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流れ行く日々

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【2011/05/05】


 今日は菜々子ちゃんを連れて町を散策する事にした。
 稲羽に来て三週間以上経った今、多少はこの町にも馴れてきたが、それでもやはり普段あまり行かない様な場所には疎い。
 その為、頭の中の地図の空白を埋める作業をする様な感じで、あまり行かない様な河原や神社の周辺を中心に散策する事にしたのだ。
 ちょっとしたピクニック気分である。
 昼食としてサンドイッチを用意して、準備は万全だ。
 町中を散策するだけなんて大して珍しくもないであろう菜々子ちゃんも、随分と乗り気である。
 どうやら菜々子ちゃんは鮫川(の河原)に何やら深い思い入れがある、らしい。
 それが何故なのかは分からないけれど、きっと叔母さんや叔父さんとの思い出があるのだろう。
 川の側にある四阿で昼食を取った後神社へと向かった。

 辰姫神社は古事記や日本書紀にもその名を記されている『豊玉毘売命』を御祭神としている。
 確か、『豊玉毘売命』は海の神である『大綿津見神』の娘で、山の神の娘である『木花佐久夜毘売』の子供である『火遠理命』の妻となり子供を産むが、《出産時にその姿を見てはいけない》という約束を違えた『火遠理命』に和邇の姿となって子供を産んでいる所を見られ、海と陸の道を閉ざして海に帰ってしまった……、という話だった筈だ。
 見るなと言われて余計に見たくなるその心理的な欲求は心理学的にカリギュラ効果と呼ばれる。
『何かを見てはいけない(或いはしてはいけない)』という禁忌を犯して悪い事が起きるという話は世界中の民話・神話に散見され、民話の類型としては禁室型とも言うらしい。
 例えば聖書とかだったらソドムとゴモラの話で振り返ってしまって塩の柱と化してしまったロトの妻の話もそれに当たるし、ギリシャ神話だったらパンドラの話やオルフェウスの話やエロスとプシュケーの話、日本神話ならイザナギとイザナミの別れの話もそれに当たる。
 民話レベルだとそれこそ枚挙に暇がない。
 やってはいけない事を犯して、悪い事が起きる、というのは分かりやすいモチーフなのだろう。
 異類婚姻譚では非常によくあるオチであるし。
 まあそれは置いといて、その神話から『豊玉毘売命』は出産や水難に関する厄除けなどに御利益があるとされている。
 なお、あまり関係は無いが、『豊玉毘売命』の正体でもある和邇は、因幡の素兎の伝説にも出てくる。
 この和邇の正体は、“サメ(鮫)”であるという説と“ワニ(鰐)”であるという二つの説があるのだとか。
 案外その伝説に準えて、この近くを流れる川の名前が《鮫川》なのかもしれない。

 そういう割と由緒ある神様を祀っている神社にしては人の影は無く、その拝殿は暫く人の手が入ってなさそうな感じだ。
 ……? 何故か何処からか視線を感じる。
 ふと拝殿の上を見上げると、屋根の上に何かが居た。
 それと目が合うや否や、トンと目の前に飛び降りてくる。
 屋根から降りてきたのは、狐だった。
 目付きが鋭いが、ハート柄の前掛けをかけているのが何だか可愛らしい。
 狐は何やら板きれの様な物をその口に咥えていた。
 絵馬……だろうか?
 狐はそのまま咥えていたその板を足元に置き、サッと姿を隠してしまった。
 何と無く、足元の板きれを無視は出来ず拾い上げる。

「お姉ちゃん、それなに?」

「えっと、絵馬みたいだけど……」

 絵馬の表には「おじいちゃんの足がよくなりますように」という子供が書いた感じの文字と、「けいた」という名前が添えられていた。
 そして、その絵馬の裏には変わった形をした葉っぱが貼り付けられていた。
 ……何かのおまじないだろうか?
 拾ったは良いものの、この絵馬をどうすれば良いのだろう。
 絵馬を掛けてある場所に戻せば良いのだろうか?

