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その他の短編

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 ギムレーに命じられた任務を果たす為、マークは与えられた屍兵の群れを率いて森へ潜伏した。
 付近にある村を襲って、村人達が森へと逃げ込んだ所を森ごと焼き払う作戦だ。
 ギムレーに与えられた命は、『皆殺し』。
 先の短い無力な老人達から抗う術を何一つとして持たぬ赤子に至るまで、全てを平等に鏖殺せよとの事である。
 命乞いをする人々の悲鳴も、自身に向けられる怨嗟の眼差しも、もうマークの心を揺らす事は出来ない。

 マークは、ギムレーの『駒』だ。
 屍兵に作り替えられる事を免れているのはマークの頭脳にギムレーが価値を見出だしているからであり、不要と判断されればギムレーは何の感慨も無くマークを殺して屍兵にするだろう。
 思考力に乏しい屍兵なら、万が一にもギムレーに逆らう事はない。
 例え何れ程マークがギムレーへ貢献していたのだとしても、そちらの方が合理的と判断されればマークの命はないのだ。
 ギムレーに“情”などは存在しない。
 それを誰よりも理解しているけれども、それでもマークはギムレーの傍を離れなかった。……離れられなかった。

 “あの人”をギムレーの手から助け出せる可能性など、万に一つも無い事位は承知の上だ。
 もしかしたら、なんて幻想はとうの昔に打ち砕かれている。
 それでも離れられないのは、切り捨てる事など出来ない未練からなのか、或いは今更後戻りなど出来ないと言う事実からなのか。

 こんな事、“あの人”は絶対に望んでなどいやしない事位は分かっている。
 その望みを真に叶えるのなら、聖王の末裔に力を貸してその絶望を終わらせてやるべきだとも。
 分かっていても、マークには出来なかった。
 “あの人”には最早マークしか居ないのだ。
 それでどうしてマークまでもが“あの人”を見棄てる事が出来ようか。

 ローブのフードを目深に被り、マークは配下の屍兵達に村を襲撃する様に命じる。
 マークの命じるままに動き出した屍兵達の集団は、瞬く間に村を包囲し人々を追い立てた。
 愚かにも粗末な武器を手に立ち向かった者達は、屍兵に一太刀すら浴びせる事も叶わず物言わぬ骸へと変わり果て、そして新たな屍兵として動き出す。
 愛する者の変わり果てた姿に彼方此方から悲鳴が上がるが、彼等が懇願する声など屍兵には届かない。
 阿鼻叫喚の地獄と化した村の中で村人達は活路を求めて必死に逃げ惑うが、成す術もなく切り刻まれていく。
 そんな中、包囲網にわざと作られた僅かな穴から村人達は森へと逃げ出した。
 生き残っている全員が森へ逃げ込んだ事を確認したマークは、予め用意していた油壺へと火を付けて屍兵達に森へとばら撒かせる。
 火への恐怖など存在しない屍兵は、その身が燃えようがお構いなしに命令に従う。
 火に巻かれながら迫るその姿は、まるで地獄の釜の奥底で永劫の責め苦に遭う幽鬼が地に這い出てきているかの様であった。

 周囲を火と屍兵に囲まれた村人達は、そこに来て漸く自分達が罠に掛かった事と逃れ得ぬ運命を悟る。
 ある者は気が狂ったかの様に燃え盛る屍兵へと突撃してそのまま炎に呑み込まれて死に、ある者は神竜への慈悲を乞いながら屍兵にその命を刈り取られ、ある者は……焼死よりはマシだとでも思ったのか自らその首を錆びた鎌で切り裂いて死ぬ。
 乳飲み子を抱えていた母親が我が子を縊り殺してその後を追うその横で、何も出来ず逃げ場を求めて彷徨う者や狂乱のままに怨嗟の言葉を喚き散らす者が炎の中へと消えていく。

 そこにあるのはまさにこの世に現れた地獄とでも言えよう。
 逃れ得ぬ死を前にした人々が狂気の坩堝の中で死に絶えるまでを眺めるこの悪趣味極まりない見世物は、一体誰の望みであると言うのか。
 それを命じたギムレーはそもそもこんな局地的な殲滅戦に大した興味も無いであろうし、どうかしたらどの村を消す様に命じたかすら覚えてはいない。
 ギムレーはこうして時々、マークの心を試すかの様な命を与えるのだ。
 あの邪竜は、本質的にはこの世の何も信じてなどは居ない。
 命ある者は、全てその尽きぬ憎悪の対象なのだから。
 それは例え、あの邪竜に絶対の忠誠を誓いその復活に文字通り全てを賭けていたギムレー教団に対してもだ。
 事実、甦って直ぐにあの邪竜はあまりにもあっさりとギムレー教団の信徒達を皆殺しにし、役立つと判断した者は屍兵にしてしまった。
 意志持たぬ傀儡しか手元に置かぬ邪竜の唯一の例外がマークであり、それ故にギムレーはマークを試し続ける。
 マークが少しでもギムレーの命に対して抗する意志を見せた瞬間に、惨殺してその死後の尊厳すら陵辱する為に。
 ……そしてそれを、自らの内に捕らえている“あの人”に見せ付ける為に。
 “あの人”の絶望をより貪る為だけに、マークはギムレーに飼われているのだ。

