天泣過ぎれば
◇◇◇◇◇◇
ペレジアとの戦争は終わったが、それで即座に国に平穏が戻ると言う事はない。
王都にまで侵攻されたイーリスに残された傷痕は深く、戦争時の混乱を狙って跋扈した賊達や屍兵の群れは未だ民の生活を脅かしている。
そんな由々しき事態を前にして、戦後復興を行う為にも、クロムは自ら兵を率いて賊や屍兵の大規模な掃討作戦を実行した。
掃討作戦は既に相当な成果を修め、国内に残存する賊達も最早掃討を開始した当初の二割程度も残っていないだろう。
山一つを根城にした大規模な盗賊団のこの掃討作戦が終われば、国内の治安回復にも一先ずの目処が立つ予定であった。
これが終われば王都に帰還出来ると言う事もあって兵達の士気は高く、次々に賊は捕縛され倒れていく。
クロムと共に作戦に加わっているルフレは、兵達を指揮しつつ自らも剣と魔法を以て戦っている。
戦場を盤上の如く把握出来る千里眼の如き『眼』で戦況を分析しながら戦っていたルフレは、賊の討伐の完了が近い事を察し、そろそろ撤収の為の指示を出すべきかと足を止めた。
勿論、付近には賊が居ない事を確認してから立ち止まったのだが。
「ルフレっ!」
焦った様な叫び声が耳に届くと共に、ルフレは突然背後から押し飛ばされて地面を転がる。
何とか地面にぶつかる前に咄嗟に受け身を取る事は出来たのだが、突然の出来事に驚きながら振り返ったルフレは絶句した。
ルフレが振り返ったそこには、クロムが倒れていて。
何かに苦悶しているかの様な唸り声を上げて、地面をもがき苦しむがままに掻いていたのだ。
血の匂いはしていないから何らかの傷を負った訳ではないのだろうが、尋常ではないクロムのその様子に、ルフレもまた平静を喪う。
「クロム──」
そう震える声で呼び掛けても、返ってくるのは荒い吐息だけ。
何が起きたのか把握出来ず半ば呆然としながらも、こうしてクロムが何らかの外的要因によって倒れた以上は周囲に敵が居る筈だと、混乱する頭の片隅でそう思考したルフレは反射的に周囲を探り、そして少し離れた場所で賊の一味であろう呪術師が身を翻して逃げようとしているのを発見した。
呪術師──呪い。
クロムは、この呪術師から何らかの『呪い』を受けたのだ。
半ば直感的にそう理解した瞬間、ルフレは自らを突き動かす衝動のままに立ち上がり、手元の魔導書にありったけの魔力を込めて、一条の雷光として解き放つ。
耳が潰れそうな轟音と共に呪術師の身を貫いた雷撃は、呪術師の命を断末魔の悲鳴を上げさせる暇すら与えずに一瞬で刈り取った。
『呪い』の多くは、術師の死を以て解けるのだとルフレはサーリャから聞いた事があった。
クロムの身を蝕む『呪い』がそうであれば良いのだが……。
そう思いながらルフレはクロムへと振り返ったのだが、そこにクロムの姿は無かった。
「えっ──!?」
クロムが身に付けていた衣服だけが地に落ちていて、クロムは何処にも居ない。
しかしよく見ると、マントが妙に膨らみモゾモゾと動いている。
「クロム……?」
そう声を掛けて恐る恐る地に落ちた服に近付き、その下を覗き込んだそこには。
……一匹の狼が服の中に埋もれる様にしてもがいていた。
その毛並みの色が、ルフレを見て驚いた様に見開かれた目の色が。
強烈にクロムの姿を想起させる。
そんな事は有り得ないと、そんな訳ないと、そう心の中で叫びつつ、ルフレは恐る恐るその狼に訊ねた。
「……あなた、もしかして、クロムなの……?」
返ってきたのは、「ガウッ!」と言う紛れもない狼の鳴き声で。
だが、そう鳴いた瞬間に狼が呆然とした様な顔をし、次の瞬間何かを訴える様に吠えたててきた。
しかし、何れ程吠えてもルフレには狼の吠え声にしか聞こえないし、それは狼も理解したのだろう。
