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春を告げる

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 先に帰ると言いながら、ルキナはフェリア城には向かわずに一人街を彷徨い歩き、気付けば郊外の小さな森の中へと迷い込んでいた。
 帰り道は分かるから問題は無いのだが、今は少し一人になって気持ちを落ち着けたかった。
 森を宛もなく彷徨い歩いている内に、小さな泉を見付けた。
 その畔に座り込んで、ルキナは静かな水面を見詰める。


「……やはり、傷付けてしまったのでしょうか……」


 誰に向けた訳でもなく、ルキナは呟いた。

 ルフレの気持ちは、嬉しかった。
 それは本当だ。
 そして、彼女が向けてくれる愛情を疑っている訳でもない。
 だけれども。

 ルキナは、本来在るべき時を捩曲げてまで、未来を変える為に過去にやって来た存在だ。
 既にこの時間に在るべき姿の“自分”は存在している。
 故にこそ、『自分は本来ここに居るべきではない』と言う想いはルキナの心から拭い去られる事は無い。
 どうしたって、ルキナはこの時間にとっては異物だ。
 本来在り得るべからざる存在がどんな影響を及ぼすかは未知数であり、だからこそ、干渉するのは最小限にしようと思っていたのだ……。
 それでも、どうしての両親の温もりを求めてしまう気持ちには蓋が出来なくて、居るべきでは無い関わるべきではないと自分を律しようとする気持ちと板挟みになって、時々どうしたら良いのかが分からなくなる。

 ギムレーと戦っている間は、まだ良かった。
 そんな考えに思考を取られている暇など無かったのだし、一つの目的に邁進する事で他の迷いを振り払えていた。
 だが、ギムレーが未来永劫完全に消滅し、もう二度とあの様な未来が訪れる事は無い事が確定した時に、ルキナ達がやって来た“未来”と完全に異なる未来が確定した後に。
 再びルキナはその迷いに囚われてしまった。
 いや、ルフレが消滅していた時は、そんな事を考えている余裕はそんなには無かった。
 寧ろ、ルキナが未来を変えようとした事で、結果的に未来を変える為にルフレがその身を擲ってしまった事を……。
 この時間の物心すら付いていない“ルキナ”から母親を奪ってしまった事、そしてこの時間に於ける“マーク”の存在が無かった事になってしまったかもしれない事に負い目を感じていた。
 だから、ここに居るべきかどうかと迷う事はあまり無かったのだけれども。
 ルフレが、再びこの世界に還ってきた時に、ルキナは再びその迷いと向き合わなければならなくなったのだ。


「どうしたら、良いのでしょうね……」


 理屈で言うのであれば、この時間の“両親”が愛するべきなのはこの時間の我が子である。
 ルキナにかまける事で、本来のこの時間の“ルキナ”がなおざりにされるなどあってはならない。
 が、クロムもルフレも、本来の我が子では無いルキナの事も目一杯に大切にしようとしてくれていて……。
 そして、離れて行こうとしてしまうルキナを、引き止めようとしてくれる。

 その愛情を素直に受け取って、二人と一緒に過ごしたいと思う気持ちは確かにある。
 マークの様に、素直に甘えられたら……とも思う。
 だが……、どうしても最後の一歩を踏み出せない。
 そんなどっち付かずの態度が、余計に二人を悩ませてしまっているのにも気が付いていた。

 二人の傍に居たいのなら、ハッキリとそんな態度を取るべきだし。
 反対にやはり関わるべきではないと思うのなら、それこそ置き去りにした“未来”に帰る方法を探すなり、異界を繋ぐ門を潜ってこの時間から立ち去るべきなのだろう。
 しかし、ルキナはどちらも選びきれなかった。


