クロルフ短編
◆◆◆◆◆
私は、『生きていても良い理由』が欲しかった。
邪竜の血の末裔、ギムレーの器。
私の生は、産まれ落ちたその瞬間から、呪われていると言っても過言ではなかったのだろう。
世界を滅ぼす邪悪。
絶望と破滅の竜。
そんなモノを信仰する理由なんて、私には理解出来ないけれど。
ギムレーを神として信奉するギムレー教団は、その復活の為に文字通り全てを捧げてきた。
何時か神竜ナーガによって施された封印が緩んだ時に、ギムレーの復活の為の肉体を用意せんとして。
千年の時を掛けて邪竜の血を濃く受け継いだ血族を更に醸成して、私を産み出した。
血族間で従兄妹や兄妹、時には親と子で、血と血を掛け合わせ続けてきたその一族は、とうに狂っていたのだろう。……狂っていたのはその一族に限らず、ギムレー教団と言う集団全体の事なのだろうけれど。
悍ましい近親間姦の果ての産物。
血族の到達点にして終着点。
それが、私だった。
何れはギムレーに成り果てるのが、私の運命。
それが、私が産み落とされた“理由”。
ある意味では、それが私の『存在価値』とも言えるのかもしれない。
しかし、そこに私の自身の意志は無い。
物心付いてからずっとギムレー教団で囲われていれば、私にも別の価値観が芽生えていたのかもしれないが。
少なくとも、今ここに居る私自身は、ギムレーとなる運命を受け入れたいとは欠片も思っていない。
そうなったのは、母の影響があるからだろう。
私を産み落とした母は、……母自身もギムレー教団の一員であったにも関わらずに、まだ乳飲み子であった産まれて間もない私を連れて、教団を出奔した。
母が何を思ってそうしたのかは、既に母が死んだ今となっては最早分からないけれど。
教団を出奔した母は、女手一つで苦労しながら私を“普通”に育ててくれた。
……教団の影に怯え、時に各地を転々としなければならない生活を“普通”と言って良いのかは分からないが。
少なくとも、来るべき復活の時に備えて、“ギムレーの器”を調整しようとしていた訳ではないのは確かだった。
母は……とても優しい人だった。
自らの人生そのものに等しかった信仰を捨ててまでも、自らが産んだ赤子を選んでしまう程に。
そして、その結果、若くてして命を落とす事になった。
……私は母に生かされた。
だから、死ぬ訳にはいかない。
けれど……。
私が“ギムレーの器”であると言う事実からは、何をしても逃げる事は出来ないし、変えられないのだ。
何れ世界を滅ぼす存在。
そんなモノが“生きていても良い理由”なんて、何処にあるのだろうか…………。
私は、この世界に滅んで欲しいなんて思った事は無い。
確かに、世界には理不尽や暴力や絶望が溢れかえっている。
信教の違い、貧富の差、憎悪や怒り……。
世界には至る所に争いの種が有り、大なり小なり人と人は争い続け、時に戦争と言う形で多くの命を互いに貪り合う。
人々が抱く欺瞞や悪意は様々な形となって他者を脅かし続け、時に悲劇を産んでいる。
だけど。
手放しに美しいと、素晴らしい世界だとは言えない“世界”であっても。
何もかもを壊してしまいたいなんて、そんな事を思った事は一度だって無かった。
でも、もしも。
私が“ギムレー”として甦ってしまえば。
そして、伝承に語られる様に、ギムレーが絶望と滅びの邪竜なのだとすれば。
私は、何時かこの世界を壊してしまうのだろう。
沢山の命が、一生懸命に生きているこの世界を。
美しさだけではないけれど、それでも人々の意志が煌めくこの世界を。
そして。
クロム達に出逢えた、この大切な世界を。
私は、何時かこの手で壊してしまう……。
それだけは、どうしても耐え難い程に嫌だった。
何時か壊してしまう位なら、いっそその前に死んでしまう方が良いのだろう。
“ギムレーの器”なんて、ギムレー教団以外にとっては存在しない方が良い。
私が死んだ所で、誰にとって困るものでもない。
……いや、流石にそれは言い過ぎか。
クロムは……優し過ぎる彼は、きっと私が死ねば哀しむだろうから。
でもそれは、私が“ギムレーの器”だと知らないならば……と言う前提になるだろうけれど。
幾らクロムが優しくて仲間想いなのだとしても。
彼はイーリスの聖王家の人間で、私は邪竜の血族だ。
もし私の出自を知ってしまえば、クロムであっても私と言う存在を忌避するしかないだろう。
私とクロムが何処まで共に居られるのかは分からないが、この身に流れる血によって何時か共に居られなくなる日が来るのだろう。
何時かこの身が邪竜へと成り果てるのが運命であると言うのならば。
そうなってしまう前に、彼の持つ聖剣でこの身を貫いて欲しいと、そう切に願っている。
だけど、そうやって“死”を想う一方で、私は『死にたくない』とも思うのだ。
私の為に命を賭した母の“命の価値”に報いる為にも。
そして、大切なクロム達と少しでも多く共に時間を過ごす為にも。
何時か『終わり』が来てしまう事は分かっていながらも、それでも、その『終わり』がずっと先の事であれば良いと、そう淡い願いを抱いて。
何時か共に生きられなくなる日が来る事を理解しながらも、クロム達の傍を離れる事が出来ない。
だからこそ、クロムに私の真実を打ち明ける事も出来ないままだ。
だけれど、その状態は剰りにも苦しい。
何時かこの苦しさが、全てを呑み込んでしまいそうで……それが私には恐ろしい。
『生きていてはいけない理由』は沢山あって、『死んではいけない理由』は少しだけある。
だけれども、どうしても。
『生きていても良い理由』だけは、私には分からないのだ。
何時か世界を滅ぼしてしまうかもしれなくても。
何時か大切な人を殺してしまうかもしれなくても。
誰にも望まれてはならない存在に成り果てる運命なのだとしても。
それでも『生きていても良い理由』なんて、あるのだろうか?
