第五話・A『永久に叶わぬ恋夢』
◇◇◇◇◇
久方振りに王城に帰還する彼女と共に、『僕』もイーリス王城に足を踏み入れる。
ナーガのお膝元の一つとも言えるここに、『僕』が直接立ち入ったのはこれが初めてだ。
だけど、『僕』の内にある『ルフレ』の欠片にとっては、慣れ親しんだ懐かしい我が家の様な場所である。
その部屋を『僕』が訪れたのは、『ルフレ』の記憶に導かれての事だった。
かつて、『ルフレ』がクロム達と過ごしていた日々を思い返す様に、『僕』の足は自然とそこに向かっていて。
『ルフレ』の記憶の欠片の中の部屋と、積もった埃以外は全く同じである部屋の様子に、『ルフレ』の記憶が溢れ出す。
かつての『ルフレ』の部屋に立ち、『僕』は酷く『懐かしくて』胸が締め付けられる様な想いを覚えたのだ。
『ルフレ』の記憶の欠片が呼び起こされて、『僕』の記憶との境目が曖昧になって。
『僕』であるのか、『ルフレ』であるのか。
その認識すらも曖昧になりかけていた。
だから、背後から声を掛けられた時に。
視界に映った蒼が、『ルフレ』の記憶の中の彼に重なって。
彼女の姿に重なる様に、彼が其処に居る様にすら……。
「クロム……?」
そう囁く様に呟いたのは、『僕』ではなくて『ルフレ』の欠片であった。
『ルフレ』の記憶の欠片は、『ルフレ』が『ルフレ』として居られた最後の瞬間。
その人格と記憶が砕かれる寸前の、自らがクロムを殺してしまった瞬間で止まっている。
……クロムがここに居る筈が無い事は、『ルフレ』にもよく分かっていたのだろうけれども。
そこに刻まれた深い深い後悔故にか、『ルフレ』はクロムを幻視していた。
だが直ぐ様、『ルフレ』も其処に居るのは違う存在だと気が付いたのだろう。
深い深い後悔と哀しみを『僕』の胸に残して、『ルフレ』の欠片は再び『僕』の中に溶けていった。
『ルフレ』の哀しみに少し引き摺られながらも、『僕』は『ルフレ』の部屋に立ち入った言い訳を彼女にする。
彼女にとっても『ルフレ』は大切な人であったので、無断で立ち入ったともなれば、意図していなかったとは言え気分を害してしまったかもしれない。
だが、彼女は気にしていないと首を横に振る。
そして、『ルフレ』の事を、彼女は話してくれた。
とても大切な人だったのだと、沢山の幸せをくれた人だったのだと。
そう語る彼女は、懐かしそうな顔をしながらも、切なく悲し気な微笑みを浮かべていた。
その言葉に、その想いに、酷くこの『心』が痛む。
彼女から沢山の幸せな時間を、大切な『ルフレ』を奪ってしまったのは、『ギムレー』……いや、『僕』だ。
その事を、これ以上に無い程に痛感してしまった。
「そう、ですか……。
ルキナさんにそう思って貰えて、きっと『ルフレ』も。
……幸せ、だったのでしょうね……」
絞り出す様にそう言うのが、精一杯になる程に。
胸が、苦しい。
そして、それと同時に。
もうこれ以上、『僕』が彼女を傷付けるのは赦されない、赦したくないと。
そう、心に決意を懐いた。
「有難うございます、ルキナさん……」
だから、『僕』は何よりも先に感謝の言葉を伝える。
そして、その先を。
「貴女に出逢えたから、貴女が居てくれたから。
『僕』は『僕』として存在する事が出来ました……。
本当に、有難うございます」
一度、言葉を区切る。
言うべきか否か、僅かに迷って。
伝えるべきでは無いのかもしれない。
『愛』とは、【呪い】だ。
それを望んでなくとも、彼女の心を縛ってしまう。
だけど、この『想い』は。
『僕』が『僕』である為の証だったのだから。
せめて、伝えておきたかった。
彼女の記憶には、残らないのだとしても。
確かに『僕』は、貴女を、『愛していた』のだ、と。
「ルキナさん。
『僕』は、貴女の事を愛しています。
この世の何よりも。この世の誰よりも。
『僕』が『僕』である限り、絶対にこの想いは変わらない。
……だからこそ、『僕』は。
『僕』の全てを賭けて、貴女を守ります。
だから……、さようなら、『僕』の最愛の人よ」
彼女が何かを言おうとする前に。
