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第4話『天駆ける星』

◇◇◇◇




「クロム。フェリアへの出立の準備が終わったわ。
 避難誘導の方も、概ね問題なく進んでいるみたい」


 ここ数日のクロムは王城に詰めっぱなしだった為ルフレと直接会うのは数日振りになるのだが、ルフレは何時もと全く変わらない様子であった。
 フェリアへと向かうクロム達に随行する自警団の仲間達の選抜やその準備、更には自警団主導で行っている民の避難誘導計画。
 それら全てをクロムはルフレに一任していた。
 ルフレはそれらを全て完璧にこなしてくれたのだ。

 随行した自警団の仲間達がフェリア到着後にイーリス・フェリア混成軍に編入される事を見越した上での武器や資材の確保と輸送準備、更には混成軍に対する後方からの物資の輸送経路の確保と商人達との交渉。
 避難誘導の為の経路作成や実際の手順の指示、避難先での避難民の生活の確保、避難先の周辺住民とのトラブル対策、食料を初めとする物資の備蓄や輸送経路の確保、それらに加えて何らかのトラブルが起きた際の対処法マニュアルの作成。
 それらを全て、ルフレはこなしていた。
 さしものルフレでも、ここ数日はそれらに掛かりっきりだった様だ。
 王城に自由に出入りする権限はルフレには無い為、フレデリクを通してその報告は日々上げられていた。
 が、いよいよ明日フェリアに向けて出立すると言う事もあって、こうして直接顔を合わせたかったので、クロムがルフレを王城に招いたのだ。
 と、言ってもルフレが入っても良いと文官たちに許可されたのは裏門の近くの庭までであったのだが。

 日は既に暮れて、空には月と星が輝き地上を仄かに照らして。
 付近に設置された灯籠と燭台の灯りに、ルフレの色違いの瞳がまるで宝石の様な輝きを返している。
 穏やかな夜ではあった。
 が、それは平穏とは遠い日々の始まりでもある。
 明日、王都を発ってフェリアへと向かい、そしてフェリアの助勢を得てフェリア軍を借りてイーリスへと戻ってきても。
 そこに待っているのは戦乱の日々である。
 何時終わるとも知れぬ、戦いの日々だ。

 クロムは、自分の手を汚すのは構わない。
 今更それを厭う事など有り得ないし、だからこそ自ら剣を手に取り自警団を組織したのだから。
 ただ、大切なモノを喪う事だけは耐え難かった。
 エメリナやリズと言った大切な家族を、自警団の仲間たちを、そしてルフレを。
 喪いたくないのだ。


「……そうか、ご苦労だった。有り難う。
 ルフレには、助けられてばかりだな」


 その頭を撫でながらそう礼を言うと、ルフレは少し目を細めて嬉しそうに笑う。


「クロムに任されたんだから、これ位は当然ね。
 でも、クロムにそう言って貰えると嬉しいな」


 果たしてルフレと同じだけの事を成せる人が何れ程居るのかは分からないが、それでもルフレはクロムに頼まれたのだからと嫌な顔一つせずに当然の如く何でもやってしまう。
 ついついルフレに頼りっきりになってしまっている気がするのが、クロムとしても心苦しくはあるのだが……。

 一つ溜め息を溢して、クロムは自分の気持ちを切り換えた。
 ルフレを今夜ここに呼んだのは、労う為だけではない。
 少し、話しておきたい事があったのだ。


「ルフレ、一つお前に話しておきたい事があるんだ。
 聞いて貰っても良いか?」


 ルフレが躊躇う事無く頷いたのを確認してから、クロムは話し始めた。


「ギャンレルがあの時言っていた通り、イーリスとペレジアは15年前に戦争をしていたんだ。
 ……いや、戦争なんてものじゃなかったらしい。
 イーリス軍による、ペレジアの人々に対する一方的な虐殺であったと……そう聞いている。
 戦争を仕掛けたのは、イーリス側だったそうだ。
 命じたのは、先代聖王……俺の父親だ。
 ペレジアに昔から存在する信仰を、邪教と一方的に決め付けて……。
 それを滅ぼす“聖戦”だと、そう宣言して、……何の罪も無い人々まで、ただペレジアの民であると言うそれだけの理由で……見境無く虐殺していた、と……」

