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彼岸と此岸の境界線

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【2011/07/16】


 放課後は巽くんとりせとの二人での勉強会なのだが、場所は巽屋ではなく丸久豆腐店の奥を使わせて貰っている。
 今日勉強するのは化学だ。
 巽くんは元より、りせも化学は苦手であるらしい。
 なお巽くんとは違い、りせは暗記するのは得意であるそうだ。
 ドラマ等に出演する時の台本も、特には苦もなく暗記出来たのだとか。
 それならば暗記する部分の多い社会科や生物などはノートを渡しておけば問題なく自習でカバー出来るのだろう。
 化学は酸・塩基平衡や反応速度計算など、計算を必要とする部分も多くある。
 まあ、暗記した方が速い部分もあるにはあるが。
 暗記した方が速い部分はこちらで作成しておいた一問一答形式のまとめノートと問題集で学習して貰う事にして、主に計算が必要とされている部分を一緒に見ている。

「フェノールフタレインの変色域の計算とか、意味分かんない!」

 うーっと唸っていたりせが問題集を投げ出す様にして突っ伏した。
 どうやらlogの計算で詰まってしまった様だ。
 りせを励ましつつ、投げ出したその問題を一緒に解き始める。

「まあまあ、落ち着いて。
 難しいのは分かるけど、諦めるにはまだ早いぞ。
 取り敢えず一緒に計算してみようか。
 先ずは問題文にある通りに、フェノールフタレインの酸の電離定数(Ka)は3.2×10の-10乗(mol/L)だ。
 で、変色域のpHはpKa+1≧pH≧pKa-1になる。
 pKaを計算すると、-log3.2×10の-10乗になって、それは-log2の5乗×10の-11乗になるのは分かるかな?」

 必死に計算したりせは、何とか頷いた。

「で、問題文にlog2=0.3とするとあるだろ?
 だからそれを入れて計算したら、-0.3×5+11となるからpKaは9.5って出る。
 つまりフェノールフタレインの変色域は、10.5≧pH≧8.5になるんだ」

 まぁそれはあくまでも計算上の数値であって、実際の変色域は大体8.2~10.0らしいが。

「分かった様な分からなかった様な……。
 あーあ、フェノールフタレインの変色域なんて計算して何の意味があるんだろ」

 はぁ……と溜め息を吐きながらそうボヤくりせに、まあ確かに、と頷いた。

「専門分野にでも進まなければ、こういう計算をする事は無いだろうけど。
 それでも、知識は力だからな。
 知らないよりは、知っている方が良い。
 それに知識があれば、もっと詳しく知りたいと思う原動力にも繋がる。
 そうだな……例えばだが、何故フェノールフタレインの色が変化するかりせには分かるか?」

 分からない、と首を横に振ったりせにその原理を説明していく。
 まぁそんなに難しい話ではない。

 人間が色を感じるのは、それ自体が色を出しているか、或いはその物体が連続した波長である白色光を反射しているからだ。
 物体が白色光を全て吸収するのならばそれは黒に、逆に全て反射するのならそれは白色に見える。
 で、一部だけが吸収された場合は、反射された残りの光で感じる色……補色になるのである。
 赤色が吸収されるなら、その物体は赤の補色である緑色に見えるという訳だ。
 で、物体が光を吸収する(=補色を見せる)には、吸収した光エネルギーで電子を基底状態から上の軌道へと励起させる必要があるのだが、飽和炭化水素などではその励起させるに必要なエネルギーを、エネルギーとしては少ない可視光の範囲で補うには難しい。
 しかしフェノールフタレインの様に二重結合を連続して多く持つ様な化合物だとπ電子系に多くの軌道ができる為に、励起した状態の一番下と基底状態の一番上のエネルギー準位の差はかなり小さくなっている。
 その為、可視光の小さなエネルギーでも励起状態に出来るので、可視光が吸収されて、人間にはその補色である色が見えるのだ。
 フェノールフタレインはベンゼン環を3持っているんだが、これは電離した状態……つまりアルカリ性の状態だと、3つのベンゼン環が同一平面上に並ぶ。
 同一平面上に並んでいると、π電子系が連続する為に可視光を吸収してフェノールフタレインは赤色に見える。
 しかし酸性の状態だとベンゼン環が同一平面上に無い為可視光を吸収する事が出来ない。
 その為に酸性になると無色になった様に見えるという寸法である。

