第10話『星降る夜に願う事』
◇◇◇◇◇
「あっ、フレデリク」
王城の中でも多くの文官達の執務室が用意されている区画の通路でフレデリクはルフレに呼び止められた。
両手一杯に様々な書類を抱えたルフレは、やや駆け足気味にフレデリクへと駆け寄る。
「どうかしましたか、ルフレさん」
「うん、ゴルドロフ伯爵領内の治水事業の件でちょっと訊ねたい事があってね」
そう言ってルフレは幾つかの質問をフレデリクに投げ掛けた。
幸いにもフレデリクで答えられる内容であったのだが、フレデリクの回答にルフレは少し思案する様に黙りこむ。
軍師として策を練っていた時の様な真剣なその横顔に、フレデリクも思わず息を詰める。
が。
ふと前方から数人の文官達がやって来た事で、その場の緊張は乱された。
彼等はルフレを疎む側の官吏達であり、ルフレの姿を見てあからさまに渋い表情を浮かべる。
「躾もろくにされていない野良猫風情が、城内を彷徨くなど……」
「身の程を弁えぬ『山猫』め……」
すれ違い様にそうルフレに吐き捨てて行く文官達だが、ルフレの方はと言うと彼等の言葉など微風以下のモノであるかの様に一顧だにしない。
その態度が更に文官達の神経を逆撫でするのだろう。
ギリッと、彼等が歯噛みする音すらフレデリクにも聞こえてきた。
ルフレの身許は相変わらず不詳のままだ。
何れ程調べようとも、あの日クロムに出逢うまでの一切の経歴が謎のままであった。
その為、身分や立場と言うモノを酷く重視する場である王宮内ではルフレに疑惑の眼差しが向けられてしまうのはフレデリクとて理解はしている。
以前に一度だけだが、文官達からの陰口があまりにも激しいので、ルフレに何か対策しなくても良いのか?とフレデリクは訊ねた事があった。
するとルフレは。
『言いたい奴には言わせておけばいい。
だって、別にそんなどうでも良い奴等から何を言われようとどう思われようともどうでも良いし。
“山猫”だの“野良猫”だの……、ハッキリ言って子供以下の陰口でしょ。
そんな陰口を叩く位しか能が無い馬鹿な連中に構っていられる程暇じゃないし。
それに、ああやって陰口なんか叩く連中なんて所詮は小物だから』
と答えたのであった。
王宮に澱み溜まった膿の様な連中であるが、ルフレを相手取るには全く以て力が足りていない様だ。
そもそも、官吏達の中でも本当に厄介な狐狸妖怪の如き海千山千の老獪な者達の殆どは、ルフレに対しては静観の姿勢を取っていた。
クロムの傍に現れたルフレと言う存在を、どう利用するのか、どんな利用価値があるのかと計っている状態であった。
ルフレの言う通り、ルフレを闇雲に排斥しようとしている連中など、王宮と言う権謀術数が渦巻く魔窟の中では大した地位も権勢も財力もコネも持たぬ小物が殆どである。
エメリナは先代聖王の時代から澱みに淀んでいた宮中の膿を出して正常化しようと努めてはいたのだが、“聖戦”終戦後の後処理で多くの佞臣・奸臣の類いを追放したり左遷したり処罰したりはしていたものの、それでも完全に正常化出来ているとは言い難かった。
悪行の証拠を掴もうにも、老獪な彼等はそう易々とは尻尾を掴ませなかったからだ。
しかし、この危難の時にその様な害悪をのさばらせておく余裕は無い。
よってルフレとフレデリクはイーリスの復興に奔走する傍らで、そんな悪行を重ねる貴族や官吏達を一掃するべくその悪行の証拠集めを行っているのだった。
その証拠集めには、ガイアと言う心強い協力者もいる。
現在はクロムが直々に雇っている密偵と言う立場であるガイアだが、元々腕の良い盗賊である彼は裏の道と言うモノに精通していた。
ルフレが的確に当たりを付け、フレデリクと共に調査を行い、更にはガイアも裏の道経由で悪行の証拠集める。
