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彼岸と此岸の境界線

◆◆◆◆◆





「ムホーッ! これはアレクマか!
 女の子が身に付けていると言うブラ……「静かに、クマ!」

 途中で通りがかった女性モノの衣服売り場(下着類)に、大興奮したクマが叫びそうになった所で咄嗟にその口を塞いでそれを阻止する。
 更には、クマが掴んでいる自らの着ぐるみ(最後の防壁)から手を離そうとしたので、それも慌てて掴んで、クマが下半身を曝すのを阻止した。
 クマの鼻は塞いでいないから息は出来ている。
 何やら不満そうにクマは塞がれた口でフガフガと何事かを言いかけたが。

「良いか、クマ。
 一先ず一通りの服を手に入れて身に付ける迄は、騒いで注目されるのはダメだし、ましてやこの着ぐるみから手を離してもダメだ。
 それが出来ないなら、家電売り場のテレビに叩き返すしか無いが、それはクマだって嫌だろう?
 初めて見るモノにワクワクする気持ちは分からない訳じゃないが、今は兎に角自分を抑えてくれ。
 出来るよな?」

 ジッと目に力を入れて念を押すと、クマは少し冷や汗をかきながらもコクコクと頷いた。
 後ろで里中さんと天城さんが、頭を抱えて溜め息を溢している。
 兎にも角にも。
 こちらの世界の何もかもが初めてなクマは、見るもの全てに興味を示し、隙あらば奇行に走りかける。
 要は赤ちゃんや小さな子供と同じようなモノだ。
 これが普通の小さな子供なら、周りの人たちも「あらあら、元気な子ね」程度の反応かも知れないが、クマの見た目は中学生位のヨーロッパ系の超美少年だ。
 しかも、着ぐるみの中は全裸。
 もしここで注目を集めれば、クマが様々な意味で死んでしまう。
 だから今は兎に角、多少の奇行を取っても差し障りの無い状態にしなければならないのに、クマはその辺りが分かってないらしく、一瞬足りともクマから意識を逸らす訳にはいかない。
 ……正直に言って、かなり疲れる。

 言い聞かせた後は、二三度小規模な騒ぎを起こしかけたもののそれなりに素直にクマは連行され、やっとの事で男性用の服売り場まで辿り着いた。
 一先ず、大雑把に目測したサイズの下着を里中さんに、シャツとパンツを天城さんに買いに行って貰い、自分はクマを試着室へと放り込んで、勝手に出ていかない様に見張る。
 程無くして戻ってきた二人が買ってきた服は、まあ安くは無かったが、背に腹は代えられない。
 諦めてバイトに励むしかないだろう……。
 兎も角もそれを試着室中に居るクマへと渡して、待っていると……。

「むー……着方が全然解らんクマ。
 センセー、これどう着るクマー?」

 等と言う声がして、試着室を出てこようとしたクマが、少なくとも上半身に何も身に付けて居ないのを見てしまい、咄嗟に試着室へと押し戻した。

「わわわ、センセイ、酷いクマよー」

 クマは抗議の声を上げるが、こちらはそれどころでは無い。

「着方は教えるから……!
 だから、何も着ないままそこから出ちゃダメだって言っただろう」

 不満そうな声を上げるクマに、顔だけ試着室から出して貰って、何とか服の着方をレクチャーする。
 多少の不具合はあったものの、最終的には修正に成功し、試着室からやっとの事で出てきたクマは……。
 キラキラした空気がとても似合う、何処に出しても恥ずかしくない美少年だった。
 華を添える程度に施されたフリルと大きく開いた襟元がクマの美少年度を上げ、何故か胸元に付いていた赤い薔薇を模した小物はまるで童話の王子様が本からそのまま抜け出してきたかの様である。
 一言で言えば、とても似合っている。
 しかし惜しむらくは、この稲羽という田舎町では浮きに浮いてしまうという点だろうか。
 まあ、そもそも。
 クマの見た目ではどんな格好でも浮いてしまっていただろうが。
 ならば似合う服を素直に着せるのが一番である。
 ……服一式の値段は、遠い目になってしまいそうな値段だったが。
 ……うん、まあ……仕方無い。
 必要経費なんだと、割り切るしかないだろう。

