第四話・B『貴女の想い、僕の望み』
◇◇◇◇◇
方々を探し回ったルキナは、もしかして、と。
ロビンが行く可能性がある場所として、最後に残ったその場所へと向かうと、探し人の姿は正しくその場所に在った。
埃まみれの部屋に独り佇むロビンの表情は、彼が部屋の扉の方向に背を向けている事もあって、何も分からない。
「あの、ロビンさん?
こんな所で、どうかしましたか?」
ルキナがそう声を掛けると、ロビンは弾かれた様な勢いでルキナに振り返る。
「…………ム?」
囁く様にロビンは何かを言うが、ルキナには彼が何を言ったのかは聞き取れなかった。
だが、ルキナを見たロビンは、一度驚いた様に目を見開き、そして悲しみと後悔をそこに映して、俯く。
だが、それもほんの僅かな間の事で。
直ぐ様ロビンはゆっくりと顔を上げて、ルキナも見慣れた穏やかな眼差しで、ルキナを見つめ返してくる。
「あっ……すみません。
何だか、お貸しして貰った部屋が僕には豪華過ぎて、ちょっと落ち着かなくて……。
本当は良くないと分かっていたのですが、ちょっとお城の中をウロウロとしていたんです。
それで、偶々この部屋の扉が少し開いていて……。
つい、入ってしまいました……。
ごめんなさい、ルキナさん」
そう言って頭を下げてくるロビンに、ルキナは慌てて「良いんです」と答える。
「この部屋は使われなくなって随分と経つ部屋ですから……。
機密とかそんなモノはもう、ここには残されていませんし、そんなに気にしないで下さい」
掃除もロクに行われず放置されたその部屋は至る所に埃を被っていて。
在りし日に部屋の主が二度と帰らぬ戦いに赴いた時のままの姿で遺されていた。
恐らくきっと、偶に掃除を行う女中が、扉を閉め忘れてしまっていたのだろう。
それを偶々、ロビンが見付けてしまっただけなのだ。
「この、部屋は……」
ポツリと、ロビンが呟いた。
そして部屋を見渡し、本棚どころか床にまで積み上げられている戦術書の数々に目を留める。
ルキナにはよく分らぬが、同じ軍師であるからなのか、何か感じるものがあるのかもしれない。
「父の軍師であった、ルフレさんの執務室でした……。
ですが、二人とも今は、もう……」
ふと、ルキナは床に些か乱雑に積み上げられた戦術書の中に、そこには不釣り合いな……子供に読み聞かせる為の様なお伽噺を集めた本を見付けて、胸を締め付けられる様な感覚を覚える。
『彼』の膝の上に乗せて貰いながら本の読み聞かせを強請った遠い幼い日々の想い出が、哀しい程に鮮やかに蘇る。
……もう、『彼』はこの世の何処にも居ない……。
あの日、父を喪ってから、ルキナがこの部屋にちゃんと入ったのは初めてであった。
……それは、『彼』を思い出してしまうのが、辛かったから。
『彼』を思い出させる縁となるモノを遠ざけていたのだ。
もう帰っては来ない人を、想うのが辛かった。
もしかしたら、大好きだった『彼』が、大好きな父の仇であるのかもしれないと言う可能性が、恐ろしかった。
だからもう、辛いのならばいっそ忘れてしまえば良いと、『彼』の事を、忘却の彼方に押しやってしまっていて……。
でも結局の所、『彼』の縁となるモノの何もかも全てを本当に忘れる事なんて、出来る筈が無いのだ。
何故なら、今のルキナを形作るモノの中には確かに、『彼』との思い出が、あんなにも『幸せ』だった時間が、沢山沢山消そうとしても消しきれない程に含まれているのだから。
声はもう思い出せない。
顔も、もう朧気で分からない。
ルキナの頭を撫でてくれたその手の温かさすら、もう覚えていない。
だけれども。
『彼』と過ごした時間は、『彼』がルキナに向けてくれた無償の愛は、そこに在った『幸せ』は。
どんなにそれを思い出すのが辛いのだとしても、決して忘れられる筈なんて無かった。
ルキナは、『彼』の事が好きだった。
本当に……大好きだったのだ。
執務室に遊びに行くと、何時も本を読み聞かせてくれたり、時には勉強を教えてくれたり、ルキナが知らない沢山の事を、『彼』は教えてくれた。
父と母が外交の為に城を離れていた時には、寝付けなくなったルキナの為に子守唄を歌ってくれたり、眠れるまでその手を繋いでいてくれたりもした。
ルキナを何時も優しく見守ってくれていた。
何時も優しい微笑みを向けてくれていた。
ルキナが仕掛けた悪戯に困った様に笑っていた。
ルキナを抱き締めてくれるその温かさが大好きだった。