そうやって、既に大半の悪質な官吏や貴族を一気に追放出来るだけの情報は固まった。
他にも、罷免や追放する程では無い小さな悪行を重ねていた者達のリストアップも既に終わっている。
あと十数人程の内偵を終わらせれば、一気に片を付けるつもりである。
小物連中がルフレに対して陰口を叩いていられるもの今の内……と言う事だ。
しかしそんな事は露とも知らぬ文官達は、無反応なルフレの耳にも届く様に次から次へと陰口を言い募っていく。
しかしルフレがそれに取り合う事は無い。
が。
「全く、クロム様は何故あの様な獣を……」
「戦場では役に立っていたと言われてはいるが、果たして何処までが本当の事やら。
大方、クロム様に色目を使って取り入ったのであろう」
「クロム様も人の子と言う訳か。
が、政の場に私情を挟まれては先行きが──」
ペラペラと軽薄に回る文官達のその舌が、その言葉の続きを語る事は無かった。
「先行きが、何……?」
文官達がそれを認識する事すら出来ない程の一瞬で距離を彼等との詰めたルフレが冷ややかな声で訊ねる。
ルフレは武器を構えている訳でもなく、その拳を握っている訳でもない。
だが、僅かにでも余計な事をした瞬間に、その命は無いと。
そう、戦場に立った事もない文官達にすらも有無を言わさずに理解させられる程の、殺気にも似た威圧感をルフレは纏っていた。
静かに訊ねたルフレに気圧された様に、文官達は震える足取りで一歩後ろに下がろうとするが……その足は床に貼り付いて凍り付いたかの様に震えるばかりで少しも動けやしない。
また一歩、ルフレが文官達に近寄る。
ヒッ、と悲鳴にすらなれなかった哀れな音が文官達の口元から零れ出た。
「あたしの事をどう言おうがどうでも良いしあなた達の勝手にすれば良い。
でもね、クロムに対して謂れもない陰口を叩こうものなら……覚悟して」
そう文官達に言い捨てたルフレは、フレデリクに「行きましょ」と声をかけてその場を立ち去る。
……ルフレは、自身の事については全く頓着しないのであるが、それがクロムの事となると話は別だ。
フレデリクとて自らの主君であるクロムに対する事実無根の流言飛語など到底許容出来ない事ではあるのだが、ルフレは更にその上を行く。
クロムに対して放たれた明確な悪意には、その大小に関わらずルフレは一切の容赦をしないのだ。
恐らく早晩、先程の文官達は何らかの処罰を受けるであろう。
元々小物とは言えども叩けば埃が出てくる連中だ。
その気になったルフレには、彼等を馘首する事すら容易い。
聖王代理であるクロムの補佐官であるルフレには、国政上の決定権などは直接的には無い。
が、日々恐ろしい程の書類全てに目を通し記憶した上でそれを整理し各部署へと適切に回しているルフレは、誰がどの様な形でどんな不正を行っているのか、どう私腹を肥やそうとしているのか、そう言った諸々の事を意図も容易く見抜き。
それ所か、何処にどう働きかければ彼等を上手く動かせるのかを熟知している。
更には、意外な事にもその人脈は恐ろしく広く的確に王宮内に拡がっていた。
適切な人物に適切な恩を売り、時には抱えた欲望や損得勘定を煽って動かす。
ルフレは、そう言う事も平気で出来る人間なのだ。
実際にルフレがやろうと思えば、王宮内の大部分を掌握出来てしまうのだろう。
人の心や欲望を容易く見抜き、人の動かし方を熟知しているルフレは……政に関しても恐ろしい“化け物”の様な存在でもあった。
更にはこれでイーリス軍の方の仕事も完璧にやってのけているのだから、ほとほと常軌を逸した存在だ。
ルフレが望めば、地位を駆け上がりイーリスでの権力を握る事も、イーリスを意のままにする事すらも可能なのでは、とフレデリクは口にはせぬが思ってはいる。
が、ルフレはそんな事を一切望もうとはしていなかった。
