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第四章 【月蝕の刃】

◆◆◆◆◆






 悠さんの様でいてしかし少し違う匂いを漂わせる異形の存在は、その手に巨大な剣を携えて妹鬼に対峙した。
 その人ならざる者の背中は、不思議な事にどうしてだかこんな状況でも安心感を与えてくれる。
 だが、その姿をぼんやりと見ている余裕など俺には無い。自分も戦わなくてはならないし、何より鬼の攻撃を受けてしまった善逸と伊之助の状態が心配であった。
 二人とも、鬼の攻撃で麻痺してしまったのか、ぐったりと地面に倒れたまま動けなくなっている。
 呼吸は維持出来ているので直ぐに生死に直結する状態では無いのだろうけれど。
 しかし胸を大きく切り裂かれた伊之助の負傷は深刻で、呼吸で止血をしないとこのままでは命に関わってしまうだろう。
 だが麻痺してしまっている影響からなのか、意識は辛うじてある様だが止血の為の呼吸に回せる余力は無い様だった。
 左肩周りを広範囲に切られた善逸の傷も決して軽くは無い。利き腕の方は無傷である事は不幸中の幸いであり、伊之助のものと比べると傷そのものは深くはなさそうだが、その傷の範囲が広過ぎて、その分麻痺毒も多く身体に入り込んでしまっているのか呼吸が少し苦しそうである。
 少しでも早く二人の身体を侵す麻痺毒の血鬼術を何とかしなくてはならないが、此処には蝶屋敷で処方される様な血鬼術対策の薬など無いし、血鬼術を解除出来る悠さんは戦っている真っ最中でこちらに気を配りきる余裕など無いし、そして血鬼術への特効薬である夜明けの光は未だ遠い。俺に成す術は無かった。
 妹鬼と戦うにしろ、縦横無尽に伸縮するその攻撃から動けなくなっている二人を守るのは俺一人の手には余る。
 異形は間違いなく俺たちを守ってくれるつもりの様だが、果たして何処まで信頼出来るのかは未知数だった。

「な、何よ突然現れて! あの『化け物』がまた何かした訳!? 
 あ、アンタなんて怖くないんだから……! 
 アタシにはお兄ちゃんが付いているんだから!!」

 妹鬼は突如現れた異形の存在にその顔を引きつらせつつも、震える声を必死に抑えてそう吼える。
 そして、二十以上もの帯を一度に操って様々な方向から異形へと襲い掛かった。
 異形は何も言わず静かにその剣を構えて、軽くそれを振るって、迫って来た全ての帯を細かく斬り裂いた。
 糸くずを払うかの様な気軽な動きで瞬く間に全ての帯を切断された妹鬼は呆気にとられた様にそれを見る。
 そんな妹鬼の反応に構う事無く、異形は帯を斬り払ったその動きを止めずにその手の剣を大きく振り上げた。
 しかし妹鬼との距離は十間以上は離れている。異形の持つ剣は巨大ではあるが、流石に届かない距離だ。
 だが、異形がその剣を振り上げた瞬間。
 その刀身が眩く輝くかの様にして恐ろしい程に伸びた。いや、刀身が伸びたのではなく、まるで雷そのものが刀身になったかの様にその剣に宿ったのだ。
 文字通りに天を衝くかの様に雷光をその刀身に宿した巨大な稲妻の剣を、異形は妹鬼に向けて一気に叩き付ける様に振り下ろす。

 その瞬間、地上に幾百もの雷が落ちた。

 路に散乱していた瓦礫や木材やら壊れた調度やらの諸々の一切が地上を駆け巡った雷撃に呑み込まれて蒸発するかの様に破裂し或いは原型を留めない程に粉砕される。
 既に原型を留めない程に壊れていた街の一画が、ほんの一瞬で最早更地にも等しい程の状態になった。
 此処には立派なお座敷が立ち並んでいただなんて、誰が見ても信じられないだろう。
 雷撃に蹂躙された瓦礫の街並みは、すっかり見通しが良い状態になってしまっていた。
 距離が離れていた筈の悠さんと宇髄さんたちの姿が此処からでもハッキリ見える。

