このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

第四章 【月蝕の刃】

◆◆◆◆◆






 音柱の宇髄さんから協力を要請された任務の内容は、鬼が潜む可能性がある吉原遊郭への潜入捜査だった。
 前から遊郭に目を付けて捜査していたそうなのだが、客として出入りしているだけでは元忍として優秀な情報収集能力のある宇髄さんですら全く手掛りが掴めず、その為潜入捜査員として怪しいと目星を付けていた場所に信頼出来る人を送り込んでいたのだが、三人いた潜入捜査員の全員と連絡が取れなくなった様だ。
 驚く事にどうやらこの潜入捜査員は三人とも宇髄さんのお嫁さんであり、元は優秀なくノ一であったそうなのでそんじょそこらの女性とは違い荒事にも慣れている筈なのに、突然連絡が取れなくなってしまったらしい。
 ……大正時代の日本って、重婚とか認められてたっけ? とか、まあ当人同士が了承しているなら良いのかな……? などと、宇髄さんの説明を受けている最中に何処で突っ込むべきなのかと思いはしたが。
 宇髄さんが三人のお嫁さんを全員等しく何よりも大事にしているのは、痛い程によく伝わって来た。
 自分にとっての菜々子以上に大切なのかもしれない。命の優先順位が明らかに宇髄さん自身より上だ。
 それ程までに大切にしている相手を、その技量を信じているからとは言えども鬼が潜んでいる事は分かっている場所に送り込むのは、尋常では無い何かの事情があるのだろうか? それに関しては自分には分からないが。
 遊郭で様々な人が消えているのは間違いが無いらしいが、肝心の鬼の痕跡は全くと言って良い程に掴めていなくて。その巧妙な隠蔽具合から察するに、かなりの知性がある強い鬼である事には間違いが無く、そして上弦の鬼である可能性が高いと言うのが宇髄さんの見立てである。
 上弦の鬼が潜む可能性のある場所で大事な人が消息を絶っただなんて、気が気では無いだろう。
 お嫁さんたちは危険を承知で潜入してくれたそうだが、だからと言って実際に命の危機に晒されている可能性が高いとなると気が気では無いと思う。
 情報収集のプロが手を尽くしても足取りを掴めていない現状で情報収集に関して自分が出来る事は果たしてあるのだろうかとも思うが、宇髄さんとしては「生きてさえいれば」どんな状態からでも回復させる事が出来る力を見込んでの頼みであるらしい。一応、何かしらの形で遊郭に潜入する事にはなるそうだが、主な役割としては見付けたそのお嫁さんたちの身の安全を確保する事であり、情報収集は無理の無い範囲でやってくれとの事だった。
 鬼との戦闘になる可能性もあるが、上弦の弐を相手にしても勝てるのならば、それよりも強い上弦の壱が相手でも無い限りは単独行動中に出くわしても直ぐ様に死にはしないだろう、と言う打算もある様だ。信頼して頂けている様で何よりである。
 お嫁さんたちを初めとする消息を絶った人たちが生きているのかどうかと言う点に関しては、恐らく直ぐ様に喰い殺している訳では無いだろうと言うのが宇髄さんの考えだった。多少願望が混じった希望的観測に近いものはあるのかもしれないが、鬼の襲撃によって姿を消しただろう人数とその時期を鑑みるに、何らかの手段を以て何処かに「保存」している可能性の方が高いそうだ。その辺りに関しては、長年鬼殺に励んで来た者の経験を前提とする「勘」の様なものなのだろう。
 何にせよ、鬼に襲われても生きている人が何処かで助けを待っているならば、それが宇髄さんのお嫁さんであろうとなかろうと助けに行かねばならないし、『万世極楽教』で信者を貪っていたあの上弦の弐の様に遊郭と言う陰の深い場所に身を潜め、そこで懸命に生きる人々を摘まむ様に喰う鬼はその存在を赦してはならない。
 自分のやる事と言うのは、何時もと何も変わらないのだ。

