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第五章 【禍津神の如し】

◆◆◆◆◆






 刀鍛冶の里は、鬼殺隊にとって最重要施設の一つであるからか随分と厳重に隠されているらしく、その道程は運ばれている者には分からない様にといった工夫がされていた。鬼殺隊本部に行く時と同じだ。
 そうやって運ばれる事暫し、何人目かの隠の人が足を止め、目隠しや耳栓などを取ってくれる。
 どうやら到着した様だ。
 周りを軽く見渡してみると、何処かの山中にひっそりと隠される様に作られている様だ。
 しかし山中にあるとはとても思えない程に、それぞれの建物は立派である。
 微かに漂う硫黄の匂いに鼻がとても利く炭治郎が空かさず反応する。
 隠の人が言うには、この里には温泉があるらしい。此処を訪れる隊士たちの殆どは武器の研ぎや新たな打ち直しの為に訪れるが、稀に湯治の為に逗留する者も居るそうだ。

 温泉と聞いて、思わず心が弾んだ。
 温泉は良いものだ。温かくて気持ちが良い。
 仲間達とバイクで少し遠出をして、日帰りで温泉に行った回数はもう数え切れない程である。
 スキー旅行ついでにマリーを助けに行った時の帰りの温泉では、文字通り雷が降って来た事もあったが、今となってはそれも中々楽しかった思い出だ。……と言うかあの時、あの場に居た全員がペルソナ使いだったから良いものの、もしそうでなければ温泉で落雷に遭った時点で死んでいるな……。
 この夢の中に迷い込むよりも前、稲羽に居た時点で、ペルソナ使いとして現実世界でも相当の恩恵を受けていたのかもしれない。
 ……もしやあの謎の物体Xやスライムチョコにダメージを受けつつも生き残れたのもペルソナ使いとしての力なのだろうか。
 一瞬脳裏を過った悍ましい記憶を、そっと再び忘却の中へと放り込む。
 そっとしておこう、あれは触れる事すら憚られるものである……。

 里長の家の場所を教えて貰い、此処まで連れて来てくれた隠の人とは別れる事になった。
 ……しかし……五人(正確には禰豆子を入れて六人)の大所帯である。
 そんな人数で一気に挨拶に伺っても良いのだろうか? ……まあ、良いか。
 礼儀作法という意味ではちょっと心配な部分がある伊之助には簡素ながらも礼儀作法を教えて、全員で里長へと挨拶に伺った。


「どうもコンニチハ。
 ワシこの里の長の鉄地河原鉄珍。よろぴく」

 部屋の上座で両脇に人を従えた物凄く小柄な人が、かなり気さくな感じでそう名乗った。
 どうやらこの里の人達は鍛冶仕事をするからなのか、全員がひょっとこの面を付けている。
 面ごとの個性はかなりあるが、しかしその下にある表情と言うものは分からない。

「里で一番小さくって一番えらいの、ワシ。
 まあ畳におでこつく位に頭下げたってや」

 そう言われた瞬間、全員でしっかりと頭を下げた。
 炭治郎に至っては、勢いよく頭を下げ過ぎた為にゴンっと心配になる程の硬い音を立てている。
 まあ、炭治郎の頭は物理的に滅茶苦茶硬いらしいので、大丈夫なのだろうけれど。
 礼儀作法があまり分かっていない伊之助も、事前にしっかり言い含めておいたからかちゃんと頭を下げた。

 全員の態度をそれなりに気に入って貰えたのか、鉄地河原さんから茶菓子代わりにかりんとうを振舞って貰え、遠慮の概念を知らない伊之助と素直な炭治郎はボリボリとそれを食べ始める。
 が、一応今から話があるので自分は少しばかり遠慮しておいた。

「お館様から話には聞いとるよ。刀を打って欲しいんやってな」

「はい。あとそれと、少し調べたい事がありまして……。
 日輪刀を握ったら刃が真っ赤に染まったのですが、その事について何かご存じないでしょうか?」

 里長というからには、きっと誰よりも日輪刀について詳しいのだろう。
 鉄地河原さんがあの謎の変化について知っている可能性はあるだろうと思い、そう訊ねてみるが。
 鉄地河原さんは心当たりがないのか首を傾げた。