 その時、神社にご老人がやって来て、こちらを物珍しげに見てきた。
 どうやら、この神社に若者が来る事は相当に珍しいらしい。
 夏頃には虫取に少年たちがやって来る事もあるそうだが……。
 今は神主が不在となっているこの神社は、このご老人が時折手入れに来ているらしい。
 しかし最近は足を痛めてしまい、それも儘ならなくなっているらしい。
 孫の圭太とも遊びに行けないのだ、とご老人は嘆いた。
 もしかしなくても、このご老人はこの絵馬を書いた「けいた」少年が言う「おじいちゃん」だろうか?
 そんな事を思っていると、ご老人が絵馬の裏に貼り付けられていた葉っぱを目にして驚いた様な声を上げた。
 何やら、この葉っぱは古くからこの辺りでは湿布としての効能が知れ渡っていたらしい。
 しかし、乱獲か環境破壊が原因かは知らないがこの辺りではめっきりその姿が見られなくなっていたのだそうだ。

「た、頼む、その葉っぱを儂に譲っとくれっ!!」

 やたら熱心に頼まれ、少し思案する。
 譲るも何も、そもそもこの葉っぱは自分の物ではない。
 拾った絵馬に偶々(?)貼り付けられていただけに過ぎない。
 強いて言えば、その絵馬を書いたと思われる「けいた」少年に所有権があるのだろうか?
 しかしまぁ、少年が「おじいちゃん」の為に書いた絵馬に貼り付けられていたのだから、その「おじいちゃん」に渡したって問題は無い……とは思う。
 取り敢えず、頼まれるがままにその葉を絵馬から剥がしてご老人に手渡した。
 ご老人がその葉を足に貼り付けるなり、少し元気が無かった背筋がピンッと伸び、まるで別人の様に元気になる。
 エナジードリンク系のCMにでも出てきそうなbefore・after具合だ。

「こりゃ、巡り会わせて下さったお社様にも、たんと感謝せにゃいかんのー!」

 そんな事を言いながらご老人は凄まじい勢いで拝殿の賽銭箱に豪快にお賽銭を入れ、そのままの勢いで神社を出ていった。
 ……元気になったのは良いことなのだが、逆に不安になってくるレベルだ。
 湿布って、あれ程までに即効性がある代物だっただろうか……?
 もしかして、アブナイ感じの葉っぱだったのか……?
 ……深く考えると何だかロクな結論に至らなさそうだったので、多分プラシーボ効果的なものだったのだろう、と自分を納得させた。

「おじいさん、元気になってよかったね!」

「う、うん。そうだね、良かった良かった」

 菜々子ちゃんは純粋にご老人が元気になった事を喜んでいた。
 その純粋さが今はとても眩しい。
 ご老人の姿が完全に見えなくなった辺りで、再びあの狐が何処からか姿を現し、賽銭箱を覗いてまるで喜んでいるかの様にそのフサフサとした尾を振っている。
 そしてこちらを見て一声鳴き、パタパタと周りを走り回る。
 どうやら喜んでいるらしい。
 生き物好きの身としては、こうやって喜びを全面に表してくれているのは、何よりも嬉しい事である。

「きつねさん、可愛いね」

 そうだね、と頷き、暫くの間狐と戯れた。
 ……何だか、この狐と不思議な縁が生まれた様な気がする……。



◇◇◇◇◇




『先頃、稲羽北のATMが重機で壊され持ち去られた事件で、容疑者逮捕です。
 逮捕されたのは、重機盗難を届けていた会社の元従業員プメナ・スシン容疑者、26歳です。
 警察の調べによりますとスシン容疑者は……』

 テレビから流れてきたニュースに、皿を並べる手を休めて顔を上げる。
 確か、叔父さんが駆り出されていた事件だ。
 無事に解決した様で、喜ばしい事だ。
 ならば、今日は早目に帰ってこれるのだろうか。
 そう思った丁度そのタイミングで、車が家の前に止まる音がして、玄関を開ける音と、ただいまと言う声が聞こえた。

