このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

第五章 【禍津神の如し】

◆◆◆◆◆






 上弦の壱に襲われていた隊士たちを救出したその翌日の昼。
 力尽きて昏倒してしまった状態から目覚めた直後に、上弦の壱と戦った旨と、そして上弦の壱について分かるだけの情報をお館様へと報告した。
 上弦の陸の鬼を討伐してそう時を経ずして、正真正銘の神出鬼没であり交戦記録がほぼ存在しない上弦の壱と戦う機会があった事は運が良いのか悪いのか。
 救援要請を受けて現場に赴いた事もあって負傷者の救援を最優先にした為に、折角の機会であったのに上弦の壱をその場で仕留める事が出来なかった事を、事態をある程度先に把握していたお館様の遣いとしてやって来ていた上品な鎹鴉に詫びたが、お咎めの言葉の類は無かった様だ。
 借り受けた玄弥の日輪刀を使わせて貰った所それが炉の炎で熱したかの様に真っ赤に染まった事や、それを見た上弦の壱が何故か酷く取り乱した事。そしてそれで削った箇所は明らかに回復する速度が格段に落ちていた事なども確りと報告して。
 そして、何故か自分が鬼舞辻無惨に狙われているらしいという事、それがどうやら鬼にする為であるらしい事、自分を捕獲する為に上弦の鬼たちが今まで以上に鬼舞辻無惨の血を分け与えられて強化されているらしいという事も併せて報告しておいた。

 正直、質の悪いストーカーに集団で狙われているみたいな現状は全く以て愉快では無いし、しかもそれで炭治郎たちに迷惑が掛かるかもしれないとなれば憂鬱な気持ちになる。
 上弦の鬼たちが強化されるなんて冗談じゃないと悪態を吐きたい位だ。
 上弦の壱のあの滅茶苦茶な広範囲攻撃とその攻撃速度と変幻自在の間合いに鍛え上げられた武の技術が成す隙の無さを考えると、上弦の壱に単独で遭遇した場合、例え柱であっても生きて撤退する事すら難しいだろう。
 上弦の陸だって、宇髄さんが毒に耐性があったから良かったものの、もしあの場に居たのが毒への耐性が無い他の人だったなら切り札を切られた時点で即死していただろう。
 他の上弦の鬼たちがどんな戦い方をしてくるのか全く未知数であるし、数字としては一番弱い筈の上弦の陸であんな事になっていた事を考えると、他の上弦たちとの戦いは文字通り死闘に等しくなるかもしれない。
 アメノサギリみたいに超広範囲レーザーで地上を一掃してきたりだとか地に在る全てを崩壊させる様な地震を連発してきたりだとか、流石にそこまでは滅茶苦茶でなくとも。しかしそれに匹敵する程の強敵である可能性も覚悟する必要はあるし、鬼舞辻無惨がそれ程の『化け物』である可能性も考慮しておきたい。
 そんな連中が自分を狙ってきているのだ。負けるとかどうとかはともかく、周囲への被害が洒落にならない。
 そもそもどうして自分なぞを鬼にしたがるのだろうか。鬼になるならないは別として、態々狙われる様な要素が自分にあるかと言われると首を傾げてしまう。
 いや、もっと根源的な部分で、どうして鬼舞辻無惨は鬼を増やすのだろうか。
 人を鬼にする事が出来るのは原則的に鬼舞辻無惨の血のみだ。
 しかし、鬼にしたものを育てたりする様な事は基本的には無く、無惨は作った鬼を殆どの場合放置している。
 何かの目的を以て鬼を生み出しているのか、それともただの暇潰しなのか。
 それすらも分からない。
 千年もの間無辜の人々に対し暴虐を尽くしてきているとは言え、一国を裏で支配するだとかそう言った様な野望の類を懐いている感じでは無い。
 フィクションの中に居る様な、世界征服だとかそう言うものを目論む悪の組織のボスと言う感じでは無い。
 鬼舞辻無惨が何をしたいのか、自分にはさっぱり分からなかった。
 足立さんみたいに虚無感に支配されて「世の中クソ」とか言い出して世界が滅びないかと期待している感じでも無いだろうし……。
 人に絶望を与える事が歓びだとか言う様な倒錯的な欲求なのだろうか? 
 まあ、鬼が生み出した被害とかその結果を見ると、その可能性も否定し切れないのだが。だがそれにしても何とも収まりが悪い気がする。
 ……ただ。どんな背景や思惑があるにせよ、或いはどんな切実な事情があるのだとしても。
 鬼舞辻無惨のやっている事は到底赦される事では無いし、鬼の被害に遭った人たちや鬼殺隊に入ってまでそれを討つ事を望む人たちは誰一人として鬼舞辻無惨を赦さないだろう。鬼に成った人を正しく哀れむ事が出来る炭治郎ですら、鬼舞辻無惨を絶対に赦しはしない。自分も当然、心の海の果てにだって追い詰めてこの世にその欠片を一つとして残させる事無く完全に抹消する所存だ。
 鬼舞辻無惨の目的を知る事は今後のその動きを予測する上では重要だが、その目的を懐くに至った根源を知る必要は余り無いと言えばそうなのだろう。


