このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

クロルフ短編

◆◆◆◆◆






 祭りの空気に浮かされた人間共のはしゃいだ様な声は平素のそれよりもギムレーの心を逆撫でする様に騒めかせる。
 祭りは、嫌いだ。人間共の感謝の声など、聞きたくも無い。
 神への祈りも、実りへの感謝も、共に不愉快極まりない。
 祭りの為に街中に菓子の甘い香りが漂っているのも反吐が出そうだ。収穫に浮かれる人間共のその顔を、恐怖と絶望に塗り潰してやりたくなる。……契約によりその様な事は出来ないが。

 苛立ちと共に、ギムレーは不快感から溜息を吐く。
 本来ならば、ギムレーがこの様な場に姿を現す事など無かっただろう。祭りの喧騒を追い払う様に、自室で静かに寝ているか或いは記憶を取り戻す為の儀式に精を出しているか。その何方かであった筈なのに。……己をこの地に招いた召喚士によってこの様なふざけた祭りに無理矢理参加させられている。
 下らなさのあまり、召喚士を喰い殺してやろうかと一瞬本気で思ったが、それは契約の力によって不可能な事だった。
 この地に於いては、「神」ですら招かれて存在しているならば己を招いた召喚士との契約に縛られる。召喚士本人がそれを何処まで認識しているのかは知らないが、それはある意味ではこの世の理を超越した力に等しい程の強制力である。
 ギムレーですら、それには抗い切れない。
 この地に招かれた際に時空を強制的に超えた影響で喪ってしまった力や記憶を取り戻せれば或いはこの忌まわしい支配の鎖を噛み千切ってしまえるのかもしれないが……しかしどれ程儀式を重ねても未だ喪われたそれらを取り戻せる気配すらない。

 この世のならざる者達の姿を模した仮装を身に纏い街を練り歩く人間共と同様に、ギムレーの今の姿は祝祭の夜に相応しい装いにされていた。召喚士に逆らう事は出来ないので渋々参加する事になった祭りではあるが、身に纏う衣装まで押し付けられるのであれば堪ったものでは無い為、衣装だけはある程度自分の好みが許せる範囲のものである。……そもそも「人間」とは全く異なる存在であるギムレーに態々仮装など必要なのだろうかとすら本気で思うものの、ギムレー同様にこの地に招かれた人ならざる者達……「竜」や「神」と言った者達も、何やらそれぞれに思い思いに仮装して祭りに浮かれる人々の波の中に紛れているので、それは些末な疑問であるのかもしれない。

 人間共から菓子を奪う祭りだとは聞いたが、祭りに浮かれる他の竜達に雑じって菓子を集める気にはならなかった。
 その為、ギムレーは独り街の喧騒から逃れるかの様に、人気の無い鐘楼に登り、眼下に星海の様に広がる祭りの灯りに照らされた街を見下ろしていた。

 さっさと城に戻って引き籠りたくはあるのだが、城も祭りの熱気に浮かされた様にあちこちが飾り付けられているし雰囲気が何時もとは違うので落ち着かない。それに、城の中に引き籠っていても態々邪竜なんぞに関わろうとしてくる鬱陶しい変わり者の英雄どもに絡まれたりするかもしれない。
 ならば、こうして遥かな高みから人間共の愚かな営みを見下ろしている方がマシだ。ギムレーにとっても、そして……。

 見下ろした街の灯りには手を伸ばした所で届きはしない。
 この位の距離で見下ろすのなら、まだギムレーは己の破壊的な衝動にも似た騒めきを抑えている事が出来た。
 漏れ聞こえる喜びの声に苛立ちはするが、出来もしないのに態々破壊を撒き散らしに行こうとする程の衝動には至らず。
 ギムレーからすれば収穫されるべき獲物でしかない虫ケラの如き存在達は、彼等を容易く根絶やしに出来てしまう強大な存在がそんな事を考えながら自分達を睥睨している事など露とも知らずに祭りに浮かれている。何とも、おめでたい事だ。
 どうせ実行出来やしないのだが、想像の中で街を破壊し祭りの場を混沌と恐怖に陥れる様を想像して退屈を紛らわせようとするが、だが何と無くその様な気になれず。やる事も無いままに、仮装に付いている獣の尻尾を模した飾りを指先で弄びながらぼんやりと街の光を見下ろしていた。
 行き交う人の波と、街の至る所に揺れる灯りを見ていると。消え果てた筈の記憶の底に擦り切れながらも消えない染みの様に残った何かが疼く様に……ぼんやりと「何か」が浮かぶ様な気がする。