 本来の両親である“ルフレ”と“クロム”は、ルキナにとってはある日突然居なくなってしまったにも等しい人達であった。
 二人が還らぬ人となった戦いの後でルキナの元に戻ってきたのは、満身創痍のフレデリクが何とか死守して持ち帰ってくれたファルシオンだけで。
 二人の遺体は回収出来ず、“ルフレ”に至っては遺品すらも持ち帰る事が出来なかった。
 “ルフレ”がギムレーへと成り果てさせられてしまった事を考えると、それも仕方が無い事であったのかもしれないが。
 遺品も何も無かった為、ルキナには“ルフレ”が死んだ事を何処か実感出来なかった。
 実際には、その時の“ルフレ”は死んではおらず……寧ろ死よりも惨い状態に置かれていたのであるけれども。

 何にせよ、ぽっかりとそこに見えない穴が空いてしまった様な、そんな空虚な気持ちを抱えるしか無かったのだ。
 若しかしたら生きているのではないだろうか、なんて淡い期待を抱きつつ。
 だけれども、“クロム”の死の真相が、“クロム”が誰よりも信頼していた人に裏切り殺されたからだと……そんな噂を耳にして。
 そして、“クロム”が誰よりも信頼していた人は間違いなく“ルフレ”だろうと、ならば“父”を殺したのは“母”なのだろうか、とそんな疑念を懐いてしまって。
 どうしたら良いのか分からないまま、“ルフレ”に対する何処か空虚な気持ちを抱えてルキナは過去へとやって来た。
 そこでこの時間の二人と出逢い、そして自分を追ってこの時間にやって来た“ルフレ”と対峙して。
 そして、ルフレが“ルフレ”と共に消えるその瞬間を目の当たりにしていたと言うのに。

 それでも、何処か“母”との別れを実感出来ないままであったのだ。
 それもまたルキナの心を縛り、迷い悩み一歩も進めぬこの状況を作り出すのに一役買っているのであろう。

 幾度目かも分からぬ溜め息を吐いていると。


「ルキナさーん!」


 大声で名前を呼ばれ、そして誰かが急いで駆けてくる足音も聞こえる。
 振り返ったそこに居たのは、やはりマークであった。
 余程急いできたのだろう。
 泉の畔にまでやって来たマークは、肩で息をする。


「良かったー、こんな所に居たんですね!
 ルキナさんの足が速すぎて見失ってしまった時は、どうしようかと思いました。
 ふぅ、見付けられて良かったです。
 そろそろ夕暮れ時になりますし、暗くなる前に帰りませんか?」


 にこにことそうマークは屈託もなく笑う。
 ルキナは、それにどう返すべきか迷って、黙ってしまった。

 ルキナの大切な弟……本当の意味でのたった一人ルキナに残された家族は、時を越えた影響からなのか、その記憶の殆どを喪っていた。
 元々明るく快活な性格ではあったのだけれど、あの絶望しかない未来の記憶を喪った弟は、果たして同一人物なのかルキナですらも確信出来ない程に明るく天真爛漫になっていて。
 だからこそ、ルキナは当初はその距離感を測りかねていた。
 それは、この時間で再会して数年経った今でも、何処か戸惑いはある。
 それでも大切な弟である事には変わらないのだが。


「そう、ですね……」

「さっきの事を悩んでいるんですか?
 でも多分、母さんも父さんもそこまで気にしてないと思いますよ。
 心配はしているかもしれませんけどね。
 だからほら、早く帰って二人を安心させてあげないと……」


 確かにマークの言った通り、もう陽は大分傾いているし、もうそろそろ夕暮れになるだろう。
 この時期の夕暮れは早く短い。
 そして夜になれば、フェリアの寒さが容赦なく襲ってくる。
 こんな所で時間を潰していないで、もう帰った方が良いのは確かである。

