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第三章 【偽りの天上楽土】

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『万世極楽教』のその総本山となる寺院は、人里離れた場所に在った。
 周囲を森や川などに囲まれ、それは世間に身を置く事が難しくなって逃げて来た者達にとってはその身を守る結界の様でもあり、そして一度入ればそこから逃げる事を赦さない檻の様でもあった。
 もし、『万世極楽教』の異常に気付いて逃げようとした者が居たとして。
 これでは到底逃げる事は出来ないだろう。『万世極楽教』に上弦の鬼が潜んでいるのなら、尚更に。

 市井の中に僅かに存在する『万世極楽教』の信徒に逢い、「設定」として用意していた背景を語った所、彼等は「善意」を以て「可哀想な目に遭った」者達を救ってあげようと、『万世極楽教』のその総本山である寺院までの道案内を買ってくれた。
 自分としのぶさん達とは、困窮した人を救済してくれると言う噂のあった『万世極楽教』への入信方法を探している内に偶然道行きを同じくした赤の他人……と言う「設定」になっている。
 その為、『万世極楽教』内に侵入した後は、基本的には単独行動が主になってしまうだろう。
 本来であれば、上弦の鬼が潜む可能性すらある伏魔殿で単独行動を取るなど、正気の沙汰では無いのだが。
 しかし、若い女性ばかりが集中してその行方が分からなくなっていると言うその情報を鑑みるに、ここに鬼が潜んでいるのであれば、その鬼は獲物とする相手に対してかなりの「拘り」がある可能性がある。
 その為、獲物として「最適」なしのぶさんやカナヲの周囲を、若いとは言え男である自分が赤の他人である筈なのにウロウロしていては鬼を警戒させてその尻尾を掴めないかもしれない……と言う事情があった。
 そして、しのぶさんはより情報収集をしやすくする為に、義実家での酷い仕打ちの結果、自分と同年代以下の女性以外を恐れてしまう心の傷を抱えている……と言う「設定」を自身に加えている。
『万世極楽教』にまで逃げて来た女性には、しのぶさんの「設定」の様な事情を抱えている者も多く、鬼にとっての「獲物」である彼女らからの「同情」を得る事で、より情報を得ようとしているのだ。
 カナヲはと言うと、やや心を閉ざしがちと言う「設定」を加えている。
 これに関しては、こう言った「宗教」の信者と言うのは、基本的には「純粋」で「善意」に溢れている事も多く、更には信者の多くは俗世で様々な苦しみを味わったが故に『万世極楽教』に縋った者達だ。そんな彼等は「救われていない」新たなる同胞により親身に接してくれる可能性が高い。これも、情報を得るには有利に働く。

 今回の任務の主要な部分を担うのは、しのぶさんとカナヲだろう。
 自分は、あくまでも戦闘時の戦力と緊急時の治療役として選ばれているに過ぎない。
 しのぶさんとカナヲの身を危険に晒す様な任務だが、こればっかりは自分の性別を変えられる訳で無いので仕方無い。一応、しのぶさん達と長時間の接触は余り出来なくても、鬼殺隊独自の指文字などを介して簡単な情報のやり取りはする手筈になっているが……。しかしどうしたって不安は残る。
 鬼が何処で目を光らせているのかも分からないのだ。少しの油断が命取りになる事もある。
 それに……寺院の中には『万世極楽教』の信徒が……鬼では無い守るべき一般人が数多く居るのだ。
 そんな場所で不用意に鬼と戦闘に入る訳にはいかない。
 鬼に彼等を喰い荒らされる訳にはいかないし、或いは人質に取られても厄介だ。
 更には、鬼が此方側の動きを何処まで把握しているのか、と言うのも問題になる。
 先行して潜入していた隊士たちが、万が一殺されていたとしても情報を吐くとは思えないが。
 知能が高い鬼だと、隊士が紛れ込んでいると言う時点で鬼殺隊の標的になっている事は容易に察するだろうし、何だったら罠を張って待ち構えているだろう。
 しのぶさんもカナヲも人並外れて強い事は分かっているのだが、どうしたって心配になってしまう。
 万が一しのぶさんたちだけで鬼と戦闘する事になった時には上空から状況を見守ってくれている鎹鴉たちから情報を受けて可能な限り急行するつもりだが、それに気付くまでの時間の内に命を落とす可能性だってあるだろう。……自分が倒れている間に、煉獄さんが上弦の参の鬼との戦いで命を落としかけていた様に。
 それでも、鬼を探し出しそれを滅する必要があるのだ。
 此処に潜む存在が、上弦の鬼であるのなら尚更に。