私が抱く『死にたくない』と言う想いを、肯定しても良い理由なんて……。
“死”を想い『死にたくない』と思う度に。
決まって脳裏にはクロムの姿が過る。
そしてその度に、息が出来ない程に苦しくなるのだ。
何時かクロムを殺してしまう位なら、私は今すぐにでも死んでしまいたい。
だけど、それと同時に、それ以上に。
クロムの傍に居られなくなる事が苦しいのだ。
だから、『死ななくてはならない理由』を誤魔化す為に。
自分はこんなにもクロムの役に立てているのだから……と、クロムに必要とされているのだから……と、自分に言い訳をする為に。
私は、自分が出来る精一杯の事を、自分が出来る有りとあらゆる事で、クロムを支えようとした。
クロム。
クロム、クロム、クロム──
何時しか私の世界の中心にクロムが居て、眩しくて手なんて届きそうにない太陽の様な彼の傍に少しでも近付きたくて、精一杯に足掻いていた。
もしも、と時々私は考えてしまう。
もしクロムが『私が生きていても良い理由』をくれるのなら、と。
私の全てを受け入れた上で、それで尚、「生きろ」と望んでくれるのなら……。
私はきっと、初めてこの命を……“私”と言う存在を、肯定出来る気がするのだ。
そんな日は来ないであろう事を理解しながらも、そんな夢を見ずには居られない。
今少しの間だけでも良いのだ。
優しい夢を見させて欲しい。
◇◇
ルフレはそっと微笑みを浮かべ、中庭の木に凭れかる様にして目を閉じた。
ルフレの姿を探して中庭へとやって来たクロムのその手の中に、一つの指輪が輝いている事を、ルフレはまだ知らない。
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私は、『生きていても良い理由』が欲しかった。
邪竜の血の末裔、ギムレーの器。
私の生は、産まれ落ちたその瞬間から、呪われていると言っても過言ではなかったのだろう。
世界を滅ぼす邪悪。
絶望と破滅の竜。
そんなモノを信仰する理由なんて、私には理解出来ないけれど。
ギムレーを神として信奉するギムレー教団は、その復活の為に文字通り全てを捧げてきた。
何時か神竜ナーガによって施された封印が緩んだ時に、ギムレーの復活の為の肉体を用意せんとして。
千年の時を掛けて邪竜の血を濃く受け継いだ血族を更に醸成して、私を産み出した。
血族間で従兄妹や兄妹、時には親と子で、血と血を掛け合わせ続けてきたその一族は、とうに狂っていたのだろう。……狂っていたのはその一族に限らず、ギムレー教団と言う集団全体の事なのだろうけれど。
悍ましい近親間姦の果ての産物。
血族の到達点にして終着点。
それが、私だった。
何れはギムレーに成り果てるのが、私の運命。
それが、私が産み落とされた“理由”。
ある意味では、それが私の『存在価値』とも言えるのかもしれない。
しかし、そこに私の自身の意志は無い。
物心付いてからずっとギムレー教団で囲われていれば、私にも別の価値観が芽生えていたのかもしれないが。
少なくとも、今ここに居る私自身は、ギムレーとなる運命を受け入れたいとは欠片も思っていない。
そうなったのは、母の影響があるからだろう。
私を産み落とした母は、……母自身もギムレー教団の一員であったにも関わらずに、まだ乳飲み子であった産まれて間もない私を連れて、教団を出奔した。
母が何を思ってそうしたのかは、既に母が死んだ今となっては最早分からないけれど。
教団を出奔した母は、女手一つで苦労しながら私を“普通”に育ててくれた。
……教団の影に怯え、時に各地を転々としなければならない生活を“普通”と言って良いのかは分からないが。
少なくとも、来るべき復活の時に備えて、“ギムレーの器”を調整しようとしていた訳ではないのは確かだった。
母は……とても優しい人だった。
自らの人生そのものに等しかった信仰を捨ててまでも、自らが産んだ赤子を選んでしまう程に。
そして、その結果、若くてして命を落とす事になった。
……私は母に生かされた。
だから、死ぬ訳にはいかない。
けれど……。
私が“ギムレーの器”であると言う事実からは、何をしても逃げる事は出来ないし、変えられないのだ。
何れ世界を滅ぼす存在。
そんなモノが“生きていても良い理由”なんて、何処にあるのだろうか…………。
私は、この世界に滅んで欲しいなんて思った事は無い。
確かに、世界には理不尽や暴力や絶望が溢れかえっている。
信教の違い、貧富の差、憎悪や怒り……。
世界には至る所に争いの種が有り、大なり小なり人と人は争い続け、時に戦争と言う形で多くの命を互いに貪り合う。