 そして、幾ら無尽に等しい再生能力を持つ鬼でもそんな雷を束ねたかの様な刃を喰らって無事で済む筈は無く。
 美しかった肢体は見る影も無くボロボロで、体中の殆ど全てがまるで炭の様に真っ黒に変わり果てていた。
 美醜に拘る鬼としては耐え難い事であろうが、その顔ですらほぼ全てが炭に変わっている。
 水分に富む眼球は一瞬で内側から破裂したのか、本来数字が刻まれた眼球が鎮座する筈の其処には黒焦げの虚ろな空洞だけが残り。口の中も真っ黒に変わり果てて黒くなった顎の骨が露出している状態であり、舌や喉に重大な損傷を負ったのか呻き声すらろくに上げる事は叶わない。
 咄嗟に帯を盾にしたのか辛うじて人の形を留めてはいるが、その身体から伸びていた全ての帯は灼き切れた様にその大半が消し飛んでいて、一瞬で再生する筈のそれも先端が炭化してしまっているからか上手く再生が進んでいない様であった。
 鬼であるからまだ死んではいないが、寧ろ死んでいない方が酷だと目を覆いたくなる様な惨憺たる有様に変わり果てている。
 どんな傷を負っても日輪刀で斬首されるか日光に当たりでもしない限りは再生する事が出来る鬼ではあるが、しかしその身を傷付けられる事に一切の苦痛を感じ無いという訳では無い。
 人の感じるそれと同じであるかは分からないが、身を斬られる事に痛みを感じてはいる。
 だからこそ、雷に全身を焼かれて遅々として進まない再生の中で、鬼は死ぬ事も出来ないままに苦痛に苛まれているのだろう。
 妹鬼から感じる匂いは、異形への強い恐怖と絶望、そして身を苛む苦痛への叫びだった。
 相手が鬼であるとは分かっていても、それでも胸の奥を不安が掻き毟っていくかの様なその強烈な感情の匂いを無視する事は出来なくて。どうしても憐れみに近いものを感じてしまう。

 上手く動けず地を這い回る虫の様に必死に真っ黒になった手足を使って這う様に逃げようとする妹鬼へと、容赦無く追撃するかの様に異形は再びその剣を振り上げようとした。
 漸く再生した妹鬼の目がその絶望的な光景を恐怖と共に見上げる。

 しかしそれを妨害するかの様に、無数の血の刃が飛んで来た。
 妹鬼の窮地を察知した妓夫太郎が、異形の動きを封じようとしたのだろう。
 異形はやはり何も発する事は無く、その血の刃を一つ残さず正確に叩き斬ってゆく。
 それでも、少しでも妹鬼を守る為に妓夫太郎はその攻撃を止めない。
 あの強力無比な血の池地獄は、文字通りの切り札的な血鬼術ではあるが、それを展開させている間はその場から動けなくしてしまうのか、この状況下でも妓夫太郎が妹鬼の下へ駆け付けて来る様子は無かった。
 もし自分なら、禰豆子がそんな危機に直面しているのであれば、例えそれが自分が敵う相手でなくても、絶対にその傍に駆け付けて禰豆子を守るだろう。
 そして、妓夫太郎が妹鬼を想うその想いだけは、自分と禰豆子の絆と遜色無いものだと分かる。
 だからこそ、今この瞬間妓夫太郎が感じているのだろう絶望や恐怖が少しでも分かる様な気がする。
 もし、禰豆子が人を喰らう事を我慢出来なければ、人食い鬼になってしまっていたら、そしてそんな禰豆子を守る為に鬼に堕ちる事を選んでしまっていたら。妓夫太郎の立場に居たのは俺だったのかもしれない、息も絶え絶えに絶対的な恐怖に怯えているのは禰豆子だったのかもしれない。一歩間違えば自分がなっていたのかもしれない境遇であった。妓夫太郎は歪んだ鏡の向こう側に映る鏡像だ。

「やめろやめろやめろぉお!! 俺たちから取り立てるな!! 
 俺から妹を奪うんじゃねぇええ!!! 
 俺から取り立てるっていうなら、神だろうが仏だろうが『化け物』だろうが、みんな殺してやる!!」

