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第四章 【月蝕の刃】

◆◆◆◆◆






 気が付いたら、そこは蝶屋敷のベッドの上だった。
 遊郭で鬼と戦っていた筈なのに、どうして自分が此処に居るのか分からなくて。
 直前の記憶と今の現実が繋がらなくて困惑する。
 僅かに身を起こすと、左肩に鋭い痛みが走った。どうやら負傷しているらしい。
 また自分は気を喪ってしまっていたのだろうか、また……何も出来なかったのだろうか。
 皆は、炭治郎は、伊之助は、宇髄さんは、悠さんは、どうなったのだろう。
 慌てて横を見ると、両隣のベッドの上には伊之助と炭治郎が眠っていた。そして炭治郎のベッドの脇には禰豆子ちゃんが眠っている箱が大切に置かれていた。
 炭治郎の方は包帯などを巻いている様子も無く、そう大きな傷は負ってはいない様だけれど、疲れた様な顔で眠っていて。そして伊之助はと言うと胸の辺りに包帯が巻かれている。
 二人から聞こえる音は安定しているから命に別条がある訳では無さそうで、それには心から安堵した。
 でも、あの後に何が起きたのか全く分からなくて、ベッドから身を起こして困惑していると。

「善逸さん、目覚めたんですね、良かった……!」

 ベッド脇に置く為の水差しを持って来てくれたのだろうアオイちゃんが、部屋に入って来て身を起こしていた俺を見付けるなり、何時もの様にテキパキとした口調で言う。
 でもその顔には明らかな安堵が浮かんでいたし、「良かった」って音がはっきり聞こえて来た。

「上弦の鬼との戦いはどうなったか分かる?」

「皆さんで無事討伐されたと聞いています。
 かなり厳しい戦いではあったそうですが、奇跡的に人的な被害はほぼ無かったそうです。
 善逸さんと伊之助さんは、鬼の攻撃で負傷していた事と麻痺毒を受けた事で此処に運ばれてきました。
 麻痺毒に関しては、禰豆子さんの血鬼術によって蝶屋敷に着いた時点で解毒されていたみたいです。
 炭治郎さんは負傷してはいなかったのですが、強い疲労を訴えた為、念の為に蝶屋敷での休養を取る事になっています。
 音柱様は無傷でしたのでご自分のお屋敷に戻られました。
 悠さんは……上弦の鬼との戦いの直後に力尽きて深く眠っています」

 テキパキと要点を絞ってそう説明してくれたアオイちゃんに俺は礼を言う。
 そうか、あの上弦の鬼は倒せたのか……。良かった、と。そう安堵して。
 まだ眠り足りなかったのか、俺は再び眠りの中に沈んでいった。


 あの戦いで何が起きていたのかを俺が正確に知ったのは、その翌日。
 上弦の陸を討伐して二日後に、悠さんが目覚めてからであった。
 俺と悠さんが最初に見たあの鬼は、兄妹の鬼が二体で一つとなっていた上弦の陸の片割れの妹の方で、しかも弱体化した状態であったらしい。そして悠さんに追い詰められていた妹鬼が兄鬼に助けを求めると、その背中から恐らくは真の上弦の陸の鬼であった兄鬼が現れたのだとか。
 この兄鬼の攻撃の全てが僅かに触れるだけでも即死する程の猛毒であるなど非常に厄介なものであり、その為悠さんと宇髄さんが主に兄鬼と対峙した。
 悠さんが語ったその兄鬼の攻撃はもう滅茶苦茶で、上弦の鬼っていうのはその中で一番弱い筈の陸の鬼ですらそんな『化け物』なのかと戦慄する程であった。兄鬼との戦いの方は具体的には何が起きていたのかは知らなかった炭治郎と伊之助も、その戦いの熾烈さに絶句している様である。
 悠さんも宇髄さんも、よくもそんな正真正銘の『化け物』を相手にして無傷で居られたものだ。
 そして、炭治郎と伊之助と……そして俺が、妹鬼と対峙して。そして最終的に頸を斬った、らしい。
 悠さんからは嘘を言っている様な音が一切聞こえなかったし、炭治郎も伊之助も、俺が鬼と戦っていたと言う。
 だけど、俺にはそんな記憶が無い。そんなまさかって思ってしまう。
 俺は情けなく気を喪っていただけで、俺の代わりに四人が戦っていてくれたのだろう、と。
 だけど。