「おかえりなさい!」

 叔父さんの声に直ぐ様反応し、菜々子ちゃんは玄関に駆け付けて叔父さんを出迎える。
 叔父さんはその頭を優しく撫でながら、靴を脱いで居間に来た。

「叔父さん、お帰りなさい」

 数日の間に随分と草臥れてしまった上着を受け取り、ハンガーに掛ける。
 今度クリーニングに出しにいかなくては。
 いつもとは違い、叔父さんのすぐ側に菜々子ちゃんは座る。
 叔父さんに甘えているのだろう、きっと。

「……ったく、病欠で何日穴空ける気だ……。
 ほんっと最近の若いのは……。
 ……菜々子、悪かったな、また約束破っちまって……」

「あのね、お姉ちゃんたちがあそんでくれた」

 連休前にはこちらを「お姉ちゃん」とは呼ばなかった菜々子ちゃんの微細な変化に気が付いたらしい。
 叔父さんは優し気に目元を緩ませて菜々子ちゃんを見てからこちらに目をやる。

「そうか、色々と世話になった様だ。
 ……ありがとうな」

「いえ、私も菜々子ちゃんと一緒に遊べて楽しかったです」

 そうか、と笑う叔父さんの背後にジュネスの袋を見付けた菜々子ちゃんが声を上げた。
 どうやら連休のお詫びと子供の日の贈り物を兼ねたプレゼントらしい。
 叔父さんから受け取ったそれを、菜々子ちゃんは大きく広げる。
 キャラクター物のTシャツ……なのだが、何分一番肝心なプリントされたキャラクターが物凄くビミョーな感じだ……。
 恐らくは、カモノハシ……をデフォルメしたものなのだろうけれど……、目付きと言い全体的なバランスと言い、大変微妙なキャラクターだ。
 不っ細工とまでは言わないが、端的に言うと、可愛くない。
 同じカモノハシをモデルにしたキャラクターなら、関西圏のプリペイド式のICカード乗車券のキャラクターの方が可愛い。
 何を思って叔父さんはコレを選んだのだろう。
 多分……と言うか絶対に、このキャラクターよりも遥かに可愛いキャラクターもののTシャツ位、ジュネスにだって沢山置いていただろう。
 寧ろそれらの中から敢えてこれを選んでくる方が相当な手間なんじゃないだろうか……。
 叔父さんの底知れぬ美的感覚に、恐ろしいモノを感じる……。

「なんか、ヘンな絵がかいてあるー。
 へんなのー、あはは、やったー」

 菜々子ちゃん的にも、「変なモノ」であるという認識はあるらしい。
 まぁそれでも、お父さんからの贈り物だし嬉しいのだろうけれど。
 ……菜々子ちゃんが喜んでいるのだから、何も言うまい……。

 更にはどうやら自分にもプレゼントはあるらしい。
 子供扱い……という訳ではなく、連休中の事での詫びとして公平に、との事だ。
 自分に渡された袋の中から出てきたのは……ビーチサンダルだった。
 足のサイズ的にも問題は無い。
 が、しかし。
 その色は、やたら目に痛々しいショッキングピンクやら蛍光イエローや蛍光ブルーだ。
 このサンダルを商品化した人は色彩感覚が狂っていたのだろうか……?
 そして、数あるビーチサンダルの内態々この色を選んで買ってきた叔父さんの色彩感覚も大丈夫なのだろうか……?
 色彩の好みは兎も角、買ってきてくれたのは純粋に有り難い事だ。
 そこは素直にお礼を述べた。
 少し遠方にはなるが海水浴が出来そうな七里海岸はあるし、近くに川だってあるのだ。
 これから何かと入り用になりそうな物ではある。
 ここに来る際に実家から持ち込んだ荷物は極力少なくしてきたので、水着とかそういう品々は今手元に無いのだった。

「まぁ、とっとけ。
 そのうち要るだろうと思ってな。
 さて……じゃ、メシにするか」

 そう言って叔父さんは箸を取り、久々の三人揃っての食事を取る。
 菜々子ちゃんに引っ付かれて若干食べにくそうにはしていたが、叔父さんのその顔には紛れもなく笑顔が浮かんでいた。





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