 それでも、ルキナはそんな気持ちにはなれなかった。
 このままここに独りで居たいとすら……。

 そんなルキナの気持ちを汲んだのだろうか。
 マークはルキナの横にそっと座った。
 そしてそのまま何を言う事もなく、ルキナに寄り添う。


 ゆっくりと陽は山間に姿を隠そうとし初め、世界は燃える様な橙色に染まって行く。


 流石に日が暮れたら帰らないといけないな……と、夕焼け空を見ながらぼんやりとルキナが思っていると。


「ルキナっ!! マークっ!!」


 今のルキナにとって、一番顔を合わせるのが気まずいその人の。
 “ルフレ”の声が、ルキナ達を呼んだ。


「母さん? それに父さんも、どうしたの?」


 振り返ったマークが少し驚いた様な声を上げる。
 気まずくても無視する訳になんていかなくてルキナも振り返ると、其処には確かにルフレとクロムが居た。
 しかし、何時もならぴったりと寄り添っているのに、クロムは“ルフレ”から少し離れて“ルフレ”の様子を見守っている。
 “ルフレ”は、何故か戸惑い躊躇う様な足取りでルキナ達に向かってくるが。
 あと十歩程度の距離で、その足を止めてしまう。


「……っ」


 呼び掛けようとして、しかし何かに躊躇った“ルフレ”は、途中で言葉を呑み込んでしまう。
 らしからぬその姿にルキナが首を傾げていると。

 何かに気が付いたのか、ハッとした様な顔でマークが“ルフレ”に問い掛ける。


「……“母さん”?
 ねぇ、もしかして、“母さん”なの?」

「……ええそうよ、マーク……」


 “ルフレ”が頷いた瞬間。
 マークは弾かれた様に立ち上がり、地を蹴って一気にその距離を詰めて“ルフレ”の胸に飛び込んだ。


「“母さん”! “母さん”……!!
 会いたかった、ずっと……ずっと……会いたかった……!」

「ごめん、ごめんね、マーク……。
 あたしの所為で、未来があんな風になってしまって……。
 ルキナもマークも、まだまだ幼かったのに……あたしは……。
 あなた達には、本当に辛い想いを……」

「良いんです。
 そんなの、もうどうだって良いんです……!
 もう一度“母さん”に会えただけで、僕は……!!」


 マークは脇目も振らずに泣きじゃくり、“ルフレ”へと縋り付く。
 その様子にルキナは一瞬唖然としてしまうが、ふと、目の前の“ルフレ”がルフレでは無い事に気が付いた。
 まさか、と……。
 そんな事は有り得ないと思いながら、ルキナはその場に立ち竦む。
 そんなルキナに目をやって、躊躇いがちに“ルフレ”はルキナの名を呼んだ。
 だが、ルキナは、戸惑いと混乱からその場を動けない。
 その様子を見た“ルフレ”は、少し哀しそうに微笑んだ。


「ごめんなさい、ルキナ……。
 ……あたしを赦せないのは、当然よね。
 あなたには、本当に酷い事をしてしまったんだもの……。
 それでも、あなたとマークに、どうしても伝えたい事があるのよ」


 縋りついたまま泣きじゃくるマークの頭を優しく撫でながら、“ルフレ”はそう言う。
 その微笑みに、その撫でる手の動きに。
 ルキナは、大好きだった……だがもう二度と会えない『その人』の姿を其処に見る。
 “お母様”、と思わずルキナの口からその言葉が溢れた。
 それに“ルフレ”は少し驚いた様な顔をして、そしてルキナの心をギュッと締め付ける様な優しい顔をする。


「まだあたしの事を“お母様”なんて呼んでくれるのね……。
 あたしは母親としては最低な人間だったと思うけど、それでも……嬉しいわ……。
 ね、ルキナ。
 あなたのお母さんとして、どうしても伝えたかった事があるの。
 聞いてくれるかしら?」