 そう異形に対して吼える妓夫太郎の姿は、幸せが壊れてしまったあの雪の日の自分の姿を思い起こさせる。
 冨岡さんに対して這いつくばって頭を雪に擦り付けてでも禰豆子の助命を乞う事しか出来なかったあの日の自分と、唯一の大切な存在を自分の手の届き切らない場所で喪い掛けている妓夫太郎と。
 全く違うが、しかし重なる部分は確かに在る。
 だが、妓夫太郎がどれ程に妹を守ろうとしても、その手は届かない。
 血鬼術を解除して駆け付けようにも、それは悠さんと宇髄さんによって阻止される。
 妓夫太郎は言葉にならない咆哮を上げながら様々な形に精製した血の刃で異形を斬り刻もうとするが、それは全く異形の身には届いていない。
 しかし、妓夫太郎が決死の思いで稼いだ時間は、僅かながらにも妹鬼の身を回復させるだけの余裕を生んでいた。
 顔の殆どはまだ黒焦げで、四肢や体幹も無事とは言い難く、その武器である帯も十本にも満たない程しか回復出来ていないが。
 しかし、それでも辛うじて戦える程度には動ける状態にまで妹鬼は回復した。

「──!」

 まだ喉や舌は回復出来ていないのか、言葉にもなっていない罅割れた唸り声を上げて妹鬼は異形の背後に庇われた俺たちを狙ったが、その攻撃は一太刀で全て切り裂かれる。
 しかし妹鬼の本命は真正面からの攻撃では無く、何時の間にか地中を掘り進めていた帯による背後からの奇襲であった。
 地中から奇襲して来た帯はほんの五本程であったが、如何せん場に漂う強過ぎる鬼の臭いの所為で鼻が利き辛くなっていた所に足元から奇襲されては一瞬対処に遅れてしまって。
 それでも何とか避ける事は出来たが、身動きの取れなくなっていた伊之助と善逸が帯に捕まってしまう。
 それを助け出そうと、俺も異形もその手の武器を振るおうとするが。

「少しでも動いたら、コイツ等を殺すわ。
 アンタたちがどれだけ早くても、それよりも一瞬でも早くコイツ等の頸を掻き切る事なんて、何時だって出来るんだから……!」

 喉と舌を再生させている最中なのか、不気味に割れた声でそう妹鬼は脅迫する。
 そして、それが本気である事を示す様に、帯は二人の身体に徐々に喰い込み、その首元からはゆっくりと血が零れ落ちてゆく。
 その言葉に、俺も、そして異形も、動きを一瞬止めざるを得なくなった。
 二人を見殺しに何て出来ない、しかしこのままではどの道二人とも殺される。
 瞬間的に判断しなければならない事だが、それでも一瞬では選べなくて。
 しかし、その瞬間。二人を捕らえていた帯が、一瞬で燃え上がった。
 そして帯を焼く炎は、地中を通って妹鬼自身も燃やす。
 瞬く間に燃え尽きた帯から解放された二人の身体も燃えているが、しかしその炎は二人の身体を傷付けている様には全く見えない。
 そしてその炎が何であるのかを俺はよく知っている。

「禰豆子!!」

 何時の間にか箱から出て来ていて、そして攻撃する為の機会を見計う様に辺りに身を潜め、最高の瞬間にその力を一気に使ったのだろう。禰豆子は俺の声に何処か誇らし気な顔で、「む!」と唸った。

「うおっしゃぁああ!! ビリビリしてたのが治ったぜ!!
 伊之助様の復活じゃあああ!!! 
 子分その三! よくやった!!
 後でツヤツヤのどんぐりをやるからな!!」

 そして、禰豆子の血鬼術の炎がその身を焼き清めた直後、倒れていた伊之助が勢いよく飛び起きて吼える。
 善逸もまだ眠っている様だがその身を起こして何時でも霹靂一閃を放てる様に構えていた。

