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クロルフ短編

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 ぐちゃりぐちゃりと、何かを咀嚼する音が静かに響いていた。
 命在る者がほぼ全て途絶えたその地で、命の成れ果てを啜るその冒涜的な音だけが、その場を支配する。

 その音を、クロムはただただぼんやりと聞いていた。
 その眼には、何らかの意志の輝きは既に無く。
 澱み濁った「何か」がそこに静かに堆積するばかりであった。


「あら、クロムさんも如何ですか?」

 彼女はそう言いながら手にしていたそれをクロムに向かって投げ渡す様に投げるが、クロムがそれを受け取る事は無い。
 ただその足元に転がったそれを、静かに見遣るだけだ。
 その反応に、彼女はやれやれと言わんばかりに小さく肩を竦め。
 そして、つかつかとクロムに近付いて、その頬に手を当て艶然とした笑みを浮かべる。

「一度死んだ存在を完全に呼び戻すのは難しいですね……。
 この肉の器の中には、確かにクロムさんの魂は在る筈なのですが…… 。
 クロムさんの反応の無い、ただの木偶の坊……お人形ばかりが出来上がりますね……」

 何故なのでしょう、と。そう言いた気に首を僅かに傾げて。
 クロムの目を覗き込む様に、彼女はその顔を抱き寄せる。
 そして、失望するかの様に溜息を吐いた。
 クロムは、そんな彼女の対応に何も返さない。
 ただただ其処に『在る』だけであった。
 それは、「命在る者」のそれとは程遠い。

 ………… それもある意味では当然の事であった。
 クロムは、既に一度「死んで」いる。
 ここに居る存在は、彼女によってこの世にその命と魂を縫い留められた存在でしかない。
 そこに居る存在を『クロム』と、果たして呼ぶ事は出来るのだろうか…… ? 
 それは、恐らくは神にすらも分からぬ事であるのだろう。

 クロムは既に何度も「作り直されて」いるのだが、彼女が求める基準に達した「クロム」は今の所存在しない。
 ……強いて言えば、一番最初のクロムこそが彼女の求めるそれであるのだが……。
 そのクロムを殺してしまったのもまた、彼女自身である。
 それが彼女自身の意思であったのかどうかはまた別の話であるけれども。今更詮無い事である。

 そして、喪ってしまった彼を取り戻そうとするかの様に、彼女は何度も何度もクロムを「作り直して」いた。

 無理矢理に蘇らせているからなのか、蘇ったクロムの寿命はあまり長くは無い。
 彼女の傍を離れては、そう時を置かずしてその身体は腐り落ちるし、そうでなくとも三月程度で再び骨に還ってしまう。
 そしてその度に、骨に還ったクロムの身体を掻き抱いては、彼女はクロムを蘇らせるのだ。
 終わりの見えない繰り返し、永劫に続くかの様な狂ったその遊戯にクロムが何らかの反応を返す事は無い。
 本当に何も感じていないのか、或いはくるったしゅうちゃくによって閉ざされた無間地獄の円環に囚われた彼の魂が上げる悲鳴が何処にも届いていないのか…… 。
 どちらであるのかは、彼以外の誰にも知りようがない事だ。
 彼をこの悍ましい地獄の中に縛り続けている彼女にとってすら……分からない。
 しかし、彼女にとってはどうであっても構わない事だった。

 自分の傍に、彼が居る。
 ただそれだけで、彼女にとっては十分であった。

 例え人形にすら満たぬ存在としてであっても、「生きている」彼が其処に在りさえすれば彼女にとってはそれで良い。
 だからこそ、もっと手軽にかつ従順な手駒になる「屍兵」として仮初の命をクロムだったものに与えるのではなく、膨大な手間を掛けながらも蘇らせたクロムをその傍に置き続けているのだ。

 何れ程愛の言葉を囁こうと、何れ程の「愛情」を向けても。
 何一つとして反応しないクロムでさえ、彼女にとっては最愛の存在である事に何も変わらない。
 クロムと呼ぶ事すら難しいだろう「それ」を、彼女は溢れんばかりの愛しさを籠めて「クロム」と呼ぶ。
 人の血肉に汚れたその口でかつてと何一つとして変わる事の無い愛を囁き、血の味のする口付けを交わす。

 その狂気を「狂っている」と指摘出来る者など、最早この世には存在せず、指摘されたとしても彼女は最早変わる事など出来ないだろう。
 例え神であろうとも、最早彼女たちを引き裂けない。
「死」が幾度彼女からクロムを奪うのだとしても、その度に彼女はクロムを引き戻すのだから。
 何度でも何度でも。この世が果てるその時まで、或いは余りにも永きその寿命を終えた彼女の存在が消え去るその時まで。


「クロムさん、愛しています……。誰よりも……。
 ね、今度からはルキナとマークも、一緒に暮らしましょう? 
 イーリス城まで、二人を迎えに行こうと思うんです。
 二人は少しビックリしてしまうかもしれませんが、でも、きっと大丈夫ですよね? 
 だって、私たちは『家族』なんですから……」


 ルキナとマーク。愛する二人の我が子のその名前に、僅かながらクロムの目に光が宿る。
 だがそれは直ぐ様泥濘に呑み込まれる様に消えてしまった。


 そんなクロムへと、彼女は愛しそうに微笑んで口付けを交わした。
 深く深く、互いの舌を絡め、自らの血を彼へと流し込む様な長い長いその口付けは、彼女にとって愛の証と誓いであると同時に彼をこの世界に留める為に必要な儀式だった。
 邪竜の血によってこの世に留め置かれるその魂と血肉は、次第に邪竜の力により深く深く染まり、それに伴って「蘇った」クロムの寿命は少しずつ延びて行く。
 何時かクロムの魂の全てが邪竜の力に染まった時、彼はもう一度自分を見て自分を愛してくれるのではないだろうかと、彼女はそう思っている。それに根拠はない。
 だが、所謂『女の勘』が囁いていた。
 その日が楽しみで、彼女は上機嫌に歌いながらクロムの頬を優しく撫でる。


「ああ、楽しみですね、クロムさん。
『家族』みんなで、また一緒に暮らしましょうね」


 血よりも紅く染まったその瞳を細めて。
 彼女……、かつては「ルフレ」と言う名の人間であった『邪竜』は、幸せそうに口元を歪めるのであった。




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