 幸い、此処は刀鍛冶の里だ。日夜何処かで刀は打たれている。
 玉鋼から刀が出来上がっていく過程をちゃんと理解すれば、自分がした事でどれ程相手を傷付けたのか分かるのではないだろうか。伊之助にとっては必要で当たり前だった刃毀れも、その人たちにはそうでは無かったのだと理解して貰えるだけでも構わない。
 ……まあ、誰が伊之助に見学させてくれるのかと言う問題もあるのだが。
 それに関しては鉄地河原さんに相談してみよう。丁度、自分用の日輪刀の事に関して色々と聞きたいと呼ばれているのだ。良い機会である。


 鉄地河原さんと顔を合わせるのはこれで三回目であるが、熟練の職人と言ったその風格には何時も少し緊張してしまう。
 アートとして刀を打っていた『だいだら.』の親父さんとは違って、戦う為の武器として日輪刀を打つ刀鍛冶の人達は漂わせる雰囲気からして大分違うのだ。

「何時も使っている刀あるんやろ? ちょっと見せてくれんか?」

 そう言われ、この世界に迷い込んでからずっと傍に置いている十握剣を鉄地河原さんに鞘ごと差し出した。
 元々平均的な日輪刀と比較しても大きなそれは、小柄な鉄地河原さんが持つと余計に大きく見える。
 鞘から抜き放ち刀身を確かめた鉄地河原さんは、驚いた様に唸った。

「ふむ。確かに日輪刀とは違う様やな。匂いが違う。
 しかし、随分とこれもまたどえらい剣を持っとるんやな。
 使ってるのは何処の鉄やろうか、質が凄いな。
 何か名前があるんか?」

「えっと、十握剣です。材質に関しては、俺はあまり詳しくないので……」

 元々は死神シャドウが溜め込んでいたものだ。その材質が何かなんて全然分からない。
 原材料が玉鋼であるかどうかすら分からない。
 りせがアナライズした所によると、名前が『十握剣』である事などが判明した程度である。

「十握剣? それはまた凄い名前やな。神話の武器の名前を付けるとは。
 まあ、その気持ちも分かる位、凄まじい剣や」

 よく見ると、興奮からか鉄地河原さんの手が細かく震えていた。
 本当にそれその物なのかは分からないが、『心の海の世界』の性質上、人が考えるそれと遜色ない物であるのだろう。
 自分にはよく分からないが、刀を打つ者にとっては慄く程の代物であるのかもしれない。

「俺が名付けた訳では無いですよ。手に入れた時点でそう言う名前だったんです」

「成る程なぁ……。『神降ろし』に似た何かと言い、ただ者では無いんやな。
 何処でこれを手に入れたんかって訊いても、答える気は無いんやろ?」

 鉄地河原さんの言葉に、その通りだと答える代わりに微笑んだ。
 鉄地河原さんは成る程と頷き、そして難しそうな顔をする。

「普通に打たれた日輪刀が持たんのは、恐らく力が強過ぎるからやろな。
 他の剣士に比べたら剣の扱いが上手くないってのもあるけど、一番はそれや」

「力が強過ぎる、ですか……」

「多分無意識の内に凄まじい力が入ってるんやろ。滅茶苦茶な力で握らんと赫くはならない日輪刀が直ぐに赫くなる位にな。
 それを矯正出来るのかは分からん。
 それに耐えようとなると、どれ程の耐久性が必要になるのかも見当が付かん」

 厚みを増やしたり巨大化したり……そう言った形でそれを叶えようとすると、何時か見た漫画の中の馬鹿でかく武骨で大雑把な身の丈以上の大剣になりそうだ。
 それを使えるのかどうかに関しては、ペルソナの力を使えば可能だろうが、運搬や隠蔽に大問題が発生する。
 もうちょっと加減して振るう事が出来れば良いのかもしれないが、その加減を覚える事も簡単な事では無い。

「まあ、面白そうやしその刀、ワシが打ったるわ」

 てっきり断られるのかと思ったのだが、鉄地河原さんは寧ろやる気を出した様だ。
 もし壊してしまったらと思うと申し訳無さを感じるが、それでも有難い事には変わらない。

「有難うございます……!」

 深く頭を下げると、鉄地河原さんは呵々と笑って了承してくれた。
 ついでに、伊之助の勉強の為に実際に誰かの刀を打っている所を見学させてくれないかと頼んでみると、丁度鉄穴森さんが時透くんの日輪刀を打っている所らしいので、邪魔しなければ見学しても良いと許可を与えてくれる。
 鉄穴森さんと言えば、伊之助の日輪刀を打ってくれた人でもある。嫌がられるかもしれないが、一番意義のある見学になるだろう。
 鉄地河原さんに深く礼を言って、その場を後にした。






◆◆◆◆◆






 伊之助を連れて鉄穴森さんの所へ行こうとしたのだが、伊之助はそんな事をして何の意味があるのかと抵抗した。身体を動かせないのは嫌なのだろう。
 鉄穴森さんの作業工程はもう大分終盤に入っているらしく、今日中に刀を打つのは終わるらしい。
 とは言え、刀を打った後の研ぎなどはまだまだ残っているので完成にはまだ時間が掛かるのだけれども。
 見学が終わったら手合わせに付き合うし、何ならペルソナを召喚して伊之助に付き合うからと説得すると、伊之助はそのご褒美に釣られたのか、「子分の頼みなら仕方ねぇな!」と最終的には了承してくれた。
 その為、二人で鉄穴森さんの鍛冶場を訊ねた。
 伊之助の事はよく覚えていたのか、その猪頭を見てかなりムッとした気配を出されたが、伊之助の背景を簡単に説明して、何かを一生懸命に作ると言う事がどんな事なのかを教えてあげたいのだと頼むと、鉄地河原さんが許可をしていた事もあって作業風景を見せてくれた。

 時透くんの日輪刀は既に火造りの工程に入っている様だった。
 最初は物珍し気に当たりをキョロキョロと落ち着きなく見渡したり、或いは手持ち無沙汰からソワソワしていた伊之助だが。鉄穴森さんが小槌を振るって切っ先を作り出していくその過程に、そこにある熱意に、魅入られた様にその目を釘付けにする。
 ここから更に荒仕上・土置き・焼き入れの工程が待っているし、更に研ぐ事で最終的に完成する。
 少なくとも、伊之助は何かを作っている過程に「何か」を感じる事が出来た様だ。
 これなら鉄穴森さんにちゃんと心から「ごめんなさい」と謝れるかもしれない。

 暫く見学していた伊之助は、土置きの工程に移った時に一旦休憩した鉄穴森さんを前に、「うむむ」と唸った。
 一体何がしたいのかと鉄穴森さんには分からなかった様だが、伊之助が何をしたいのかを察してこういう時はどうすれば良いのかをそっと教えてあげる。
 すると、少し躊躇いながらも猪頭を脱いで、鉄穴森さんに少し頭を下げた。

「わ……悪かったな、あの時刃を壊して。
 ……ゴメンナサイ」

 あまり言い慣れていないその言葉は、まるで片言の日本語の様ではあったが。
 その意図は十分に伝わったのだろう。鉄穴森さんはそのひょっとこの面の奥で、仕方無いと言わんばかりにちょっと怒りながらも溜息を吐いてくれた。
 伊之助に悪意があってやった訳では無かったのには気付いていた事も大きかったのかもしれない。

 そして、やっと。鉄穴森さんは伊之助の日輪刀の研ぎ直しを了承してくれるのであった。






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