「刃が? それは、色変わりの事やろか」

「いえ、多分日輪刀の色変わりでは無いと思います。
 俺が使わせて貰ったのは友人の日輪刀なので、もう持ち主が既に抜いたものですから色変わりの条件は満たしていないかと……」

 確かに玄弥は呼吸の才能が無いので日輪刀を抜いても色が変わる事は無かったそうだが。しかし色が変わろうが変わるまいがそれはもう玄弥の日輪刀なのだ。偶然それを借り受けた者が握った所で、その者の色に染まる訳では無いだろう。
 日輪刀とは、それを初めて握った瞬間からその人の為だけの刀に成るのだから。

「赤……と言う事は炎の呼吸への適性がある、という事でしょうか?」

 脇に控えていた人も興味深げに訊ねてくる。
 炎の呼吸……。確かに色の区分としてはそれが近しいのかもしれないが。しかしあの色の変化は、煉獄さんの日輪刀の色ともまた違う色であった。

「多分それとも違うと思います。以前見た煉獄さんの刀とは違う色に染まっていたので。
 何と言うのか……炉の中で熱している最中の鋼の色に近い感じでした」

 此処に居る人たちは皆凄い腕の刀鍛冶の人達なのだろうけれども。しかし誰一人としてその現象に心当たりが無いらしい。作った人ですら知らない効果、なのだろうか……? 
 そんな事あるのか? と思いはするが……。何か特殊な条件を満たさなければならないとかなのだろうか。
 しかし、戦国時代の事とは言え縁壱さんは日輪刀を染め上げていたらしいし、その特殊な条件がペルソナ能力だとかと言う事は無いだろうと思う。同時に、自分が握っても変化する事から日の呼吸の使い手であるかどうかという事も関係無さそうだ。
 そうであるならば何とかしてその条件を見付け出したいものである。
 色が変わった日輪刀で上弦の壱を斬った際、その部分の再生速度は明らかに落ちていた。
 もし十握剣で斬っていたとしたら、あの傷ならば瞬時にとは言わずとも数秒もあれば回復されていただろう。
 実際、上弦の弐と戦った時はそんな感じだったのだ。
 それよりも更に強く、その上に鬼舞辻無惨の血で強化されている上弦の壱なら尚更その回復速度は、自分が戦った際の上弦の弐の比では無い筈なのである。
 しかし、あの色が変わった日輪刀で斬り飛ばした部分は、遅々として再生が進んでいなかった。
 日輪刀には斬首する事で鬼に対する特効があるが、しかし頸以外の部分を斬ったからと言ってその部分の再生を妨害する様な力は無かった筈だ。少なくともそんな話は聞いた事が無い。
 しかし、色が変わった日輪刀には頸以外の部分に対してもかなりの効果を発揮するのかもしれない。
 例え頸を斬れてなくても手足を落とす事が出来ればそれだけ有利になるし、何なら頸の弱点を克服してしまっている鬼舞辻無惨に対しても効果的であろう。
 もしあの色が変わった日輪刀の発動条件を探し当てる事が出来、そしてそれを鬼殺隊の皆に伝える事が出来れば、鬼舞辻無惨や上弦の鬼と対峙したその時に力になれる筈だ。
 だからこそ、何としてでもそれを掴もうと心に決めていた。

「中々興味深い話やな。君の刀の事も含めて、また後で改めて話を聞かせてな。
 で、そっちの炭治郎くんの事やけど」

 急に話を振られたので、驚いた様にかりんとうを食べる手を止めて、炭治郎は慌てて居住いを正す。

「蛍なんやけどな、今行方不明になっててな。ワシらも捜してるから堪忍してな」

「蛍?」

 聞き覚えの無い名前だったからなのか、炭治郎が首を傾げていると。鉄地河原さんは、炭治郎の日輪刀を打ってくれている鋼鐵塚さんの名前が『鋼鐵塚蛍』である事を教えてくれる。
 可愛い名前だと反応すると、どうやら鉄地河原さんがその名付け親であるらしいのだが、可愛過ぎる名前だと本人からは罵倒される程不評であったそうだ。