 嘘の無い音で炭治郎は言う。「善逸は凄かった、善逸のお陰で頸を斬れた」、と。
 中々人を褒めたりしない伊之助も言う。「紋逸のクセに冴えてたぞ!」、と。
 そして悠さんは言う。「善逸は強かった。その傷も、伊之助を助けようとして受けた傷だ」、と。
 三人は本心から言う。「善逸が居てくれたから、上弦の陸に勝てた」のだ、と。
 三人が語るそれは、まるで俺が夢に見た様な強くて皆を守れる様な『俺』で。
 でも、俺はそれを信じられなかった。
 だって俺は弱くて情けなくて、鬼と戦うのが怖くて仕方無くて直ぐに気を喪ってしまうのに。
 三人が語るそれを、俺は自分の事だとは到底思えなかった。



「善逸は、自分に自信が無いのか?」

 深い傷でも無かったので、数日もすればすっかり塞がって。
 毒を受けていてもその影響は全く無くて、機能回復訓練を順調にこなしている中で。
 俺の相手をしてくれていた悠さんが、訓練の合間の休憩時間に焼き立ての手作りのカステラを食べさせてくれながらそう訊ねて来た。
 ふんわりと柔らかくて優しい甘さのそれに、幸せな思いと共に舌鼓を打っていたが。その言葉に、カステラを食べる手は少し止まってしまう。
 自分に自信が無い。それは、そうだ。だって、こんな自分にどうやって自信なんて付けられるのだろう。

「だって俺は何時死んでもおかしくない位弱いですし、それに……じいちゃんが折角鍛えてくれたのに、頑張っても上手く出来なくて」

 一ノ型以外は使えない。じいちゃんはならば一ノ型だけを極め抜けと言ってくれたけど、どんなに頑張ってもいざ鬼を目の前にすると身体が上手く動かない。
 俺は臆病で、弱くて。格好良い英雄みたいな存在からは程遠い。

「恐いと思う事は間違いじゃない。恐くなんて無いと、自分の心から目を逸らしてしまうよりもずっと良い。
 それに善逸は、その恐怖から逃げてない、向き合い続けている。その上で、鬼と対峙している。
 それは、物凄く勇敢な事だ。誰にでも出来る事じゃない。
 それでも、善逸は自分を認めてあげられないのか?」

 俺は恐怖から逃げてばかりだと思うのに、悠さんはそんな事を言う。
 向き合えてなんか、いないと思うのに。
 でも、悠さんの音は、気休めの表層だけの言葉の音とは全然違う。
 それが本心なんだとは分かるのに、どうしてもその言葉を受け入れきれなかった。

「俺は何時も逃げてばっかりですよ、悠さん。俺は悠さんみたいな凄い人とは違う。それに……。
 自分を認める方法なんて、俺には分からないです。
 修行して、努力を重ねたら出来る様になるんですか? 
 物凄い偉業を成し遂げれば、出来る様になるんですか?」

 自分を認める方法なんて、今も全然分からない。
 自分なりに頑張っているつもりでも、自信なんてこれっぽっちも付かなくて。
 じいちゃんの「期待」に応えたいと思っても、炭治郎たちの「信頼」に応えたいと思っても。
 でも、俺の胸の中にぽっかりと空いた何かが邪魔をして、どうしてもそれが出来ない。
 自分を認める方法をちゃんと知っている悠さんとは、違うのだ。
 しかし、悠さんはそんな事は無いとばかりにそっと首を横に振った。

「俺は、善逸が思っている様な凄い人じゃ無い。
 恐いって思う事は何時だってあるし、正直嫌だなって思う時も沢山ある。
 でも、自分を認める方法は少しだけ分かるよ。
 凄い修行を重ねる事も、物凄い偉業を成す事も、確かに自分に自信を持つ根拠の一つにはなるだろうけれど。
 でも一番大事な事は。自分に向き合って、自分を受け止める事だと思う。
 恐怖も怒りも悲しみも苦しみも、正直こんな自分は嫌だなって思う部分があったとしても、それを見詰めて。
 その上でそんな自分を抱えながら一緒に変わっていけば良い」

