第一話『王女と軍師』
◆◆◆◆◆
世界は、滅びに瀕していた。
千年の眠りより再び甦りし、神話に語られる邪竜ギムレー。
彼の強大な力により、空は常に曇天に覆われ作物の多くは枯死し、人々は日々の口糊を凌ぐ事すら貧窮し、命が芽吹く事無き死に絶えた大地は猛烈な勢いで拡大し、そして地には人々の屍より生まれし者……屍兵が闊歩し人々を襲う。
そんな邪竜の脅威を前に滅びを待つしか無い人々に唯一残された希望。
それは、千年前に邪竜を封じたとされている、イーリスに伝わる国宝──神剣ファルシオン。
そしてそれの担い手である、聖王を継ぐ王女ルキナ。
だがしかし、未だファルシオンは完全な状態では無かった。
かつて初代聖王がギムレーを封じた際に宿っていた神竜ナーガの力は、人の身には過ぎたモノである為か、既に無く。
邪竜を討つ力を神剣ファルシオンに甦らせる為には、“炎の紋章”を完成させて『覚醒の儀』を行う必要があった……。
だが、“炎の紋章”を構成する“炎の台座”と5つの宝玉の行方は杳として知れず、滅びは刻一刻と迫ってきている。
そんな絶望的な状況の中で、宝玉探索の白羽の矢が立ったのは。
かつて世界の命運を賭けて戦いその命を散らした戦士達の子供達──この絶望だけが支配する時代に於いて、『希望』と呼ばれるルキナの仲間達であった。
宝玉の探索の為に、腕利き中の腕利きである彼等を……まだ年若く本来は大人達が守り導くべき子供達を、宛無き旅路へと向かわせるしか……人々の『希望』を一手に担うしかないルキナには残されていなかった。
本心では、ルキナも彼等と共に宝玉の探索に向かいたかった。
だが、彼女の立場が、守るべき国の存在が、それをルキナに赦さない。
ルキナに出来るのは、仲間達が宝玉を見付け出して帰還するその日を信じて、少しでも滅び行く国を延命し、絶望に喘ぐ民を救う事だけだった。
だが、ルキナ一人に何が出来ると言うのだろうか。
神剣を継承しているのだとしても、聖王の血を継ぎ聖痕をその瞳に宿しているのだとしても、英雄たる父王クロムの娘であるのだとしても。
ルキナは一人の人間であり、王族であろうと何であろうと、人一人が出来る事、その手が護れるモノなど、決して多くはないのだ。
それでも、ルキナには泣き言一つ溢す事も赦されていなかった。
大地には屍兵が溢れ、命ある者を襲い同類へと変えている。
毎日の様に村や町が、壊滅させられている。
ナーガの加護があり、ギムレーの侵攻が鈍いこのイーリスですらこうなのだ。
ギムレーが復活した場所とされるペレジアは既に命ある者の居ない死だけが支配する地であるとされているし、雪と氷に閉ざされたフェリアは最早王都などの一部の都市にしか人は生き残っていないと言う。
遠く風に聞いた噂では、ヴァルム大陸やグランベル大陸は既に滅びたらしい。
そんな世界でたった一つ、人々がまだ生きていられる場所。
人々の最後の希望、神剣ファルシオンを継ぐ者が居る国。
それがイーリスであり、ルキナが背負わねばならぬモノであった。
ルキナが背負うのは、今を生きる人々全ての『希望』であると言っても過言では無い。
『希望』……。
人々は言う、『助けて下さい』と、『救って下さい』と、『死にたくない』と、『ギムレーを滅ぼしてくれ』と。
無数の人々の祈りに、願いに、断末魔に。
ルキナは応えなければならない。
それが、クロムの意志を継ぎファルシオンを継いだ者としての責務だからだ。
それなのに、ルキナには何も出来ない。
滅び行く世界を前にして、死に行く民を前にして。
救えなくて済まない、と。
自分の力が及ばずに済まない、と。
ナーガの力を甦らせられずに済まない、と。
民の骸を前にして慟哭する余裕すら、ルキナには赦されていなかった。
人々から背負わされた『希望』が、ルキナに足を止める事を赦さない。
何れ程、己の無力に打ち拉がれても、背負うモノの重さに押し潰されてしまいそうになっても、心と身体を磨り減らし倒れそうになっても。
ルキナに課せられた《願い》が、諦める事を許さない。
諦める事も立ち止まる事も出来ぬルキナは、戦い続けるしかなく……、故に己の無力に苛まれる。
