END【掛け違えた道の先で、君と】
◇◇◇◇
ルキナの目の前に広がっていたのは、全てが焼き払われた後の焼け跡の様な、そんな何も無い様な場所であった。
そこが確かに『虹の降る山』の中腹である事を示す様に、崩れ落ちた遺跡が地面にしがみつく様に僅かに残されているが……。
それがなければ、ただの荒野としか認識出来ない程の惨状であった。
至る場所で地面が抉られた様に陥没し、大穴を開けていて。
そして、重傷一歩手前まで追い詰められた仲間達が。
武器を支えにしながら、必死に立ち続けていた。
そして、そんな仲間達が対峙しているのは。
見慣れぬ【でもよく見知った】黒いローブを身に纏い。
冷え冷えと【そこに宿る優しい輝きをよく知っている】紅い紅い瞳を輝やかせて。
悠然とその場に佇む。
見知らぬ【誰よりもよく知っている】、一人の男であった。
彼の姿を目にした瞬間。
ルキナの胸の内に巣食う『虚ろ』が、今までに無い程に叫びだす。
思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、と。
彼を見ていると、割れる様な痛みを頭に感じる。
知らない筈なのに何故か泣きたくなる程に懐かしくて……。
いや、これは、『懐かしさ』ではなく、もっと、別の──
思考がそれに囚われそうになった瞬間に、仲間達が上げた大声によって、ルキナは現実に意識を引き摺り戻される。
「気を付けて、ルキナっ!!
コイツが、『ギムレー』なんだ……!」
そう叫んだアズールを、『彼』は虫を見る様な目付きで一瞥し、そして。
軽く左手を払った。
たったそれだけで、アズールの身体は大きく吹き飛ばされ、そのままアズールは身動きが取れなくなる。
そんなアズールに構う事すらなく、『彼』は一歩ルキナに近付いた。
それを見た仲間達は、『彼』に襲い掛かろうとするが。
武器を向けた瞬間に、上から強い力で叩き潰されたかの如く、地に臥せたまま動けなくなる。
全員まだ死んではいないけれども、もう、意識は無い。
瞬く間に仲間達全員を無力化した『彼』は。
また一歩、ルキナに近付いた。
そして──
「……初めまして、ナーガの眷族の末よ。
我は『ギムレー』。
汝らが、『邪竜ギムレー』と呼ぶ者だ」
そう名乗った『ギムレー』は、チラリと。
ルキナが携えるファルシオンを一瞥した。
「『覚醒の儀』を行ったか……。
その牙から忌々しいナーガの力を、感じるな」
だが、と。
『ギムレー』は冷笑する。
「ナーガの力を得た所で、汝らに何が出来る?
ナーガの末よ、貴様の仲間は成す術も無く我に敗れたぞ。
如何にナーガの力を得ようと、我に傷一つ付けられぬのならば、その力には何の意味もない」
「そんな事は……!」
大きく踏み込んで、ファルシオンを一閃させるが。
『ギムレー』はそれを軽く避けてしまう。
「無駄だ、聖王の末よ。
我が身にその牙を届かせる事すら、汝には不可能だ」
そう言いながら『ギムレー』は軽く手を翳し、凶悪な程の威力の黒炎を生み出す。
そしてそれを、ルキナに向けて放った。
咄嗟にファルシオンで受けるが、あまりの威力に大きく後退させられてしまう。
「…………汝らの命運は、ここで潰える。
滅びの定めは、変わらない」
ポツリと呟いた『ギムレー』は。
静かにルキナを見据えた。
「それでも、尚。汝は我に抗うか?」
「当たり前です!
私達は、邪竜なんかに……絶望なんかに、屈しない!!
