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彼岸と此岸の境界線

◆◆◆◆◆





【2011/07/11】


 朝、通学路で出会った花村は、あまり眠れなかったのか、その目の下に薄くクマを作っていた。
 実感があまり沸かなかったとは言え、担任として見知っていた諸岡先生が殺された事は、花村にとって酷くショックな事であった様だ。
 ……或いは、事件を防げなかったという自責の念からだろうか。
 どちらにせよ、思い悩み過ぎて花村が倒れてしまっては元も子も無い。
 こう言っては何だが……、気にし過ぎないと言うのも一つの手ではある。
 取り敢えず、目元のクマには蒸しタオルでも当てておく様にと花村にアドバイスを送った。




◇◇◇◇◇




 教室内は、やはり事件の事……そして後任の担任になる教師についての推論等で持ちきりであった。
 殆どの生徒が、好いては無かったとは言えども身近な存在であった諸岡先生の死を、何処か非現実的なモノの様に感じている様だ。
 まあ、無理も無い……か。
 自分とて、ちゃんと実感しているのかと問われても、確と頷く事は出来ない。
 始業を知らせるチャイムが鳴ると同時に、教室の前扉から入ってきたのは……生物学教師の柏木先生であった。
 ……諸岡先生では、無い。

「おっはよぉ。
 今日から貴方たちの担任になった、柏木典子でぇす」

 後任の担任としては予想外の人物に、教室内に騒めきが走った。

「知ってると思うけど、諸岡先生が亡くなられたので……。
 私が代わりに、あなた達のお相手をする事になった訳ぇ、うふふ……」

 不自然極まり無い程に科を作りながらそう柏木先生は言う。
 媚びた様な甘ったるい声や、ドン引きする位に胸元の開いた服など、ツッコミたい所は多々あるが……。
 それ以上に、……やはり諸岡先生は亡くなったのだ、とまるでストンと胸に何かが落ちたかの様に実感してしまった。

「はぁい、じぁあ、まず。
 諸岡センセに黙祷を捧げまぁす。
 はぁい、じゃあ目を閉じてぇ……」

 柏木先生に言われるままに目を閉じて黙祷する。
 …………。
 ……嫌いな教師では無かったし、決して人間的に受け入れられない様な人では無かった。
 殺される様な理由があったかどうかは知らないが、……殺されなくてはならない理由等は無かっただろう。
 だから唯々……、諸岡先生への哀悼の思いが胸に渦巻く。

「はい、もう良いわよぉ」

 柏木先生の声を合図に目を開けると……。
 ……何故か柏木先生は教卓の上に腰掛けていた。
 ギョッとする生徒達に構う事無く、柏木先生は至ってマイペースに、こんな状況下ではあるが期末試験は何時もの様に執り行うと告げる。
 こんな状況だからこそ、何時も通りに……との事らしい。
 まあその理屈は分からないでは無いが、基本的にテストを喜ぶ学生は居ない。
 その段階で生徒の不満を表すかの様な囁き声が教室内のあちらこちらから噴出していたのだが、柏木先生はそれらの声には全く動じず、何故か本日転入してきたばかりのりせの事を言及し始める。
 どうやら柏木先生は、りせへ何かしらの対抗意識を燃やしているらしい。
 最早ドン引きのレベルである。
 教室内の雰囲気も、(うわぁ……)と言う生徒達の何とも言えない心の声が漏れ出ているかの様なものになった。

 ホームルームが終わり柏木先生が教室を出ていくと、途端に教室内が騒めく。
 話題の大半は、“りせちー”についてであるが。
 中にはりせの『シャドウ』が映っていた《マヨナカテレビ》についての話や、或いは故諸岡先生が隠れ“りせちー”ファンであった事について噂しているものもあった。
 …………。
 あの《マヨナカテレビ》の話題が出ると、特に男子生徒の食い付きが良く、その辺りからも《マヨナカテレビ》の噂が広がっているのを実感した。

 そんなザワザワとした教室内も、先生が入ってくると徐々に静かな状態に戻る。
 そして何時も通りに授業が始まった。





◆◆◆◆◆





 放課後、皆で今回の事件について話合う為に何時ものフードコートで待ち合わせをした。
 直射日光を避ける為、簡易ながらも屋根がある場所のテーブルを陣取る。
 各自で飲み物を購入し、一先ずは渇いた咽を潤した。
 さて何から話そうかと思った時、ふとクマの事が意識に上る。