一体、幾度救援が間に合わずに壊滅した村落を見たのだろう。
一体、何れ程の死に行く人々を、何も出来ぬままに見送ったのであろう。
迫り来る逃れ得ぬ死に怯える民が『死にたくない』と訴え掛けるのもルキナの心に傷を作るが、何よりも堪えるのは。
ルキナを見て、『救われた』と、『まだ希望は潰えていない』と、そんな事を言われる事であった。
その度に、止めてくれ、と幾度叫びたくなっただろうか。
ルキナは間に合わなかったのだ、力が及ばなかったのだ、救う事が出来なかったのだ、使命を義務を果たせなかったのだ。
それでも人々はルキナに『希望』を託す事を止めない。
希望、希望、希望、希望、希望、希望希望希望…………。
誰も彼もが、ルキナにそれを託す。
誰も彼もが、この絶望だけが支配する世界で、ただ一つの『希望』なのだと、ルキナに期待する。
ルキナにそれに応える力が無いのだとしても、だ。
父が生きていたら、とルキナは時折思う。
あの強く偉大な王であった父ならば。
民の期待を背負ってもそれに見事に応えられたのではないか、そもそもこんな絶望に世界を支配させやしなかったのではないか、と。
そして…………ルキナを護ってくれたのではないか、と。
……そんな事を想うのは全てに対する裏切りにも等しい。
ルキナには、志を共にする仲間達も居る。
だが、彼等はあくまでも仲間であり、ルキナを庇護する存在ではない。
そして…………彼等は生きて帰る見込みすら薄い宛無き旅へと、世界を救う為に旅立ってしまった。
ルキナを、一人この地に残して。
一人きりで民を指揮して戦わねばならぬルキナは、最早限界に近かった。
手から零れ落ちる救えぬモノを、届かぬ手の無力さを、嘆く事も出来ずそんな余裕が赦されない。
それでも、何もしない訳にはいかなかった。
仲間達が帰還するその日まで、何も出来ないのだとしても、少しでも民を救えるならばと。
寝食すら犠牲にして方々を駆け回って、ルキナは屍兵を討伐し続けていた。
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世界は、滅びに瀕していた。
千年の眠りより再び甦りし、神話に語られる邪竜ギムレー。
彼の強大な力により、空は常に曇天に覆われ作物の多くは枯死し、人々は日々の口糊を凌ぐ事すら貧窮し、命が芽吹く事無き死に絶えた大地は猛烈な勢いで拡大し、そして地には人々の屍より生まれし者……屍兵が闊歩し人々を襲う。
そんな邪竜の脅威を前に滅びを待つしか無い人々に唯一残された希望。
それは、千年前に邪竜を封じたとされている、イーリスに伝わる国宝──神剣ファルシオン。
そしてそれの担い手である、聖王を継ぐ王女ルキナ。
だがしかし、未だファルシオンは完全な状態では無かった。
かつて初代聖王がギムレーを封じた際に宿っていた神竜ナーガの力は、人の身には過ぎたモノである為か、既に無く。
邪竜を討つ力を神剣ファルシオンに甦らせる為には、“炎の紋章”を完成させて『覚醒の儀』を行う必要があった……。
だが、“炎の紋章”を構成する“炎の台座”と5つの宝玉の行方は杳として知れず、滅びは刻一刻と迫ってきている。
そんな絶望的な状況の中で、宝玉探索の白羽の矢が立ったのは。
かつて世界の命運を賭けて戦いその命を散らした戦士達の子供達──この絶望だけが支配する時代に於いて、『希望』と呼ばれるルキナの仲間達であった。
宝玉の探索の為に、腕利き中の腕利きである彼等を……まだ年若く本来は大人達が守り導くべき子供達を、宛無き旅路へと向かわせるしか……人々の『希望』を一手に担うしかないルキナには残されていなかった。
本心では、ルキナも彼等と共に宝玉の探索に向かいたかった。
だが、彼女の立場が、守るべき国の存在が、それをルキナに赦さない。
ルキナに出来るのは、仲間達が宝玉を見付け出して帰還するその日を信じて、少しでも滅び行く国を延命し、絶望に喘ぐ民を救う事だけだった。
だが、ルキナ一人に何が出来ると言うのだろうか。
神剣を継承しているのだとしても、聖王の血を継ぎ聖痕をその瞳に宿しているのだとしても、英雄たる父王クロムの娘であるのだとしても。
