その他の短編
◇◇◇◇
それは、とても静かな夜であった。
自らに与えられた天幕をひっそりと抜け出して。
『虹の降る山の麓』にある宿営地の中でも特に人気の無い所へと移動したルフレは、手近な所に転がっていた資材の丸太に腰掛けて独り夜空を見上げる。
何時もならば眠っているか、夜を徹して策を練るなり軍師としての仕事を片付けるなり……或いは恋人と共に時を過ごしている様な時間ではあるのだが。
今夜ばかりは、ルフレは独りになりたかったのだ。
横になっても眠れず、何かをしようにも手には何もつかず、誰かと顔を合わせるのも辛かった。
見上げた夜空は何処までも澄みきっていて、満天に拡がる星々は遥かなる高みから人の営みを見守っている。
幾千年も前から其処に在ったのであろう星は変わらず人々を照らしてはいるのだけれども。
もし、このまま。
このままギムレーが野放しになっていれば、奴が完全に力を取り戻し世界を蹂躙し始めれば、或いは今ここに居るルフレ自身がギムレーへと成り果ててしまえば……。
遠く……それでいて今のルフレ達の世界も辿り着き得る“未来”よりやって来た《子供達》が、ルフレの半身であり何よりも大切な友であるクロムの娘のルキナが、何時か語っていた様に。
空は日の光すら閉ざす厚い雲に覆われ、星々は人々が見上げる夜空から喪われてしまうのであろう。
それを思い、そしてその“未来”よりやって来た愛しい人を想い。
ルフレは胸を押し潰される様な思いで息を吐いた。
“未来”よりルキナや《子供達》を追って来たギムレー……否、未来のルフレ自身は、“過去”にやって来た当初は竜の力を喪ってはいたものの、この時間軸で竜の力を取り込み再びギムレーとして甦った。
それに対抗する為に、クロムは“覚醒の儀”を果たしてファルシオンに神竜ナーガの力を宿らせたのではあるが。
……ナーガの力では、ギムレーを滅する事は出来ないのだ。
勿論何も出来ないと言う訳ではなく、かつての聖王がそうした様にギムレーを封じて奴から千年の時を奪う事は可能だ。
が、それは同時に、千年後にギムレーは再び甦る事を示している。
……千年経とうとも、ギムレーの器が“ギムレーの覚醒の儀”を受ける事がなければギムレーは復活しないのではあるが。
それは幾ら何でも楽観的な観測に過ぎるであろう。
人の妄執と言うモノは恐ろしい。
特に、宗教……所謂“信仰”に関わるモノだとそれは尚更に顕著だ。
その信仰の内実の善悪に関わらず、狂信の行き着く先などロクでも無いのは確かであろう。
記憶を喪っていても、いや喪ったからこそ特定の“信仰”を持たずに忌憚の無い目で世界を見ているからか、ルフレはその事をよく理解していた。
妄執は千年の後に必ずギムレーの器を産み出すであろう。
その為ならば、恐らくどんな手を使ってでも。
ギムレーの器であるルフレが子を成さないのだとしても、ギムレーの血を継ぐ者はルフレだけでは無い。
薄く血を継ぐ者も勘定に入れるなら、相当数居るであろう。
例え濃い血筋の者を全員始末したとしても、狂信者達が生き残ったギムレーの血族を《交配》させて千年掛けて血を濃くしていくであろう事は想像に難くない。
……千年後の禍を防ぐ為にギムレーの血を継ぐ者を一人残らず殺す事は、対応策としては現実的では無いのだ。
それと同時に、ギムレー教と言う信仰をこの世から消し去る事も、恐らくは不可能であろう。
信仰対象であるギムレーが虚像であるのならまだしも、ギムレーは現実に存在し強大な力を持っている。
例えギムレー教を根絶させた所で、ギムレーの力に目を付ける輩はほぼ確実に生まれるであろう。
ギムレーに関する有りとあらゆる文献を抹消し、過去を捏造したとしても。
