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彼岸と此岸の境界線

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【2011/07/14】


 今日の勉強会は、巽屋にて自分と巽くんとの二人である。
 連日の勉強会の成果なのか、巽くんの学力は若干の向上を見せ始めていた。
 期末試験までは後5日。
 この調子でいけば、脱赤点も夢では無い筈だ。
 まだ油断は出来ないが、ここまでの道程を思うと中々に感慨深い。
 無限に続く砂漠の片隅に、若芽が芽吹きつつあるのを見付けたかの様な気分である。
 勿論、全ては巽くんの努力の成果ではあるが。

 今日の科目は数学だ。
 殆どの科目で焼け野原の様な状態ではあるが、その中で比較をするならば理数系……数学の成績が一番暗澹たる有り様であった。(比較で一番マシなのは現代文である)
 故に、数学には特に力を入れて教えている。
 今日教えるのは“組合せ”及び“確率”の範囲である。
 所謂数学Aとされる範囲だ。
 “組合せ”をちゃんと理解していなくては、“確率”の範囲を正しく理解する事は出来ない。
 なので只管に“組合せ”の基礎問題を解きつつ、“確率”の基礎問題も解いていた。

 今は一時間程勉強したので、今は暫し休憩を取っている。
 人間の集中力とはそんなに長い間持続するものでは無い。
 脇目もふらずにただ闇雲に詰め込むよりは、時折休憩を挟む方が効率としては良いのである。
 まあ、休憩が主体となってしまっては意味が無いのだが。
 巽夫人が淹れてくれた緑茶を飲みつつ、差し入れてくれているおはぎを頂く。
 店売りのモノではなく、恐らくは夫人の手作りなのだろう。
 優しい甘さが、程好い温度の緑茶によく合った。
 巽夫人は、勉強熱心ではなかった巽くんが連日の様に勉強会を開いてまで勉強している事に感銘を受けたらしく、最近は巽屋にお邪魔する度に歓待してくれている。
 是非ともここは巽くんの希望通りに脱赤点を達成して、夫人を安心させてあげたいものだ。

「そういや、モロキンの件の犯人……どうなったんスかね」

 おはぎを食べつつ、巽くんがポツリと呟く。
 事件が起きて今日で四日目。
 メディアが取り上げている情報が殆ど更新されていない所を見るに、まだ逮捕はされていないのだろう。

「さあ……。まだ捕まってはいなさそうだけど」

 叔父さんが情報を漏らす訳など無いのだし、実際この件に関してはメディアで報道されている以上の事は自分は知らない。
 ……が、しかし。
 既に指名手配されているにしては、逮捕が遅い気はする。
 何かトラブルでもあったのだろうか?と思いつつも、少なくとも現段階で自分達に出来る事は無いので、この件に関しては静観するしか無いだろう。

「そっスよね。
 ……オレ、モロキンの事は大っ嫌いだったんスよ。
 やれ不良だなんだって、ワザワザ中学ン時の事まで持ち出して絡んできやがってたんで」

 そう言いながら、でも、と巽くんは続けた。

「そんでも、殺されて良いワケなんざねーし、殺したヤツがのうのうとのさばってんのも許せねーっス」

 巽くんの言葉に、そうだな、と頷いた。
 犯人であるらしい高校生にどの様な罰が科されるのかは分からないし、それは司法の領域の話だ。
 自分たちがどうこう出来るものでも無い。

 だけれども。やはり思うところはあるのだ。
 “模倣犯”が出る前に、【犯人】を捕まえられていたら、と。
 もしそう出来ていたとしても、それで諸岡先生が殺されずに済んでいたのかは分からないが。
 ……そんな事を考えてしまう。

 その後は夕暮れ時まで勉強会に励んでから巽屋を後にした。





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 本日の釣果を神社にいる不思議な女性に渡した帰りがけに、バイトを終えたのであろう高山が愛屋から出てきた所に出会した。
 帰り道が途中までは同じなので、何と無くお互いに他愛ない話をする。

 ……高山が諸岡先生の事に関して何かしら自分の中で決着を着けたのかどうかは分からないが、少なくともあの日みたいに苦しさを何処かで堪えている様な感じでは無い。

「流石に成績が下がると、バイト止めろとかって周りから言われかねないからなぁ。
 今の成績を維持出来る様には多少は勉強してるさ。
 あーあ、とっとと夏休みに入ってくれるとありがたいんだけどな」

 面倒だな、とでも言いた気な顔で高山は溜め息を吐く。
 試験が迫ってきていても高山はバイトを減らしたりはしていないらしい。
 勿論、幼い兄弟の面倒を見なくてはならないのは変わらない。
 そこにきて勉強にもある程度は力を入れているのだと言う。
 バイトに家事に勉強に、と最早休まる暇が無さそうである。

「夏休みもバイトを入れるのか?」

「そりゃ1日全部使ってバイト出来る絶好の機会だからな。
 可能な限り入れて、出来る限り稼ぐつもりだ」

 まあそうなのだろうなとは思っていたが……。

「そうか。
 バイト三昧なのは構わないが、身体を壊さない様には気を付けた方が良いぞ」

「へぇ意外だな、心配してくれてるのか?」

 少しばかり意地の悪そうな顔で訊いてくる高山に、勿論と頷いた。

「友人の健康を気にするのは、何もおかしな事では無いだろう?
 高山は日々、バイトに家事にと身体を酷使している様だからな。
 過労か何かで倒れはしないかと、心配している」

 何より、万が一にも高山が倒れたりしたら、高山の家族が心配するだろう。
 女手一つで一家を養っているという母親も、幼い悟くんと志保ちゃんも。
 彼らに心労をかける事は、高山にとっては本意ではない筈だ。
 なので、そんな事態にならないで欲しいとは心底思っている。

「そ、そっか……」

 何故か高山はどぎまぎとした様に視線を彷徨わせた。
 ……?
 何か自分はおかしな事でも言ったのだろうか……?
 自分の発言を思い返してみても、特には変な部分は思い当たらない。
 はぁ、と溜め息を吐いて片手で顔を覆った高山は、何かを振り払うかの様に僅かに首を横に振る。

「あー、うん。心配してくれて、ありがとな。
 何つーのか、ストレートに心配されててちょっと面食らったわ。
 ま、心配されなくても身体は資本だからな、精々大事に使うさ」

 丁度分かれ道に差し掛かった所で、高山とはお互い手を振って別れた。





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