「……フェリアの書庫にあった本で見た時も思ったけれど、無茶苦茶な酷い話ね。
 確か標的は、ギムレー教団、だったっけ?
 宗教の善し悪しなんてあたしにはどうでも良いけれど、ハッキリと言って、どんな宗教であれそれを信仰しているからなんて理由で虐殺するのは、どうかしているとしか思えない。
 況してや、その土地の人々ってだけの理由で殺すなんて、正気の沙汰じゃない」


 ルフレの言葉には一切の遠慮は無かった。
 心からそう思っているのであろう。
 それは、クロムもそう思っている。
 だから、その言葉に深く頷いた。


「ああ、そうだな、俺も心底そう思う。
 あの当時は……皆何処かおかしかったのだろう……。
 俺はまだ幼かったから当時をハッキリとは覚えてはいないが……。
 何かの狂気に侵された様な父が、とても恐ろしく思えたのはよく覚えている。
 今じゃ考えられないだろうが、当時のイーリス軍はこの大陸でも有数の精鋭揃いだったらしい。
 そして、そんな彼等は……。
 進軍した先の村や街を、赤子一人草の根一つ残さずに殺し焼き払ったそうだ……。
 誰も彼もが狂気に満ちていたんだろう。
 あの戦争は、ペレジアを荒廃させただけではなく、戦場になった訳ではないイーリス自体も荒廃させてしまった。
 民はみな軍に徴兵され、酷い税が掛けられ、民の生活は立ち行かなくなっていたそうだ。
 豊かな穀倉地帯を誇るイーリスですら、当時は餓死者が相当数出てしまっていたらしい……。
 民心は荒れに荒れた。
 それでも、イーリスは止まらなかった。
 反対する貴族や文官達は皆処刑し、ペレジアと言う国を地図から消し去らんとして、ひた走っていたそうだ。
 結局、戦争を終わらせたのは、父が病に倒れ急逝したからだ。
 その時点でペレジアは王城までもが陥落し、当時のペレジア王はその場で処刑されたのだと聞いている……」


 当時の状況を改めて語るだけでも、クロムには心からどうかしているとしか思えない。
 一体父は何をするつもりだったのか。
 ペレジアの民を殺し尽くして、ギムレー教団と言う信仰をこの世から抹消するまで進むつもりだったのか。
 何故そんな狂気を抱いてしまったのか……。
 分からない。
 実の父ではあるが、最早記憶に遠い存在である。
 そんな父の心中など、分かろう筈も無かった。


「成る程ね。
 だから、その後に即位したエメリナ様が戦争終結後に軍を解体した、と」

「ああ、そうだ。
 まあ、当時の荒れ果てたイーリスには民を徴兵して膨れ上がった軍を養っている余裕なんて無かったと言うのも要因にはあったらしいが。
 戦争が終わり正気に返ったイーリス軍には、ペレジアの無辜の民を躊躇無く虐殺していった……と言う事実が重くのし掛かっていた。
 本来ならば、戦争を始めてしまった先代聖王やそれに加担した高官達が責を取らなければならない事ではあるんだがな……。
 最大の責任者である父は既に亡く。
 何よりも、命令だろうと何だろうと、乳飲み子すらも容赦なく殺していったその事実は、戦争の狂気から解放された軍人達には辛すぎたんだ。
 それどころか、戦争末期には徴兵された民も相当多かった。
 元々覚悟を決めていた軍人ですら耐えられない事だ。
 それまでは武器の一つもろくに握った事がなかった徴収兵達には、尚の事……。
 終戦後に心に変調を来して、自ら命を絶った者も多いと聞く……」


