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彼岸と此岸の境界線

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【2011/07/02】


 部活で汗を流した帰り道、途中で合流した長瀬と、一条との三人で帰宅する途中で、不意に一条が川を見たいと言い出し、鮫川の河原までやって来た。
 夕陽の照り返しでキラキラと光る水面を見詰めながら、一条がポツリと話し始める。

「……ここさ、一条の家に引き取られて初めてこの町にやって来た時に、歩いた場所なんだ。
 ……よく晴れた日の夕方で……、陽が当たった川面がキラキラしてた。
 それがすっげーキレイでさ、……それ見た時、オレ……、“一条家の子として、生きよう”って……、そう思った。
 “今までの自分は、死んだんだ”って……、思おうとした」

 昔を思い出しているのか目を閉じてそう言った一条に、長瀬が少し不思議そうに訊ねる。

「……ガキん頃でか?」

「まーな。
 生意気かもしんないけどさ、……子供だって、色々考えてんだぜ」

 一条の言う通り。
 個人差はあるだろうけれど、幼い子供だって、その年齢の子供なりに色々と考える。
 他人の感情の変化とかは、どうかすると小さな子供の方がよく分かっているかもしれない。

「……ああ、そうだな」

 そう頷くと、一条は少し嬉しそうに笑った。

「ははっ、鳴上はそういうの分かるクチか……。
 ……でもさ、オレは“一条家の子として”、なんて生きてやしなかったんだ。
 ……ただ、ソレっぽい仮面を被って誤魔化してただけ。
 ……その仮面すら上手く被れなくなったんじゃ、……舞台から降りるしかないよな……」

 そう言って夕空を仰いだ一条の目には、寂しさにも似た何かが映っている。

「一条、一人で勝手に結論を出すんじゃない」

 長瀬も「鳴上の言う通りだ」と頷いて、一条を止めようとした。
 すると一条は、「まだ決めた訳じゃないから」と頷く。

「ん……まだ結論は出してない。
 それに、お前らに相談もしないでどっか行くとか、しないから」

 そう言って一条は優しく笑った。
 そして、何処か遠くを見ながらポツポツと心境を語る。

「何かさ、気ィ抜けたんだ。
 ホントの親が死んでるって、分かってさ。
 根っこ……みたいなんが、やっぱオレには無いんだなー……とか、思って……」

 ……幾ら記憶にも無い相手とは言っても。
 ……この世に生まれて一番最初に得る繋がりの先の相手が、もうこの世に居ないというというのは、一条にとってやはりショックであったのだ。

「……ご両親のお墓とか、そういうものの場所は分かるのか?」

 墓の所在が分かって墓参りに行った所で、状況が変わる訳でも無いのかも知れないが、それでも、やはりそういうものは一つの心の区切りになるとは思うのだ。
 長瀬も同じくそう思ってか、一条を励ます様に言う。

「夏休みにでもさ、墓参りにでも行こうぜ、一緒に」

 長瀬の言葉に、目の端を少し潤ませて一条は溜め息を吐いた。

「……二人とも、優しいなぁ……。
 ……でもさ、分かんないんだ、お墓とか、そういうの。
 スッゲー小さい頃から施設に居たから、そこに行く前の記憶ってのも無いし……。
 ……手紙は貰ったけど、差出人も何も無かったし、親の名前すら無い。
 全くのノーヒント」

「あの手紙か……。
 確か、お前を預けた人から、なんだろ?
 って事は、えーっと……?
 十数年以上前から、保管されてたって事か……」

 長瀬も困った様に眉間に皺を寄せた。

「一条が施設に預けられたのが十数年前となると……当時の状況を知ってそうな人は、施設の職員さん位しか心当りが無いな……」

 しかし、職員の人は、一条には教えられないと、そう言っているらしいし……。
 当時の職員さんだったが、今は退職されている様な人を探し出せば、あるいは……。

「……十数年前……」

 微かに眉を寄せた一条がポケットに手を突っ込み、中からあの手紙を取り出した。

「お前、それ持ち歩いてんのか?」

 少し呆れた様に言った長瀬に、一条は少しバツが悪そうな顔で答える。

「まあ、ほら、家の人が見たら気不味いかなって……。
 ……宛名の、“康様”って字が、滲んでる。
 慌てて書いた時みたいに、手で擦った跡っぽい。
 ……それに、封筒のカドで手が切れそうな位なんだけど……。
 ………………。
 ……どう、思う?」

 長瀬は何を言ってるのか分からないと言いた気に首を傾げた。
 長瀬は放っておく事にして、一条に自分の考えを述べる。

「……幾ら大切に保存していた所で経年劣化は免れないし。
 …………この手紙は、最近書かれたモノだと思う」

「……やっぱ、そうだよな」

 一条は真剣な顔で頷いた。
 話に付いていけなくなっている長瀬は戸惑った様に訊ねる。

「えーっと、……つまり、どういう事だ?」

「この手紙……。
 ……多分、施設の、オバチャン先生が書いたんだ。
 ……オレが訪ねてった時……、悩んでるのに、きっと気付いたから……」

 ギュッと、一条は手紙を握る手に力を込めて俯いた。

「お、落ち込むなよ。
 偽モンでも……や、偽モンっつーのもアレだけど!
 その人だって、別にお前を騙そうとした訳じゃなくってだな……」

 長瀬が慌ててそうフォローしようとするのを遮って、一条は「違うよ」と首を横に振る。
 顔を上げた一条のその目からは、涙の雫が後から後から溢れては零れ落ちていた。

「違う、違うんだ、長瀬……。
 ……嬉しいんだよ、オレ。
 優しい人が居るんだって、そう思ってさ……。
 この手紙の内容、本当かも知れないし、先生の吐いた優しい嘘なのかもしれないけど……。
 生んでくれた人がいて、育ててくれた人がいて……。
 こうやって、見守ってくれる人がいて……。
 お前らみたいに、支えてくれる人がいる……」

