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第5話『星は輝けども地には光届かず』

◇◇◇◇




 エメリナ救出の為にペレジアへと潜入し同士を失いながらも単身処刑場へと乗り込んできていたナーガ教徒のリベラと、ペレジアの人間でありながらも憎悪に支配されたペレジアの現状とギャンレルのやり方に疑問を抱き……ルフレに一目惚れした事でクロム達の側へと付いた呪術師のサーリャ。
 二人の協力もあって、処刑場内部へと乗り込む事にクロム達は成功する。
 ルフレの魔法により敵の指揮官は倒され、最早クロム達を阻む者はいない。

 下卑たギャンレルの合図と共にエメリナを処刑しようと斧を振り上げていた処刑人は、フラヴィアの見事な遠投によって打ち倒される。
 それを見て作戦決行の合図となる炎の魔法をルフレが上空に向けて放つと。
 上空から天馬たちの羽ばたきが処刑場へと駆け付けてきた。
 バジーリオ達は、エメリナと同様に囚われの身となっていた天馬騎士団の騎士達を見事解放出来たのだ。
 ここからが本番だ。
 後は空から天馬騎士が処刑台上のエメリナを救出し、それを回収して撤退するのだ。

 こんな時に備えて本来ならば処刑場外に待機させていた竜騎士達の応答が無い事にギャンレルは舌打ちをする。
 彼等は先程既に増援として呼ばれ、一人残らずクロム達によって討たれているからだ。


「クソッ! イーリスの軍師の仕業か!
 小賢しい真似しやがって……!」


 そうギャンレルは吼えるが、最早エメリナへの路を阻める者はいない。
 これで少なくともこの場からエメリナを救い出す事が出来る……筈だった。


「──!
 不味い……! 屍兵が来る……!
 フィレインさん! 気を付けて!」


 ルフレは、彼女にしか感じられない屍兵出現の前兆を敏感に感じ取り、周囲を警戒しつつそう遠くのフィレイン達へと叫ぶ。
 だが、その叫びは。
 やっとの思いで虜囚の身から脱し、この手でエメリナを救出出来る喜びに溢れていた天馬騎士達には……届かなかった。
 否、届いていたのだとしても、それは最早どうする事も出来なかったであろう。

 天馬騎士達の周囲に、大量の屍兵が出現する。
 しかも、よりにもよって狙い済ましたかの様に、弓兵の屍兵ばかりが。
 彼等は最も間近に居た天馬騎士達へと、弓を引いた。

 それに対抗する様にルフレは雷の魔法で屍兵を仕止めようとするが如何せん屍兵の数が多過ぎる上に、ルフレ達からは遠く天馬騎士達からは近過ぎる。
 一気に片付けようと魔法の効果範囲を拡げてしまうと、間違いなく天馬騎士達を巻き込んでしまう。
 風の魔法などもっての外だ。
 だからこそ、遠距離まで届く上に効果範囲を絞りやすい雷の魔法で、一気に複数体を纏めて消し飛ばす様にルフレは攻撃していくが。
 そんな絶技を以てしても、それはどうしようも無かった。

 全方位から放たれた矢に、成す術もなく天馬騎士達は地に墜とされていく。
 血の赤に染まった羽が、辺りに撒き散らされた。
 高所から叩き落とされた者達は皆、物言わぬ骸へと変わる。


「何故だ……何故……屍兵が……。
 こんな時に……エメリ…ナ様……。
 もうし……わ、け……ありま……せ……」


 辛うじて墜落当初は息があったフィレインも、程無くしてエメリナへと伸ばしていた手を地に落として絶命した。

 どうして屍兵が……、と誰かの呟きがクロムの耳を掠める。
 それは言葉を無くし現実を受け入れられずに立ち尽くすこの場の誰もの、そう……出現した屍兵に呆然となっているペレジア軍の兵士達にとってもすらも、共通した想いであった。

 ふと、昨夜のルフレの言葉が。
 “何か”の思惑があるのかもしれない、と。
 そう何処か不安気にクロムに告げていたその言葉が、クロムの脳裏に甦る。
 ああ、確かに、これは。
 “何者か”の、悪意を疑わずにはいられない。


「屍兵がお出ましになるとはなぁっ!
 カミサマとやらも言ってるんじゃねぇの?
『聖王を殺せ』ってなぁっ!!
 さあ、これで形勢逆転、ってところだなあ?
 おらッ、とっとと這いつくばって、惨めな負けを認めろぉっ!!」

「まだだっ! 俺は負けんっ!!
 俺達は生きてる!
 生きてる限り、負けてはいない!」


 哄笑するギャンレルに、クロムは声を張り上げる。

 圧倒的に不利な状況下でも、それでもクロムはまだ諦められない。
 だが諦めないからといって、この状況が変わる訳ではない。
 程無くすれば、ペレジア軍大隊の増援によってこの処刑場自体が取り囲まれてしまうであろう。
 そうなれば、もうどうしようもない。


