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第二章 【夢幻に眠る】

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 炭治郎が頸を斬ったその瞬間、断末魔を上げのたうち回る様に激しい揺れが襲い掛かって来た。
 今はこの列車全体が鬼の身体になっているのだ。恐らくは最後部の車両に至るまで、この激しい揺れに襲われている事だろう。
 のたうち回る様に揺れながら、鬼の肉が盛り上がっては崩壊しそして其処から増殖する、と言った様な無秩序な動きを見せ、車両全体が線路から跳ね上がった。
 このままでは脱線する、横転する。
 しかも機関部は既に切り離されたとは言え、列車はまだ十分以上のスピードが出ている。

 不味い、不味過ぎる状況だ。
 炭治郎と伊之助と同様に、のたうち回る様に跳ねる車両から振り落とされない様に運転室の残された部分にしがみ付いて耐えようとしつつ、このままだと明らかに大惨事になる事を予見し、血の気が引いていた。
 脳裏には、過去に起きた様々な悲惨な結果になった鉄道事故の情報がまるで走馬灯の様に流れ、自分達がどうにかしなければ最悪の事態になりかねない事を自分が得てきた知識は必死に主張する。
 鬼がのたうち回ろうとする音とはまた別の、恐らくは煉獄さんが何かをしているのだろう激しい音が後方の車両から響き、音が響く度に跳ね上がった車両の勢いは少し落ちるがそれでは到底足りない。
 列車のスピード自体は止められないし、しかも横転する事自体はそれでは防げない。
 どうにか死者を出さずに済んだとしても、重傷者は確実に出てしまうし、それこそその後の人生が滅茶苦茶になりかねない程の傷を負う人もこのままでは出てしまうだろう。
 しかも、今乗客たちは一人残らず眠っているのだ。衝撃の瞬間に咄嗟に身を守る事も出来ない。無防備な状態のまま列車が横転すれば、大変な事になる。
 人や荷物などに潰されてしまう人も出てしまうだろう。
 どうにかスピードを落とさなくては、そして横転するのを防がなくてはならない。

 自分に出来るかどうかと言う問題では無く、やらなければならない事だった。
 だから。

「炭治郎! 伊之助!
 今から何とかして列車を止めるから! 
 だから、絶対にそこから動くな!
 何があってもそこにしがみ付いていてくれ!」

 運転室にしがみ付く二人に怒鳴る様にそんな声を上げて。
 そして、炭水車の陰に隠していた気絶した運転士を庇う様に、その上に覆いかぶさりながら。
 全力で『マハガルダイン』を使って、線路から浮き上がる車両を押さえ込む。

 それは、宛ら大気の巨人の手で跳ね回る列車全体を押さえ付けている様な感じであった。
 本来なら範囲内の全てを巻き上げ跡形も無く斬り刻む程の大規模気象現象の如き豪風で、車体を押し潰す訳でも、斬り刻む訳でも、上空高くへと巻き上げる訳でも無く、浮き上がろうとする力とほぼ等しい程度の力を以て押さえ付け続けた。
 ガリガリと精神力が削れていく、吐き気がしそうな程に頭がクラクラする、目の前が何度か真っ白になった気がしたが気合で何度も意識を引っ張り上げる。
 跳ね回ろうとする車両を、一両たりとも脱線させない様に線路の上に維持する事は、並大抵の労力では無かった。普段は出さない程の長時間の出力で、かつ対象を傷付けない様に細心の注意を払って、一秒毎に条件が変わる中で必死に対応して。それは色々と無茶を通してきた自分でも無茶だと思う力の使い方だ。
 そもそも、『マハガルダイン』はこの様な事に使う力では無い。それでも、極力被害を出さないで列車を止める方法が自分にはこれしか無かった。
 突然吹き荒ぶ豪風に、炭治郎と伊之助は悲鳴の様な声を上げる。屋根も無く、壁も無く、豪風の威力をそのままその身に受けているからだろう。だがそちらに注意を向けている余裕が今の自分には無い。ただ耐えて貰うしか無かった。
 どれ程の間、鬼の最後の抵抗とばかりに暴れ回る車両と格闘していたのだろう。
 気付けばもう『マハガルダイン』を維持する事は出来なくなっていて、だが、列車もその動きを止めていて、半ば脱線しつつはあったがちゃんと線路の上でその巨体を維持していた。
 一両たりとも、横転していない。