 脱いだ着ぐるみ……クマ曰く“クマ皮”をどうするのかには少し頭を悩ませたが、花村に電話で相談して、ジュネスのバックヤードを使わせて貰う事で解決した。
 花村には色々と無理を通して貰っていて、何だか申し訳無い。
 まあ、今度ジュネスの手伝いを頼まれた時にでも、日頃の恩返しをしておこう。

 見るモノ全てに興味津々で、直ぐ様突撃しようとするクマを押し留めながら、何とか引き摺る様にしてジュネスから脱出して、花村たちが待つ商店街を一路目指した。





◆◆◆◆◆





 クマを引き摺って四六商店まで行くと、花村と巽くんは懐かしのホームランバーアイスを齧りながら待っていた。
 よっ、とこちらに右手を上げて挨拶した花村は、そのまま引き摺られてやって来たクマの姿を見てあんぐりと口を開ける。

「ク……クマか、お前?」

 信じられないと言いたげに、そう花村がクマに訊ねると。

「イッエース、ザッツライト!
 イカガデスカ?」

 日本語に不慣れな外国人が使う片言の日本語の様な不思議なイントネーションでそう言いながら、キラッと謎のポージングを行った。

「はいはい、似合ってるよ」

 やれやれと軽く溜め息を吐きつつもこちらがクマの格好を褒めると、アイスの棒を手にしたままの巽くんが驚いた様な顔をする。

「なんつーか、……スゲー見違えたっスね」

「あたしらもビックリしたけどさー。
 間違いなくクマくんだから。
 性格もまんまだし……」

 クマの奇行を思い返しているのか、遠い目をしつつ里中さんはそう言った。
 見るもの全てに興味津々なクマをここまで連れてくるのに、まあ色々とあったのだ……。

「大変だったんスね……」

 里中さんが言葉にしなかった部分を察した巽くんも、そっと遠い目になる。

「およ? ヨースケとカンジが手に持ってるのって何ー?」

 話題の渦中にあるクマはと言うと、花村と巽くんが手にしているアイスの棒が気になった様だ。

「これか? ホームランバーだよ」

 そう巽くんは答えるが、それは正確には“ホームランバーアイスの棒”だと思うが……。
 ホームランバーと言われても良く分からなかった様で、クマはキョトンと首を傾げる。

「“ほーむらんばー”?」

「あー……アイスだよアイス」

 巽くんのそれは説明になっていない。
 しかし、アイス等の氷菓の類を恐らくは見た事も食べた事も無いであろうクマに、アイスとは何ぞやと口で説明して理解して貰うのは至難の技だろう。
 すると、やれやれと首を振りながら花村が徐ろに財布を取り出して、千円札を二枚取り出して巽くんに押し付ける。

「あー、これで好きなだけアイス買って、クマと二人で分けろ。
 俺たちは今から豆腐屋行ってくるから、その間クマの面倒見ててやってくれ」

 急にお金を渡されて巽くんは少し戸惑っていたが、了解したのか一つ頷いて、クマを誘って四六商店の中へと入っていった。

「面倒見が良いんだな」

 ワイワイとアイスを選んでいる二人を微笑ましく見ながらそう言うと、花村はワシワシと頭を掻きつつ答える。

「ま、リニューアルしたクマきちの歓迎代わりだよ。
 つか、アイツの服の金、どっから出てんだ?
 あれ結構値が張ったんじゃ……」

「特捜隊の活動資金から出したよ。
 ……まあ、一週間分のバイト代は吹っ飛んでいったけど……」

 服の値段を思い返し、思わず遠い目になった。
 特捜隊の活動資金が一部こちらのバイト代でも補填されている事を知っている花村は、何も言わずにそっとこちらに手を合わせてくる。
 まあ何はさておき、巽くんがクマの面倒を見てくれている内に、所用を済ませておこう。