「おぉ? 格好いいねぇ?
 死ぬまでに一度は言ってみたい台詞ってヤツってか?
 だがまあ、現実ってやつが見えてねぇなぁ!
 ほぅら、遥か高みの処刑台を見て見ろよ。
 処刑人はまた配置についた。
 俺の命令一つで……お姉ちゃんはサヨナラだ」

「姉さん!!」

「クロム、駄目!」


 再びエメリナの背後には処刑人が現れていた。
 居ても立ってもいられず、届かぬと分かっていながらもクロムは理屈抜きに処刑台の方へと駆け出そうとしてしまうが。
 それを、背後からルフレに腕を掴まれて押し止められた。


「おーっと、動くなぁ!
 処刑人! こいつらがピクリとでも動いたらエメリナを殺せぇっ!」

「く……! き、貴様………!!」

「おらっ!? どうする?
 どうすんだ、甘ちゃんの王子様!
 大好きなお姉ちゃんを見捨てんのか?
 他の奴らはどうだ! あぁっ?
 聖王様を見殺しに出来んのか?
 出来ねーよなぁ?
 だからこんな所まで来てるんだからよぉ!
 はっ、甘いんだよテメーらは!」


 誰も動けないのを分かっているが故にギャンレルは嘲笑う。
 そんなギャンレルに、それだけで人を殺せそうな程の殺意が籠った視線を向けながらも誰もが動けない。
 クロムも、ルフレでさえも。


「ギャンレル、貴様ぁっ!」

「武器を捨てて降伏しな、王子様!
 んでお前が後生大事に抱えてる『炎の台座』を俺に渡せ!
 そうすりゃ命だけは助けてやる。
 エメリナの命もなぁっ!」

「ぐ……っ……!」


 『炎の台座』に伸ばしかけたクロムのその手を、ルフレは止めた。
 そして必死に首を横に振って、ルフレはクロムを押し止めようとする。


「クロム……!
 ダメ、アイツはそんな約束守る気なんて更々無い……!
『炎の台座』を渡したって、その上であたしたちを皆殺しにする気よ!」

「……そんな事、俺にだって分かってる……!
 だが、今逆らえば……姉さんは死ぬんだぞ!
 ルフレ、俺は……!!
 どうすれば、良いんだ……?!
 姉さんには、『炎の台座』を守れと、そう言われたが……。
 だが俺は、こんなモノの為なんかに、姉さんを犠牲になんて……!」

「分かっているわ、クロム。
 でも今それをギャンレルの言う通りに渡したって、状況は何も変わらない……。
 それどころか、こちらが切れる手札を無意味に捨てるだけ……。
 待って、何か……何か他に手が無いか…………」


 必死なのだと誰もが分かる程に、ルフレは考えを巡らせている。
 だが、ルフレの叡智を以てしても、この状況の打開策が浮かんで来ないのか、その表情は暗い。


「それは……。
 だが、一体どうやってこの状況を打開するというんだ!?」


 時間はもう無いのだ。
 そして、それを告げる様にギャンレルの嘲りを含んだ声が場内に響く。


「三つ数える内に武器を捨てろ!
 さもなきゃ聖王は死ぬ!!
 ……一つ!」


 クロムの目に迷いを映された。
 最早考え込む時間はない。
 武器を捨てたら、どうなるのかは分かっている。
 だが──


「……二つ!」


 ファルシオンを握る手が緩む。
 もう駄目だ。
 クロムは、エメリナを犠牲にする事など──

 だがファルシオンをその場に落としかけたその手を止めたのは、ルフレだった。


「クロム、駄目。
 それだけは、駄目。
 ……フラヴィア様達は、武器を捨てるつもりなんか無いのよ」


 そう言われ、クロムは初めて周りを見回す。
 武器を捨てようと迷っている自警団の仲間たちとは対称的に、フラヴィア達ファリアの者は誰一人として武器を捨てまいと固くそれを握り締めている。

 ルフレの、言う通りであった。
 ここでクロムが武器を捨てた所で、何の意味もない。
 フラヴィア達が武器を捨てなかった事を口実に、エメリナが処刑されるだけだろう。
 だが、どうすれば良い?
 フラヴィア達に、武器を捨てろと説得するのか?

 ……無理だ。
 戦士としての誇り高い彼女らから武器を取り上げるなど、例え神であっても不可能だ。
 だからもう、クロム達は詰んでいた。


「……みっ」


 クロムは、思わず震える手でエメリナから託された『炎の台座』をその場に投げ捨てようとする。


「クロム! いけません!」

 だが、『炎の台座』を渡そうとしたクロムを止めたのは、処刑台上のエメリナだった。
 遠く離れていると言うのに、その声は何処か凜と、クロムの耳にも届く。


「あぁん?」

「姉さん……!」


 怪訝そうに自身を見上げてくるギャンレル、何かを察して思い止まらせようとするクロム。
 その双方に静かな眼差しを向けながら、エメリナは声を上げる。


「ギャンレル殿……。
 もう、話し合う事は……出来ないのですね?」

「まーた得意の説教か?
 当たり前だろうが!
 いつもお高い所から綺麗事を撒き散らしやがって……。
 てめーの理想のなれの果てがそのザマだ!
 弟や民の足を引っ張るだけのクズ王なんだよ、てめーは!」