 遊郭までの道中にある「藤の花の家」に一旦身を寄せた後、必要な人員を調達してくるから此処で待っておけと、自分を一人「藤の花の家」に残して宇髄さんは何処かに向かってしまった。流石は元忍と言うべきか、速い。
 必要な人員とは一体何なのかと言うよりも、お嫁さんたちの危機に焦っているので何か強引な方法を取らなければ良いのだけれど……と心配になる。
 とは言え、宇髄さんが一体何処に行ったのかは分からないので追い掛ける事も難しく、仕方が無いので「藤の花の家」で大人しく宇髄さんを待つ事にした。お世話になりっぱなしと言うのは気が引けるので「藤の花の家」で、自分が出来る範囲でお手伝いしながら待っていると。
 翌日、宇髄さんは何故か炭治郎たち三人を連れて「藤の花の家」に帰って来た。


「炭治郎!? 一体どうしたんだ」

「悠さん! 実はそれが……」

 まさか、宇髄さんが言っていた必要な人員とは炭治郎たちなのだろうか? 
 まあ確かに、炭治郎たちは極めて優れた感覚の持ち主なので、正直な所調査すると言う点に関しては自分の何百倍も戦力にはなるのだけれども。
 驚いて何があったのかを訊ねると、炭治郎たちが恐ろしい事情を教えてくれる。

「…………蝶屋敷のみんなを、無理矢理攫って任務に連れて行こうとした……?」

 しかもそもそも隊員ではない筈のなほちゃんを攫い、更には隊士ではあるが最終選別でトラウマを負った事で任務には行けなくなっているアオイまで上官として無理矢理攫おうとしたと言う。
 偶々しのぶさんが不在中の出来事であり、その場に居合わせたカナヲでは柱である宇髄さんを止め切る事も出来なかった。
 そんな窮地に現れたのが炭治郎たちであり、そう言った経緯でアオイたちの身代わりとして三人は任務に加わる事になったそうだ。炭治郎たちには感謝してもし切れない。
 炭治郎から経緯を聞いて、流石に宇髄さんに向ける視線が自分でも意図していない程までに冷たいものになる。
 上弦の鬼が潜む可能性がある危険な場所に隊士でも無い女の子や隊士としては経験が皆無の者を連れて行こうだなんて何を考えているんだと言うのは当然として、何よりも蝶屋敷の皆をそんな恐ろしい目に遭わせかけたと言う点で、腹の底が強い怒りで冷え切った様にすら感じる。
 お嫁さんたちの安否が心配で仕方なく一刻も早く動きたいのは分かるのだが、だからこそ慎重に動くべきなのでは無いだろうか。
 女性の隊士が必要だと言うのであれば柱の権限で任務として召集すれば良いだけの事なのだし、どう見ても女の子には見えない炭治郎たち三人で妥協出来るのであればそもそも蝶屋敷の皆を攫う必要なんて無い。
 自分が見ている目の前でそれをやられていたら、例え相手が柱だろうとその事情が何だろうと、問答無用で殴り飛ばしていただろう。運が良いのか悪いのか。

「いや、まあ……。時間が無くて焦っていたとは言え、流石に悪い事をしたとは思っている。
 だが、遊郭の内側に潜り込む為には、『女』が必要だったからな。
 直ぐに連れて来られる『女』が確実に居る、ってので蝶屋敷が一番近かったんだ」

 宇髄さんは頬を搔きながらそう言った。
 ……。まあ、未遂に終わった事なのだし、そこに何時までも拘泥する様な時間が無いのは確かである。
 取り敢えず今は、任務の方を優先させなければならない。
 ……しかし、『女』が必要だという事情は分かったが。

「今ここには女性なんて一人も居ませんが?」

 そう、炭治郎が言う通り。今ここに集っているのは全員が全員『男』である。
 何処からどう見ても、ここに女性は居ない。
 それでどうやって遊郭の内部に潜入するのだろう。
 まあ、「若い衆」など、遊郭で働く男性は居るには居るが。此処に居る全員をそこに潜入させるのは些か難しいのでは無いだろうか。

