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第8話『星彩よ、迷い人を導け』

◇◇◇◇




 夢を見る。

 其処は砂漠の中に設けられた処刑場で、彼の人は遥か彼方の処刑台の上に居た。
 あの時と同じ様に、彼の人は処刑台の端に立つ。
 どうか間に合えと。
 そう思い駆け出しても。
 何時だって自分の手は届く事無く、彼の人は崖の下へと消える。

 そして、叫び声を上げた瞬間に、今度は土砂降りの雨の中に投げ出されるのだ。

 フレデリクの騎馬に乗せられ、遠ざかっていくその背中が見える。
 無理に騎馬から飛び降りて必死に其処に行こうとしても、クロムは決して辿り着けない。
 何度も何度もその名を呼んで引き留めようとしても、結末は変わらない。
 崩れ落ちる橋と共に、彼女もまた崖の下へと消えていった。


 何度も何度も同じ夢を見る。
 あの雨の中、大切な者をまた喪ってしまったあの日から。
 クロムは眠りの中で同じ夢ばかり見る。
 そして、その結末は何時も変わらない。

 エメリナを、ルフレを喪ったその瞬間ばかりが延々と再現される。

 そして、クロムは。
 自分が上げた慟哭によって、現実で目を覚ますのであった……。




◇◇◇◇




 馬車に乗り込み全速力で離脱した結果、辛くもペレジア軍の追撃を振り切って、クロム達はペレジアを脱出する事に成立した。
 だが、何とかフェリアまで辿り着けたクロム達の顔にあったのは、死なずに逃げ延びる事が出来た事への安堵では無い。
 自警団の要であるルフレを喪った事は、イーリスの者達のみならずフェリアの者達にまで重くのし掛かっていたのであった。

 純粋に大切な仲間の死を哀しむ者、戦略上欠かせない存在を喪った事に対する不安を抱く者……。
 ルフレを喪った事に対して思う事は人各々に違ってはいたが、その喪失が並々ならぬ被害をイーリスとフェリアの双方にもたらしていたのは確かである。
 そうして皆が哀しみに沈む中でも、クロムが最も深刻な状態に陥っていた。

 本来の目的であったエメリナ救出を果たせなかったばかりか目の前で喪い、更にはルフレまで喪ってしまった。
 しかも、ルフレを喪ってしまったのは、自分が憎しみに駆られ無謀な突撃を敢行しようとしてしまったからである。
 そんな事をしなければ。
 少なくともルフレに制止された時にそれを聞き入れていれば。
 ルフレが、自分を庇って深手を負う事もなく、ルフレを一人置き去りにして逃走せざるを得なくなる様な事もなく、そしてルフレが自分をも巻き込んで吊り橋を落とし崖下へと消える瞬間を見る事も無かったであろう。

 クロムは、自分の無力を、自分の無謀を、エメリナとルフレの命で贖う事になったのだ。

 自らの力の無さが、最愛の姉にあの様な最期を選ばせてしまった。
 故郷から遠く離れた異国の地で、自らの死を望む人々の殺意を帯びた熱気を目の当たりにしながら、一度は直ぐ傍にあった希望が潰える瞬間を目にして、一体何を想っていたのだろう。
 ペレジアの人々に語り掛ける彼女のその目には、一体どんな光景が映っていたのであろう。
 そして、身を投げたその時に、その胸に在った想いは何だったのだろう。

 “虐殺王”と蔑まれた先代聖王の跡を継いで王とならざるを得なかった彼の人の苦難に満ちた十五年の歳月は、その遺体すら故国に帰れぬ無惨な死によって終わりを迎えた。
 十五年。
 それは、決して短い歳月では無い。
 聖王に憎悪を向けるペレジアの民、荒廃した国土と荒れ果てたイーリスの民の心、宮廷に蔓延る腐敗した貴族達……。
 エメリナは外も内も敵だらけであった。
 そんな世界から、エメリナは必死にクロムとリズを守り、民を守り、国を守ろうとしていた。
 クロムはそんなエメリナを守ろうと思い、その為の力を得ようとしていた。
 だが、何の事は無い。
 最後の最後まで、クロムはエメリナに守られていたのである。
 描こうとしていた理想を志半ばに遺して逝った彼の人は。
 “幸せ”、であったのだろうか……。
 クロムには、その苦難に満ちた王としての人生にも、彼の人の“幸せ”が何処かにあったのだと……そう言い切る事は出来なかった。