 上弦の壱にやられてしまった隊士たちに関しては、ほぼ致命傷に近い程の重傷であった二人は、『メシアライザー』によってちゃんと一命を取り留めた。
 切断された手足に関しては、斬り落とされてからの時間が長かったからか完全に元通りとはいかず、まだあまり動かせないらしい。
 ただ、腐り落ちたりする様な様子は無く、神経なども完全では無いにしろ繋がってはいるので、診察したしのぶさん曰く今後リハビリを続けて行けば元の様に動かす事も不可能では無いかもしれないとの事だ。
 隊士を続けられる程までに回復出来るのかに関しては分からないとしか言えないが、しかし、手足を完全に喪う様な事態になるよりは遥かにマシな状態に留めておけた事には間違いが無い。
 残念ながら救命する事が不可能だった隊士に関しては、その遺体は隠たちに引き取られた後、親戚縁者が居ない為に鬼殺隊内で細やかな葬儀を行った後で荼毘に付され、鬼殺隊の合同の墓地に葬られる事になるそうだ。
 その命を助ける事が叶わなかった事には、仕方の無かった事なのだとしても遣る瀬無さを感じてしまうが。
 しかし、遺体だけでも鬼に喰い荒らされる事無く還って来る事が出来たのは、隊士の最期としては十分以上に恵まれたものであり、既に命無き身体でも深手を負った自分達を連れて上弦の壱から撤退する際に見捨てて行かなかった事は本当に感謝しているのだ、と。恐らくはその隊士と一定以上に親しい間柄だったのだろう、助ける事が出来た二人に感謝の言葉と共に言われた為、それ以上は何も言えなかった。
 そして二人は、自分の手を取って、「『神様』、有難うございます」と涙を零した。
 自分は『神様』なんかじゃなくてただの人間なのだと諭したけれども、彼等は頑としてそれを譲らなかった。
 こうして命を救って貰ったのだから、貴方は紛れも無く自分達の『神様』なのだ、と。
 ……まあ、この場合の『神様』と言うのは、『命の恩人』の大袈裟な表現だろう。物凄く、むず痒いを通り越して落ち着かなくなる呼称ではあるけれど、涙ながらに言われてしまえばそれを否定する事は難しくて。
 最終的には、それを訂正する事を諦めた。

 そして、唯一ほぼ無傷の状態で上弦の壱に対して命乞いをしていた隊士に関しては、中々厳しいものがあった。
 その隊士の名は、『獪岳』。善逸とは桑島さんと言う元鳴柱の育手の下で共に学んだ兄弟弟子であり、そして善逸よりも一年早く最終選別を通って入隊した雷の呼吸の使い手だ。
 善逸曰く、兄弟弟子間の仲はかなり険悪なもので、獪岳は善逸の事を毛嫌いしているらしい。
 そこに関しては、そうなる心当たりが自分には沢山あるのだけど……と、善逸は落ち込んだ顔で零していた。
 そんな獪岳は、入隊してからかなり真面目に任務に取り組み、階級も新人にしてはかなり早いスピードで上がっていったらしい。
 善逸は、性格の面はお世辞にも良くは無くても、直向きに努力する事を惜しまない獪岳の事を尊敬していたのだと言う。
 そしてだからこそ、上弦の壱に対して命乞いをしていた事に酷いショックを受けていた。
 しかも、ただ助命を乞うだけでなく、鬼にすると言う上弦の壱の言葉を拒絶しなかったと言うのだ。
 ちなみに、この時点で少なくとも上弦の壱には人を鬼にする事も可能であるのだと確定した。
 と、どこまでの鬼なら人を鬼に出来るのかに関してはまた改めて考える事にして。
 当然ながら、鬼を滅する為の組織である以上、鬼殺隊の隊士が鬼に成るのは御法度だ。
 運悪く鬼舞辻無惨に遭遇して無理矢理鬼にされてしまう事は当然有り得るのだけれど、その場合でも人を襲って喰い殺してしまえば確実に最優先に指名手配される事になるし、そして場合によっては同門の兄弟弟子や育手がその責を負って腹を切って自害する事になる。それ程までに、『隊士が鬼に堕ちる』という事は禁忌なのだ。
 無論、それ以外に命が助かる術が無かったにしろ、命乞いの末に鬼に堕ちる事を了承するなど、鬼殺隊の隊士としては本当に在ってはならない事で。最悪その時点で斬首されかねない程の罪になる。良くても除隊処分相当だ。
 鬼に堕ちる事を自ら了承した時点で獪岳は、恩義がある筈の育手の桑島さんの命も、そして弟弟子である善逸の命も、己の延命の為に捧げると決めたも同然であるのだ。
 ……本当に鬼に堕ちる寸前に、どうにか救援が間に合ってそれを阻止出来たとは言え。
 獪岳の心が鬼殺隊の隊士としては越えてはならない一線を越えてしまった事には変わらないのだ。
 当然、本人もそれを分かっているのだろう。事情や経緯を聞く為に呼んだ獪岳の顔色は随分と悪かった。
 何と言うのか、怯えきっていて。此方の一挙手一投足でその命を絶たれるのでは無いかとばかりに恐怖している様だった。今度は自分に対して命乞いを始めそうな様子である。

