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ルフルキ短編

◇◇◇◇◇




 目を閉じればその目蓋の裏に、今でも何時だってあの人の姿を鮮やかに思い描く事が出来る。
 意志の焔が揺らめく様に秘められたその眼差しも、戦場で共に戦った時の頼もしいその背中も、名を呼ぶその声音も、手を触れ合わせた時のその温もりも、抱き締められた時にふと感じた紙とインクの匂いも。
 共に過ごした一瞬一瞬を、その時に感じた全てを。
 ルキナは何一つとして忘れてはいない。


 優しい……とても優しい人だった。
 仲間想いで、お人好しで、少し飄々としている所もあったけど、春の陽溜まりの様にとても温かな心を持った人で。
 ルキナでは到底想像仕切れない出来ない程に頭が良い人で、きっとルキナとは全く違う様にこの世界が見えていたのかもしれないけれど、ルキナでもハッキリ断言出来る程に、彼はこの世界を、そこに生きる人々を、仲間を……愛していた。
 だからこそ軍師と言う務めを、仲間達の力になる為に、仲間達を死なせない為に、誰よりも重くその責任を受け止めて全うしていた。
 ルキナに限らず彼と共に戦った誰もが、彼の策に助けられ、時には命を救われていた。
 彼は何時だって、『僕が出来るのは策を示す事だけで、それを完成させてくれたのは皆の力なんだよ』とそう謙遜するかの様に言っていたけれど。
 彼と同じ状況で同じかそれ以上の結果を導ける策を示せる人など、例え歴史を紐解いてみても片手でも足る程にすら居ないだろうとルキナは思っていた。

 もし、あの“絶望の未来”にも、彼の様な軍師が……彼が居てくれたら。
 過去に遡ってまで未来を変えなくても……あの未来の人々を見棄てなくても良かったのではないかと……。
 そんな益体も無い『もしも』を考えさせてしまう程に、ルキナは軍師としての彼に全幅の信頼を置いていた。
 ……未来の“彼”が父を裏切り殺して絶望の未来を招いたのではないかと疑っていても、それでも尚、彼は無意識にですらも心を寄せてしまう程に信頼に値する人だったのだ。

 彼の様な人が自分の傍に居てくれたのなら、もし彼が選んだのが父ではなくて自分だったのなら。
 何時しかそんな風な事すらも考える様になってしまっていて。
 何時かこの手で殺さなくてはならなくなるかもしれないのに、その覚悟はとうの昔に固めてしまっているのに。
 それでも…………ルキナは彼の事を、愛してしまった。

 だからこそ、彼の想いを、ルキナは拒む事なんて出来る訳が無かった。
『何時か貴方を殺すかも知れないのに、それでも“愛している”と言えるのか?』と、そう喉元まで出掛かった言葉を呑み込んで。
 ルキナは、彼と結ばれたのだ。

 勿論、ルキナは彼が裏切る未来など望んではいなかった。
 自分の思い過ごしであれば良いと、ただの考え過ぎなのだと。
 そう思っていたけれども。
 しかし、もしその時が来たら、その必要に迫られてしまえば。
 きっと、ルキナは、彼をこの手に掛けていただろう。
 ルキナのファルシオンが彼の胸を貫く瞬間を悪夢に見て、飛び起きてしまった事は一度や二度では無かった。

 愛しているからこそ共に過ごす時間は何よりも愛しく、そしてそれ以上にルキナの抱えた目的がその心を呵責する。
 それでも離れ難いと思ってしまったのは、想い結ばれる事で彼を自分に繋ぎ止めたかったのは、ルキナの心が弱かったからなのだろうか。
 彼ならばルキナ自身ですら分からないその答えを教えてくれるのかもしれないが、それは今となっては最早叶わない事であった。

 …………。
 彼のその底知れぬ智慧は、きっとルキナの苦悩も見透してしまっていたのだろう。
 だからこそ、彼はルキナに無償の愛を捧げると共に、何時だって何度だって刷り込む様にルキナを諭していた。
『ルキナが何を選んでも僕はそれを受け入れる』、『ルキナが守りたいものの為ならば、僕は何でも捧げる』、と。
 彼が何処まで見ていたのかはルキナには分からないが、それでも彼もまた、何時かルキナの手に依って死ぬ事すら覚悟していたのではないかと……そう思ってしまう。

