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第四章 【月蝕の刃】

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「上弦の陸」と名乗る女の鬼自体は、そう手強い相手では無かった。
 普段相手にする様な鬼と比べればその強さは隔絶していると言っても良いが。しかしやはりあの上弦の弐と比べるとその肉体の再生速度は遅く、更に相手を観察し対応する様な思考力は無いのか、鬼の身体能力だけに頼ったその戦い方は隙だらけであった。
 広範囲に被害を与えかねない帯の攻撃は細かく斬り刻んで対処して、反撃するその動きを先制して潰す様にその身体を寸断する。
 細切れにした肉体が其々に再生して分裂する、なんて事は無く。頸を落とした所で日輪刀の攻撃によるものでは無い為殺せないが、そうやって間髪入れずに斬り刻み続ける事で無力化する事には成功していた。
 人の形をした者をこうして斬り刻む事に倫理観の呵責が全く無い訳では無いけれど。だがこの鬼は他人の命をただの餌程度にも見ていない為、僅かにでも自由にした瞬間に何をするか分かったものではなく、やるしか無い。
 抵抗すらろくに出来ぬままに一方的に嬲るかの様に執拗に斬り刻まれている鬼は、最初の威勢は直ぐ様消え失せてその目には恐怖を浮かべる様になっていたが、しかし悲鳴や命乞いをしようにもその口を含めて細かく斬り刻まれている為喉が震えその舌が言葉を紡ぐ事は無い。
『化け物』とそう訴える様なその目を無視して、善逸たちが行方不明者を救出して戻って来るまでを待った。

 そして、善逸たちと宇髄さんが合流してくれたとほぼ同時に、多数の帯が押し寄せてきて。
 それを斬り刻もうと、僅かに鬼から意識が薄れたその瞬間に。
 鬼は斬り刻まれていた顔の辺りを再生させて、まるで癇癪を起してギャン泣きしている幼子の様な声を上げたのだ。
「お兄ちゃん、助けて。お兄ちゃん、怖いよ」、と。
 そうやってわんわんと幼子の様に泣き喚くその様を見ていると、全く別人だし比較対象にすらならないのにどうしてだか菜々子の姿を思い描いてしまう。年齢に不相応な程にしっかりせざるを得なかった菜々子はそうやって癇癪を起してギャン泣きして来た事など自分が知る限りでは一度も無かったが、……だが大人になるとどうしても出来なくなる程の恥も外聞も投げ捨ててて感情を爆発させてそれを喚き散らすその様は、菜々子位の年齢の子供の泣き方である。
 鬼の外見年齢はその精神年齢と相関するとは限らず、肉体年齢はある程度調整出来る事は禰豆子を見ているとよく分かる。
 例え妖艶な年頃の女性の姿をしていても、実際は年端も行かぬ子供の鬼である可能性だって当然ある。
 ……子供の鬼であるのだとしても、目の前の鬼が多くの人々を喰い殺してきている上に人とは決して相容れない歪んだ価値観を持っている事は変えようも無い事実であり、何としてでも此処で倒さなければならない事も変わらないのだ。
 だがそれは分かっていても、どうしても剣を振るう腕は僅かに躊躇ってしまって。
 そしてその隙を突く様に、鬼の身体に無数の帯が吸い込まれて行き、その姿と気配が一気に禍々しいものに変わる。これがこの鬼の本来の姿なのだろう。だが、これで「上弦の陸」と名乗るには些かまだ弱い気がするが。
 この街中に散らしていた帯を吸収して本来の力を取り戻したと言うのに、鬼は斬り落とされた首を抱えて怯えた様にボロボロと涙を零しながら心から怯えた声で「お兄ちゃん」を呼び続けている。
 その姿に、思わずどうしたものかと戸惑いを覚えてしまった。
 相手は鬼だ。しかも人を殺す事に何の痛痒も覚えていない鬼だ。
 でも、「お兄ちゃん」を求めて泣く幼子でもある。
 善逸たちが来てくれた以上、時間稼ぎをする必要も無く。頸を落とせば良いだけなのだけれども。
 だが、それに何かが「待った」を掛ける。
 憐憫か、それとも倫理観の呵責か。いや、恐らくそうでは無く……。

