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『ペルソナ4短編集』

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 降り積もった雪を踏み締めて、防寒を徹底していても尚感じる寒さに少し身を震わせて。
 通い慣れている筈なのに雪景色に覆われ何処か見慣れぬその道を歩く。
 手に下げた買い物袋の中身はジュネスで買って来たばかりの有り合わせのものだが、普段はしっかりと計画的に買い物をする自分らしからず、慣れていない事を言外に示すかの様に色々と乱雑に突っ込まれた状態だ。

 ──ええっと、確か、お粥の作り方は……

 慌てて調べたばかりの知識を反芻する様に脳裏に浮かべつつ、雪道を急ぐ。
 実家では誰かを看病する様な経験など無く、家族や身内以外に親しい人間などほんのつい最近まで一人も居なかった僕が誰かをお見舞いに行く事など全くと言って良い程無くて。
 そんな僕が聞きかじりの、大慌てで調べた付け焼刃の知識だけで誰かのお見舞いに行くなど、今までは考えた事なんて無いのだけれど。
 とは言え、それが普段からとてもお世話になっている尊敬する先輩であり、心から信頼している仲間であるのなら、素人丸出しであり満足のいく看病など出来ないのだとしても行かない理由は無い。

 静かな田舎町を約一年に渡り騒がせていた事件の真実に終ぞ辿り着き、そしてそれを陰から操っていた超常的存在も討ち果たし。真の意味で事件を解決させる事が叶った訳なのだが。
 畳み掛ける様な心労が積もりに積もっていた所に全てが無事に終わった事で遂に限界に達したのか、或いは人一倍無理を重ねていたその反動が来てしまったのか。
 特別捜査隊として仲間達を率いて真実を追い続けていた先輩が、年が明けた直後に倒れてしまったのだ。
 普段は健康優良児を絵に描いた様で、どんな無茶をしてもへっちゃらとでも言いたげで、雷雨の日に嬉々として釣りに出掛ける様な無謀な面もある人なのだが、それでも病に倒れてしまう時は倒れてしまう様だ。
 一応医者に診て貰ったところ所謂「風邪」ではあるらしいのだが、彼が現在住んでいる家には家主である堂島さんも菜々子ちゃんも居ない。
 身動きも儘ならない程の状態の中一人で居る事は難しいだろうとなったのだが、彼としては堂島さんたちが帰って来るまであの家を空けたくはないらしく、そんな彼の看病の為に偶然堂島家に暫く居候する事になっていたクマくんが付きっきりで看病する事になっていた。
 こちらの世界の常識疎い部分が多い為色々と心配な面はあったが、クマくんなりにしっかりと看病していたらしく、医者から処方された薬の効果もあってか今の所は病状が悪化する様な事は無く経過している。
 先日皆と一緒に様子を見に行った感じだと、数日もすれば回復しそうではあった。
 しかし、今日はジュネスの方で人手が足りなかったらしく、急遽クマくんが助っ人として駆り出される事になり、日中の彼を看てやれる人が居なくなってしまった。
 それでつい、看病なんてやった事が無かったのに、僕が名乗り出てしまったのだ。
 今思えば、看病に関しては素人な自分よりも適任は居たのだろうと思う。
 病人に食べさせられるものを作れるとは思えない里中先輩や天城先輩や久慈川さんはともかく、巽くんならそう言った事に手慣れていそうだし少なくとも初心者でしかない僕よりはずっとマシな筈だ。
 巽くんも手は空いていたらしかったけど……しかしどうしてか名乗り出てしまったし、そしてそれに反対される事は無くてこうしてここまで来てしまっている。

