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本当の“家族”

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【2011/05/27】


 放課後、鮫川沿いを歩いていると、後ろから何かが走ってくる様な音が聞こえたかと思うと、ドンッと足の辺りに何かがぶつかった。
 振り返ると、菜々子よりも小さな……まだ幼稚園か保育園に通っている年頃の男の子が、呆然とした様な顔でこちらを見上げていた。
 目が合うと、男の子はオロオロと辺りを見回す。

「こら、悟! 
 前も見ずに勝手に走るなって何度も言ってんだろ!」

「せいにぃちゃん!」

 悟と呼ばれた男の子は、その声にパッと顔を明るくして、声を掛けてきた男子にそのまま駆け寄る。
 後ろから男の子を追い掛けてきたのは、三組の高山だった。

「鳴上か。
 悪かったな、うちの弟が迷惑をかけて。
 ほら、悟。
 他の人にぶつかったんだから、ちゃんとこのお姉さんに『ごめんなさい』しなさい」

 高山に促されると、男の子はおどおどとしながらも謝罪の言葉を述べる。

「えっと、ぶつかってごめんなさい」

「いいよ。今度から、前はちゃんと見ておこうね。
 それより、悟くんの方こそ、何処か怪我とかしてないかな?」

 ぶつかった相手が自転車とか車とかではなく、自分であったのは幸いと言えるのかも知れないが……。
 結構勢いよくぶつかっていたので、鼻の頭とか、体の何処か打ち付けてしまっているかもしれない。
 悟くんは、「へいき」と答えて、そのまま高山の後ろに隠れてしまう。
 ……高山の後ろには、もう一人女の子が既に隠れていた。
 女の子は悟くんと同い年位だろうか? 

「保育園か何処かにお迎えに行ってたのか?」

「ん? ああ、まあな。
 この時間に悟と志保を迎えに行けるの、俺だけだし。
 ま、日課だからな。もう馴れてる」

 だから何時も急いで学校から帰っていたのだろうか。
 バイトだけでなく、こういう事も日々こなしているとは、本当に凄い事だ。

「おっと……早いとこ帰らなきゃバイトに遅れるか……。
 じゃあな、鳴上」

 そう言って、高山は悟くんと志保ちゃんを連れて手を振ってその場を去った。




◇◇◇◇◇




 その後、虫取りで捕獲した数々の昆虫を四六商店の店主さんに引き渡したりしてから、ジュネスへと買い出しに向かうと、商品を棚に陳列させている高山に遭遇した。
 どうやらそろそろバイトの時間も終わるらしく、バイトのチーフらしき人物に声を掛けられた高山はそのままバイトを上がるらしい。

 買い物を終えて外に出ると、少し前を高山が歩いていた。
 手には、野菜等の生物が入ったビニール袋を提げている。
 声を掛けると、高山は少し驚いた様に振り返った。

「おっと、鳴上か。何か用か?」

「用って程でも無いけど、放課後に二回も会うなんて中々奇遇に思って。
 バイト帰りの様だが……、夕飯の買い出しも高山がやっているのか?」

 チラリとビニール袋に目をやりながら問うと、高山は「そうだけど」と頷いた。

「まーな。母さんは仕事で忙しいから。
 俺はやれる範囲で、家の事をやってるってワケ。
 夕飯作ったら、またバイトに行くんだけどな」

 長瀬たちが言っていた、高山がバイト三昧だというのは事実の様だが、それに加えて家事もかなりやっている様だし、忙しさはバイト漬けの生活処では無いのだろう。

「本当に凄いな、高山は……」

「そーでも無いけどな。
 やんなきゃいけない事をやってるだけだし。
 でも、そう言って貰えて悪い気はしないし、ありがとな、鳴上」

 別れ道でお互いに手を振って、高山と別れた。





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 家に帰ると、菜々子は何やら困った顔をして何かを探していた。
 どうしたのか訊ねてみると、どうやら学校で貰ったプリントが見当たらないらしい。
 先生に叱られてしまう、と落ち込む菜々子を励ましながら、一緒に探す為に何のプリントなのかを訊ねると、どうやらあの“授業参観の開催日希望アンケート”のプリントが見当たらない様だ。
 菜々子が自分の部屋を探している間に、居間の辺りを探していると、……ふと、叔父さんがよく見ている資料が目に入った。
 もしかして、この中に紛れてしまったのではないかと、それを動かすと、挟まっていたプリントが机の上に落ちた。
 探していた“授業参観の開催日希望アンケート”だ。
 プリントには、叔父さんの字で『いつでも可能』と記入されている……。
 それと一緒に一枚の写真も落ちてきた。
 ……叔父さんと今よりも小さな菜々子と……そして叔母さんが写っている写真だ。
 取り敢えず、プリントを菜々子に見せる事にした。
 プリントをじっと見詰めた後、菜々子はポツリと呟く。