「や、った……」

 これなら、怪我人は最小限しか出ていないだろう。自分達は、乗客たちを鬼の手から真実守り切ったのだ。
 何とかやり切った事を確信して、思わず笑みが零れる。
 だが、もう限界だった。これ以上は何も出来ない。
 炭治郎たちは無事だろうかとは思うのだが、確認しに行ける様な状態では無かった。
 それに、もう夜明けは近付いてきている。これ以上、何かが起きる事は無いだろう。
 後始末などは、炭治郎たちや煉獄さんに任せるしかない。ああ、もう、限界だ……。
 抗い難い眠気と疲労を、やり切れた事を確信して、微笑みと共に受け入れて。

 そして、満足感にも似た喜びと共に、意識はゆっくりと水底へと沈んでいった。






◆◆◆◆◆





 まるで近くで雷が落ちた様な、或いは突然目の前で火山が噴火したかの様な。
 そんな激しい音が、耳に届いた。

 ……何が、起きているのだろう。
 少しだけそう意識の端に引っ掛かるものの、もう耐え難い程に疲れていて。
 瞼を持ち上げる事すら、叶いそうにない。
 このまま静かに泥の中に引き込まれる様に、また眠りの中に沈んでいきそうだった。
 だが、心に引っ掛かる何かが、意識が完全に落ちる事を僅かに引き留める。

 再び、激しい音が大気を揺らした。
 何十もの大太鼓を叩いている様なそれに、立ち上がらなくてはならないと心は命じる。
 でも、疲れた。もう、とても疲れているんだ……。
 指先一つ、動かす事すら難しい。この状態で何が出来ると言うんだ。
 鬼を倒した、皆の力で沢山の人を救えた。なら、それで十分じゃないか。
 十分やり切った、力を出し切った。もうこれ以上は何も出来ない。
 僅かに揺らぐ意識を抱き込もうとしている睡魔に、抗う事無く身を委ねて。そうやって眠る事の何が悪い。
 もう鬼は倒した。もう夜明けは直ぐそこなのだ。
 これ以上の何が起きると言うのだ。

 ── だが、まだ夜は明けていない。夜明けの間際と、夜明けとは全く違う。
 ── 起きろ、立ち上がれ。まだ間に合う。喪う前に、命を懸けろ。

 心の奥底から響く声に押し上げられて、意識は僅かに覚醒へと向かう。
 それでも、四肢は泥の中に沈んでいるかの様に重く、限界を迎えていた身体はどうにもならない。
 だけど。

 ━━ 煉獄さん……

 泣いている、声が聞こえた。
 ああ、これは、炭治郎の声だ。
 悔しくて、哀しくて、どうする事も出来ない自分が許せなくて、泣いている。そんな、声。
 ……どうしたんだ、炭治郎。何か、あったのか……。
 ……そんな風に、泣かないでくれ。
 自分の意思では無かったけれど、あの夢の中でその過去を見てしまったからなのか。
 炭治郎がそんな風に泣いていると、とても心配になる。

 よく分からない内に迷い込んだ『夢』の中だけど、大切なものも沢山出来たんだ。
 八十稲羽で出逢った大切な人達の様に、大事に思う人も、沢山。
 きっと、『鬼殺隊』の人達は皆、とても沢山のものを喪ってきた。
 それでも自ら戦う事を選んだ人たちだ。優しい人たちだ。
 だから、だから……。もう何も、喪って欲しくない、と。そう思うんだ。心から、思っている。
 それが綺麗事だとは分かっている。鬼と戦う為に、沢山のものが犠牲になっているのだから。
 誰かの為に、自分の命を賭ける事すら出来る人達ばかりだから。
 ……でも、だからこそ。
 この世界の苦しみや悲しみの外側からやって来た稀人……何時かは消える泡沫だからこそ。
 それを心から願って、その為に戦っても良いんじゃないかと、思うんだ。
 もう千年にも及ぶ長い戦いが、何時終わるのかは分からないけれど。
 この『夢』が醒めてしまうまでは、此処に居られる間だけでも。皆の力になりたい。

 ああ、そうか。だから、行かなくちゃいけないんだな……。

 激しい音は、まだ続いている。
 誰かが、戦っている。
 行かなくちゃ。炭治郎が、泣いている。

 ━━ 心を燃やせ! 

