このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

朝虹は雨、夕虹は晴れ

■■■■






 ルフレは混乱の極みに在った。
 普通に話をしていた筈なのに、気付いたら髪にキスされていたのだ。
 手を繋ぐ事すらろくにした事が無い初な生娘である。
 許容量を越えた事態に混乱するのも致し方無い。


(だ、ダメじゃ無いですけど……。
 でも、その……。
 突然だったからビックリしたと言いますか、心の準備が出来て無かったと言いますか……。
 髪じゃなくて唇が良かったと言うか……、って私は何を……!
 と言いますか、今クロムさんに手を握られていますよね!?
 クロムさんの手は大きいなぁ……、暖かくてずっと握っていて欲しいです……。
 いえいえ、今はそれ処では……!!
 クロムさんにキスされたんですよ、私は!
 これは『手作り弁当作戦』が成功したと言う事ですよね???
 いや、でも、それは、えーっと……)


 混乱して支離滅裂な思考のまま、ルフレはその場でオロオロとする。
 所謂“恋人”らしい事を望んでいたルフレにとっては今の状況は願ってもないモノである筈だが、流れに身を任せる等と言う発想をする余裕は今のルフレには無かった。
 然りとて握られた手を振り解く事などは出来ず、逃げる事は出来ないルフレはその場で固まるしか無い。
 何か言おうとしても、口から漏れるのは緊張に震える熱い吐息のみ。
 音に成らぬ吐息を一つ二つと溢したルフレは、自分の目を真っ直ぐに見詰めてくるクロムの視線に耐えかねたかの様に、俯いてクロムの視線から逃れようとする。

 これからどうすれば良いのかなんて分からない。
 綿密に立てていた筈の計画も、全て頭から吹き飛んでしまっていた。
 戦局を変える? 無理だ、策なんて何一つとして思い浮かばない。
 軍師失格レベルの失態であるが、クロムを相手取るにはルフレでは分が悪いのだ。
 何せ、ルフレ唯一の弱点がクロムなのだから。


 何も出来ないままオロオロとしていると、そっとクロムの手がルフレの頬を撫でた。
 自然と俯いていた顔が上がり、クロムと視線が絡み合う。
 暑いと感じる程の熱はクロムからのものだろうか、それともルフレからのものだろうか。
 それはルフレには分からないが。
 二人とも、お互いの熱に浮かされた様にただただ見詰めあっていた。
 優しさの中に何処か情熱的な激しさを孕んだその目を見ているだけで、ルフレは酔っているかの様な錯覚を覚える。

 好きだ、この人の事が大好きだ。
 この世界で一番、自分の世界の中で一番、クロムを愛している。
 ……そんな想いは心から溢れて、言葉としてルフレの口から零れ落ちようとしていた。


「クロム……さん」


 掠れそうな声でルフレが名を呼ぶと。


「どうした? ルフレ」


 熱に浮かされながらも優しい声でクロムが訊ねてくる。
 それだけの事で胸が一杯になりそうになるが、喉元まで言葉と言う形になって現れようとしている想いは止まらない。それどころかますますそれを助長する。


「私は……クロムさんの事が、好きです。
 誰よりも、愛してます」


 だから──と続けようとして、ルフレはその続きの言葉を見失ってしまった。
 何を……何を言おうとしたのだろう。
 まだこの気持ちを伝え足りない。
 だけど、どんな言葉に託せば伝えられると言うのだろうか。
 伝え切れないのに、気持ちばかりが溢れてきて泣きそうになる。


 そんなルフレを見詰め、クロムは力強く……だけど痛みを与えない程度の絶妙な力加減でルフレを抱き寄せた。
 クロムの鍛え上げられた逞しい胸板に頭を押し付けられたルフレは、ただでさえ余裕が無いのにますます顔が赤くなる。
 これ以上鼓動が早くなったら自分は死んでしまうんじゃないだろうか、なんて思ってしまう程に。