「そう言えば花村。
 昨日、あの後クマはどうなったんだ?」

 花村に任せっきりにしてしまったが、流石に気にかかる事柄だ。
 そう訊ねると、何とかなった、と花村は説明してくれた。

「あー、アイツか。
 ま、簡単に言や、ジュネスのマスコットとして住み込みで働く事になった。
 着ぐるみのマスコットってのは子供受けは良いんでジュネスでも採用を検討してたんだが、中々良いのが無くってな。
 ま、そこを見込んで親に交渉してみたら、割りとあっさりOKが出たよ」

 どうやら今は、店内の催事場付近で風船配りをしているそうだ。
 クマは人懐っこく愛嬌も抜群だし、既に膨らませてある風船を配る程度なら問題なくこなせる様である。
 何にせよ、クマにこちらの世界での居場所があって何よりだ。

「あー……発想を逆転させて、寧ろ着せたんスね」

 上手い考えだとばかりに巽くんは頷いた。
 風船配りが終了し次第、クマはこちらに合流するそうなので、事件について本格的に話合うのはそれ以降でも構わないだろう。
 それまでの時間潰しに、と皆で雑談を始める。
 しかしまあ……雑談と言っても、こんな時期に話題に上るのは来週の期末試験かその先にある夏休みの事が主になるが……。

「あーぁ……来週には期末かぁ……。
 うわぁ……久々の赤、来なきゃ良いけど」

 早速サイダーを一口飲んでから、だれる様に里中さんはテーブルに突っ伏す。

「里中が赤取るの、割りとある事じゃん」

 何を今更、とばかりな態度で軽くからかう花村の言葉に、里中さんは跳ね起きる様にして噛み付いた。

「花村に見せた事無いっしょ!
 大体そう言う花村はどーなんよ!」

「俺はまー……ここ一週間は試験勉強ボチボチやってたよ。
 昨日は流石に無理だったけどさ」

 里中さんの返した言葉に更にそう花村は返す。
 ここ一週間程……という事は、前に一条達と四人で遊びに行った日位からか。
 赤点回避、と言う目的の為に花村は鋭意努力している様だ。
 同じ穴の狢かと思っていた花村が、まさか既に試験勉強を始めていたとは思っていなかった里中さんは、一瞬鼻白んだ様な顔になった。
 そんな里中さんをフォローしようとしてか、天城さんが口を開く。

「でも、千枝って赤点以外の科目はいつも平均以上はあるよね」

 フォローになってるのかは微妙な言葉に、里中さんは軽く呻いて再び机に突っ伏した。
 ……まぁ赤点の科目が在っても、総合点が赤点になるよりはまだ良いとは思うが……。

「補習の心配しなきゃなんねーよりは、良いじゃないっスか」

 巽くんが思った事を素直にそう言うと、里中さんは「そうだけどさー……」と力無く呻いた。
 すると、そんな様子を見ていたりせが、ふと楽しそうな笑い声を溢す。
 何か面白い事でもあったのか、と訊ねると、フルフルとりせは緩く首を振った。

「私ね……新しい学校でも、どうせ当分は友達とかは出来ないって思ってたから……。
 だから、こういう感じの時間を皆と過ごせるのが、何か嬉しくて……」

 友達が出来た事を喜ぶりせに、天城さんは「そうだね」と頷く。

「切欠が事件なんかじゃなきゃ、もっとよかったんだろうけど……」

 それは確かにそうであろう。
 友達になれた事は純粋に嬉しいし良い事だとは思うのだが、その切欠が死人も出ている事件だ、と言うのは少し複雑な気持ちになる。

「てか、事件って言えばさ……モロキン……ホントに殺されちゃったんだよね……」

 ふと里中さんは呟いた。
 それは昨日の段階で分かっていた事ではあったのだが……、実感を伴うには時間が必要だったのだ。
 里中さんの言葉に、諸岡先生との面識が無いりせ以外は頷いた。
 そして暫しの沈黙の後、……ポツリポツリと花村が話し始める。

「……モロキンの奴……小西先輩とか山野アナとか……、被害者の人の事を、『死んで当然』とかって言ってた事何度もあってさ。
 正直、ムカつくとか以前に許せねーって、思ってたけど……。
 そんでもさ、やっぱ……こんな殺され方、有り得ねーっつーか……。
 ……あんま上手くは言えねーけど、……可哀想、だよな……」