 正直、悠さんが何かを恐がっているなんて全く想像が付かない。
 それに、悠さんが言う「自分に向き合って、自分を受け止める」と言うのも正直よく分からなかった。
 自分が臆病である事なんて、何時も認めているのに。

「悠さんが何かを恐れるなんて全然想像が付かないです。
 だって、上弦の鬼にだって悠さんは恐れずに立ち向かって……。
 それに俺は、自分が臆病だってのはずっと自覚してますし、認めてますよ?」

「恐い事は沢山ある。戦う事も……全く恐くないって訳じゃ無い。死ぬかもしれないって思った事もある。
 でも、俺にとって一番怖いのは、大事な人を喪う事、大事な人を守れない事、大事な人が傷付く事なんだ。
 だから、色んな恐怖に向き合って少し足が竦みそうになっても、それを焼き尽くして立ち向かえる。
 どんなに相手が強大な存在でも、大事なものを守る為なら俺は何度だって食いしばって限界を超えて立ち向かう。神様が相手だったとしても、俺は絶対に諦めない。
 それに俺は何時だって独りじゃない、共に戦う仲間が居るから。だから、何にだって立ち向かえる。
 ……そして、善逸に何か受け止めて認めなければならないものがあるとすれば、それは臆病さではないと俺は思う」

 悠さんのそれは、どう聞いても心が強い人の言葉だった。
 そもそも、自分が死ぬかもしれない事よりも大事な人を守れない事の方が恐いだなんて、そんな事を口先だけでなく本心から思える人の方が本当に少ないだろう。
 悠さんなら本当に、例え人間では絶対に勝てない神様相手でも、諦めずに戦ってしまいそうだ。
 だからこそ、そんな英雄みたいな人には絶対になれない自分が、尚更情けなく思った。

「臆病で逃げるし泣くしで、そんな部分以外に何か認めないといけない様な情けない部分ってありますかね? 
 ……俺は、どうやっても自信なんて持てないと思います。
 だって俺は……自分で自分の事が一番嫌いだから」

 そう言うと悠さんは、相変わらず穏やかに全てを受け止める様な優しい目で俺を真っ直ぐに見詰めて、「どうして?」と静かにその理由を問い掛けた。
 何があっても受け入れてくれそうなその目に、優しく寄り添い見守るその音に、感情が溢れて。
 こんなの一々人に言う事じゃないと思って、ずっと誰にも言うつもりなんて無かったのに。
 悠さんのその目に見詰められると、どうしてだか言葉が止まらなかった。

 自分が捨て子で、親の顔や名前を知らないどころか、恐らくは名を付けられる事すら無かった事。
 誰にも「期待」されず「必要」ともされず。大事だと思う人に出逢う事なんて今まで無くて、嘘だと分かっていても上辺だけの言葉を信じて何度も騙されて捨てられて。そんな中で自分の何かを期待する事なんて出来なくて。
 ただただ諦めながら、でも自分が手にする事の無かった「家族」やそういった「特別」にはずっと憧れていて。
 ……ずっとそんな風に生きて来たから、じいちゃんに拾われてからも上手く出来なくて。
 兄弟子にはあまりの情けなさに毛嫌いされて拒絶されて、手紙を出しても返事も貰えないまま。
 大事な人に出逢ってその人と思い合って愛されるなんて淡い夢を叶える事も無いままに死ぬのは嫌で、自分の存在だとか生きた意味だとかを何にも分からないまま実感出来ないまま死にたくなくて。
 だから、人間なんて簡単に殺せてしまう鬼なんかと対峙するのは本当に怖くて。
 でも、じいちゃんが鬼殺の剣士として育ててくれたのだからせめてその想いには応えたくて。
 泣き喚いていた所を頭を叩かれながらどうにか最終選別を通って、鬼殺の剣士として戦う様になって。
 任務は怖いけど、その途中で偶然炭治郎と再会して、禰豆子ちゃんと出逢って、伊之助と出逢って、大事な人が一気に増えて。皆を守れる位に強くなりたいのに、でも出来なくて。そんな自分が情けなくて、と。

