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第一章  【夢現の間にて】

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 ゆっくりと水面へ浮かび上がる様に、意識は静かに覚醒した。
 ゆるゆると開いた目に飛び込んで来るのは、見知らぬ和風の天井で。
 此処は一体何処だろう、と。身を起こして周囲に目を向けると、どうやら見知らぬ和室で寝ていた様だ。
 障子窓から柔らかく陽光が射し込み、畳に敷かれた布団は温もりに溢れている。
 頭上を見上げても照明の類は見当たらず、そして布団から身を起こした状態で軽く見渡してみてもコンセントなどの類は無い。随分と歴史を感じさせる和室であった。
 明らかに堂島家の自室では無い光景に、此処はまだ『夢』の中であるのだろうか、と冷静に考える。
 そして、こうして目覚める前、「眠り」に落ちる直前の事を状況の整理がてら思い出す。
 よく分からない内に謎の森の中に居て、そして「化け物」に襲われていた人たちを助けて……。その後の記憶は無い。ただ、意識を喪う直前に感じていた耐え難い疲労や睡魔は今は綺麗さっぱりと消えている。
 ……あの極度の疲労感は、やはりペルソナを使ったからなのだろうか。
 心の海の世界で激しい戦いをした後は、『現実』の世界に帰って来ると激しい疲労感に苛まれる。本来ならば物質的な存在である人間が心の海と言うある種精神的な世界に滞在する事自体の負担や、そこで己の心の力その物とも言えるペルソナを使って戦う事の負担が原因だ。とは言え、どれ程の激戦を制しても、何も出来ない儘に昏倒する程に極度に疲労すると言う経験は無かった為、それが今の状況の異質さを物語っているかの様でもあった。

 そもそも、どうして『夢』の中であるとは言え、この世界でペルソナが使えるのだろうか。
 此処は自分にとっては『夢の中』であるのは確かだが、同時に何処かにある『現実』の場所だ。
 それとも、一見『現実』である様に感じているだけで実際は、かつて夢を通して招かれた霧の中の世界の静寂の領域の様に、心の海の中の領域なのだろうか。
 ……しかしそれにしては、この世界は『現実』の世界に余りにも似ていた。心の海の世界を幾度も駆け抜けていたからか、「そう言った場所」や「そう言った力の影響を受けた場所」を感覚的に把握出来る。
『現実』の世界でも、かつて稲羽の街が混迷の霧に覆われてしまった時の様に此岸と彼岸の境が曖昧になる事はあるけれども。しかし、あの時に感じた様な異質な気配もまた、この場には無い。
 だからこそ、不思議であるのだ。
 ペルソナは心の力であるが故に、心の海の中の世界や、或いはそう言ったものの力の影響を受けた場所などでしかその力を十分には発揮出来ない。心の海の影響を一切受けていない『現実』の世界でペルソナの力を発現させる事は難しく、そして出来たとしてもそれは極めて限定的な力になる。
 だが、今回力を使った時の感覚は、確かにその力は大きく制限され減衰してはいたが、それは『現実』でペルソナの力を使おうとした時のそれとはまた違う様な……。容量が足りていないバッテリーで無理矢理機器を動かそうとしたかの様な、そんな感じがあるのだ。
 一体何故、と。把握出来ている情報がまだまだ少ない中、それでもどうにか推察出来ないかと、そう考え込もうとした丁度その時であった。

 誰かが部屋の前に立ち、そしてそっと引き戸を開けた気配がした。
 反射的にそちらを見上げると、其処に居たのは。意識を喪う直前に見た、不思議な耳飾りの少年であった。
 旭日の陽光を模した様な花札を思わせる耳飾りが両耳で静かに揺れている少年の、此方に向ける眼差しはとても優しい。少なくとも、目の前の存在を害しようだとかの悪意は一切無かった。
 その耳飾りの旭日の陽光の模様がとても似合う、何処か太陽の様な温かさを感じる少年だ。
 彼は水差しとコップを載せた盆を手に持ったまま、優しい笑顔を浮かべた。
 そして盆を脇に置くと、布団の傍に行儀よく座り、そして真っ直ぐに此方を見詰めてくる。