 涙を堪えようとしてか、空を仰いだ一条のその顔には、先程の寂寥感は微塵も残っていなかった。

「…………オレ、誰とも繋がってないって、そう思ってた……。
 でも、そうじゃないんだよな……」

 涙を溢しながら自分に言い聞かせる様にそう言った一条に、長瀬は少し呆れた様な……でもホッとした顔をする。

「……今頃気付いたのか、……遅ェよバカ」

「うっせ、お前の方がバカじゃん」

 グシグシと涙を拭って、一条は長瀬にそう言い返す。

「俺らがいるって、ずっと言ってんだろっつーんだ、このバカ」

「……バカっつった方がバカだかんな!」

 バカとお互いに言い合う二人が面白くて少し笑うと、それに釣られてか、長瀬も……そして赤くなった目で一条も、お互いに顔を見合わせて笑い声を上げた。

「……ヒデー顔してんぞ、お前。
 何なら、泳いでくか? 昔みたいにさ」

 長瀬にとっても、鮫川は一条との思い出のある場所の様だ。

「そういや、お前とよくここで遊んでたよな。
 だな、行っとく?」

 勿論、やるよな?と言外に訊ねてくる一条に、少しだけ笑って頷いた。

「流石に泳ぐのは却下する。
 でも、少し川遊びする位なら、喜んで」

「よーしっ、言ったな! うりゃ!」

 そう答えるなり早速川に飛び込んだ長瀬が、一条の顔に思いっきり水をぶっかける。
 長瀬が飛び込んだ時の水飛沫が掛かって、思わず身を震わせた。
 もう夏の熱気が蒸し暑く感じる季節になっているとは言え、流石に水温は冷たい。

「うわっ、冷てえ!! よくもやったな、そりゃ!!」

 一条と此方も水に飛び込んで、服がずぶ濡れになるまで三人で遊んだ。





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 家に帰ると、服を絞れる位にずぶ濡れだった為、叔父さんに何の後ろめたさも無い経緯を話しても流石に叱られてしまった。
 青春するのは構わないが、ちょっとは身体に気を使えとの事だ。
 間違いなく正論なので、そこは神妙に頷く。
 制服がびしょ濡れになってしまったが、幸いにも明日は休日だ。
 今晩の内に洗濯して明日の朝一で干せば、明後日の朝までには乾くだろう。

 制服を洗濯機に放り込み、晩御飯を食べてから、家庭教師のバイトへと向かう。
 今日は中島くんの期末試験に向けて、英語を重点的に教えた。

「外国人は、物を考える時も自分とこの言語で考えてるんですよね?
 ……何か、変な感じ」

 休憩時間に、中島くんは心底不思議そうな声でそう言った。

「確かに。英語とか、日本じゃ日常生活で使う事ってまず無いし、英語で何時も考えているって思うと、ちょっと不思議だね」

 そう頷くと、中島くんは「ですよね」と何度も頷く。
 そして、憂鬱そうな顔で深く溜め息を吐いた。

「今度、学校で創立記念祭があるんですよ。
 で、クラスで出し物やる事になって、女子とかが騒いでて……。
 ……はぁ」

「そういうの、苦手な感じなのかな?」

 中島くんが、そういう熱気というのか……バカ騒ぎが得意な様には見えない。

「苦手って言うよりも、……面倒って感じです。
 凄く、ね。
 ……全員、バカですよ」

 まあ、そういったうバカ騒ぎはアホらしく見える事はあるだろうが。

「全員がバカって言うよりは、そういう時期って事」

 中学生の時、或いは高校生の時にしか無い熱気の様な何かが、そういった形で表れているだけだ。
 それを一括りにバカとカテゴライズするのは、少しばかり狭量と言うモノだろう。

「……先生も前はそう思ってて、今はそうは思わない、って事?
 そんなものなのかなあ……」

 中島くんは不思議そうに、首を捻った。
 そして、暗い顔で続ける。

「……学校はそんなだし、家に帰ったらお母さんが居る。
 ……『あなたは優秀なんだから』、『あなたなら一番取れるから』。
 ……『お母さん、あなたが自慢なの』、『自慢の子供なの』……。
 …………でも、僕は……。
 ………………」

 中島くんは苦しそうに顔を歪め、俯いた。
 ……中島くんは大分追い詰められている様だ。
 学校に居場所が無く、かと言って家ではというと、過剰な程のお母さんからの期待……。
 考えるだけでも息が詰まりそうなモノだが、更に付け加えるならば中島くんは多感な中学生である。
 その辛さは、こちらが想像しているものよりも遥に強いものかも知れない。
 ……毎日が、息苦しくて仕方無いのだろう。
 ……何とかしてあげたいのではあるが……。
 悩んでいると、中島くんが不意に訊ねてきた。

「……先生は、……お金貰えるから、ここに来ているんだよね?」

 まあ、バイトとして金銭を報酬に受け取っているのは確かだが……。
 それ以上に、中島くんを放っておけないという気持ちの方が、ここのバイトを継続させ続けるつもりの動機としては強い。

「そう言う訳でも無いよ。
 お金が欲しいってだけなら、他のバイトあるし。
 それだけじゃないから、ここに来ている」

「……僕、頼んでないですよ」

 そう言いながらも、中島くんは嬉しそうに笑った。

「今まで学校と家しか無かったんで……。
 ……先生が来るの、結構、楽しみです」

 どうやら家庭教師の時間が、中島くんにとっての息抜きにもなっている様だ。
 ……少しばかり名残惜しかったが、バイトの時間を過ぎてしまったので、中島くんの家を後にした。





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