 自分の内に抱えていた様々なものを、綺麗では無い感情や、情けない事、誰かに言ったって仕方の無い事などを、ぐちゃぐちゃのまま取り留め無く悠さんに話してしまった。
 多分一生自分の胸の内だけに仕舞っておく筈だったものも、気付けば全部吐き出していた。
 そうやって話している内に感情がぐちゃぐちゃになってきたのか、目にはじんわりと涙が浮かんでいた。
 熱々だった皿の上のカステラは何時の間にかすっかり冷めてしまって、でも優しい甘さは変わらなくて。
 口にしている内に、涙がぽろぽろ零れてしまう。

 悠さんはそんな俺の言葉を、ただただ静かに俺を真っ直ぐに見詰めながら、黙って聞いてくれていた。
 その音からは、同情だとか憐憫だとかそんなものは全く感じられなくて。
 寄り添い見守る様な優しさの音だけが響いている。
 そして。そっと、悠さんの手が優しく俺の頭を撫でた。
 何故だか、前にも何処かでそうやって撫でられた事がある様な気がする。

「……善逸は、本当に優しいんだな」

 お前は凄い奴だ、と。そう悠さんから聞こえる音は言っていた。
 優しいと言われても、正直よく分からない。
 だって、優しいって言うなら炭治郎とか悠さんの方が優しいだろうに。
 だけど、悠さんにそう言われると反論をする気にはなれなかった。
 情けない位に、自分の色々な物を曝け出してしまったからだろうか。

 そして、悠さんは少し考えてから、俺に言う。


「善逸、今度俺と一緒に任務に行こう」、と。






◆◆◆◆◆






 悠さんに自分の心の内に在ったものを色々と打ち明けてから数日後。
 伊之助よりも一足早く機能回復訓練を無事に終えた俺は、悠さんと一緒に任務に出ていた。
 行き先はとある山中の廃寺近くだそうだ。

 その任務には、悠さんだけでなく、同じ回の最終選別を通っていた玄弥って奴も居た。
 玄弥とは最終選別の時に会ったきりだったけど、あの時は物凄い悲しみとか憤りとか焦りとかそう言った感情でぐちゃぐちゃに荒れた音がしていたのが、今はそれが嘘みたいに穏やかな感じの音になっている。
 あと、数ヶ月振りに会ったら吃驚する位に身体が大きくなっていた。最終選別の時は俺よりも小さい位だったのに、物凄く成長している。背も凄く伸びたが、それ以上に体格がしっかりしていた。
 たった数ヶ月でここまで成長する? と思ってしまう程に。
 俺は殆ど関わった事が無かったから玄弥の事はあまり知らないのだけど、玄弥と悠さんはかなり仲が良いらしく、お互いに信頼しあっている音が聞こえてくる。
 どうやら上弦の陸を討伐する前辺りから、二人はよく一緒に任務に就いていたらしい。
 鎹鴉から指令を受けた後の動きは二人ともとても手慣れていた。
 荒れていた時の印象が強かったけど、どうやら玄弥の本来の性格はかなり自分の心に素直であるらしく、聞こえる音と言動に殆どズレが無い。炭治郎とはまた別の方向性で、嘘を吐くのは苦手そうだ。
 ちょっとぶっきらぼうな所はあるけど、悪い奴じゃないのは直ぐに分かった。
 そんな玄弥だが、どうやら剣士の才……正確には呼吸の才能が無かったらしく、純粋な素の身体能力だけで戦っているのだとか。呼吸を抜きにすると日輪刀であっても鬼の首を斬る事は難しくて、そんな力不足を補う為に日輪刀と同じ素材から作られている南蛮銃も武器にしているらしい。
 悠さん曰く、玄弥の射撃の腕はかなりのもので、素早く動き続けている鬼に対してでも狙った場所に当てられるのだとか。ある程度以上に手強い鬼相手だと難しいが、血鬼術に目覚めていない様な比較的弱い鬼相手なら、頸を狙えばそれを吹き飛ばして日輪刀で斬ったのと同じ威力が出るらしい。
 そして、玄弥の特異的な体質として、鬼の身体を喰うと、一時的にでも鬼の様な身体能力と再生能力を得られるらしい。強い鬼を喰えば食う程その力は強くなるのだとか。
 ある意味では呼吸の才能よりも凄い才能だとは思うのだけれど、その力は玄弥の身体に大きな負担を掛ける為、本当の緊急時以外は使わない様にと周囲からは止められているそうだ。
 悠さんが居れば最悪の事態は避けられる可能性が高いらしいが、それも絶対では無いのだから過信してやり過ぎるな、という事らしい。