 ……正直な所、自分には獪岳を責める気持ちなど欠片も無かった。
 無論、その罪は罪だろう。鬼というものがどんな存在なのかよく知っている筈なのに、そしてその行動がどの様な結果を周囲に齎すのかをよく知っている筈なのに。それでも選んでしまったのだから。
 己の下した選択は、それが如何なる結末を導くのであっても受け入れ責任を持たなければならない。
 自分の選択の結果が、そんなつもりでは欠片も無くても、世界を滅ぼす事に繋がってしまったとしても。
 だからこそ、それが最悪の形で結実する事は防がれたとは言え、獪岳も受け入れなければならないのだ。
 しかし、人は何時も強く在れる訳では無い。それもよく知っている。
 そして「死」に直面した際に、それから逃れる為なら何でも出来てしまう人は決して少なく無い事も。
「死」の恐怖を乗り越えて己を強く保ちそれに抗い続けられる人など、そう多くは無い。
 誰もが何時も英雄になれる訳では無いのだ。それを、よく知っているからこそ。過剰に責める事は出来ない。
 鬼を殺す為にその命すら捧げる覚悟の者の集まりである鬼殺隊としては、到底許されて良い事では無くても。
 獪岳の弱さは、多くの人が当たり前の様に持つ弱さの一つなのだ。
 そして、最悪の選択をしてしまったにしろ、善逸が己の命すら擲つ覚悟の決死の行動で、獪岳は本当に道を踏み外して奈落に堕ちる前にどうにかその腕を引かれて踏み止まれた。その差は、埋め難い程に大きいものだ。
 それは獪岳自らの選択では無いにしろ、獪岳を想う善逸の行動の結果だ。
 だからこそ、それを極力尊重してやりたかった。
 漸く自分の心や自分の強さに向き合い始める事が出来た大切な友のその心を。可能な限り尊重したかったのだ。
 そして、善逸は心底獪岳の選択と行いを軽蔑し憤り哀しみ詰っても、それでも決して獪岳を己から斬り捨てたりはしなかった。……家族を知らずそれに憧れている善逸にとっては、育手の桑島さんの所で得た繋がりが疑似的な「家族」の様なものに思えているのだろうし、だからこそ「特別」なのだろう。
 善逸は、どうか獪岳を助けて欲しいと泣いて自分に懇願した。
 獪岳が何をしてしまおうとしていたのかを知るのは、自分の他には獪岳自身と善逸と玄弥だけ。
 自分が口を噤みさえすれば、獪岳が鬼殺隊の禁忌を犯した事は秘匿される。
 獪岳の犯した罪は、鬼殺隊内の裁判にかけられる事があれば、斬首すら已む無しと判断され得るものだ。
 相手が上弦の壱であったかどうかなど関係無い。雄々しく戦った末に無理矢理鬼にされかけていたのならまだしも、命乞いの果ての選択なのだ。恐らく情状酌量の余地すら与えられないだろう。
 そして、善逸もそれは分かっていた。赦されない事なのだと分かっていて、その上で助命を嘆願した。
 どうか、公にしないで欲しい、と。
 ……その善逸の気持ちは、理解出来る。そしてそんな罪を犯してでも生き延びたかった獪岳の弱さも。
 だからこそ、難しいのだ。

 そして、獪岳から事情を聴く内に、恐らく獪岳は随分と「空っぽ」な人なのだろうと気付いた。
 自分以外に「大切」なものが殆ど存在しない。存在しても、自分と秤に掛けた瞬間に捨てられてしまう。
 獪岳は、そんな人間である様だった。
 恐らく、このままだとこの先似た様な事がある度に獪岳は同じ選択をするだろうと直ぐに理解した。
 ハッキリと言って、獪岳は鬼殺隊に身を置くべき人間では無いのだろう。
 獪岳が存在すら許されず斬首されなくてはならない様な悪人なのかと言われると、流石にそんな事は無い。
 何を天秤に掛けても自分の命を最優先にしてしまう、強くは無い、そんな何処にでも居る人間なのだから。
 ただ、その弱さと在り方は鬼殺隊で許されるものではない事も確かなのだ。
 斬首にはならない様に助命を嘆願しつつお館様に報告して、鬼殺隊から除隊する事が獪岳自身にとっても一番なのではないだろうかと思うのだけれど。
 しかし、それとなくそう伝えてみると、獪岳は恐怖に震えつつも、その言葉には首を横に振った。
 鬼殺隊の隊士を続けたい、何らかの事情があるのかもしれない。
 その意志は、かなり固い様であった。少なくとも、命の危機には晒されていない状況下では、その想いは相当強い様だ。そして自分にはそれを否定してまで除隊を迫る事は出来なかったし、そんな資格も義理も無い。もしその事に関して話し合うのなら、善逸と育手の桑島さんの方が適任であろう。
 本当にどうしたものかと頭を悩ませる。悩みに悩んで、とにかく獪岳の「空虚」をどうにかしてみる必要があるのではと思い至った。
 心の「空虚」が大き過ぎるからこそ、本来なら自制しなくてはならない時に最悪な選択肢を選んでしまうのだろうから。
 与えられた「虚無」の役割そのままに、心の空虚に喰われて暴走する様に世界の終わりを招きかけた足立さんにも、叔父さんや菜々子というどうしても捨てる事も出来ず大切にするしかなかった繋がりが存在した様に。
 獪岳もその「虚無」を少しでも埋める何かが在れば、きっと変われる筈だ。心を変える事は難しいが、心は何時だって切欠があれば変える事が出来るし、何処までも強くなれるものなのだから。
 そして、その場に善逸も呼んで、獪岳の今後をどうするのかを話し合った。
 お館様に嘘を吐く方がいざとなった時に危険なので、そこは正しく報告する事。
 但し、獪岳が道を間違えない様に、任務の際などには暫くの間は自分がちゃんと監視すると言う旨を添えてみる事。
 最後に、当事者である善逸と育手の桑島さんとしっかり話し合う事を獪岳に求めた。
 結果として、獪岳の犯した選択は、お館様からは自分が監視すると言う条件下でなら「黙認」と言う形になった。但し、その状態でも再び道を間違えるのであれば、流石に今度こそ庇えないので除隊されるか最悪斬首される事になるだろう事は明白であった。
 首の皮一枚で繋がった事を理解して、獪岳は滝の様な冷や汗を流しながら見事な土下座をし、善逸はと言うと涙で顔をぐしょぐしょにしながら感謝の言葉を述べながら抱き着いてくる。
 顔面が崩壊する程の勢いで泣きながら抱き着いてきた善逸をよしよしとあやしていると、獪岳は明らかに顔を引き攣らせてそれを見ていた。どうやら、まだ怯えられているらしい。
 まあ、今後も本当に色々と大変だが、一先ずはどうにか出来て良かった。
 少なくとも、善逸にとっての最悪を回避出来て何よりだ。
 自分にとっては、それが何よりもの報酬であった。