「あの子は小さいときからあんな風や。
 すーぐ癇癪起こしてどっか行きおる。すまんの」

「いえいえそんな!
 俺が刀を折ったりすぐ刃毀れさせるからで……」

 鉄地河原さんの言葉に、自分の責任も大きいのだと炭治郎がそう言おうとすると。
「いや、違う」と。先程迄の何処か軽い調子など欠片も無いいっそ厳かである様にすら感じる声で、鉄地河原さんは断言する。

「折れる様な鈍を作ったあの子が悪いのや」

 刀鍛冶として人生を捧げて来た者のプライドに裏打ちされたその発言に、炭治郎は威圧された様に黙るしかなかった。
 そしてそんな炭治郎に傍に控えていた人達が、鋼鐵塚さんを見つけ次第取り押さえてでも連れて来るから安心して欲しいと言う。あまり乱暴な事は……と炭治郎は控え目に口を出すが、しかし実際問題このまま鋼鐵塚さんが見付からず刀が無いままの方が問題なのである。その為、もしこのまま鋼鐵塚さんが刀を打たない場合は他の者が炭治郎の担当になるそうだ。
 そして、善逸と獪岳の刀に関しては、今其々の刀鍛冶の人が新しく打ち直している最中であるらしい。
 完成するまでにはまだ暫くかかるそうなのだが、里にある鍛錬場は空けておくので自由に鍛錬などで使って良いとの事であった。
 そして……伊之助の事なのだが。まあこれに関しては、伊之助の刀を打ってくれた鉄穴森さんに直接誠心誠意謝るしかないとの事。やはり物凄く怒っているらしい。流石に擁護の余地も無く、仕方無い事だ。
 一通り挨拶が済んだ所でその場を後にして、この里に逗留する間お世話になる宿に向かう事になった。






◆◆◆◆◆






 宿について、折角だから温泉に入るかと皆で向かっているとその方向から何やら賑やかな声が聞こえて来た。

「あーっ! 炭治郎くんと悠くんだ!! 炭治郎くーん! 悠くーん!!」

 声を掛けて勢い良く此方に駆けて来たのは、恋柱の甘露寺さんだ。
 宇随さんと一緒に遊郭に潜入する前にお館様の所で会って以来である。
 直接言葉を交わした事は殆どと言って良い程に無いが、中々親しみやすい人なのだろう。まるで旧来の友に声を掛けるかの様な感じであった。
 そしてその調子のまま甘露寺さんは、さっきそこですれ違った人に挨拶したのに無視されたのだと悲しそうではあるが賑やかな声で訴える。一頻りショックだった! と訴えた甘露寺さんだが、夕飯が炊き込みご飯である事を炭治郎から教えて貰うと途端に元気になってそのまま宿の方に弾む様な足取りで向かって行った。
 賑やかで元気な性格なのだろう。……性別からして違うし外見などが似てる訳では無いのだが、そのテンションの高さと不思議な親しみやすさは何処と無くクマを思い出す。

「柱って、変わってるんだな……」

 柱とあまり関わる機会が無かったのか、獪岳がそう呟く。……まあ確かに、柱の人たちはかなり個性が強いのでは無いだろうか……。
 自分に深く関わりがあるしのぶさんや煉獄さんや悲鳴嶼さんや宇随さんを見ても、かなり個性的だと言えるし。
 お館様の所で出逢った、実弥さんや伊黒さんや時透くんも結構個性的だと思う。
 冨岡さんとは結局一言も喋っていないのでちょっとよくは分からないが……。
 獪岳の言葉に、その場の誰も反論する事は無かった。


 そんな賑やかな再会もありつつも、気を取り直して温泉に行くと。
 そこには思いがけない先客が居た。

「玄弥も里に来ていたのか!」

「そっちこそ、どうして悠が里に?」

 此処に居るとは思っていなくて驚いたが、よく考えなくても玄弥は先日の上弦の壱との戦いの中で日輪刀を喪っているのであった。そろそろ南蛮銃の方もちゃんとしたメンテナンスを受けなければならないとボヤいていたし、それもあって里を訪れていたのだろう。

