冒涜の聖餐
◆◆◆◆◆
『それ』を自覚した瞬間から、ルフレの「絶望」は始まった。
『それ』が叶う可能性などこの世には欠片も有りはしない事を、当人からハッキリと突き付けられてしまったからだ。
何もそれはルフレが「諦める」事で更なる苦しみから逃避しようなどと……そんな後ろ向きで臆病な考えで、『それ』を諦めたと言う訳ではない。ただただ何処までも残酷に。
ルフレでは彼と「その様な」関係性にはなれない事を、鮮やかなまでに示されてしまったからであった。
彼女を見詰めるクロムのその眼差しは、甘やかな雰囲気すら纏っている様に優しく、心から彼女を『愛して』いる事を、誰もに知らしめる程のものであった。
愛して、そして愛されて。それはとても「幸せ」な……この世の誰もに祝福されるべき「男女」の姿であった。
跡継ぎを作る必要があり、時に心の伴わない婚姻も為さねばならない「王族」と言う立場を鑑みれば。そうやって互いを愛し慈しみ尊重し合える相手を見付ける事が出来たのは、そして互いに思い結ばれる事が出来たのは。紛れも無く「幸せ」な事で……。相手を想えばこそ、祝福するべき事だった。
その瞬間に胸を引き裂かれる程の絶望を知ったとしても。
どうして、その瞬間に自覚してしまったのだろうか。
きっと最初から叶う筈の無い願いであるのならば、この命が果てるその時まで気付きたくなど無かった。
何も知らないまま、何も気付かないまま。ただ『半身』として、誰よりも互いを信頼する友として在れれば良かったのに。
そうでなくとも、若い頃のほろ苦い望みとして『それ』を呑み込める程に、もっともっと未来の……互いに歳を重ねてから、ふと思い出話に花を咲かせる様に気付ければ良かった。
なのにどうして、その瞬間だったのだろう。
叶う可能性など無い事を、いやそんな願いを抱いている事すら知られる訳にはいかない事を……それを嫌と言う程理解し呑み込んで……それでも殺しきる事も出来なくて絶望するしかない様な、あんな瞬間に。どうして。
苦しくて苦しくて、だからこそ、「もしも」だなんて馬鹿馬鹿しい考えも思い至ってしまう。
もしも、もっと早くにこの願いに……この気持ちに気付けていたのならば。彼はこの思いを受け入れてくれたのではないかと、彼があの優しい眼差しを向けるのは他ならぬ自分だったのではないかと。……そんな事を考えてしまう。
……そんな事、考えたところでもう何の意味も無い。
事実として、彼が選んだのはルフレではなく彼女なのだ。
そもそも、もっと早くにこの思いを自覚していたとして、それで彼がルフレに向ける感情や親愛の質が変わったのかと言うとそうはならないだろう。
彼にとってルフレは親友よりも更に深く強い繋がりを持つ『半身』……、掛け替えの無い友人でしかない。
その関係性は何にも代え難く尊いモノではあるけれど。
しかしルフレが求めているのはそうではなかったのだ。
彼が「半身」だと「親友」だと、そうルフレへとその強い信頼の眼差しを向ける度に、その温かな信頼がルフレの心を苛み傷付ける。彼が与えてくれたその「居場所」が、何にも掛け替えのないものであるからこそ、「それとは違うもの」を……決して手に入る事の無い『それ』を望み欲する事の罪深さが、ルフレを苛み続けるのだ。
その望みを殺してしまえるのなら、手放せたら、心の奥底の感情の墓場に捨ててしまえるのならば、こんなに苦しむ事なんて無いのだろうけれども。
しかし残酷な事に、『それ』を欲している事を誰にも悟られぬ様に偽りで覆い隠し、クロムの「善き友」としてその傍に居続ける事ならば出来るのに。
どうしてだか、彼に抱いてしまったその「想い」を殺せない、捨てられない。間違っていると、叶わないと、無価値だと、そう理解しているのに……。
決して取り除けぬ程、心の底の奥深くからクロムを『愛して』しまったこの心を。彼に、自分を『愛して欲しい』と願ってしまうその身勝手な欲求を。……ルフレはどうしても殺せなかったのだ。
……幾度と無く抑え込もうとしても、逆にそうしようとすればする程、クロムを求める心は際限無く醜い程に肥大し続けてしまう。
ならばいっその事全てを捨てて、その醜く浅ましい『愛欲』に溺れてしまえば良かったのかもしれない。