 彼自身の意志ではどうする事も出来ない裏切りの可能性が示唆された時、ルキナは迷いながらも彼に剣を向けた。
 しかし、僅かにでも切っ先を動かせば喉を掻き切られると言う状態でも、彼の眼差しはどうしようもない穏やかな優しさだけが映されていて。
「いいよ」と一言だけそう言って、彼は少し寂し気に微笑んだのだ。

 彼からすれば、起きてもいない事で糾弾される事も、それによって死を望まれる事など、理不尽極まりない事である筈なのに。
 全て理解して納得済みだとでも言うようなその眼差しに、ルキナの決意は揺らいでしまった。

 ここで彼を殺せばあの未来が確実に回避出来るのなら殺すべきだ。
 それは分かっている。
 その為に、ルキナが守るべきだったあの未来の人々を見捨ててまで過去にやって来たのだ。
 それも、分かっている。
 全部、全部分かっている。
 ルキナの目的の為ならば、ここで彼を殺し確実に未来を変えるべきなのだと言う事位、理解しているのだ。
 だけど……。
 そんな理屈がとてもちっぽけなモノに思えてしまう程に、ルキナは彼を喪いたくなかった。
 彼が二度とルキナの名を呼んでくれなくなる事が、繋ぐ手のその先を永遠に喪う事が、彼と共に生きる未来が喪われる事が、あの絶望の未来以上に……受け入れ難い事になってしまっていた。

 結局ルキナは彼を殺す事が出来ず、その直後に乱入してきた父によってその場は有耶無耶になった。
 ……きっとあのまま父が割り込んでこなくても、ルキナが彼を殺せる筈など無かっただろうけれども。
 ……殺されかけたと言うのにも関わらずに、彼は決してルキナを責める事なんて無く、寧ろルキナの心を労る様に何時も以上に優しく接してくれた。
 きっと、彼が覚悟を決めてしまった決定的な瞬間はあの時だったのだろう……とルキナは思っている。

 もしもその時にルキナが彼の心中を察していれば、彼の心を慮っていれば、何かが変わったのかもしれないけれど。
 その時のルキナは己を責める事に手一杯で、他に目を向けている余裕は無かった。
 何かを“してしまった”後の後悔よりも、何かを“しなかった”後の後悔の方が耐え難いとよく言うように。
 ルキナは今となっては最早どうする事も出来ない過去を、何もしなかったあの時の自分を責めるしかない。

 邪竜ギムレーの復活の為に全ての争乱を陰から操っていたファウダーは倒れたが、その直後にルキナと同じく過去へと遡っていた未来の“ギムレー”が現れ、本来の過去のギムレーに代わり竜の力を取り戻して復活を遂げて。
 それに対抗するべく父が“覚醒の儀”を果たしたその時。
 きっと、彼は自らの“命”の使い方を決めてしまったのだろう。
 彼にその命の使い道を示してしまった神竜ナーガの思惑は、ルキナとしては考えたくはない。
 何にせよ、彼は自ら選び取り、その結末をも受け入れた。
 そしてそれをその直前まで誰にも悟らせずに事を進めて。
 そして己の存在を対価として、邪竜を未来永劫に渡って完全に消滅させた。

 確かに未来は変わった。
 邪竜が甦る事は最早有り得ず、邪竜の手による滅びが訪れる事もない。
 ルキナの闘いの目的は果たされた。
 ただその代償が彼の存在全てである事だけが、ルキナにとってはどうしようも無い程に受け入れ難い事であった……。

 存在すらも赦されぬとばかりに、彼はその身体の一欠片すらもこの世に遺す事を赦されず、彼を構成していた全ては世界に溶ける様に消えた。
 彼の縁となるのは、ルキナ達に遺された記憶だけで。
 それすら、優しくも残酷で平等な時の流れの中で薄れ行くものなのだろう。


「ルフレさん──」


 それでも、彼の姿を思い描き続ける事が出来るのならば。
 そしてそれを忘れずに居られるのならば。
 何時か、例えそれが遠い未来になるのだとしても、また逢えるかもしれないと。
 また逢いたいと、そう願って。

 ルキナは、彼が守った世界を。
 彼だけが居ない未来を、歩いて行くのであった。





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