 ── なあ、■■■……

 誰かが、『誰か』を呼んでいる声が、微かに心の奥に響く。
 愛しい程に懐かしい様な、そしてそれ以上に胸を締め付ける程の哀しみと絶望と後悔の様な……。その声が、一体誰のものであるのか、そして一体誰を呼んでいるのかは分からない。
 だが、壊れ果ててしまった筈の記憶の中に尚も残るそれは、余程忘れたくないものであったのか、それとも忘れてはいけないものであったのか……。……今となっては何も分からない。

 ── 来年も、その次も。またこうやって収穫祭を祝おう。
 ── 祭りを祝える平和な時間を、今度こそ守ろう。
 ── 姉さんが願っていた平和を、……俺たちの手で。

 静かな声が心の奥から零れ落ちてくるかの様に聞こえる。
 誰なのだろう。呼び掛けてくるその人の事を、思い出せない。
 思い出さなければならないのに、思い出せない。
 思い出したいのに、思い出せない。
 忘れる事など赦されないのに……。それでも喪ってしまった。
 その忘却は罪であるのか、罰であるのか、或いは悪意のある救いであったのか……。……それすらも分からない。

「……──」

 記憶の残滓に魘された様に微かに誰かの名を形作ろうとしたその唇は、しかし何の音を発する事も無く、溜息の様な囁きとして消えて行く。何かを掴み掛けて、それすらも見失った迷子の様にギムレーはふと途方に暮れた様に眼差しを揺らす。
 そして、誰も訪れる事の無い鐘楼の上で膝を抱える様にして、自分にとっては遠い世界の様である祭りの夜を見下ろした。


「こんな所で何をしているんだ?」

 独りだけの世界であった筈の所に、ふと闖入者が現れた。
 普段は誰かが近くに来れば直ぐに分かるのだが、どうやら深く考え込んでいたからなのだろうか。気付けなかったらしい。
 背後に現れたその姿を一瞥し、そして予想通りであったその人の姿に溜息を吐く。

「何だって良いだろう、そんな事。
 それに、君こそ何をしにこんな場所に来たんだ?」

 本来ならば、不倶戴天の存在である筈の……決して相容れぬ相手であるのに。やたらとギムレーに関わってこようとする変わり者どもの筆頭が其処に居た。
 祭りに合わせて何時もの服装とは違う装いに身を包んではいるが、彼が彼である事をギムレーが見間違う筈は無い。
 この世界には異なる世界から招かれた、彼と「同じ」存在が同時に複数存在しているのだとしても。ギムレーが彼を見失う事は有り得なかった。その理由を、ギムレー自身は知らないが。

 イーリス聖王国の王、かつてギムレーを封じた者の末裔にして、千年の時を越えて蘇ったギムレーを再び討つ役目を与えられた英雄。討たれ滅ぼされる存在としてしか人々の物語には必要とされないギムレーとは正反対の、人々の「希望」の象徴である英雄たるその存在。『クロム』の名を持つ男。
 ……「ギムレーの器」であった『ルフレ』にとって、無二の親友であり戦友であった存在。……そして、ギムレーにとってはその復活の際に真っ先に捧げられる贄でもあった者。
 こうしてギムレーなぞに関わる以上は、此処に居る彼はその運命を回避出来た世界から招かれているのだろうけれども。
 しかし何にせよ、彼が『ギムレー』と相容れる筈の無い者である事は明らかである。それなのに、彼はギムレーに関わり続けてくるのだ。その心に一体何を抱えているのかは知らないが。

「……こうして仮装する位なら許してやったけどね。下らない祭りに参加する気は無いんだ。馬鹿馬鹿しい……。
 邪竜たる僕が、一体何の『収穫』を祝うって言うんだい? 
 祭りに浮かれる人間共を皆殺しにして贄にして良いと言うのなら、まあ気が向いたら参加してやらなくは無いけどね」