 エメリナを喪い、クロムの心には“虚ろ”が生まれた。
 それは次第に大きく深く広がり、エメリナからクロムが確かに受け取ってきた様々なモノすらをも呑み込もうとしていってしまっていた。
 そんな憎悪と絶望と虚無の泥濘へと沈み行こうとしていたクロムの手を掴んで引き摺り戻してくれたのが、ルフレだった。
 暗い闇に閉ざされていたクロムの心に、ルフレは迷い人を導く星の輝きの様な光を灯してくれた。

 だが、そんなルフレを。
 クロムは、喪ってしまったのだ。

 憎悪に囚われ、怒りと嘆きに逃避して。
 そして、自らの身も託されたモノも顧みず、ただただ消えぬ虚ろが囁くままに敵を殺そうとして。
 そんな無謀でしか無い行為が、本来なら必要すら無かった戦いを招き。
 そんなクロムの自業自得であった戦いの中で、ルフレはクロムを庇って深手を負った。
 それなのに、ルフレは最期の瞬間までクロムを守ったのだ。

 最早逃げ切れぬ程の深手を負ったその時。
 フレデリクにクロムを託し、その背が遠ざかって行くのを感じていた時。
 クロムの叫びに、振り返ったあの時。
 崩壊する橋と共に独り落ちていった瞬間に。
 ルフレは、何を想っていたのだろう。
 振り返ったルフレは、どうしてクロムに微笑んでいたのであろう。

 あの日あの草原で出会ったルフレは、クロムの軍師となったばかりに、あの様な土砂降りの雨の中、独り死んでしまった。
 あの場所へルフレを連れてきてしまったのも、あの様な最期を迎えさせてしまったのも。
 全てクロムの所為だった。

 ルフレは、確かに敵を倒す事に躊躇は無く、生半な戦士では相手にもならない程に強くはあったのだが。
 その実、戦いを好む性分では無い事にクロムは気付いていた。
 本当は、陽だまりの中でうとうと昼寝をしたり、気儘に過ごすのを好む少女だったのだ。
 地位も名誉も財も望まず、モノにも基本的に執着を示さず、誰かに縛られる事を厭うルフレが、それでもクロムの傍に居てくれたのは。
 それがクロムの自惚れで無いのだとしたら、数少ないルフレの“願い”が、『クロムの傍に居たい』と言う想いだったのだろう。
 クロムは、そんなルフレの想いに甘えて、ルフレを戦場へと連れ出した。
 そして、喪ってしまった。

 叡知に溢れ、歴戦の戦士よりも強くはあったが。
 それでも、自身の一切の記憶を喪ってしまっていたルフレは、生まれたての雛鳥の様な存在でもあったのだ。
 だがクロムは、そんなルフレに戦場ばかりを見せてきてしまった。
 ルフレがそれを厭わなかったからとは言え、戦いばかりを強いてしまっていた。
 きっとあの日空白の眠りから目覚めたルフレが出会ったのがクロムでは無かったのなら。
 きっとルフレは、別の生き方が出来ていたのではないだろうか。
 少なくとも、あんな最期を迎える必要は無かった筈だ。

 クロムと出会った事は、ルフレにとって本当に“幸せ”な事であったのだろうか……?
 そう、己の心に問わずにはいられなかった。

 クロムには、ルフレが必要だった。
 だが、ルフレにクロムが必要だったのかと問われれば、それはクロムには分からなかった。

 大切で、守りたくて、その為に強くなりたくて。
 だが、クロムは最期までエメリナに、ルフレに、守られていた。
 自分の無力が、自分の傲りが、憎悪に容易く呑まれた自分の心が、彼女等を死に追いやった。
 それなのに、クロムは生きている。生かされている。
 守りたいと願った者達の命を代償にして、クロムは生きているのだ。

 命を賭けて守られた命なのだから、大切にしろと。
 それを粗末にすれば、命を賭けてくれた者の命の価値すらをも貶める事になるのだと。
 ルフレは、そうクロムに言ってくれた。
 それは正しいのであろう。
 だが、クロムの心を救ってくれたルフレは、もう、居ない。


 ルフレという星の輝きを喪ってしまったクロムは、再び後悔と絶望の闇の中へと囚われてしまったのであった…………。





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