 獪岳の件がどうにか片付いても、やらなくてはならない事はまだまだ沢山あった。
 上弦の壱との戦いから撤退する際に回収しておいた上弦の壱が使っていた刀を叩き折った刃の部分を、それを更に二つに折って、片方は茶々丸を介して珠世さんに託し、そしてもう片方はしのぶさんに託す。
 鬼を殺す為の毒を研究しているのだし、強い鬼の断片はあって困る事は無いだろうと思っての事だったのだが、思っていた以上にしのぶさんはそれを喜んでくれた。
 ……上弦の弐と戦った時や上弦の陸と戦った時にはそこまで考えが至らなかったが、しのぶさんに渡す資料の分も採取しておくべきだったのかもしれない。
 特に、妓夫太郎が使う即死にも等しい血の毒など、そこから毒や薬を作り出すヒントの塊だったのかもしれないのに。
 そこまで考えが至っていなかった事を少し反省し、もし次に上弦の鬼に遭遇する事があれば、珠世さんに託す分だけでなく、しのぶさんの研究材料分も確保しておく事を密かに決めた。
 鬼舞辻無惨に狙われているのなら、何処かでまた上弦の鬼と遭遇する事もあるだろう。
 そして、しのぶさんが解析した所によると、上弦の壱の刀は、鬼の肉と骨から作られたものであるらしい。
 成る程、だから伸縮自在だったのか。その刀自体がある意味で鬼の身体その物であるのなら、折った所で直ぐに再生されてしまうだろうから、武器破壊で戦力を落とさせるのは無理なのだろう。厄介な事だ。
 鬼の美的センスを心から疑う刀ではあるが、割と合理的であるのかもしれない。心底気持ち悪いけど。
 そして、骨と肉から刀が作られていると言う事は、上弦の壱の身体自体が何時でも刀として精製され得ると言う事だろう。
 刀の間合いの内側に入り込んだと思ったら、身体から刀を無数に生やされて剣山の様になるなんて最悪な光景も容易に思い浮かんだ。超近距離からほぼ遠距離と言っても差支えが無い範囲まで全てカバーしてしまえるのは、流石は上弦の壱と言うべきなのか。鬼殺隊としては全く喜ばしく無いが。

 上弦の壱の刀の欠片と上弦の壱と少し斬り結んだ旨を書いた紙を茶々丸に託してから程無くして、茶々丸が珠世さんからの手紙を携えて帰って来た。
 どうやら、直接逢って話がしたいそうだ。何か重大な事があったのだろうか? 
 もしそれが鬼を人に戻す為の薬についての話であるのなら、出来れば炭治郎にも話を聞かせてやって欲しいのだけれども……。
 茶々丸を撫でながら炭治郎も呼んでも良いかと訊ねると、茶々丸は「構わんぞ」とばかりに鳴いた。
 多分お許しが出たのだろう。まあ、駄目だったらその時はその時である。
 炭治郎は、上弦の陸との戦いの際に刃毀れが進んでしまった刀を研ぎに出している状態なので暫くは鍛錬に専念するとの事で蝶屋敷に滞在中である。その為、鍛錬場を覗くと直ぐ様見付ける事が出来た。
 そして、二人っきりになった事を確認してから、珠世さんからの手紙の事を話す。するとやはり、炭治郎も気になったらしい。その為、珠世さんにその旨の手紙を返すと、一日も経たずに、了承と何時何処で会うのかを指定した手紙が返って来る。案外、今は蝶屋敷から近い場所に潜伏しているのかもしれない。
 そして、手紙が返って来たその翌々日に、炭治郎と二人で約束の場所へと向かった。






◆◆◆◆◆






「お久しぶりです、珠世さん、愈史郎さん」

 茶々丸を介した手紙のやり取りはそれなりの頻度で行っているが、こうして顔を合わせるのは凡そ二ヶ月程振りの事になる。その間、鬼舞辻無惨の手の者からの襲撃を受ける事も、或いは鬼殺隊から追われる事も無かったそうで、お元気そうで何よりだ。
 珠世さんに話し掛けると愈史郎さんに少し睨まれてしまうが、しかし愈史郎さんを見て少し微笑むとやや不本意そうな顔をしつつも珠世さんと話す事を黙認してくれる。