 信者の人達の案内に従って、信徒が共同生活を営む寺院の中に建てられた長屋の様な場所へと向かう。
 しのぶさんたちは、女性用の長屋の方へと向かっていった。
 此処では、逃げて来る人達の事情が事情だけに、信者たちの居住空間は基本的に男女で分けられている。
 日々の祈りを捧げる為の寺院本体は男女共に利用可能だ。ちなみに、祈りの時間は特には決まっていないらしいし、そもそも祈りを捧げるかどうかも自由なのだそうだ。……まあ、信者となった者達の多くは、朝晩に祈りを捧げに参拝しているらしいのだが。
 他の信者たちに悟られぬ様にしのぶさんたちと連絡を取るのは、そのタイミングが一番だろう。
 長屋の空き部屋に通され、そこで少ないながらも持ち込んでいた荷物を下ろす。
 しのぶさん達の日輪刀もそうだが、それと悟られぬ様に隠していたとは言え十握剣を持ち込むのには中々苦労した。何時戦いになっても良い様に持ち歩きたくはあるが、帯刀なんてしていれば他の信者たちに不審に思われてしまう為、一先ずは部屋にこっそりと隠しておく。
 そうやって準備を整えてから改めて部屋を見渡すと、鬼の気配がする訳でも無いのに何とも言えない違和感の様なものを感じる。一体何故だろう、と首を傾げつつその違和感の正体を探る。
 そして、気付いたのが、部屋の至る所にある装飾だった。
『万世極楽教』は、その「極楽」の名を意識してなのか、至る所に「蓮華」の意匠の装飾がある。
 襖に描かれているのも蓮華の花だ。
 それ自体は特におかしなものでも無い筈なのだが……。しかしどうにも変な感じがする。
 一体何故? とそれらを観察してみても、その違和感の答えは分からずじまいで。
 それがただの絵や装飾である事だけは分かったので、とにかく今はもっと多くの情報を集めなければ、と部屋を出て信者たちと交流する事にした。

『万世極楽教』では、基本的には自給自足の生活を営んでいるらしい。
 衣服の類や細かな消耗品などは寺院に出入りしている商家を通して購入しているらしいが、食料の類はほぼ全て自分で賄う事になる。
 その為、寺院の広大な敷地の中には広い田畑があり、近くを流れる川の水を引き込んで作られた人工の小さな湖には食用の魚が飼われている。付近の森や山に狩りに出る事もあるらしい。
 そうやって、この『万世極楽教』は外界から閉ざされた箱庭の世界になっている。
 今日は入ってきたばかりで大変だろうから、と言う事で畑仕事などは免除されているが、このまま調査の為に滞在期間が延びるのであればそう言った共同生活の為の仕事を受け持つ必要が出て来るであろう。
 ……こうして見る分には、この場所での生活は本当に穏やかなものなのだろう。
 贅沢が出来ると言う訳では無いが、生きていく為の糧を自分達で得る事が出来て、そして心を煩わせる物事からは遠く離れ。「苦役から離れ穏やかに喜びと共に生きる事」をその至上の教えとしているその在り方通りの生き方をしている。……ここが鬼にとって、ただの餌の養殖場でしかないのだとしても。
 自らを苛んでいた苦しみを忘れようとするかの様に生きる信者たちの姿は何処か、混迷の霧に覆われ誰もが虚ろの森の中に蹲ろうとしていたあの八十稲羽の人々の姿を僅かに想起させる。
 ……自分達は此処に鬼を狩りに来たのであって、此処で生きる人々の生活に干渉する為に来た訳では無いので、何が出来ると言う訳では無いのだけれども。

『万世極楽教』の寺院の敷地は広い。
 だからこそ、何が何処に在るのかを早急に把握する必要があった。
 無論、信者たちが把握していない施設や空間を含めて。
 幾ら此処に鬼が潜んでいるのだとしても、其処らかしこで人を食い散らかしていては流石に信者たちも異常に気付くだろうし大騒ぎになるだろう。だからこそ、食事場が何処かにあるだろうし、更には被害者の衣服などの「食い残し」を処分する為の場所もある筈だ。
 此処に潜む鬼が何処に隠れているのか……『万世極楽教』にとってどう言う扱いであるのかは分からないが。
 上層部が鬼と結託して人を餌にしているのであれば、その者達にも何らかの措置が必要になるだろう。
 とにかく今は、情報を集める事に専念する必要があった。