「まあ色々と用事があってな。玄弥は日輪刀の打ち直しと南蛮銃のメンテナンスか」

 そんな所だと玄弥は頷く。
 互いに面識が無い者やあまりよく知らない者も居たので、折角だからと温泉に浸かりながら改めて互いに挨拶をした。
 善逸は前回の任務の時に玄弥と一緒になったからある程度互いを知っているが、伊之助は最終選別以降一切会っていないどころかそもそも最終選別の時には他の合格者たちが揃うよりも先に山を降りてしまっていたらしいのでそもそも一切の面識が無い様だった。
 炭治郎の方はと言うと、最終選別の時の他に蝶屋敷の廊下で何度かすれ違った事はあったそうだが直接言葉を交わすのは随分と久し振りの事であるそうだ。
 獪岳に関しては……玄弥はあの時何があったのかを知っている者の一人なので少々複雑そうな顔をしていたが、秘密にしてくれとばかりに人差し指を口元に当ててジェスチャーすると、何かを察してくれたのか特には何も言う事は無くそのまま黙っていてくれた。

「成る程なあ……あの時の真っ赤に変わった日輪刀の事を調べているのか。
 悠も日輪刀を持てるってのは楽しみだな」

 温泉にはしゃぐ伊之助が炭治郎と善逸から軽く注意されているのを横目に、此方の事情を聞いた玄弥は納得した様に頷く。

「ああ。あの状態は上弦の壱にも物凄く有効だったから、もしあの状態の発動条件を探し当てる事が出来れば、鬼殺隊全体の力になれるだろうからな。
 ただ……日輪刀に関しては、また直ぐに壊してしまうのではないかと思うと結構心配だな……」

 何せ、鉄地河原さんと話したり他の人達の話を聞くだけでも、この里の人たちが己の打った刀に対して物凄く愛情と執念と矜持を懐いている事がよく伝わってきたのだ。
 それなのに、そうやって熱い想いが注ぎ込まれた刀を、一回か二回振るだけでぶっ壊してしまうのは幾ら何でも酷いと言うか、自分でももうちょっとどうにか出来ないのかと思ってしまう。
 とは言っても、力を抜いて振ってそれで鬼の頸を斬れなかったりする方が問題だろうけれど……。
 自分の日輪刀の無残な姿を思い出したのか、玄弥も「あー……」と呻く。
 いや、本当に。数回であんな状態になりますなんて言ったら、誰も刀を打ってくれないのではないだろうか。

「悠さんは日輪刀を壊してしまうんですか?」

 日輪刀を使って戦っている所を一度も見せた事が無いからか、炭治郎は不思議そうに首を傾げる。
 まあ確かに、そんな簡単に壊してしまうものでも無いから、ちょっと信じられないのだろう。

「壊すと言うか……うん、多分そうだな。
 と言っても、日輪刀を握ったのはまだ二回しか無くて、しかも一回目は最終選別に持っていく為の数打ちの刀だから、絶対に壊してしまうと言い切って良いのかは分からないけど……」

「でも何時も使っている刀は全然折れたりも刃毀れしたりもしてないですよね?」

 善逸も不思議そうにそう訊ねる。
 確かに、何度使っても、それを媒介に力を使うなんて物凄く負担を掛けてそうな使い方をしても、十握剣が刃毀れしたり曲がったりした事は無い。改めて考えると中々に不思議だ。

「十握剣は……まあそうだな……。
 ただあれに関しては、結構特殊な刀だからじゃないかと思う」

 そもそも、この夢の中に迷い込んだ時点で手にしていたものなのだ。
 この世界の物理法則にちゃんと従っていない可能性もある。
 そして、元の世界に於いても十握剣は物凄く特殊な武器だと言えるだろう。
 あの死神のシャドウを叩きのめして手に入れた武器であり、『心の海の世界』その物から生まれた武器だ。
 日輪刀の様な鬼への特効こそ無いが、一応神話に於いては迦具土神を斬首して殺した剣である。日本神話では他にも十握剣と称される刀はあるので、もしかしたら天之尾羽張剣ではなく天羽々斬剣とかなのかもしれないが、まあ何にせよ神話の剣だ。
 流石にそれそのものでは無いだろうが、その逸話を基に『心の海の世界』で生まれた剣であるのだから、それなり以上に特殊なものであるのだろう。
 ……よく考えれば、元の世界で御神体とかにされそうなレベルの代物だ。まあ、そっとしておこう……。