 挨拶もそこそこに、珠世さんは先ず上弦たちの血肉を確保した事への礼を述べた。
 自分が採って来た上弦の弐の血と上弦の壱の骨肉で出来た刀の断片、そして炭治郎が忘れずに採ってくれた上弦の陸の血。そして、炭治郎が度々検査と経過観察の為に送っている禰豆子の血と、以前提出した玄弥の血。
 それらは極めて貴重かつ重要な研究資料となっていて、それまで中々進捗が芳しくなかった珠世さんの研究を何段階もすっ飛ばす程にまで至ったらしい。
 鬼を人間に戻す為の薬の完成には今一歩及んでいないとの事だが、それに関しては最早時間の問題だろうとも珠世さんは言った。
 そもそも、鬼舞辻無惨の血で更に強化されていた上弦の陸の血を手に入れたのも、そして上弦の壱の骨肉を手に入れたのもつい先日の事だし、何なら上弦の弐の血を手に入れたのもつい最近と言っても過言では無いのだ。
 幾ら資料が揃ったからと言って一朝一夕に完成するものでも無いので、まだ完成していないのは当然と言えば当然の話である。
 ただ、その成果は既に現れているらしく、以前珠世さんと炭治郎が出逢う切欠になった事件で通りすがりの鬼舞辻無惨によって鬼にされてしまった人が、鬼舞辻無惨の呪いを解いた上で自我を取り戻す事に成功したらしい。今は、珠世さんたちと同様にほんの少量の人の血で生きていける状態にまで回復したそうだ。
 それを聞いて炭治郎はまるで我が事の様に喜んでいた。
 そして、鬼を人間に戻す薬の完成がもう時間の問題だと言う段階にまで進んだ事が、何よりも炭治郎の心に喜びを齎した。
 今の今まで、禰豆子を人に戻すというその一心で戦い続けていたのだ。それがもう少しで叶うかもしれないとなれば、その心を縛り付ける様に重しになっていた責任感や義務感を少しだけ降ろしてやる事が出来たのだろう。
 そして、炭治郎はこれ以上無いと言わんばかりに、自分に対して生涯の恩人であるかの様な感謝の念を向けた。
 珠世さん曰く、上弦の弐の血と上弦の壱の骨肉の資料的価値はそれ程までに高かったらしく、上弦の陸の血と合わさって薬の完成へと大きく後押ししているそうだ。
 しかし、そうやって感謝されるのは悪い気はしないが、そもそも炭治郎の力になりたくてやっている事なのだ。
 喜んで貰える事自体はとても嬉しいが、必要以上に過剰に感謝されるのは少々気後れしてしまう。
 自分の事を、竈門家の大恩人として子々孫々にまで代々語り継ぎたいなんて言われた時には、流石に止めて欲しいと頭を下げてしまった。
 まあそんなこんなで、まだ薬は完成出来た訳では無いし、そしてそれで禰豆子が人に戻れたという訳でも無いので油断や慢心は出来ないが。しかし確実に状況は改善の方向へと進んでいる。
 それは紛れも無く福音であろう。

 そして、人に戻す為の薬の進捗に関して語った珠世さんは、寧ろこれからが本題なのだとばかりにその居住いを正した。
 その余りにも真剣な面持ちに、自分も炭治郎も緊張した様に背筋を伸ばす。
 そうして、珠世さんが語り出したのは、今から数百年程昔。鬼殺隊の前身となった剣士たち……今で言う所の『始まりの剣士たち』と呼ばれる呼吸を使い始めた者が現れた時代の事だった。
 その当時、鬼舞辻無惨への復讐を誓いながらも呪いの束縛によってそれが叶わなかったが故に怨敵と行動を共にせざるを得なかった珠世さんは、ある月夜に鬼舞辻無惨と共にとある鬼殺の剣士と遭遇した。
 その剣士の名は、『継国縁壱』。
 炭治郎と同じ耳飾りを身に着けた、左の額にまるで炎の様な大きな痣がある男だった。

 その容姿の特徴を聞いた瞬間に、傍らに座る炭治郎が息を呑んだ気配を感じる。
 その特徴は、つい先日炭治郎が不思議な夢の中で目にした男の特徴そのままであったからだ。
 炭治郎の夢に出て来た男が『継国縁壱』その人であるのかは分からないが、少なくとも無関係ではあるまい。
 だが、そこで話の腰を折る訳にはいかないので、その剣士について問い質す事を炭治郎はグッと堪えた。

 珠世さんは、己がその目に焼き付けた『継国縁壱』と鬼舞辻無惨との戦いについて話す。……それは戦いと言うよりは、一方的な蹂躙にも等しいものであったが。
『継国縁壱』は恐ろしい程に強い剣士であった。それまでに手練れの剣士たちを塵の様に屠って来た正真正銘の『化け物』であった鬼舞辻無惨を、その攻撃を無傷で躱した上に、抜き放った直後は漆黒だった日輪刀を赤々と染め上げて、その刃を以てほんの一息でバラバラに斬り刻みその頸を落とした。
 その太刀筋は余りにも鮮やか過ぎて、まさに神の御業にも等しいものであったと珠世さんは語る。
 そう、鬼舞辻無惨は数百年前に、既にその首を日輪刀で落とされていた。
 だが、鬼舞辻無惨は死ななかった。その当時の時点で、頸の弱点を克服していたのだ。
 そして……『継国縁壱』を相手に勝ち目が無いと悟った鬼舞辻無惨は、その場から逃走した。
 それも、己の肉体を千八百程の肉片にまで粉砕して弾け飛ぶと言う、前代未聞の逃走方法で。
 恐るべき事に『継国縁壱』はその場でその肉片を全体の質量にして九割以上をその場で瞬時に斬り捨てたそうだが、ほんの僅か……質量に換算すると人の頭程度になる量の肉片を取り逃してしまったらしい。
 そしてそれ以降、『継国縁壱』が寿命でこの世を去るまで、鬼舞辻無惨は人前に姿を現す事は無かったそうだ。

