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第3話『星の川を渡りて』

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 その知らせはまさに青天の霹靂の如きモノであった。

 王都にある自警団の拠点へと戻ってきたクロムが、姉であるエメリナに付近の治安や屍兵などの討伐状況の報告も兼ねて謁見していたその時に。
 天馬騎士団の団長であるフィレインが危急の知らせを手に息を切らして飛び込んできたのだ。

 曰く、ペレジアと国境を接する西の地にあるテミス伯の領地にペレジアの者と思われる賊が侵入、領地を襲うそれに対応していた所を、テミス伯令嬢であるマリアベルがペレジア側に囚われたとの事だ。
 ペレジアは、マリアベルがペレジアに領土侵犯したのだと主張し、イーリスへと賠償を求めているのであった。

 そもそも軍備がないイーリスに領土侵犯などしようもなく、恐らくはマリアベルは罠に掛けられ、ペレジア側の刺客である賊を追跡している内に領土を越えてしまい囚われたのであろう。
 以前からペレジアはイーリス側から戦端を開くようにと挑発行為を繰り返してはいたのだが、最近のそれはより過激さを増してきて、ついには大貴族の令嬢を拐って人質紛いにする様になったのだ。

 このままペレジアに言われるがままに賠償を払う事も、囚われの身となったマリアベルを放置する事も、どちらもイーリスと言う国として不可能だ。
 だが、ここで争えばそれは直ぐ様戦争へと発展してしまうのであろう事は明白であった。
 だから、エメリナは言ったのだ。
 自らが、ペレジア王であるギャンレルと話し合いに行こう、と。

 明らかに罠であるそれに国の柱である聖王自らが出向くなど、愚策と呼ばれても仕方がない行為ではあるが。
 そもそも軍備がないイーリスは、戦争だけは絶対に回避しなければならないのだ。
 だからこそ、少しでもそれを回避する為に、本来ならば在ってはならぬが王自らが出向く危険だって冒さねばならない。

 矛盾に満ち満ちているが、これがこのイーリスと言う国の現状であった。
 平和を謳い武器を手放した結果、確かに自国は繁栄して民に平和を与えられてはいるが、その実自らを守る盾すらも喪ったその平和は砂上の楼閣の如き儚いものでしかなくなってしまったのだ。

 今回の件だって、そもそも国境をしっかりと国軍が守り、賊などの流入を食い止めていれば幾らでも未然に防げた事なのである。
 古来より国境とは常に他国との争いの発端となる場所であったのだから、自国の平和を守りたいのであればこそ、本来は国境を守る軍備は最低限維持し続けなくてはならなかったのだ。
 しかし、現状のイーリスは王都以外の防衛が不可能な程の軍備しか持っていない。
 いや、本当に戦争になってしまえば、天馬騎士団だけで王都を死守する事すらも不可能であろう。
 結局、イーリスにその国境を守るだけの軍備が無い事が最大の問題なのである。
 しかし、イーリスから王都防衛の為の最低限度の軍備を残して、イーリス軍を解体してしまったのは当代聖王であるエメリナだ。
 勿論、それには止むに止まれぬ事情があったが故であったし、軍を解体し戦後復興に全力を注いだからこそ、敵国どころか自国ですら荒廃させきってしまった先の大戦からの復興及び今日の繁栄があるとも言えるのだが。
 だが、そのイーリスの復興は、数多の無辜の民を虐殺され国中に骸の山を築かれたペレジアにとっては、抱えた憎悪をより滾らせるだけの結果にしかなっていなかった。


 終戦後のペレジアに残されたのは、草の根一つ残さない勢いで虐殺されていった人々の骸で築かれた山や、火を放たれ往時の面影すら喪った故郷の村や街。
 そして、そんな惨状を前にして気力も感情も何もかもを喪った様に立ち尽くす生き残った者達であった。
 伝染病の発生を防ぐ為に、犠牲者の骸は一纏めに荼毘に付すしか無く。
 誰のモノなのかも分からぬ燃え残った骨の欠片を拾って、無数の墓に入れていく。
 親類縁者が皆殺しにされた為に身元が分からない者も多く、その場合は共同墓地に葬られたのだが、余りにもその数が多過ぎて共同墓地が複数立った墓地もあった。
 辛うじて破壊を免れた街にはその日を食い繋ぐ為の食料を求めた孤児が溢れたが、国内の孤児院が到底収容仕切れる数ではなくて。
 孤児院に入れなかった孤児達の一部は難民や貧民を広く受け入れるフェリアへと渡った者も居たとは言うが、灼熱のペレジアとは全く異なる厳寒のフェリアの環境にそこで生き抜けた孤児などそう多くは無かったそうだ。
 そして、国内に残された孤児の多くは、飢餓の苦しみの中で道端でゴミの様に死んでいったのであった。
 更にペレジアの人々を追い詰めるかの様に、戦後の何もかもが破壊されたペレジア全土で疫病が流行ってしまった。
 元々は呪術を基礎とした卓越した医療技術がペレジアには伝わっていたのだが、イーリスの侵攻により医療体制ですら機能出来ない程徹底的に破壊されてしまったペレジアには、発生した疫病を抑え込む力がなかったのだ。
 喪失に苦しみ、飢餓に苦しみ、そして疫病に苦しみ。
 絶望ですら生温いそんな地獄の中で、生きる希望を喪い虚無に沈んだ人々が縋ったのは、ギムレー教であった。
 彼等は信者をより獲得する為とは言え、蓄えを擲って飢えに苦しむ人々を救い、秘伝の医術を以て病の終息を図り、家族や故郷などを全てを喪った人々にギムレーと言う縋るべき先を与えた。
 もし、この人の世に絶対の悪があるのだとすれば、それは『飢餓』と『疫病』であろう。
 その二つから人々を救ったギムレー教団は、その内実はどうであれ、少なくともペレジアの人々にとっては正義であった。