 諸岡先生を嫌っている生徒は多かった。
 ……今時少々珍しい位に厳しい教師ではあったから、恨みを懐いている人も……中には居ただろう。
 それでも、……やはりあの様に殺されて良い理由等は何処にも無かった筈だ。
 可哀想、と表現した花村の言葉を否定する者はこの場には居ない。

「モロキンの為にもさ、あたしらに出来る事やるしか無いよね。
 犯人、絶対に見付け出さなきゃ!」

「もうその必要はありません」


 そう言った里中さんの言葉に水を差すかの様に、静かな声が背後から投げ掛けられた。
 その声の聞こえた方向に顔を向けた巽くんが、驚いた様に固まってしまう。

「オ、オメェ……」

 振り返ったそこに居たのは……。

「……白鐘くん?」

 予想外の人物が急に現れて、思わずそう名前を呼んでしまった。
 他の皆も、白鐘くんの意図を図りかねた様な顔をしている。
 しかし、そんなこちらの戸惑いを一顧だにせずに、白鐘くんはテーブルに近付いて来た。

「必要無いって……どう言う事だよ」

 花村が椅子から立ち上がる様に、白鐘くんの発言の真意を尋ね様とする。
 すると白鐘くんは、淡々とそれに答えた。

「言葉通りの意味ですよ。
 今回の件で、容疑者が固まったからです。
 ここからは警察に任せるべきですから……」

 ……容疑者が、固まった?
 ……こちらの世界で起きた殺人事件だから、足がついたと言う事なのか……?

「容疑者って……誰なの?」

 天城さんがそう訊ねると、白鐘くんは帽子の鍔を持って深く被り直しつつ答える。

「僕も名前までは教えて貰えませんでした。
 容疑者は“高校生”なのでね。
 ああ、貴方達の学校とは違う学校の生徒の様でしたが……」

 ……高校生なら、少年法の適用範囲内だ。
 その個人情報の扱いも、より厳重にはなるだろう。
 が、問題はそんな所では無い。

「……“高校生”……?
 ……その容疑者は、確かに高校生なのか?」

 念を押す様に訊ねると、首肯を以て白鐘くんは答えてくれた。

「ええ、その様です。
 メディア等にはまだ伏せられていますが……。
 今回の容疑者手配には、余程の確信があるみたいですね……。
 今までの事件と、問題の少年との関連が、周囲の証言ではっきりとしているそうです。
 逮捕は時間の問題かもしれません。
 ……無事解決となれば、またここも元通りの鄙びた田舎町に戻るでしょう」

 ……容疑者は高校生、か。
 成る程、一つ確かな事が分かった。

 今回の事件の容疑者は、【犯人】では無い。

 天城さん以降の件の状況証拠と証言から、【犯人】はその犯行時に車を用いている事が既に分かっている。
 しかし、高校生ではどう頑張っても車の運転は出来ない。
 稲羽は、流石に無免許運転を許容する様な場所では無いからだ。
 そんな事をしていたら、この何かと人の目がある稲羽では目立って仕方が無いだろう。
 つまり、今回の事件の容疑者は、自分達が追っている【犯人】では無い。
 模倣犯か何かは知らないが……少なくとも直接の繋がりは無いだろう。
 ……だが、ふと“今までの事件”と白鐘くんが口にしていた事に気付き、微かに首を傾げた。

「今までの事件って……。
 警察は今回の件の犯人が、山野アナと小西先輩の件の犯人でもあるって考えてるって事に……?」

「ええ、遺体の発見状況に明らかな類似性が見られますから。
 容疑者の高校生は、己れの犯行を匂わす様な発言をしていたと、周囲に確認が取れているそうなので」

 そうは言いながらも、白鐘くん自身の目が何かに苛立つ様に僅かに曇る。
『納得がいかない』。
 白鐘くんの表情が表すのは、その感情だろうか……。
 表情を読み取られ無い様にする為か、微かに視線を伏せて白鐘くんは続ける。

「しかし……。
 諸岡さんの件は、……前の二件とは違い死因がハッキリとしているんです」

 死因、と呟いた花村の言葉に、白鐘くんは頷いた。

「後頭部への打撲。
 それによる脳挫傷……。
 それが諸岡さんの死因です。
 司法解剖の方でも確認が取れています。
 凶器として使われたモノについても、警察はほぼ同定している様です」