 感情を爆発させて泣き喚く鬼の、その斬り刻んだ筈の背中から、全く別の気配が浮かび上がる様に突如現れて形を成した。それは、奇妙な姿の鬼であった。
 雑に結った髪はボサボサで、その顔には大きな痣が走っている。本当に臓器が中に入っているのだろうかと心配になる程にその身体は痩せていて、肋や骨盤の形がくっきりと見えてしまう程だ。簡素なズボンを下に履いただけの上半身を曝け出したその男の鬼は、泣き喚く鬼の背から生えたかの様にその場に姿を現した。

 姿を現した瞬間に、この鬼が尋常では無い強さを持つ事には気付いた。
 現れた男鬼の気配と比べると、泣き喚いている女鬼のそれは子供の様なものでしかない。
 まさか、これが「お兄ちゃん」なのか……? 
 女鬼の血鬼術で現れた存在だろうかと一瞬考えたが、この気配の強さはその様なまやかしで生み出されたものでは無い。どうやらこの「お兄ちゃん」は、今までずっと妹の中に潜んでいたのだろう。
 この場に居る誰もが緊張した様に刀を構えて、その動きに注目する。

 兄鬼は長らく眠っていた人が寝起きに身体を伸ばす時の様な声を上げて。
 そしてそれとほぼ同時に妹鬼を抱えて、屋根を勢い良く蹴って一旦距離を取った。
 反応する事は出来ていたが、振るった十握剣がその首元を薙ぐよりも早く兄鬼は退いてしまった。
 どうやら、反応速度や判断力が妹鬼の比では無い。
 妹鬼の方は、どうせ鬼だから死なないと過信して攻撃を確実に避けようとする根気や判断力に欠けていたが、どうやら兄鬼はそうでは無いらしい。確実に、強敵だ。
 兄鬼は油断無く此方を観察する様に一瞥し、そして双方ともに相手の出方を伺っているこの状況では急に手出しをされる事は無いと判断したのか。
 斬られた妹の首を優しく撫でてやりながら、優しい手付きでそれを身体にくっ付けてやる。

「泣いたってしょうがねぇからなああ。日輪刀で斬られた訳じゃぁねぇんだあ。これ位自分でくっつけろよなぁ。
 全く、おめぇは本当に頭が足りねぇなぁ。
 大体あの『化け物』は、上弦の弐を殺し尽くす寸前までいったやつなんだよなぁ。
 分裂させたままじゃあ、勝ち目なんてこれっぽっちもねぇのはちょっと考えれば分かるだろうになぁあ。
 ほんと、頭が足りねぇなあ」

 頭が足りないと、そんなかなり酷い事を言いながら。
 兄鬼が妹を見るその目は、可愛くて可愛くて仕方が無いのだと、言葉にするまでも無く雄弁に語っている。
 兄鬼にとって、鬼の妹が本当に大切な存在なのだと。そう悟らざるを得ない。
 泣きじゃくる妹の涙を少しぶっきらぼうながらも優しく拭って、安心させる様にその頭を優しく撫でる。
 その光景は、妹想いの良い兄の姿にしか見えなかった。だが、相手は鬼だ。鬼でしかない。

「もう泣き止みなぁ。折角の可愛い顔が、泣いてちゃ台無しだからなぁあ。
 それに、お前を虐める怖いものは全部俺がやっつけてやるからなぁ。
 許せねぇなぁ、俺たちから取り立てるヤツは、誰であろうと許せねぇ。
 俺の可愛い妹が足りねぇ頭で一生懸命にやってるのを虐める様なやつらは皆殺しだぁ」

 そう言って、自分達に紛れも無い殺意を向けるその顔は、悪鬼と呼ぶのに相応しい程の凶相だった。
 そして、鬼は瞬時にその手に何かを生成し、斬り掛かって来る。
 咄嗟に十握剣でその斬撃を弾いたが、弾いた瞬間その武器から何かが飛び散った。
 それが何かは分からないが、戦い続ける内に身体に染み付いた本能的な部分が「不味い!」と警告を発し、それに従う様に飛び散ったその何かを被らない様にする。