その者がギムレーの力で何をしようとするのかはさておき、強大な力と言うのは其処にあるだけで確実に人を狂わせてしまうのだ。
ギムレーの存在を知る者がギムレーを復活させようとする可能性は、ギムレーが存在する以上は絶対に0には出来ない。
ギムレー復活を完全に防げないのなら、復活しても再び封じられる様に対抗策を練るしかない。
千年前の聖王達も、それを願って今のクロムの代までファルシオンや炎の紋章を託したのだろうから。
だがそれも……現実的な考えであるとはルフレにはあまり思えなかった。
千年の時は、人の世には永過ぎるのだ。
現に、当初はクロム達もファルシオンや炎の紋章の意味を正しくは理解していなかった。
チキに出会えなければ、覚醒の儀すら正しくは行えなかったであろう。
イーリス聖王国と言う、管理された血統と伝統を保ててもその有り様なのである。
この先千年、イーリスと言う国が存在し続ける保証なんて何処にも無いし、正直な所を述べるとイーリスは千年後には存在しない可能性が高いであろう。
聖王の血筋は残っていても、知識が正しく伝達される可能性はかなり低い。
永遠に続くモノなんて何処にも無い以上は、それは厳然たる事実である。
千年後の未来にはギムレーに対抗する術が一つもない……なんて可能性は当然の様に有り得てしまうのだ。
そしてそれ以上に。
もし奇跡的にギムレーへの対策が正しく千年後に伝わっていたとしても、千年後の人々には今のクロムとルフレ達以上に勝機が残されてはいないだろうから。
ギムレー復活の可能性をチキから示唆されてからと言うもの、ルフレは折りを見てギムレーに関する文献などを只管読み漁っていた。
そして復活したギムレーを見て、強烈な違和感に襲われたのだ。
千年前のギムレーを記した文献の記述よりも、復活したギムレーが明らかに巨大なのであった。
実際に千年前のギムレーを目にしていたチキに確認を取って、ルフレは確証を得た。
ギムレーは、“成長”しているのだ。
千年前よりもより強大な力を蓄えているであろうギムレーが、千年後に何処まで成長するのかはルフレには分からないが。
少なくとも、今よりも強大な力を持っていると考えた方が良い。
そんな存在に、千年後の人々が果たして対抗出来るのであろうか?
ルフレは軍師である以上、希望的観測による楽観視をする事は出来ない。
だからこそ、ギムレーは今消滅させねばならぬのだと、そう固く決意している。
ナーガは言った。
『神竜の力ではギムレーを滅する事は出来ない、その方法が分からない』、『もしギムレーが消滅するとすれば、それはギムレー自身が死を望んだ時だ』と。
あのギムレーが自死を選ぶ可能性は無い。
故に本来ならば、ギムレーがその方法で消滅する可能性は有り得ない事ではあるが。
しかし、今この時間軸には、ギムレーは“一人”ではない。
“過去”と“未来”の関係にある同一個体が──ルフレが、ここに居る。
ルフレは“ルフレ”と言う人間であると同時に、“ギムレー”だ。
ギムレーの覚醒の儀を行ってない以上は正確にはギムレーでは無いのであろうが、“未来”のギムレーがこの“過去”にやって来た際にそこに元々居たルフレと記憶と心が混ざり合うなんて現象が発生する以上は、同一存在と言っても差し支えは無いだろう。
ルフレの肉体にルフレ自身の魂とギムレーの魂の両方が宿っているのか、或いは今ルフレが“自分”だと認識しているこの心や人格や魂がギムレーのものと同一なのかはルフレの知る所では無いし知りたくも無いが。
何にせよ、ルフレが“ギムレー”であるのは確かである。
ならば。
ルフレがギムレーを、“未来”よりやって来て竜の力を取り戻して復活したあの存在を殺せば。
それは、 “ギムレー”がギムレーを殺す……つまりは自死に相当する事にはならないだろうか?
