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第4話『天駆ける星』

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 護衛として脇を固めていたフィレインに少し無理を言って、僅かな合間ではあるが部屋から退出してもらう。
 そしてクロムを追い掛けようとしていた少女を呼び止め、エメリナは彼女を自室に招いた。
 その場を去って行ったクロムの方を一度気にかけてはいたが、結局追い掛ける事はせずに少女は私室へと足を踏み入れる。
 聖王を前にして無礼を働く訳ではないが、緊張から縮こまる様な事もなく。
 極自然体で、少女はエメリナに相対する。
 綺麗なその緋と金の色違いの瞳は、静かにエメリナを見詰めていた。


「改めて、お礼を申し上げさせて下さい。
 有り難うございます、ルフレさん。
 クロムと共に襲撃を凌ぎ、首謀者を討ったと聞いています」

「いえ、色んな方の協力があったからこそです。
 あたしは……襲撃者を討っただけで、実際にここに立ち入らせない様に防衛線を張っていたのはフレデリクやベルベットさんたちの方ですから」


 そう静かに少女──ルフレは言う。

 クロムがある日自警団の軍師として拾ってきたと言うその少女を、エメリナはよく知っていた。
 直接的な面識はクロムから紹介された時に出会った一度きりであったが、クロムはエメリナと話している時も何かとルフレの事を話題に上らせるのだ。
 今日はルフレがこんな事をした、ルフレとこんな物を見た、ルフレの戦術がこんなに素晴らしかった、ルフレは、ルフレが、と。
 クロムは自分が見付けたルフレの事を殊の外大切にしているのだ。
 それは恐らくは、本人が自覚している以上に。
 クロムが幼い時からずっと姉としてクロムを見守ってきていたエメリナには、それがよく分かった。
 だから、一度ちゃんと彼女と一対一で話してみたかったのだ。

 本当はもっと、こんな時ではなくてゆっくりとした時に改めて話がしたかったのだけれども。
 恐らくは、もう。
 そんな機会は無いだろうから。
 だから、これが最後の機会だとばかりに、エメリナはルフレに向き合う。

 ルフレは基本的に自警団の周りで活動していたから、クロムやリズと話している時以外で王城でその話題が上る事は少なかった。
 話題に上がっていたとしても、王弟であるクロムの周りをウロウロする身元も知れぬ“山猫”だ、と。
 ルフレの存在を快く思わない者達による口さがない噂話である事が殆どであった。
 だから、エメリナにとってのルフレの印象は、クロムやリズが嬉しそうに楽しそうに語る、野を生きる獣の様に自由気儘だけれどもクロム達の事を何時も助けてくれるとても強くて頭が良い少女、であって。
 実際にこうして相対してみると、その印象は間違っていないのだと確信した。
 ひたりとエメリナを見詰め返すその瞳には、獣の様な荒々しさと……同時に恐ろしく深い叡智の輝きが灯されていて。
 それは正しく、クロムとリズが幾度もエメリナに語っていた通りであった。
 だがしかしそれだけではない。
 エメリナはこれでも十五年に渡り聖王として様々な人と接し、人の本質を見る目はそれなり以上であると自負している。
 だからこそ、抱いていた印象以上のものを、エメリナはルフレの中に見出だす事が出来た。

 ルフレは何物にも縛られない、とクロムは冗談混じりにそう言っていたが、それは真実そうなのであろう。
 記憶を喪っていたからなのか、或いはもっと別の何かの理由があるのかは分からないが。

 この少女は、国にも、歴史にも、信仰にも、凡その人々が生きていく内に囚われる関係性などの柵のその全てに、囚われてはいない。
 それは、何よりも得難い存在であった。

 柵は、その人が見る世界を歪め、その人の心を捕らえていくものだ。
 それを分かっていながらもそれでもエメリナは自らを縛る柵からは抜け出せず、自らの目に映る世界が全くの有りの儘の姿では無い事を理解しながらも歪な世界を見続けている。
 その歪な世界の中で取った行動の一つ一つが、結果として今日の事態を招いてしまったのであろう。
 エメリナは平和を望んだ。
 そして、それを実現させる為に必要だと思われる事を成した。
 それは、エメリナが見ていた世界にとっては必要で最善の事だったのだとしても、見方を変えれば最悪の一手であったのかもしれない。
 その積み重ねが、今全てを呑み込もうとしているのだ。
 他者と分かり合う為に対話と言う手段を選んだエメリナでも、如何に人と人が見ている世界からして違うのだと分かってはいても、そこを脱却しきる事は出来なかったのだ。

 だけれども、ルフレはそうではない。
 何物にも縛られず囚われない何処までも自由な彼女は、世界を有りの儘に見詰め、その上で、その恐ろしい程の叡智を以て他者が見る世界がどの様なモノであるのかを深く理解して他者と接している。

 そして、何処までも自由であるにも関わらず。
 ルフレはたった一人を、クロムと言う存在を選んでいるのだ。
 クロムに縛られている訳ではない。
 縛られる事も縛る事もないままに、ルフレはクロムに寄り添い続ける事を選んでいるのだ。
 それが如何に貴重で得難い存在であるのか、きっとクロムはまだ気付いてはいない。

 ルフレは、クロムを“絶対に”裏切らないだろう。
 それは、盲目的にクロムに従うと言う訳ではない。
 クロムに逆らう事もあるだろう、クロムがやろうとした事を止める事もあるだろう。
 だが、それはきっと。
 クロムがクロムで在り続ける為に必要な事を、ルフレはやるのだ。
 クロムが見ている世界を歪ませない為に、その為ならばきっとルフレは何でもやる。
 それは最早献身とも言えるモノで。
 そんな何処までも一途に他者を想い行動するそれこそが、ルフレと言う少女の、本質なのだろう。

 それを理解して、エメリナは安堵から微笑んだ。
 ああ、きっと、彼女が居てくれれば、クロムは大丈夫だ、と。

 例えエメリナがどうなっても、そしてクロムがどんな絶望に襲われても。
 ルフレがその手を取って導いてくれるのならば、クロムは絶対に道を誤らない。
 そう、確信した。

 だからこそ、エメリナは居住まいを正してルフレに頭を下げる。
 ルフレは、流石に突然聖王が頭を下げてきた事に驚いたのか僅かに目を見開くが、何も言わなかった。


「ルフレさん。
 どうか、──クロムをお願いします」


 きっと自分は、クロムを最後まで見守る事は出来ないだろうから。
 どうか、あの子を。
 大切な弟を支えてくれ、と。
 エメリナは、王としてではなくクロムの姉として、頼む。

 それが分かったのだろう。
 ルフレは静かに頷き、そして、この部屋に入って初めての心からの微笑みを浮かべた。


「ええ、勿論です、エメリナ様。
 何があっても、どんな時でも、何処に居ても。
 あたしはクロムを支えます。
 その為に、あたしはここに居るんですから」





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