「…………」


 ギャンレルの言葉に、エメリナは瞑目する。
 崖上へと大きく張り出したその処刑台からは、全てが高く遠く見えているであろう。
 高所に吹き付ける風に煽られて、エメリナの服ははためく。
 エメリナの身形は、囚われてからの過酷な日々を物語るかの如く、窶れ汚れていた。
 それでも、彼女の気品は僅かばかりも損なわれてはいない。

 ギャンレルの嘲りを吹き散らさんと、クロムは声を張り上げた。
 どうか届いてくれと、どうか思い止まってくれと、そう一縷の望みをかけて。


「そんな事はない!
 黙れ! ギャンレル!!
 姉さん! 姉さんは、間違っていない!
 希望を語る者がいなければ、世界には絶望しか残らない。
 だから、俺達やイーリスの皆は、理想を……、聖王を望んでいるんだ!
 姉さん、俺達には、姉さんが必要なんだ……!」

「……クロム……ありがとう」


 クロムの言葉にエメリナは儚げに微笑んだ。
 その顔は………もう覚悟を決めた者のそれだった。
 それを理解して。
 言葉が届いても、想いが届いても。
 それでも止まってはくれない事に絶望して。


「姉さん……?」


 今から、エメリナが何をしようとしているのかを薄々察してしまったクロムは、一瞬呆然としてしまう。
 そしてそんなクロムの横で。
 ルフレは、ただただ真っ直ぐに、エメリナを見詰めている。

 エメリナは眼下に集まったペレジアの民を、自分へと嘲笑を向けるギャンレルを、イーリスへの憎しみを抱えたペレジア軍の人々を、自分を助ける為にここまでやって来てしまったイーリスの者達とフェリアの者達を、そして。
 大切な家族……愛しい妹と弟へと視線を向け、そして弟に寄り添う様にして立つ少女へと目を向けた。
 目を僅かに伏せたエメリナは、静かに……慈愛と覚悟に満ちた微笑みを浮かべる。


「──ペレジアの皆さん、どうか私の声を聞いて下さい」


 エメリナの静かだが真っ直ぐと届く明瞭なその声に、処刑を見物しようと詰めかけていたペレジアの民衆の怒号を初めとした騒めきが鎮まってゆく。

 聖王の死を願いこの場にやって来ていたペレジアの民も。
 イーリスへの憎悪に燃えるペレジア軍の兵士達も。
 エメリナの救出にやって来た自警団とフェリアの者達も。
 クロムも、リズも。
 何時もなら哄笑を上げて場を掻き乱すギャンレルですらも。
 ただただその声に、その覚悟に、その想いに。
 その場の誰もが呑まれた様に、エメリナの言葉を聞いていた。

 そんな中でも、ルフレだけは……。
 哀しみに沈んだ目で、言葉に呑まれる事無くそれでも真っ直ぐに。
 エメリナの姿を、その覚悟を、見届ける為だけに。
 ルフレは、エメリナを見詰めていた。


「戦争は、何も生みません。
 多くの罪なき人々が悲しむ事になるだけです。
 憎しみに溺れてはなりません。
 悲しみに縛られてはなりません。
 それらは、あなたに見える世界を歪んだものにするだけ……。
 たった一欠片の思いやりが……世界の人々を平和へと導くのです。
 心の片隅にでもいい、どうかその事を忘れないで下さい……」

「姉さんっ!」


 クロムは走った。
 真っ直ぐに、エメリナの所へと。
 届く筈は無い。
 エメリナは崖の遥か上だ。
 例えクロムに翼があったとしても、もう間に合う事は無いだろう。

 それでも必死に駆け出す愛しい弟の姿を見て。
 エメリナは悲しげに目を伏せた。


「私は……無力で、……愚かでした。
 クロム……、どうか、あなただけは……。
 いえ、あなたなら、きっと……」


 エメリナは最後にもう一度眼下へと目をやった。
 必死に駆け付けようとするクロムを、目を反らせずに呆然とするリズを見詰めて。
 そして、自分を真っ直ぐに見詰めていたルフレと、視線が混ざり合う。
『クロムを、頼みます』と。
 声には出さなかったが、エメリナはそっと唇を動かした。
 それにルフレが確かに頷き返した事に、僅かに安堵した様にエメリナは微笑む。


「私は……」


 エメリナは何かを言いかけ、止める。
 そして、前に進んだ。

 クロムはそれに気付き、必死に手を伸ばす。
 エメリナを繋ぎ止め様とするかの様に。
 その場に留めようと、思い留まらせようと。

 だが。
 その手が届く筈もなく。
 伸ばしたクロムの手の先の遥か彼方で。



「……クロム、……リズ、……愛しています」



 確かにそう言って、エメリナの姿は崖下へと消えていった。




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