「へぇえ、やるなぁあ。殺す気で斬ったのに、攻撃を止めたなぁあ。
 いいなぁあ、お前、いいなぁあ」

 攻撃を止められたと言うのに、全く悔しそうな顔はせず。寧ろ面白いと言わんばかりにその顔を歪めた。
 その両手には、血が滴り続ける脈打つ鎌の様なものが握られている。
 兄鬼の血鬼術の一つなのだろうか。あの上弦の弐の扇の様なものかも知れないが、武器としては此方の方がより危険なものであると直感は囁いていた。

「いいなぁあ、お前。その顔、いいなぁあ。
 背も六尺近くあるし、肉付きもいい。いいなぁあ、俺は太れないからなぁあ。
 女にさぞかし持て囃されるだろうなぁあ。
 妬ましいなああ、妬ましいなああ。死んでくれねぇえかなぁあ。
 俺の可愛い妹を斬り刻んで虐めた落とし前を付けさせてやりてぇえなああ。
 お前、『化け物』なんだから寸刻みにした所で死なねぇだろう。
 なら、捕らえて差し出す前に斬り刻んでもいいよなぁあ? 
 それで死んじまったら、お前の責任だからなぁあ」

 肉を引き裂き血を滴らせる程強くその身を掻き毟りながら、そんな滅茶苦茶な事を言う。
 大事な妹を傷付けられた事が余程腹に据えかねているのだろう。
 その気持ちは分かるのだが、人間なんだから流石に寸刻みにされれば死ぬ。当たり前の事なのにどうしてそれが分からないのだろうか……。
 耐久力はある方だから早々簡単に細切れにはならないが、しかし本当にバラバラにされたら間違いなく死ぬ。
 夢の中で死んだとして本当に死ぬかどうかは分からないが。何にせよそんな事は願い下げだ。

「細切れにされるなんて願い下げだし、そもそもさっきもその妹にも言った事だが、俺はお前たちに捕まる気など毛頭無い」

「知るかよ。俺はなぁ、やられた分は必ず取り立てるぜ。
 死ぬ時グルグル巡らせろ、俺の名は妓夫太郎だからなああ」

 そう言うなり、ただの役職名でしかない筈のそれを己の名だと語った兄鬼──『妓夫太郎』は。
 目の前に居る自分に向かってその武器を振るうのではなく、屋根をぶち抜く勢いで一度に十数もの斬撃を足元に加える。その攻撃に耐えられる筈など無く、屋根は崩壊し足元が一気に崩れ落ちる。
 女鬼を屋根の上に残して、その場の全員が一気に二階の座敷へと落ちてしまった。
 そこには遊女と客が居て。突然の出来事に固まっていた彼等を宇髄さんが抱えて守り、そして自分は彼等をついでに虫ケラを潰す様な感じで襲った斬撃から守る。

「此処は危険です! 早く此処から離れて下さい! 
 炭治郎! 伊之助! 善逸! 
 この辺りの人達を少しでも遠くに逃がしてくれ! 早く!!」

 こうなってしまっては被害を出さずに事態を収める事は不可能だ。ならば少しでも人的被害を減らすよりほかに無い。それですら果たして何処まで可能なのかは未知数である。
 妓夫太郎の攻撃は今繰り出している鎌の攻撃だけでも凄まじい威力と広い攻撃範囲を誇り、そして周囲に被害を出す事に一切躊躇しない。何なら、この吉原中を破壊し尽くす様な攻撃だってやってしまうだろう。
 此処は彼等にとってはあくまでも餌場でしか無くて。その全てを放棄する事は多少は惜しいだろうが、それ以上の執着は無いだろうから。
 反対に此方はそんな被害を出させる訳にはいかないし、更に言えば可能な限り被害を留め、この夜に何があったのかを知る人の数は減らさなければならない。鬼殺はあくまでも世間の影で行われるべき事だからだ。
 それには様々な理由があるし、鬼の存在を大々的にしない方が良い理由も容易に想像が付く。
 この先の未来でこの国や世界に何が起きるのかを考えれば、ほぼ不老不死の『化け物』が存在しかつ増やす事が出来るなんて事を、世に知らしめる事を憚るべきである以上に国の中枢に関わる様な人たちの目から隠すべきだと分かってしまう。最悪、自分の知るこの先の戦争の悲惨な被害に更なる悲劇が上積みされかねない。
 そんな訳で、多少の被害が出るのは止む無しであるものの、可能な限り隠蔽に努める事も鬼殺隊の役目だ。
 まあ、その役目の大半は隠部隊の人達が担ってくれるのだが、剣士たちが必要以上に暴れ回ってはいけないのは確かである。
 そんな不利を抱えながら鬼と戦うのは本当に厳しい。それでもやるしか無い。