ここで、あなたを討ちます!」
そのルキナの返答に。
……何故か、『ギムレー』が。
『満足そうに』微笑んだ気が、した。
だがそれは瞬きよりも短い時間の事で。
自分の見間違えなのだと、ルキナはそう思ったが。
心の何処かは、胸に巣食う『虚ろ』は。
煩い程に警鐘を打ち鳴らし続けていて。
それに耳を塞ぎながら、ルキナは『ギムレー』にファルシオンを向けた。
「成る程、抗えぬ現実に絶望し果てる事を望むか……。
良いだろう、興が乗った。
その魂を奥底まで絶望に染め上げようではないか」
酷薄そうな笑みを浮かべた『ギムレー』は、闇を凝縮した様な魔力で周囲を薙ぎ払う。
それをファルシオンの力で防ぎ、ルキナは『ギムレー』へと連擊を繰り出した。
その攻撃は避けられてしまったが、それでも諦めずにルキナは食らい付く。
一進一退の膠着状態が何時までも続いた。
『ギムレー』は未だ余裕を見せていて、その底は全く見えない。
ルキナの攻撃を避け、往なすその動きは舞っているかの様ですらあった。
反面ルキナはと言うと、圧倒的な力の差に心を削られそうになりながらも、何とか『ギムレー』に食らい付いている。
そうやって『ギムレー』と斬り結ぶ中で、ルキナの心の内に一つの違和感が纏わり付いていた。
『ギムレー』から、ルキナは確かに攻撃されている。
それは避けなければ、防がなければ。
一撃で死んでいたであろう攻撃ばかりである。
だが、それはどれも避けたり防いだりする余裕がある攻撃ばかりなのだ。
例えば、ファルシオンが弾かれた時に。
絶好の隙である筈なのに、『ギムレー』は絶対にルキナを攻撃しない。
それだけでは無かった。
『ギムレー』が本気でルキナを殺そうと思っているならば、殺せる瞬間など幾らでもあった。
それなのに。
『ギムレー』は一切その機会には攻撃しないのだ。
必ず、ルキナが避けるか防ぐ余裕があるタイミングでのみ、攻撃してくる。
態と甚振っているだけなのかもしれない。
ここまで手加減されていても尚、傷一つ付けられない事に絶望させようとしているのかもしれない。
だけれども。
『本当にそうなのか?』と。
疑問がルキナの胸の内を支配していく。
ルキナを絶望させたいのなら、そんなまどろっこしい手段など、取るのだろうか?
もっと圧倒的な力を見せ付けることだって……、『ギムレー』が人智を越えた存在である事を考えれば容易い筈だ。
ならば、何故?
何か、別の目的があるのだろうか……?
考えた所で答えなど出る筈もなく、それを目の前の『ギムレー』に問える筈もない。
だが、考えれば考える程、不可解な程の疑問と違和感が噴出してくるのだ。
それと同時に、何かを叫び訴え続ける胸の『虚ろ』が、ルキナの意識を揺さぶってくる。
分からない。
『ギムレー』が、何をしようとしているのか、何をしたいのか、が。
ルキナには、分からないのだ。
思考がそんな風に疑問と違和感に支配されていても、身体は最早無意識に動き続けていた。
── 『僕』は貴女を、何があっても、守ります
ふと、脳裏に『誰か』の言葉が響く。
── 『何者』にも、貴女を傷付けさせたりはしない
『誰か』の温もりが、ルキナの心をそっと撫でる。
── 『僕』が、『僕』である限りは、絶対に
『誰か』の微笑みが、『虚ろ』の奥底に朧気に浮かぶ。
── 『僕』の全てを賭けて、貴女を守ります
『誰か』が遺した想いが、ルキナの心を震わせる。
その時。後退した『ギムレー』が僅かに、対峙している者でなくては分からない程微かに、体勢を崩した。
そして、それを認識した瞬間に。
最早思考がそれを命じるよりも先に、身体は、動く。
── だから……、さようなら、『僕』の最愛の人よ
そして……。
ファルシオンの切っ先は。
過たず『ギムレー』の身体を貫いた。
その途端に『ギムレー』は苦悶の声を上げる。
ルキナは、『ギムレー』に致命傷を与えた。
自らに課せられた『使命』を『希望』を、果たした。
だが、そんな事は。
ルキナにとっては、最早どうでも良い事であった。
『虚ろ』であった場所が、そこにあったモノが、そこに居た存在が。
一気にルキナの思考を支配する。
思わずファルシオンを手離してしまったルキナに倒れ掛かる様にして、『ギムレー』が……いや、『ロビン』が。
ルキナの、何よりも大切な人が──地に、膝を付いた。
「ぐっ…………。抜かった、か……。
忌……いましき、聖王め……。
一度、ならず、二度までも……」
そんな、口では呪詛の様な言葉を紡いでいるのに。
『彼』の目は、とても穏やかで……。
それは、『ロビン』の。
ルキナだけの軍師の、ルキナの『半身』のそれと、全く同じで。
ルキナはその瞬間に何もかもを忘れて、『彼』の身体を抱き締めた。
「どうして、どうして、ロビンさんが……」
何でこんな事に、どうして?