…………そんな事をすれば、恐らくは“ギムレー”であるルフレもギムレーと同じ結末を辿る事になるのだが。
それでもその方法ならば、ギムレーを完全に消滅させる事が出来るのならば。
「あたしは……」
「おい、ルフレ?」
独り言を呟いた瞬間、背後から声を掛けられてルフレは驚きのあまりに変な悲鳴を上げてその場に飛び上がった。
慌てて振り返った其処に立っていたのは、ルフレの肩を叩こうとして中途半端に手を伸ばしたまま唖然として固まっているウードの姿があった。
何時もならば誰が近付いてきているのかなんて見えずとも分かってしまうだけに、ここまで不意に接近されていた事なんて殆ど無くて。
だからこそ、ルフレは思わず軽くパニックになってしまっていた。
「う、ウード!?
どうしたのよ、こんな夜中に」
「ど、どうしたって……。
いや、ルフレがこんな夜中に天幕を抜け出して、しかも中々帰ってこないから心配で……。
その、何かクロムさんが“覚醒の儀”を終えてから、ずっと何か悩んでたみたいだし、何かあったのかなって」
普段の言い回しを忘れ去った様にそう述べるウードに、ルフレは思わず息を吐いてしまった。
悩んでたのは事実だがそれはなるべく隠してはいたのだけれども。
存外察しが良いウードには、効果は無かったらしい。
悔しい反面、ウードがそうやって気付いてくれた事が嬉しくもあった。
「心配してくれたのね。
えっと、まあ、有り難う」
「ふっ……当然の事だ、我が最愛の妻よ。
我が闇の力を秘めし魔眼に見抜けぬモノは無いのだからな。
その智慧に輝かし眼を煙らせる程の邪悪なる者共の──」
「……その話長くなる?」
相変わらずなその言い回しに肩の力が抜けたのは少し有り難くはあるのだけれども、流石に何時までもそれに付き合いたい気分ではない。
だから何時もの調子に戻ってしまったウードに思わずそう言うと、ウードは慌てて一つ咳払いして神妙な顔付きになった。
「えっと、だな……。
その、何かあったのか?
俺じゃ力になれない事かも知れないけどさ、もしそうでも、ルフレが悩んでるなら一緒に悩んでやりたいんだ。
だから、話してくれよ」
変な言い回しばかりするけれど、何時だってこう言う時のウードは純粋な眼差しを真っ直ぐにルフレに向けてくる。
その真っ直ぐな眼差しと優しさは、自分の胸の内に想いを抱え込んでばかりのルフレの心の扉の鍵を緩めてしまうのだ。
本来ならば、言うつもりなんて無かった。
最期の最期まで胸の内に秘めて、そしてそのまま逝くつもりであった。
だけれども、本当は──
「……そう、ね。
じゃあ、少しだけ……聞いて貰っても、良いかな」
ギムレーと相討ちになろうとしている事は、流石に話せない。
話せば、止められるだろうから。
例え“未来”を絶望に沈めたギムレーを完全に滅する事が出来るのだとしても、きっとこの愛しい人はそれよりもルフレの命を望んでしまうだろうから。
そして、もし明確に言葉としてそれを望まれてしまっては……きっとルフレはもう、ギムレーを殺せなくなってしまうだろうから。
死にたくないと言う気持ちはある。
ウードとずっと一緒に居たいと、人生を最期まで共にしたいと言う気持ちはある。
千年後の事は千年後の人々に任せてしまえば良いのだと、そう訴えかける気持ちもある。
だけども。
聖王の血を継ぐ血筋である彼を、ギムレーの血筋の忌まわしい宿命に巻き込みたくなんて無かった。
もし二人の間に子供が産まれた時に、その子やその子孫達が悍ましい宿命に巻き込まれてしまうであろう事なんて耐えられなかった。
……そして例えギムレーを封じても、ルフレの中にまだ“ギムレー”は居る。
億が一の可能性であったとしても、“ギムレー”へと成り果ててしまったルフレがウードを手に掛ける未来を否定出来ない事に耐えられなかった。