『万世極楽教』のその本体とも言える寺院の中も見せて貰う。
 やはり此処にも様々な場所に蓮華の意匠が施され、そして極楽浄土を描いた絵が掛けられていたりする。
 ……しかしやはり、それらにどうにも違和感があった。
 長屋の自室でも感じていたその違和感の正体を見極める為に、それらの絵や意匠をよく観察する。
 そして、気付いた。
 それらの意匠に、「何の祈りも込められていない」のだ、と。
 それは誰かに具体的に示された訳でも、或いはそれらの絵や意匠にその意図が込められている訳でも無い。
 だから半ば直感の様なものであったが、一度それに気付くとその解釈はすとんと胸に落ちて来る。
 この手の宗教的なものに関しては、細かな部分にも「祈り」やら「教義への想い」やらが込められている事が殆どである。信者から金銭を巻き上げ私服を肥やす為の自称宗教がどうなのかは知らないが、少なくとも古くからある神社仏閣などで感じるそれに帰依する人々の「想い」とでも言うべき何かが、ゴッソリと欠けている。
 まるで、表層だけ真似てみたものを「本物」だと言われて見せられているかの様な、そんな感覚だ。
 何となく、ここを作った人はきっと宗教なんて欠片も信じていないのだろう、とそう感じてしまう。
 極楽浄土も、或いは地獄も。そのどちらもを信じていない。そんな空っぽの信仰がそこに在った。
 ……とは言え、『万世極楽教』の者が何をどう考えていようと、それは鬼殺には関係ない事ではある。
 空っぽの信仰に身を委ねている人たちの今後は気になる所ではあるけれども。

 寺院の中を歩いている内に偶然に擦れ違ったしのぶさん達と、指文字で情報を交換する。
 どうやら二人とも無事に潜入出来ているらしい。
 接触してくる人の中で、今の所「怪しい」人は居ないそうだ。
 潜入捜査は始まったばかりなので油断は出来ないが、今の所それなりに順調と言えるだろう。

 此処に潜む鬼に繋がる情報を、一刻も早く掴む事が出来れば良いのだが……。






◆◆◆◆◆






 潜入捜査を始めてから二日が経ち、顔を合わせる事のある信者の人達の大半からそれとなく事情を聴き出せる程度にまで打ち解ける事が出来た。
「設定」によって親身になってくれている人たちを騙してその善意に付け込んでいるかの様なものである事には少しばかり申し訳なくなるが、綺麗事ばかり言ってもいられないのだし、何より此処に潜む鬼の手から彼等を守る事にも繋がっている筈なので赦して貰いたい所である。