どうして、自分は。
ロビンの事を忘れていたのだ?
どうして、思い出せなかったのだ?
せめて、せめてこの剣が『彼』を貫く前に思い出せていれば、こんな事には──。
ルキナがその名前を呼んだ事に驚いたのか。
『彼』は一瞬呆気に取られた様にルキナを見たが。
直ぐに哀しそうな、寂しそうな、そして何処か……幸せな程に嬉しそうな。
そんな優しい目をして、ルキナの頬を優しく撫でた。
「あぁ……、何で、こんなタイミングで。
記憶が、戻ってしまったんで、しょうね」
その時。
ルキナは、ロビンの身体がサラサラと砂の様に端から崩れていっている事に気付いてしまった。
「困った、なぁ……。
貴女を、哀しませたくないから。
そんな顔を、して欲しくなかったから……。
『僕』は、記憶を持って行った、筈だったのに……」
『彼』の胸は、ファルシオンに貫かれたままだ。
本来ならば、話す事も辛いのかも、しれない。
それなのに。
涙の向こうに曇る『彼』は、困った様に優しく微笑んで、自分を抱き締めるルキナの背をあやす様に撫でる。
「『僕』にはもう、記憶を封じる力も、残っていないから……。
その記憶を……持って行く事は、出来ませんが」
だから、どうか。と、『彼』は優しく囁いた。
……それは、優しい……だが何よりも残酷な【呪い】だ。
「『僕』の事は、忘れて下さい……。
貴女は、ロビンなんて名前の軍師には、出逢わなかった。
そして、世界を、滅ぼそうとした、邪竜を、討ち滅ぼした。
それで、良いんです」
サラサラと崩れ行くその身体を、どうする事も出来ずに。
ルキナはただ看取る事しか、出来ない。
「ナーガは、『ギムレー』を滅ぼす事は、出来ない、と……」
そう、呟くと。
『彼』は優しく微笑んだ。
「確かに、ナーガの力だけでは、『ギムレー』は、滅ぼせない。
ですが、『僕』自身が、それを望めば、そしてそこに、ナーガの力が、加われば。
『ギムレー』は、無に消える。
もう、二度と、甦りません」
そして、止まらぬ涙に頬を濡らすルキナを。
優しく抱き締め返した。
「『僕』は、『ギムレー』なんです。
紛れもなく、『僕』は、『ギムレー』以外には、なれない。
だから、貴女が、気に病む必要なんて、何処にも、無い。
貴女は、正しい事を、した。
世界を、絶望から、救ったんです、から」
でも、と『彼』はルキナだけに聞こえる様に、その耳元で囁いた。
「だけれども。ルキナさん、貴女を想うこの気持ちは、『僕』だけの、ものでした。
それだけは、『本当』なんです。
貴女が居てくれたから、『僕』は『僕』で、居られた……」
有難う、とそう微笑む彼の左手は。
もう解ける様にして消えてしまっていて。
何が起きたのか、どうしてこうなったのか。
ルキナは何一つとしてまだ理解出来ていないのに。
待って、と。逝かないで、と。
その手を掴む事も、もう出来ない……。
「もしも、『僕』が、『ギムレー』では無かったら。
貴女と共に、生きて行ける、存在だったのなら。
ずっと、その傍に、居られたのでしょうか……」
そうだったら良いのにな、と夢を見る様に呟いた彼は、瞬きの間にすらもう消えてしまいそうで。
そして、辛うじて残っていた右手で、ルキナの頭を優しく一度だけ撫でた。
「さようなら、ルキナさん。
どうか、貴女の、未来に。
幸多からん事を──」
その言葉だけを、その想いだけを。
優しくて残酷な【呪い】をルキナに遺して。
『彼』は。
この世界から、その欠片一つ残す事なく完全に消え去った。
後に残されたのは。
呆然と、彼が確かに居た場所を掻き抱きながら涙を溢すルキナと。