だからこそルフレは、世界の為にも、クロム達の為にも、ウードの為にも、自分の為にも。
ギムレーを、この手で討たねばならないのだ。
だからルフレは、本心を押し殺してウードに語り始める。
「……ほら、あたしって“ギムレーの器”でしょ。
ギムレーは“あたし”だし、あたしは“ギムレー”……。
ウード達の未来を無茶苦茶にしてしまったのは、あの“あたし”だった……。
全部、“あたし”の所為だった。
そう、思うとね……」
「それは……。
でも、ここに居るルフレは、あんな邪竜じゃない。
クロムさんや皆の為に必死になって頑張ってるのは、ギムレーなんかじゃない、ルフレだ。
俺が好きになったのは、愛しているのは、今目の前にいるのは、間違いなくルフレと言う名前の一人の人間だ」
ルフレの肩に手を置いて。
ウードは真っ直ぐにルフレを見詰めてくる。
その気持ちが痛い程に嬉しくて、全てを話せない苦しみに胸を押し潰されそうになる。
本心の全てを洗いざらい吐き出して楽になりたい衝動を何とか踏み留まりながら、それでも抑えきれない情動にルフレの視界は滲む。
そのまま何も言わずにウードの胸に身を預けると、肩に置いていた手を背に回して、ウードは抱き抱える様にルフレを抱き締めてくれた。
そして、小さく「大丈夫だ」とそう囁いてくれる。
その優しさが尚更ルフレの胸を引き裂いて、涙の滴はハラハラと頬を零れ落ちていった。
思う所が無い訳では無いだろうけれども。
それでも、ルフレの真実が明らかになった後も、クロム達は……“未来”からやって来た“子供”達も、誰一人としてルフレを拒絶する事は無かった。
それはとても得難い幸運であり、自身の真実に打ちのめされていたルフレにとって確かな救いになっていた。
もし、絆を結んだ彼等から、『お前は“ギムレー”である』と、人であるルフレとしての存在を否定され拒絶されていれば。
きっとルフレは、正気を保てなかっただろうから。
……だが、ルフレの罪として糾弾される事は無いのであっても、あの“ルフレ”が成した事は赦されざる事でありそれはルフレの罪でもある。
あれは、未来を変える為の切っ掛けを与えられ無かったルフレの辿る結末その物であるのだから。
ルキナが過去に来なければ、ウード達に出逢えなければ。
ああなっていたのは、今ここに居るルフレも同じである。
あの“ルフレ”は、切っ掛けすらも存在しなかったルフレの可能性の一つは、“ルフレ”として存在していた時に何を思っていたのだろうか。
記憶喪失にはなっていなかったらしいから、自身の悍ましい運命を知っていたのだろうか?
知っていて、それでもクロム達の傍に居たのだろうか?
クロムに出会うまでの記憶を喪ってしまっているルフレには、“ルフレ”が何を思っていたのかは分かりようが無い事だ。
最早、あのギムレーが“ルフレ”として生きていた時の姿を知る者なんて“子供”達の中でも僅かにしか居ない。
それでも、ウード達から聞いた断片的な記憶の限りでは、少なくとも“ルフレ”もギムレーになる事なんて、世界を滅ぼす事なんて望んでは居なかったのだろう。
半身の友を支えて仲間達の子供を喜びを以て見守る事を選んでいたであろう彼女が、ああ成り果ててしまったのは、その望みとは全く異なるモノであったであろう事は想像に難くない。
あの“ルフレ”もまた、最悪の加害者であると同時に千年の妄執の被害者であるのだ。
終わらせてやるのも一つの救いになるであろう、と少なくともルフレはそう思っている。
ギムレーに関わる全ての因縁をこの手で終わらせる事こそが、ルフレの手に残された『たった一つの冴えた方法』だ。
その先に待つのが自身の終焉であるのだとしても、ルフレにそれ以外の道は選べない。
それでも、せめてその瞬間までは。
こうしてウードの優しさに縋っていても、赦されるだろうか?