「まあ、こっちも考えがある。ただし言っておくが、自分でやるって決めたんだ。お前らに拒否権は一切無い」

 何となく嫌な予感がする……。そしてその嫌な予感を裏付ける様に、「藤の花の家」の人達が持ってきたのは、女性ものの着物で。そして化粧道具も一式揃っている。
 そう、つまりはあれだ。「女装」しろ、と言う事の様だ。
 潜入中は自分で化粧するしか無いのだから各々思う様に化粧して女を装えと、宇髄さんは炭治郎たちを別室に放り込む。
 一応、自分は「女装」を免除されている様だ。

「……あの、俺は良いんですか?」

 いや、お前もやれと言われても正直困るのだが。しかし、炭治郎たちが覚悟を決めているのに自分だけそれを免れると言うのも少しばかり居心地が悪いのである。

「あー……。素材って面で言えば美女に化けても問題は無いが、流石にその体格は誤魔化しが効かないからな。
 下手に色物として放り込む位なら、最初から若い衆に放り込む方が話が早いだろ」

 成る程、確かにこの時代の男性の平均身長よりも遥かに高い180センチ近い身長だと、幾ら何でも女性と言い張るのは難しいだろう。色んな意味で思い出深いミスコン(?)の記憶に引っ張られたが、本気で潜入するなら無理がある体格であった。身長はどう頑張っても縮められない。
 炭治郎たちは炭治郎たちで女性と言い張るには身長があるし、何より鍛えているので物凄くガッチリした体格なのだが、そこは服とかで誤魔化すそうだ。

 しかし、当然の事ながら化粧をした様な経験など無いだろう炭治郎たちは大丈夫なのだろうか……? 
 ちょっと心配になったので隣の部屋で化粧している真っ最中であるのだろう三人の様子を見に行くと。
 ……まあ、酷い有様になっていた。
 何と言うのか、酷い。本当に酷い。ミスコン(?)で女装した完二の方がちょっとはマシだった気がする位酷い。
 三人とも、それなりな化粧をすれば、女の子をそれなりに装えるだけの容姿はあると思うのだが。
 何でそうなってしまったのかとちょっとその過程を観察したくなる位に、酷い有様になっていた。
 女の子とか以前の問題だと思う。一応、遊郭に潜入するのであれば、もう少しどうにかしないと不味いのでは無いだろうか……。
 もうちょっとどうにか出来ないだろうかと、用意されている化粧品や道具の類を確認した。
 確か、現代に通じる化粧品の類が国産のものとして生まれたのは大正時代の中頃から末期の事。それまではそう言った洋式のものは海外からの輸入品のみであり物凄く高価だったらしいとは聞いた事がある。
 その為用意された物の中には下地用のクリームやらリップスティックなどと言った物は無い。
 用意された白粉の中には昔ながらの恐らくは鉛白を使っている白色の他に、現代のものにも近い肌色のもの(この大正時代では「肉色」と呼ぶらしい)もある。
 遊郭に潜入する事を考えるならそこで主流であるのだろう白物の白粉の方が良いのかもしれないが、確か大正時代ではまだ白粉から鉛白が完全に排除されていない事を考えると白色を使うのはちょっと憚られる。
 長期の潜入は想定されていないし、そもそも客を取る事は一切想定されていないので、花魁などと言った人たちの化粧を熱心に真似る必要も無いだろう。
 改めて炭治郎たちを観察すると、とにかく白粉を濃く塗りたくり過ぎである、酷い。
 頬紅や口紅も付け過ぎている為ちょっともうそう言う妖怪か何かかと思う様な有様であるし、眉を大きく作り過ぎである。他にも色々と酷い。
 別に化粧に詳しい訳では無いが、ミスコンの時にりせや雪子に触りだけでも教えて貰ったし、直斗からは探偵的な変装の仕方の一環として教わった事はある。まあ……あまり手を加えずに素材の持ち味を活かすと言う方向性でなら、何とか出来なくは無いだろう。