「良かった、気が付いたんですね。
 あなたは昨晩、俺の目の前で突然意識を喪ってしまったんですが、覚えていますか?」

 成る程、今はあの夜の翌朝らしい。勿論覚えている、と頷く。
 そしてふと気になったので、もしかして気を喪った自分を此処まで運んで来てくれたのは少年なのだろうか? と訊ねた。すると、少年は元気よく頷く。
 大変有り難い事ではあるのだが、少年よりも自分の方が体格が良いので、ここからあの森がどれ程離れてるのかは知らないが、意識を喪ってる状態の自分を此処まで連れて来るのは物凄く大変だったのでは……と少し申し訳なくなる。腕などの筋肉の付き方を見るに少年はかなり身体を鍛えている様だが……大変な事には変わりない。
 その為、その親切に心から礼を述べた。
 そして、気になっている事を、情報の整理がてら少年に尋ねる。
 少年は一体何者であるのか、あの時助けた人たちはその後どうなったのか、此処は少年の家であるのか、など。
 すると、少年は澱み無く答えてくれる。

「俺は竈門炭治郎。鬼殺隊隊士、階級は壬です。
 昨晩あなたが助けた人達はどちらも大きな傷は無く無事でした。
 お二人共、問題無く自分の家に帰れています。
『あなたのお陰で助かった、本当にありがとう』、と。そう伝えて欲しい、と言っていましたよ。
 それと、此処は俺の家ではなくて……俺たち『鬼殺隊』に力を貸してくれている藤の家紋の家です」

 どうやら、助けた二人は無事だった様だ。ペルソナの力で傷を癒した男性の方も、大事は無かったらしい。
 本当に安心して、思わず安堵の息が零れた。

「そう、か……。あの人達は無事だったんだな。……良かった。
 俺は、鳴上悠だ。
 ……ただすまないが、『きさつ、たい』……? と言う名に聞き覚えが無いから、君が何者なのか分からなくて。
 もう少し詳しく説明して貰えないだろうか」

 とにかく情報が欲しかった。此処が『夢』の中であるのは分かっているが、しかし此処は現実でもあり。
 そして、自分は全くと言って良い程にこの場所について何も分かっていない。
 今居るこの場所が何処なのか、そもそもこの世界は自分の知っている世界であるのかどうかも。
 言葉は通じる事や彼の服装の雰囲気から察するに此処が日本だとは思うのだが……。しかしどうにも違和感がある。微かに抱くその違和感の正体をハッキリと何が、とは言えなくて。だからこそもどかしさもある。
 心の海の世界と言う紛れも無い『異世界』の存在を知っているだけに、ここが自分にとって『夢』の中である事を踏まえても、ここが自分の知る『現実』とは全く違う異世界である可能性すら検討していた。
 ただ何にしろ情報が少な過ぎる。何時醒めるのか分からない『夢』の中でどう行動するべきかの指針が何も無いのは、稲羽の街が霧に覆われてしまった時の様な不安感にも似た焦りを僅かに抱いてしまう。
 そんな心中を知ってか知らずしてか。炭治郎と名乗った少年は、見る人を安心させる様な表情を浮かべる。
 疑問に対して誠実に答えようとする姿勢が、言葉にされずとも感じ取れる程だった。

「炭治郎で良いですよ、鳴上さん。
『鬼殺隊』は、『鬼』を殺す為の組織です。昔からある組織ではあるんですけれど、政府からは非公認で……。
 なのであなたが聞いた事が無くても無理はないかと」

「鬼を、殺す……」

 鬼。そう言われて、様々な物語に出てくるその架空の存在の姿を思い浮かべた。己が持つペルソナの中にもオニは居るが恐らくそれでは無いのだろう。……もしや、昨夜の「化け物」が炭治郎の言う『鬼』なのだろうか……? 
 そう尋ねてみると、炭治郎はそうだと頷く。
 そして、ああ……と一つ理解した。あの「化け物」の言っていた『鬼狩り』とやらは、炭治郎たち『鬼殺隊』の人々の事であるのだろう、と。

「鬼は……陽の光を嫌って夜の闇に潜み人を喰い殺す、人喰いの存在です。
 どれ程切っても直ぐに傷が塞がる為尋常の手段では殺す事が出来ず、殺すには陽の光の中に引き摺り出すか、特別な刀で首を斬る必要があります」