「うおおぉおお! 何だお前! 強そうだな!! 
 あの鬼の頸を斬ったら勝負しろ!!」

 そして伊之助は、目の前に見知らぬ異形が現れていた事に驚いた様に声を上げたが、野生の勘なのか敵では無いと一瞬で見抜いたらしく、はしゃいだ様に勝負を持ちかける。
 異形は何も言わないが、ジッと伊之助を見詰めるその金色の目には敵意は無いし、安堵した様な匂いも感じた。
 そして、指先に鋭く尖った鉤爪の様なものが付いたその大きな手をそっと伸ばして、伊之助の頭をよしよしと優しく撫でる。そして、そのまま善逸の頭も撫でて、禰豆子を褒める様に撫でて、そして俺の頭も優しく撫でた。
 よく頑張った、もう一頑張りだ、偉いな、凄いぞ、大丈夫だ、と。その手からは実に様々な温かな想いを感じる。
 大きさも何もかも全然違うものなのに、その手は何故か遠い昔に俺の頭を撫でてくれた父さんの手を思い出させた。
 そして、異形がその手を俺たちにそっと翳す。

 ── マハタルカジャ
 ── マハスクカジャ

 その手からホワホワと温かくなる様なものを感じた次の瞬間には、身体の奥底から凄まじい力が湧き上がって来たのを感じた。
 日輪刀を握る力が何時になく強く、そして身体はまるで風になったかの様に軽い。
 今なら、どんな鬼の頸だって切れてしまいそうな気がする。
 何だか自分が自分でない位に強くなった気がした。
 そんな俺たちを満足そうに見た異形は、再度優しく俺たちの頭に触れて、此処は任せたとばかりにその身を翻して空高く跳ね上がった。
 そして次の瞬間には、夥しい程の雷が激しい雷鳴と共に無数に落ちる。
 その殆どは妓夫太郎とその周囲に広がる猛毒の血の池地獄に落ちて血で出来たその沼を瞬く間に蒸発させているが、幾つかの雷は妹鬼を穿ち再び伸ばしていた帯の幾つかを消し飛ばす。
 そして、妓夫太郎の頸を斬る為に宇髄さんが駆け出そうとしたそれを見て、雷鳴が轟き続ける中俺たちも妹鬼の頸を斬るべく一気に踏み込んだ。

 何時になく身体は軽く、まるで善逸の霹靂一閃であるかの様にこの身は凄まじい速さでほんの一拍程の呼吸も置かずに十間以上はあった距離を一気に駆け抜けていた。
 俺よりも更に速い善逸の動きはまさに雷光の閃きそのままの速さで、その頸の周囲を覆って保護しようとしていた帯を一瞬の内に全て斬り飛ばして。伊之助は妓夫太郎が最後の切り札の様に周囲に潜ませていた血の刃の斬撃を全て寸分の狂いも無く斬り刻み吹き飛ばして。
 そしてガラ空きになったその頸に向かって、俺は大きく踏み込む。
 今の自分にとってはまともに戦いでは扱えない程に負担が大きい事は分かっている為、「必殺」の瞬間だけにしようと決めていたヒノカミ神楽へと己の呼吸を完全に切り替えて。
 炉を燃やす炎の音と共に、今ならば「あれ」が出来ると確信して、強く強く刀を握り締める。
 その瞬間ほんの僅か、漆黒の日輪刀のその刃が、うっすらと赤味を帯びた様な気がした。
 そして──

 ── ヒノカミ神楽 輝輝恩光! 

 燃え盛る炎の渦を纏うかの如き一閃は、柔軟に撓る妹鬼の頸を一瞬で斬り飛ばした。






◆◆◆◆◆






 雷が幾十幾百も同時に落ちたかの様な轟音と共に、瓦礫を呑み込む様に雷光が地上を駆け巡った。
 どうやら、先程現れた何かがやらかしたらしい。
 まあ色々とそりゃあもう派手にぶっ壊しているが、元々瓦礫の山になっていたのだし人的被害も物的被害も今更な状態なので思い切ってやってしまったのだろう。その思い切りの良さは嫌いじゃない。
 妹鬼の方に何かあったのか、妓夫太郎が明らかに余裕を無くした様子で血の刃をその方向へと無数に飛ばす。
 だが上手くはいかなかったのか、その顔には焦りが浮かび、そして終には絶望に染まる。

「やめろやめろやめろぉお!! 俺たちから取り立てるな!! 
 俺から妹を奪うんじゃねぇええ!!! 
 俺から取り立てるっていうなら、神だろうが仏だろうが『化け物』だろうが、みんな殺してやる!!」