彼が確かに存在していた筈の場所に落ちた、曇りなき刀身を耀かせたファルシオン。
そして気を失っているが故に、二人のやり取りを何一つとして知らぬ仲間達だけであった。
こうして、世界は救われたのだ。
◇◇◇◇◇
ルキナの目の前に広がっていたのは、全てが焼き払われた後の焼け跡の様な、そんな何も無い様な場所であった。
そこが確かに『虹の降る山』の中腹である事を示す様に、崩れ落ちた遺跡が地面にしがみつく様に僅かに残されているが……。
それがなければ、ただの荒野としか認識出来ない程の惨状であった。
至る場所で地面が抉られた様に陥没し、大穴を開けていて。
そして、重傷一歩手前まで追い詰められた仲間達が。
武器を支えにしながら、必死に立ち続けていた。
そして、そんな仲間達が対峙しているのは。
見慣れぬ【でもよく見知った】黒いローブを身に纏い。
冷え冷えと【そこに宿る優しい輝きをよく知っている】紅い紅い瞳を輝やかせて。
悠然とその場に佇む。
見知らぬ【誰よりもよく知っている】、一人の男であった。
彼の姿を目にした瞬間。
ルキナの胸の内に巣食う『虚ろ』が、今までに無い程に叫びだす。
思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、と。
彼を見ていると、割れる様な痛みを頭に感じる。
知らない筈なのに何故か泣きたくなる程に懐かしくて……。
いや、これは、『懐かしさ』ではなく、もっと、別の──
思考がそれに囚われそうになった瞬間に、仲間達が上げた大声によって、ルキナは現実に意識を引き摺り戻される。
「気を付けて、ルキナっ!!
コイツが、『ギムレー』なんだ……!」
そう叫んだアズールを、『彼』は虫を見る様な目付きで一瞥し、そして。
軽く左手を払った。
たったそれだけで、アズールの身体は大きく吹き飛ばされ、そのままアズールは身動きが取れなくなる。
そんなアズールに構う事すらなく、『彼』は一歩ルキナに近付いた。
それを見た仲間達は、『彼』に襲い掛かろうとするが。
武器を向けた瞬間に、上から強い力で叩き潰されたかの如く、地に臥せたまま動けなくなる。
全員まだ死んではいないけれども、もう、意識は無い。
瞬く間に仲間達全員を無力化した『彼』は。
また一歩、ルキナに近付いた。
そして──
「……初めまして、ナーガの眷族の末よ。
我は『ギムレー』。
汝らが、『邪竜ギムレー』と呼ぶ者だ」
そう名乗った『ギムレー』は、チラリと。
ルキナが携えるファルシオンを一瞥した。
「『覚醒の儀』を行ったか……。
その牙から忌々しいナーガの力を、感じるな」
だが、と。
『ギムレー』は冷笑する。
「ナーガの力を得た所で、汝らに何が出来る?
ナーガの末よ、貴様の仲間は成す術も無く我に敗れたぞ。
如何にナーガの力を得ようと、我に傷一つ付けられぬのならば、その力には何の意味もない」
「そんな事は……!」
大きく踏み込んで、ファルシオンを一閃させるが。
『ギムレー』はそれを軽く避けてしまう。
「無駄だ、聖王の末よ。
我が身にその牙を届かせる事すら、汝には不可能だ」
そう言いながら『ギムレー』は軽く手を翳し、凶悪な程の威力の黒炎を生み出す。
そしてそれを、ルキナに向けて放った。
咄嗟にファルシオンで受けるが、あまりの威力に大きく後退させられてしまう。
「…………汝らの命運は、ここで潰える。
滅びの定めは、変わらない」
ポツリと呟いた『ギムレー』は。
静かにルキナを見据えた。
「それでも、尚。汝は我に抗うか?」
「当たり前です!
私達は、邪竜なんかに……絶望なんかに、屈しない!!
