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第7話『天狼の主』

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 不測の事態が起こったとは言え、エメリナが予定通り死亡してからもうそろそろ一週間が経とうとしていた。
 エメリナは始末したが、エメリナの救出の為にペレジアに潜入していたクロム達自警団はペレジア軍の総員を挙げて猛追したものの取り逃し、更にはエメリナの戯言に誑かされた兵士達の一部が離反したりと、実にギャンレルにとって頭の痛い事態が続いている。

 どうやら今のペレジア軍には、イーリスの連中の綺麗事に惑わされている奴等が多いらしい。
 全く以て、下らない。
 奴等の綺麗事で何が出来る?
 武器を振り上げている人間の前で、武器を棄てる馬鹿が何処にいる?
 奴等の綺麗事など、結局の所“聖戦”の過ちから目を逸らそうとした逃避が生み出したまやかしに過ぎない。
 奴等の言葉が“聖戦”で目の前で家族を殺された人間に響くのか?

 答えは、『否』だ。

 奪われた側の痛みなど、所詮は奪った側の人間には分からないのだ。
 そうでなくとも、イーリスの人間でかつて自分達の国がペレジアに何をしでかしたのかをちゃんと知っている人間はそう多くはない。
 それに、イーリス国内では今尚ペレジアを邪教の国だと声高に叫ぶ人間も多いのだ。
 一部の貴族の中には、“聖戦”は正しかったのだと主張する者もいるらしいと聞く。
 それだというのに、エメリナやその周りの奴等だけが主張する綺麗事に何の力がある?
 “聖戦”の加害者側であるイーリスが主張する、エメリナの見ている小さな世界でしか成立しない様なお綺麗な“理想”など、ありとあらゆるモノを奪われ尽くした側であるペレジアからすれば何の意味もない。
 どんな言葉で飾ろうと、イーリスがペレジアに付けた傷は消えない。
 どれ程奴等が目を逸らそうとしても、ペレジアはそれを許さない。
 ペレジアの憎悪の炎がイーリスを焼き付くすまでは、ペレジアは止まれない。

 ……ギャンレル自身、今のペレジアの在り方が、正しいとは思っていなかった。
 憎悪を、復讐心を、復興の糧となるように仕向けた段階で。
 強過ぎる憎悪は巡り巡ってペレジアという国そのものを滅ぼしかねないという事も、分かっている。
 だが、他に何が出来たと言うのだ?
 全てを喪い、生きる気力も、抗う力も喪ったペレジアを守る為に、他にどんな道が選べた?
 そう遠くない未来にヴァルム帝国が侵略してくるのに?
 ギャンレルには、自分が生きてきた中で学んだ方法でしか、答えを出せなかったのだ。

 ……だからこそ、イーリスの甘ったれた連中の言葉にギャンレルは苛立つ。
 何も知らないから、本当の意味で何かを背負った事など無いから、一方的に自分の正義を押し付けてくるのだ。
 所詮、奴等の眼は自国の事にしか向いてはいない。
 他所の大陸で起きている争乱など、王族ですら知らないだろう。
 それが何時かこの大陸全土を呑み込みかねない脅威であるとは露とも知らずに。
 だから、あんな愚かな“理想”を恥ずかし気もなく掲げられるのだ。

 あぁ、実に腹が立つ。
 ぐちゃぐちゃに踏み潰してやりたい位だ。

 そして、ギャンレルを苛立たせているのはイーリスの連中だけでは無い。
 増長したギムレー教団の連中が何やら裏でコソコソ動いているのも、ギャンレルには気に食わないのだ。
 ギャンレル自身は、これぽっちもギムレー教を信じてなどいない。
 だが、民衆を纏める為の宗教としての利用価値は認めていた。
 ギムレー教団が無くては、“聖戦”によって荒廃しきった国の復興がこれ程早くは成し遂げられなかっただろう。
 荒廃しきったペレジアを建て直す為にギムレー教団を優遇する様な政策を取ってきたのはギャンレル自身であったが、国家の建て直しに貢献していたとは言えども奴等は増長し過ぎている。
 民衆の信仰心が高まるのと指数関数的に比例するかの様に、ギムレー教団は力をつけて、政治に干渉するようになっていったのだ。
 放っていた密偵の報告によると、開戦当初に密かにエメリナを暗殺しようとすらしていたらしい。
 尤も、それはあのイーリスの王子とその軍師によって阻まれたらしいのだが。
 勿論、ギャンレルはそんな事を知らされていない。
 事後承諾で構わないとでも思われたのだろうか。
 だとしたら、舐めた真似をしてくれた。
 最近のギムレー教団の行動には目に余るものが多過ぎる。
 特に教団上層部は何か仕出かそうとしているようだ。
 ギャンレルとしてもギムレー教団には近々何かしらの粛清を与えるべきだろうと考えていた。

 ヴァルム帝国が何時押し寄せて来るか分からない現状で、国外も国内も目障りな連中ばかりである。
 綺麗事で飾り立て、それをこちらへ無理矢理に押し付けてこようとするイーリスも。
 ともすればペレジア国内にも混乱をばら蒔きかねない事を平気で行うギムレー教団も。
 どちらも、ギャンレルからすれば敵だ。
 尤も、今潰さねばならないのはイーリスの方なのだが。
 ギムレー教団は、イーリスを潰した後、だ。

 ギムレー教団と言えば、と。
 ギャンレルの脳裏にいけ好かないあの魔女……インバースの妖艶な顔が浮かぶ。
 ギャンレルはこの女が気に食わなかった。
 ギムレー教団の教主とかいう薄気味悪い男に忠誠を誓っているくせに、ギャンレルの側近のような顔をしている所が、特にだ。
 使えない奴だったら、とっくに殺していたかもしれない。
 そのインバースが、イーリスの軍師に異常な程の執着を見せているらしい。
 ギャンレルの配下を勝手に動かしてあの軍師を探らせていた事も、ギャンレルは知っている。
 インバースがそれ程までにあの軍師に執着しているのだ。
 恐らく、あの軍師はギムレー教団と何か関係がある。
 それも、ギムレー教団が表立って動けない程の何かが。
 あの甘ったれたイーリスの王子クロムが、何処からか拾ってきた素性も知れぬ獣の様な女。
 ……何とかしてあの軍師を手に入れる事が出来れば、イーリスへの人質としてもギムレー教団への牽制としても使えるのであるが……。
 が、早々に美味い話など転がってはいないだろう。

 そう思いながら、軍部からある知らせを受け取ったギャンレルは。
 その報告に目を通した瞬間、幸運の女神が微笑んだとしか思えぬ豪運に快哉を叫ぶのであった。




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