元々、自由を愛し縛られる事を厭うルフレは、地位だの権力だの財などには全く関心が無いのだし、ともすればそれらを厭ましく思ってすらいる節もある。
王宮内で日々繰り広げられている権力闘争など、ルフレからすれば馬鹿馬鹿しいの一言で切って捨ててしまえる程にどうでも良い事なのだろう。
その中に態々進んで飛び込むなど、ルフレからすれば正気の沙汰では無い。
そんなルフレが権力の座こそ望まずともそうして内政面でも力を蓄えているのは、徹頭徹尾クロムの為であった。
クロムが、イーリスを復興させたいと、イーリスに蔓延る腐りきった貴族や官吏連中を一掃したいと思っているからこそ、それを実現させる為に最短かつ最善の方法を取っているのだ。
クロムに請われて補佐官の任に就いたルフレは、何処までもクロムの為だけに其処に在り続ける。
そこに所謂私欲と取れそうなモノは何処にも無い。
強いて言えば、クロムの傍にいる事には固執しているのかもしれないが……。
『クロムの傍に居たい、クロムの力になりたい』と言うその願いは、私欲と言うには些か純粋に真っ直ぐ過ぎるモノである。
ルフレはクロムに対して、フレデリクの様な臣下としての忠義は持ち合わせてはいない。
しかし、それと比較しても尚劣る事など無い程の確固たる想いをルフレはクロムだけに捧げていた。
基本的に、この王宮内でクロムが真に信頼出来ている者達は異様な程に少ない。
家族であるリズ、昔から仕えてきたフレデリク……それ位である。
ルフレがこうしてやって来てくれてからはルフレも新たに加わってはいるが、それでも僅か三名だ。
情に厚く懐も深く人を信頼する事をよく知っているクロムではあるが……。
この王宮内に跋扈する魑魅魍魎の如き存在は、そんなクロムの気質でも受け付けられなかったのだ。
先王の時代から甘い汁を啜る為に王や権力者にすり寄り国を荒廃させた無能ども。
幼くして即位した姉エメリナを自分達の傀儡に仕立てあげようと暗躍していた者ども。
聖痕が見付からぬからと、王女であるリズを王族で無いと貶したりあまつさえ先王妃の不義理の証だとそう隠すつもりも無く囁く下劣な者ども。
そして、正当なる王族であり更には国宝である神剣ファルシオンに選ばれた自分を御輿に担ぎ上げてエメリナの代わりに王位に据えようとする者ども。
軍備を放棄した結果民を守る事すら覚束無くなっていると言うのにも関わらず、民草の生活の事など顧みぬとばかりの態度を貫く官吏ども。
クロムはあまりにも王宮内の多くの膿を見てきた。
王族であるクロムは、確かに箱入りの世間知らずではあるのだろう。
だが、爛れ腐りきった者どもに反発しそれに抵抗する位の真っ当な感性はしっかりと持ち合わせている。
だからこそ、王宮内でクロムが真に信頼出来る人間は、家族とフレデリクしか居なかったのだ。
王宮内で頼れる者があまりにも少ないが故に、実質この国のトップであるにも関わらず、クロムは自分の望みを実現させる為の方法が分からなかったのである。
そんなクロムの為に、ルフレは全身全霊を賭けてその願いを実現させるべく動いていた。
フレデリクとてただ手を拱いていた訳ではないのだが、ルフレがやって来てからはフレデリク単独でしか動けなかった頃では考えられない程に、今は出来る事と動かせる範囲が格段に増えているのだ。
それは多くの官吏達は認識すら出来ていないだろうが、ルフレと共に内定を進めていたフレデリクには恐ろしい程にそれを理解してしまった。
あの日クロムがルフレと出逢った事、そしてルフレがクロムを選んだ事。
それらは、間違いなくクロムにとって……そしてイーリスと言う国にとって最大級の幸運であるのだろうと、フレデリクは思っているのであった。
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「あっ、フレデリク」
