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第四章 【月蝕の刃】

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 宇髄さんと悠さんが戦っている場所の近くからは粗方の避難が完了した。
 宇髄さんのお嫁さんたちが協力してくれたと言うのも大きいし、何より宇髄さんが何時の間にか応援として呼んでいた隠の人達の手際が迅速だった事が大きかった。
 流石に吉原の全域をこの短時間で避難させる事は不可能だが、この範囲の人々を避難させておけば余程の事が無い限りは戦闘に巻き込まれて死ぬ人は出ないだろう。
 巻き込んではいけない人々が大勢密集している場所で戦う事は苦手なんだと零していた悠さんが少しでも楽に戦える様になれば良いのだけれど……。

 二人が戦っている筈の場所からは引っ切り無しに何かが破壊される音や爆発音などが響いている。
 苦戦しているのか、それとも善戦しているのかすらも此処からではよく分からなかった。
 柱と比べればまだまだ力不足である事が明白な俺たちが戦闘に参加して何が出来るのかは分からないけれど、だが弱いからこそ出来る事もあるかもしれない。
 それに、途中で現れた妓夫太郎を相手取るのは無理だとしても、妹鬼だけでも三人で引き受ける事が出来れば二人の負担は大分減る筈だ。
 眠っているらしい善逸はともかく、伊之助は闘志に満ちていて今度こそあの気持ち悪い蚯蚓帯を全部引き裂いてやると気炎を上げてすらいる。
 その為、これ以上の避難誘導はお嫁さんたちや隠の人たちに任せて、俺たちは二人が戦っている場所に駆け出した。

 しかし、後少しで辿り着けると言うその時に。
 目の前にある建物の周囲が全て、まるで底なし沼に沈んでいくかの様に瞬く間に消えた。
 そして足元には血の沼の様な、悍ましい程に強い鬼の臭気を漂わせた何かが広がり、俺たちを呑み込もうとする。

「炭治郎! それに触れるな!! 今直ぐ退け!!!」

 悠さんの絶叫の様なその指示に、瞬間的に地面を蹴る様にして、急速に広がるその血の沼から距離を取った。
 だがその瞬間に無数の杭の様に見える極太の棘がその沼から現れて俺たちを串刺しにしようと襲い掛かる。
 咄嗟に日輪刀を構えてその棘を破壊しようとするが、「触れるな」と全力で警告したその悠さんの言葉が脳裏を過ってしまい判断が僅かに遅れてしまった。
 その為、ほんの一拍程の隙に眼前まで禍々しい棘が迫って来ていて。
 何とか致命傷は避けなくては、と。少しでも身を捻ろうとしたその時。

 目の前に巨大な氷の壁が瞬時に現れて、その氷の壁に阻まれて、凶悪な棘は後僅かの所で俺の目の前で止まる。
 そして、無数の棘に削られても完全には破壊されなかったその氷の壁の上に、大小様々な無数の傷を負った宇髄さんを肩に担ぐ様にして支えている悠さんが降り立った。

「あの兄の方の鬼の血鬼術には、触れるだけでも即死する程の毒が含まれている。
 砕いた欠片を僅かに吸い込むだけでも大変危険だ。だから炭治郎たちは極力近付くな。
 あの鬼は俺と宇髄さんで何とかするから」

 焦った様にそう早口で言った悠さんは、担いでいた宇髄さんを降ろして、その傷を癒す。
 悠さんが言っていた様に毒にやられていたのか苦しそうに血を吐きながら咳き込んでいた宇髄さんは、悠さんの力で傷と同時に毒に侵された身体も癒されたのか、苦痛から解放された様に大きく息をした。

「すまん、助かった。まさかあんな切り札があるとはな……」

「間に合って良かったです。……しかしあれでは接近する事がかなり難しいですね。
 猛毒の血の沼に、そこから無数に発生する展開速度も形状も自由自在な血の刃。……質が悪い」