その優しさを、その手を、手離し置いて逝かねばならぬ瞬間がそう遠くは無い事を理解しながらも。
満天の星空の下、ルフレはウードに身を委ねるのであった。
◇◇◇◇
それは、とても静かな夜であった。
自らに与えられた天幕をひっそりと抜け出して。
『虹の降る山の麓』にある宿営地の中でも特に人気の無い所へと移動したルフレは、手近な所に転がっていた資材の丸太に腰掛けて独り夜空を見上げる。
何時もならば眠っているか、夜を徹して策を練るなり軍師としての仕事を片付けるなり……或いは恋人と共に時を過ごしている様な時間ではあるのだが。
今夜ばかりは、ルフレは独りになりたかったのだ。
横になっても眠れず、何かをしようにも手には何もつかず、誰かと顔を合わせるのも辛かった。
見上げた夜空は何処までも澄みきっていて、満天に拡がる星々は遥かなる高みから人の営みを見守っている。
幾千年も前から其処に在ったのであろう星は変わらず人々を照らしてはいるのだけれども。
もし、このまま。
このままギムレーが野放しになっていれば、奴が完全に力を取り戻し世界を蹂躙し始めれば、或いは今ここに居るルフレ自身がギムレーへと成り果ててしまえば……。
遠く……それでいて今のルフレ達の世界も辿り着き得る“未来”よりやって来た《子供達》が、ルフレの半身であり何よりも大切な友であるクロムの娘のルキナが、何時か語っていた様に。
空は日の光すら閉ざす厚い雲に覆われ、星々は人々が見上げる夜空から喪われてしまうのであろう。
それを思い、そしてその“未来”よりやって来た愛しい人を想い。
ルフレは胸を押し潰される様な思いで息を吐いた。
“未来”よりルキナや《子供達》を追って来たギムレー……否、未来のルフレ自身は、“過去”にやって来た当初は竜の力を喪ってはいたものの、この時間軸で竜の力を取り込み再びギムレーとして甦った。
それに対抗する為に、クロムは“覚醒の儀”を果たしてファルシオンに神竜ナーガの力を宿らせたのではあるが。
……ナーガの力では、ギムレーを滅する事は出来ないのだ。
勿論何も出来ないと言う訳ではなく、かつての聖王がそうした様にギムレーを封じて奴から千年の時を奪う事は可能だ。
が、それは同時に、千年後にギムレーは再び甦る事を示している。
……千年経とうとも、ギムレーの器が“ギムレーの覚醒の儀”を受ける事がなければギムレーは復活しないのではあるが。
それは幾ら何でも楽観的な観測に過ぎるであろう。
人の妄執と言うモノは恐ろしい。
特に、宗教……所謂“信仰”に関わるモノだとそれは尚更に顕著だ。
その信仰の内実の善悪に関わらず、狂信の行き着く先などロクでも無いのは確かであろう。
記憶を喪っていても、いや喪ったからこそ特定の“信仰”を持たずに忌憚の無い目で世界を見ているからか、ルフレはその事をよく理解していた。
妄執は千年の後に必ずギムレーの器を産み出すであろう。
その為ならば、恐らくどんな手を使ってでも。
ギムレーの器であるルフレが子を成さないのだとしても、ギムレーの血を継ぐ者はルフレだけでは無い。
薄く血を継ぐ者も勘定に入れるなら、相当数居るであろう。
例え濃い血筋の者を全員始末したとしても、狂信者達が生き残ったギムレーの血族を《交配》させて千年掛けて血を濃くしていくであろう事は想像に難くない。
……千年後の禍を防ぐ為にギムレーの血を継ぐ者を一人残らず殺す事は、対応策としては現実的では無いのだ。
それと同時に、ギムレー教と言う信仰をこの世から消し去る事も、恐らくは不可能であろう。
信仰対象であるギムレーが虚像であるのならまだしも、ギムレーは現実に存在し強大な力を持っている。
例えギムレー教を根絶させた所で、ギムレーの力に目を付ける輩はほぼ確実に生まれるであろう。
ギムレーに関する有りとあらゆる文献を抹消し、過去を捏造したとしても。