「『いつでも……なんとか』ってかいてある…… 」

 “可能”はまだ菜々子には読めなかった様だ。

「『いつでもかのう』……、何時でも良いよって事だよ」

「……ほんとうにだいじょうぶなのかな……」

 何時も“仕事”ばかりだったのだ、今になって急に『いつでも可能』なんて、素直には喜べないのだろう。

「……お仕事とかで、ダメになっちゃうかもしれないけど。
 それでも、『行きたい』っていう叔父さんの気持ちはきっと本物だよ」

 叔父さんなりの、『向き合うための一歩』がこれなのだろう。
 行けないかもしれない。
 それでも、『行きたい』のだと『行ってやりたい』のだと。
 その思いを、ちゃんと菜々子の目に見える形で示す事。
 それこそが、向き合う為の一歩だ。

「そっか……」

 菜々子はそれを聞いて嬉しそうに笑った。
 そして、そんな菜々子に先程見付けた写真を渡す。
 写真を受け取った菜々子は驚いた様に目を丸くした後、とても嬉しそうにそれを眺める。

「お母さんだ……。
 みんなで、さめがわにいったときのしゃしん……」

「そのプリントと同じ場所に、叔父さんが挟んであったんだ」

「……お父さん……、さめがわのことわすれてなかったのかな……」

「きっとね」

 だからこそ、プリントと一緒にこの写真は挟まれていたのだろう。

「…………。
 お父さん、わらってる……」

 確かに、気難しそうな顔をしている事の方が多い叔父さんが、その写真の中では楽しそうに笑っていた。

「……お父さん……。
 どうして、わらわなくなっちゃったんだろ……」

「……きっと、寂しいんだよ、叔父さんも。
 ……菜々子がお母さんが居なくなってしまって、寂しいのと同じに、ね」

 寂しくて、辛くて。
 叔父さんはまだ喪失の痛みの中で踠いている。
 だから、叔母さんが居た昔の様には、まだ笑えないのだろう。

「お父さんも、さびしい……? 
 そっか、そうだったんだ……。
 お母さんが死んじゃって、菜々子、さびしかったけど……。
 それはお父さんもおんなじだったんだ……。
 菜々子だけがさびしかったんじゃ、なかったんだ……。
 お父さんも……、きっとさびしかったんだね……」

 そっか、と何かに気が付けた様な顔をして菜々子は頷いた。
 ……驚いた。
 菜々子位の年頃の子供が、たとえ親とかの身近な相手だとしても、自分以外の人間の痛みを理解するというのは、困難を極める。
 いやまだ親が絶対であるからこそ、逆に最も難しいかもしれない。
 それをやってのけた菜々子に、驚嘆するしかない。

「でも、だったらどうしてお母さんのしゃしん、なくしちゃってたんだろ……」

「叔父さんが写真を見ちゃうとね。
 もう叔母さんと会えないだなって、そう思っちゃってね、とても悲しくなっちゃうからだよ、きっとね」

 喪ってしまったモノの重さを突き付けられてしまっている様に……そう、感じてしまっていたのだろう。
 叔母さんとの思い出を、懐かしみと喜びを持って思い出すには、まだ時間が掛かるのかもしれない。

「そうなのかな……。
 でもね、菜々子はしゃしんみれてうれしいよ」

「うん、そうだね」

 大切な人に会えないのは、悲しく辛い事だ。
 それでも、大切な人との思い出は、その時の喜びも思い出させてくれる。
 そう、自分は思っている。

「ありがとう、お姉ちゃん。
 お父さん……、いつかまた、こんなかおでわらってくれるかな」

「きっと、何時かは笑ってくれるよ」

 何時かは叔父さんも、喪失の痛みがチクリと胸を刺しても、それ以上に幸せな思いで、叔母さんと過ごした日々を思い起こせる様になるだろう。
 そんな日が来ると、そう、信じている。





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