 陽の光に弱いと聞くと、何だか物語上の吸血鬼みたいだな……と感じる。
 その特色は、今まで自分が知っていた『鬼』と言う存在とは少し違っている気がする。
 まあ、この世界の『鬼』とはそう言うモノなのだろうか……。
 そして、炭治郎の言う「特別な刀」とやらには少しばかり心当たりがあった。

「特別な刀……。あの『化け物』、いや鬼が言っていた『日輪刀』、と言うやつの事か? 
 炭治郎が持っていたあの刀がそうなのか?」

「はい、陽光の力を秘めた特別な玉鋼から作られた刀なんです。
 俺たち『鬼殺隊』の剣士は皆、それを使って鬼を殺します。
 日輪刀で頸を刎ねる事で、陽光に晒さずとも鬼を殺せるんです」

「成る程……そう言った特別な刀が必要だったんだな。
 道理で、あの鬼は頸が弱点だと自分で言っていたのに、頸を斬っても死ななかった訳だ」

 十握剣は間違いなく凄い力を秘めた剣ではあるが、炭治郎の持つ日輪刀の様な特殊性は無い。
 その来歴となった神話やらにそう言った化け物を倒した逸話があれば、そんな力もあったのかもしれないが。
 斬っても斬っても死ななかった「化け物」の姿を思い返すと、日輪刀と言う武器が無いと鬼と言う存在は人間が相手取るには荷が重過ぎる存在だろう。
『鬼殺隊』と言う存在がどれ程の昔から存在しそしてどの程度の規模なのかは全く知らないが、しかし彼等が鬼と戦わなければ、昨夜のあの二人の様な人々は鬼に容易く命を刈り取られてしまう事など想像に難くない。
 命懸けの戦いなのだろう鬼との殺し合いに、どうして自分よりも確実に幾つかは年下であろう炭治郎が身を投じているのかは分からないが……。しかし並々ならぬ事情があるのだろうし、そしてそれを続けていると言う事は恐らくは凄まじい覚悟と信念の下に戦っているのだろう。
 心の海の世界での戦いに身を投じるまでは本当に極平凡で穏やかな暮らしをしてきたからなのか、そんな生活をしていた時の自分よりも年下の少年が、そんな風に命懸けの戦いをしている事に、尊敬の念にも近い様な……同時に何処か胸が痛くなる様な感情を覚えた。

「鬼の頸を斬れたんですか……?」

 驚いた様にそう言ってきた炭治郎に、何か自分は変な事を言っただろうかと首を傾げながら頷く。

「『呼吸』も無しに鬼の頸を斬るなんて、鳴上さんは凄い力をもっているんですね」

『呼吸』……。そう言えばあの鬼も『呼吸』がどうとか言っていた事を思い出す。
 ろくに『呼吸』も使えない剣士だとかなんだとか……。……『呼吸』とは一体何なのだろう? 
 炭治郎たちの必殺技みたいな何かなのだろうか……? 
 気になったので訊ねてみると、炭治郎は親切にも掻い摘んで『呼吸』について教えてくれる。

 曰く、『呼吸』とは尋常ならざる力を持つ鬼に対し、人が人の身で在りながら鬼に匹敵する力を得る為に鬼殺隊の剣士たちが身に着ける技術であり剣術であるそうだ。『呼吸』の名の通り呼吸こそがその要で、強靭な肺と血管によって全身の隅々にまで活力を満たすのだとか。そして、剣術の型によって様々な『呼吸』が存在し、「○○の呼吸」と呼ぶそうだ。
 ちなみに、炭治郎は「水の呼吸」の使い手であるのだと言う。『呼吸』の種類は実に様々で、基本となる五つの型の外に、自分なりにアレンジした『呼吸』が多数存在するのだとか。成る程、奥が深い。
 そして、そう言った技術を一切使っていなかった為、あの鬼に侮られたのだと理解した。
『呼吸』を使わなければ、鬼の頸を斬る事は極めて困難であるのだと言う。
 基本的に、鬼は喰った人の数だけ強くなる。そして強くなった鬼の頸はそれこそ岩の様に硬い。
 生半な力では斬ろうとしても刀の方が折れてしまう程に。
 ……だからこそ、『呼吸』を使うどころか知りもしない状態で鬼の頸を斬るのは、尋常な事では無いのだろう。
 例え、その武器が日輪刀では無く、斬った所で鬼を殺せないのだとしても。
『呼吸』など使えないのに自分が『呼吸』を習得した剣士の様に動けた理由には即座に思い至る。
 十中八九、ペルソナの力だろう。
「戦闘中」だと思考を切り替えた瞬間、ペルソナを呼び出していない状態でも、ペルソナ使いはペルソナの力の恩恵を身体能力の上昇などと言った形で受ける事は出来る。その為、誰かが襲われていると認識したあの瞬間から半ば無意識の内にもペルソナの力を使っていたのだろう。それに関しては経験から来る反射に近い。
 そう考えた時、ふと恐ろしい事実に気付いてしまった。