その者がギムレーの力で何をしようとするのかはさておき、強大な力と言うのは其処にあるだけで確実に人を狂わせてしまうのだ。
ギムレーの存在を知る者がギムレーを復活させようとする可能性は、ギムレーが存在する以上は絶対に0には出来ない。
ギムレー復活を完全に防げないのなら、復活しても再び封じられる様に対抗策を練るしかない。
千年前の聖王達も、それを願って今のクロムの代までファルシオンや炎の紋章を託したのだろうから。
だがそれも……現実的な考えであるとはルフレにはあまり思えなかった。
千年の時は、人の世には永過ぎるのだ。
現に、当初はクロム達もファルシオンや炎の紋章の意味を正しくは理解していなかった。
チキに出会えなければ、覚醒の儀すら正しくは行えなかったであろう。
イーリス聖王国と言う、管理された血統と伝統を保ててもその有り様なのである。
この先千年、イーリスと言う国が存在し続ける保証なんて何処にも無いし、正直な所を述べるとイーリスは千年後には存在しない可能性が高いであろう。
聖王の血筋は残っていても、知識が正しく伝達される可能性はかなり低い。
永遠に続くモノなんて何処にも無い以上は、それは厳然たる事実である。
千年後の未来にはギムレーに対抗する術が一つもない……なんて可能性は当然の様に有り得てしまうのだ。
そしてそれ以上に。
もし奇跡的にギムレーへの対策が正しく千年後に伝わっていたとしても、千年後の人々には今のクロムとルフレ達以上に勝機が残されてはいないだろうから。
ギムレー復活の可能性をチキから示唆されてからと言うもの、ルフレは折りを見てギムレーに関する文献などを只管読み漁っていた。
そして復活したギムレーを見て、強烈な違和感に襲われたのだ。
千年前のギムレーを記した文献の記述よりも、復活したギムレーが明らかに巨大なのであった。
実際に千年前のギムレーを目にしていたチキに確認を取って、ルフレは確証を得た。
ギムレーは、“成長”しているのだ。
千年前よりもより強大な力を蓄えているであろうギムレーが、千年後に何処まで成長するのかはルフレには分からないが。
少なくとも、今よりも強大な力を持っていると考えた方が良い。
そんな存在に、千年後の人々が果たして対抗出来るのであろうか?
ルフレは軍師である以上、希望的観測による楽観視をする事は出来ない。
だからこそ、ギムレーは今消滅させねばならぬのだと、そう固く決意している。
ナーガは言った。
『神竜の力ではギムレーを滅する事は出来ない、その方法が分からない』、『もしギムレーが消滅するとすれば、それはギムレー自身が死を望んだ時だ』と。
あのギムレーが自死を選ぶ可能性は無い。
故に本来ならば、ギムレーがその方法で消滅する可能性は有り得ない事ではあるが。
しかし、今この時間軸には、ギムレーは“一人”ではない。
“過去”と“未来”の関係にある同一個体が──ルフレが、ここに居る。
ルフレは“ルフレ”と言う人間であると同時に、“ギムレー”だ。
ギムレーの覚醒の儀を行ってない以上は正確にはギムレーでは無いのであろうが、“未来”のギムレーがこの“過去”にやって来た際にそこに元々居たルフレと記憶と心が混ざり合うなんて現象が発生する以上は、同一存在と言っても差し支えは無いだろう。
ルフレの肉体にルフレ自身の魂とギムレーの魂の両方が宿っているのか、或いは今ルフレが“自分”だと認識しているこの心や人格や魂がギムレーのものと同一なのかはルフレの知る所では無いし知りたくも無いが。
何にせよ、ルフレが“ギムレー”であるのは確かである。
ならば。
ルフレがギムレーを、“未来”よりやって来て竜の力を取り戻して復活したあの存在を殺せば。
それは、 “ギムレー”がギムレーを殺す……つまりは自死に相当する事にはならないだろうか?