ここで、あなたを討ちます!」
そのルキナの返答に。
……何故か、『ギムレー』が。
『満足そうに』微笑んだ気が、した。
だがそれは瞬きよりも短い時間の事で。
自分の見間違えなのだと、ルキナはそう思ったが。
心の何処かは、胸に巣食う『虚ろ』は。
煩い程に警鐘を打ち鳴らし続けていて。
それに耳を塞ぎながら、ルキナは『ギムレー』にファルシオンを向けた。
「成る程、抗えぬ現実に絶望し果てる事を望むか……。
良いだろう、興が乗った。
その魂を奥底まで絶望に染め上げようではないか」
酷薄そうな笑みを浮かべた『ギムレー』は、闇を凝縮した様な魔力で周囲を薙ぎ払う。
それをファルシオンの力で防ぎ、ルキナは『ギムレー』へと連擊を繰り出した。
その攻撃は避けられてしまったが、それでも諦めずにルキナは食らい付く。
一進一退の膠着状態が何時までも続いた。
『ギムレー』は未だ余裕を見せていて、その底は全く見えない。
ルキナの攻撃を避け、往なすその動きは舞っているかの様ですらあった。
反面ルキナはと言うと、圧倒的な力の差に心を削られそうになりながらも、何とか『ギムレー』に食らい付いている。
そうやって『ギムレー』と斬り結ぶ中で、ルキナの心の内に一つの違和感が纏わり付いていた。
『ギムレー』から、ルキナは確かに攻撃されている。
それは避けなければ、防がなければ。
一撃で死んでいたであろう攻撃ばかりである。
だが、それはどれも避けたり防いだりする余裕がある攻撃ばかりなのだ。
例えば、ファルシオンが弾かれた時に。
絶好の隙である筈なのに、『ギムレー』は絶対にルキナを攻撃しない。
それだけでは無かった。
『ギムレー』が本気でルキナを殺そうと思っているならば、殺せる瞬間など幾らでもあった。
それなのに。
『ギムレー』は一切その機会には攻撃しないのだ。
必ず、ルキナが避けるか防ぐ余裕があるタイミングでのみ、攻撃してくる。
態と甚振っているだけなのかもしれない。
ここまで手加減されていても尚、傷一つ付けられない事に絶望させようとしているのかもしれない。
だけれども。
『本当にそうなのか?』と。
疑問がルキナの胸の内を支配していく。
ルキナを絶望させたいのなら、そんなまどろっこしい手段など、取るのだろうか?
もっと圧倒的な力を見せ付けることだって……、『ギムレー』が人智を越えた存在である事を考えれば容易い筈だ。
ならば、何故?
何か、別の目的があるのだろうか……?
考えた所で答えなど出る筈もなく、それを目の前の『ギムレー』に問える筈もない。
だが、考えれば考える程、不可解な程の疑問と違和感が噴出してくるのだ。
それと同時に、何かを叫び訴え続ける胸の『虚ろ』が、ルキナの意識を揺さぶってくる。
分からない。
『ギムレー』が、何をしようとしているのか、何をしたいのか、が。
ルキナには、分からないのだ。
思考がそんな風に疑問と違和感に支配されていても、身体は最早無意識に動き続けていた。
── 『僕』は貴女を、何があっても、守ります
ふと、脳裏に『誰か』の言葉が響く。
── 『何者』にも、貴女を傷付けさせたりはしない
『誰か』の温もりが、ルキナの心をそっと撫でる。
── 『僕』が、『僕』である限りは、絶対に
『誰か』の微笑みが、『虚ろ』の奥底に朧気に浮かぶ。
── 『僕』の全てを賭けて、貴女を守ります
『誰か』が遺した想いが、ルキナの心を震わせる。
その時。後退した『ギムレー』が僅かに、対峙している者でなくては分からない程微かに、体勢を崩した。
そして、それを認識した瞬間に。
最早思考がそれを命じるよりも先に、身体は、動く。
── だから……、さようなら、『僕』の最愛の人よ
そして……。
ファルシオンの切っ先は。
過たず『ギムレー』の身体を貫いた。
その途端に『ギムレー』は苦悶の声を上げる。
ルキナは、『ギムレー』に致命傷を与えた。
自らに課せられた『使命』を『希望』を、果たした。
だが、そんな事は。
ルキナにとっては、最早どうでも良い事であった。
『虚ろ』であった場所が、そこにあったモノが、そこに居た存在が。
一気にルキナの思考を支配する。
思わずファルシオンを手離してしまったルキナに倒れ掛かる様にして、『ギムレー』が……いや、『ロビン』が。
ルキナの、何よりも大切な人が──地に、膝を付いた。
「ぐっ…………。抜かった、か……。
忌……いましき、聖王め……。
一度、ならず、二度までも……」
そんな、口では呪詛の様な言葉を紡いでいるのに。
『彼』の目は、とても穏やかで……。
それは、『ロビン』の。
ルキナだけの軍師の、ルキナの『半身』のそれと、全く同じで。
ルキナはその瞬間に何もかもを忘れて、『彼』の身体を抱き締めた。
「どうして、どうして、ロビンさんが……」
何でこんな事に、どうして?