 インターホンを鳴らしても返事は無い。寝込んでいる為気付いていないのかもしれないし、或いは動く元気がないのかもしれない。
 何度か呼び掛けても返事は無く、クマくんから預かった堂島家の合鍵を使って家の中に入ると、家の中は随分とひんやりとしていた。
 ちゃんと暖房を点けていないのだろうか?
 少し訝しく思いつつも彼が寝ているらしい居間に向かうと、相変わらず彼は炬燵の中に寝かされていた。
 寝汗もかいているし、少し寝苦しそうだ。
 一応付け焼刃気味に調べた知識によると、風邪を引いた時に炬燵で寝るのは完全に逆効果だとか。
 その為、部屋の暖房をしっかり付けて、彼を炬燵の中から引っ張り出して布団に寝かせる事にする。
 しかしこれが中々の難題であった。
 二階の彼の自室から布団を持ってくるのはそう難しくは無かったのだが、何せ彼と僕とではその体格に随分と差があって。
 少しずつ引き摺る様にしても、その身体を布団まで動かすのが随分と重労働になった。
 掛け布団をかけた時点で、うっすらと汗をかいてしまった程である。
 しかし本当に体調が悪い様で、その重労働の中でも彼は全く反応せずぐったりと寝込んだままで。
 額に手を当てればハッキリと分かる程に熱がある。
 ちゃんと処方された解熱剤は飲んでいると思うのだけど……。

 普段よりも息をする事も苦しそうに見える彼の姿を見ていると、どうしても落ち着かない。
 僕の知る彼の姿は、何時だって真っ直ぐに前を向いて何かに立ち向かっていくもので。
 まるで物語の中の主人公がそこに現れたかの様に、「理想」の姿そのままで。
 何時だってその背中を憧れと共に追い掛ける様な、そんな人で。
 こうやって弱々しく寝込む姿は、中々に衝撃的であった。

「先輩……」

 そっと手をその額に当てると、その熱が伝わって来る。
 少し冷えていたその手が心地好かったのか、彼の寝顔が僅かに穏やかなものになった。

 取り敢えず布団に寝かせる事は出来たのだから、と。
 お粥か何か、消化に良いものでも作ろうかと立ち上がろうとしたその時だった。
 彼の額から離れようとした手が、ゆるりと掴まれた。

「えっ……?」

 思いがけないそれに驚いてそちらを見ると、彼の手が僕の手を掴んでいた。
 決して力強く握り締める様なものではないけれど、しかし離す事は無い力加減で。
 まるで僕の手を引き留める様なその手に、らしくもなく動揺してしまう。

「せ、先輩……? どうしたんですか?」

 呼び掛けても返事は無い。無意識での動きなのだろうか。
 何とか離して貰えないかと試行錯誤するも、彼の手は決して離れる事は無く。
 それどころか、その手を抱き抱えるかの様に引き摺り込もうとする。
 常よりも高い彼の体温がより強く伝わって来る。その熱を帯びた吐息を頬に感じ、思わず息を詰まらせてしまう。
 何故だかは分からないが、「このままでは不味い」と心の中の何かが警告してくる。
 このままだと、何かの一線を越えてしまう様な、或いは何かに「気付いてしまう」様な。
 そんな形の無い焦燥感に突き動かされ、無理矢理にでも離れようとしたその時だった。

「……さみしい」

 ポツリと、彼の唇から零れ落ちたその言葉に、思わず身動きを止めてしまう。
 儚い呟きの様な、小さな声ではあったけれど。その言葉はどうしてか僕の心に真っ直ぐに届く。
 恐らくは寝言であったのだろうそれは、しかし彼の心の奥底に閉じ込められてきた想いなのかもしれない。
 風邪を引いて心細い気持ちが、ほんの少し零れ落ちてしまったのだろう。 
「寂しい」という気持ちは、その心細さは、僕にもよく分かるから。

「……大丈夫ですよ、先輩。
 僕は、此処に居ます。
 先輩の傍に居ますから……」

 だからどうか、少しでも安心して今は眠っていて欲しい、と。
 今度は僕の方から彼のその手を優しく両手で包む様に握る。
 そうしている内に、温かな彼の体温が伝わってきたからなのか、ふと眠気に襲われて。
 ほんの少しだけ、とそう言い訳をしつつ。
 何処か幼子の様に安心して眠る彼の寝顔を見詰めながら、僕もゆっくりと目を閉じた。






