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彼岸と此岸の境界線

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【2011/07/05】


 昼休み、何時もより早起きして気合いを入れて作ったお弁当を携えて一年の教室を訪ねると、小西くんは一人机に座って、昼食のパンを開封しようとしている所だった。
 一緒に食べないかと誘ってみると、小西くんは少し戸惑っていたが確りと頷く。
 屋上に向かうと、もう大分暑くなってきたからか、自分たち以外の人影は見当たらない。
 ……好都合だ。
 座るのに丁度良い感じに出っ張った場所に腰掛ける。
 すると、少しの沈黙の後に、小西くんが意を決した様に顔を上げた。

「あの、この前はすみませんでした。
 何か、意味分かんない事言って……。
 それ、謝りたくって……。
 でも、何か出来なくって……」

「気にしてないよ」

 小西くんは何やら気にしている様だが、自分は本当に全く気にしていない。
 そもそも、小西くんに言われるまで、全く意識に上らせてすらいなかったのだし……。
 小西くん自身で整理が付いていない事柄が、ふとした弾みで言葉になってしまっていただけに過ぎないだろう。
 それを咎める事など、自分には出来ないし、したくもない。

 まあ、今はそんな事よりも昼食だ。
 早速、お弁当を広げる。
 小西くんにお裾分けする分も含めて、かなり多目に作ってあるのだ。
 それ故に、何時も使っている物よりも大きな、ピクニック用の弁当箱になった。
 メインは勿論、昨日巽くんから聞き出した、小西くんの好物であるらしいコロッケだ。
 牛肉を入れたコロッケに、豚挽き肉を使ったミートコロッケ、カボチャコロッケ、野菜たっぷりのお野菜コロッケなどを、各々2つずつ入れてある。
 今朝の朝食にも出したが、どれも菜々子と叔父さんには好評だった。

 こちらが食べ始めると、小西くんもモソモソとパンを食べ始めるが、美味しいとか以前に、味を何も感じていなさそうな顔で、ただ義務的に口にしている。
 味が分からなくなってきている、というのは本当の様だ。
 取り敢えず、ビーフコロッケを小西くんに勧めてみた。
 箸は、予備の割り箸も持ってきてあるので問題ない。
 最初の内は小西くんは、遠慮して食べようとはしなかった。
 が、流石にパンだけでは足りなかったのだろう。
 少し遠慮しながらもビーフコロッケを持っていく。
 それを一口囓るなり、途端に目を大きく見開いた。
 そして、ガツガツという擬音が聴こえてきそうな勢いでコロッケをあっと言う間に食べきってしまう。

「その様子だと、口に合った感じかな?」

「えっと、はい……。
 なんて言うのか……。
 こんなに、“味がする”って、感じた料理って……。
 久し振りって言うか、……初めてで……。
 ……凄く、美味しかったです」

 お世辞を言っている訳では無さそうな、自然な笑みを浮かべながら、小西くんは小さく頷いた。

「それは良かった。
 小西くんは、コロッケが好きだっていうのを聞いたから。
 頑張って作った甲斐があったみたいだ」

「聞いたって……誰から……?」

 首を傾げながら訝し気に訊ねてくる小西くんに、正直に答える。

「一年の巽くん。
 幼馴染み、なんだってね」

 小西くんにとってその名前は予想外であったのか、驚いた様な顔をしてから、僅かに俯いた。

「完二が……」

「最近はつるまなくなった、って巽くんは言ってたけど、小西くんの事を心配してたみたいだったから。
 その時に、小西くんの好物を訊いたんだ」

「えっと……。何で、俺の好物を……?」

 意図を理解出来ない、とでも言いたそうな困惑した顔で、小西くんは訊ねてくる。

「前に一緒に愛屋で食べた時に、小西くん、『最近味とかが分からない』って言ってたから。
 だったら、小西くんが好きな料理を食べれば、“味”を実感出来るんじゃないかと思って」

 その効果はあった様で、何よりだ。
 空腹は人間の敵だが、味のしない食事というのも、同じ位良くないものだと、自分は思っている。

「良かったら、他のも食べてみてくれないか?
 結構自信作なんだ。
 コロッケが好きだとまでは巽くんに聞いてたんだけど、どんなコロッケが好きなのかまでは分かんなかったから、手当たり次第に作ってしまってね」

 材料の都合上、クリームコロッケ系は今回作ってないが。
 まあ、それはまたの機会で良いだろう。
 他のコロッケも勧めると、今度はすぐに箸を伸ばしてくれる。
 どれも美味しく感じて貰えた様で、一つ食べる毎に、小西くんは「美味しい」と感想を述べてくれる。
 コロッケを全部食べ終わった小西くんは、満足そうに息を吐いてから、少し俯いてポツリポツリと話し始めた。

「……鳴上さんって、変わってますよね。
 皆みたいに、遠巻きにしないし……。
 何でも分かってる様な顔で説教もしないし……。
 それでも、こうやって傍に居てくれる……。
 ……居心地、良いです、鳴上さんと居ると」

 小西くんはそう言って、何も気負った風も無く、少し嬉しそうに笑う。

「そうか……。それは良かった」

 ……それは、放っておけないと決めたのだから遠巻きにする訳など無いからだし、小西くんに説教出来る様な“何か”を自分は持っていないからだ。
 それでも、居心地が良いと言って貰えるのは、やはり純粋に嬉しかった。
 小さく頷いてから小西くんは、顔を上げて、何処か遠くを見ているかの様な優しい顔で語る。