 妓夫太郎は最早慟哭と言って良い様な絶叫を上げた。
 散々人々からはその命すら奪っておいてよくもまあそんな事が言えるものだと思うが。
 しかし、大切な存在を喪い掛けているその絶望だけは理解出来なくはない。だからと言って同情など微塵も懐かないが。そうやって吼えて何かに助けや情けを乞うには、この兄妹は余りにも人世の罪を重ね過ぎている。
 鳴上は少しだけ哀しそうな顔をしたが、しかしそれで攻撃の手を緩めるという選択は無いらしい。
 だが次の瞬間には、向こうでまた何かがあったのか、鳴上はその眼差しを険しくする。
 そして、向こうに対して追撃しようと新たに精製された無数の刃を。

「──雷神斬!」

 最早雷で出来ているのかと思う程に紫電を纏ったその刀の一閃で血の刃の群れを一太刀で全てを斬り伏せて、そして更に十字に斬る様にその刀を振り下ろすと、その剣先の軌跡を辿るかの様に雷が地上を走る。
 その雷の斬撃は血の沼を蹂躙する様に走り、妓夫太郎の身を斬り裂き灼いた。
 妓夫太郎は辛うじて真っ二つになる事を避けたが、しかしその身を半ば両断する程に刻まれたその一撃は重い。

「宇髄さん、今からちょっと凄い音がするので覚悟してください。
 でも、これで決めます。後は、頼みます」

 そう言いながら、鳴上はその手をそっと俺の背に押し当てた。
 その途端、今まで感じた事も無い程の力が身体の奥底から湧き上がり、身体がまるで羽根になったかの様に軽く感じる。
 間違いなく、鳴上の仕業だ。しかし、既に限界に近いのにそんな事をしても大丈夫なのだろうか。
 その身を案じて鳴上を見遣ると、鳴上は少し辛そうながらも微笑んだ。

「『おまじない』みたいなものです」

 鳴上がそう言ったその次の瞬間。
 天から無数の雷光が地上に降り注いだ。
 目を灼く程の眩さと、そして耳が壊れそうになる程の轟音が絶えず響く。
 至近距離に雷が落ちたのだと分かるが、それは何時まで経っても止む気配は無い。
 まるで天神の怒りが具現化したかの様に、無数の雷が落ち続けている。
 どうにか腕で光を抑えながら状況を把握しようとすると、どうやら毒の沼目掛けて強大な雷が絶え間なく落ち続けている様だ。雷の凄まじい力と熱量に血鬼術で作られた致死の毒沼であるとは言え元を辿れば鬼の血液であるそれが耐え切れる筈も無くて。
 ほぼ無尽に思える程の血を湛えていた筈の血の池地獄は瞬く間に蒸発していく。
 その中心に居た妓夫太郎は血の刃を身の回りに展開して凌ごうとしていたがそれで凌ぎきれるものでも無くて、その身体は雷に撃たれ焼かれていく。

「いま、です……!」

 もう限界だと言わんばかりに息も絶え絶えに、鳴上はそう言って俺の背を押す。
 そして鳴上は刀を支えの様にして地に突き立てると、それに縋り付く様に座り込んでしまう。
 戦いの最後までは、何があっても見届けなくては、と。そんな強い意志だけでどうにか意識を繋ぎ止めている様であった。
 だからこそ、今ここで決めなくてはならない。

 自分を撃ち出す様な勢いで一気に駆け出す。
 元々足の速さには自信があったが、何時もの比では無い。
 そして身体に漲る力も、今ならばあの悲鳴嶼さん相手でも力比べで勝ててしまうかもしれない。
「おまじない」なんて可愛いものじゃないだろうに。
 だが、その心意気には応えてやるのも仲間の務めというものだ。
 強く強く握り締めた日輪刀が、灼熱に炙られたかの様に仄かに朱に染まる。
 それを振り被って、真っ直ぐに妓夫太郎の頸を狙った。
 だが満身創痍になりながらも、目で追えているとは思えないのに妓夫太郎はそれに反応した。
 勘か何かを働かせて、その手の血鎌で首元を守ろうとする。
 しかし、それは既に「譜面」が完成し、更には「おまじない」によって底知れない力が引き出されている状況では完全に見切っている動きだ。
 だからこそ、空中で軽く身を捻って薙ぎ払う様に振るわれた血の鎌を回避して、そしてガラ空きになったその頸を一撃で斬り落とした。