◆◆◆◆◆






 ぼんやりとした視界、人気の無い静かな家、独りぼっちの夜。

 ああ……これは夢だな、と。それを目にした瞬間に理解した。
 小さい頃の、風邪を引いて寝込んでいたそんな日の、よくある光景。
 どうして今更そんなものを夢に見ているのだろうと思う。
 こんな夢、早く醒めてしまえば良いのにと思っても。そうやって意識してしまうからなのか却って夢は醒める気配は無い。

 小さい頃から両親は共働きで夜遅くまで家を空けている事はしょっちゅうで。
 子供が風邪を引いていても、風邪薬と簡単なお粥だけを用意してそのまま仕事をしている様な人たちだった。
 それについて、今更何も思わない。
 風邪薬を飲んで布団に包まって熱が引くまで待つのなんて慣れっこだったし、冷えたお粥をレンジで温め直して独りの食卓で黙々と食べるのだって別にどうと言う事も無くて。
 ある程度大きくなって自炊などが出来るようになってからは自分でやってくれとばかりに放置される事の方が多かったし、そもそも風邪を引く様な事も無くなった。
 だから、こんな夢を見たからと言って何だと言う話にはなるけれど。
 しかし気分が良いとは言えない夢ではある。

── 寂しい……。

 遠い昔に心の中に沈めて殺した想いを、思い出してしまう様で。
 弱っている時に独りぼっちで居る心細さに呑み込まれてしまいそうで。
 だから、こんな夢はさっさと終わってしまえば良いのにと思ってしまう。それでも、夢の終わりはまだ訪れない。
 
 その時ふと、熱を帯びた額に柔らかな冷たさが伝わる。
 心地好いそれは、熱にうなされた身体から火照りを拭い去ってれるかの様で。
 そしてそれ以上に、寂しさと心細さに震えていた心を慰めてくれるかの様であった。
 その柔らかな冷たさに身を預ける様にしていると、ふとそれが自分から離れていく気配がして。
 咄嗟に、それを掴んで引き留めてしまう。

 行かないで欲しい、傍に居て欲しい。
 寂しい、独りぼっちは嫌だ、と。
 そんな想いで縋り付いたそれは、その想いを汲んでくれたのか、離れる事を止めて寄り添う様に傍に居てくれる。
 それに酷く安心していると、悪夢にも少し似た幼い頃の光景はトロトロと白く深い霧の中に沈んでいく様に遠くなっていって。
 何時しか、夢すら見ない程に意識は深い場所まで引き摺り込まれていた。



 ふと目が覚めてゆっくりと身体を起こす。
 僅かな気怠さはまだ残っているが、身動きの儘ならぬ程の高熱や倦怠感などはもう綺麗さっぱり拭い去られているかの様だった。
 確か……正月三ヶ日を過ごして、病院に帰る叔父さんと菜々子を見送った後に、自分も倒れてしまったのだったか。
 そこから先の記憶は随分と飛び飛びで、皆がお見舞いに来てくれた事や、クマが看病してくれていたらしい事は覚えているのだけれど……。
 そもそも今は何時なのだろう、と。日付を確かめようとしたその時。
 自分の手を、誰かが包み込む様に握っている事に気付く。
 クマが看病してくれていたのだろうか、と。
 まだぼんやりとしている頭のまま横を見ると。
 そこに在ったのは、クマの姿では無くて。
 安心した様に眠る直斗の姿であった。

 思わず、目の前の光景を信じられずに固まってしまう。
 頭の中をぼんやりと支配していた眠気がすっかり吹き飛ばされたかの様な衝撃に、身動きが出来ない。
 恐る恐る、自分の手を握っているその手の行く先を辿ると、それは間違いなく直斗のもので。
 声にならない悲鳴すら上げて、その手を離して距離を取ろうとしてしまう。
 しかし、離そうとするとそれに反するかの様に直斗の手はより強く自分の手を握って来るので、離そうにも離せなくて。
 手を繋いだ状態のまま、動こうにも動けない状態になってしまう。