 ……死因すらも未だに不明だと言う山野アナと小西先輩とは、明らかに違う。
 ……そこに疑問を感じている人も、警察にはきっと居るだろう。
 今目の前に居る白鐘くんも、恐らくはそうだ。
 こちらの世界で起きた犯罪に対してなら警察は、単なる学生の集まりでしかない自分達よりも遥に有能である。
 だがしかし……、事件を早期解決させようと焦っているのか将又何か別の理由があるのかは知らないが、警察は無関係である前二件の犯行に関しても、容疑者の高校生の仕業にしてしまうつもりである様だ。

 …………。
 容疑者が無事に捕まる事は、悪い事等では無い。
 名も知れぬその高校生が、少なくとも諸岡先生を殺したのは確かなのだろうから。
 しかし、犯してもいない犯罪の罪までもを背負わされるのは、……それは間違っているだろう。
 それに、もしその容疑者の高校生が逮捕され、そして一連の事件の犯人へと仕立て上げられたとしたら……。
 ……【犯人】は、完全に息を潜めてしまうかも知れない。
 折角のスケープゴートが勝手に生まれたのだったら、……ある程度以上の判断能力を持つのなら、これ幸いとばかりに罪を全て擦り付けてしまうだろう。
 だがそれでは【犯人】を止められたとは到底言えない。
 何時【犯人】の気が変わって犯行を再び行うかも分からないからだ。
 ……今の所、殆ど証拠など無いのだ。
 犯行を完全に止められてしまえば、自分達にそれ以上【犯人】を追う事は極めて不可能に近くなってしまう……。
 矛盾している様ではあるが、【犯人】からの動きが無くては、自分達はどうのしようも無いのである。

「教えてくれて有り難いけどよ、何でまたお前はこんな所に来たんだ?
 警察の“特別捜査協力員”ってヤツなんだろ?
 こんな所で油売ってて良いのかよ」

 白鐘くんが伝えてくれた情報を整理しているのか、花村は少し複雑な表情を見せながらそう問いかけた。
 そもそもの話、こちらから尋ねたとは言え、伏せられている筈の情報を洩らす事は、本来は宜しくは無い筈である。
 それなのに白鐘くんは態々話してくれた。
 ……一体、何の意図があると言うのだろうか。

「……皆さんの“遊び”も、間もなく終わりになるかもしれない……。
 それだけは、伝えておいた方が良いかと思ったので」

 帽子の鍔の影で表情を隠す様にしながら、白鐘くんはそう答えた。

 ……こちらには“遊び”のつもりは、無い。
 全てを擲つ覚悟でやってる、とは到底言えはしないが、それでも被害者の命が懸かっているのだ。
 “遊び”で挑む様なモノでは無い。
 だが、それを白鐘くんに説明は出来ないし、彼方の世界を知らない人間が自分達の行動を見たならば、良くて“探偵ごっこ”……悪ければただの奇行にしか見えないだろう。
 “遊び”と表現した白鐘くんは、別に間違ってはいないのだ。
 その程度の客観的な認識は持ち合わせている。
 だから、それ以上は特には思わなかった。
 それに、これで終わりだと言われた所で……。
 元々、【犯人】がこれ以上犯行を重ねないと確信出来る何かがあればそれで良いと自分は思っていたのだから、“逮捕”と言う形で幕が引かれるならそれはそれで良いのだ。
 尤も、【犯人】と容疑者が別の存在である以上は、まだ終わった訳では全く無いのではあるが。

「終わるって言うなら、終わった方が良いからね。
 ……本当にこれで終わるなら、だけど。
 でも、態々伝えに来てくれて有難う」

 そう軽く頭を下げて礼を言うと、白鐘くんは面食らった様な顔をし、慌てた様に帽子の鍔を持つ。
 こちらから礼を言われるのは想定外だったのだろう。

「……関わった事自体は否定しないのですね」

「否定したって無駄だからね。
 それに白鐘くんは、それを知ったからといって、私達をどうこうするつもりは無いのだろうし」

 そう返すと、事実その通りだったらしい白鐘くんは、それ以上追及して来ようとはしなかった。
 これで話は終わりだとばかりに、白鐘くんは踵を返してその場を立ち去ろうとする。
 だがしかし、この場には白鐘くんの言葉に納得出来なかった人が居た。