ルキナを呼ぶその声やその優しい響きが、とても大好きだった……。
きっと、ルキナの初恋だったのだ。
……あんなにも、大好きだったのに。
あんなにも、大切にされていたのに。
ルキナは、もう『彼』の顔も声も思い出せず、そして。
『彼』の事をまるで最初から存在すらしていなかったかの様に、記憶から何もかもを消したままにしていた。
もう『彼』は、記憶の中にしか居られないのに……。
『彼』を直接知っている人は、もうルキナ位しか残っていないのに。
何て、酷い事をしてしまったのだろうか……。
ルキナは思わず自分を責めた。
そして、あんなにも大好きだった『ルフレおじさま』の事を忘れてしまっていた事が、哀しかった……。
「ルフレ……」
ロビンの口から溢れ落ちたその名前に、ルキナの意識は引き戻される。
ロビンは、まるで何かに引き込まれているかの様に部屋を見回していた。
ルフレの名前も、無意識の内に思わず零れたものなのかもしれない。
「ロビンさんも、知っていらっしゃいますか?」
ルフレは、稀代の名軍師として世界中にその名を轟かせていたのだ。
当時はまだ子供であったであろうロビンも、軍師を志す者として何処かでその名を聞いていたのかもしれない。
そう思えば、伝説の様に語られる軍師の部屋に居るのだ。
ロビンには、同じ軍師として思う所があるのかもしれない。
「知って、います……。
僕が軍師としてここに居るのも、『ルフレ』の存在があったから、ですから……」
そう答えたロビンは、何故か痛みを堪える様に瞼をギュッと瞑る。
そして、ロビンはポツリと、呟く様にしてルキナに訊ねた。
「ルキナさんは……『ルフレ』の事を、どう思っていますか?」
そう問われ、どう説明するべきなのか、ルキナは少し言葉に詰まった。
大切な人であった、大好きな人であった。
だけれども、それと同時に、もしかしたら父の仇であるのかもしれなくて。
今のルキナが『彼』に抱える想いは複雑であった。
でも、これだけは確かに言えるのだと、ルキナは心に決めた想いを正直に答える。
「ルフレさんは、……とても大切な人でした。
私に沢山素敵な『思い出』を、『幸せ』をくれた……、とても大切な……」
『彼』がもう居ない事が、とても哀しい。
やっと素直に、ルキナは今ならそう思えた。
幼かったあの日に流せなかった涙は、いつの間にか枯れてしまって、もう流れる事は無いけれど。
苦く切なくこの胸に静かに波紋の様に広がる哀しみを、やっと自分の感情だと認めてあげられる。
『彼』と過ごした時間が『幸せ』であったからこそ、そしてその『幸せ』な想い出が抱えきれない程に沢山あるからこそ。
数年の年月を掛けて追い付いたその哀しみは、深く深く響く様に心に満ちた。
それでも、どんなに哀しくても。
『ルフレおじさん』の事を思い出してあげられた事が、嬉しいのだ。
大好きだった人、大切だった人、……もうこの世の何処にも居なくても、思い出の中で見守ってくれている人。
……何時か。
この世界の絶望を討ち祓ったその時には。
彼の墓へと花を手向けに行こう。
そして、沢山伝えたいのだ。
忘れてしまってごめんなさい、と。
でも本当に大切な人だったのだ、と。
答えてくれる『彼』はそこに居ないのだとしても。
それでも、伝えなくてはならなかった。
ルキナの答えに、ロビンは一度目を僅かに見開き、そして。
悲しみと喜びが綯い交ぜになった様な、複雑な感情が表れた様な儚い微笑みを浮かべた。
「そう、ですか……。
ルキナさんにそう思って貰えて、きっと『ルフレ』も。
……幸せ、だったのでしょうね……」
そして、込み上げる想いを抑える様に胸の辺りをギュッと強く掴んで、ロビンは静かに目を閉じた。
「有難うございます、ルキナさん……」
何故か、ロビンは感謝を伝えてきて。
そして、緩やかに目を開けて再びルキナを見詰めるその眼差しには……。
優しさと同時に、何かの強い決意の輝きが抱かれていたのだった。
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方々を探し回ったルキナは、もしかして、と。
ロビンが行く可能性がある場所として、最後に残ったその場所へと向かうと、探し人の姿は正しくその場所に在った。
埃まみれの部屋に独り佇むロビンの表情は、彼が部屋の扉の方向に背を向けている事もあって、何も分からない。
「あの、ロビンさん?