「直斗……?
 もしもし? 直斗さん???」

 軽く呼びかけながら揺すっても、気持ちよく寝息を立てている直斗が目覚める気配は無い。
 何と言うのか……無防備過ぎて色々と心配になる光景だ。
 これが自分だから良いものの、此処に居るのが不埒な欲求を懐いている男だったらと思うと……無謀なんてものではないだろう。
 文字通りの箱入り娘だからなのか或いは長らく男装でその本来の性を隠して生きていたからなのかは分からないが、この可愛い後輩は随分と無防備で様々な物事に疎い。
 普段は確りとしている部分の方が多いだけに、その隙は随分と目立って見えるのだ。
 それもあって心配で目が離せないと思う事だってある。
 しかし、そんな隙を見せてくれるのも直斗なりに自分たちを信頼してくれているからだという事も分かるので、あまりとやかくは言えないのだが。

 ふと周りを見渡すと、ジュネスの買い物袋の中に、ゼリー飲料だとかお粥セットだとか冷えピタだとかが入っているのが見える。
 恐らくは直斗がお見舞いに来てくれたのだろう。クマの姿が見えずその気配も無い事から察するに、ジュネスでの手伝いか何かでクマが出掛けなくてはならなくなったから、その代わりにとでも言った所なのだろうか。

「直斗、こんな所で寝ていると風邪を引くぞ……?」

 お見舞いに来て自分が風邪を引いて帰るだなんて本末転倒にも程があるだろう。
 しかし、軽く揺すってもやはり直斗が目覚める気配は無くて。
 手を握り込まれてしまっている事もあって、ソファーまで抱き抱えて連れて行くのも難しそうだ。
 仕方無しに、自由な方の手を伸ばして手近な所に在ったブランケットを手繰り寄せる。
 クマが自分の掛け布団代わりか何かに使っていたものだろうか。
 何にせよ、このままにしておくよりは良いだろうと、そのブランケットを直斗の身体にかけてやる。
 するとその温もりが心地好かったのか、直斗の寝顔が微笑む様に和らぎ、そして。
 あろう事か、両手で握っていた自分の手を頬擦りするかの様にその柔らかな頬に当てる。

「~~~ッ!!!!」

 大声で叫びそうになった所を、寸での所で咬み殺して耐える。
 それは余りにも衝撃的な体験であった。
 そもそも、自分の手を握っている一回り以上も小さな手の柔らかさに必要以上に意識を向けない様にするだけでも精一杯だったのだ。
 況してや、こんなにも不用意に同年代の女性の頬に触れるなど、「彼女いない歴=年齢」の人間には刺激が強過ぎた。
 そもそも直斗はどう客観的に見たとしても非常に可愛らしい。
 まあ、直斗の魅力の最たるものはその容姿だけでは無く、何処までも真っ直ぐに真実を追い求めようとする姿勢や、謎を解き明かした時のその目の輝きや、不器用な態度の中に隠された本来の誠実さと心優しさなどであるのだけど。
 何であれ、直斗が魅力的な異性である事には間違い無い。仲間として恋愛は絡んでいない強固な関係性を築いている自分から見てもそれは揺ぎ無い事実なのだ。
 此処でこの様な事をされて何も感じない程、自分は枯れている訳では無い。
 とは言え、目の前に居るのは自分に全幅の信頼を預けてくれている大切な仲間なのだ。
 不埒な感情を向ける訳にはいかない、直斗の信頼を裏切る訳にはいかない。
 その為、「落ち着け、落ち着け……」と思わず自分に言い聞かせた。
 今だったら何時間でも写経出来そうな気分である。

 ……しかし、直斗の目が覚めてくれない事にはこの状況から抜け出せない事を早々に悟り、結局の所諦めて眠る事にした。
 直斗の方が先に目覚めたら、多分焦った様に手を離してくれるだろうし。
 そうしたら、お互いに何の他意も無い事故だったと合意して口を噤めば良いのだし。
 そんな事を考えながらうとうとと微睡んでいると、何時の間にか再び深く寝入ってしまった様で。

 バイトから帰って来たクマが大騒ぎして二人して目を覚ます事になるまで、暫しの穏やかな眠りを甘受する事になるのであった。




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