王城の中でも多くの文官達の執務室が用意されている区画の通路でフレデリクはルフレに呼び止められた。
両手一杯に様々な書類を抱えたルフレは、やや駆け足気味にフレデリクへと駆け寄る。
「どうかしましたか、ルフレさん」
「うん、ゴルドロフ伯爵領内の治水事業の件でちょっと訊ねたい事があってね」
そう言ってルフレは幾つかの質問をフレデリクに投げ掛けた。
幸いにもフレデリクで答えられる内容であったのだが、フレデリクの回答にルフレは少し思案する様に黙りこむ。
軍師として策を練っていた時の様な真剣なその横顔に、フレデリクも思わず息を詰める。
が。
ふと前方から数人の文官達がやって来た事で、その場の緊張は乱された。
彼等はルフレを疎む側の官吏達であり、ルフレの姿を見てあからさまに渋い表情を浮かべる。
「躾もろくにされていない野良猫風情が、城内を彷徨くなど……」
「身の程を弁えぬ『山猫』め……」
すれ違い様にそうルフレに吐き捨てて行く文官達だが、ルフレの方はと言うと彼等の言葉など微風以下のモノであるかの様に一顧だにしない。
その態度が更に文官達の神経を逆撫でするのだろう。
ギリッと、彼等が歯噛みする音すらフレデリクにも聞こえてきた。
ルフレの身許は相変わらず不詳のままだ。
何れ程調べようとも、あの日クロムに出逢うまでの一切の経歴が謎のままであった。
その為、身分や立場と言うモノを酷く重視する場である王宮内ではルフレに疑惑の眼差しが向けられてしまうのはフレデリクとて理解はしている。
以前に一度だけだが、文官達からの陰口があまりにも激しいので、ルフレに何か対策しなくても良いのか?とフレデリクは訊ねた事があった。
するとルフレは。
『言いたい奴には言わせておけばいい。
だって、別にそんなどうでも良い奴等から何を言われようとどう思われようともどうでも良いし。
“山猫”だの“野良猫”だの……、ハッキリ言って子供以下の陰口でしょ。
そんな陰口を叩く位しか能が無い馬鹿な連中に構っていられる程暇じゃないし。
それに、ああやって陰口なんか叩く連中なんて所詮は小物だから』
と答えたのであった。
王宮に澱み溜まった膿の様な連中であるが、ルフレを相手取るには全く以て力が足りていない様だ。
そもそも、官吏達の中でも本当に厄介な狐狸妖怪の如き海千山千の老獪な者達の殆どは、ルフレに対しては静観の姿勢を取っていた。
クロムの傍に現れたルフレと言う存在を、どう利用するのか、どんな利用価値があるのかと計っている状態であった。
ルフレの言う通り、ルフレを闇雲に排斥しようとしている連中など、王宮と言う権謀術数が渦巻く魔窟の中では大した地位も権勢も財力もコネも持たぬ小物が殆どである。
エメリナは先代聖王の時代から澱みに淀んでいた宮中の膿を出して正常化しようと努めてはいたのだが、“聖戦”終戦後の後処理で多くの佞臣・奸臣の類いを追放したり左遷したり処罰したりはしていたものの、それでも完全に正常化出来ているとは言い難かった。
悪行の証拠を掴もうにも、老獪な彼等はそう易々とは尻尾を掴ませなかったからだ。
しかし、この危難の時にその様な害悪をのさばらせておく余裕は無い。
よってルフレとフレデリクはイーリスの復興に奔走する傍らで、そんな悪行を重ねる貴族や官吏達を一掃するべくその悪行の証拠集めを行っているのだった。
その証拠集めには、ガイアと言う心強い協力者もいる。
現在はクロムが直々に雇っている密偵と言う立場であるガイアだが、元々腕の良い盗賊である彼は裏の道と言うモノに精通していた。
ルフレが的確に当たりを付け、フレデリクと共に調査を行い、更にはガイアも裏の道経由で悪行の証拠集める。
そうやって、既に大半の悪質な官吏や貴族を一気に追放出来るだけの情報は固まった。