「……“遊び”?
 ……遊びは、そっちの方じゃないの?」

 静かな声に確かな怒りを滲ませながら、りせはそう白鐘くんに憤りを含んだ視線を向ける。
 その言葉に、白鐘くんは足を止めて振り返って、ここに来て初めてりせに視線を向けた。

「探偵だか何だか知らないけど、あなたは、ただ謎を解いているだけじゃない。
 あなたの方こそ、私達の何を知ってるの?
 ……そっちの方が、全然“遊び”よ」

 ……りせは実際にクマの『シャドウ』との戦いを経験している。
 だからこそ、“遊び”なんて言葉では到底片付けられない危険がある事は重々承知しているのだろう。
 ……それを、“遊び”と切って捨てられた事に憤りを感じるのも、まあ無理は無い話だ。
 花村も、一応口は閉じているが、それでも思う所がある様な顔をしている。
 ……花村は、想い慕っていた小西先輩が殺された事を切欠として【犯人】を追い始めている。
 ……だからこそ、動機や思い入れはこの中の誰よりも強い。
 今は耐えているが、白鐘くんの言葉には強い憤りを感じた事だろう。
 里中さんも天城さんも巽くんも……皆、言葉にこそしていないが、それでも怒りの様な感情を白鐘くんに向けていた。
 白鐘くんはそんな皆の様子に、僅かに俯く。

「……遊び……か。
 確かに、……そうかもしれませんね」

 僅かに自嘲するかの様にそう口にする白鐘くんに、花村はお返しとばかりに皮肉る様な口調で言葉を投げ掛けた。

「ふーんそっか、容疑者固まったのに、な~んでこんなトコぶらぶらしてんだと思ったら……。
 容疑者分かったから、警察をお払い箱にされたのか?
 んで、寂しくなって来てみたとか?」

 それに対しては白鐘くんは首を横に振る。

「探偵は元々逮捕には関わりませんよ。
 それに、個々の事件に対する特別な感情と言うものも有りません」

 だが、「ただ……」と、白鐘くんは明らかに寂しさと、そして辛さや遣りきれなさをその目に映して、視線を床に落とした。

「……必要な時にしか興味を持たれないというのは……。
 ……確かに、寂しい事ですね。
 もう、慣れましたけど……」

 初めて白鐘くんが見せたそんな表情に、言葉をぶつけた当人である花村も戸惑った様な顔を見せる。

「……花村、流石にそんな言い方は無い。
 苛立ったからって、何を言っても良い訳では無いだろう」

 白鐘くんだって、自分達と同じく人間だ。
 心無い言葉に傷付く事もあるだろう。
 幾ら“遊び”扱いされて苛立っていたからといって、言って良い事と悪い事はある。
 ……白鐘くんも、少なくとも“遊び”で捜査はしてなかっただろう。
 警察という、大人の社会の中に学生という子供が飛び込んでいるのだ。
 実力を認められる迄にも多くの苦労があっただろうし、叔父さん達の態度を見ていると現場ではどちらかと言うと煙たがられている様であったので、今でも苦労はしているのだろう。
 嫌な事、辛い事、哀しい事。……そういった事も自分達では想像が付かない範囲で経験しているのかも知れない。
 それらを経験した上で尚、白鐘くんはそこに居るのだ。
 それは並大抵の覚悟や努力では成し得ない事である。
 それを、“遊び”だと貶し返したり、笑って揶揄したり、剰え“お払い箱”だなんて、冗談だとしても言って良い事では無い筈だ。

 花村も流石に言葉が過ぎたと感じたのか、素直に白鐘くんに謝る。
 花村は元々、他人にかなり気を遣う質の人間だ。
 触れるべきで無い所に触れ、更にそこを自分の言葉で傷付けたとなれば、相手が例え自分を苛立たせた相手であったとしても、罪悪感を感じたのであろう。

「気にしてはいませんから、謝って貰わなくても大丈夫です。
 でも、有難うございます。
 ……謎が多い事件でしたが、意外とあっけない幕切れでしたね……。
 じゃあ、僕はもう行きます」