 本当に当時はペレジアのみならず、イーリスにも地獄が広がっていたのだ。
 軍が解体され、故郷に戻った帰還兵達の多くは心に深い傷を抱え、今でもそれに苦しめられている者も多い。
 収穫期にも関わらず民を無理に徴収した結果収穫量が大幅に減り、本来ならば大飢饉でも無い限りは餓えとは無縁のイーリス国内でも餓死者が相次いだ。
 そして、余剰穀物をフェリアやペレジアに輸出する余裕すら無かったが為に、イーリスからの輸入穀物で賄っている部分も多かったフェリアとペレジアの両国…………特に戦争で荒廃しきったペレジアでは餓死者で屍の山が築かれたらしい。
 ……それも間違いなく、ペレジアのイーリスに対する怨恨を深めている要因であろう。


「先代聖王の急逝後、その跡を継いだのは姉さんだ。
 それからだ、姉さんの苦難に満ちた日々が始まってしまったのは。
 当時は、十にも満たない幼子だった。
 イーリス国内でも国外でも、そんな地獄が広がる中での即位だ。
 だからこそ、民の憎悪は怒りは嘆きは……、全て姉さんにぶつけられた。
 虐殺王の娘だと罵倒され群衆に石を投げ付けられて、顔に酷い傷を負った事だってあった」

「酷い八つ当たりね。
 王に対する不敬とか以前に、子供にやる事じゃない。
 それでも、そんな所にしか怒りの捌け口を見出だせなかったのかもしれないけれど」

「ああ、そう……だったんだろうな。
 あの当時は誰も彼もの心が荒み鬱屈し、そんな事でしか怒りを晴らせなかったのかもしれない。
 そんな行き場の無い理不尽な憎悪の矛先にされても、姉さんは俺とリズの前でしか涙を見せなかった……」


 仕方無いのです、と。
 あの人達を恨んではいけないのだと。
 エメリナは涙を溢しながら、クロム達に諭していた。
 その苦悩を痛みを、間近で見続けていたからこそ。


「俺は姉さんを守りたい。姉さんのその理想を、守りたいんだ。
 姉さんは人々の訴えを聞き……そうして少しずつ、少しずつ……民の心を取り戻していったんだ。
 武力で弾圧するんじゃなくても、人々は分かり合える筈だ、と。
 そうやって、荒れ果てた人々の心も、国も、立て直していった。
 だが、その理想も……ギャンレルの様な人間には通じない。
 今も尚憎悪に燃えているであろうペレジアの人々にも、きっと……。
 それでも俺は姉さんの理想を守りたい。
 姉さんの代わりに、この手を汚してたって構わない。
 イーリスには姉さんが……聖王が必要なんだ」


 だから力を貸してくれ、と。
 ルフレにそう言おうとしたその時だった。

 ルフレが何かに警戒する様に構え、そして。


「その通りだよ」


 庭の暗がりから、人影が現れる。
 彼はそのままこちらに近付いてきた。

 彼……マルスと名乗るその少年と出会うのは、これで三度目だ。
 しかし、出入りは厳しく管理されている筈の王城に、何処から侵入したと言うのだろうか。


「お前は……! 何故ここに……!」

「久し振り……と言うべきなのかな。
 城壁の一部に、小さい穴が開いていてね。
 其処から、入らせて貰ったよ」


 それを聞き、しまった彼処からか……!とクロムは頭を抱えた。
 剣の稽古中に誤って城壁の一部を壊してしまった事があったのだ。
 フレデリクに説教されるのは目に見えていたので、こっそり隠しておいて黙っていたのだが……。


「ああ、安心してくれ。
 僕以外にはバレてはいないよ。
 ……大切な秘密だからね。
 それより、今日は君たちに大切な事を伝えに来たんだ。
 ……聖王エメリナに迫る危機について」

「危機、だと……!?」


 その時、何かをずっと警戒していたルフレが剣を抜く。
 すわマルスに斬りかかるつもりなのかと、思わずルフレを止めようとしたが、そうではない。
 ルフレが警戒していたのは、マルスではなかったのだ。