 勢い良く斬り過ぎたのか、妓夫太郎の頸が蹴り上げられた毬の様に飛んでいき何処かに落ちる。
 妹鬼の方はどうなったのかと、随分と見通しが良くなった辺りを見回すと、竈門たちが見事その頸を落とした処だった。
 ほぼ同時に頸を落としたと言っても良いだろう。兄妹の身体は力尽きた様にその場に崩れ落ちる。
 身体が完全に崩壊するまでは油断は出来ないが、恐らくこれで上弦の陸の討伐は達成されただろう。

 ほっと一息吐こうとしたその時。
 足元の妓夫太郎の身体が不気味に蠢く。
 そして、その身体自体を破壊する勢いで、血の刃がその身体から吹き上がろうとした。

 コイツまさか最後の悪足搔きを!? 

 此処で妓夫太郎の身体を斬り刻もうがその攻撃の全てを止める事は出来ないだろう規模で、血の刃は展開されようとする。
 周辺の避難はとっくに完了しているので一般人に被害が出る事は無いが、竈門たちが巻き込まれれば一溜まりも無い。頼みの綱の鳴上は既に限界である。
 瞬時の判断で一旦退いてしまったが、非常に不味い状況であった。
 だが。

 周囲を無差別に破壊しようとするそれが解き放たれる寸前。
 血の刃は妓夫太郎の身体ごと巨大な氷の中に閉じ込められた。
 分厚く頑強な氷を破壊して飛び出す程の力は無かったらしく、血の刃はそのまま氷漬けになって無力化される。

「もう、むり、あとは、たのみ、ます……」

 最後の最後、最悪の事態に備えて欠片程度に僅かに残していたのだろう力も完全に振り絞ったのか。
 そう呟いた鳴上は、その場で倒れ込む様に昏倒してしまった。

 こうして、上弦の陸の討伐は、建造物の被害を除けば戦闘開始から一人の死傷者も出す事は無く、無事に成功した。これは、快挙と言う他に無い程の戦果である。
 百年以上も変わる事の無かった月を、漸く人の持つ刃が欠けさせた歴史的な瞬間であった。






◆◆◆◆◆






 上弦の陸との戦いで周囲一帯が本当に酷い有様になってしまったけれど、それでも一人の死傷者も出す事無く戦いが終わった事は本当に良い事であった。
 宇髄さんが早い段階で隠の人達を動かして一般人の避難を始めさせていた事や、行方不明になっていた人達を早い段階で見付けられていた事など、この結果を掴み取る為の選択のどれかが違っていたら、恐ろしい程の被害が出ていた事だろう。それは、見るも無残な状態になった建造物の数々が物語っている。
 特に、妓夫太郎が暴れ回っていた場所や最後に雷が蹂躙した場所はもう殆ど更地と言っても良い様な状態で。
 この結果は多くの選択が上手く作用したが故であると共に、幸運によるものなのだと、そう心から思う。
 ……それに、人命に関わる様な被害は一切出なかったとは言え、上弦との戦いが与えた被害が小さい訳では無い。
 瓦礫と化し、そして更地になってしまった場所で生活して来た人たちは、明日からどうやって生きて行けば良いのかと途方に暮れる事だろう。
 壊れた家財は、一夜で元通りになったりはしない。そして避難する中で持ち出せなかった家財の多くを喪った人々は多いだろう。彼等にとって、明日どうやって生きるのかは死活問題になる。
 命在っての物種、生きてこそ、というのは真理ではあるけれど。人と人の社会の中で生きていく為にはお金が要るし住む場所も要る。生きているだけでは腹は膨れないのだ。
 勿論、諦めずに生活を再建しようとする人は居るだろうけれど。路頭に迷って身持ちを崩す人も少なからず現れてしまうのだろうと。そう思わせてしまう程には酷い有様であった。
 それでも、人命が喪われる事に比べれば遥かにマシではあるのだけれども。