 しかし、どうして悠さんは俺を一緒に任務に連れて行ったのだろうか。
 こう言っては何だけど、上弦の鬼にも勝てる悠さんが居るなら殆どの任務は悠さんだけで片が付くだろう。俺を連れて行くまでも無い筈だ。
 鬼の居所を探る為に聴覚をあてにされているのかと思ったがそうでもなさそうで。
 そもそも、「自信を持つ方法」を訊いた流れなのに、どうして一緒に任務に行こうとなるのやら。
 しかし、何時もの様な単独任務に赴くよりはずっと気が楽であるのは確かだ。
 何時も、自分は何も出来ないまま近くに居たのだろう誰かに助けられてばかりで。怖くて怖くて仕方無くても一生懸命任務に行ってるのにちゃんと果たせていないのは憂鬱に近かったから。

「今回の任務で対峙する事になるのは、それなりに厄介な血鬼術を持っている鬼だ。
 空間転移に近い血鬼術らしく、一瞬で間合いの内側に出現したり、或いは遠方に逃げるらしい。
 先だってこの鬼と戦った階級乙の隊士二名は、かなり善戦出来たそうだが結局逃げられたとの事だ。
 奇襲に注意して進もう」

 淡々とした口調でそう言った悠さんの言葉に、思わず俺は叫び出した。
 任務の内容を詳しく知っているのは悠さんだけだったので、まさか自分より階級が高い相手が勝ててない相手と戦わないといけないなんて欠片も思ってなかったのに。

「血鬼術の鬼!? しかも瞬間移動なんて強過ぎるよ! 
 乙の隊士が勝てない相手に俺たちでどうしろって言うのさ! 
 絶対ヤバイやつじゃん!! そんなの俺絶対死ぬ!」

「俺に割り当てられる任務は前から血鬼術の鬼の討伐依頼が多かったし、慣れてるからそんなに慌てなくても大丈夫だぞ。まあ、上弦の弐と戦ってからは、他の隊士たちが取り逃がしたり勝てなかった相手の討伐が優先的に回って来ているのもあって、ちょっと厄介な相手に当たり易くはなっているけど。
 第一そもそも。善逸はあの上弦の陸の片割れ相手にほぼ無傷で戦えていたんだから、そんなに取り乱す必要は無いと思う」

 ちょっと悠さんの中での鬼に対する基準がおかしくなっているんじゃないだろうか? と俺は訝しんだ。
 そもそも鬼殺隊が戦う鬼は、そこまで人を喰ってない異形にも変化し切れてない鬼が圧倒的多数なのだ。
 それでも十分以上に脅威であるし、弱い鬼でも巧妙に隠れていたりするなどして中々大変なのだが。
 異形が進んだ鬼は鬼の中でも少数派であるし、況してや血鬼術を使う鬼なんて全体で見ればほんの一握りだ。
 そのほんの一握りの筈の存在を相手してばかりいるからなのか、悠さんの中での鬼の印象が上弦の鬼だとかの正真正銘の『化け物』か、或いは一筋縄ではいかぬ血鬼術を持つ鬼で固められているのかもしれない。
 よく考えれば、悠さんは育手に師事した訳でも最終選別を受けた訳でも無いので、「一般的な鬼」を見る機会が余り無かったのではあるけれど……。