「それだけじゃないな。多分、あの鬼は単純に頸を斬るだけでは殺せない。
 妹の方の頸も同時に落としておく必要がありそうだ」

 その宇髄さんの言葉に、悠さんは驚いた様に息を零す。
 そして、僅かに唸る様にその考えを口にした。

「流石にあの二体を同時に相手しながら、同時に頸を斬る事は出来ないと思います。
 俺の刀では、幾ら頸を斬っても殺せないので……。
 妓夫太郎の方は、俺たちで相手をするしか無いですね。
 なら、あの妹鬼の方は……」

 だがその続きを言葉に出来ないのか、悠さんは迷う様にその視線を此方に向ける。
 悠さんは、心配しているのだ。
 幾らあの妓夫太郎よりはマシとは言え、あの妹鬼が今の俺たちにとっては三人で協力してもその首に刃が届くかどうか分からない程に強い相手ではあるから。あの鬼の臭いだけで、今まで俺たちが直接戦ってきたどの鬼よりも強い事は分かる。
 それでも、俺たちは鬼殺隊の隊士なのだ。
 鬼と戦う事から逃げる訳にはいかないし、強い誰かに守られ続ける訳にもいかない。

「俺たちが斬ります。だから、悠さんと宇髄さんはあの兄の方の頸を、お願いします」

「……ありがとう、炭治郎。伊之助も、善逸も、どうか、頼む。
 あの妹鬼の攻撃は、帯による斬撃だ。
 帯は伸縮自在で柔軟性に富み、切断には速度が重要だ。
 それと、恐らく兄の方の毒程では無いだろうが、妹の帯の方の攻撃にも注意してくれ。
 くれぐれも命を大事にして欲しい。
 絶対に死ぬなよ、三人とも」

 悠さんがそう言い終わるのとほぼ同時に、無数の帯の斬撃が頭上から降って来た。
 その瀑布の如き攻撃を悠さんと宇髄さんは難無く捌く様に斬り裂くが、それを操る妹鬼本体は何時の間にか俺たちの背後に回り込んでいた。

「誰が誰の頸を斬るって? 
 言っとくけど、そこの『化け物』でも柱でも無い、アンタたちみたいな弱っちい下っぱが何人集まった所で無駄だから」

 そう言って、無数の帯の斬撃が俺たちに襲い掛かる。
 悠さんはその帯の斬撃から俺たちを守ろうとするが、それは血の池地獄から無数に放たれた致死の血の刃によって阻止された。

「おっとぉお、お前らの相手は俺の方だろぉ? 
 余所見なんてしている暇は無いからなぁあ」

 帯の斬撃よりも更に脅威である怒涛の致死的な攻撃を往なす為、悠さんたちの意識は完全に妹鬼から外れる。
 自分たちの方を狙っているならまだしも、俺たちを狙うその帯の全てに対処し切る事は出来ないと思考を切り替えたのだろう。
 しかしそれは見捨てられたと言う訳では無くて、俺たちなら切り抜けられると思ってくれたからだと思う。
 なら、その信頼に応えなくてはならない。