 陽光か日輪刀での斬首以外に倒す方法が無いと言う存在を、『呼吸』を使わずに切り刻み、更には日輪刀も無しに倒してしまったのだ。ペルソナと言うからくりはあるのだが……しかしペルソナを知らない人々からすれば、自分がやった事は正体不明の化け物の所業にも見えてしまうのではないだろうか。
 そしてそれは、炭治郎達『鬼殺隊』の者達にとって一体どう言う風に受け取られる事なのか。
 説明するべきなのだろうか? ……しかし一体どう説明しろと言うのだろう。
 心の海の世界に偶然落ちる前は、自分達が今まで持ってきた常識が欠片も通じない『異世界』がほんの薄皮一枚隔てた場所にあって、しかもある種の神殺しまで達成してしまう程の力を自分が持ち得る事など欠片も信じなかっただろう。空想癖を拗らせた妄想か、或いは夢の話かと。フィクションとしてしか受け止めないだろう。
 だからこそ、炭治郎がペルソナの力を説明された時にどんな反応をするのかは想像が付く。
 正直それに関しては仕方の無い事だ。自分の常識の外側を突然叩き付けられた際にそれを反発無く受け入れるのは極めて困難なのだから。

 果たしてどう説明するべきなのか、そもそも話すべきなのか、考えあぐねていると。
 炭治郎が何かに気付いた様に、ふと窓の外に目をやった。それに釣られて窓の外を見ると。
 窓の外から羽ばたく様な音と共に、鴉が部屋に入ってくる。
 そして、その嘴を大きく開けると、何と人の言葉を話し出した。

「伝令! 伝令ィッ!! 
 炭治郎ハ保護シタ者ト共ニ本部ヘト向カエ! 
 炭治郎ハ保護シタ者ト共ニ本部ヘト向カエ!」

 カァカァと言う鳴き声も共に雑じりつつも鴉はハッキリと聞き取れる言葉を流暢に話す。
 お喋りする動物として動画を投稿すれば、全世界的に一億回は軽く再生されそうな程の流暢さだ。
 流石に、オウムや九官鳥の類ではない鴉が此処まで流暢かつ意味のある内容を喋る事に驚きを隠せない。
 炭治郎はそんな驚きを察したのか、目の前の鴉について説明してくれる。

「彼は鎹鴉と言って、特別な訓練を受けた鴉なんです。
 こうして指令を伝えてきたり、手紙などを運んでくれるんですよ」

 そう言いながら、炭治郎は鴉の足に結ばれていた手紙を受け取った。その手付きは丁寧で、とても優しい。意識せずとも生き物を思いやるその動きに炭治郎の優しさを見て、思わず心が温かくなる。

「成程、まさか鴉がこんなにハッキリと喋るとは思わなくて驚いたが……。
 彼らも、鬼殺隊の大切な仲間なんだな」

「はい、隊員には一人一人自分を担当してくれる鎹鴉がついてくれているんですよ。
 鳴上さんを連れて本部に行く様に、と指示をされているんですが、鳴上さんの体調は大丈夫ですか?」

 鴉の方はどちらかと言うと偉そう……と言うか、炭治郎の事を弟分を心配する様な感じで見ている。
 まあ、お互いに相手を大事にしているのは確かだろう。

「ああ、体調には問題無い。気遣ってくれて有難う。
 それで、その本部とは何処にあるのだろう? ここからは遠いのか?」

『鬼殺隊』の本部、と言われて想像するのは、何と言うのか……特撮だとかスパイ映画だとかに出てきそうな何だかハイテクそうで機能性を重視してそうな感じの建物である。鬼殺隊が政府非公認の組織だとすれば、寧ろ映画などの極秘裏に作られた基地みたいな感じだろうか。何と無く、直斗の心が生み出した「秘密基地」を思い出す。