どうして、自分は。
ロビンの事を忘れていたのだ?
どうして、思い出せなかったのだ?
せめて、せめてこの剣が『彼』を貫く前に思い出せていれば、こんな事には──。
ルキナがその名前を呼んだ事に驚いたのか。
『彼』は一瞬呆気に取られた様にルキナを見たが。
直ぐに哀しそうな、寂しそうな、そして何処か……幸せな程に嬉しそうな。
そんな優しい目をして、ルキナの頬を優しく撫でた。
「あぁ……、何で、こんなタイミングで。
記憶が、戻ってしまったんで、しょうね」
その時。
ルキナは、ロビンの身体がサラサラと砂の様に端から崩れていっている事に気付いてしまった。
「困った、なぁ……。
貴女を、哀しませたくないから。
そんな顔を、して欲しくなかったから……。
『僕』は、記憶を持って行った、筈だったのに……」
『彼』の胸は、ファルシオンに貫かれたままだ。
本来ならば、話す事も辛いのかも、しれない。
それなのに。
涙の向こうに曇る『彼』は、困った様に優しく微笑んで、自分を抱き締めるルキナの背をあやす様に撫でる。
「『僕』にはもう、記憶を封じる力も、残っていないから……。
その記憶を……持って行く事は、出来ませんが」
だから、どうか。と、『彼』は優しく囁いた。
……それは、優しい……だが何よりも残酷な【呪い】だ。
「『僕』の事は、忘れて下さい……。
貴女は、ロビンなんて名前の軍師には、出逢わなかった。
そして、世界を、滅ぼそうとした、邪竜を、討ち滅ぼした。
それで、良いんです」
サラサラと崩れ行くその身体を、どうする事も出来ずに。
ルキナはただ看取る事しか、出来ない。
「ナーガは、『ギムレー』を滅ぼす事は、出来ない、と……」
そう、呟くと。
『彼』は優しく微笑んだ。
「確かに、ナーガの力だけでは、『ギムレー』は、滅ぼせない。
ですが、『僕』自身が、それを望めば、そしてそこに、ナーガの力が、加われば。
『ギムレー』は、無に消える。
もう、二度と、甦りません」
そして、止まらぬ涙に頬を濡らすルキナを。
優しく抱き締め返した。
「『僕』は、『ギムレー』なんです。
紛れもなく、『僕』は、『ギムレー』以外には、なれない。
だから、貴女が、気に病む必要なんて、何処にも、無い。
貴女は、正しい事を、した。
世界を、絶望から、救ったんです、から」
でも、と『彼』はルキナだけに聞こえる様に、その耳元で囁いた。
「だけれども。ルキナさん、貴女を想うこの気持ちは、『僕』だけの、ものでした。
それだけは、『本当』なんです。
貴女が居てくれたから、『僕』は『僕』で、居られた……」
有難う、とそう微笑む彼の左手は。
もう解ける様にして消えてしまっていて。
何が起きたのか、どうしてこうなったのか。
ルキナは何一つとしてまだ理解出来ていないのに。
待って、と。逝かないで、と。
その手を掴む事も、もう出来ない……。
「もしも、『僕』が、『ギムレー』では無かったら。
貴女と共に、生きて行ける、存在だったのなら。
ずっと、その傍に、居られたのでしょうか……」
そうだったら良いのにな、と夢を見る様に呟いた彼は、瞬きの間にすらもう消えてしまいそうで。
そして、辛うじて残っていた右手で、ルキナの頭を優しく一度だけ撫でた。
「さようなら、ルキナさん。
どうか、貴女の、未来に。
幸多からん事を──」
その言葉だけを、その想いだけを。
優しくて残酷な【呪い】をルキナに遺して。
『彼』は。
この世界から、その欠片一つ残す事なく完全に消え去った。
後に残されたのは。
呆然と、彼が確かに居た場所を掻き抱きながら涙を溢すルキナと。
彼が確かに存在していた筈の場所に落ちた、曇りなき刀身を耀かせたファルシオン。
そして気を失っているが故に、二人のやり取りを何一つとして知らぬ仲間達だけであった。
こうして、世界は救われたのだ。
◇◇◇◇◇