「ちょっと待ってください、じゃあ鬼舞辻無惨を殺すには、陽光に晒すしか方法が無いって事ですか……!?」

 その恐ろしい事実に、身を震わせながら炭治郎は珠世さんに訊ねる。
 それに、苦々しい表情で珠世さんは頷いた。

「万が一にも夜明け前に追い詰めたとして、今度は肉片として弾け飛んだそれを一つ残らず処理する必要があると言う事か……。厄介だな……」

 思わずそう独り言ちてしまう。いや、厄介なんてものでは無い。
 それが何も無い荒野での出来事なら、容赦無く『メギドラオン』やら『明けの明星』やら『プララヤ』やらで塵一つ残さずに消し飛ばせるが。
 万が一にも人が住む市街地でその様な状況になれば、鬼舞辻無惨の逃走を赦してしまう可能性が高い。

「それに今は、あの異空間を支配する血鬼術があるからな……そこに逃げ込まれては手も足も出ないか……」

「……恐らくその血鬼術は無惨のものではなく、誰か別の鬼のものだと思います。
 少なくとも、私があの男の下に居た時には、その様な血鬼術を使う素振りは見せなかったので」

 数百年前の事とは言え、当時の鬼舞辻無惨側の事情を知る珠世さんの言葉の信憑性は極めて高い。
 成る程、ならばその異空間の血鬼術を使う鬼をどうにかする事こそ、鬼舞辻無惨討伐の課題の一つになる。
 そして、話を聞く内にどうしても気になる事があったので、もしかしたら気を悪くさせてしまうかもしれないと思いつつも珠世さんに訊ねてみる。

「元々は珠世さんは鬼舞辻無惨と共に居たと言う事ですが、珠世さんも鬼舞辻無惨と共にその『継国縁壱』と遭遇したのに、どうしてご無事なのでしょうか」

 珠世さんの口振りでは鬼舞辻無惨がやられている間に逃走したと言う感じでは無い。ただ、冨岡さんが禰豆子を見逃した様に珠世さんを見逃したと言う訳でも無いとは思う。
 珠世さんはその部分に触れはしなかったが……恐らくその時点でそれなりに人を食べてしまっていただろう。
 珠世さんの気配は、普通に遭遇する様な鬼とは全く違うが、かと言って一切人を喰っていない禰豆子や少量の血しか口にしていない愈史郎さんとも気配が違う。二人に比べると、もう随分と掠れている感じはあるが、何だか嫌な気配もその奥からは感じるのだ。
 ……ただ、人を少なからず喰ってしまっているのだとしても、自分は珠世さんをどうこうしたい訳でも無いし、そしてその行いを過剰に詰るなんて事も出来なかった。そもそも、その事に対して自分には罪を問う様な資格も罰を与える様な資格も無い。それは、珠世さんに殺された人たちやその人たちを大事にしていた人達にしか正しい罰を与える事など出来ないからだ。
 罪は罪であろうから、何時かはその罪に相応しい報いを受けなければならないのかもしれないが。
 しかし、それを心から悔いている事も分かるし、もう同じ罪を犯さない為に並々ならぬ努力を重ねている事も分かる。そして何よりも、珠世さんは禰豆子を……そして炭治郎を助けようとしてくれている。
 それだけで、珠世さんを心から信頼するのには十分過ぎた。
 少なくとも、今の珠世さんは心を喪った悪しき鬼では無い。

「……私は、無惨が弱りその支配が弱まった事で呪いを解く事が出来ました。
 本来は其処で縁壱さんに殺されるべきだったのかもしれませんが……。
 しかし縁壱さんは、私に無惨を倒す為に力を貸す様にと頼み、そして見逃してくれたのです。
 私が、心の底から無惨を憎んでいる事を認めてくれたのでしょう。
 それから私は、獣の血肉で飢えを誤魔化しながら、自分で身体を弄って人を喰わずに生きていける様にしました。今はほんの少量の血で事足りる様になっています」

「……なら、俺たちは縁壱さんに心から感謝しないといけませんね。
 そうやって縁壱さんが珠世さんを信じてくれたからこそ、禰豆子ちゃんと炭治郎を助ける事が出来る。
 それに、こうして鬼舞辻無惨の事を予め知る事が出来る。
 有難うございます、珠世さん」

 そう言って静かに感謝の意と共に頭を下げると、炭治郎も同意する様に頭を下げた。
 それに、珠世さんは心の奥から込み上げるものをグッと我慢する様な顔をして、しかし少しばかりその目に涙を浮かべた。

「いえ、……こうやって少しでも力になれるなら。あの日の約束に意味があったというものです。
 それに、……こうしてあの日の事を人に語る決心をしたのは、悠さんが居たからです」

「俺が……?」

 予想外のその言葉に、思わず首を傾げてしまった。
 鬼からも人からも追われている珠世さんが、人にそれを話すに至ったものが自分にあるのだろうか。
 ある意味では、生命線にも等しい交渉の切り札に成り得る情報なのだ。
 それを易々と開示させるだけのもの……。果たしてその様な物など、何かあっただろうかと思ってしまう。