「炭治郎、ちょっと良いか?」

 何の疑問も無く近付いてくる炭治郎の顔を直視するのが本当に辛い。
 その化粧では流石に色々無理があるから……と、一旦化粧を落とさせた。
 さっきと比べれば、やはり化粧しない方がマシだと思う。とは言え何もしないのは流石に無理があるので、本当に薄く、男らしい部分を的確に誤魔化せる様な化粧を乗せるやり方を教える。
 額にある大きな傷は無理に白粉で隠そうとするのでは無く前髪を降ろしてそれで誤魔化せる程度の薄い化粧に留め、どう考えてもやり過ぎだった頬紅もちょっと血色がよく見える程度のそれに抑える。
 口紅も、唇の輪郭自体がおかしく見える様な量では無く、ほんの少し点す程度で。
 目元の辺りを少し整えて、前髪を降ろしたついでに何時ものそれとは少し変えてみた髪型に、申し訳程度にリボンを付ける。
 やり方を炭治郎に教えながら化粧を終えると、着物で体格を誤魔化せばちゃんと女の子に見える程度にはどうにか収められる様になっていた。
 付け髪の類があればもっと色々出来たかもしれないが、まあ最初の化粧に比べれば随分とマシである。
 少なくとも、炭治郎本来の良さが壊滅する様な状態では無い。
 次いで、伊之助の方へと取り掛かった。とは言え、伊之助の場合下手に化粧で手を加える方が崩れてしまうし、そもそも伊之助自身が化粧の類をあまり分かっていないので、白粉を叩くだのと言った事を教えるよりは、ほぼ素の状態で口紅だけ僅かに付けておく方が無難であった。手が掛からないと言えば、間違いなくそうである。
 化粧を落とした方が確実に良くなっているのを見て、思わず苦笑いしてしまった。
 そして最後に善逸の化粧に取り掛かる。が、これが中々に難航する事になる。誤魔化す事は出来るのだが、どうにも中々しっくり来る様にはならないのだ。取り敢えず塗り過ぎの白粉と付け過ぎの頬紅と口紅を止めさせたら格段にマシにはなったが。色々と試行錯誤して、どうにか善逸に良い感じの顔立ちの化粧が出来た辺りで宇髄さんが部屋に入って来た。

「どんな風に仕上がるのかと思っていたら、まあ随分とマシな感じになっているじゃねぇか。
 まあ下働きとして送り込むつもりだったから見た目は正直どうでも良かったんだけどな。
 じゃあ準備も出来た事だし、行くか」

 あの酷い有様を見ても宇髄さんはそう言えるのだろうか……? と、少しそうは思ったけれど。
 時間が無い事は確かなので、何も言わずにそのまま五人で遊郭へと向かうのであった。






◆◆◆◆◆






「ときと屋」には炭治郎が、「荻本屋」には伊之助が、「京極屋」には善逸が其々引き取られて行って、どうにか三人とも無事に目標となる店に潜入する事に成功した。
 善逸は最後まで自分が売れ残った事をどうやら気にしている様だったから、少し励ましておいた。結果としてタダ同然で「京極屋」に置いて行かれた際には、物凄い目で宇髄さんを見ていたが……まあ、うん。
 その後、宇髄さんから若い衆の一人として「京極屋」に紹介された事で自分も無事に潜入する事が出来た。
 三人のお嫁さんの中で一番最初に宇髄さんと連絡が付かなくなったのは「ときと屋」に居た須磨さんらしいのだが、宇髄さんは雛鶴さんとの連絡が取れなくなった「京極屋」の方により何かがあると睨んでいるのだろうか。
 そこは分からないが、自分に出来るのは先ずは雛鶴さんの行方を追う事である。
 とにかく出来るだけ情報を集めなくては。
 ただ、問題は中々宇髄さんや炭治郎たちと連絡を取るのが難しいという事である。
 同じ場所に居る善逸とは比較的話し易いが、それでも人目があるのであまり長々とは話せない。
 夜も人目が多い事もあって、鎹鴉たちは街の周囲を探ってくれてはいるものの、あまり大っぴらに姿を見せて伝達事項を伝える事は難しく。連絡は専ら昼の間にこっそりとやるか、或いは宇髄さんが使っている忍獣と言う特別な訓練を受けた鼠(その名も「ムキムキねずみ」)を使って行う。ちなみに鼠たちは刀も預かっていてくれている。お礼に今度何かおやつをあげよう。
 宇髄さんのお嫁さんたちとの連絡が付かなくなり始めて、もうそろそろ一週間。
 一週間も飲まず食わずだと命が危ないだろう。どういう状態なのかは分からないが、急いだ方が良いのは確実だ。