…………そんな事をすれば、恐らくは“ギムレー”であるルフレもギムレーと同じ結末を辿る事になるのだが。
それでもその方法ならば、ギムレーを完全に消滅させる事が出来るのならば。
「あたしは……」
「おい、ルフレ?」
独り言を呟いた瞬間、背後から声を掛けられてルフレは驚きのあまりに変な悲鳴を上げてその場に飛び上がった。
慌てて振り返った其処に立っていたのは、ルフレの肩を叩こうとして中途半端に手を伸ばしたまま唖然として固まっているウードの姿があった。
何時もならば誰が近付いてきているのかなんて見えずとも分かってしまうだけに、ここまで不意に接近されていた事なんて殆ど無くて。
だからこそ、ルフレは思わず軽くパニックになってしまっていた。
「う、ウード!?
どうしたのよ、こんな夜中に」
「ど、どうしたって……。
いや、ルフレがこんな夜中に天幕を抜け出して、しかも中々帰ってこないから心配で……。
その、何かクロムさんが“覚醒の儀”を終えてから、ずっと何か悩んでたみたいだし、何かあったのかなって」
普段の言い回しを忘れ去った様にそう述べるウードに、ルフレは思わず息を吐いてしまった。
悩んでたのは事実だがそれはなるべく隠してはいたのだけれども。
存外察しが良いウードには、効果は無かったらしい。
悔しい反面、ウードがそうやって気付いてくれた事が嬉しくもあった。
「心配してくれたのね。
えっと、まあ、有り難う」
「ふっ……当然の事だ、我が最愛の妻よ。
我が闇の力を秘めし魔眼に見抜けぬモノは無いのだからな。
その智慧に輝かし眼を煙らせる程の邪悪なる者共の──」
「……その話長くなる?」
相変わらずなその言い回しに肩の力が抜けたのは少し有り難くはあるのだけれども、流石に何時までもそれに付き合いたい気分ではない。
だから何時もの調子に戻ってしまったウードに思わずそう言うと、ウードは慌てて一つ咳払いして神妙な顔付きになった。
「えっと、だな……。
その、何かあったのか?
俺じゃ力になれない事かも知れないけどさ、もしそうでも、ルフレが悩んでるなら一緒に悩んでやりたいんだ。
だから、話してくれよ」
変な言い回しばかりするけれど、何時だってこう言う時のウードは純粋な眼差しを真っ直ぐにルフレに向けてくる。
その真っ直ぐな眼差しと優しさは、自分の胸の内に想いを抱え込んでばかりのルフレの心の扉の鍵を緩めてしまうのだ。
本来ならば、言うつもりなんて無かった。
最期の最期まで胸の内に秘めて、そしてそのまま逝くつもりであった。
だけれども、本当は──
「……そう、ね。
じゃあ、少しだけ……聞いて貰っても、良いかな」
ギムレーと相討ちになろうとしている事は、流石に話せない。
話せば、止められるだろうから。
例え“未来”を絶望に沈めたギムレーを完全に滅する事が出来るのだとしても、きっとこの愛しい人はそれよりもルフレの命を望んでしまうだろうから。
そして、もし明確に言葉としてそれを望まれてしまっては……きっとルフレはもう、ギムレーを殺せなくなってしまうだろうから。
死にたくないと言う気持ちはある。
ウードとずっと一緒に居たいと、人生を最期まで共にしたいと言う気持ちはある。
千年後の事は千年後の人々に任せてしまえば良いのだと、そう訴えかける気持ちもある。
だけども。
聖王の血を継ぐ血筋である彼を、ギムレーの血筋の忌まわしい宿命に巻き込みたくなんて無かった。
もし二人の間に子供が産まれた時に、その子やその子孫達が悍ましい宿命に巻き込まれてしまうであろう事なんて耐えられなかった。
……そして例えギムレーを封じても、ルフレの中にまだ“ギムレー”は居る。
億が一の可能性であったとしても、“ギムレー”へと成り果ててしまったルフレがウードを手に掛ける未来を否定出来ない事に耐えられなかった。
だからこそルフレは、世界の為にも、クロム達の為にも、ウードの為にも、自分の為にも。
ギムレーを、この手で討たねばならないのだ。
