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ルフルキ短編

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「ねえ、ルキナ。
 もし良かったら今から一緒に出掛けないかい?」


 普段通りの表情を装っている様でいてよく見るとその頬と耳を僅かに朱に染めたルフレが、突如そんな事を言い出したのは、丁度今朝方の事だった。

 ルキナとルフレは、ほんのつい最近の事ではあるが、男女としてのお付き合いを始めたばかりでいた。
 どちらが先に惚れていたのかとか、或いはどちらから告白しようとしていたのかとか、まあそんな事は二人にとっては最早どうでも良くて。
 『使命』に殉ずる事以外に思考に余裕が無かった……まだろくに「恋」すら知らなかったルキナが、何時しか彼の事が『使命』に比肩する程に大切になっていた事だけが、ルキナにとっては大切な事であった。
 何時か『使命』と彼を天秤に掛けなくてはならなくなる日が来る事を覚悟しながらも、それでもあの日ルフレの手を取ったのは。
 その時には既に、ルキナにとってルフレと言う存在には、それまでのルキナの「全て」であったにも等しい『使命』すらをも凌駕する程の『価値』が在ったからである。

 『使命』を捨てる事は出来ぬが故に何時かその命を天秤に掛ける日が来るのだとしても、ルキナが「時の異邦人」であるが故にずっと共に居る事は叶わず何時か離れ離れにならねばならぬ日が来るのだとしても。
 ただほんの一時、まるで泡沫の夢の様な刹那の時であるのだとしても。ルフレが自分を見て、自分を愛してくれるのなら、他には何も要らないと思えてしまう程に。
 そのほんの僅かな時間の思い出さえあれば、どんな絶望の中で迷わず進めると、どんな苦しみにも哀しみにも耐えて生きていける筈だと、そう確信出来てしまう程に。
 ルフレの存在は、ルキナにとって剰りにも大きな掛替えの無い大切なものになっていたのだ。

 そんな訳で恋人の関係になったルキナとルフレであったが、そもそも互いに誰かに「恋」をする事など初めての経験であって。
 ただ二人だけで同じ時を過ごすだけで満足してしまう事もあって、付き合い初めてからその関係にはほぼ何も進展はなかった。牛の歩み寄りも遅い進みである。
 つい先日漸く照れずに手を繋げる様になった程で、キスなんて唇を軽く触れ合わせる程度ですらまだだし、そこから先なんて遥か先の未来でしかない様に思える。
 実に初々しい、と言えばそうなのであろう。
 が、二人とも実はもう少し関係を進めたいと内心では思っているのだ。そのタイミングが掴めないだけで。

 ルフレは飄々としている所があるが、その実この手の事に関しては慣れていない処か全くの初心者である事もあってやや奥手にも感じる慎重さが枷になってしまう。
 慎重に事を進めようとするあまり、恋愛的には驚く程の牛歩戦術となってしまっているのである。
 急いては事を仕損じるとはよく言うが、亀の歩みの如き慎重さであっては、果たして関係性が進展するのは何時の事になるのやらと言う話である。
 ルキナはルキナで、そもそも何をどうすれば良いのか分からない事が多かった。
 あんな『絶望の未来』を生きていたとは言え、一応は王族として基礎教養と程度のその手の知識はある。
 が、あくまでもそれは知識止まりでしかない上に。
 そう言った物事を考えている余裕など一切無く、生きる為世界を救う為に剣を手に取り終わらぬ戦いへと身を投じて、今に至るまで戦い続けていたのだ。
 それでその手の方面に明るくなれる訳は無く、ルキナの恋愛観念はかなり未発達である。

 とにかく、二人とも恋愛下手と言うか恋愛初心者と言うか、男と女としてのそう言った関係性にはとことん不馴れであり、更には奥手であった。
 これでどちらかが痺れを切らして勢いのまま相手を押し倒したりする様であれば、また違うのかもしれないが。
 幸か不幸か、二人とも恐ろしく忍耐強い性格である。
 普通なら焦れて多少強引になりそうな所でも、二人は牛の歩みよりもゆっくりと進むのだ。
 もしかしたらその横を、亀どころか蝸牛が後ろから追い抜いていくレベルかもしれない。