◇◇◇◇◇




 丸久豆腐は四六商店のすぐ横にある。
 店に入ろうとすると、丁度中から人が出てきた。

「おや……やはり貴方が来ましたか、鳴上さん」

 帽子を軽く押さえてからそうこちらに話し掛けてきたのは……白鐘くんだ。
 軽く会釈をし、挨拶を返す。

「こんにちは、白鐘くん」

 久慈川さんの情報を集めていた時に偶然出会って以来なので、凡そ二週間程振りだろうか。
 ……やはり、と言うからには、こちらが久慈川さんに会いに行くのは白鐘くんも予想していた様だ。

「今度は、久慈川りせを懐柔するおつもりですか?」

 ……成る程。
 失踪した人間がこちらに協力する様になるのを、こちらが懐柔しているからだと、白鐘くんは考えているらしい。
 こちらにそんなつもりは一切無く、その部分を白鐘くんは勘違いしているが。

「単に後輩のお見舞いに来ただけだよ。
 懐柔って言葉の意味には程遠いとは思うけど」

 そう答えても、白鐘くんは探る様な目をこちらに向ける。

「……まあ、そう言う事にしておきましょう。
 ああ、そう言えば、貴方以外の方にはまだ名乗っていませんでしたね。
 僕は白鐘直斗。
 例の殺人事件について調べています」

 ……もしかしなくても、前に叔父さんが言っていた《特別捜査協力員》とは、白鐘くんの事なのだろう。
 …………?
 すると、巽くんの事件が起きる前から動いていた事から、白鐘くんはここに派遣される前から、事件の事を調べていたのだろうか。

「成る程。
 もしかしなくても、白鐘くんが《特別捜査協力員》なのか」

「ああ、鳴上さんの叔父は堂島刑事でしたね。
 ええ、そうですよ。
 僕がその《特別捜査協力員》です」

 一つ頷き、そして、一つ意見を聞かせて欲しい、と白鐘くんはこちらに話題を振ってくる。

「今朝方発見された被害者の諸岡金四郎さん……。
 ……皆さんの通う学校の先生ですよね?」

「そうだね。
 あと補足するなら、ここに居る四人の担任でもあった」

 一つ頷きそう答えると、白鐘くんはほんの僅かに表情を曇らせた。

「……そうでしたか。
 ……第二の被害者である小西早紀さんと同じ学校の人間……。
 専らそればかりが騒がれていますが、そこは重要な所じゃない。
 もっと重要な点が、彼の一件では決定的に異なっているんですよ……」

 そう何かを確信している事を滲ませる声音で、白鐘くんは続ける。

「この人……《《テレビで報道された人》》じゃないんです。
 そして、失踪した形跡も存在しない。
 さて……どういう事なのでしょうね?」

 白鐘くんの言葉に、自分以外の三人は驚いた様に目を見開いた。
 ……成る程。
 白鐘くんが切れ者だと言うのは、確かに真実である様だ。
 この歳にして《特別捜査協力員》として警察から頼りにされるだけのモノはある。
 表立っては一連の“事件”と関連付けられてはいない天城さんたち以下の失踪事件を含めた【事件】と、明らかに今回の一件で異なっている部分に気が付いたらしい。

「さあ? 私からは確たる事は何も言えないからね。
 でも一つ言える事があるとすれば……。
 ……白鐘くんは、既に“その可能性”を考え着いているんじゃないのかな」

 既に、白鐘くんにはある種の確信があるのだろう。
 ……今回の一件は、一連の【事件】の【犯人】によるものではなく、“模倣犯”による事件なのだと。
 勿論自分も今回の件が“模倣犯”によるモノである可能性を考えている。
 だが、自分の手元にある情報だけでは、まだそれを確定は出来ない。
 しかし、何せ白鐘くんは警察と協力関係にあるのだ。
 こちらが知り得ない情報の中には、テレビ報道云々以外にも、もっと明らかに異なる部分があったのだろう。
 そこを伏せてこちらに訊ねてくるという事は……。
 ……こちらを、【犯人】或いはそれに繋がる人間として疑っているのかもしれない。
 まあ確かに、自分達の動きは、ある程度事件を調べている人間からすれば怪しいので仕方無い事ではあろうけれども。

「……成る程、そうですか。
 貴方も、そう考えているんですね……。
 ……僕は事件を一刻も早く解決したいだけです。
 皆さんの事、注目していますよ。
 それじゃ、いずれまた」