「……俺ね、シュークリームが好きなんです。
 女みたいですけど。
 家の近くに、美味しい店があって、時々買って帰るんですけど……。
 冷蔵庫に入れておくと、何時も姉ちゃんに食われちゃうんですよ。
『賞味期限が切れかけてたから食べてやった』とか、適当な事言うから……毎回口喧嘩になるんです」

 “だった”ではなく現在形で小西先輩の事を語ってゆく。
 その口振りから、……仲の良い姉弟だったのだろうと容易に想像が付いた。
 そして、……小西くんの中で、小西先輩の事はまだ何の整理も出来ていない事なのだろうという事も。

「……でももう、シュークリームは無くならない。
 ……冷蔵庫の中で、賞味期限が切れました。
 ……俺ね、それ見た時、『あ、ひょっとして』って……『ひょっとして、姉ちゃん、居なくなったんじゃねーの』って……。
 ……だから、そのシュークリーム、捨てました」

 痛みが走ったかの様に顔を僅かに歪ませながら、小西くんは俯いて己の手に目を落とす。
 そして、小西くんは顔を上げてこちらを見た。

「前に鳴上さんに『犯人が憎いかと訊かれれば、ノーだ』って、俺、言いましたよね……。
 でも、本当はノーですら無いんです……。
 何も、分からない……」

 軽く頭を振って想いを言葉にした小西くんに、何も言わずに黙ってその続きを促す。
 小西くんはふと空を見上げた。
 朝から曇り続きの空は、まるで小西くんの心の内を映しているかの様に、分厚い雲に覆われている。
 そんな空を見上げながら、小西くんは溜め息を一つ溢した。

「俺にはただ、ぬるい日常があるだけ……。
 虚勢を張る親と、電気が消えた家があるだけ……。
 賞味期限の切れたシュークリームがあるだけ……。
 どうやったらそこから抜け出せるのか、何が自分や、……姉ちゃんの為なのか……。
 それすらも、何も分からない……」

 迷子になった子供の様な目をしながら、小西くんは俯く。
 ……何をしたら、か……。
 小西くんでは無いから、自分にはその“答え”を出す事は出来ない。
 だけど。
 考えても悩んでも、そこに……自分の内に、その“答え”が無いのならば、動くしか無い。
 それだけは分かる。

「考えて、悩んで、それでも何も分からないんだったら、後は行動あるのみ、じゃないかな」

「……分かってます」

 小西くんは溜め息混じりに頷いた。

「立ち止まっちゃってるんだってのは、分かってます。
 このままじゃダメで、動き出さなきゃいけないんだって事も……。
 ……分かっては、いるんです……」

 頭では分かっていても、それでも動き出せない、なんてよくある事だ。
 ……よく分かっているが故に、小西くんはより一層苦しいのだろうけども。

 暫しの間、小西くんは黙ったまま俯いていた。
 そして、何かを決めた様な顔をして、こちらを顔を向ける。

「そう言えば……、偶に姉ちゃん、ジュネスのバイトの後にシュークリーム貰ってきてくれて……。
 ……ジュネスのは不味いって言いながら、二人で食べたりしてたんです」

 そこまで言うと小西くんは、続きを言い辛そうに一瞬だけ視線を逸らしたが、少し目を閉じてから、再び話し始めた。

「……姉ちゃん、ジュネスのバイト、辛かったみたい。
 でも、きっとウチの店の為になるって、言ってた事あって……。
 ……フラフラしてるクセに、変な所で長女ぶるんだ、あの人。
 それが何時も、ムカつく……」

 ………………。
 彼方の世界で、小西先輩が作り出した場所に行った時に、不可抗力で聞いてしまった声を思い出した。
 ……小西先輩が辛かったのは、きっと確かだろう。
 家の為になるから、とやっていたバイトを、父親に否定されて……。
 ……辛かっただろう、とは思う。
 もう今となっては、確かめる事もどうする事も出来ない事ではあるが……。
 小西先輩の事に思いを馳せていると、小西くんが、少し躊躇いながらも小さく頭を下げてきた。

「あ、あの……。
 明日、鳴上さんの都合が良ければ……。
 ……ジュネス行くの付き合って貰っても、良いですか?
 ちゃんと、見ておきたいんです……。
 姉ちゃんが、働いてる場所を……」

 明日は、幸い特には何の予定も入ってない。
 小西くんの頼みを拒否する理由など、何も無い。
 だから勿論、了承した。

「勿論良いよ」

 そう言って頷くと、小西くんは再度頭を下げてくる。
 その後は、少し雑談をしてから、昼休みが終わる前には各自の教室に戻った。





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 放課後は、バスケ部で一条と共に汗を流し、その後長瀬も交えて商店街の愛屋で腹ごしらえをした。
 ここ最近の迷いが晴れたからなのか、一条は生き生きと部活に励んでいて、それを長瀬と二人で喜んだ。
 この調子なら、きっともう一条は大丈夫だろう。

 他愛も無い話をして時間を過ごし、一条たちと愛屋を出た所で別れてから、店仕舞いする間際の丸久豆腐店へと顔を出す。
 まだ久慈川さんは回復していないのか、店番をしていたのはお婆ちゃんの方だった。
 ……それだけ、負荷が大きかったのだ。
 今はゆっくりと休んでいて欲しい。

 その後夕飯を食べてから、中島くんの家で家庭教師のバイトをして、その日は眠った。





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