「問題文で問われている様な事で無くても、そうなる原理を学ぶのは楽しいだろ?
『何故そうなるのか』、って興味を持たせる為にこういう事を勉強するんじゃないかな」

 興味を持てなければ苦痛なのは否定仕切れない。
 しかし、興味を持って調べようと思えば、中学高校の範囲の大概の答えはちゃんと見付かる。
 学びたい様に学べる環境と言うのは有り難いものだ。

「はぁ……私も先輩みたいに勉強出来たら、こんなのも楽しいって思えるのかなぁ……」

 憂鬱そうな顔をするりせに、「さてね」と返した。
 もしりせが勉強が得意であったとしても、それを楽しんで学ぶのかどうかは流石に自分には分かり様も無い事だ。
 人には得意不得意があるし、本人や周りに不利益にならない程度なら別にたかが勉強が苦手であってもそれはそれで構わないだろうとは思う。
 今回こうやって勉強会に付き合ってるのは、成績を向上させたいと巽くんやりせ自身が望んだからであるのだし。
 確かに巽くんとりせは勉強が苦手なのかもしれないが、巽くんには誰にも負けない程の手芸の腕や腕っぷしの強さもある、りせには他人を観察し分析する力があるしアイドルとして培ってきた演技力や人の耳目を集める手段にも長けている。
 偶々学校で評価されない分野を得意としていただけに過ぎないだろう。
 まあ、今は補習を回避する為にも、勉強するしか無いのではあるが。

 別の計算問題に詰まって頭を抱えている巽くんを救おうとするも、そのほぼ白いノートにこちらが頭を抱えるのであった。





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 勉強会を無事に終わらせて、昨日の約束通りに倉橋さんの家を訪れた。
 今日教えるのはコーンクリームコロッケだ。
 ついでに冷しゃぶサラダの作り方も教えるつもりである。
 なお、今回教えるのは揚げなくてもいいクリームコロッケの作り方だ。
 揚げ物を倉橋さんに教えると、どうにも揚げ過ぎて炭の様な物体にするか或いは火傷や火事を起こしそうな未来しか見えないからである。

 倉橋さんには、耐熱容器にパン粉とサラダ油を入れて混ぜ合わせ、電子レンジで1分事に混ぜ合わせつつ600Wで数分加熱して貰う。
 その間にこちらはコーンクリームを作るべく、フライパンで玉ねぎなどの材料を炒め始めた。
 牛乳にトウモロコシを加えて塩胡椒を振って加熱したクリームに更に溶き卵を加えて余熱で混ぜ合わせていく。

 後はコーンクリームの粗熱を取って固まるまで冷やすだけとなった所で、冷しゃぶサラダとドレッシングの準備を始める。
 と言っても、野菜を切って豚肉を湯通ししてドレッシングを作るだけなので極めて簡単な行程なのだが。
 が、そこで油断してはならない。
 そんな簡単な行程で摩訶不思議なアレンジを施すからこそ飯マズが飯マズたる所以であるのだから。

 やたら砂糖を追加しようとしたり醤油をぶち撒ける勢いで入れようとしたりする倉橋さんにレフェリーストップをかけつつ、どうにかこうにかしてやっとの事で冷しゃぶサラダも完成した。

 サラダが完成すると、丁度コーンクリームも冷えて固まりつつあったので、倉橋さんに準備して貰っていたパン粉をクリームの塊にまぶしていく。
 そして、グリル皿に載せてオーブンで加熱すれば出来上がりである。
 一部こちらが手伝ったが、概ね倉橋さんが作った品々だ。
 味見をした所、特に問題は無さそうである。

「うん、これならきっとお義母さんも食べてくれるわね!
 悠希ちゃん、本当にありがとう」

 会心の出来であった為か、一口味見した倉橋さんは本当に嬉しそうに微笑む。
 ……料理に妙なアレンジをしなければ、料理の基本は一応出来るのだから、普通に美味しいものが作れるのだろうとは思うのだが……。
 取り敢えず料理も作り終えた事だし、その日はそこで倉橋さんの家を後にした。





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