 そう言い残し、白鐘くんは悠々と丸久豆腐店を去って行った。

「なんなんだ、あいつ……」

「なんか、何でもお見通し!って感じだったね。
 テレビの事も気付いてたみたいだし」

 花村と里中さんは何処と無くぐったりとしながらそう言った。
 まあ、その気持ちは分からないでも無いが。

「警察の方にもああやって事件の真相に近い所に迫ってる人が居るのは良い事だ」

 今こちらにその疑いの目が向けられているのは良い事では無いが、何れ【犯人】に辿り着けそうになった時に警察も動いてくれるのだとしたら、それに越した事など無い。

「……あ、来てくれたんだ。いらっしゃい」

 ふとそう声を掛けてきたのは、白鐘くんが去って行った方向とは逆方向からやって来た久慈川さんだった。
 今日は店番を担当している訳では無いのか、私服である。
 大方、さっきまでは散歩に出掛けていたのだろう。
 見た所、体調はかなり良さそうである。

「こんにちは、久慈川さん。
 体調の方は、もう大丈夫なのかな?」

 そう訊ねると、久慈川さんは確りと頷いた。

「うん、すっかり元気になったよ。
 先輩は前に何度かお見舞いに来てたよね? ありがとう」

 豆腐を購入する序でに、久慈川さんの様子を訊ねていただけだ。
 お見舞いとカウントしていいのかは、若干微妙な所である。

「いや、久慈川さんが回復したのなら、それが何よりだ」

 花村たちも、良かった、と安堵の息を吐いた。

「あ……そうだ、今、時間大丈夫かな?
 あの時の事、話さなきゃって思ってたんだ。
 でも、場所移した方が良いよね……」

 巽くんとクマも入れると、総勢6名にもなる。
 それだけの人数が店先に集まっているのは商売の邪魔になってしまうし、それに流石にあの世界の事をこんな往来のど真ん中でペラペラと話すのはどうかとも思う。

「この近くなら……辰姫神社はどうだろうか?」

 虫取小僧たちがやって来る事はままあるが、基本的にこの時間帯にはあそこに人はほぼ来ない。
 あまり人に聞かれても困る話をするには、そこそこ適しているだろう。

「うん、あそこなら大丈夫だと思う」

 久慈川さんが頷いた所で、辰姫神社へと移動した。





◆◆◆◆◆





 四六商店でまだアイスを選んでいる巽くんとクマに一声掛けてから、辰姫神社の境内で久慈川さんに覚えている限りの事を聞いた。

 ……久慈川さんが言うに、巽くんが最後に久慈川さんを見掛けてから少しして、店番を丸久さんへと交代して家の方へと戻っていたらしい。
 が、その後の記憶は極めて曖昧で、気が付いた時には既に彼方側だったのだとか。
 何か店に出入りしている業者が訪ねて来なかったか尋ねてみたが、その辺りの記憶は無いらしい。
 ……やはり、直接的な手掛かりになりそうな情報は無し……か。

「あ、そう言えば、さっき白鐘って妙なヤツが店に来てたみたいなんだけど……」

 花村が思い出した様な顔をして訊ねると、久慈川さんは軽く頷いた。

「あぁ……彼、家に何度も来てるの。
 事件の事、色々訊きに来てて。
 ……でも、“あっちの世界”の事は話してない。
 言ってもムダだって、思ったし。
 先輩たちの事も色々訊かれたけど……適当に言ってはぐらかしておいた。
 “ジュネスの屋上で気を失ってた所を助けてもらった”……とかね」

 確かに、真実を言った所で信じてはくれないだろうし、見え透いた嘘を言って誤魔化していると思われて不機嫌にさせるだけだろう。
 彼方の説明が出来ない以上は、久慈川さんと自分たちとの関係性を適切に説明するのは極めて困難な話である。
 それならば、適当にはぐらかしておく方が余程良い。