ルキナは一人の人間であり、王族であろうと何であろうと、人一人が出来る事、その手が護れるモノなど、決して多くはないのだ。
それでも、ルキナには泣き言一つ溢す事も赦されていなかった。
大地には屍兵が溢れ、命ある者を襲い同類へと変えている。
毎日の様に村や町が、壊滅させられている。
ナーガの加護があり、ギムレーの侵攻が鈍いこのイーリスですらこうなのだ。
ギムレーが復活した場所とされるペレジアは既に命ある者の居ない死だけが支配する地であるとされているし、雪と氷に閉ざされたフェリアは最早王都などの一部の都市にしか人は生き残っていないと言う。
遠く風に聞いた噂では、ヴァルム大陸やグランベル大陸は既に滅びたらしい。
そんな世界でたった一つ、人々がまだ生きていられる場所。
人々の最後の希望、神剣ファルシオンを継ぐ者が居る国。
それがイーリスであり、ルキナが背負わねばならぬモノであった。
ルキナが背負うのは、今を生きる人々全ての『希望』であると言っても過言では無い。
『希望』……。
人々は言う、『助けて下さい』と、『救って下さい』と、『死にたくない』と、『ギムレーを滅ぼしてくれ』と。
無数の人々の祈りに、願いに、断末魔に。
ルキナは応えなければならない。
それが、クロムの意志を継ぎファルシオンを継いだ者としての責務だからだ。
それなのに、ルキナには何も出来ない。
滅び行く世界を前にして、死に行く民を前にして。
救えなくて済まない、と。
自分の力が及ばずに済まない、と。
ナーガの力を甦らせられずに済まない、と。
民の骸を前にして慟哭する余裕すら、ルキナには赦されていなかった。
人々から背負わされた『希望』が、ルキナに足を止める事を赦さない。
何れ程、己の無力に打ち拉がれても、背負うモノの重さに押し潰されてしまいそうになっても、心と身体を磨り減らし倒れそうになっても。
ルキナに課せられた《願い》が、諦める事を許さない。
諦める事も立ち止まる事も出来ぬルキナは、戦い続けるしかなく……、故に己の無力に苛まれる。
一体、幾度救援が間に合わずに壊滅した村落を見たのだろう。
一体、何れ程の死に行く人々を、何も出来ぬままに見送ったのであろう。
迫り来る逃れ得ぬ死に怯える民が『死にたくない』と訴え掛けるのもルキナの心に傷を作るが、何よりも堪えるのは。
ルキナを見て、『救われた』と、『まだ希望は潰えていない』と、そんな事を言われる事であった。
その度に、止めてくれ、と幾度叫びたくなっただろうか。
ルキナは間に合わなかったのだ、力が及ばなかったのだ、救う事が出来なかったのだ、使命を義務を果たせなかったのだ。
それでも人々はルキナに『希望』を託す事を止めない。
希望、希望、希望、希望、希望、希望希望希望…………。
誰も彼もが、ルキナにそれを託す。
誰も彼もが、この絶望だけが支配する世界で、ただ一つの『希望』なのだと、ルキナに期待する。
ルキナにそれに応える力が無いのだとしても、だ。
父が生きていたら、とルキナは時折思う。
あの強く偉大な王であった父ならば。
民の期待を背負ってもそれに見事に応えられたのではないか、そもそもこんな絶望に世界を支配させやしなかったのではないか、と。
そして…………ルキナを護ってくれたのではないか、と。
……そんな事を想うのは全てに対する裏切りにも等しい。
ルキナには、志を共にする仲間達も居る。
だが、彼等はあくまでも仲間であり、ルキナを庇護する存在ではない。
そして…………彼等は生きて帰る見込みすら薄い宛無き旅へと、世界を救う為に旅立ってしまった。
ルキナを、一人この地に残して。
一人きりで民を指揮して戦わねばならぬルキナは、最早限界に近かった。
手から零れ落ちる救えぬモノを、届かぬ手の無力さを、嘆く事も出来ずそんな余裕が赦されない。
それでも、何もしない訳にはいかなかった。
仲間達が帰還するその日まで、何も出来ないのだとしても、少しでも民を救えるならばと。
寝食すら犠牲にして方々を駆け回って、ルキナは屍兵を討伐し続けていた。
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