「何でも良いけど、とにかく話は後にして。
 クロム、剣を構えて。マルスもね。
 ……さあ、隠れているつもりかもしれないけれど、あたしには全員丸見えよ。
 観念して投降すれば命までは取らないけど?」


 そう言って、ルフレは暗がりの中の茂みへと鋭い眼光を向ける。

 その途端に、茂みの中から覆面をした男が飛び出してルフレへと武器を構えて飛び掛かってきた。
 その一撃を右手だけで持った剣で往なしながら、ルフレは空いたその左手で男の頭を鷲掴みにし躊躇無く地面へと叩き付ける。
 顔面の骨が砕ける音が響き、生きているのか死んでいるのかは分からないが男は動かなくなった。
 そして、それと同時に背後の茂みから飛び出してきた別の男の一撃を、地に伏せる様な勢いで身を落として回避し、手を地に着いた状態で勢いよく蹴り上げて襲撃者の顎を砕く。
 頭を強く揺さぶられたからか、襲撃者はそのまま地面に倒れた。

 鮮やかな手並みで瞬く間に二人を制圧したルフレだが、城内の方に目を向けるや否や、何か不味い事でも起きているのか舌打ちをする。
 更には、ここでルフレを野放しにはしておけぬと判断したのか、茂みから次々に襲撃者が姿を現しクロム達を取り囲む。


「全く、城の警備はどうなってるの、ザルなの?
 あー、もう、凄い数の賊が入り込んでるし……。
 二十は下らない感じか……。
 狙いは……このタイミングと武装的にはエメリナ様?
 何にせよ、不味いわね。
 クロム、こんな奴等さっさと片付けてエメリナ様の所に急ぎましょう!」

「そうだな、急がないと不味い!」


 襲撃者達を狩り取りながらルフレはそう指示を出し、クロムもまた襲撃者を撃退しながらそれに答える。
 その横では、マルスも何処か戸惑う様にルフレに目をやりながら、クロム達と共に襲撃者を減らしていた。
 どうにかもうそろそろこの場の襲撃者は片付きそうになっていたその時であった。


「マルス! 後ろに避けなさい!」


 鋭いルフレの声が飛び、マルスは咄嗟に地を蹴って後ろに退く。
 そしてその瞬間には、頭上の木の上から隠れていた襲撃者がマルスの居た場所目掛けて降ってきた。
 後ろへの回避が間に合った事で、何とかその一撃は躱せたものの。
 僅かに襲撃者のその剣先がマルスの仮面に引っ掛かって、仮面は地に落ちて真っ二つに割れてしまう。
 マルスを襲った襲撃者は、ルフレの一刀の元に背後から首を落とされ、物言わぬ骸と化したのであったが。

 仮面が割れた事で露になったその素顔に、クロムは思わず瞠目した。


「お前……、女……だったのか……」

「……バレてしまっては、もう男を装う必要はありませんね。
 でも今は私の事よりも、エメリナ様の事を。
 信じて貰えないかもしれませんが、私は未来を知っているのです。
 私は知っています……。
 聖王エメリナが暗殺されてしまう、絶望の未来を……!」


 マルスは、そうクロムに訴えかける。
 その目には、嘘などは何処にも無かった。
 が、クロムが何かを言うよりも先に、ルフレが頷く。


「貴女の言う“絶望の未来”が何なのかは気になる所だけど、エメリナ様に危機が迫っているのは確か。
 実際こんなに賊が入り込んでいる訳だし。
 このままだとエメリナ様が暗殺されるのは避けられない。
 何でこの襲撃を知ってたのかは分からないけど……貴女はそれを止めに来てくれたんでしょ?」

「えっ、ええ……」


 余りにもきっぱりと言い切られてしまったからなのか、マルスは何処か狼狽えながらも頷く。
 そんなマルスへと何処か野性味のある笑顔を向けながら、ルフレは右手を差し出した。
 その手を何処か戸惑いながらもマルスが握り返すと、ルフレは力強く握手を交わす。


「なら良し。
 だからほら、一緒に行きましょう。
 貴女が知ってる“未来”とやらを、変えてやらなきゃね!」




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