「何処にあるのかは俺にも分からないんです。
 ただ、『隠』の人達が迎えに来てくれるそうなので、彼らに任せておけば大丈夫ですよ」

『隠』と言うのは、『鬼殺隊』の裏方の様な役割で、鬼との戦闘の隠蔽工作やら鬼に関する情報収集やらと、本当に何でも屋みたいな感じの人達らしい。剣士を志すも道半ばにして諦めた者、怪我などで引退せざるを得なかった隊士、鬼と戦う様な力は無いが鬼を殺す事に少しでも力になりたいと志す者、と。まあ『隠』となるのには様々な理由があるそうだ。

 そして、隊士や『隠』以外にも『鬼殺隊』を語る上で外せないのが、「お館様」と「柱」、そして「藤の家紋の家」だと炭治郎は教えてくれる。

「藤の家紋の家」と言うのは、鬼に襲われていた所を『鬼殺隊』に救われるなどして『鬼殺隊』に恩がある者達が、その意を示し鬼を狩る隊士たちに協力する為に「藤の家紋」を掲げる事からそう呼ぶのだとか。
 今こうして休息を取らせて貰っているこの家も、そんな「藤の家紋の家」の一つだと言う。
 ちなみに何故「藤の家紋」なのかと言うと、鬼は藤の花を嫌うらしい。その為、鬼を避けるお守りとして藤の香が用いられるそうだ。

 そして「お館様」と言うのが、『鬼殺隊』をまとめ上げ率いている人なのだとか。
「お館様」はある一族の人々が代々継いできたもので、この一族の尽力もあって、『鬼殺隊』は強力な鬼の襲撃などで何度も壊滅しかけてもその度に立て直されて来たそうだ。
 ……そして何故か、自分は炭治郎と共にこの「お館様」にお呼び出しを食らっている、と言う事になる。
 まあ、恐らくは、『鬼殺隊』が関知していない鬼を殺す方法を調べる為だとかだとは思うのだが……。
 それにしても、そんな偉い人の所に呼び出される経験なんて一度も無いので少し緊張してしまう。

 そして「柱」と言うのは、『鬼殺隊』を支える極めて強力な剣士たちの事なのだとか。
「柱」の字画に合わせて最大九人までしか任命されない彼等は、文字通り『鬼殺隊』と言う組織の中心的存在であるそうだ。
 本来なら人間では到底抵抗出来ず、また強くなれば「血鬼術」と言う特殊な能力を開花させまさに多種多様な力を得る為、「頸が弱点」以外に共通する対策がほぼ存在しない鬼との戦いは、文字通り命懸けのもので。
 その為、まだ腕が未熟だったりした際に強力な鬼と遭遇したり、或いは実力付けて来てもそれを遥かに超えた鬼と運悪く遭遇するなど珍しくも無く、隊士たちの殉職率はかなり高い。そうでなくても、人間は腕や足を喪ったらそこで剣士としては引退せざるを得なくなったりする。その為、下の階級や経験の浅い者達の入れ替わりは恐ろしい程に早い。そんな中にあって、数多の鬼を殺し人々と仲間の隊士たちを守る存在が「柱」なのだと言う。
 その実力は一般の隊士とは次元が違うものであるらしく、炭治郎曰く、自分ではどんなに死力を尽くしても倒せなかった鬼を、「柱」の剣士は至極あっさりと首を斬ってしまった程だと言う。それは凄まじい話だ。
 だがまあ、何と無く「柱」と一般隊士の実力の隔絶と言うのも想像は付く。
 自分だって、心の海の世界に迷い込んでシャドウに襲われた際に半ば衝動的にイザナギを呼び出したあの時と、真実に辿り着きアメノサギリを退けてマリーを取り戻しに行きイザナミを心の海の中に還した今とでは、その強さは次元が違うレベルで全く以て違うと思う。当時は死力を尽くさなければならなかったシャドウでも、今再戦すれば一撃で倒せるものも多いだろう。それが経験を積み成長する事だと思う。
 まあ、要は誰よりも経験があり強い剣士たちが「柱」だそうだ。
 そして「柱」たちは「お館様」の命に従い動いていると言う。
 …………もしかして、「お館様」の所へ呼び出されたと言う事は、その「柱」達とも顔を合わせたりするのだろうか……? 
 いや、別に会いたくないとか言うつもりは無いが。……九人の精鋭の剣士たちに囲まれて尋問されるのは正直勘弁して欲しい……。例え彼等が自分に敵意を向ける事が無くても、だ。
「お館様」と言う組織にとっての超重要人物が、『鬼殺隊』が知る手段以外の何らかの方法で鬼を殺したと言う、得体の知れない謎の存在に対面するのに護衛が付かない訳は無いので、その場に「柱」なる人たちが数人居るのは覚悟するが……。せめて四五人程度で納めて頂きたいものだ……。