「そうか。
 ……うん、誤魔化しといてくれてありがとう、久慈川さん」

「りせ、で良いよ」

 久慈川さん……いや、りせにそう言われ、了解の意を表して頷いた。
 そして、ここに来てやっと、まだちゃんと自己紹介をしていなかった事にも気が付く。

「そうだ、まだちゃんと自己紹介してなかったね。
 私は鳴上悠希。
 八十神高校の二年生だ」

 花村達も簡素ながらも自己紹介をしていき、この場にいない巽くんとクマ以外が一通り名前を教えた所で、りせが何故か何かを言おうと言い淀んだ。

「……ん? どしたん?」

 里中さんがそう訊ねると、りせは意を決した様な表情となり、突如明るい笑みを浮かべた。

「助けてくれて……ありがとね!
 嬉しかった!」

 “りせちー”としてのキャラ付けそのものの様な笑顔や口調に、ファンである花村が感極まったかの様に顔を片手で覆う。

「やば、カワイイ……。
 あー、今やっとホンモンって実感した。
 確かに“りせちー”だ……」

 ……まあ、花村が幸せそうで何よりである。
 うん、良かったな、花村。

「その……最近の私、疲れてて少し暗かったから、嫌かなと思って……。
 喋り方……変かな?
 あ、でも、世間的には今の感じの方が、私の"普通"なのかな……」

 少し困惑しつつりせはそう訊ねてくる。
 ……《どれが“本当の”自分か分からない》、と言うのがりせの悩みでありそれがりせの『シャドウ』へと繋がっていた。
 ペルソナを手に入れていたという事は、その悩みにある程度の答えを出せたのだろうとは思うのだが、何せ気を失っていた自分にはその辺りの経緯の記憶は無い。
 ……まあ何にせよ、答えを出したからといってまだ全てが解決した訳では無い為、こうやって戸惑う事もあるのだろう。

「私は、りせの好きな様にすれば良いと思うよ。
 どんな顔でも、りせはりせだ。
 それだけは変わらない。
 何も変などでは無いと、私は思う」

 人は、その場その時々で異なる顔を見せる。
 でもだからと言って、それらの顔が嘘だの演技だのと言う訳でも無い。
 それらは一側面に過ぎないが、それでもその人である事には変わらないだろう。
 その人の中で悩む分には兎も角、他人が変だの何だのと口を出す様な事でも無い。
 里中さんと天城さんも、こちらの意見に同意する様に頷いた。

「そっか……。
 うん、ありがとう。
 良かった……、最初に知り合ったのが先輩達で……。
 ……私、あの世界でみんなを助けられるんでしょ?
 あの"力"で」

 少し迷ったが、りせの言葉に頷いた。
 りせのあのアナライズの力があれば、大いに助けになるのは間違いが無い。
 だがしかし……。
 やはりあの世界は危険が伴うのだ。
 もう既にクマの『シャドウ』との戦いで力になって貰ったとは言っても、これ以上巻き込んで良いものなのかは少し迷う。
 が、りせはこちらの迷いを見透かした様に言葉を続けた。

「なら、私が仲間になった方がいいでしょ?
 みんなが私を助けてくれたんだから、今度は私がみんなの力になりたいの」

 ……りせのその目に宿る決意の光は強い。
 ……なら、これ以上迷うのは野暮と言うものだろう。

「そうか……ありがとう、りせ。
 これから、よろしく」

 右手を差し出して、りせと握手を交わす。
 それと、と。
 クマから預かっていたりせの分の眼鏡を手渡した。

「それ、なんつーのか、仲間の証みたいになってるモノでさ。
 あっちの霧も、これがあったら見通せるんだ」

 花村がそう眼鏡について説明し、それに納得した様にりせは頷く。

「そうなんだ。
 そう言えば、みんなあっちで眼鏡かけてたね。
 ふふ、ありがとう。
 これで私も仲間、だよね」

 受け取った眼鏡を大切そうに胸に抱き、りせはそう嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべた。
 “りせちー”の様に弾ける様な笑顔でも無く、初めて出会った時の様に翳りのある表情でも無い……。
 しかし、紛れも無くそれは“りせ”の表情であった。