「カミナリの刀、確かに変わってるもんな。デカいし」

「確かにかなり大きいな。お陰で、任務先に向かう時に隠すのが結構大変だ」

 脇差から打刀程度の大きさである事が多い日輪刀と比較すると本当に大きい。
 頼りになる剣ではあるのだが、隠すのには本当に向いて無いと思う。
 隠すのが大変だという話から、皆の其々の任務の苦労話へと話題が飛び、一気に場が和やかになった。
 最初は緊張しているのかそれとも遠慮しているのか言葉少なになっていた獪岳も、ポツポツと会話に参加しだす。
 鬼殺の任務に就いている年数としては獪岳が一番先輩であるのでそう言った話題も豊富だった事も大いに関係しているのかもしれない。
 獪岳に今まで心を許せる誰かが居たのか居なかったのかは分からないが、そうやって少しでも自分の事を話せる相手が居るという事は大事だ。これで獪岳の心の在り方が変わる訳では無いだろうが、変わる為の小さな切欠の一つにはなるかもしれない。
 獪岳を見ていると何処と無く足立さんを思い出してしまう事もあって、親身にとまではいかなくてもどうしても気に掛かってしまうのだ。まあ、今は自分がその身柄を預かっているからというのも大いに関係しているけれど。

 獪岳がそうやって誰かに何かを話している姿を見るのは初めてなのか、善逸はちょっと驚いた様な……或いは少し羨ましそうな、そしてそれ以上に何処か安心した様な顔でそんな獪岳を見守っている。獪岳はその視線には気付いていない様だけれど。だが、善逸のその想いはこの先もきっと何処かで獪岳を助けるだろう。
 ……上弦の壱と戦った後、涙を流しながらも覚悟を決めた顔で床に頭を擦り付ける程の勢いで土下座してでも獪岳の助命を嘆願したその姿を、何度でも思い返してしまう。
 獪岳の心には、恐らく何か大きな虚無が蔓延っているのだろう。或いは、自分の事だけで手一杯で、周りの人の想いに気付かないのか、或いは自分が思っている形では無いものには気付け無いのか。
 何にせよ、その心に空いた大きな虚ろをどうにかしなくては獪岳は変われないし、このままだと何時か何処かで取り返しの付かない事になってしまうかもしれない。
 人は独りでは生きていけない。自分だけを見詰め続け自分だけで己の心を閉ざしてしまえば、何時まで経っても虚ろの森の中を彷徨うだけになってしまうし、どうかすれば足立さんの様になってしまうかもしれない。
 でも、大分危うい場所まで来てしまっているのだとしても。それでも最後の一線を踏み越えて堕ちてしまう前にどうにかその腕を掴む事が出来たのだ。なら、せめて。
 獪岳が善逸の事をどう思っているのかまではまだよく分からないけれど。それでも、本心から自分を想いその為にどんな事でもすると覚悟して行動してくれる「誰か」が居るという事は……独りではないという事は。
 それはとても大切なものであるのだ。大切な繋がりであるのだ。何時か、獪岳がそれに気付く事が出来れば良いと、そう思う。
 気付いたからと言って、同じものを善逸に返す必要がある訳でも無いが。それでも、「独り」では無い事を知る事が出来るのは、とても幸せで大切な事なのだから。

 話題が弾みに弾んで、随分と賑やかで楽しい時間を過ごして。
 禰豆子を温泉に入れてあげたいという炭治郎をその場に一人残して、玄弥も含めた五人で先に宿の方へと戻った。






◆◆◆◆◆






 宿に帰ると、また甘露寺さんと顔を合わせる事になった。
 すると、甘露寺さんは玄弥の方を見て、「ああ!」と大きな声を上げる。

「あなたさっきの! もう、どうしてさっきは何も返事してくれなかったの?」

 そう問い掛けられても、玄弥は返事をしない。どうしたのかと思って玄弥をよく見ると、何と言うのか……顔を赤くして、頭が真っ白になった様な表情で固まっていた。
 その顔に随分と見た覚えがあり、事情を察する。完二がよくしていたな……。