 縦横無尽に周囲を斬り裂きうねりながら迫り来る帯のその斬撃は、目で追い切れる様な速さでは無くて。
 だが、《《それが何処からどのタイミングでやって来るのかは》》、《《まるでその未来を僅かに先取りして予知しているかの様に》》、《《匂いと感覚が教えてくれる》》。
 そんな事が何時出来る様になったのか、何時分かる様になったのかは分からない。だが、身体が反応するよりも前に、もっと深い場所にある何かがそれを識っていた。
 避けられる攻撃、往なさねばならない攻撃、斬り裂いて捌かねばならない攻撃の其々を、異なる匂いが教えてくれる。
 考えるよりも早く、「何か」が身体を動かす。だがそれは操られていると言う訳では無くて、自分と言う存在の深い場所に叩き込まれた「何か」をなぞっている様な、そんな動きだった。
 視界を覆い尽くす程の無尽の帯の斬撃を、俺は最小限の動きで捌き続ける。
 僅かに避ける瞬間がズレるだけで忽ち寸斬りにされる筈のその攻撃を、恐れる事無く避けられた。
 もっと絶望的な戦いを識っている気がした。もっと理不尽な暴力を識っている気がした。
 生きているのだから当然それを知らない筈なのに、「死」がどんなものかを自分はもう識っている気がした。
 何度も何度も経験したそれは、自分が限界だと思っていたそれを押し広げる様に更に先へと進ませていた。
 どうしてそんな事が出来るのかは分からないが、だが今この場に於いて、その力は間違いなく勝利への鍵になる。
 僅かな余裕に周囲に目を向ければ、善逸も伊之助も傷一つ無く鬼の攻撃を捌き切っていた。
 自分と同様に、鬼の猛攻に息一つ切らしていない。二人も、自分と同じなのだろうか。
 自分が思っていた実力以上の力が出ている気がするが、しかしそうでは無いと言う事も分かる。
 元々可能だったが自分には出来ないと思い込んでいた事を、その認識を正されただけなのだ。恐らくは。
 誰が何時どうやってそんな力を自分たちに付けさせたのかは分からないけれど。
 だが、それによってこの鬼の頸に刃が届くのであれば、何だって良い。

「ちょこまかと鬱陶しいわね。避ける力はあるみたいだけど、避けてるばっかりじゃアタシの頸は斬れないのよ? 
 それに、そうやって避け続けるのも何時かは限界が来る。
 そうなったら、ゆっくりと手足を捥ぎ取って殺してあげるわ。
 そこの猪頭はともかく、醜いやつらを喰う気は無いけどね」

 鬼の攻撃を回避している内に、悠さんたちからは随分と引き離されてしまっていた。
 それがこの鬼の狙いなのかもしれないが、しかしこちらとしても好都合である。
 悠さんたちの戦いにこの鬼を割り込ませる訳にはいかないのだから。

 既に避難が完了した人気の無い遊郭では、どれ程鬼が暴れ回った所で無辜の人々が巻き添えで命を落とす事は無いし、そしてこの鬼も人を喰って消耗を回復する事も出来ない。
 ほぼ無尽蔵に回復し疲れを知らないと言っても良い鬼ではあるが、厳密にはそうでは無い。
 血鬼術を使ったり、或いは身体の欠損を回復させるなどすればそれ相応の力を消費して餓えていく。
 禰豆子はそれが眠りによって賄われるが、鬼は人を捕食する事でそれを補う。
 その鬼が強ければ強い程削り切る事は難しいが、捕食させないと言うのは鬼と戦う上では最重要な事だ。
 現状ではそれを気にしなくても良くなったのは純粋に有難い事である。

 とは言え、鬼が言う通り、避けているだけでは頸を斬る事は出来ない。
 そしてそれは鬼も分かっているのか、絶対に己に近付かせない様にと鬼はその帯を縦横無尽に動かしている。
 四方八方から襲い掛かるそれを搔い潜って攻撃する事は困難だ。
 だが、俺は一人じゃない。善逸と伊之助が共に戦ってくれる。
 なら、必ず勝機は何処かにある筈だ。それを焦らずに見極めなければならない。

「あの『化け物』は随分とアンタたちを気に掛けているみたいだからね。
 アンタたちの無残な屍を見たら、どうなるのか楽しみでしょ? 
 ああ、殺す前に引き裂かれて虫の息になったアンタたちを人質にとってみるのも良いかもしれないわね」