 炭治郎たちは素早く動き、善逸が宇髄さんが抱えていた一般人たちを受け取って勢い良く外へと飛び出す。
 炭治郎と伊之助は周囲の店の人々に避難を促し始めた様だ。炭治郎が「爆弾が!」と叫ぶ声が聞こえたので、そう言うカバーストーリーで避難させる事にしたのだろう。まあ実際、何も知らない人々を国家権力でも無いのに有無を言わせずに避難させるとなれば、使える「言い訳」は限られてくるのであるけれども。

 宇髄さんと二人で妓夫太郎と対峙するが、妓夫太郎の表情に焦りは無い。
 その目は油断なく此方を分析しているかの様であった。

「妬ましいなぁあ。お前ら本当に、いい男ってやつじゃねぇかよなぁあ。
 人間庇ってなぁあ。格好つけてなぁあ。いいなぁあ。
 あいつ等にとってお前らは命の恩人だよなぁあ。
 さぞや好かれて感謝されることだろうなぁあ」

「良いな良いな」と言うのならこんな事をするのは止めてそうすれば良いだけだろうとは思うが。
 妓夫太郎のそれは別に感謝されたいだとかの欲求ではなく、単に自分が持っていないものを欲しいかどうかは別として妬むもののそれである。
 そんな妓夫太郎に対し、宇髄さんはまるで煽る様な事を煽る為の声音で言い出した。

「まあな、俺は派手で華やかな色男だし当然だろ。女房も三人居るからな。しかも全員美人だ」

 良いだろう? とでも言いた気な宇髄さんのその言葉に妓夫太郎は苛立ちを募らせた様にその身を掻き毟る。
 此方を観察するその目が変わった訳では無いが、苛立ちは思考を単純化させる。こうやって苛立たせるのは有効な戦法であるのかもしれない。
 自分も何か煽った方が良いのだろうかと考えたのだが、正直他人を煽るのはあまり向いていないし、何を言えばこの状況で煽れるのかもあまり分からなかった。

 自慢出来る様なもの……。菜々子とかだろうか? 世界で一番可愛い事は間違いが無い従妹から全幅の信頼を置かれ「お兄ちゃん」と呼び慕って貰っている事は疑い様も無く自慢出来る事であるけれど。
 しかしこの世界に菜々子はいないのだ。存在しない従妹を自慢しだすのは、流石にちょっとどうかと思うのだ。傍から見れば完全に気が狂っている。
 他に何かあるだろうかと考えて、陽介という最高の『相棒』が居る事だとか、特捜隊の皆という何よりも大切な強い絆で結ばれた仲間達が居る事だとか、アメノサギリやイザナミを倒して混迷の霧を晴らした事だとか、マーガレットさんと一対一で戦って彼女に自分の答えや可能性を示せた事だとか、海の主を一日で三匹も釣った事だとか、狐と一緒に神社を立て直した事だとか、完二に教わって始めた手芸が結構そこそこ良い感じになってきた事とか、まあそんな事が思い浮かんだけれど。
 しかしそれを妓夫太郎に言ったとしてそれの素晴らしさが伝わるのかは微妙な所である。
 なので、妓夫太郎を煽るのは止めておいた。