『それ』以外では決して埋められない渇望を満たす為に、何もかもを……今自分が手にしている『幸せ』も、彼の幸せも笑顔も……その何もかもを滅茶苦茶に壊して。クロムが自分だけを見て、そして他ならぬルフレだけを『愛する』様に。
そうやって形振り構わずに、その情念に魂まで燃やされ尽くして地獄に堕ちて行く様に……それすらも歓びとして、それだけに全てを賭ける事が出来るなら……。
そうやって生きられるなら、それはそれで一つの救いであるのだろう。だが、ルフレはそうはなれなかった。
そう言った純粋なまでに狂気的な愚かさに、全てを賭ける勇気も度胸も……ルフレには無かったのだ。
ルフレにとってクロムこそが誰よりも大切なたった一人、己の存在価値の全てであるのだとしても。
それ以外の全て……共に戦った仲間達もまた、ルフレにとって大切な存在であったのだ。……そう、クロムの横で幸せに満ち溢れた微笑みを浮かべている彼女だって。……クロムに『選ばれた』その人だって。ルフレにとっては、大切な仲間であったのだ。彼女を裏切り傷付け苦しめる様な事を、心から躊躇するに十分な程には……親しみを抱いていた。
それに、ルフレがそんな愚かな道を選んで傷付けるのは何も彼女だけではない。
ルフレやクロムを取り巻く仲間達の多くを傷付けるだろうし。そして、何よりも。
ルフレにとって何よりも大切なクロムを、最も傷付けてしまうだろう……。そして、そうやって誰も彼もを傷付けたその先にルフレが望むものがあるとも思えない。
だからこそ、ルフレは何も言わない、動かない。
叶う事の無いその願いを心の奥深くに沈めて。
殺せない感情に必死に蓋をしながら、自分の心そのものを欺く様に偽りの仮面を被って。そうやって、何も変わらない自分を演じていた。……終わりの見えない苦しみを抱えて。
そして、そうやって。ルフレはクロムの傍に居続けた。
ルフレの心など何も知らずルフレに笑いかけるクロムに、必死に笑顔を返しながら。そして……──
◇◇◇◇◇
『それ』を自覚した瞬間から、ルフレの「絶望」は始まった。
『それ』が叶う可能性などこの世には欠片も有りはしない事を、当人からハッキリと突き付けられてしまったからだ。
何もそれはルフレが「諦める」事で更なる苦しみから逃避しようなどと……そんな後ろ向きで臆病な考えで、『それ』を諦めたと言う訳ではない。ただただ何処までも残酷に。
ルフレでは彼と「その様な」関係性にはなれない事を、鮮やかなまでに示されてしまったからであった。
彼女を見詰めるクロムのその眼差しは、甘やかな雰囲気すら纏っている様に優しく、心から彼女を『愛して』いる事を、誰もに知らしめる程のものであった。
愛して、そして愛されて。それはとても「幸せ」な……この世の誰もに祝福されるべき「男女」の姿であった。
跡継ぎを作る必要があり、時に心の伴わない婚姻も為さねばならない「王族」と言う立場を鑑みれば。そうやって互いを愛し慈しみ尊重し合える相手を見付ける事が出来たのは、そして互いに思い結ばれる事が出来たのは。紛れも無く「幸せ」な事で……。相手を想えばこそ、祝福するべき事だった。
その瞬間に胸を引き裂かれる程の絶望を知ったとしても。
どうして、その瞬間に自覚してしまったのだろうか。
きっと最初から叶う筈の無い願いであるのならば、この命が果てるその時まで気付きたくなど無かった。
何も知らないまま、何も気付かないまま。ただ『半身』として、誰よりも互いを信頼する友として在れれば良かったのに。
そうでなくとも、若い頃のほろ苦い望みとして『それ』を呑み込める程に、もっともっと未来の……互いに歳を重ねてから、ふと思い出話に花を咲かせる様に気付ければ良かった。
なのにどうして、その瞬間だったのだろう。
叶う可能性など無い事を、いやそんな願いを抱いている事すら知られる訳にはいかない事を……それを嫌と言う程理解し呑み込んで……それでも殺しきる事も出来なくて絶望するしかない様な、あんな瞬間に。どうして。
苦しくて苦しくて、だからこそ、「もしも」だなんて馬鹿馬鹿しい考えも思い至ってしまう。