『万世極楽教』の信者たちは、基本的には「善良」な人が多い。或いは、深く傷付いた結果此処に流れ着いてきたが故に『万世極楽教』に依存する事しか出来なくなっている者たちと言う事も出来るのかもしれないが。
 しかし、信者たちと一口に言ってもそれは様々で。
 心から極楽浄土への到達を信じて信仰している者、折角得る事が出来た居場所に固執する者、自分を苛んだ俗世を拒絶する者など。此処に流れ着いた理由も様々だし、此処に残っている理由も様々だ。
 ただ一つ言える事として、此処に居る者たちの殆どが深く傷付いた事のある者であった。
 信者の総数は凡そ二百数十人。この数は百年以上の『万世極楽教』の歴史の中で多少の変動こそあれどそこから大きく動いた事は無いらしい。……まるで、誰かが意図的に数を調整しているかの様である。
 そう多くは無いものの此処に流れ着いてくる人は通年存在するのだが、まるでその数に合わせた様に、『万世極楽教』からは人が減る。消えるのは主に若い女性だが、男性も時折減る様だ。
 教えを捨てたのだとも、或いはやはり俗世に置いてきた者達を忘れられなかったから帰ったのだとも。
 信者たちは、姿を消した者たちの事をそう解釈しているし、『万世極楽教』は此処を立ち去る事を引き留める事は無いので実際にそう言う事情で姿を消した人も居たのかもしれないが。
 しかし、そもそも此処に居る者の大半が、居場所を喪って流れ着いた者たちなのである。
 そんな者たちが、やっと得た安息の地をそう簡単に手放す事は無い。……それは、信者たち自身が一番よく分かっている事だろうけれども。彼等も、漸く得られた安寧を喪いたくなくて。だから、何かがおかしい、何かが違う事は分かっていても、それから目を逸らし自分に都合の良い解釈を受け入れて、無意識が感じた違和感を殺そうとしている様であった。
 もし何かに気付いてしまえば、そして行動してしまえば。この極楽の世界の裏側に隠れている闇の中に引き摺り込まれて殺されてしまう事を、心の何処かで感じているのかもしれない。
 或いは、目を瞑り耳を塞ぎ心の声を封じていれば、自分が「標的」になる事は無いのだと信じていたいのか……。
 何にせよ、彼らが行動を起こす事は無いだろう。
 それを、家畜の如き安寧を貪る為の怯懦だと謗る事は容易いが。しかし、人は誰しもが強く在れる訳では無く、特に心が傷付いている時には「正しい行動」を取る事は難しい。此処が鬼の作り出した極楽の顔をした家畜小屋なのだとしても、此処に流れ着くまでに誰にも手を差し伸べて貰えなかった者達の安寧が此処で漸く得られた事もまた事実であるのだろう。
 心身共に傷付き果て行き場を無くした身の上を、鬼に付け込まれているだけなのだとしても。それで得られた彼らの心の平穏自体を否定する事は出来ない。
 ……それでも、此処に人を貪る鬼が居るのであれば。
 それによって信者たちの平穏を破壊する結果になるのだとしても、鬼を斬らねばならない。
 信者たちは心の安寧が欲しいのであって、死を望んでいる訳では無いのだし、況してや鬼に貪り喰われる最期など欠片も望んでいないだろうから。

 信者たちの話を聞く内に、もしや……と思う存在に辿り着いた。
 曰く、虹色の神秘的な瞳を持ち、神の声を聞く事が出来る者。
 曰く、その慈悲深き心で救われぬ人々を「救済」する事をその使命とする者。
 それが、この『万世極楽教』の教祖であるらしい。
 彼の導きによって「極楽浄土」へと至る事を、『万世極楽教』は目的としているそうだ。
 彼と面会する事はそう簡単では無いが、それでも彼と話をする事で「救われた」者も多いと言う。
 そんな「教祖様」とやらは、普段は寺院内で行動しているらしく、決して日中に外に出る事は無いと言う。
 ……もしやとは思うが、その「教祖様」本人が『万世極楽教』に潜む鬼なのだろうか。
 それはまだ確定出来ていないが、早急に調べる必要があった。

 そして、鬼の正体とはまた別に、幾つか「怪しい」場所の目星も大体付ける事が出来ていた。
 不自然とは言い切れない程度にだが確かに人の出入りが制限されている場所が、寺院の敷地内に幾つかある。
 それのどれかが、食事場であるのかもしれない。
 あまり派手に動く事は出来ないが、一応調べる価値はある。
 もしかすれば、姿を消した人の一部は、直ぐに殺される訳では無く、何処かに一旦閉じ込められているのかもしれない。そうであれば、消息を絶った隊士たちが生きている可能性も僅かながらにあるだろう。

 祈りの時間の際にしのぶさん達と擦れ違った際に、「教祖様」の情報を交換した上で、自分は今から目星を付けた場所を調査しに行く事を伝える。
 もし「教祖様」の事を探ってみて鬼だと言う確信が得られた場合、鎹鴉を使って連絡を取って直ぐ様合流してこれを斬ると言う作戦であった。
 もし此処に潜む鬼が……その「教祖様」が上弦の鬼であるのなら、しのぶさんやカナヲが単騎で戦いを挑むのは無謀過ぎるので、万が一にも急な戦闘が避けられない場合には全員合流するまでは無理に攻撃しようとせずに回避や防御に徹する事も作戦の内である。
 どうか大きな被害を出す事無く、此処に潜む鬼を倒す事が出来ると良いのだが……。

 激闘の予感を何処かで感じながらも、今はそれに備えるべき段階である。
 遮二無二に「教祖様」に突撃する訳にはいかない。
 とにかく、自分に出来る事をしなければならないのだ。 
 それだけはどんな時でも確実な事だった。






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