「お前女房が三人もいるのかよ。
 ふざけるなよなぁ!! なぁぁぁ!! 許せねぇなぁぁ!!」

 宇髄さんの煽りに相当腹が立ったらしい妓夫太郎は、キレた様にそう叫ぶと。

 ──血鬼術 飛び血鎌

 手に持った鎌を振るって、剃刀の刃よりも薄い、血で出来た刃の様な斬撃を十数も飛ばして来る。
 高密度に飛ばされたそれを全て回避する事は難しく、直撃しそうなそれを見極めつつ斬り砕くも、壊す事無く回避した血の斬撃は座敷の壁を障子紙か何かの様に容易く斬り裂いて家屋を破壊した。
 極め付けは避けたと思ったそれが軌道を変えて再び凄まじい速さで迫って来る。どうやら厄介な事にホーミング機能も付随した血鬼術である様だ。一々叩き壊さなければ段々追い詰められていくと言う事になる。
 宇髄さんと二人で手分けして追って来た刃を叩き壊すが、次から次に血の刃は飛んで来るのでキリが無い。
 更には、砕いた際に飛び散った破片にも何だか嫌な感じがしたのが気に掛かる。
 もしや、この血には何か凶悪な効果が付随しているのだろうか。
 あの上弦の弐の鬼の操る血鬼術の氷の様に、飛び散ったそれを吸い込むだけでも危険な事になる可能性もある。

「宇髄さん、ヤツの血に気を付けて下さい。嫌な予感がします。
 上弦の弐の氷みたいに、吸い込んだりすると危険な血なのかもしれません」

「そりゃあまた面倒な事になりそうだな」

 直感を信じてくれたのか、宇髄さんは嫌そうな顔をする。
 砕かないとどうしようもないのに砕くだけでも危険な血で出来たホーミング機能付きの刃なんて、凶悪過ぎる。
 しかもその斬撃を生み出す数に上限は無いのか、妓夫太郎は凄まじい速さで鎌を振るっては数百もの刃で斬り刻もうとしてくる。剃刀よりも薄い刃なのに、集まり過ぎてて最早「面」と言った方が良い様な攻撃だ。
 血の壁と化した斬撃によって、妓夫太郎の姿を一時的に見失ってしまうのも厄介である。
 そんな飛び道具を乱打されては、中々接近する事も難しい。
 日輪刀で首を刎ねる為にはどうしたって接近しなくてはならないのに。

「宇髄さん、ちょっと息止めててください。一気に吹き飛ばしますから」

 家屋を破壊してしまう事は申し訳無いが、もう此処まで壊れてしまってはこれ以上ちょっとやそっと壊れても変わらないだろうと思う事にして、血の刃を一掃するべく『ガルダイン』による暴風の刃で一つ残らず吹き飛ばす。周りに被害が極力出ない様にと加減はしたのだけれども突如室内に吹き荒れた暴風によって家屋の破壊が進み、風の刃が斬り刻んでしまった屋根を大きく削った上に二階部分に在った襖や窓が全て吹き飛んでしまった。豪勢な襖が見るも無残な姿になっているのを見ると、申し訳無くなってしまう。仕方が無いとして割り切るしか無いのだけれど。

 暴風の刃が薙ぎ払ったそこに、妓夫太郎の姿は見えない。
 何処に行ったのかなどと考えるまでも無い。妹の居る屋根の上だ。
 宇髄さんも即座にそれに思い至った様で、二人で屋根に空いた大穴から上に飛び上がると。
 妓夫太郎と、その肩に抱き着く様にして此方を睨んで来る随分と様子の変わった妹鬼の姿があった。
 妹鬼は此方を見ると少し怯えた様にその身を震わせたが、しかし妓夫太郎が「大丈夫だ」とばかりに肩に置かれたその手を撫でてやると恐怖を乗り越えた様な顔付きになる。

「大丈夫だからなぁあ、兄ちゃんが一緒に戦って勝てなかった事なんて一度も無かっただろ。
 柱が何人来ようが、『化け物』が相手だろうが、俺達は二人なら最強だからなぁあ。
 俺達は二人で一つだからなぁあ。ほぅら、もう何も怖くないだろう」

 妓夫太郎の言葉に妹鬼は頷いて、此方を精一杯に睨みつけて来た。
 その額には、何故か三つ目の瞳が現れており、そして妓夫太郎の左眼は喪われたかの様に閉じられている。
 己の眼を妹に与えたのか? でも、一体何故。
 その理由は分からないが、妹鬼の気配が妓夫太郎のものに近くなったのを感じた。
 この状態が、この二人にとって最高のパフォーマンスを発揮出来る状態なのだろう。

「全く、お前らは今まで殺してきた柱の連中よりもずぅっと厄介だなぁあ。
 生まれた時から特別で、選ばれた才能を持っているんだろうなぁあ。
 妬ましいなぁあ、一刻も早く死んでもらいたいなぁあ」