 そう言って白鐘くんはこちらに軽く頭を下げて、フードコートから去っていった。





◆◆◆◆◆





 白鐘くんが立ち去ってから程無くして、着ぐるみを脱いだ状態のクマが、キラキラした笑顔を振り撒きながらフードコートにやって来た。

「ヨースケ! クマ、風船配りちゃんと出来た!
 偉いでしょ!」

 褒めて褒めてーっ!と、まるで小さな子供の様に目を輝かせるクマに、ハイハイと苦笑しながらも花村はクマをちゃんと褒める。
 まるで、少し幼い弟を可愛がっている兄の様なクマと花村の様子に思わず微笑ましくなった。

「さて、とクマも来た事だし……。
 じゃあ、事件について話合おうか。
 幸い、白鐘くんのお陰で色々と情報も集まったしな」

 そう口火を切って、現在の時点で得られている情報や、それについての考えを共有してゆく事にする。

「改めて確認するけど、私達がクマさんがこっちに来るまでは誰もテレビに入ってないんだよね?」

 そう天城さんが念を押してクマに訊ねると、クマはハッキリと首を縦に振った。

「うん。
 何か鼻が鈍くなって来てるけど、流石にそれ位は間違えないし」

 それは既に昨日聞いているが、あくまでも再確認の作業として必要なのである。
 情報の伝達に齟齬が発生するのは極力抑えなくてはならないのだ。

「モロキンの件に関して言えば、犯行は全部こっちの世界で行われたって事になるよな」

 花村の言葉に、里中さんが頷いて付け足す。

「死因も撲殺……だったって、白鐘くん言ってたもんね」

 それらの情報を元にして、今回の件には彼方の世界は関与していない、と結論を下す事が出来るだろう。

「ああ。
 前の二人は死因すら未だ不明である点を考えても、諸岡先生の件に関しては彼方の世界は何の関係も無いのだろうな。
 問題は、今回の件の犯人……高校生だという“容疑者”が、今まで私達が追ってきていた【犯人】なのかという事になるが……」

「模倣犯……だろうな」

 こちらの後を継いだ花村の言葉に、里中さんと天城さんも頷いた。
 巽くんはあまり良く分かってない感じの顔をしていて、りせとクマは“?”マークを浮かべた様な顔をしている。
 まだ話し合いに参加したばかりであまり今までの情報が無い二人と、考えるのはこちらに丸投げしがちな巽くんに、解りやすい様に説明をした。

「今までの事件では、【犯人】は車……それもある程度は大きなモノを使って犯行に及んでいる可能性が極めて高いんだ。
 しかし今回の件の“容疑者”は高校生……。
 自動車の運転免許なんて、間違いなく持ってない。
 稲羽じゃ誰が何歳でとかはほぼ筒抜けで、無免許で運転なんかしてたら一発で噂になるから、この“容疑者”が車を使っていたと言う可能性は極めて低い。
 だから、この“容疑者”は【犯人】じゃないんだ。
 つまり、一連の事件の模倣犯だって事になる」

 そう説明すると、成る程、と納得した様な顔をして三人は頷いた。

「てこたぁ、【犯人】がまた何か動くのを待つって事になるんスか?」

 そう訊ねてきた巽くんに、一つ頷く。

「そうだな。
 警察も指名手配をしているらしいし、余程の何かが起きない限りは無事に警察が“容疑者”を捕まえるだろう。
 今回の模倣犯の件に関して私達が出来る事は無いだろうしな。
 私達は、【犯人】が動いた時に、それを阻止する事を目標にすれば良い」

「ま、要は今まで通りってこった」

 花村がそう締めて、その日はそこで解散する事となった。





◆◆◆◆◆





 夜、様々な虫が蠢く虫籠を携えて、商店街にある四六商店……否、夜にだけ現れる“スナック紫路宮”へと足を運ぶ。
 マダムの愛するペット、リュウグウノツカイのアキヒコくんに餌となる虫を定期的に届ける約束をしているからだ。
 少し怪しげな雰囲気を漂わせる店のドアを開けると……。
 カウンターにいるマダムと、水槽の中のアキヒコと、そして客であろう中年男性たちの他に、エプロンを付けてカウンター奥でせっせと働く高山が居た。