その目を『僕』が手で覆う様にして塞ぐと、彼女の身体はグラリと崩れ落ちる。
それを優しく抱き留めて、…………そのまま彼女を自分の想うがままにしたいと言う己の本性が吼え叫ぶ欲求を、なけなしの理性と彼女への想いで何とか押さえ付けて。
彼女の部屋のベッドまで抱き抱えて、そして優しくそこに横たえさせる。
安らかに眠るその横顔が愛しくて、彼女の意志なんて無視してでも自分のモノにしてしまいたくなる破壊衝動に似た凶暴な衝動が、『僕』の心に忍び寄る。
でも、『僕』は……。
彼女には彼女のままで、彼女が望むまま思うままの、在りのままで居て欲しいから。
だから『僕』は優しく、眠る彼女の瞼に口付けを残しただけで、直ぐ様その傍から離れる。
ほんの少しの触れ合いですら、本性が持つ凶悪な欲望に負けてしまいそうになる。
『僕』が『僕』で居られる限界が近付いているのを、心で感じてしまう。
…………そもそも、『僕』の存在自体が、『ギムレー』が持つ人格の仮面の一つでしかなく、それが偶々個我を得ている様に振る舞えているだけなのだから、仕方がない事であるのかもしれないが。
それでも。
『ギムレー』の本性が、ルキナを傷付ける事しか出来ないと言うのなら。
『ギムレー』の存在が、彼女の『幸せ』の何もかもを奪う事しか出来ないのならば。
そして、『僕』が『ギムレー』の本性に抗い切れなくなる時が一刻一刻と近付いてきているのなら。
『僕』が消えるのだとしても。
『僕』でなくなるのだとしても。
『僕』にその決断を躊躇わせる理由は、最早何も無かった。
……だけれども、この優しく愛しい人は、傷付いてしまうのだろう。
『半身』だと誓った『僕』を、守れない事に。
…………もしかしたら、『僕』が『ギムレー』である事を知っても、尚。
彼女が一度懐に入れてしまった存在を、切り捨てられない人である事は、『僕』はよく分かっている。
だからきっと『僕』のこの選択は、彼女を傷付けてしまう。
それが分かっているから。
それが『僕』のエゴなのは十分に分かっているけれども。
『僕』は。
『僕』との時間を、彼女から奪ってここを去るのだ。
目覚めた時には、彼女は『ロビン』と言う名の軍師の事を、共に過ごした時間の事も、何も覚えてはいない。
『僕』が居た場所は他の何かに置換され、『僕』の存在は彼女の中から完全に消え去る。
それならば、『僕』が居なくなる事で彼女が傷付く事は、無い筈だから。
………………。
その事に未練が無いと言えば、流石に嘘になるだろう。
幾ら『僕』でも、そこまで無欲ではない。
せめて彼女の記憶の中には居たいと言う欲は確かにある。
忘れないで欲しいとも思う。
だけれども、そんな『僕』の細やかで我が儘な願いは。
彼女に『幸せ』になって欲しいと思う『願い』には、彼女を守りたいと願う『心』には、何一つとして勝てないのだ。
その笑顔を曇らせない為ならば。
『僕』との思い出が、全て彼女の中から消えても良い。
ただただ、彼女には幸せで在って欲しいのだ。
何時か、彼女と『ギムレー』は対峙する日が来るのだろう。
その時にはもう『ギムレー』の中に『僕』は居ないだろうけれど。
もし、この『祈り』が叶うならば。
この愚かな邪竜の願いが僅かにでも叶うのならば。
どうか……。
『ギムレー』が彼女を殺す事が無い様に。
そして……『ギムレー』に止めを刺すのが彼女であって欲しいのだ。
そこに『僕』がもう居ないのだとしても、最期にこの目に映るのは、誰よりも愛しい彼女の姿であって欲しいから。
「さようなら、ルキナさん……。
せめてどうか、良い夢を……」
眠る彼女の髪を、一度撫でる。
そして、名残惜しさを振り切って。
『僕』は彼女が眠る部屋を立ち去った。
願わくば、どうか幸せに。
どうか、貴女は貴女のままで、自らが望むがままに自分の命を生きて下さい。
永久に叶えてはならぬこの『想い』と共に、『僕』は消え行きましょう。
さようなら、世界で一番愛しき人よ──