 戦闘に巻き込まれない程度の距離を保ちながらも付近に待機していた隠の人達が、戦いが終わると否や現れて既にテキパキと事後処理を始めていた。
 気を喪って倒れてしまったらしい悠さんは、隠の人に背負われてこれから蝶屋敷に帰るらしい。
 俺たちに目立った負傷は無いけれど、上弦の陸との激しい戦いで目に見えていない場所に何か不具合が生じている可能性があるから、後で必ず蝶屋敷に向かう様に、との事だった。
 特に、一度鬼の毒を喰らっている宇髄さんや善逸と伊之助は厳重に観察する必要があるとの事で、善逸と伊之助は先に蝶屋敷に運ばれて行った。
 宇髄さんはと言うと、流石に疲れたのか瓦礫に腰掛ける様に座りながら隠の人達に色々と指示を飛ばして、お館様への報告書を認める準備もしていた。そしてその周りには三人のお嫁さん達が引っ付く様に傍に居る。
 お互いに無事を喜んでいる匂いを少し離れた場所からでも感じる程だ。
 あまり邪魔をしないように、その場をそっと後にする。

 そして俺にはまだやらなくてはならない事があった。
 慎重に匂いを辿って、鬼の血を探す。景気よく血を飛ばして攻撃してくる鬼だった為何処かに血溜りが残っているのではないかと予想していたけれど、それは見事当たった様だ。
 もう攻撃してこない事を用心して確かめてから、その血を回収する。
 するとそれを確認したかの様に猫の鳴き声が響いて、茶々丸が姿を現した。
 戦闘中は一体何処に待機していたのだろうか? まあ賢い猫なので上手い事身を隠していたのだろうけれど。
 茶々丸に採取した血を託して珠世さんの下へと向かわせる。
 今の時点で、悠さんが手に入れてくれた上弦の弐と、そして今回戦った上弦の陸の血が珠世さんの手元に渡った事になる。これで少しでも早く、鬼を人に戻す為の薬が完成すれば良いのだけれど。
 一日でも早くお前を元の人間に戻してやるからな、と。そう改めて決意して禰豆子の頭を撫でると、禰豆子は嬉しそうにニコニコと笑った。

 その時ふと、まだ鬼の匂いが完全には消えていない事に気付いた。
 上弦の陸ともなれば、他の鬼以上に頸を斬られた後も身体が残るのだろうか。
 血鬼術を使ったからか少し眠そうな禰豆子の手を引いて、そこに向かう。
 万が一の事を考えると迂闊には動けないが、しかし恐らくもう彼等には戦う力は無いのだろう。

 濃い鬼の匂いを辿って行ったそこには、兄妹の首が並んでいた。
 しかし、両者は首だけになりながらも互いに言い争いをしている様である。
 その首の端は徐々に崩れて行って、もう長くは無いのだと俺に悟らせた。

「何で助けてくれなかったの!?」「俺は柱と『化け物』を相手にしてたんだぞ」「だから何よ、こっちにはもっとヤバい『化け物』が現れたんだから!」「助けようとはした! 大体お前こそ最初に相手していたのは下っ端だっただろう! さっさとそいつらを半殺しにするなりして人質にすれば良かったんだ!」「でもアイツ等妙にちょこまか避けてきて全然捕まえられなかったの! やっと捕まえたと思ったら、あの逃れ鬼に邪魔されたの!」「仮にも上弦の陸を名乗るなら人を喰っても無い雑魚鬼に負けてどうするんだよ! この馬鹿!!」

 ギャアギャアと言い争っていた二人は、何か互いに超えるべきでは無い一線を越えたのか、衝動的な匂いが膨れ上がっていく。

「……アンタみたいに醜い奴がアタシの兄妹なわけないわ!! 
 アンタなんかとはきっと血も繋がってないわよ! だって全然似てないもの!! 
 この役立たず! 強いことしかいい所が無いのに、何も無いのに。
 負けたらもう何の価値も無いわ。出来損ないの醜い奴よ!!」