 何も言えないままルキナが黙っていると、“ルフレ”はそれを了承と受け取ったのだろうか、静かに話始めた。


「ルキナ、マーク……。
 どうか、幸せになりなさい。
 あたしは……あなた達に苦難ばかりを課してしまった最低な親だったけど……。
 それでも、あなた達はあたしの……あたしとクロムの、一番の宝物なのよ。
 それは、あなた達が何処にいてもどんな事をしていても、例え時間を飛び越えていても、絶対に変わらないわ。
 あたしは、そして“クロム”も……あなた達の“幸せ”を願っている。
 だからね、あなた達は自分の好きな様に生きなさい。
 あなた達を縛るモノなんて、もう何処にもない。
 あなた達は何処にだって行けるし、何処でだって生きていく自由がある。
 この時間に留まるも、あの時間に帰るも……あなた達の自由よ。
 何処に行くも、何をするも、何を選ぶも。
 全て、自分自身の心に従って生きなさい」


 泣きじゃくりながら頷くマークを愛しそうに見てから、“ルフレ”はルキナを真っ直ぐに見詰める。


「ルキナ、あなたは“自分は此所に居るべきではない”と思っているのかもしれない。
 この時間には既に別の自分が産まれているんだし、そう思う気持ちが分からない訳では無いわ。
 でもね、母親として一つだけ言わせて。
『そんな事は、絶対に無い』。
 そこに居たいと、少しでもあなたがそう思うのならば、そこはあなたにとっては確かに居るべき場所なのよ。
 自分が何処に居るべきなのかは、他人に言われて決めるモノでも、理屈で決めるモノでも無く、自分自身が決めるモノなのだから」


 その言葉に、その微笑みに。
 ルキナは堪えきれなくなり駆け出す。
 そしてマークと同じように、“ルフレ”にしがみついた。


「“お母様”……!
 私、私は……!」

「ルキナは頑張り屋さんで、自分の事よりも皆の気持ちを何時も考えているものね……。
 だから、この時間の“ルキナ”の気持ちや、“クロム”や“あたし”の事を考えている内に、どんどんと分からなくなってきちゃったのよ。
 でもね、あなただってもっと自分の気持ちに従って生きても良いのよ。
 この時間の“あたし”も、クロムも。
 二人ともルキナの事を大切に思っているんだから。
 だから、ね?」


 ボロボロと涙を溢しながら、ルキナは頷く。
 よしよしと、そうルキナの背を撫でるその手は、遠い記憶の中の“その人”のものと全く同じであった。


「……もう、こうしていられる時間も終わりね……。
 ルキナ、マーク……。
 愛しているわ、ずっと……永遠に。
 何時でも何処でも、あたしはあなた達を見守っているから……」


 優しくそう言って笑いかけ、“ルフレ”はルキナとマークの髪を掻き混ぜる様にして頭を撫でる。
 そして、“ルフレ”は二人の頬に優しく口付けを落とした直後に。
 急に脱力した様に目を閉じてその身体をフラつかせた。

 慌ててその身体を支えると、目を開けたルフレは少し混乱しながら辺りを見回す。


「あれっ?
 えーっと、ここは……?
 えっ?
 何でルキナもマークもそんな泣き腫らした顔をしてる訳……?
 どう言う状況……??」

「大丈夫か?」


 困惑するルフレに、少し離れた場所で“ルフレ”とルキナ達を見守っていたクロムが近寄って声を掛けた。
 混乱しつつも泣きじゃくったままのルキナとマークを抱き締めたままだったルフレは、クロムの姿に安堵した様に息を吐く。


「あっ、クロム……。
 あなたからペンダントを貰った辺りから、どうにも記憶がハッキリしてなくて……。
 えっと、何だかよく分からないんだけど……」


 そんな二人のやり取りに、もう“お母様”は居ないのだと、そう悟り。
 ルキナは益々涙を溢してルフレにしがみつく。



(“お母様”……私は、此処に居ても良いのですか……?)



 自らの心に問い掛けたそれに答える人は勿論居ないが。
 それでも、「勿論よ」と“ルフレ”が笑って頷いてくれた様な気がして。
 そして愛しい“母”との別れを、今度こそ実感して。
 ルキナは天を仰いで慟哭するのであった。





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