 だが、そんな悠さんのズレっぷりに何度も共に戦う内にもう麻痺しているのか、玄弥は特に違和感を感じていないらしい。
 寧ろ玄弥の関心は、上弦の陸との戦いの方へと向いていた。

「え、善逸の戦いはそんな風だったのか。
 上弦の鬼の片割れの頸を協力して斬ったとは聞いてたけどよ、まさか無傷だったなんて」

「そんなの絶対嘘じゃん! だって俺の記憶に無いし。
 そもそも、血鬼術を使ってくる鬼と戦いまくってる方がおかしいんだからね!? 
 大体、他の隊士が勝てなかった相手なんて、それこそどうかしたら柱に任せるべき相手でしょ!」

「柱の人達は多忙だし、そんな何でもかんでも投げるものじゃないだろう。
 物凄い広範囲を日々警備しているのだし、負担を増やさぬよう俺たちで対処出来るならそれに越した事は無い。
 それに、良い実戦経験ってやつになるしな。
 今回も俺は極力二人の補助に徹するよ」

 悠さんのそんな信じられない言葉に、思わず俺は固まった。
 てっきり悠さんが何時も片付けているのかと思っていたのに。
 玄弥は分かってるとばかりに頷いて、それが二人にとっては何時もの事なのだと示している。

「ちょっと!!?? どういう事なの!!??? 
 俺死んじゃうよ! 悠さんが守ってくれないとダメだって!!」

「落ち着け善逸。死なないし死なせないから。万が一どうしようも無かったら、その時点でちゃんと手を貸すよ」

「大丈夫だって、悠はちゃんと力貸してくれるからさ。
 それに、実戦の経験が足りなかったらいざって時に何も出来なくなるぞ」

「いいぃぃぃやあぁあぁぁぁああ!! マジで無理! 無理無理無理!!!」

 もう恐怖でどうにかなってしまいそうだった。何せ瞬間移動と言っても良い様な血鬼術を使う鬼なのだ。
 今この瞬間に自分の首が飛んでいてもおかしくは無い話である。
 自分はそんな鬼に勝てる程強くは無いのだ。
 いざと言う時に臆病な心によって身体が強張ってしまう。
 出来ると言われても無理なものは無理なのだ。

 だが、そんな俺に対して。
 悠さんはそっと撫でる様にその手を俺の頭に触れさせる。

「善逸、大丈夫だ。
 俺は、善逸が出来る事を知っている。
 善逸が凄い事を知っている。
 そして、善逸が積み重ねて来たものも知っている。
 もし自分の力を信じられないのだとしても、自分が積み重ねた努力は信じろ。それは絶対に自分を裏切らない。
 そして、俺は善逸を信じているが、善逸が失敗したとしてもそれを受け入れるし、また何度でも一緒にやる。
 善逸が本当に自分自身を認めて受け入れる様になるまで、善逸が望む限り、ずっと傍に居る。
 だから大丈夫だ、善逸。善逸は独りじゃない。
 誰にも必要とされていなかった過去があったのだとしても、もうそうじゃない事は善逸には分かるだろう?」

 絶対に何があってもお前を見捨てたりしない、と。そう悠さんは言ってくれた。
 どれ程情けなかろうが、何度失敗しようが。俺には必ずそれを出来る力があるのだから、と。
 その言葉は、温かかった。そして、悠さんが本心からそう言ってくれている事も音が教えてくれる。
 本当に、悠さんは何度でも何時まででも俺がそれを望む限りずっと傍に居てくれるのだろう。
 別にそんな事をした所で、悠さんが得るものなんて何も無い。悠さんの時間や労力を拘束するだけ。
 それでも、悠さんは一切構わないのだと、そうその心から響く音が言っている。
 それはある意味で、「無償の愛」とも言えるそれに限り無く似ていた。
 俺が憧れて欲しくて欲しくて仕方無かった家族の愛とはまた違うけれど。