「貴方が上弦の弐の血を手に入れた時から、大きな流れの様なものを感じました。
 千年掛けても誰もその命に手が届かなかった……あの縁壱さんですらあと一歩の所で殺しきれなかった無惨のその命を、今度こそ吹き散らす時が近付いてきているのだ、と。
 そしてそれは、上弦の陸との戦いを目にした事で、確信へと変わったのです」

「あの場に珠世さんたちも居たのですか……?」

「いえ、私たちは居ませんでしたが、しかし茶々丸の目を通して愈史郎の血鬼術で見ていました。
 悠さんと柱の人が上弦の陸の片割れの頸を落とした瞬間も、炭治郎さんたちがもう一方の片割れの頸を落とした瞬間も。
 悠さんが、この世の者とは思えない程の強大な力を操って、上弦の陸と戦っていた事も、全て。
 縁壱さんでも、最後の一歩が届かなかった。
 でも、悠さんの力があれば、今度こそあの男をこの世から消し去る事が出来ると、そう思ったんです」

 珠世さんが自分に向けるその目には、期待する様な、そんな希望の光が宿っている様に見えた。
 数百年、鬼舞辻無惨を殺す為にずっと足掻き続け、そしてその被害を少しでも減らそうと鬼を人に戻す為の手段を探し続け。鬼からも人からも追われる果ての無い戦いの中で。そんな中に射し込んで来た「光」を見るかの様な眼差しであった。
 少しだけ、「神頼み」に近いものも感じる。その眼差しに、何処か落ち着かないものを感じはするけれど。そこに在る想いもわかるからこそその希望の眼差しを厭う事は出来ない。
 ただ……本来はこの世界に存在しない泡沫の稀人に向けるべきでは無い事も分かる。
 第一自分はそう大それた存在では無いのだ。

「……確かに、俺が鬼舞辻無惨を殺しきれる可能性は十分にあるのでしょう。
 ですが、俺の力は決して万能でも全能でも無い。あの上弦の陸の鬼に対して決定打を与えきれなかった様に、どんなに凄い力があったって、それを使って良いのかどうかは別なんです。
 俺から逃げる手段なんて鬼舞辻無惨には幾らでもありますし、俺を無力化する方法も沢山あります。
 だから、『俺の力があれば……』と言うのは少し肯定し辛いです」

 無論、鬼舞辻無惨を倒す為に全力を尽くす。
 しかし自分の弱点も欠点も全て把握しているが故に、自分一人で全て決着を付けられるだなんて傲慢な自惚れは欠片も無くて。
 まるで『神様』を崇めるかの様な眼差しを向けられても困ってしまうのだ。
 そもそも自分は人間であって『神様』ではないのだから。

 自分の望みは、大切な人たちを守る事だけど。しかし彼等はただ守られるだけでしかない存在では無くて、共に戦う仲間であるのだ。
 大切な人たちが戦い傷付く姿を見たいだなんて訳では当然無いのだけれど。だからと言って自分なら出来るからと何でもかんでも自分一人で背負って終わらせてしまうのは、どう考えても間違っている。
 背負うべきものを無理矢理強奪して、果たすと決めたそれですら奪い去って。そんな事をしたい訳では無い。
 そんな事をすれば、あの日のしのぶさんに与えてしまった様な、心を斬り裂く様な遣る瀬無い怒りを大切な人たちに振り撒く結果になるだろう。結果良ければ全て善しだなんて誰も彼もが割り切れる訳では無い。
 誰もが皆、鬼舞辻無惨を赦さないと怒りを抱えている、憎しみを抱えている。何時の日にかその身体に刃を突き立てんと己の身も心も削る様にして戦っているのだ。
 それをこの世界の外側からやって来た存在が突然横槍を入れる様にして全て終わらせてしまうのは、どう考えても歪んでいる。
 誰にも死んで欲しくなど無いし傷付いて欲しくも無いけれど、その魂の矜持を傷付ける事もやはり言語道断なのだ。
 自分はただ、大切な人たちが皆、心から笑って、鬼舞辻無惨が存在しない夜明けと言うものを心からの納得と達成感と共に迎えて欲しいだけなのだ。ただ、皆で一緒に、長い夜の向こうを見たいのだ。
 その為に力を尽くしたい。その為に、戦いたい。その為に、皆を守りたいのだ。その命も心も魂の矜持も含めて。
 ほとほと、自分は底無しに強欲だし、かなり傲慢なのだろう。でも、それが自分だ。『鳴上悠』という人間だ。

「ただ、どうしても一つ言っておきたい事があって。
 俺は、炭治郎に出逢わなければ此処には居なかったでしょう。
 炭治郎がたった一人残された大切な家族を……禰豆子ちゃんを助ける為に全てを擲つ覚悟で戦っているのでなければ、此処には居なかった。
 もし、『大きな流れ』というものが本当にあるのなら、それは俺にとっては炭治郎です。
 そして炭治郎を導いた様々な人たちの想いの繋がりなんです。
 そしてその中には、珠世さんを逃がし、そして恐らくは炭治郎の御先祖様にヒノカミ神楽と耳飾りを託したのだろう縁壱さんの想いも。そしてずっと鬼舞辻無惨を倒す為に静かに戦い続けて来た珠世さんの想いも、全部繋がっているんです。
 俺は『神様』じゃないけれど、でも、その想いの繋がりには応えたいんです」