 見た目だけなら息を呑む程に美しいかんばせを醜い嗜虐心に歪ませて。
『化け物』、と。そう鬼は悠さんの事を謗る。
 あの妓夫太郎といい、この妹鬼といい。彼等は悠さんの事を『化け物』だと宣う。
 そんな暴言を聞いていると、段々と無性に腹が立ってきた。
 確かに、悠さんには普通の人には無い力があるけれど。しかしその力を以て誰かを傷付けたりなど絶対にしないし、悲しみを撒き散らしたりもしない。大切な人たちを守る為なら人智を超えた力を持つ神様とだって戦ってしまう程に、優しく真っ直ぐな人なのだ。
 命の大切さを知りそれを慈しむ事の出来る、人としての善良な心を疑い様も無く持っている人だ。
 鬼にとっては取るに足らないのだろう誰かの小さな幸せを、一生懸命に守ろうとする人だ。
 どうしてそんな人を『化け物』だなんて罵れるのか。
 鬼が口にするその言葉には、この世の理を逸脱しているかの様な力を揮う存在に対する畏怖の念が籠っている事は勿論分かっているけれど。
 だがどうしたって腹が立つのだ。

「悠さんは『化け物』なんかじゃない。
 人を傷付ける事を、命を奪う事を、反省もせず悔みもしないお前たちと一緒にするな。
『化け物』はお前たちの方だ」

「馬鹿じゃないの? あんな『化け物』と平気な顔で一緒に過ごせる時点で、アンタの頭がおかしいわ。
 人間ごっこをしているだけの『化け物』じゃない、あんなの。それとも、見た目が人間なら何でも良いって訳?」

 心底信じ難いとでも言いた気にその顔を歪めて、鬼は吐き捨てる様に言う。
 その狂人を見るかの様な眼差しに、自分たちの行いを顧みる事も無いその言動に、怒りが更に募る。
 伊之助と善逸も鬼に対して怒っている様で、二人からは強い怒りの感情の匂いが漂ってきた。

「俺の子分に変なイチャモン付けてんじゃねーぞ、蚯蚓女! 
 カミナリは、お前らみたいな気色悪い感じは全然しねぇし、すっげーほわほわさせてくるヤツだ!」

 興奮した様に鼻息を荒くしながら伊之助は憤慨して。
 そして善逸は眠っていながらもしっかりとした口調で話す。

「俺は君に言いたい事がある。
 耳を引っ張って怪我をさせた子に謝れ。
 例え君が稼いだ金で衣食住を与えていたのだとしても、あの子たちは君の所有物じゃない。
 何をしても許される訳じゃない」

「詰まらない説教を垂れるんじゃないわよ。どんなお綺麗事を言った所で、この街じゃ女は物よ。
 売り買いされて時に壊されて塵の様に命を投げ捨てられて、持ち主の好きにされるしかない。
 美しくない者には飯を食う資格も、人間として扱われる事も無い。
 でもアタシは違う。
 鬼は老いない、美しさが褪せる事も無い。
 人間は何処にでも転がっているのだから喰っていく為のお金も要らない。
 病気にならない、死なない。何も喪わない、何も奪われない。
 美しく強い鬼は、何をしても良いのよ」

 鬼である事をそんな風に誇らし気に宣い、人を喰う事に微塵も後悔を懐かないその傲慢さを恥じる事無く高らかに謳う。だが……鬼の言ったそれらは、かつて鬼自身がその身に受けて来た仕打ちなのだろうか。
 この街でその絢爛豪華な夜の光の影で人の命を貪ってきたこの鬼は、かつてはこの街の歪な闇の中にその身を置いて生きていたのだろうか。それは分からない、そしてどうであるにせよ今この鬼が人を喰らい哀しみの連鎖を生み出している事には間違いが無い事だ。

「自分がされて嫌だった事は、人にしちゃいけない」

 そう言いながら柄に手を添える善逸は眠っている。だが、その匂いはしっかりとした感情を持ったものである。
 人に悪意を向ければ、その悪意は必ずより大きな悪意となって返って来る。
 情けは人の為ならず、誰かに向けた善意や善行が巡り巡って何時か自分の助けになるのならば。
 悪意や悪行もまた巡り巡って己に返って来るものであるのだろう。
 因果とは因縁とは、そう言うものなのだから。
 だが、その善逸の言葉は鬼には届かなかった。
 今更届いた所でもう引き返せないものではあったのかもしれないが。