 ……俺は。失敗するのが恐かった、期待されてそれを果たせない事が恐かったのだ。
 そしてどうせ出来ないのなら、最初から泣き喚く様にして期待されない方が良いなんて思う程に。
 期待して欲しいのに、必要として欲しいのに。他でも無く自分自身を一番好きじゃない俺こそが、それを阻んでいた。
 出来るのだとしても、たった一度の失敗で見向きもされなくなるのなら、最初から出来ないと思っていた方が良かった。
 必要とされたいのに、いざそれを向けられるとどうして良いのか分からなくなる。
 誰かに心から愛されたいと思った、そしてそれと同じ位に愛したいと思った。
 大事なもの、特別なもの。それがずっとずっと欲しかった。その象徴の一つが、「家族」だった。
 でも、俺が本当に欲しかったもの、たった一度でも良いから手にしたかったもの。
 何の見返りも求められず、そして憐憫などの情によるものでもなく、ただただ真心からの「無償の愛」。
 役立たずでも、不甲斐無くても、失敗しても出来なくても、「それでも良い」と包み込んでくれる絶対の肯定。
 ……それらを得る事は、大きくなればなる程難しくて。寧ろ何時かは与えなくてはならない側に回る。
 誰かを心から愛したいのは間違いなく本心だが、それと同時に愛されたかったし、たった一度でも良いから絶対的な受容と肯定を与えられて自分を満たしたいとも思っていた。
 俺の「幸せの箱」には穴は無いけれど、それでも何処か埋められない空っぽの部分があって。
 でも、どうしてだか。今この時、その部分が少しだけ埋まった様な気がした。

「善逸、ほら、行こう」

 そう言って、悠さんは俺の背中を優しく押した。
 その先には、討伐指令の対象であろう鬼が居て。
 何時もなら身体が竦んで上手く出来ないのに、どうしてか今日はすんなりと身体が動く。
 悠さんが押してくれたその背の部分に、温かなものが宿っている気がする。
 身体は自然と、構えを取っていた。限界まで身体に叩き込んだそれは、もう意識せずとも形になる。

 そして。

 俺は初めて、異能の鬼の頸を斬った。






◆◆◆◆◆






 初めて、鬼を前にして気を喪う事が無かった。
 初めて、鬼の首をちゃんとこの手で斬った。

 その二つの事実が、一周ほど遅れて漸く自分の中に実感を伴って認識される。
 乙の階級の隊士でも討ち取る事の出来なかった鬼の頸を、悠さんの助けも……誰の助けも無しに、たった一人で。
 じいちゃんに鍛え上げられた霹靂一閃は、鬼に瞬間移動させる暇すら与えずに一瞬でその頸を掻き取っていた。
 その事を認めた瞬間、手がブルブル震えた。恐い訳じゃ無いのに、自分でも吃驚する位震えている。
 だって、あの鬼は決して弱い鬼では無かった。そりゃあ上弦の鬼とかの十二鬼月に比べれば弱いだろうが。
 しかし少なくとも、ついさっきまでの自分自身が、「自分の限界」だと思っていたそれを遥かに超える強さだ。

「おめでとう、善逸。ちゃんと出来ただろう?」

 そう言って悠さんは微笑んで。
 ある意味では獲物を横取りされたとも言える玄弥も、凄いじゃん! と褒めてくれた。
 何だか頭がフワフワしている気がする。心も落ち着かない。でも、それは全然嫌な感じでは無かった。

「俺……出来たんだ……」

 臆病で駄目な自分には無理だと思っていた。でも、そうじゃなかった。
「自分には出来る」と言う事を、認めざるを得なくなった。
 勿論、何でもかんでも出来る訳じゃ無い。出来ない事はきっと沢山ある。
 俺よりも凄い人たちはもっと凄い事が沢山出来るんだから。
 でも、これは俺自身にとっては何処までも大きな一歩であった。
 よく頑張ったと言わんばかりに、悠さんが優しく頭を撫でてくる。
 その手が本当に優しくて、それがどうしようも無く幸せな気持ちにさせた。

「さて、今回の任務はこれで終わったけど。もしかしたら何処かの隊士たちから救援要請が来るかもしれないからな。
 何時もの様に、移動しつつ要請が来ないか備えておこう」