「高山……?」

 思いがけない遭遇に、そう思わず声を掛けると。
 高山は皿を洗う手を止めずに顔を上げた。

「ん? 鳴上か……、驚いたな。
 この店に何か用事でも?」

「ああ、アキヒコの餌を届けにな」

 そしてそこで当初の目的を思い出して、虫籠をマダムに預けた。
 翌日以降に取りに行けば、空にした虫籠を返して貰えるという寸法だ。
 大した手間でも無いのだから、別に礼などは不要なのだが、マダムは礼として四六商店での商品を詰め合わせたモノや、時折マダムには不要だがこちらには有用なモノをくれたりもする。
 マダムは早速虫籠から虫を出してアキヒコに与えていた。
 壁一面に設置された巨大な水槽の中を元気良く泳ぐアキヒコは、最初に見た時よりも遥に大きくなっている。
 この調子で大きくなっていったら、何時かこの水槽も小さくなってしまうのでは?と少し心配にもなるが……。
 まあ何はともあれ、これで今夜の用事は終わりだ。
 マダムと少し世間話をしてからその場を後にしようとすると、どうやら高山もバイトを上がる時間だったらしく、ほぼ同時に店を出た。
 高山とこちらの帰り道の方向は少し被っているので、別れ道までは何と無く二人で話ながら歩く。
 どうやら、夜は愛屋か紫路宮の二ヶ所でバイトをしているらしい。

「……鳴上の担任って、モロキンだったじゃん」

 唐突に高山の口から諸岡先生の名前が出てきて少し驚いたが、何も言わずに頷いた。

「……モロキンってさ、やれ不純異性交友だの、風紀の乱れだのって口煩いし、実際に停学とか退学とかそういう事もやるヤツだったし……、一々言葉が豪速球な先生だったけどさ……。
 春からこっち来たばっかの鳴上は知らなかったかもしんねーけど、モロキンって、進路指導も受け持ってたんだよな。
 他にも進路指導担当してる先生は居るんだけど、モロキンはそん中でも一番熱心に進路指導してたんだ」

 それは初耳であった。
 まだ二年生の夏で、本格的な進路指導とはまだ無縁であった為、諸岡先生が進路指導をしていたのは知らなかったのだ。
 諸岡先生は相談に来た生徒の話はとても真摯に聞き、情報を念入りに集めた上で、アドバイスを行っていたのだと、高山は語る。
 実際、その指導を受けて進路を決めた生徒も多かったらしい。

「俺さ、……自分で言うのも何だけど、バイト漬けだろ。
 ま、学業成績の方はとやかく言われる程のモンじゃ無いから、先生たちにもあんまバイトに関しては煩くは言われねーんだけど……。
 でもさ、この前モロキンに進路指導してやるから来いって言われてさ、……面倒くさって思いながらも受けたんだ、モロキンの進路指導」

 そう語る高山は、ふと夜空を見上げて、何かを思い出す様な顔をした。

「俺、進学じゃなくって、就職を希望してんだ。
 この辺りの大学って、態々入る価値を俺は感じねーし、行ってみたい大学に行こうとしたら、下宿が必須になる……。
 学費と下宿代に余計な金使う位ならさ、さっさと就職して稼いだ方が良いって……、そう思ってた」

 思っていた、と高山は過去形でそう語る。

「でさ、モロキンにそう話したんだ。
 ……そしたらモロキンのヤツ、奨学金とか学費の負担減らせる制度とか、果ては格安の下宿先とかの資料とか持ってきてさ……。
『お前が選べる選択肢は多く存在するのに、端から諦めて、急いで結論を出すんじゃ無い』ってさ……。
 そんな事アドバイスしてきたんだ。
 進学するってのは、……正直あんま選択肢には無いんだけど……。
 そんでもさ、……何つーのか……、……こんなに一生懸命に、俺の進路を考えてくれてるんだなって、そう思ってさ……」

 ポツポツと語る高山の表情は、俯いている為に周囲が暗い事も相俟って分からない。
 だけどきっと……。
 諸岡先生の死を、悼んでいるのだろうとは思った。

「モロキン……殺されたんだよな……。
 今の二年でモロキンの進路指導受けたの……。
 ……俺が最初で最後、なんだよな……」

 そう語った高山は、暫し黙った後に顔を上げてこちらを見た。

「何か、ゴメンな、鳴上。
 急にこんな話をしちまって……。
 …………。
 ……でもさ、……何でかは俺にも分かんねーけど……。
 ……鳴上には、知ってて欲しかったんだ、モロキンの事」

 高山の言葉に、一つ頷く。

「そうか……。
 ……私も、……諸岡先生の事を知れて、良かったよ。
 有難う、高山」

 丁度別れ道に差し掛かっていたので、「じゃあな」と手を振って、高山はそのまま去っていった。






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