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久方振りに王城に帰還する彼女と共に、『僕』もイーリス王城に足を踏み入れる。
ナーガのお膝元の一つとも言えるここに、『僕』が直接立ち入ったのはこれが初めてだ。
だけど、『僕』の内にある『ルフレ』の欠片にとっては、慣れ親しんだ懐かしい我が家の様な場所である。
その部屋を『僕』が訪れたのは、『ルフレ』の記憶に導かれての事だった。
かつて、『ルフレ』がクロム達と過ごしていた日々を思い返す様に、『僕』の足は自然とそこに向かっていて。
『ルフレ』の記憶の欠片の中の部屋と、積もった埃以外は全く同じである部屋の様子に、『ルフレ』の記憶が溢れ出す。
かつての『ルフレ』の部屋に立ち、『僕』は酷く『懐かしくて』胸が締め付けられる様な想いを覚えたのだ。
『ルフレ』の記憶の欠片が呼び起こされて、『僕』の記憶との境目が曖昧になって。
『僕』であるのか、『ルフレ』であるのか。
その認識すらも曖昧になりかけていた。
だから、背後から声を掛けられた時に。
視界に映った蒼が、『ルフレ』の記憶の中の彼に重なって。
彼女の姿に重なる様に、彼が其処に居る様にすら……。
「クロム……?」
そう囁く様に呟いたのは、『僕』ではなくて『ルフレ』の欠片であった。
『ルフレ』の記憶の欠片は、『ルフレ』が『ルフレ』として居られた最後の瞬間。
その人格と記憶が砕かれる寸前の、自らがクロムを殺してしまった瞬間で止まっている。
……クロムがここに居る筈が無い事は、『ルフレ』にもよく分かっていたのだろうけれども。
そこに刻まれた深い深い後悔故にか、『ルフレ』はクロムを幻視していた。
だが直ぐ様、『ルフレ』も其処に居るのは違う存在だと気が付いたのだろう。
深い深い後悔と哀しみを『僕』の胸に残して、『ルフレ』の欠片は再び『僕』の中に溶けていった。
『ルフレ』の哀しみに少し引き摺られながらも、『僕』は『ルフレ』の部屋に立ち入った言い訳を彼女にする。
彼女にとっても『ルフレ』は大切な人であったので、無断で立ち入ったともなれば、意図していなかったとは言え気分を害してしまったかもしれない。
だが、彼女は気にしていないと首を横に振る。
そして、『ルフレ』の事を、彼女は話してくれた。
とても大切な人だったのだと、沢山の幸せをくれた人だったのだと。
そう語る彼女は、懐かしそうな顔をしながらも、切なく悲し気な微笑みを浮かべていた。
その言葉に、その想いに、酷くこの『心』が痛む。
彼女から沢山の幸せな時間を、大切な『ルフレ』を奪ってしまったのは、『ギムレー』……いや、『僕』だ。
その事を、これ以上に無い程に痛感してしまった。
「そう、ですか……。
ルキナさんにそう思って貰えて、きっと『ルフレ』も。
……幸せ、だったのでしょうね……」
絞り出す様にそう言うのが、精一杯になる程に。
胸が、苦しい。
そして、それと同時に。
もうこれ以上、『僕』が彼女を傷付けるのは赦されない、赦したくないと。
そう、心に決意を懐いた。
「有難うございます、ルキナさん……」
だから、『僕』は何よりも先に感謝の言葉を伝える。
そして、その先を。
「貴女に出逢えたから、貴女が居てくれたから。
『僕』は『僕』として存在する事が出来ました……。
本当に、有難うございます」
一度、言葉を区切る。
言うべきか否か、僅かに迷って。
伝えるべきでは無いのかもしれない。
『愛』とは、【呪い】だ。
それを望んでなくとも、彼女の心を縛ってしまう。
だけど、この『想い』は。
『僕』が『僕』である為の証だったのだから。
せめて、伝えておきたかった。
彼女の記憶には、残らないのだとしても。
確かに『僕』は、貴女を、『愛していた』のだ、と。
「ルキナさん。
『僕』は、貴女の事を愛しています。
この世の何よりも。この世の誰よりも。
『僕』が『僕』である限り、絶対にこの想いは変わらない。
……だからこそ、『僕』は。
『僕』の全てを賭けて、貴女を守ります。
だから……、さようなら、『僕』の最愛の人よ」
彼女が何かを言おうとする前に。