 三人で下山する準備を進め、取り留めの無い雑談にでも興じようとしていたその時であった。
 上空が何やら騒がしくなり、鎹鴉が大慌てで降りて来た。


「コノ先ノ山デ隊士タチガ上弦ノ鬼ニ遭遇!! 
 負傷者モ発生! 至急救援求ム!!」


 ガアガアと鳴くその言葉に、場の空気が一気に緊張する。
 上弦の鬼。つい最近対峙した様な……いやあれが上弦の陸であったのだからあれ以上の存在が、この近くに居ると言う。
 ハッキリ言って、死にに行く為の様な救援要請であった。
 だが、悠さんはそれを無視する気など毛頭無いらしい。

「場所は?」

「此処カラ北西ノ山中ニアル廃村ダ! 此処カラノ距離ハ近イガ、谷ヲ越エル必要ガアル!」

「了解した。
 善逸、玄弥。上弦の鬼の討伐よりも負傷者の回収を優先する事にはなるが、此処から先は本当に危険だから先に帰って貰っても大丈夫だ」

 悠さんは、危険な事には二人を巻き込めないから、と。そう言いた気な顔をする。
 確かに、上弦程の鬼を相手に玄弥も俺も何も出来ないだろう。
 足手纏いになってしまうだけかもしれない。でも。

「待てよ悠。俺も行くぜ。負傷者がどの程度散っているのか分からない以上、人手は必要だろ」

「お、俺も、俺も行くよ、悠さん。俺でも何か役に立てるかもしれないんだし」

 玄弥と俺がそう言うと、悠さんはほんの僅か思案する。が、結局は頷いた。

「……分かった。じゃあ二人は負傷者の回収を最優先にしてくれ。
 上弦の鬼が居たら、俺が何とか食い止めるから。
 じゃあ、急ぐからこれに掴まってくれ」

 そう言いながら悠さんがその掌を天に向けると、そこに蒼い輝きを纏う何かが現れる。


「── セイリュウ!」


 名を呼ぶ様にそう声を上げながら悠さんがその光る何かを握り砕いたその瞬間。
 その場に、『龍』としか呼べない、全身を蒼く煌めく鱗に覆われた巨大な存在が現れた。
 突然の出来事に俺も玄弥も絶句するが、悠さんは何も構う事無くその『龍』の背に乗る。
 そして、俺たちへと手を差し伸べた。

「ままよ」とばかりに、俺も玄弥もその『龍』の背に乗る。
 その瞬間、『龍』は凄まじい速さで宙を駆け出した。
 生まれて初めての経験に、思わず俺も玄弥も悲鳴の様な声を上げる。
 瞬く間に地表は遠ざかり、山を越えて、大きな谷を物ともせずに。そして、朽ち果てた民家の様なものが見えて。
 同時に其処から、未だ嘗て聞いた事も無い様な悍ましさしかない音がギシギシと響いてくる。

 この先に待つ存在は、恐らく想像を絶する『化け物』だ。
 本来ならこの時点で泣き喚いて既に気絶するだろう程に怖いけれど、だけど今は、悠さんが傍に居てくれるからなのか、怖さよりも「俺たちがやらなきゃ」と言う気持ちの方が大きいのだ。

「もうちょっと地上に近付いたら一気に飛び降りて、二人は負傷者の救護を最優先してくれ。
 もし手足が落ちてる場合でも、極力拾って回収するんだ。頼んだぞ!」

 まるで流星がそこに落ちるかの様な勢いで、悠さんは上弦の鬼が待つそこへ突撃する。
 地上が僅かに近付いたその視界の端に、人の身体が血溜まりの中に幾つも落ちているのを見付ける。
 果たして生きているのか、死んでいるのか。それは此処からでは判断しようが無い事だ。

 だが。そんな死屍累々と言っても良い様な有様の中で。
 恐らくは上弦の鬼なのであろう、一見人間の様に見える風体であるのにも関わらず圧倒的な程の威圧感を放つ存在の前に、無様に這いつくばる様に跪いているのは。


「獪岳!!?」


 俺の、兄弟子であった。






◆◆◆◆◆
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