狼は吠える事を止め、呆然を通り越して何かに絶望した様な顔になった。
ルフレには未だに信じ難いが、この狼は恐らくクロムなのだろう。
『呪い』で狼の姿にされるなどと言う事が有り得るのかはルフレには分からないし、出来れば夢であって欲しいのだが、この狼には確かに獣とは違う知性を感じるし、この狼からクロムの気配を感じるのだ。
混乱しながらも取り敢えず、ルフレは狼となったクロムを服から解放してやるべく脱がせ始める。
身体の形が変わってしまった所為で妙な引っ掛かり方をしていた為に脱がせるのも一筋縄ではいかなかったが、ルフレは何とか服を全て脱がせる事に成功した。
しかし、脱がせた服を手にこれからどうするべきかと途方に暮れてしまう。
先ず第一に、呪術の専門家であるサーリャに協力を仰ぐべきなのは確かだろう。
もしかしたらサーリャならあっさり解呪してくれるかもしれないし、そうでなくとも何らかの対処法を知っている可能性は高い。
しかし、直ぐにクロムを元の姿に戻せるならば良いのだが、問題はクロムに掛けられた『呪い』を解くのに時間が掛かる場合や、『呪い』を解く方法が見付からない場合だ。
それらの場合、この事をルフレとサーリャの間だけで留めておく事は不可能だろう。
少なくともフレデリクとリズ辺りにはこの事を話しておく必要がある。
場合によっては、自警団の主だった仲間達の幾人かには事情を説明しておいた方が良いのかもしれない。
だが少なくとも、一般の兵にはこの事は隠し通しておくべきであろう。
彼等が主君と仰ぐべき聖王代理が呪われて獣になってしまったなどと知られれば、どんな事態になるか想像するだに恐ろしい。
前途多難な事態に頭を悩ませ、ルフレは重く重く溜め息を吐いた。
◇◇◇◇◇◇
ペレジアとの戦争は終わったが、それで即座に国に平穏が戻ると言う事はない。
王都にまで侵攻されたイーリスに残された傷痕は深く、戦争時の混乱を狙って跋扈した賊達や屍兵の群れは未だ民の生活を脅かしている。
そんな由々しき事態を前にして、戦後復興を行う為にも、クロムは自ら兵を率いて賊や屍兵の大規模な掃討作戦を実行した。
掃討作戦は既に相当な成果を修め、国内に残存する賊達も最早掃討を開始した当初の二割程度も残っていないだろう。
山一つを根城にした大規模な盗賊団のこの掃討作戦が終われば、国内の治安回復にも一先ずの目処が立つ予定であった。
これが終われば王都に帰還出来ると言う事もあって兵達の士気は高く、次々に賊は捕縛され倒れていく。
クロムと共に作戦に加わっているルフレは、兵達を指揮しつつ自らも剣と魔法を以て戦っている。
戦場を盤上の如く把握出来る千里眼の如き『眼』で戦況を分析しながら戦っていたルフレは、賊の討伐の完了が近い事を察し、そろそろ撤収の為の指示を出すべきかと足を止めた。
勿論、付近には賊が居ない事を確認してから立ち止まったのだが。
「ルフレっ!」
焦った様な叫び声が耳に届くと共に、ルフレは突然背後から押し飛ばされて地面を転がる。
何とか地面にぶつかる前に咄嗟に受け身を取る事は出来たのだが、突然の出来事に驚きながら振り返ったルフレは絶句した。
ルフレが振り返ったそこには、クロムが倒れていて。
何かに苦悶しているかの様な唸り声を上げて、地面をもがき苦しむがままに掻いていたのだ。
血の匂いはしていないから何らかの傷を負った訳ではないのだろうが、尋常ではないクロムのその様子に、ルフレもまた平静を喪う。
「クロム──」
そう震える声で呼び掛けても、返ってくるのは荒い吐息だけ。