「あー……えっとですね。玄弥は、照れちゃってるみたいです……」

「え?」

「多分、甘露寺さん位の年頃の人と接する機会があまり無かったんじゃないでしょうか。
 だから、どう返事して良いのか分からなくて、固まってますね、これ」

「ええーそうだったの! さっきは無視されたと思って悲しかったけど、それなら仕方無かったのね! 
 初心でとっても可愛いのね!」

 そう言って、もうさっきのモヤモヤした気持ちは綺麗さっぱり忘れたとばかりに、甘露寺さんは元気よく夕食を食べに行ってしまう。本当に元気な人だ。

「おーい。大丈夫か?」

「おいおい、そんなんだったら山の中じゃすぐ死ぬぜ?」

 まだ固まっている玄弥に、善逸と伊之助が其々の調子で少し心配そうに声を掛け、獪岳は玄弥の反応が面白かったのか笑いを堪えようとしつつも僅かに肩が震えていた。
 少ししてから漸く解凍された玄弥だったが、今度は別の意味で恥ずかしくなってきたのか、顔を真っ赤にしてぶっきらぼうな言葉遣いになる。うん、実に初心だ。

 夕食前には温泉を堪能したらしい炭治郎と禰豆子も合流して、皆で集まって夕食を頂く。
 のだが、その横では甘露寺さんがフードファイターかと見まがう程の勢いで次から次に皿を空にしては積み上げていっている。

「凄いですね!」

 それを見た炭治郎は物凄く純粋な眼差しでそれを感嘆した様に見る。
 すると、少し気恥ずかしそうに甘露寺さんは「そうかな?」と照れた。どうやらこれでも少し控え目に食べているのだそうだ。エンゲル係数が少し心配になる食事量である。
 甘露寺さんなら、愛屋の雨の日のスペシャル肉丼もぺろりと平らげてしまいそうな気がする。
 自分もいっぱい食べて強くなれる様に頑張ります、と何処かズレている気がする意気込みと共に炭治郎も元気よく食べだした。
 他人のおかずを奪おうとする伊之助を善逸と炭治郎が注意し、奪われたり邪魔される前にさっさと食べきってしまおうと獪岳がそっと早食いをしていたりと。甘露寺さんと一緒に楽しい食事の時間を過ごした。
 甘露寺さんは物凄く沢山食べる人ではあるが、よく味わって食べているのでそのスピード自体は普通で、自分達が食べ始めるよりも大分前から食べていた様だが食べ終わりはほぼ同時である。

 夕食後にゆったりとした時間を過ごしながら、甘露寺さんを交えて色々な話をした。
 甘露寺さんは下に弟妹が沢山居る大家族の長女であるらしく、更に人に害を与えないとは言え鬼である事には変わりが無い禰豆子に対しても偏見が無い様で、ころころと幼子の様にじゃれつく禰豆子を可愛がりながら色々と話をしてくれる。

 どうやら里に逗留しているのは、甘露寺さんの特殊な刀を研ぎに出していたからだそうだ。
 かなり特殊な刀であるらしく、鉄地河原さんにしか打てないし手入れもほぼ彼にしか出来ないらしい。
 鉄地河原さんは里長であるだけあって、この里一の刀鍛冶であり、そういった特殊な刀を幾つも手掛けているのだとか。
 そう言えば、しのぶさんの刀もかなり変わった形をしているので、もしかしたらあの刀も鉄地河原さんが打ったものであるのかもしれない。
 日輪刀と一口に言っても、その形状はかなり幅広い。確か、悲鳴嶼さんの日輪刀も物凄く特殊な形をしていると前に言っていた気がする。直接見た事は無いが。
 そして、恋柱と言う名であるだけに、甘露寺さんが使う呼吸は『恋の呼吸』と言うらしい。
 誰も聞いた事が無かったのか、何それ? と言わんばかりの顔になってしまう。
 甘露寺さんが説明してくれた所によると、元々は煉獄さんの継子として炎の呼吸を学んでいたそうなのだが、炎の呼吸はあまり合わなかったので自分独自の呼吸を見出したらしい。
 しかし、『恋』の呼吸か……。一体どんな呼吸なのだろう。ちょっと気になる。

 甘露寺さんは、とても感情がハッキリと分かり易く、更に万華鏡を覗いているかの様にくるくると表情を変える、人好きのするとても良い人だった。
 こうして話しているだけで、こちらも楽しくなってくる。
 女の子が大好きな善逸など、若干挙動不審になりながら甘露寺さんに話し掛けているのにそれを嫌がったりする素振りは無い。ちなみに獪岳はそんな善逸を見てあからさまにドン引きしている。が、一応は柱の前でありその柱自身が気にしていないからかあまり強くは咎められない様だ。
 ちょっと常識の外側に居る伊之助の事も物凄く可愛がってくれる。面倒見の良い人なのだろう。そう言う部分は煉獄さんとも似ている気がする。