「……違うなあ、それは。人にされて嫌だった事、苦しかった事を、人にやって返して取り立てる。
 自分が不幸だった分は幸せな奴から取り立てねぇと取り返せねえ。
 それが俺たちの生き方だからなあ。言いがかりを付けて来る奴らは皆、殺してきたんだよなあ。
 お前らも同じ様に喉笛掻き切って、あの『化け物』の前に晒してやるからなああ」

 歪んだ笑みを浮かべながら、その額に在る三つ目の目玉をギョロつかせながら鬼は言う。
 その口調は、どう聞いてもあの兄である妓夫太郎のものであった。あの目玉を通して、兄妹は繋がっているのだろう。

 ── 血鬼術 八重帯斬り・酔生

 二十以上の帯が縦横無尽に駆け巡り、交叉して逃げ場を潰しながら凄まじい速さで迫り来る。
 伸縮自在に撓んでは周囲を斬り裂く鋭い斬撃の全てを見切る事は難しいが、しかし身体は「死」の匂いを的確に予測してそれを回避していく。
 だが、その帯の斬撃の隙間を縫うかの様に、血で出来た刃が四方八方から迫った。
 掠るだけ、その断片に触れるだけで死に至る猛毒の血鬼術によるものだ。
 死角から迫って来たそれを匂いの予測でギリギリで回避するが、避けた筈のそれは軌道を変えて帯の斬撃と共に再び迫って来る。
 何とか帯を斬り裂いて、同時に血の刃もどうにか砕く様に斬る事が出来た。が、その硬度は尋常なものでは無く、たった一つを壊すだけで日輪刀が僅かに刃毀れしてしまった。これではこの猛攻を持ち堪えられるかどうかが問題になる。血の刃は際限無く生み出されるものであるのに。
 更には、砕いた破片を吸わない様に息を止めて僅かにでも距離を取らねばならない事も厄介だ。
 宇髄さんたちが往なしていた妓夫太郎の攻撃一つとっても、今の自分達の実力では完全に対処し切れるかが怪しい。
 それよりもどうして妓夫太郎の血鬼術がこんな場所にまで届くのか。まさか二人がやられてしまったのか? と焦るが、周囲の建物が破壊されてゆく音が響いてきているので、多分二人とも大丈夫だろう。
 あの血の池地獄の範囲を考えると、そこから無数に生み出され自分達以外を狙った斬撃にまで全て対処し切る事は難しいのかもしれない。
 何であれ、二人がまだ戦っているのなら、自分達に出来る事を精一杯に成し遂げる事だけを考えなくてはならない。
 鬼の頸は未だ遠く、そもそも同時に斬らねばならないと言うのなら、それをどうやって向こうと合わせれば良いのかと言う問題もある。

「ぐぉおおおお!! 帯と一緒に血の刃が飛んで来るぞ! 何じゃこれ!! 
 血の刃も帯もグネグネ曲がって避けずれぇ! これじゃあ蚯蚓女に近付けねぇ! 
 同時に頸を斬らなきゃ倒せねぇのによ!!」

「伊之助落ち着け! 全く同時に斬る必要は多分無い。
 二人の鬼の頸が繋がってない状態にすれば良いんだ。
 とにかく頸を斬る事だけを考えよう!」

 熾烈な猛攻を躱しながら唸る伊之助に、普段の臆病さを置き忘れたかの様なキッパリとした口調で眠ったままの善逸が答える。その普段とは大違いの冴えた考えに、伊之助は驚いた様に善逸を見た。
 確かに、今はそれを考えるしかない。
 宇髄さんと悠さんなら、必ず何処かのタイミングで妓夫太郎の首を落としてくれる筈だ。