 遊郭に潜入した翌日の昼。「京極屋」に務める若い衆や禿たちと打ち解けて話を聞き出すに、どうやらこの店に今居る花魁で最も権勢があるのは『蕨姫』と言う花魁であるそうだ。性格はかなりキツイ……と言うか性悪に近く、禿などに手を出す事も多く怪我をさせられた者達は数多い。それでもそんな態度が赦されてしまう程、『蕨姫』のその容姿は美しく、そしてこの「京極屋」を盛り立てている花魁なのだそうだ。……しかしその周囲には、余りにも「死」が満ちている。
 気に入らない者を苛烈なまでの暴挙で虐め殺す事も多く、それ以外にも彼女に関係した者には不審な「死」が多発する。最近ではこの「京極屋」の女将さんも不審な転落死を遂げた。……噂では、『蕨姫』のその行いに頭を悩ませていた為そろそろ何かしらの注意を促そうとしていると言われていた矢先の事であったそうだ。
 更に『蕨姫』は美に強い拘りがあるらしく、「醜い」と断じた者の価値は一切認めないし、逆に「美しい」・「綺麗」と判断したものには強く執着する。
 ……宇髄さんの事前の調査によると、不審な経緯で姿を消した者の多くは、若く美しい女性であったそうだ。男も居るには居たが、それも美男と言うべき者ばかりが消えているらしい。
 そして彼女が普段過ごしているのは、日が当たる事の無い北側の部屋だ。
 話を聞くだけでも『蕨姫』はかなり怪しいと言えるが……しかし、彼女は基本的に「京極屋」から出ない。
 何処かに出掛けたとしても常にその傍には人の目がある。だが、鬼の仕業と思われる状況で人が消えるのは「京極屋」に限った話では無くこの吉原全域に及ぶ話だ。
 夜の街は鬼にとって大手を振って歩ける格好の環境ではあるが、その反面狩りの現場を見られやすいと言う側面もある。それでも、誰にもその明確な痕跡を掴ませずにいる事自体が危険な鬼である事を示す。
 恐らくは、何らかの方法で遠く離れた場所を襲う手段を持っているのだろう。
 上弦の弐を回収した時のあの不可思議な空間の様に何か空間を操る血鬼術であるのかもしれないし、或いは予めマーキングしておいた者を操る事が出来るのかもしれない。若しくは、何らかの通路の様なものがこの吉原中に張り巡らされていて、そこを介して人を襲っているのか……。
 ただ、『蕨姫』は姿を消した宇髄さんのお嫁さんの一人である「ときと屋」に潜入していた須磨さんとは全く直接的には関りが無かったらしいので、マーキングした相手を操るのはちょっと違うかもしれない。
 空間を操る場合にしても、全く知らぬ相手を遠隔で引き摺り込める事など、果たして何でもありな血鬼術だとしても可能なのだろうか? まあ、警戒しておくに越した事は無いが……。
 だが、もし異空間を持っているタイプの鬼である場合、消息を絶った人たちはその異空間に閉じ込められている可能性があるのでは無いだろうか。……そうなると被害者の救出の為には先ずその異空間に乗り込まなければならないが……。
 まあ、今はまだ情報が足りないので決断するには時期尚早である。少しでも多くの情報を集めなければ。
 そして、「京極屋」に潜入していた雛鶴さんに関して有力な情報を入手する事が出来た。
 どうやら彼女は病に倒れ、「切見世」と言う……言い方は悪いが見捨てられた者達が送られる場所へと放逐されたらしい。それを偶々見ていた禿の子が教えてくれた。その子は具体的にどの辺りに送られたのかまでは知らなかったが、そこに居るのであれば話は早い。居なかったとしても、何か手掛かりは残されているかもしれない。
 その為、天井裏に潜んでくれていた鼠たちに「切見世」の方に向かう事を宇髄さんに伝える為のメモを託し、夜の仕事に向けて休息を取る人たちの邪魔にはならぬ様に気を付けながら、その「切見世」があると言う一画に向かう事にする。
 更には偶々近くを通りかかったついでの雑談と言う体で、善逸へと自分が知り得た情報を手短にだが説明した。
 雛鶴さんの行方の手掛かりを得たので今から探しに行く事、『蕨姫』と言う花魁は鬼である可能性が高い為極力関わらない様にするか関わってしまった場合には身体捌きなどで鬼殺隊だと悟られぬ様に注意して欲しい事、鬼は何らかの方法で離れた場所を襲撃する手段を持っているので身の回りに異変が無いか警戒しておいて欲しい事を、万が一『蕨姫』が何処かで聞いていてもバレない様に指文字や暗喩などを駆使して伝える。
 自分が危険な鬼のその手の上に居る事を理解したのか、善逸のその表情はかなり怯えたものになったが、ここで下手に動く方が危険である事は分かっているのか了解したと頷く。
 具体的にどう動くのかは宇髄さんの指示に従った方が良いのでそれを待つ事にはなるが、鬼の活動が制限されるこの昼間の内に善逸は炭治郎や伊之助とも情報を共有してくれるだろう。