 そう言うと、珠世さんは少し驚いた様にその眼差しを揺らして、しかしゆっくりとそれを瞼の奥に隠す。
 何かを感じ取ってくれたのだろうか。

 ……まあ、どんな事情があれ、珠世さんが齎してくれた情報の価値はまさに値千金と言ったものであった。
 炭治郎としても、夢の中の剣士が『継国縁壱』と言う名であった事や、かつて鬼舞辻無惨を追い詰めた事を知って、あの不思議な夢をもっと深く知りたいと心から思った様だ。その名が縁になって、炭治郎は案外近い内にもっと深い場所の記憶を垣間見る事が出来るかもしれないな、と。そう思う。
 人の繋がり、人の想いの繋がりは、時に遥かな時を越えてでも思いがけない場所で思いがけない時に誰かを助けるものなのだろう。
 遠い遠い昔の縁壱さんが残したものが、今も沢山残っていて、それがかつて彼が果たす事の叶わなかった鬼舞辻無惨の討伐の為の力になろうとしている様に。
 そんな想いの繋がりの宿願を果たす為の一助になれるのなら、それはとても素敵な事だと思う。

 しかし、縁壱さんが日輪刀を真っ赤に染め上げていたという事であったが、それは先日の上弦の壱との戦いの際に借り受けた玄弥の日輪刀に起きた変化と同じものなのだろうか。
 そんな謎の現象があるとは全く知らなかったのだが、あの上弦の壱の反応を見るに何か重要な意味があるかもしれないので、改めてお館様に訊ねてみたり自分で調べてみても良いのかもしれない。

 そして、鬼舞辻無惨の戦い方を知る事が出来た事も大きな収穫であった。
 腕を伸縮自在に変形させた上で、その身体から無数の触手を生やしてそれらを振り回して周囲を斬り裂き攻撃する。その間合いの広さと攻撃の速度は恐ろしいものであると言う。具体的にどの程度凄いのかは武術の専門家では無い珠世さんには説明し切れなかった様だが、まあ最低でもあの上弦の壱以上だと思っておけば良いだろう。
 他にも、己の血を有刺鉄線の様な感じの鞭にして広範囲を薙ぎ払ってきたり、或いは雷の様な衝撃波を放って広範囲を薙ぎ払ってきたり、まあ色々と仕掛けてくるらしい。
 武術を極めている訳では無いしそんな性格では無いので今も何かしら武術を嗜んでいる可能性は無いと珠世さんは断言した上で、鬼舞辻無惨は恐ろしい程の身体能力のスペックでひたすらゴリ押ししてくるのだと言う。
 更に特筆すべきは、余りにも高過ぎる再生能力によって、身体に刃が通った瞬間からそこが再生して斬っても斬れないのだそうだ。だからこそ、縁壱さんの剣技は鬼舞辻無惨にとってとんでも無い脅威だったのだろうが。
 そして何よりも恐ろしい事に、鬼舞辻無惨はその攻撃の際に己の血を撒き散らしている。
 僅かにでも負傷すれば、そこから忽ちその血を身体の中に入れられてしまうのだ。
 端的に言えば、攻撃に当たった時点で鬼にされてしまう可能性がある。また一定以上の量の鬼舞辻無惨の血は人体にとって極めて猛毒であり、その致死量を超えて注がれた場合は全身の細胞を破壊されて死ぬ。
 恐ろしく驚異的である。その攻撃を、少なくとも鬼舞辻無惨の血によるダメージや影響をどうにかしなくてはまともに戦う事も難しいだろう。共に戦っていた仲間が気付けば鬼に成っていて……なんて最悪の悪夢だ。
 危険なんてものでは無い理不尽の権化の様なその戦い方に、炭治郎は絶句していた。
 本当に、正真正銘の『化け物』である。

「……無惨の血の毒に対して、何か血清とか……それこそワクチンみたいなものって作れないのでしょうか……」

 何か事前に対抗手段を講じる事は出来ないものかと、そう珠世さんに訊ねてみる。

「ワクチン?」

「あ、えっと……種痘みたいなものです。予め打っておいて免疫を付ける為の。
 完全に無効化は出来なくても、鬼にされたり毒が回って死ぬまでの時間を少しでも稼げないかと……」

 猶予が少しでもあれば、『アムリタ』でその影響を取り除く事は出来る筈である。
 まあ、弱毒化ワクチンにしろ不活化ワクチンにしろ、早々簡単には作れるものでは無いのだが。
 しかしそう言うと、珠世さんは少し考える様にその手を口元に当てる。

「成る程……確かにそう言った対抗手段は用意しておくべきでしょうね……。
 悠さんから提供して貰えた鬼喰いの力がある人の血を調べているのですが、もしかしたらそこから何か得られるかもしれません」

「え、玄弥の血からですか?」

「ええ、短期間に複数回に渡り限定的な鬼化と人化を繰り返していたからなのか、少し特殊な抗体がその中に出来ている様です。それを使えば、或いは……」

 何と、玄弥の血にはその様な変化が現れていたらしい。それが良い事なのかは置いておくとして、そこから血清やワクチンの開発に繋がるのであれば、それは鬼殺隊の人達にとっても物凄い力になるだろう。
 玄弥には珠世さんたちの事は伏せているから直接伝えてやる事は出来ないが、何か役に立ちたいと言い続けていた玄弥が、間違いなく鬼殺隊の力になれるだろう事を教えてやりたくて仕方無かった。

 それから暫く話し合った後、打倒鬼舞辻無惨を誓って、様々な情報を手に蝶屋敷へと帰還するのであった。






◆◆◆◆◆
1/28ページ
スキ