「私、明日から、八十神高校に通うの。
 先輩たちと同じ学校。
 でも私、まだ友達いないから、仲良くしてね」

 りせの言葉に、皆思い思いによろしくと返す。
 そんな中、何やら色々入ったビニール袋を提げて、巽くんが境内へとやって来た。

「うーす、調子どうスか?」

「一通り終わった感じかな。
 それで、そのビニール袋はどうしたんだ?」

 巽くんの手に提げられていたビニール袋を指差して訊ねると、巽くんは「これっスか?」とそれを持ち上げながらこちらに歩いてくる。

「先輩らもアイス食べるんじゃねーかなって、適当に色々買っといたんスよ」

 ほら、と巽くんが開けてみせたビニール袋の中には、確かに様々なアイスが詰まっていた。
 ここに居る全員に行き渡らせてもまだ余る位にはあるだろう。
 “ホームランバー”に“ガリガリ君”、おや……“シロクマアイス”や“ガツンとミカン”まで入っている様だ。
 この暑苦しい夏の盛りの真っ昼間では、幾ら木陰が多くて直射日光からは守られてるとは言えども、屋外である以上は神社の境内だって充分暑い。
 そこによく冷えたアイスとは気が利いている。
 まあ、そのアイスの金の出所は元を辿れば花村なのだけれども。
 遠慮無く巽くんからビニール袋を受け取り、皆が皆思い思いに好きなアイスを持っていった。
 巽くんは“ホームランバー”、天城さんは“シロクマアイス”、里中さんと花村は“ガリガリ君”で、りせは“ガツンとミカン”を選ぶ。
 もう一本あったので、こちらも“ガツンとミカン”を選んだ。
 袋にはまだ“ホームランバー”が二本程残っている。

「そう言えば、クマはどうしたんだ?」

 巽くんと一緒にアイスを食べていたのではなかったのだろうか?
 そう訊ねると、巽くんは頭を掻きながら答えてくれる。

「あー、クマの野郎ならさっき食ってたアイスで当りが出たんで、もう一本を貰ってるとこっス。
 もうそろそろ来るんじゃないっスかね」

 巽くんがそう言うのとほぼ同時に、ブンブンと両手を振りながらクマも境内へとやって来た。
 その手には“ホームランバー”が握られている。

「センセー! ヨースケ!
 さっき、“アタリ”ってのが出て、これもう一本貰えた!」

 ピョンピョンと跳ねる様にして喜びを全身で表現しつつそう報告してくるクマに、微笑んで良かったなと頷いた。
 どうやらクマは“ホームランバー”をいたく気に入ったらしく、巽くんが言うにもうこれで5本目にもなるらしい。
 お腹を壊すぞ、あんまり食べ過ぎると。

 アイスを囓りながら皆で話をするが、【事件】については今朝の諸岡先生の件の分を含めた上で、これといった情報が無く、それらについてはまた明日にでも改めてと言う事になった。
 すると話題は半ば自然と学校の話になる。
 夏休みまであと一月を既に切っていると言う事で、話題はやはり今度の期末テストのものが中心となった。

「あー……しっかし、こんな時期に転入ってのも、りせも大変だよな……。
 今はモロキンの事件の事もあるし、テストも近いし……。
 つか、テストやるんかな」

 アイスを囓りつつそう嘆息する花村に、里中さんも溜め息を溢しつつ首を振った。

「テストだけはやるんじゃない?」

 憂鬱、と言う言葉をそのまま表情にしたかの様な二人に、りせが軽く笑う。

「あんな怪物を相手にして死にそうになりながら戦ったりもしてるのに、テストが大変っての……。
 ふふ、何か可笑しいね」

 まあ確かに。
 生き死にの懸かった戦いをこなす傍らでテストに悲鳴を上げると言うのは、言葉にすれば少し可笑しくはあるが。

「まあ、言われれば確かにそうなのかも知れないが。
 それでも、私達が生きている日常の中での“大変な事”と、彼方の世界での非日常での“大変な事”は重なる事無く両立するからな。
 何も変では無いさ」

 “日常”と“非日常”……。
 それら二つは連続しながらも、今の所はお互いを侵食する事無く自分達の生活に深く関わっている。
 学校や家などで過ごす“日常”も、【事件】解決を目指してシャドウと戦う“非日常”も。
 そのどちらもが、決して蔑ろにされるべきでは無い。