他にも、罷免や追放する程では無い小さな悪行を重ねていた者達のリストアップも既に終わっている。
あと十数人程の内偵を終わらせれば、一気に片を付けるつもりである。
小物連中がルフレに対して陰口を叩いていられるもの今の内……と言う事だ。
しかしそんな事は露とも知らぬ文官達は、無反応なルフレの耳にも届く様に次から次へと陰口を言い募っていく。
しかしルフレがそれに取り合う事は無い。
が。
「全く、クロム様は何故あの様な獣を……」
「戦場では役に立っていたと言われてはいるが、果たして何処までが本当の事やら。
大方、クロム様に色目を使って取り入ったのであろう」
「クロム様も人の子と言う訳か。
が、政の場に私情を挟まれては先行きが──」
ペラペラと軽薄に回る文官達のその舌が、その言葉の続きを語る事は無かった。
「先行きが、何……?」
文官達がそれを認識する事すら出来ない程の一瞬で距離を彼等との詰めたルフレが冷ややかな声で訊ねる。
ルフレは武器を構えている訳でもなく、その拳を握っている訳でもない。
だが、僅かにでも余計な事をした瞬間に、その命は無いと。
そう、戦場に立った事もない文官達にすらも有無を言わさずに理解させられる程の、殺気にも似た威圧感をルフレは纏っていた。
静かに訊ねたルフレに気圧された様に、文官達は震える足取りで一歩後ろに下がろうとするが……その足は床に貼り付いて凍り付いたかの様に震えるばかりで少しも動けやしない。
また一歩、ルフレが文官達に近寄る。
ヒッ、と悲鳴にすらなれなかった哀れな音が文官達の口元から零れ出た。
「あたしの事をどう言おうがどうでも良いしあなた達の勝手にすれば良い。
でもね、クロムに対して謂れもない陰口を叩こうものなら……覚悟して」
そう文官達に言い捨てたルフレは、フレデリクに「行きましょ」と声をかけてその場を立ち去る。
……ルフレは、自身の事については全く頓着しないのであるが、それがクロムの事となると話は別だ。
フレデリクとて自らの主君であるクロムに対する事実無根の流言飛語など到底許容出来ない事ではあるのだが、ルフレは更にその上を行く。
クロムに対して放たれた明確な悪意には、その大小に関わらずルフレは一切の容赦をしないのだ。
恐らく早晩、先程の文官達は何らかの処罰を受けるであろう。
元々小物とは言えども叩けば埃が出てくる連中だ。
その気になったルフレには、彼等を馘首する事すら容易い。
聖王代理であるクロムの補佐官であるルフレには、国政上の決定権などは直接的には無い。
が、日々恐ろしい程の書類全てに目を通し記憶した上でそれを整理し各部署へと適切に回しているルフレは、誰がどの様な形でどんな不正を行っているのか、どう私腹を肥やそうとしているのか、そう言った諸々の事を意図も容易く見抜き。
それ所か、何処にどう働きかければ彼等を上手く動かせるのかを熟知している。
更には、意外な事にもその人脈は恐ろしく広く的確に王宮内に拡がっていた。
適切な人物に適切な恩を売り、時には抱えた欲望や損得勘定を煽って動かす。
ルフレは、そう言う事も平気で出来る人間なのだ。
実際にルフレがやろうと思えば、王宮内の大部分を掌握出来てしまうのだろう。
人の心や欲望を容易く見抜き、人の動かし方を熟知しているルフレは……政に関しても恐ろしい“化け物”の様な存在でもあった。
更にはこれでイーリス軍の方の仕事も完璧にやってのけているのだから、ほとほと常軌を逸した存在だ。
ルフレが望めば、地位を駆け上がりイーリスでの権力を握る事も、イーリスを意のままにする事すらも可能なのでは、とフレデリクは口にはせぬが思ってはいる。
が、ルフレはそんな事を一切望もうとはしていなかった。