「だが、こうして大人しく此処に居ると言う事は、お前にはそんな事をする気は無いんだろう?」

 何か……ギムレーの心の奥底を見通す様な静かな目で、クロムはそう訊ねる。確かにその通りではあるが、素直に頷いてやるのは何と無く癪に障った。

「契約に縛られて出来ないだけだよ。本来の力と記憶があれば、祭りに浮かれたこんな国なんて一瞬で滅ぼしてやるさ。
 僕が君たちと慣れ合うつもりだとか、そんな愚かな妄想を抱いているなら、痛い目を見る事になるよ?」

「だが今はそんなつもりは無いんだろう? なら、それで良い。
 こうして、お前と祭りの時間を過ごせるなら。それだけで」

 信じられないが本心からそう思っているらしい。
 やはりこの男は何処かおかしいのではないだろうか。
 そう言えば、他の『クロム』達より少し気配が薄い気がする。
 だからこそ、急に背後に近付かれても分からない時があるのだろう。他の『クロム』達とこのクロムがどうして違うのかは分からないが……まあそんな事ギムレーの知った事では無い。

「ああ、そうだ。お前に渡したいものがあるんだ」

 そう言って、クロムは小脇に抱えていた紙袋の中身をゴソゴソと漁る。ふと、その紙袋から何やら甘い香りがする事にギムレーは気付いた。だが、街に漂うそれと似た匂いであると言うのに、不快感は然程無くて。それが何だか不思議であった。

「ほら、これ。街中で見掛けて、少し懐かしくなってな。
 ……お前もきっと好きだろうと思って、買ってみたんだ」

 そう言いながらクロムが手渡してきたのは棒付きの飴だった。
 円盤状の飴はそこそこ大きくて、噛み砕くにしてもこの人間の姿では流石に一口では難しいかも知れない。
 幾つも手渡された飴はどれも色とりどりで……。
 何処と無く、かつてこれと同じ様なものを見掛けた事がある様な気がする。何故か、何処と無く懐かしい様な……。
 ……しかし邪竜たるギムレーが人間の菓子なぞを記憶の端に留めている筈も無いので、きっと気のせいなのだろう。

「何だい? 僕に対する貢物かい? 
 人間に何を貢がれたって、僕が君たちの願いを叶えてやるだなんて馬鹿馬鹿しくて気持ちの悪い考えは捨てた方が良いよ。
 まあ、そんな事も分からずに僕を『神』と崇め讃えて居た者も居るのだけれど……君も彼等と同類なのかな?」

「まさか。お前にもこの祭りを楽しんで欲しいだけだ。
 本当に、ただそれだけだ」

 クロムの目を覗き込み、その心の奥にどんな醜い願望や期待を宿しているのかと見透かそうとしてみても、そこにあるのは凪いだ様に穏やかな感情だけだった。
 邪竜を飼い馴らして御してやろうだとか、そう言った思惑は無いらしい。本当に、理解出来ない位に変わった人間だ。

「成程。僕が人間どもの祭りを楽しむなんて有り得ないけど、祭りに参加しろって命令だったからね。
 仮装するだけで終わらせるつもりだったけど、この祭りは菓子を奪う事も目的なのだったら、こうして菓子を手にしなくては祭りに参加したとは見做されなかったかもしれない。
 そう言う意味では、こうして君が菓子を献上してくれたのは悪くは無いね。まあ、受け取ってあげるよ」

 そう言いながら、ギムレーは手にした飴の一つを豪快に齧る。
 鋭い牙によって、硬い筈の飴は容易く半分に砕けた。
 砂糖の塊であるが故に甘ったるさが口いっぱいに広がるが、どうしてだか不快感は無い。寧ろ、泣きたくなる程に懐かしい様な感覚すら抱く。……その理由は、ギムレーには分からない。

「どうだ? 気に入ったか?」

「……腹いせに君を喰い殺すのは止めておいてあげる程度には」

 パリパリと噛み砕いた飴を舌で転がしながら味わいつつそう返してやると。クロムは、何故だか優しい眼差しを向ける。
 その眼差しは、何処と無くギムレーの心を騒めかせるが、それは不思議と不快では無い。どうしてなのだろうか。


「……そうか。そう言う所は、変わらないんだな。
 ……────」


 クロムは微かに誰かの名を呟いたが、それが一体誰の名であったのかは、ギムレーには分からないままであった。






◆◆◆◆◆
11/12ページ
    スキ