何が起きたのか把握出来ず半ば呆然としながらも、こうしてクロムが何らかの外的要因によって倒れた以上は周囲に敵が居る筈だと、混乱する頭の片隅でそう思考したルフレは反射的に周囲を探り、そして少し離れた場所で賊の一味であろう呪術師が身を翻して逃げようとしているのを発見した。
呪術師──呪い。
クロムは、この呪術師から何らかの『呪い』を受けたのだ。
半ば直感的にそう理解した瞬間、ルフレは自らを突き動かす衝動のままに立ち上がり、手元の魔導書にありったけの魔力を込めて、一条の雷光として解き放つ。
耳が潰れそうな轟音と共に呪術師の身を貫いた雷撃は、呪術師の命を断末魔の悲鳴を上げさせる暇すら与えずに一瞬で刈り取った。
『呪い』の多くは、術師の死を以て解けるのだとルフレはサーリャから聞いた事があった。
クロムの身を蝕む『呪い』がそうであれば良いのだが……。
そう思いながらルフレはクロムへと振り返ったのだが、そこにクロムの姿は無かった。
「えっ──!?」
クロムが身に付けていた衣服だけが地に落ちていて、クロムは何処にも居ない。
しかしよく見ると、マントが妙に膨らみモゾモゾと動いている。
「クロム……?」
そう声を掛けて恐る恐る地に落ちた服に近付き、その下を覗き込んだそこには。
……一匹の狼が服の中に埋もれる様にしてもがいていた。
その毛並みの色が、ルフレを見て驚いた様に見開かれた目の色が。
強烈にクロムの姿を想起させる。
そんな事は有り得ないと、そんな訳ないと、そう心の中で叫びつつ、ルフレは恐る恐るその狼に訊ねた。
「……あなた、もしかして、クロムなの……?」
返ってきたのは、「ガウッ!」と言う紛れもない狼の鳴き声で。
だが、そう鳴いた瞬間に狼が呆然とした様な顔をし、次の瞬間何かを訴える様に吠えたててきた。
しかし、何れ程吠えてもルフレには狼の吠え声にしか聞こえないし、それは狼も理解したのだろう。
狼は吠える事を止め、呆然を通り越して何かに絶望した様な顔になった。
ルフレには未だに信じ難いが、この狼は恐らくクロムなのだろう。
『呪い』で狼の姿にされるなどと言う事が有り得るのかはルフレには分からないし、出来れば夢であって欲しいのだが、この狼には確かに獣とは違う知性を感じるし、この狼からクロムの気配を感じるのだ。
混乱しながらも取り敢えず、ルフレは狼となったクロムを服から解放してやるべく脱がせ始める。
身体の形が変わってしまった所為で妙な引っ掛かり方をしていた為に脱がせるのも一筋縄ではいかなかったが、ルフレは何とか服を全て脱がせる事に成功した。
しかし、脱がせた服を手にこれからどうするべきかと途方に暮れてしまう。
先ず第一に、呪術の専門家であるサーリャに協力を仰ぐべきなのは確かだろう。
もしかしたらサーリャならあっさり解呪してくれるかもしれないし、そうでなくとも何らかの対処法を知っている可能性は高い。
しかし、直ぐにクロムを元の姿に戻せるならば良いのだが、問題はクロムに掛けられた『呪い』を解くのに時間が掛かる場合や、『呪い』を解く方法が見付からない場合だ。
それらの場合、この事をルフレとサーリャの間だけで留めておく事は不可能だろう。
少なくともフレデリクとリズ辺りにはこの事を話しておく必要がある。
場合によっては、自警団の主だった仲間達の幾人かには事情を説明しておいた方が良いのかもしれない。
だが少なくとも、一般の兵にはこの事は隠し通しておくべきであろう。
彼等が主君と仰ぐべき聖王代理が呪われて獣になってしまったなどと知られれば、どんな事態になるか想像するだに恐ろしい。
前途多難な事態に頭を悩ませ、ルフレは重く重く溜め息を吐いた。
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