こんな所で、どうかしましたか?」
ルキナがそう声を掛けると、ロビンは弾かれた様な勢いでルキナに振り返る。
「…………ム?」
囁く様にロビンは何かを言うが、ルキナには彼が何を言ったのかは聞き取れなかった。
だが、ルキナを見たロビンは、一度驚いた様に目を見開き、そして悲しみと後悔をそこに映して、俯く。
だが、それもほんの僅かな間の事で。
直ぐ様ロビンはゆっくりと顔を上げて、ルキナも見慣れた穏やかな眼差しで、ルキナを見つめ返してくる。
「あっ……すみません。
何だか、お貸しして貰った部屋が僕には豪華過ぎて、ちょっと落ち着かなくて……。
本当は良くないと分かっていたのですが、ちょっとお城の中をウロウロとしていたんです。
それで、偶々この部屋の扉が少し開いていて……。
つい、入ってしまいました……。
ごめんなさい、ルキナさん」
そう言って頭を下げてくるロビンに、ルキナは慌てて「良いんです」と答える。
「この部屋は使われなくなって随分と経つ部屋ですから……。
機密とかそんなモノはもう、ここには残されていませんし、そんなに気にしないで下さい」
掃除もロクに行われず放置されたその部屋は至る所に埃を被っていて。
在りし日に部屋の主が二度と帰らぬ戦いに赴いた時のままの姿で遺されていた。
恐らくきっと、偶に掃除を行う女中が、扉を閉め忘れてしまっていたのだろう。
それを偶々、ロビンが見付けてしまっただけなのだ。
「この、部屋は……」
ポツリと、ロビンが呟いた。
そして部屋を見渡し、本棚どころか床にまで積み上げられている戦術書の数々に目を留める。
ルキナにはよく分らぬが、同じ軍師であるからなのか、何か感じるものがあるのかもしれない。
「父の軍師であった、ルフレさんの執務室でした……。
ですが、二人とも今は、もう……」
ふと、ルキナは床に些か乱雑に積み上げられた戦術書の中に、そこには不釣り合いな……子供に読み聞かせる為の様なお伽噺を集めた本を見付けて、胸を締め付けられる様な感覚を覚える。
『彼』の膝の上に乗せて貰いながら本の読み聞かせを強請った遠い幼い日々の想い出が、哀しい程に鮮やかに蘇る。
……もう、『彼』はこの世の何処にも居ない……。
あの日、父を喪ってから、ルキナがこの部屋にちゃんと入ったのは初めてであった。
……それは、『彼』を思い出してしまうのが、辛かったから。
『彼』を思い出させる縁となるモノを遠ざけていたのだ。
もう帰っては来ない人を、想うのが辛かった。
もしかしたら、大好きだった『彼』が、大好きな父の仇であるのかもしれないと言う可能性が、恐ろしかった。
だからもう、辛いのならばいっそ忘れてしまえば良いと、『彼』の事を、忘却の彼方に押しやってしまっていて……。
でも結局の所、『彼』の縁となるモノの何もかも全てを本当に忘れる事なんて、出来る筈が無いのだ。
何故なら、今のルキナを形作るモノの中には確かに、『彼』との思い出が、あんなにも『幸せ』だった時間が、沢山沢山消そうとしても消しきれない程に含まれているのだから。
声はもう思い出せない。
顔も、もう朧気で分からない。
ルキナの頭を撫でてくれたその手の温かさすら、もう覚えていない。
だけれども。
『彼』と過ごした時間は、『彼』がルキナに向けてくれた無償の愛は、そこに在った『幸せ』は。
どんなにそれを思い出すのが辛いのだとしても、決して忘れられる筈なんて無かった。
ルキナは、『彼』の事が好きだった。
本当に……大好きだったのだ。
執務室に遊びに行くと、何時も本を読み聞かせてくれたり、時には勉強を教えてくれたり、ルキナが知らない沢山の事を、『彼』は教えてくれた。
父と母が外交の為に城を離れていた時には、寝付けなくなったルキナの為に子守唄を歌ってくれたり、眠れるまでその手を繋いでいてくれたりもした。
ルキナを何時も優しく見守ってくれていた。
何時も優しい微笑みを向けてくれていた。
ルキナが仕掛けた悪戯に困った様に笑っていた。
ルキナを抱き締めてくれるその温かさが大好きだった。