 煉獄さんの声が遠くから微かに響いてくる。
 ……心を、燃やす。
 そう、だな。ペルソナの力は、心の力。心さえ、その力さえあれば。きっと。


「俺は俺の責務を全うする!!
 ここに居る者は誰も死なせない!!!」

 苦しみを耐えながらそう宣言する煉獄さんの声が聞こえる。

 ……なら、そこに煉獄さん自身も含めないと、駄目ですよ。
 炭治郎が、泣いています。

 呼吸する事すら億劫な程の疲労と睡魔と戦いながら、ゆっくりと意識を浮上させゆく。
 食いしばる様に、限界を超える。
 ああ、イザナミと戦った時も、最後はこうやって食いしばり続けていたなぁ……。
 限界なんてとうに超えていたのだけれど、どうしてだか「負けられない」と言う一念で、ずっと耐えていた。
 守らなきゃならない仲間が居たし、信じてくれる人たちが居たから。負けられなかった。
 思えば、何かを「守りたい」と思ったから、自分の中の力は目覚めたのかもしれない。
【真実】を追い続けた旅路ではあったけど。最初の最初は、心の海の中に迷い込んでシャドウに襲われた陽介たちを、守りたかったからだった。
 だから、守らなきゃ。それが、自分の「始まり」なんだから。
 きっと、この『夢』を見続けている理由なんだから。


 ゆるゆると、視界が開けた。
 だけど、どうしても抜けきれない疲労感で身体はふらふらしてしまう。
 それでも、立ち上がって、ゆっくりと歩き出した。

 どうやら、列車を止めた直後に意識を喪った時から、そう時間は経っていなかった。
 夜闇は山裾から白む様に追い払われて、もう夜明けが訪れている。
 ゆっくりと列車から降りて、覚束無い足取りで炭治郎を探す。


「逃げるな卑怯者!! 逃げるなァ!!!」

 炭治郎の怒鳴る様な心からの叫び声が聞こえる。
 悲しくて、悔しくて、赦せなくて。その声は今にも泣きそうだ。
 言葉を投げる以外に何も出来ない無力に、泣いていた。

 そんな炭治郎のもとに、走る事は出来ないながらも、出来るだけ足早に急ぐ。
 他の何も目に入らない位、既に限界だった。
 でも、そこに行かなくてはならないと言う事は、分かる。
 そして。

 炭治郎は、泣いていた。
 伊之助も、泣いていた。
 膝を突いた煉獄さんを前に。その命が燃え尽きる間際に何も出来ない悔しさに。

「…………」

 よろける様に煉獄さんに近付いて、その手を取る。
 もう、その脈は辛うじて感じ取れる程度に弱々しくて。
 腹に空いた穴から零れ落ちる血の勢いも、弱いものになっている。
 呼吸は荒く顎が動いている。死を前にした人のそれだ。
 黄泉路を半ば下っているのが、分かる。
 意識も、もう無いだろう。それでも、その顔は安らかで。ただ眠っているだけの様だ。
 でも、まだその胸の鼓動は、消えていない。
 その魂は、その身体の中にある。
 なら──


「──サマ、リカーム……」

 自分に、出来る事を、しよう。
 全てを賭けて。自分の出来る、事を。

 黄泉路を下ろうとするその魂を捕まえて、ほんの少しだけその命の天秤を戻す。
 僅かに、その呼吸は柔らかなものになり、手の中に感じる脈も僅かに強くなる。
 それでも、腹に空いた傷口はそのままで。ほんの僅かな合間、死を遠ざけただけに過ぎない。
 でも、それだけの猶予があれば、十分だ。
 自分に出来る事を、するのだ。
 例え、その力に今の自分は耐えられないのだとしても。
 それは、目の前の命を諦める理由にはならない。


「──メシアライザー……!」


 自分が使える癒しの力の、最上級。
 如何なる傷も癒し、如何なる苦痛も癒す、まさに救世の光。
 この世の理を捻じ曲げる最たる力。
 鬼となり人の理を捨てねば不治の傷を癒せぬと言うのであれば、この力は一体何をどれ程捻じ曲げているのだろう。
 絶対なる死をも半ば覆す事が出来るなら、人はそれを何と呼ぶのか。
 神か、悪魔か、化け物か。
 少なくとも、それは人でしかないこの身には余る力であるのだろう。
 人として扱って貰えなくなるのかもしれない。
 それでも、良い。生きていて欲しい。どうか。

 握ったその手に祈りを託す。
 自分の限界を超えて、それでも尚と願う心の声に、従って。


 自分の全てを、その手の中の命に、賭けた。






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