「ふーん、そんなものかな?」

 りせはそう言ってほぼ棒だけになったアイスを囓った。

「テストか……。先輩、マジ頼みます」

 二本目の“ホームランバー”を開けながら、巽くんはこちらにそう言って頭を下げてくる。
 赤点回避の為の勉強会の事だろう。
 だから、任せろ、と握った右手の親指を立てた。

「えっ、突然どうしたんだ、完二?」

 勉強会の事を知らない花村達は不思議そうに首を傾げているので、軽く説明する。

「まあ、テストに備えて私が勉強を教える事になってな。
 ほら、赤点になったら補習になるから」

 すると、突然りせが羨ましそうな声を上げて巽くんを見た。

「えー良いなー!
 私も悠希先輩に勉強教えて欲しい!
 何か、先輩頭良さそうだし、教え方とか上手そうだもん」

 頭が良さそうとか教え方が上手そうとか言われても、自分ではあまり分からないものだが……。
 それよりも、勉強会を羨ましがるという事は、りせも成績の面で何かしらの不安を抱えているのだろうか?

「りせも何か不安な科目とかがあるのか?」

 何かあるなら、巽くんの勉強会序でに教えるのもアリかもしれない。

「えーっと、一番危なさそうなのはやっぱ英語かなー……。
 数学とかも、あんま得意じゃ無いし……」

 若干視線を逸らしつつ、りせはそう言い淀む。
 まあ、りせの成績の程は知らないが……。

「もし赤点とかの不安があるんだったら、何なら一緒に勉強するか?
 巽くんも、ほぼ全教科浚わないといけない感じだからな。
 モノの序でだ。
 どうせなら補習を回避して、皆で楽しく夏休みを過ごした方が良いだろうし」

 どうせ全教科を教える必要があるのなら、一人教えるも二人教えるも、手間としてはそうは変わらない。

「え、良いの? やったー!
 悠希先輩ありがとう!」

 喜びを弾ける様な笑顔で表現し、りせはこちらの腕を掴んで抱き寄せてきた。
 勉強を教える程度でこれ程喜んで貰えて重畳である。

「クマにはよく分かんないけど、ヨースケたちも大変ね」

 計6本目の“ホームランバー”を囓りながらそうクマは溢す。
 学校に通ってないクマは、テスト等とは無縁であるから、その大変さには実感が沸かないのだろう。

「てか、クマくんどうすんの?
 流石にこのままってのはマズイし……」

 こちらの世界にやって来たクマには、住む家も生きていく為の金銭も無いし、戸籍等も持たない。
 彼方に帰れば別にどうと言う事も無い話なのかもしれないが、クマの意志を確認した所、今の所は彼方に帰るつもりは無いそうだ。
 ならば、クマが生活してゆく場所が必要になる。
 自分が一人暮らしだったら快く迎え入れていただろうし、或いは実家に居るのならば両親相手に交渉する事も考えた。
 が、今の自分は堂島家に居候中の身である。
 流石に、居候が更に居候を拾ってくるのは幾らなんでも無い。
 他の皆も各々難しそうな顔をしている……。
 ……が、花村が仕方無いとばかりに溜め息を溢した。

「仕方無いし、俺が連れて帰るよ。
 ま、一応考えがあるしな」

 花村の考えとやらが何かは分からないが、その申し出は有り難い。
 花村に確りと礼を言って頭を下げた。





◆◆◆◆◆





 食器を片付けてからテレビを点けていると、今朝の事件についてのニュースが報道されていた。
 前の二件との間にはそこそこの期間が空いていた上での事件だったからか、ニュースとしての話題性は抜群であった様だ。
 ニュース番組以外のワイドショー等でも取り上げられる程のモノである。
 ……被害者として顔写真を映し出されたのは……、やはり諸岡先生だった。
 名前も、“諸岡金四郎”と表示されている。