 その言葉が心の何かの琴線に触れたのか、宇髄さんは妓夫太郎の言葉を鼻で笑い飛ばす。
 自分程度に才能がある様に見えるんだったら、よっぽど狭い世界で生きて来た幸せな人生だったのだろう、と。
 そう己を卑下する様に宇髄さんは言う。
 助ける事が出来なかった命を振り返っては己の無力を噛み締める事しか出来なかったのだと、そうその声は訴えていた。そんな程度の存在を、選ばれているだの才能があるだのと、片腹痛い、と。

 宇髄さんが何を抱えているのかまでは知らないが。しかしその手から零れ落ちてしまった沢山のものの事を忘れる事が出来ない優しい人なのだという事は分かる。
 でもきっと、宇髄さんの手が助けてきたものも沢山ある筈だ。
 ならば、胸を張らなければならない。助ける事が出来た人達の為にも。
 そう煉獄さんが自分に言ってくれた様に。
 人は喪ってしまったモノばかりを考えてしまいがちだけれども、自分の手が成し得た事をきちんと受け止めていく事もまた必要なのだから。
 しかし、それは今言うべき事でも無いだろう。

「俺は、自分が特別だとか何かに選ばれただとか思った事は一度も無い。
 自分が成すべき事を、出来る限りの事を、してきただけだ」

 人々の望みを量る為の盤上の駒としてイザナミに選ばれたが、別にそれは自分でなければならなかったと言う訳では無いだろう。偶然、そのタイミングで其処に居たのが自分だったと言うだけでしかない。
 そこにワイルドの力まであった事に関しては予想外だったそうだが、まあきっとワイルドの力だって探せば色んな所に居るものだろう。
 ほんの少し条件が違えば、自分が果たした役割に収まっていたのは足立さんだったのかもしれないし、或いは生田目であったのかもしれない。……足立さんに関して言えば、あの始まりの季節の時点で相当自暴自棄になっていたから難しいかもしれないが。しかし彼だって、何か自分の心の虚ろを満たす「目的」さえあれば、もっと別の道があったのではないかと思うのだ。
 だからこそ自分は、自分が特別なのではなくて、誰もが出来る役割に偶々居合わせたのが自分だったと言うだけなのだと思う事にしている。その先に真実を追い求める事を決めたのは間違いなく自分自身の意志であったが、イザナミが意図した演者の割り当てと言う意味では、きっと「誰でも良かった」のだ。そう思う方が、救いがある。

「ハッ、『化け物』のクセに随分とお綺麗事を言うのが好きなんだなぁあ。
 綺麗な世界しか知らねぇって言わんばかりのその顔、反吐が出るなぁあ。
 この世には神も仏も居やしねぇが、もし居るとしても、お前みたいな『化け物』には全部与えるくせに、何も与えなかった奴からは取り立てやがるクソみてぇな存在なんだろうなぁあ」

 ハッキリと、この上無い程の嫌悪に満ちた表情と共に妓夫太郎は吐き捨てる様に言って、苛立ちの余りにその身を再び搔き毟る。

「才能が無いだなんて事を言うが、じゃあお前らがまだ死んでない理由は何だ? 
 俺の『血鎌』には触れても吸っても死ぬ様な猛毒が含まれているのに、何時まで経ってもお前らは死なねぇじゃねぇかオイ、なあああ!!」

 苛立ち紛れに飛ばしてきた血の刃を、全て『マハブフダイン』で細かく砕きつつ氷漬けにして血の断片が飛散しない様にした。
 それを見た妓夫太郎が「『化け物』め」と零す。……鬼の間では自分は『化け物』と言う認識で固定されているのだろうか……。気にする程の事でも無いが、この先も鬼と戦う度に『化け物』と連呼されるのかと思うとあまり良い気はしない。

「嫌な予感がしたから最初から触れない様にしていた。
 それに悪いけど、今の俺に毒は通用しない」

 今は毒を完全に無効化出来るペルソナを使っているから、毒は効かない。ついでに物理攻撃は反射する。
 ペルソナを自在に切り替えて戦うのはワイルドの基本ではあるが、相手取るとなると「反則」と言っても良い力だ。マーガレットさんと戦った時に、この世の「理不尽」を味わい尽くしたので相手の気持ちもよく分かる。
 そう言う意味では、『化け物』呼ばわりもむべなるかなと言った所か。物理無効でも大概理不尽だと思うのに、反射だの吸収だのなどされた日には、『化け物』と罵りたくなっても仕方無い事なのかもしれない。