 そんな考えが顔に出ていたのだろうか。炭治郎は安心させようとしてくれたのか説明を付け加えてくれる。

「あ、多分九人全員が集まる事は無いと思いますよ。柱合会議が最近あったばかりなので……」

 柱合会議なる新たな言葉に首を傾げていると、炭治郎はそれも説明してくれる。本当に親切だ。
 曰く、約半年に一度行われる「柱」が全員本部に集まって情報共有なり重要案件に関して議論したりする場なのだとか。普段は遠方で任務に当たっている柱も多い為、そう頻繁には全員呼び出しと言う事は無いそうだ。正直安心した。
 ……しかし、どうして炭治郎はその柱合会議が最近あったのだと知っているのだろう。
 炭治郎が名乗った階級が彼の説明通りなら、炭治郎はまだまだ若手と言うか……『鬼殺隊』ではそこそこ下の階級と言うやつで、そう言う会議に参加したりする様な事は殆ど無いと思うのだが。
 何となくそんな事を考えていると、炭治郎は言おうかどうかを少し迷った様な顔をしてから、実はその最近あった柱合会議の場に自分も居たのだと教えてくれた。その理由に関しては言葉を濁したが……。

「……炭治郎、君の気分を害してしまうかもしれないから先に謝っておくが。
 炭治郎がその……柱合会議に呼ばれたのは、昨夜会った時に感じたあの気配……俺の勘違いではないなら鬼の、その気配と何か関係があるのか……?」

 そう訊ねた瞬間、炭治郎の目が驚いた様に開かれ……そして、何故か。悲しい様な、傷付いた様な、だがそれを堪えて耐え忍んで、そして前を向かなければならなかった様な……そんな顔をする。
 少し気分を害してしまうのではと、そう思っていただけなのに、想像以上の苦しみを与えてしまった事に動揺し、慌てて付け加える。

「いや、俺はもう、昨夜の炭治郎に感じたあの気配をどうこうしたいとは思っていないんだ。
 昨夜は……正直限界だった所に炭治郎が現れて……あの人達を守らないといけないと言う一心で、思わず剣を向けてしまった……。もしそれが炭治郎を傷付けてしまったのなら、本当にすまなかった」

「いえ、良いんです。鳴上さんが、あの人達を守ろうとしていたのは分かっていたので。
 …………実は俺は、鬼を連れているんです」

 優しいのに悲しい目をして炭治郎は言う。
 ……鬼を殺す為の組織に属しているのに、鬼を連れている。そこには恐らく壮絶な事情があるのだろう。
 少なくとも一時の気紛れや好奇心で出来る事では無い……それが許される事では無いのは、『鬼殺隊』と言う存在について知ったばかりの自分にも分かる。

「俺の妹……禰豆子は、鬼です。鬼に、されてしまったんです。
 でも、禰豆子は人を喰わない、人を傷付けない、そんな鬼で……俺の事を家族だと分かってて……。
 だから俺は、何としてでも禰豆子を人に戻そうとして、それで……」