「そう言えば、甘露寺さんはどうして鬼殺隊に入ったんですか?」

 話を聞いている限りでは鬼殺隊に入る切欠などほぼ存在しない様子であったからなのか、気になったのだろう炭治郎がそう訊ねると。
 甘露寺さんはまるで恋する女の子の様に頬を赤く染めて、「聞きたい?」と訊ねてからその返答を待たずに話し始めた。

「あのね……添い遂げる殿方を見付ける為なの!! 
 やっぱり自分よりも強い人がいいでしょ、女の子なら。
 だって、守って欲しいもの! 
 わかる? この気持ち。男の子には難しいかな」

 思ってもみなかった理由だったからなのか反応に困って固まっている炭治郎たちと、そもそも甘露寺さんが言っている意味が全く分かっておらず首を傾げる伊之助に構う事無く、甘露寺さんは更に言葉を続ける。
 強い人と言えばやはり柱なのだが、柱の人達は基本的に皆忙しくて中々逢えないので、ならば自分も柱になれば良いのだと奮起して努力して柱になったのだ、と。

「素敵な理由ですね」

 少し気恥しげに自分の入隊理由を教えてくれた甘露寺さんのその言葉に、心からそう感じた。
 甘露寺さんにとって、それは命を懸けるに値する程のものであるのだろう。ならば、その想いが叶う事を……心から愛し、添い遂げたいと想う人が見付かる事を切に願うばかりである。

「そう? そう言ってくれて嬉しいわ!」

「誰か、素敵な方は見付かりましたか?」

 そう訊ねると、甘露寺さんはポっと更に頬を赤くする。
 誰なのかは分からないが、きっと意中の人が居るのだろう。
 その想いが、相手に届くと良いな……と。そう心から想う。

 それからは夜まで、甘露寺さんと一緒に、炭治郎に禰豆子の髪に合うヘアアレンジを教えてたりなどして楽しんだり、全員で双六などの簡単な遊びを楽しんだりして賑やかな時間を過ごして。
 そして、皆がそろそろ寝静まり始める頃合に、少し夜風に当たろうと、部屋を出て雪見廊下を歩いていると。
 甘露寺さんにまた会った。

「あら、こんばんは、悠くん」

「ええ、こんばんは。甘露寺さん」

 夜は鬼殺の任務に出る事の方が多いので、こうして中々寝付けなくなる事もあるのだろう。特に、柱の人達は多忙なのでその傾向が強いのかもしれない。
 互いに軽く挨拶をして、どちらが促したと言う訳では無いのだけれど、共に縁側に腰掛けて月を見上げる。
 雲の少ない夜空にかかる月はとても綺麗で、しかし今夜も何処かで鬼が人を襲っているのかと思うとその美しさを素直に楽しむ事は出来ない。
 鬼という存在がこの世に在る限りは、きっと鬼殺隊の人達が月夜を楽しむ事は出来ないのだろう。
 横で夜空を見上げていた甘露寺さんの顔にも、月夜を綺麗だと感じている反面憂う様な翳りがそこにはある。
 互いに静かに夜空を見上げていると、甘露寺さんはふと此方に視線を向けた。

「……私ね、悠くんにお礼が言いたかったの」

 お礼? 一体何の事だろう。
 甘露寺さんとちゃんと話したのはこの里に来てからが初めてと言っても良いくらいなので、正直礼を言われる様な事など何も心当たりが無い。
 少し困惑していると、それに構わず甘露寺さんは優しい顔で言った。