ルキナを呼ぶその声やその優しい響きが、とても大好きだった……。
きっと、ルキナの初恋だったのだ。
……あんなにも、大好きだったのに。
あんなにも、大切にされていたのに。
ルキナは、もう『彼』の顔も声も思い出せず、そして。
『彼』の事をまるで最初から存在すらしていなかったかの様に、記憶から何もかもを消したままにしていた。
もう『彼』は、記憶の中にしか居られないのに……。
『彼』を直接知っている人は、もうルキナ位しか残っていないのに。
何て、酷い事をしてしまったのだろうか……。
ルキナは思わず自分を責めた。
そして、あんなにも大好きだった『ルフレおじさま』の事を忘れてしまっていた事が、哀しかった……。
「ルフレ……」
ロビンの口から溢れ落ちたその名前に、ルキナの意識は引き戻される。
ロビンは、まるで何かに引き込まれているかの様に部屋を見回していた。
ルフレの名前も、無意識の内に思わず零れたものなのかもしれない。
「ロビンさんも、知っていらっしゃいますか?」
ルフレは、稀代の名軍師として世界中にその名を轟かせていたのだ。
当時はまだ子供であったであろうロビンも、軍師を志す者として何処かでその名を聞いていたのかもしれない。
そう思えば、伝説の様に語られる軍師の部屋に居るのだ。
ロビンには、同じ軍師として思う所があるのかもしれない。
「知って、います……。
僕が軍師としてここに居るのも、『ルフレ』の存在があったから、ですから……」
そう答えたロビンは、何故か痛みを堪える様に瞼をギュッと瞑る。
そして、ロビンはポツリと、呟く様にしてルキナに訊ねた。
「ルキナさんは……『ルフレ』の事を、どう思っていますか?」
そう問われ、どう説明するべきなのか、ルキナは少し言葉に詰まった。
大切な人であった、大好きな人であった。
だけれども、それと同時に、もしかしたら父の仇であるのかもしれなくて。
今のルキナが『彼』に抱える想いは複雑であった。
でも、これだけは確かに言えるのだと、ルキナは心に決めた想いを正直に答える。
「ルフレさんは、……とても大切な人でした。
私に沢山素敵な『思い出』を、『幸せ』をくれた……、とても大切な……」
『彼』がもう居ない事が、とても哀しい。
やっと素直に、ルキナは今ならそう思えた。
幼かったあの日に流せなかった涙は、いつの間にか枯れてしまって、もう流れる事は無いけれど。
苦く切なくこの胸に静かに波紋の様に広がる哀しみを、やっと自分の感情だと認めてあげられる。
『彼』と過ごした時間が『幸せ』であったからこそ、そしてその『幸せ』な想い出が抱えきれない程に沢山あるからこそ。
数年の年月を掛けて追い付いたその哀しみは、深く深く響く様に心に満ちた。
それでも、どんなに哀しくても。
『ルフレおじさん』の事を思い出してあげられた事が、嬉しいのだ。
大好きだった人、大切だった人、……もうこの世の何処にも居なくても、思い出の中で見守ってくれている人。
……何時か。
この世界の絶望を討ち祓ったその時には。
彼の墓へと花を手向けに行こう。
そして、沢山伝えたいのだ。
忘れてしまってごめんなさい、と。
でも本当に大切な人だったのだ、と。
答えてくれる『彼』はそこに居ないのだとしても。
それでも、伝えなくてはならなかった。
ルキナの答えに、ロビンは一度目を僅かに見開き、そして。
悲しみと喜びが綯い交ぜになった様な、複雑な感情が表れた様な儚い微笑みを浮かべた。
「そう、ですか……。
ルキナさんにそう思って貰えて、きっと『ルフレ』も。
……幸せ、だったのでしょうね……」
そして、込み上げる想いを抑える様に胸の辺りをギュッと強く掴んで、ロビンは静かに目を閉じた。
「有難うございます、ルキナさん……」
何故か、ロビンは感謝を伝えてきて。
そして、緩やかに目を開けて再びルキナを見詰めるその眼差しには……。
優しさと同時に、何かの強い決意の輝きが抱かれていたのだった。
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