「ふざけんじゃねぇぞ!! お前一人だったらとっくに死んでる、どれだけ俺に助けられた! 
 出来損ないはお前だろうが、弱くて何の取り柄も無い。
 お前みたいな奴を今まで庇ってきたことが心底悔やまれるぜ。
 お前さえいなけりゃ俺の人生はもっと違ってた。お前さえいなけりゃなあ!!! 
 何で俺がお前の尻拭いばかりしなきゃならねぇんだ!! 
 お前なんか、生まれて来なけりゃ良かっ──」

「嘘だよ」

 それ以上は聞いていられなくて。
 思わず俺はその口を手で閉ざしてしまった。
 それだけは、言ってはいけない言葉だからだ。
 だって、罵り合っていても二人から感じる匂いはちっともお互いを疎んでなんていないもので。
 でも、誰にだって弾みと言うものはあるし、愛しいという想いの影に淀む澱は少なからずある。
 俺の大事な妹弟たちだって、何時も仲が良かったけれど時々口喧嘩をして、お互いに思っても無い程の鋭く痛い言葉の刃をぶつけてしまう事はあった。
 そう、口喧嘩くらい、どんなに仲が良くたって起こる事はある。
 それでも、一度口にしてしまった言葉を取り消す事は絶対に出来ないから。
 取り返しのつかない言葉を、言った本人も相手も一番傷付ける様な言葉を、口にしてはならないのだ。
 それが本心では無いのなら、尚更。

「本当はそんなこと思ってないよ。全部嘘だよ。
 仲よくしよう、この世でたった二人の兄妹なんだから。
 君たちのしたことは誰も許してはくれない。殺してきた沢山の人に恨まれて憎まれて罵倒される、味方してくれる人なんていない。
 だからせめて二人だけは、お互いを罵り合ったら駄目だ」

 その言葉に、二人は苛立った様に俺を睨みつける。

「うわあああああん!! アタシたちに説教すんじゃないわよ! 
『化け物』なんかと一緒に居るくせに!
 あんな『化け物』の『人間ごっこ』に付き合ってる気狂いのくせに!!」

「うるさいんだよォ!! 糞ガキがぁ! 向こう行けぇ、どっか行けぇ!! 
『化け物』に助けて貰ってやっとどうにか帳尻合わせただけの雑魚のクセに!! 
 ああっ! 糞、クソがあ!! 何でだよ!! 何で俺たちから取り立てる!! 
 あんな『化け物』がどうしてこの世に存在する事が許されているのに、俺たちは全部奪われるんだ! 
 何でお前みたいな雑魚に、『化け物』が力を貸してるんだよ!! 
 俺たちが助けて欲しかった時には、誰も何もしてくれなかったのに!! 
 ああっ糞が! 所詮『化け物』の気紛れを施されている分際で、俺たちを憐れむんじゃねぇ!!!!」

 だが、そんな罵声を上げられるのも最早限界である様で。
 妹鬼の首はもう欠片程しか残っていない。

「悔しいよう、悔しいよう!
 何とかしてよォ、お兄ちゃあん!! 
 死にたくないよォ、お兄っ……」

 最後に幼子の様に泣き叫んで兄に助けを求めた妹は、一足先に欠片も残さずに崩れて消え去った。

「梅!!」

 妹の名前であるのだろうか。それを叫んで、兄の首も崩れる様に消え去る。
 ほんの僅か、完全に消え去るその間際。
 少しだけ温かな想いの匂いを感じたのだけれど。
 それはちゃんと仲直り出来たという事なのだろうか。
 二人が行く先は地獄であるだろうけれど。それでも、せめて。二人が共に在って欲しいと願ってしまう。
 鬼になる前の彼等がどうであったのかなど、俺には分からない。けれど、願わくば。
 地獄の業火に焼かれその罪が雪がれた後の輪廻の中で、鬼になる必要が無い人生を、今度こそ二人で歩んで欲しいと願ってしまう。

「ああ、疲れたな……」

 見上げた夜空にはまるで吹き散らされたかの様に雲一つ無く、満天の星空の中に満月が煌々と輝いていて。
 禰豆子と二人互いを離さないように確りと手を繋いで、その優しい光を眺めるのであった。






◆◆◆◆◆
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