 ……何時か“あの人”の絶望の糧になるだけの命なのだとしても。
 それでも、せめてその日が訪れるまでは少しでも“あの人”に寄り添いたくて、その為に人々の敵になる事を選んできた。
 きっとそれは愚かしくて間違いだらけで、神軍師の娘としては失格なのだろうけれど。
 この世の誰もが“あの人”を赦さず、この世の誰もが“あの人”の苦しみを知らないのなら。
 せめて、と。


 辺り一体が焼き払われ、念の為にマークは生存者が居ないかどうかを確認する。
 万が一にも見逃しが居よう者なら、それを口実にギムレーはマークを殺すだろう。
 焼き焦げて男か女かも判別し辛い死体を一つ一つ引っくり返してゆく。
 一々墓穴を掘ってやる余裕はないので、この死体達はこのままここに野晒しになる。
 その事に心を痛める様な、無駄な感傷はとっくの昔に削ぎ落とされてしまっている。
 黙々と作業をこなしていると、死体が妙に折り重なって倒れている所がある事に気が付いた。
 もしやと思い、それを丁寧に退けていくと。
 その一番下には、まだ随分と幼さを残した子供が恐怖と痛みに震えながら押し潰される様に倒れていた。
 周りの大人達が身を呈して庇ったのか、或いは親か何かが周りの屍を子供の上に載せてやったのかは分からないが。
 何にせよ、哀れな事に生き残ってしまった様であった。
 一応息はしているし意識はまだある様だが、酷い火傷を負っている為にそう長くは持つまい。
 尤も、この子供が勝手に死ぬまでを悠長に待つつもりも無いが。


「……生存者、ですか……。
 困りましたね、これではギムレー様に何と言われるか……。
 まあ、ここで始末してしまえば問題は無いでしょうけれど」


 精々、役立たずなどと罵倒される程度だろう。
 ギムレーにとって“あの人”の絶望は何よりも甘美な、とっておきのデザートの様なものなのだ。
 こんな下らない事で一々その楽しみを潰す筈はない。


「お、お前!
 人間のくせに、ギムレーなんかの言いなりなのか!?」


 恐怖で歯の根もろくに噛み合ってないと言うのに、火傷の痛みを押して子供は気丈に叫んだ。


「何とでもご自由に。
 あまり抵抗しない方が楽に死ねますよ。
 どうせ死ぬなら、ちょっとでも痛くない方が良いでしょう」

「うるさい、このっ! 悪魔め!
 知ってるぞ! お前みたいな奴等がギムレーを甦らせたんだって!
 世界をこんな風に滅茶苦茶にしたんだって!
 でも、ギムレーはギムレー教の人間も皆殺しにしたんだろ?
 はっ! 残念だったな!
 お前の親も、ギムレーを信じて甦らせたばっかりに殺されたんだからな!
 ギムレーなんかを信じた罰だ、良い気味だ!」


 痛みと死への恐怖で脳の箍でも外れたのか、子供は壊れた様に嘲笑を上げる。

 マークは一つ溜め息を吐き、そして手にしてきた剣で子供の喉元を一気に掻き切った。
 子供は、息が出来ない苦しみにうち回る。
 溢れ出た血が肺の方へと流れてさぞ苦しいのだろう。
 ゴボっと時折泡を含んだ血が気管から溢れ出た。
 即座には死ねないが故に、死ぬまでの僅かな間陸の上で溺れ死ぬ様な苦しみを味わう事になるだろう。


「“あの人”の事を分かった様に言うの、止めて下さい」


 それは酷い八つ当たりの様なものなのかもしれない。
 事実マークとて、ギムレーなぞを信じて甦らせようとした狂信者どもなど皆死んで正解だと思っているのだから。
 あんな奴等が居なければ、きっと今も“あの人”もマークも、幸せに生きられた。
 少なくとも、こんな絶望の中でより深い地獄へ堕ちる為の所業を積み重ねる事など無かっただろう。

 ……だけれども、どうしても。
 “あの人”を罵られる事だけは、マークにとって耐えられる事では無かった。

 “あの人”の苦しみを知りもしない人間が、“あの人”の絶望を知りもしない人間が、“あの人”が生まれながらに囚われてしまった悍ましい運命を知りもしない人間が……そして“あの人”がどんなに素敵な人であったのか知りもしない人間が。
 “あの人”を語るなど。



「……父さん……」



 この絶望に、出口などは無い。
 それでも抗う事を諦められない愚かな娘の、血と怨嗟に塗れた祈りが何処に届くのかは……きっと神ですらも預かり知らぬ事であろう。





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