 そう語る炭治郎は、本当に悲しい目をしていた。まだ癒えない……癒える事の無い傷口に触れながら、それでも誠意を以て答えようとしてくれていた。
 ……何かを言わなければと思うのに、一体何を言ってやれるのか分からなかった。
 禰豆子と言うその妹がどんな子なのかどんな状態なのか全く知らないのだし、そもそも完全な部外者がどうこう言ったり言葉を掛けられる様な事情では明らかに無いだろう。
 それに、その言葉の内容も衝撃的なモノだった。
「鬼にされた」。つまり、鬼は元々は人間だと言う事なのだろうか。
 それがどうしてあんな事に……。昨夜の鬼の姿を思い出し、人間と言う存在を逸脱したその姿に困惑する。
 シャドウと言う人智を越えた存在を相手にしてきたが、それとはまた違った方向性でその姿は「化け物」だった。……あれが、元は人間……? だが、そう考えると。
 昨夜のあの鬼が、祝福の光の中に消えて行ったその時に、謝罪を述べる様に口を動かしていたのは見間違えでは無かったのだろうと思う。

「……鬼は、本来は人間だった存在なのか……? 一体何故、鬼なんかに……」

 ……最後に見たあの表情があの鬼の本心ならば。あの鬼は、己が人を喰い殺してきた事を悔いていたのだろうか。鬼にされてしまう人が居ると言う事は、あの鬼も元々は自分の意思とは無関係に鬼にされ……そして人を殺してしまったのだろうか。……それは。……それは余りにも「救いの無い」話であった。

「……鬼舞辻無惨。鬼たちの頂点にして全ての元凶の存在が己の血を相手に与えると、その人は鬼になってしまいます。……その人の意思には関わらずに。そして、鬼にされてしまった直後の人々は、極度の飢えから理性を喪って人を襲います……。その場合の多くは、傍に居るその人にとっての大切な人で……。
 ……でも、禰豆子は違ったんです。酷い傷を負わされて、無理矢理鬼に変えられて……。
 それでも俺を襲わなかった、俺を守ろうとして……。本当の自分も奪われて、言葉も話せなくなっても……。
 だから、だから俺は……」

 炭治郎の声は、抑えきれない強い感情に震えていた。
 ……余りにも深い傷に、爪を立ててその血を流させる様な真似をしてしまったのかもしれない。
 何の事情も殆ど知らない相手なのだ、何を問われようとも幾らでも誤魔化せたし騙せただろう。それなのに、炭治郎は誠実に話してくれた。それは間違いなく彼の美徳であると感じると同時に、哀しくもある。だからこそ。
 ……鬼舞辻、無惨。その名前を決して忘れない様に、胸の奥にしっかりと刻んだ。
 今こうして目の前の炭治郎に苦しくて悲しくても涙を零せない程の傷を与え。そして昨夜のあの鬼の様に「化け物」として討たれる最期を……無数の誰かに与え、そんな哀しみと憎しみを生み出す存在。
 ……その目的が例え崇高なものだったとしても、もし目の前にその鬼舞辻無惨なる存在が現れたら、自分の限界を無視してでも持てる全ての力を叩きこんで消滅させるだろう。全然面識も無い相手だが、既に「赦すべきでは無い存在」として心の中のブラックリストの最上位にその名を刻んだ。
 面識が無い相手に対して此処までの怒りを覚える事は生まれて初めてであった。
 自分が直接的に何かを奪われた訳では無い、自分の大切な何かを傷付けられた訳でも無い。
 それでも……許し難いと心から感じてしまうのは、名も知らぬままに「化け物」として殺してしまったあの鬼に対して、今になって哀しみを覚えたからなのかもしれない。
 ……鬼を倒した事自体は後悔はしていない。そうしなければあの場に居た二人は殺されていただろうし、逃がしていれば何処かで誰かを殺しただろう……。そうやって、心を喪ったままに罪だけを積み重ね続けて……。それは想像するだけでも余りにも苦しい絶望だった。あの鬼の事情など知らないが、しかし最後の表情を見るに、かつて人間であった時の望みとは全く違う結末だったのだろう。……その身を消滅させた祝福の光の中で、何か僅かな安らぎでも得られて欲しいと心から想う程に、それは余りにも哀しい事だった。