「煉獄さんを助けてくれた事、しのぶちゃんを助けてくれた事……。
 私、悠くんにはとっても感謝しているの」

「それは……。俺は自分に出来る事をしただけですよ。
 それに、煉獄さんもしのぶさんも、俺にとっては大切な人なので助けるのは当然です」

 だから、改めて礼を言われる様な事では無いのだと、そう言おうとしたのだが。
 それは、甘露寺さんがゆるゆると首を横に振った事で遮られる。

「誰にでも出来る事じゃ無いわ。
 悠くんがそこに居てくれたからこそ助ける事が出来た。
 私ね、嬉しいの。二人とまたお話出来る事が。
 鬼殺隊に入ってから、仲良くしてくれた人たちや昨日話したばかりの人たちにもう二度と会えないなんてよくある事で。
 その覚悟は何時もしていたんだけど、でもやっぱり苦しくて。
 だから、二人を助けてくれてありがとう。
 ううん、煉獄さんとしのぶちゃんだけじゃない。
 悠くんは、本当に沢山の人たちを助けてくれているわ。
 だからね、改めて言わせて欲しいの。
 私たちを助けてくれて、ありがとう……って」

 そう言われると、それを否定する事なんて出来ない。
 だけれども、それはどうにもむず痒く感じてしまう。
 いや、むず痒いと言うよりも、寧ろ……。

「俺は……。
 本当にそんな事をしていいのか、実は何時も迷っているんです。
 何と言うのか、『普通』を大きく逸脱した様な力を、この世界の在り方を全部引っくり返してしまう様な力を。例え人を助ける為であるのだとしても、使ってもいいのか、と。
 でも、そうやって迷う事はあっても、目の前で誰かが傷付いていたら、大切な人たちが戦っていたら、どうしても力になりたいと思ってしまう……」

 ……本来はこの世界に在るべきでは無い存在であるが故に。
 この世の理を引っくり返してしまう様なその力で、人を助ける事は本当に正しい事なのだろうか、と。そんな考えが過ぎってしまう事は何度もあった。
 自分に出来る事を、と。そう決めて戦ってきたけれど。
 しかしそれすら本当は欺瞞なのではないかとも思うのだ。
『自分に出来る事』は、間違い無くこの世界の在り方には反している。
 命の在るべき状態すら、ある意味では捻じ曲げてしまっている。
 ……それでも、それを自分なら叶えてしまえる、自分にはその力があると知りながら、誰かを見殺しにする事なんて出来なくて。
 大切な人の力になりたい、大事な人を守りたい、と。
 自分を支えるその想いは、例え違う世界であっても変わりはしないけれど。
 本当にそれで良いのかと、自分を縛る思いもある。

 鬼たちに『化け物』だと罵られるのは構わないが、しかしこの世界に於いて自分は正しく「そう」であるのではないかとも思ってしまうのだ。
 自分は人間だ、『神様』でも『化け物』でも無いのだ、と。そう自分に言い聞かせて。絶対に最後の一線だけは越えない様にと自制しているけれど。
 それでも時々、分からなくなってしまう瞬間はある。

 僅かに零してしまった、そんなどうしようも無い、悩みですらない独り言の様なそれを、甘露寺さんは静かに聞いていた。
 そして。

「悠くんと同じだとは言わないけど、私もね、昔は色々と悩んでた事があったの」

 そう言って甘露寺さんが語ってくれたのは、その過去の事。
 生まれつき人よりも物凄く力が強くて、その所為もあってか大食いで。大好きな桜餅を大量に食べ続けていたら気付けば髪色が桜餅色になっていて。
 お見合いをした事もあったのだが、その怪力や変色してしまった髪色を理由に断られて。
 その後はずっと、本当の自分を押し隠すように生きていたけれど、それはとても辛くて。
 そんなある時、鬼殺隊へと誘われたのだと言う。
 添い遂げる殿方を見付ける為という目的は変わってはいないが、鬼殺隊に入った後の甘露寺さんはかつての様に生き生きと思うがままに生きる事が出来た。
 恐れられた怪力も、此処でなら何よりも頼もしい力になる。
 大食いも咎められたりする様な事も無い。
 何より、自分の力で誰かを助ける事が出来る。
 それが、とても嬉しくて幸せなのだ、と。

「だからね、悠くんも自分の思うままに生きてもいいと思うの。
 不思議な力があっても、悠くんはそれを誰かを助ける為だけに使おうとしているし、それで助かっている人は沢山いるもの。
 助けたいなら助けたら良いのよ。
 もし神様が文句を言ってきたら、私たちの方こそ文句を言い返してあげるから!」

 そう言って、励ます様に可愛らしい笑顔を浮かべた甘露寺さんは。
 夜空の月にも負けない程に美しく見えた。






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