「俺も……ルフレの事が、好きだ。
 お前と出会ったあの日から、ずっと。
 どんな時だって、誰よりも側に居たのはお前だ。
 ずっと側に居て欲しいと、誰よりも思ったのもお前だけなんだ」


 真っ直ぐなその言葉は、ルフレだけに向けられている。
 この人のこんな顔を知っているのは自分だけなのだろうと思うと、それが堪らなく嬉しい。


「ずっと、側に居ます。
 だってそう、約束したんですから……」


 自分の指にはめられた指輪を見詰めてルフレは言った。
 死が二人を別つまで共に居ると言う約束をする為の誓いの証。
 いや、死で別たれようとも、この絆は消えたりはしないだろう。

 クロムもまた、婚約指輪を見詰めて頷いた。


「ああ、そうだな。
 これからも、ずっと一緒だ。
 お前と出会ってからの一年は、嬉しい事もあったが辛く苦しい事も多かったな……。
 でもどんな時だって、思い返せば全部お前と過ごした掛け替えの無い時間だったんだ」


 辛かった事……。
 その最たるモノは、最愛の姉であったエメリナ様に関する事だろう。
 自らの策が及ばなかったが故に避けられなかった彼女の死は、ルフレにとっても辛く苦しいモノであった。
 姉の死に傷付き果てた最愛の人の姿は、思い返すだけでルフレの胸に切り裂く様な痛みを与える。


「クロムさん……」


 そんな悲劇ですら、ルフレと過ごした時間であったのだと、掛け替えの無い時間だったのだと言い切ったクロムに、その心にルフレは泣きそうになる。


「俺はもう何一つとして大切なものを失わせたりしない。
 まだ未熟な俺一人では成し遂げられなくても、お前が側に居てくれるのなら……」

「二人一緒なら半人前じゃない……、だって私達はお互いに半身なのだから……。
 ……ですよね」


 それは、姉の死に打ち拉がれていたクロムに、かつて自分が贈った言葉。
 クロムだけではなく、自分自身に向けた言葉でもあったそれは、二人を結ぶ大切な言葉であった。

 ルフレが継いだ言葉にクロムは嬉しそうに頷いてから、何故か苦笑を浮かべる。


「ああ、そうだ。
 ……今日はルフレの誕生日なのだから、お前に色々とあげるつもりだったが……。
 これじゃ俺が貰ってばかりだな」

「たん、じょうび……?」

「気付いてなかったのか?
 今日で、俺とお前が出会ってから丁度一年だ」


 クロムにそう言われ、そう言えば記憶が無いが故に自分の誕生日が分からないルフレは、クロムと出会った日を誕生日と言う事にしていたのだと思い出した。
 今日で、あの日から丁度一年。
 それ程の時間を共に過ごしていたのかと思うと、長かった様な短かった様な、そんな不思議な気持ちになる。
 まあ、時間の長さなど、その内容に比べれば些末な事なのではあるが。


「そう、だったんですね……。
 でも、私はもうクロムさんから沢山の贈り物を貰ってますから、そんなの気にしなくても良いんですよ?
 それに、こうやって一緒に過ごせる事が、何よりもの贈り物ですから」


 それはルフレの本心からの言葉である。
 物では無く、クロムと過ごす時間が……その思い出が、ルフレにとっては最高の宝物なのだから。

 ここに来て漸くルフレは気付いていた。
 “恋人らしさ”なんて拘る必要など無かったのだ。
 こうやってただ一緒に過ごすと言うそれだけで、二人ともこんなに満ち足りていられるのなら。
 それだけで十分だったのだ。





 クロムとルフレの視線が再び絡み合った。
 今度はルフレも逃げようとはしない。

 どちらからと言う事も無く、お互いが同時にキスをした。
 唇と唇が触れあうその感触は、どんな媚薬よりもお互いを熱くさせる。
 再びクロムがルフレにキスを落とした。
 髪にも瞼にも額にも鼻先にも唇にも……。
 お互いのキスの応酬は止まる事無く続いていく。


 日が沈みゆくまで、二人はそうやって過ごしたのであった。






□□□□
8/8ページ
スキ