その目を『僕』が手で覆う様にして塞ぐと、彼女の身体はグラリと崩れ落ちる。
それを優しく抱き留めて、…………そのまま彼女を自分の想うがままにしたいと言う己の本性が吼え叫ぶ欲求を、なけなしの理性と彼女への想いで何とか押さえ付けて。
彼女の部屋のベッドまで抱き抱えて、そして優しくそこに横たえさせる。
安らかに眠るその横顔が愛しくて、彼女の意志なんて無視してでも自分のモノにしてしまいたくなる破壊衝動に似た凶暴な衝動が、『僕』の心に忍び寄る。
でも、『僕』は……。
彼女には彼女のままで、彼女が望むまま思うままの、在りのままで居て欲しいから。
だから『僕』は優しく、眠る彼女の瞼に口付けを残しただけで、直ぐ様その傍から離れる。
ほんの少しの触れ合いですら、本性が持つ凶悪な欲望に負けてしまいそうになる。
『僕』が『僕』で居られる限界が近付いているのを、心で感じてしまう。
…………そもそも、『僕』の存在自体が、『ギムレー』が持つ人格の仮面の一つでしかなく、それが偶々個我を得ている様に振る舞えているだけなのだから、仕方がない事であるのかもしれないが。
それでも。
『ギムレー』の本性が、ルキナを傷付ける事しか出来ないと言うのなら。
『ギムレー』の存在が、彼女の『幸せ』の何もかもを奪う事しか出来ないのならば。
そして、『僕』が『ギムレー』の本性に抗い切れなくなる時が一刻一刻と近付いてきているのなら。
『僕』が消えるのだとしても。
『僕』でなくなるのだとしても。
『僕』にその決断を躊躇わせる理由は、最早何も無かった。
……だけれども、この優しく愛しい人は、傷付いてしまうのだろう。
『半身』だと誓った『僕』を、守れない事に。
…………もしかしたら、『僕』が『ギムレー』である事を知っても、尚。
彼女が一度懐に入れてしまった存在を、切り捨てられない人である事は、『僕』はよく分かっている。
だからきっと『僕』のこの選択は、彼女を傷付けてしまう。
それが分かっているから。
それが『僕』のエゴなのは十分に分かっているけれども。
『僕』は。
『僕』との時間を、彼女から奪ってここを去るのだ。
目覚めた時には、彼女は『ロビン』と言う名の軍師の事を、共に過ごした時間の事も、何も覚えてはいない。
『僕』が居た場所は他の何かに置換され、『僕』の存在は彼女の中から完全に消え去る。
それならば、『僕』が居なくなる事で彼女が傷付く事は、無い筈だから。
………………。
その事に未練が無いと言えば、流石に嘘になるだろう。
幾ら『僕』でも、そこまで無欲ではない。
せめて彼女の記憶の中には居たいと言う欲は確かにある。
忘れないで欲しいとも思う。
だけれども、そんな『僕』の細やかで我が儘な願いは。
彼女に『幸せ』になって欲しいと思う『願い』には、彼女を守りたいと願う『心』には、何一つとして勝てないのだ。
その笑顔を曇らせない為ならば。
『僕』との思い出が、全て彼女の中から消えても良い。
ただただ、彼女には幸せで在って欲しいのだ。
何時か、彼女と『ギムレー』は対峙する日が来るのだろう。
その時にはもう『ギムレー』の中に『僕』は居ないだろうけれど。
もし、この『祈り』が叶うならば。
この愚かな邪竜の願いが僅かにでも叶うのならば。
どうか……。
『ギムレー』が彼女を殺す事が無い様に。
そして……『ギムレー』に止めを刺すのが彼女であって欲しいのだ。
そこに『僕』がもう居ないのだとしても、最期にこの目に映るのは、誰よりも愛しい彼女の姿であって欲しいから。
「さようなら、ルキナさん……。
せめてどうか、良い夢を……」
眠る彼女の髪を、一度撫でる。
そして、名残惜しさを振り切って。
『僕』は彼女が眠る部屋を立ち去った。
願わくば、どうか幸せに。
どうか、貴女は貴女のままで、自らが望むがままに自分の命を生きて下さい。
永久に叶えてはならぬこの『想い』と共に、『僕』は消え行きましょう。
さようなら、世界で一番愛しき人よ──
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