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第5話『星は輝けども地には光届かず』

◇◇◇◇




 冷たく乾いた風が、夜の砂漠を吹き抜けて行く。
 風によって砂に自然と描かれた紋様は、刻一刻とその姿を変えていった。

 思えば随分と遠くまで来たものだ、と。
 イーリスの気候ともフェリアの気候とも程遠いペレジアの気候がもたらした、あらゆる命を拒絶せんとばかりの何処までも広がっている様に見える砂漠を見ながらクロムは思う。
 見上げた夜空に輝く星々や月は、イーリスやフェリアで見上げていたモノと何も変わらないと言うのに。
 ここはこんなにも、遠い世界であった。

 明日には、エメリナの公開処刑が行われる処刑場の近くまで辿り着ける。
 処刑の日までは僅か数日ではあるものの、まだ余裕があった。
 ……余裕があると言っても、その数日で成さねばならぬ事も多い為、全く気は抜けないのだが。

 クロムはふと背後の軍議用に用意された天幕へと振り返った。
 夜であるにも関わらず絶えず明かりが灯されている其処では、救出作戦について、ルフレとフェリア両王が話し合っている。
 エメリナ救出作戦の成否は、これからの数日間に掛かっていると言っても過言では無い。
 クロムは、戦術などについてはルフレに任せっきりだ。
 自分の向き不向きはしっかりと理解している。
 最終的に作戦を承認するのはクロムの役目ではあるが、その前の段階でクロムがルフレ達の力になれる事はない。

 ルフレは、とてもよく働いてくれていた。
 本気でエメリナを救出する為に、自分達に出来得る全てを打って。
 時に自らが斥候となって進軍路を確かめて。
 そうして、ペレジアに僅かな手勢で潜入したクロム達を出来る限り安全に、出来る限り速く目的地に辿り着ける様に、徹底的に進軍路を選んでいったのだ。
 そのお陰で、フェリアを出立してから戦闘になったのはたったの一回であった。
 しかもそれは、儀式の生け贄として囚われていたマムクートの少女と彼女を連れて逃げ出した傭兵とを追撃していた過激なギムレー教団の信者達から、追われている彼等を保護する目的で行ったモノであり。
 ペレジア軍とはただの一度も交戦した事はなく、ペレジア各地に展開されているであろう筈の彼等を一度も見掛けた事が無いままに、とうとう処刑場の目と鼻の先にまでやってきたのであった。
 そして今も、夜を徹しての作戦会議の真っ最中である。

 ふと、天幕からバジーリオが出てきた。
 そしてクロムへと片手を挙げながら歩み寄ってくる。


「よう、クロム。
 明日から本格的に作戦開始なんだから、休める内に休んでおけよ?」

「ああ、そうだな。
 ……話し合いの方はもう終わったのか?」

「いや、まだ細かい所を詰めている状態だな。
 が、こっから先は俺よりもフラヴィアの領分になるからなぁ……。
 俺はちょっとお先に失礼させて貰ったって訳だ」


 共に武勇に優れるフェリア両王ではあるが、得意としている分野はそれぞれに微妙に異なる。
 そして作戦立案に関しては、バジーリオよりもフラヴィアの方が長けているのであった。
 更には、バジーリオが関与する部分の作戦は既に詰め終わった為に、先に会議から解放されたとの事だ。


「そうか……」

「いや、全くあのお嬢ちゃんも大したタマだよなぁ。
 俺達相手に臆す事もなく、一見無謀に見える位なのにその実“これしか無い”って思わせてくる策をポンポン出しやがる。
 俺は正直、ここに来るまでに五・六回はペレジア軍との戦闘になる事も覚悟してたんだが、蓋を開けてみればどうだ。
 戦闘になったのは昨日のたった一度キリ、しかも相手はただの過激なギムレー教団の信者の集団だ。
 よくもまあここまでペレジア軍の目を掻い潜れるもんだと、フラヴィアと二人で感心してんだぜ。
 あそこまで頭がキレるクセに、腕っぷしも鬼の様に強いときたもんだから反則だよな。
 ウチにスカウトしたい……と言いたい所なんだがなぁ……。
 まあ、アイツはお前にしか従わないだろうな。
 あー、惜しいなぁ、全くよ」


 スカウトしたい、と言うバジーリオの言葉に一瞬クロムは無意識に僅かながらも硬直する。
 が、続く言葉に安堵した様に力が抜けた。

 ルフレが、バジーリオ程の人物から高く評価されているのは純粋に喜ぶべきなのだ。
 だけれどもそれによって、ほんの僅かな可能性であるのだとしても、ルフレが自分の元から去ってしまう様な未来は……耐え難かった。
 クロムは、バジーリオやフラヴィアにはこうやって協力して貰っている身だ。
 それをどうするのか決めるのはルフレに委ねられているとは言え、クロムの立場でバジーリオ達がルフレをスカウトしようとするのを止める事は出来ない。
 ルフレがクロムの元を去るとは思ってはいない。
 だが、バジーリオもフラヴィアも、王として非常に魅力的な人物である。
 ほんの僅かでもルフレの心が揺れない……と言う保証は無い。
 だからこそ、バジーリオにルフレを勧誘する気がない事に、クロムは酷く安堵してしまったのだ。

 そんなクロムの心中など意外と老獪なバジーリオにはお見通しであった様で、バジーリオは豪快にクロムを笑い飛ばす。


「おっ、何だクロム?
 もしかして、ルフレを俺に取られるとでも思ったのか?
 いやー、それが出来たら良いんだがなぁ……。
 ありゃ無理だ。
 ルフレの奴はお前しか見てないからな。
 お前から無理に引き離しでもしたら、容赦なくこっちの首を刈ってでもお前の元に帰っちまうだろうよ。
 俺も命は惜しいからなぁ、そんな無謀な事はせんさ」


 そして、バシバシとクロムの背中を力強く叩いてくる。
 遠慮がないそれは、やや痛い。
 と、言うか先程のバジーリオの発言にはかなり不穏な単語があった。
 首を刈るとか何とか、と。
 何と無くルフレならやれそうな気もするが、流石に相手は一国の王だ。
 万が一そんな状況になったとしても、常識的に考えてルフレとてそんな事はしないだろう。


「いや、流石にルフレでもそんな事は……」

「いーや、するね。
 アイツはお前の傍に居る為ならば何でもする。
 お前から無理に引き離されでもしてみろ。
 何があっても何をしてでも、絶対にお前の所に帰ろうとするぜ。
 そんなアイツの手綱を取れるのはお前だけだろうよ。
 俺が保証しといてやる。
 ま、だからこそ、お前は絶対にルフレを大切にしてやれよ?
 あんな良い女、下手したら二度と捕まえられないぜ?」

「そう、だな……。
 ルフレの信頼には、必ず応えてやりたいんだ。
 あいつに信頼されるに足るだけの自分でありたいと、そう思っている」


 何かに縛られる事を厭うルフレがクロムに対してあそこまでの全幅の信頼を置いているのは、本当に奇跡の様なものなのだろう。
 だからこそ、そのルフレからの信頼に釣り合える様な、そんな自分でありたいとクロムは思っている。

 そう答えると、バジーリオは「若さってのは良いもんだな……」と沁々と呟き、軽くクロムの肩を叩いてから自分の天幕へと戻っていった。

 夜が深まりゆく中でも、背後の天幕の灯りはまだ消えない。
 美しく星々が輝く澄みきった夜空を見上げながら、ルフレが天幕から出てくるのをクロムは静かに待っているのであった……。




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