元々、自由を愛し縛られる事を厭うルフレは、地位だの権力だの財などには全く関心が無いのだし、ともすればそれらを厭ましく思ってすらいる節もある。
王宮内で日々繰り広げられている権力闘争など、ルフレからすれば馬鹿馬鹿しいの一言で切って捨ててしまえる程にどうでも良い事なのだろう。
その中に態々進んで飛び込むなど、ルフレからすれば正気の沙汰では無い。
そんなルフレが権力の座こそ望まずともそうして内政面でも力を蓄えているのは、徹頭徹尾クロムの為であった。
クロムが、イーリスを復興させたいと、イーリスに蔓延る腐りきった貴族や官吏連中を一掃したいと思っているからこそ、それを実現させる為に最短かつ最善の方法を取っているのだ。
クロムに請われて補佐官の任に就いたルフレは、何処までもクロムの為だけに其処に在り続ける。
そこに所謂私欲と取れそうなモノは何処にも無い。
強いて言えば、クロムの傍にいる事には固執しているのかもしれないが……。
『クロムの傍に居たい、クロムの力になりたい』と言うその願いは、私欲と言うには些か純粋に真っ直ぐ過ぎるモノである。
ルフレはクロムに対して、フレデリクの様な臣下としての忠義は持ち合わせてはいない。
しかし、それと比較しても尚劣る事など無い程の確固たる想いをルフレはクロムだけに捧げていた。
基本的に、この王宮内でクロムが真に信頼出来ている者達は異様な程に少ない。
家族であるリズ、昔から仕えてきたフレデリク……それ位である。
ルフレがこうしてやって来てくれてからはルフレも新たに加わってはいるが、それでも僅か三名だ。
情に厚く懐も深く人を信頼する事をよく知っているクロムではあるが……。
この王宮内に跋扈する魑魅魍魎の如き存在は、そんなクロムの気質でも受け付けられなかったのだ。
先王の時代から甘い汁を啜る為に王や権力者にすり寄り国を荒廃させた無能ども。
幼くして即位した姉エメリナを自分達の傀儡に仕立てあげようと暗躍していた者ども。
聖痕が見付からぬからと、王女であるリズを王族で無いと貶したりあまつさえ先王妃の不義理の証だとそう隠すつもりも無く囁く下劣な者ども。
そして、正当なる王族であり更には国宝である神剣ファルシオンに選ばれた自分を御輿に担ぎ上げてエメリナの代わりに王位に据えようとする者ども。
軍備を放棄した結果民を守る事すら覚束無くなっていると言うのにも関わらず、民草の生活の事など顧みぬとばかりの態度を貫く官吏ども。
クロムはあまりにも王宮内の多くの膿を見てきた。
王族であるクロムは、確かに箱入りの世間知らずではあるのだろう。
だが、爛れ腐りきった者どもに反発しそれに抵抗する位の真っ当な感性はしっかりと持ち合わせている。
だからこそ、王宮内でクロムが真に信頼出来る人間は、家族とフレデリクしか居なかったのだ。
王宮内で頼れる者があまりにも少ないが故に、実質この国のトップであるにも関わらず、クロムは自分の望みを実現させる為の方法が分からなかったのである。
そんなクロムの為に、ルフレは全身全霊を賭けてその願いを実現させるべく動いていた。
フレデリクとてただ手を拱いていた訳ではないのだが、ルフレがやって来てからはフレデリク単独でしか動けなかった頃では考えられない程に、今は出来る事と動かせる範囲が格段に増えているのだ。
それは多くの官吏達は認識すら出来ていないだろうが、ルフレと共に内定を進めていたフレデリクには恐ろしい程にそれを理解してしまった。
あの日クロムがルフレと出逢った事、そしてルフレがクロムを選んだ事。
それらは、間違いなくクロムにとって……そしてイーリスと言う国にとって最大級の幸運であるのだろうと、フレデリクは思っているのであった。
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