 …………。
 分かってはいたのだが、やはり諸岡先生は亡くなったのだ。
 ……実感としてはまだ乏しいが、軽く目を瞑って諸岡先生に黙祷を捧げる。

「どうしたの? ……お姉ちゃんの、しってるひと?」

 一緒にテレビを見ていた菜々子が、心配そうにこちらを見上げてきた。
 それに、「そうだよ」と頷く。

「……死んじゃったの?」

 悲しそうな顔でそう訊ねてくる菜々子に、「そうだね……」と答える。
 ……諸岡先生は死んだ。
 より正確には、何者かの手に拠って殺されたのだ。
 犯人が誰なのかは、今の自分には分からない。
 ……例え自分達が犯人を見つけ出して捕まえた所で、諸岡先生が死んだ事実は変わらない。
 それが……少しやりきれなかった。

「……お父さん、きょうはかえれないね……」

 寂しそうに、そして何処か不安気に菜々子は呟く。
 ……今頃叔父さんは事件の捜査に追われているのだろう。
 昼間に会った白鐘くんも、捜査を手伝っているのだろうか……?
 それは分からないが、警察が犯人を捕まえる為に努力しているのは間違いないだろう。
 菜々子を安心させる様に励ました後、気を紛らわせる為に、折り紙を持ち出して舟を折った。

「ほら、菜々子。
 ここを持って、ちょっとの間目を瞑ってて」

「? わかった」

 折った舟の帆先を菜々子に持たせ、目を瞑って貰う。
 その間にそっと折って、再び目を開けて貰った。

「! えっ、何で?!」

 帆先を持っていた筈なのに、いつの間にか舳先を持っていた事に菜々子は驚く。
 所謂だまし舟と言う折り方だ。
 折り紙としては簡単な部類だが、菜々子位の年頃の子供への受けはかなり良い。
 実際、菜々子にも大層受けている様だ。

「すごい、すごーい!
 もっかい! もっかいやって!!」

 菜々子にせがまれるまま、何度もやってみせる。
 その後種明かしをし、だまし舟の折り方やその他の折り紙の折り方を教えている内に、菜々子の不安そうな様子は何処かへと消え去っていた。





▲▽▲▽▲▽
……………………
………………
…………
……



 ……目を開けると、蒼色が目に飛び込んできた。
 ここは……ベルベットルームか……。
 何時もの様に、イゴールさんが出迎えてくれる。

「ようこそ、ベルベットルームへ……。
 久方振り、と申し上げるべきですかな?」

 以前ベルベットルームを訪れたのはりせの『シャドウ』と戦っていた時だったから、あれから凡そ二週間は経っている。
 ……久方振り、と言って良いのかは割りと微妙なラインであろう。
 それにしても、自分は寝ていた筈なので、今回は夢の中で呼ばれたのだろうか?
 そう首を傾げていると、イゴールさんは左様と頷いた。

「今宵は夢の中にてお呼び立てしたのです。
 現実の貴女は眠りに就いていらっしゃる……」

 イゴールさんは顎の下に置いている手を組み直して、僅かに首を傾げてこちらを見てきた。

「さて、如何でございましょう……。
 貴女が追う“謎”の解決に、徐々に近付いておられますかな……?」

 …………。
 それは、……どうなのだろう。
 今回の事件が【犯人】のモノであるか、或いは模倣犯のモノであるか……。
 それすらも正確には分からない現段階では、まだ何とも言えない。
 が、何も手応えが無いのかと問われると、それは違う。
 故に、“まだ分からない”と言うのが、今の所の自分の答えだ。

「……確かに、貴女の行く道にかかる霧は深いですからな……」

 こちらの答えにそうイゴールさんが頷くと、その横に座るマーガレットさんがその膝上にある本を軽く撫でながらこちらを見てきた。

「季節は移ろい……それでも尚お客様は、未だ未来を閉ざされる事無く旅路を歩んでいらっしゃる……。
 道は、何れ開けて行く事でしょう」

 マーガレットさんの言葉にイゴールさんは頷く。

「……貴女の節目となる旅路も、やがては佳境へと差し掛かります……。
 しかしそれ故に、予想だにせぬ事が、数多くその先に待ち構えておりましょう。
 貴女にとって良き事も、そうでは無い事も……。
 面白くなって参りますな……フフ」

 そうイゴールさんが言うなり、視界がボヤけ始める。

「では、再びお目にかかります時まで。
 ……ごきげんよう」

 その言葉を最後に、意識が完全に途絶えた。




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