「俺は忍の家系だからな。元々毒には耐性があるし、コイツのお陰でまだ掠っても吸っても無いんだ」

 残念だったなぁ、と。煽る様に嗤いながら宇髄さんが言ったその言葉に、妓夫太郎は額に青筋を浮かべる様にして素早く腕を何度も振るって刃を飛ばしてくるが、その速度を既に見切っていた宇髄さんは躊躇う事無くそこに身を突っ込ませる。「援護は任せた」と、そんな宇髄さんからの無言の信頼を感じて、頷きながら血の刃を全て叩き落す様にして氷漬けにした。
 屋根の上は忽ち様々な場所が凍り付くが、宇髄さんは的確に足場を確保しつつ蹴りながら加速する様にして突っ込む。
 鎖で繋がれた双刀を的確に操って、小さな黒い球の様なものを撒くと同時に刀を幾度も素早く振り抜いた。
 妹鬼による幾重にも重なった帯の瀑布の如き攻撃と妓夫太郎の血の刃の猛攻が襲い掛かるが、宇髄さんの攻撃によって帯は成す術も無く斬り裂かれてゆき、妓夫太郎の攻撃は全て宇髄さんに届く前に凍り付いてゆく。
 氷によって足元を貫かれた妹鬼は咄嗟に伸ばした帯が黒い球に触れた瞬間に爆裂した様に引き千切られ、その隙を逃す事無く宇髄さんに首を斬られる。
 そして、そのまま宇髄さんは妓夫太郎の首を狙うが、妓夫太郎は凄まじい反応速度でそれに対応し、両腕に血の刃を纏わり付かせて宇髄さんを弾き飛ばした。
 宇髄さんは斬られる直前に防御した為、妓夫太郎の腕の力で吹き飛ばされる様に大きく後退しただけで済んだが、遠距離攻撃も得意な相手に距離を空けてしまえば一方的に嬲られるばかりである為、その状況に舌打ちをする。
 だが、宇髄さんを弾き飛ばした状態の妓夫太郎も僅かに体勢を崩している。
 その為、血の刃を気にせずに一気に相手の懐に飛び込んで、全力で斬り上げてその顎を叩き斬った。
 本当は頭部を矢状断にするつもりだった一撃は、直感か何かを感じ取った妓夫太郎の咄嗟の回避で避けられてしまったが、ゼロ距離まで接近出来たのは好都合だ。
 一気に距離を詰められた事に焦った妓夫太郎は腕に纏わり付かせた血の刃で振り払おうとするが。目の前の存在を無残に斬り刻む筈だったその刃が触れた瞬間に、逆に自分の腕が斬り刻まれて弾け飛んだ事に、妓夫太郎は反射的に動きを止める程に驚愕する。
『化け物』め、とそう呻いた妓夫太郎の頸を掴んで、力任せに押し倒す。
 そして、その四肢を凍り付かせてその場に固定した。
 妓夫太郎は凄まじい膂力で抵抗し、血の刃を何度も発生させてその拘束を逃れようとするが、それをこちらも馬乗りになる様にして全力で押さえ付ける。暴れ回る妓夫太郎のその力の所為で、屋根に罅が走り始め崩壊が間近に迫り始めた。
 付近の人達は無事に避難出来ただろうか。そんな事も頭を過るが、しかしそれを気にし続ける余裕は無い。
 とにかく、今は動きを止めなければ。

「宇髄さん! お願いします!!」

 宇髄さんは分かったと答える事も無く、余りにも素早く静かな足運びで接近していた。
 それにギリギリになって気付いたのか、妓夫太郎の目が驚愕によって見開かれる。
 宇髄さんに頸を斬って貰う為に、頸を押さえ付けていた手を離して、その空いた手で暴れる四肢を拘束する為に全力で抑え込む。
 宇髄さんの振り被った双刀によってその頸が斬られるその直前に。


「── 血鬼術 黒縄畏熟こくじょういじゅく!!」


 全てが、毒の血の沼に沈んだ。






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