 しかしそんな恋愛初心者なルフレが、ここに来てルキナを『デート』に誘った。
 これはまさに青天の霹靂の如き事態である。明日は槍の雨が降るのかもしれない。
 恋人になってからと言うもの、そう言う目的で共に出掛けた事は一度も無かったのに。
 ルフレからのお誘いにルキナは暫し固まってしまったが、その意味を理解するなり、やんわりと頬を赤く染めて微笑みと共に頷いたのであった。


 そんな訳で二人は共に出掛けたのだけれども。
 ルフレは街に出ると言う訳ではなくて、サンドイッチなどの簡単な食事を詰めたバスケットを手に、近場にあったなだらかな丘の上へとルキナを連れていった。
 ふと見上げた空はまるで名だたる芸術家達が最高の青で彩ったかの様な何処までも果てが無い蒼穹で、暖かな陽射しに照らされて色とりどりの花々が咲き誇り、鳥達は舞い踊る様に空を行き交っている。
 あの『絶望の未来』では喪われてしまったものが、この世界にはこんなにも色鮮やかに残されている。
 溢れんばかりの命が輝くこの世界が、色とりどりの輝きで彩られたこの世界が、ルキナにとっては堪らなく愛しいものであり、何に代えても守りたいものであった。

 そんな穏やかで命に溢れた丘の上で、ルフレは持ってきたバスケットからサンドイッチなどの手軽に摘まめる料理を出して、一緒に食べようとルキナを誘った。
 二人して並んで丘を見下ろす様にして座りながら、一緒にサンドイッチを頬張る。
 ルフレが一緒に居るなら、こうして外で食べると言うのも悪くはないな……とルキナが思っていると。


「こうやって、景色が良い所で一緒にご飯を食べるのを、『ピクニック』って言うんだって」


 皆に教えて貰ったんだ、とルフレはポツリと呟いた。

『ピクニック』……。
 ルキナにも、幼い頃に父と母に連れられて行った記憶はあったけれど、それはもう遠い昔の事で。
 辛く苦しい終わりのない「絶望」の日々を生き延びる為に、記憶の戸棚の奥へと仕舞いこんで固く鍵を掛けてしまったその「思い出」は、ルフレに言われるまではすっかりと忘れ去られてしまっていた。

 幸せだった時間は、もう取り戻せない事を嫌と言う程に理解してしまっていたが故に、それを抱えながら戦い続けるのは剰りにも苦しくて。
 何時しか、少しずつ少しずつ……記憶の戸棚の片隅の、更に奥へと押しやっていってしまっていた。
 でもこうしてルフレと共に穏やかな時間を過ごしていると、幸せだったあの日々の事も、とても穏やかで温かな気持ちと共に甦ってくる。
 父と母に守り愛されていた幼いあの日々に感じていた「幸せ」と、今こうしてルフレと共に過ごす事で感じる「幸せ」は、少し似ているけれどもやはり違うもので。
 でもどちらも掛替えなど無い程に愛しくて堪らない。


「『ピクニック』……、ふふ、素敵ですね」


 こんなにも穏やかなルフレと時間を過ごせて。
 こんなにも、命溢れる美しい世界で、ルフレの傍で同じ時間を共に生きる事が出来て。

 何時か……。何時か、「時の異邦人」であるが故にこの世界を去らねばならぬのだとしても。何時かルフレと繋いだこの手を離さなくてはならないのだとしても。
 こうして新しくルキナの記憶の中に刻まれた新しい「思い出」は、きっと何時までも温かく輝き、どんな暗闇の中でも空を彩る星の様にその光を届けてくれる。
 ルキナの言葉にルフレは「良かった」と微笑み、そしてそっとその指先をルキナの指先に触れ合わせた。

 指先を絡ませて、二人で寄り添いあって。
 幸せに泣いてしまいそうな程に満ち足りた時間を、決して忘れぬよう心に刻み付ける様に。
 二人は、穏やかに時を過ごすのであった。




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