人々が抱く欺瞞や悪意は様々な形となって他者を脅かし続け、時に悲劇を産んでいる。
だけど。
手放しに美しいと、素晴らしい世界だとは言えない“世界”であっても。
何もかもを壊してしまいたいなんて、そんな事を思った事は一度だって無かった。
でも、もしも。
私が“ギムレー”として甦ってしまえば。
そして、伝承に語られる様に、ギムレーが絶望と滅びの邪竜なのだとすれば。
私は、何時かこの世界を壊してしまうのだろう。
沢山の命が、一生懸命に生きているこの世界を。
美しさだけではないけれど、それでも人々の意志が煌めくこの世界を。
そして。
クロム達に出逢えた、この大切な世界を。
私は、何時かこの手で壊してしまう……。
それだけは、どうしても耐え難い程に嫌だった。
何時か壊してしまう位なら、いっそその前に死んでしまう方が良いのだろう。
“ギムレーの器”なんて、ギムレー教団以外にとっては存在しない方が良い。
私が死んだ所で、誰にとって困るものでもない。
……いや、流石にそれは言い過ぎか。
クロムは……優し過ぎる彼は、きっと私が死ねば哀しむだろうから。
でもそれは、私が“ギムレーの器”だと知らないならば……と言う前提になるだろうけれど。
幾らクロムが優しくて仲間想いなのだとしても。
彼はイーリスの聖王家の人間で、私は邪竜の血族だ。
もし私の出自を知ってしまえば、クロムであっても私と言う存在を忌避するしかないだろう。
私とクロムが何処まで共に居られるのかは分からないが、この身に流れる血によって何時か共に居られなくなる日が来るのだろう。
何時かこの身が邪竜へと成り果てるのが運命であると言うのならば。
そうなってしまう前に、彼の持つ聖剣でこの身を貫いて欲しいと、そう切に願っている。
だけど、そうやって“死”を想う一方で、私は『死にたくない』とも思うのだ。
私の為に命を賭した母の“命の価値”に報いる為にも。
そして、大切なクロム達と少しでも多く共に時間を過ごす為にも。
何時か『終わり』が来てしまう事は分かっていながらも、それでも、その『終わり』がずっと先の事であれば良いと、そう淡い願いを抱いて。
何時か共に生きられなくなる日が来る事を理解しながらも、クロム達の傍を離れる事が出来ない。
だからこそ、クロムに私の真実を打ち明ける事も出来ないままだ。
だけれど、その状態は剰りにも苦しい。
何時かこの苦しさが、全てを呑み込んでしまいそうで……それが私には恐ろしい。
『生きていてはいけない理由』は沢山あって、『死んではいけない理由』は少しだけある。
だけれども、どうしても。
『生きていても良い理由』だけは、私には分からないのだ。
何時か世界を滅ぼしてしまうかもしれなくても。
何時か大切な人を殺してしまうかもしれなくても。
誰にも望まれてはならない存在に成り果てる運命なのだとしても。
それでも『生きていても良い理由』なんて、あるのだろうか?
私が抱く『死にたくない』と言う想いを、肯定しても良い理由なんて……。
“死”を想い『死にたくない』と思う度に。
決まって脳裏にはクロムの姿が過る。
そしてその度に、息が出来ない程に苦しくなるのだ。
何時かクロムを殺してしまう位なら、私は今すぐにでも死んでしまいたい。
だけど、それと同時に、それ以上に。
クロムの傍に居られなくなる事が苦しいのだ。
だから、『死ななくてはならない理由』を誤魔化す為に。
自分はこんなにもクロムの役に立てているのだから……と、クロムに必要とされているのだから……と、自分に言い訳をする為に。
私は、自分が出来る精一杯の事を、自分が出来る有りとあらゆる事で、クロムを支えようとした。
クロム。
クロム、クロム、クロム──
何時しか私の世界の中心にクロムが居て、眩しくて手なんて届きそうにない太陽の様な彼の傍に少しでも近付きたくて、精一杯に足掻いていた。
もしも、と時々私は考えてしまう。
もしクロムが『私が生きていても良い理由』をくれるのなら、と。
私の全てを受け入れた上で、それで尚、「生きろ」と望んでくれるのなら……。
私はきっと、初めてこの命を……“私”と言う存在を、肯定出来る気がするのだ。
そんな日は来ないであろう事を理解しながらも、そんな夢を見ずには居られない。
今少しの間だけでも良いのだ。
優しい夢を見させて欲しい。
◇◇
ルフレはそっと微笑みを浮かべ、中庭の木に凭れかる様にして目を閉じた。
ルフレの姿を探して中庭へとやって来たクロムのその手の中に、一つの指輪が輝いている事を、ルフレはまだ知らない。
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