 とにかく、気を抜く訳にはいかないし、下手に相手を刺激する事も以ての外だ。
 何せ、ここはあの『万世極楽教』以上に様々な人が犇めき合っている場所なのだ。こんな所で下手に戦闘になれば、その被害の大きさは想像するだけで気分が悪くなる。
 鬼殺隊側は人を犠牲にする訳にはいかない立ち回りを要求されるのに鬼が人の事を慮る事など無く、寧ろその人の盾を嬉々として活用して甚振って来るだろう。
 自分も、どうにか郊外に叩き出すなりして人々から鬼を引き離す事が出来れば話は別だが、こんな街中では使っても良い力は酷く制限される。そして、上弦の鬼を確実に殺す為の力の悉くが、こんな場所で使う訳にはいかない力である。物凄く抑えて使ったとしても、文字通りこの吉原を更地にする前提になってしまうだろう。そんな事は当然やってはいけない。例え幸運な事に吉原中の人々を何処かに避難させる事に成功したとしても、街を更地にしてしまえば此処で生きている人々の明日からの生活が成り立たなくなってしまう。
 花街と言う存在に対しては色々と複雑なものを個人的に感じはするけれど、だからってそこを消し飛ばして良い訳では無いのだ。
 万象を破壊し消し飛ばす様な力だけでは無く、木造建築物が所狭しと犇めき合うこんな場所で火を発生させる力を使う事も難しいし、同じ理由で雷を落とすのも不味いだろう。大火災になってしまうと最悪鬼による被害を超える被害が出てしまう。
 自力での決定打に欠ける、と言うかなり不味い状況である。
 当然宇髄さんや炭治郎たちが共に戦ってくれるので、彼等をサポートすれば良いと言う話ではあるのだが、それも簡単な話でも無い。
 鬼の猛攻から如何に罪無き人々を守り通すかと言う問題も当然発生するからだ。
 予め避難誘導などをする事も、鬼を刺激する事に繋がるので難しいのも問題である。
 最悪の場合、多数の一般人の中でそんな事を意に介さず暴れ回る鬼と対峙する必要すら出て来るだろう。
 そんな事になれば、使える力は益々限られてしまう。
 また、『化け物』が暴れ回っているとなればパニックになった一般人が何をするか分かったものではないし、パニックになって滅茶苦茶な事をされるよりはマシであろうが、突然の非日常の襲撃に固まって動けなくなってしまう人も出てくるだろう事を考えると本当に不味い。

 考えれば考える程、本当に不味い状況である事を改めて確認する。
 だがそれでもやるしか無いのだ。鬼が改心してこの場を去る様な事など有り得ない以上、此処で戦わないと言う選択肢は存在しないのだから。

 とにかく今は雛鶴さんの安否の確認が重要である。
 どうか無事である様にと祈りながら、「切見世」へと駆け出した。






◆◆◆◆◆
3/13ページ
スキ