 人は食べ物があれば生きてはいける。
 或いは、信じるもの、守りたいもの、縋るものがあれば生きていける。
 だが、両方無くしてしまえば、人は生きてはいけない。
 だからこそ、その両方を喪った人々にそのどちらもを与えたギムレー教団が一気に勢力を広げるのは自明の理であろう。

 皮肉な事に、ギムレー教を邪教と断じてこの世から消し去ると言う名目で始まったイーリスのペレジア侵攻……イーリスが言う所の“聖戦”は、結果としてペレジアの人々とギムレー教の結び付きをより強めてしまったのであった。
 宗教を主軸として国を建て直し、それが軌道に乗り始めた頃に。
 必死にその日その日を生きながら復興に力を入れていた人々には、漸く周りを見るだけの余裕が生まれ始めていた。
 だからこそ、彼等は見てしまったのだ。

 先の戦でペレジアを蹂躙し、自らを“正義”と謳いながら何の罪もない幼子までをも容赦なく虐殺し、そしてペレジアの人々を地獄に突き落としたかの国が。
 “平和”を謳い、軍備を放棄して復興に励み、その豊かさを取り戻していたその姿を。

 今までは生きる事に必死でそれを考える余裕が無かった人々の胸の内に、憎悪の焔が燃え上がるのは必定とも言えるであろう。

 憎悪は何も生まない、復讐は虚しいだけだ。
 武器を捨て話し合おう、平和への道を歩もう。
 イーリスが掲げるそんな言葉が、ペレジアの人々の心に届く筈も無かった。

 親を喪い泥を啜りながら生き延びたかつての子供がいた。
 子を伴侶を喪い、絶望と失意の中で哀しみや怒りや憎悪の焔をその胸に燻らせながらもその日を必死に生き延びていた者がいた。
 大切な者を、守りたかったモノを、そこにあった平穏な何て事は無いけれどそれでも尊く幸せであった日々を蹂躙された者達が居た。

 彼等が“復讐”を掲げてひた走ろうとしてしまうのを、一体誰が責められるだろうか。

 本来ならばそんな先が全く無い復讐への熱狂は、国が抑えねばならないのだが、聖戦で先のペレジア王が処刑された後にペレジア王として即位したギャンレルは、その怨念の渦を止めようとはせず寧ろ煽った。
 復讐を胸に抱いたペレジアの人々は、最早誰一人として虚無に沈んではいなかった。
 イーリスへの報復の為に、自分達が奪われ壊されたモノと同じだけのモノを、イーリスからも奪い壊そうと、それだけを望んで。
 ペレジアは急速に復興したのだ。

 国は復興した、かつての聖戦の折りに壊滅の憂き目に遭ったペレジア軍は以前よりもより強靭な軍へと再編された。
 全ては、イーリスをかつて自分達がされたのと同様に蹂躙する為に。

 イーリスは謳う、“平和”を、“対話”を、と。

 だが、かつてペレジアの民から平和を奪ったのは誰だと思っているのだ、と。
 ペレジア側に対話すら赦さず、一方的に悪と決めつけ自らは“正義”と掲げて無辜の人々を虫けらの様に殺し尽くしていったのは、誰なのだ、と。
 先の戦での加害者側であるイーリスの謳う綺麗事は、ペレジアの民の憎悪の焔に油を撒く結果にしかなってはいなかった。

 時は全てを解決すると言われる事もあるが、十数年しかまだ経ってはいないのだ。
 その程度の時の流れでは、ペレジアの民の心の奥深くに根付いた憎悪を薄れさせる事は出来なかった。

 自らの身すらをも焼き滅ぼす程の憎悪に燃えるペレジアの人々を、誰が責められると言うのだろうか。

 だがしかし、その憎悪を当然のものと受け止めねばならぬのだとしても。
 それでもイーリスとて唯々諾々と滅ぼされる訳にはいかない。
 罪もない人々の心に憎悪の焔を灯してしまったのは、間違いなくイーリスと言う国の所業だ。
 その罪業は当時国を主導していた先代聖王や聖戦を支持してしまった貴族や高官……それを止められなかった国政に携わっていた者全てが負うべきなのであろう。
 だが、先代聖王は聖戦の最中に病没し、当時聖戦を推し進めてしまった高官達の多くは処刑こそされねども罷免されたり左遷や隠居を余儀無くされた。
 今国を動かしている者達の殆どには、そしてイーリスの民には。
 聖戦の責は無いのだ。
 イーリスの無辜の民が蹂躙される事だけは、防がなければならない。
 それが、ペレジアの人々から見れば酷く傲慢な行為に見えるのだとしても。
 それが、国を治める者としての責務であるからだ。


 だからそれは最早誰にも止められない流れであったのだろう。
 因果の糸は結ばれ、そして一つの結末を手繰り寄せるのだ。
 それを止めるには、時を戻して“聖戦”を無かった事にするしか無くて。
 去れども、絶対の時の流れには抗えぬ人の身には、何一つとして“無かった事”になどは出来ないのであった……。





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