 人々の望みを見極めると言う目的で行われた神の実験によって、人生を狂わされた人が居た。大切な人を喪った苦しみに慟哭する人が居た、悲しみと無力感から道を誤った人が居た、自分勝手で軽はずみな行動が取り返しの付かない結果に結び付き自分を誤魔化す様に坂を転がり落ちていく人が居た、……大切な家族は傷付きそしてまだ幼いのに死の恐怖を知る事になった。……それでも、その全ての発端となったイザナミに対しては、憎しみだとか怒りだとかの感情は抱かなかった。止めなくてはならないと言う決意だけがあった。
 それは、イザナミ本人は力の切っ掛けを与えた後は観察に徹し、人の世を搔き乱し霧の中に沈め滅ぼしかけたのは結局は人間の行いと心の問題だとは分かっていたからだ。まあ、それはイザナミを止めない理由にはならないが。
 ……しかし、鬼舞辻無惨の行いは、イザナミのそれとは全く違う。彼が元から化け物だったのか、彼ですら誰かから鬼にされた存在なのかは知らないが、少なくとも地獄絵図をこの世に作り出す事に何の躊躇いも持っていないのは確かなのだろう。そうで無ければ、あの名も知らぬ鬼の様な哀しい存在は現れない。

「……すまない、炭治郎。辛い事を、聞いてしまって。
 でも、信じるよ。俺は君を信じる。
 炭治郎にとって大切な家族が……禰豆子ちゃんが、鬼にされてしまっても炭治郎を襲わなかった事も、人を襲う事も喰う事も無いと言う事を。俺は、信じる。
『鬼殺隊』の人間じゃ無いし、鬼なんてこれまで全然知らなかった俺が信じた所で何か力になれる訳じゃないんだろうけど。でも、炭治郎の大事な家族の事を、俺も信じる。
 ……鬼にされてしまった人を元に戻す方法は俺には分からないけれど……。でも、もし俺に何か出来る事があるなら、俺は絶対に力を貸すよ」

 恐らく炭治郎とは物凄く歳が離れている訳でも無いのだが、自分よりも年下の相手がこんな風にボロボロになりながら目の前で苦しんでいるのに何もしないのは、自分には我慢ならない事だった。
 正直ほぼ初対面の相手なのに突然こんな事を言われても、きっと炭治郎は困惑するだけだろう。何か裏でもあるんじゃないかと思われてしまうかもしれない。
 ただ……こうしてほんの少し話しているだけでも、炭治郎と言う人間の、誠実さや強さと言ったその美徳と言っても良い部分に溢れた人間性は直ぐに感じ取れる。
 八十稲羽で過ごした一年間で絆を紡ぎ心の器を満たして真実を見付け出した経験は決して無駄では無いし、こうして言葉を交わす時に感じ取れるものは確実に増えていた。だから、分かるのだ。
 疑われても良い、不審な目で見られたって良い。
 それでも、炭治郎が自分に示してくれたその誠実さに、自分も応えたかった。この『夢』が何時醒めるのかは自分には分からないけれど、しかし醒めてしまうまでは……邯鄲の夢の中に居る間だけでも、せめて。

 流石に引かれてしまうだろうか、とそう思ったのだが。しかし炭治郎の反応は予想に反していた。

「……ッ! ……有難う、ございます。本当に……本当に…………」

 さっきまではあれ程泣きたくても泣けない表情だったのに、ホロリとその頬に零れた雫の後を追う様に、炭治郎は静かに涙を零す。
 ……炭治郎が今までどんな思いで鬼にされてしまった妹と共に鬼を倒してきたのか、そして恐らくはそれを咎められて呼び出されたのだろう柱合会議で何があったのかは知らないけれども。
 だが、きっと、炭治郎は沢山涙を堪えてきたのだろう。堪えられなかった涙だってあっただろうが、しかし本当は泣きたかったけれど泣けなかった事は沢山あったのだろう。
 今目の前で零れているのはそう言う涙なのだと言う事は分かる。

 目の前で静かに泣いている炭治郎の力になりたい、と。そう心から思ったからなのか。
 ふと心の奥に何かが少し満ちた気配がした。それは少しばかり懐かしい……「心の絆」が生まれた感覚だ。
 一つの旅路が終わってもまた新たな旅が始まる様に、こうして新たな絆が生まれる事はあるのだろう。
 例えそれが『夢』の中なのだとしても、ここは炭治郎たちの生きる現実なのだから。
 まだ満たされてはいない新たなそれは、間違いなく炭治郎との間に生まれたばかりのものであった。






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