だからルフレは、本心を押し殺してウードに語り始める。
「……ほら、あたしって“ギムレーの器”でしょ。
ギムレーは“あたし”だし、あたしは“ギムレー”……。
ウード達の未来を無茶苦茶にしてしまったのは、あの“あたし”だった……。
全部、“あたし”の所為だった。
そう、思うとね……」
「それは……。
でも、ここに居るルフレは、あんな邪竜じゃない。
クロムさんや皆の為に必死になって頑張ってるのは、ギムレーなんかじゃない、ルフレだ。
俺が好きになったのは、愛しているのは、今目の前にいるのは、間違いなくルフレと言う名前の一人の人間だ」
ルフレの肩に手を置いて。
ウードは真っ直ぐにルフレを見詰めてくる。
その気持ちが痛い程に嬉しくて、全てを話せない苦しみに胸を押し潰されそうになる。
本心の全てを洗いざらい吐き出して楽になりたい衝動を何とか踏み留まりながら、それでも抑えきれない情動にルフレの視界は滲む。
そのまま何も言わずにウードの胸に身を預けると、肩に置いていた手を背に回して、ウードは抱き抱える様にルフレを抱き締めてくれた。
そして、小さく「大丈夫だ」とそう囁いてくれる。
その優しさが尚更ルフレの胸を引き裂いて、涙の滴はハラハラと頬を零れ落ちていった。
思う所が無い訳では無いだろうけれども。
それでも、ルフレの真実が明らかになった後も、クロム達は……“未来”からやって来た“子供”達も、誰一人としてルフレを拒絶する事は無かった。
それはとても得難い幸運であり、自身の真実に打ちのめされていたルフレにとって確かな救いになっていた。
もし、絆を結んだ彼等から、『お前は“ギムレー”である』と、人であるルフレとしての存在を否定され拒絶されていれば。
きっとルフレは、正気を保てなかっただろうから。
……だが、ルフレの罪として糾弾される事は無いのであっても、あの“ルフレ”が成した事は赦されざる事でありそれはルフレの罪でもある。
あれは、未来を変える為の切っ掛けを与えられ無かったルフレの辿る結末その物であるのだから。
ルキナが過去に来なければ、ウード達に出逢えなければ。
ああなっていたのは、今ここに居るルフレも同じである。
あの“ルフレ”は、切っ掛けすらも存在しなかったルフレの可能性の一つは、“ルフレ”として存在していた時に何を思っていたのだろうか。
記憶喪失にはなっていなかったらしいから、自身の悍ましい運命を知っていたのだろうか?
知っていて、それでもクロム達の傍に居たのだろうか?
クロムに出会うまでの記憶を喪ってしまっているルフレには、“ルフレ”が何を思っていたのかは分かりようが無い事だ。
最早、あのギムレーが“ルフレ”として生きていた時の姿を知る者なんて“子供”達の中でも僅かにしか居ない。
それでも、ウード達から聞いた断片的な記憶の限りでは、少なくとも“ルフレ”もギムレーになる事なんて、世界を滅ぼす事なんて望んでは居なかったのだろう。
半身の友を支えて仲間達の子供を喜びを以て見守る事を選んでいたであろう彼女が、ああ成り果ててしまったのは、その望みとは全く異なるモノであったであろう事は想像に難くない。
あの“ルフレ”もまた、最悪の加害者であると同時に千年の妄執の被害者であるのだ。
終わらせてやるのも一つの救いになるであろう、と少なくともルフレはそう思っている。
ギムレーに関わる全ての因縁をこの手で終わらせる事こそが、ルフレの手に残された『たった一つの冴えた方法』だ。
その先に待つのが自身の終焉であるのだとしても、ルフレにそれ以外の道は選べない。
それでも、せめてその瞬間までは。
こうしてウードの優しさに縋っていても、赦されるだろうか?
その優しさを、その手を、手離し置いて逝かねばならぬ瞬間がそう遠くは無い事を理解しながらも。
満天の星空の下、ルフレはウードに身を委ねるのであった。
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