もしも、もっと早くにこの願いに……この気持ちに気付けていたのならば。彼はこの思いを受け入れてくれたのではないかと、彼があの優しい眼差しを向けるのは他ならぬ自分だったのではないかと。……そんな事を考えてしまう。
……そんな事、考えたところでもう何の意味も無い。
事実として、彼が選んだのはルフレではなく彼女なのだ。
そもそも、もっと早くにこの思いを自覚していたとして、それで彼がルフレに向ける感情や親愛の質が変わったのかと言うとそうはならないだろう。
彼にとってルフレは親友よりも更に深く強い繋がりを持つ『半身』……、掛け替えの無い友人でしかない。
その関係性は何にも代え難く尊いモノではあるけれど。
しかしルフレが求めているのはそうではなかったのだ。
彼が「半身」だと「親友」だと、そうルフレへとその強い信頼の眼差しを向ける度に、その温かな信頼がルフレの心を苛み傷付ける。彼が与えてくれたその「居場所」が、何にも掛け替えのないものであるからこそ、「それとは違うもの」を……決して手に入る事の無い『それ』を望み欲する事の罪深さが、ルフレを苛み続けるのだ。
その望みを殺してしまえるのなら、手放せたら、心の奥底の感情の墓場に捨ててしまえるのならば、こんなに苦しむ事なんて無いのだろうけれども。
しかし残酷な事に、『それ』を欲している事を誰にも悟られぬ様に偽りで覆い隠し、クロムの「善き友」としてその傍に居続ける事ならば出来るのに。
どうしてだか、彼に抱いてしまったその「想い」を殺せない、捨てられない。間違っていると、叶わないと、無価値だと、そう理解しているのに……。
決して取り除けぬ程、心の底の奥深くからクロムを『愛して』しまったこの心を。彼に、自分を『愛して欲しい』と願ってしまうその身勝手な欲求を。……ルフレはどうしても殺せなかったのだ。
……幾度と無く抑え込もうとしても、逆にそうしようとすればする程、クロムを求める心は際限無く醜い程に肥大し続けてしまう。
ならばいっその事全てを捨てて、その醜く浅ましい『愛欲』に溺れてしまえば良かったのかもしれない。
『それ』以外では決して埋められない渇望を満たす為に、何もかもを……今自分が手にしている『幸せ』も、彼の幸せも笑顔も……その何もかもを滅茶苦茶に壊して。クロムが自分だけを見て、そして他ならぬルフレだけを『愛する』様に。
そうやって形振り構わずに、その情念に魂まで燃やされ尽くして地獄に堕ちて行く様に……それすらも歓びとして、それだけに全てを賭ける事が出来るなら……。
そうやって生きられるなら、それはそれで一つの救いであるのだろう。だが、ルフレはそうはなれなかった。
そう言った純粋なまでに狂気的な愚かさに、全てを賭ける勇気も度胸も……ルフレには無かったのだ。
ルフレにとってクロムこそが誰よりも大切なたった一人、己の存在価値の全てであるのだとしても。
それ以外の全て……共に戦った仲間達もまた、ルフレにとって大切な存在であったのだ。……そう、クロムの横で幸せに満ち溢れた微笑みを浮かべている彼女だって。……クロムに『選ばれた』その人だって。ルフレにとっては、大切な仲間であったのだ。彼女を裏切り傷付け苦しめる様な事を、心から躊躇するに十分な程には……親しみを抱いていた。
それに、ルフレがそんな愚かな道を選んで傷付けるのは何も彼女だけではない。
ルフレやクロムを取り巻く仲間達の多くを傷付けるだろうし。そして、何よりも。
ルフレにとって何よりも大切なクロムを、最も傷付けてしまうだろう……。そして、そうやって誰も彼もを傷付けたその先にルフレが望むものがあるとも思えない。
だからこそ、ルフレは何も言わない、動かない。
叶う事の無いその願いを心の奥深くに沈めて。
殺せない感情に必死に蓋をしながら、自分の心そのものを欺く様に偽りの仮面を被って。そうやって、何も変わらない自分を演じていた。……終わりの見えない苦しみを抱えて。
そして、そうやって。ルフレはクロムの傍に居続けた。
ルフレの心など何も知らずルフレに笑いかけるクロムに、必死に笑顔を返しながら。そして……──
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