「こっちにはお兄ちゃんが居るんだから、アンタらみたいな雑魚が何人居ても意味無いのよ!」

 そう妹鬼が吼えるのとほぼ同時に、悠さんたちが戦っている少し離れた場所で巨大な黒い塊が急に天を覆い尽くさんばかりに吹き上がったのが見えた。
 それは、妓夫太郎の毒の血の塊で。吹き上がった大量の血は天を埋め尽くす程の夥しい数の刃となって驟雨の様に降り注ぐ。その真下で戦っているのだろう悠さんたちが、その攻撃に耐えている事を祈るしかなかった。
 しかし俺たちには悠さんたちの事を考えている余裕は殆ど無い。天から降り注ぐ無数の血の刃の内十数程が此方に向かって飛んで来ているからだ。
 妓夫太郎と妹鬼との完璧な連携が、何処までも俺たちを苦しめる。
 妹鬼の帯の斬撃が悠さんたちの方に向いていないだけマシと考えるべきだろうか。
 そう、妹鬼は妓夫太郎と違って、此方の相手に手一杯になっている。
 一度に操れる帯の数には限りがあるし、更には幾ら妓夫太郎と連携しているからと言って全ての戦況を妹鬼自身が把握して適切な手を尽くす様な真似も出来ないのだろう。
 この二人の関係性は、妓夫太郎の方が主で、妹鬼の方が従なのだ。
 だからこそ、その連携を崩す隙があるのだとすれば、妹鬼の方の側からだろう。

「一人が攻撃に集中して、二人で防御に徹しよう! 
 そうやって路を拓くんだ!」

「なら攻撃は俺に任せろ! グネグネ曲がろうが、複数方向から切り刻めば斬れる筈だからな!」

 伊之助はそう言って、威勢よく「猪突猛進!」と己を鼓舞する様に叫びながら突進してゆく。
 それを阻む様に帯と血の刃が乱れ舞うが、伊之助が爆進する路を守る様に善逸と二人で連携しながら切り拓く。
 二人で攻撃しつつ撹乱する様に動き回る事で、帯の狙いは僅かに精度を落とし、そこを捩じ込む様に伊之助は駆けて行く。

 ── 獣の呼吸 陸ノ牙 乱杭咬み! 

 そして、帯の様に柔らかく撓る妹鬼の首を、双刃を鋸の様にして挽き裂いた。
 そして、落とした首を持って伊之助は素早く妹鬼の身体から離れる。

「頸、取ったぞ!!! 
 取り敢えず俺は頸持って逃げ回るからな!! 
 お前らは身体の方の相手を頼む!!」

 頸を切ったからと言って、まだ妓夫太郎の頸は繋がっているからかそれで妹鬼が倒せた訳ではなくて。
 妹鬼の身体は、奪われた頸を求めるかの様に苛烈な攻撃を仕掛けてくる。
 しかし、頸を抱えられて視野を正確に確保出来ていないからか、その攻撃は苛烈であれど隙は大きい。
 無数の帯が周囲の建物を細切れに切り裂きながら伊之助に襲い掛かろうとするが、嵐の様な攻撃を俺と善逸が正確に切り裂いて伊之助を守る。

 鋭く、素早く、尚且つ戦い続けられる様に。呼吸は自然とヒノカミ神楽と水の呼吸が混ざったものになっていた。
 そのやり方を、記憶には無くても俺は何処かで既に識っていたからだ。
 善逸の目にも止まらぬ神速の居合斬りの軌道も、伊之助の変幻自在な太刀筋も、全部識っている。
 合同任務で何度か一緒に戦っているとは言え、三人一緒に同じ敵と戦った経験など無い筈なのに。
 いや、何処かで何度も一緒に戦った事がある様な気がする。
 でも、何時、何処で。
 分からない事だらけだが、今ここで戦う為の力になっている事は確かだ。

「糞猪!! 離しなさいよ!!」

 脇に抱えた頸が吼え、その髪を操って自分を抱える伊之助の腕を絞め上げようとする。
 だが、その髪が腕に巻き付くや否や、伊之助は空いていた手で振るった刀であっさりとその髪を切り裂いた。

「グワハハハ!! 攻撃にキレがねぇぜ!! 
 死なねぇとは言え急所の頸を斬られてちゃあ弱体化する様だな、グワハハハ!!」

 しかし、髪の一筋程に微かに血が滲んだ己の腕を見て、伊之助が怪訝そうに首を傾げる。

「ん? 何だか切られた所がビリビリするな」

「私の攻撃には相手を麻痺させる力があるのよ! 
 僅かにでも傷を負った以上、あんたもその内動けなくなるわ!」

 勝ち誇った様にそう言った妹鬼は、更に攻撃を仕掛けようと伊之助の腕の中で足掻く。
 だが、そんな足掻きを一蹴するかの様に伊之助は叫んだ。

「険しい山で育ってるから、俺に毒は効かねぇよ!」

 それが本当なのかそれとも痩せ我慢なのかは分からないが、少なくも伊之助には頸を離すつもりなど毛頭無い。
 一刻も早く悠さんと宇髄さんが妓夫太郎の頸を斬ってくれる事を願いながら、その時までを粘り続けなくてはならないのだ。
 だが、その時。

「俺の妹を虐める奴は皆殺しだって言ったよなぁあ?」

 妹鬼の口を借りて、妓夫太郎がそう喋る。
 そして、足場となっていた建物が無数の帯の斬撃によって崩壊し、更には。
 家を数軒丸ごと斬り刻めるほどに恐ろしく巨大な血の大鎌が、周囲の全てを薙ぎ払う様に何度も俺たちごと周囲を斬り裂いた。
 何とか大鎌の攻撃を避ける事は出来たが、周囲一帯が丸ごと崩壊するその瓦礫の雪崩に逆らいきれずに呑み込まれてしまう。
 瓦礫によって閉ざされる視界の中、帯の強烈な一撃を胸に受けた伊之助の身体がぐったりとした状態のまま崩落する建物の中に呑み込まれかけていく姿が見える。
 そんな伊之助を助けようとした善逸も、崩落する瓦礫の中から襲い掛かってきた帯の攻撃を足場の不足によって避け切れずに受けてしまって。
 俺も為す術無く崩落に巻き込まれる。技を出して凌ごうにも足場が足りず、そして瓦礫の質量を捌き切る事は出来ない。
 だからせめて禰豆子だけでも、と。瞬間的に判断して、咄嗟に肩紐を千切る様に外して、禰豆子が入っている箱を少しでも遠くへと投げる。
 乱暴にしてごめんな、禰豆子、ごめん。
 そう心の中で何度も謝る。
 地面に叩き付けられ瓦礫に押し潰される事を覚悟した。
「死」を感じているからなのか、まるで時の流れ自体がゆっくりと引き伸ばされながら進んでいるかの様にすら感じる。
 そして。


「──イザナギ!!!」


 まるで轟く雷鳴の如き、悠さんの咆哮が辺りに響いた次の瞬間。
 瓦礫と共に落ちていった筈の俺の身体は、何かに強く抱き締められ、そしてその何かは崩れ落ちる瓦礫をものともせずにその中を雷光の様な速さで動き回って、善逸と伊之助を助け出す。

 一体何が、と。
「死」に直面しかけたその衝撃も冷めやらぬままに、己を抱えるそれを見上げる。

 それは、不思議な姿をした異形の存在であった。
 鉄の仮面の奥から覗くその瞳は異質な金色に輝き、その頭部にはまるで鉢巻の様なものが棚引き、赤い裏地の黒い外套を身に纏う。
 だが何よりも不思議な事に。
 その異形からは紛れも無く、悠さんと同じ様な匂いがする。
 これは、悠さんなのか? いや、悠さんとは同じ匂いだけれど少しだけ違う。
 これは一体……? 
 混乱の極みにありながらも、この異形に自分達を傷付けようという意図は一切無い事は分かる。
 この異形は、味方だ。

 異形は腕に抱えた俺たちを優しくそっと地面に下ろして、その背に背負っていた巨大な剣を抜きながら。
 麻痺の毒にやられたのか動けなくなっている伊之助たちをその背に庇う様に、何時の間にか再び頸を繋げていた妹鬼へと対峙した。






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