天泣過ぎれば
◇◇◇◇◇◇
彼に特別な感情を抱いたのは、何時の事だったのだろうか。
何か決定的な瞬間でもあっただろうかと思い返しても、あたしにはよく分からない。
ああ、でもきっと。
一番初めに彼と出会ったその時から。
もしかしたら、それよりもずっとずっと前から。
彼は、あたしにとっては何よりも『特別』だったのだろう。
空白の眠りから目覚めて一番最初にこの目に映ったのは、晴れ渡る青空と空の蒼さよりも濃く深い……まるで夜明けの空の様な深い蒼だったのだから。
居場所をくれた、役割をくれた、必要としてくれた。
この身体と僅かに残された知識以外は何一つとして持っていなかったあたしは、彼から与えられてばかりだった。
ほんの少しでも、あたしは彼から与えられたそれらに見合うモノを返せているのだろうか。
そうであれば良いのだけれど、しかし。
彼から与えられるモノは日々この手から溢れ落ちてしまいそうな程に積み上げられていっているのに、あたしが出来る事など取るに足らない事ばかりで……日々雪の様に降り積もるそれらにはちっとも見合ってなどいないのだろう。
何時も傍に居た、ずっとその姿を目で追っていた。
それは、産まれ落ちたばかりの雛鳥が産まれて初めて見たモノを親と定めてその後を一生懸命に追っているのと似たようなものだったのかもしれない。
何処の誰だかも分からないあたしと、この国を導くべき立場にある彼とでは、本来ならば同じ場所に立つ事も叶わない事なのだろうけれど。
あたしがそうやって傍に居る事を、彼は笑って赦してくれた。
それは、一番最初にあたしを拾った事への責任感故であったのだろうし、彼の懐の深さ故であるのかもしれない。
時が経つのも忘れて二人して戦術についての議論を交わし、幾度も共に戦場を駆け抜けた。
何気無い一時も、重い選択を課された時も、国と国と言うとても大きなモノが動いたその時も。
あたしは彼と共に過ごした。
過去すら持たなかったあたしの中に、彼と過ごした時間が、その思い出が、想いが、空の器を満たす様に降り積もって。
彼を中心として世界が鮮やかに彩られていた。
そうやって世界に鮮やかな色を付けてくれた『それ』を、人はきっと『恋』だと言うのだろう。
ただ、『恋』と言うには、あたしの中の彼の存在は、彼へと向けるこの“想い”は、そんな矮小な概念で括れる筈も無かった。
どうしても言葉で定義するならば、彼は『あたしの“価値”』のその全てであるのだろう。
あたしがこの身この命の全てを以て差し出せる一切合切を差し出したとしても、到底彼には釣り合わないだろうけれど。
それでも、彼の為ならば、この身を投げ出す事だって怖くはない。
彼の為ならば、何だって出来るだろう。
……だけど、あたしは。
そんな彼の、何よりも大切な彼の、一番の願いを叶えてあげられなかった。
大切な人を助けたいと言うその尊い願いを、彼が必死に伸ばしたその手を、彼が助けたいと心から願ったその人の元へと届かせる事が出来なかった。
あたしは、彼の願いに応える為にそこに居たのに。
それでも、何も出来なかったのだ。
あたしは無力だった、愚かだった、自惚れていたのだ。
このちっぽけな命一つで、彼の願い全てを十全に叶えてやれるのだと、そんな途方もなく無謀な夢を見ていた。
そして、その傲慢はその代償として、彼の心を大きく傷付けたのだ。
だからこそあたしは、この“想い”を戒めた。
何よりも大切な彼に伸ばそうとしたその手を、彼の『特別』になりたいなどとそんな傲慢で恥知らずな“想い”を。
グルグルと鎖で縛り付けて心の奥底へと沈めたのだ。
『特別』になんてなれなくても良い、何時か彼に寄り添い立つ“誰か”があたしでなくても良い。
例え何時かその傍に居られなくなる日が来るのだとしても、それでもずっと彼はあたしの『特別』なのだから、彼の為に生きる事が許されるのならばそれで良かった。
だけれども──。
◇◇◇◇◇◇
彼に特別な感情を抱いたのは、何時の事だったのだろうか。
何か決定的な瞬間でもあっただろうかと思い返しても、あたしにはよく分からない。
ああ、でもきっと。
一番初めに彼と出会ったその時から。
もしかしたら、それよりもずっとずっと前から。
彼は、あたしにとっては何よりも『特別』だったのだろう。
空白の眠りから目覚めて一番最初にこの目に映ったのは、晴れ渡る青空と空の蒼さよりも濃く深い……まるで夜明けの空の様な深い蒼だったのだから。
居場所をくれた、役割をくれた、必要としてくれた。
この身体と僅かに残された知識以外は何一つとして持っていなかったあたしは、彼から与えられてばかりだった。
ほんの少しでも、あたしは彼から与えられたそれらに見合うモノを返せているのだろうか。
そうであれば良いのだけれど、しかし。
彼から与えられるモノは日々この手から溢れ落ちてしまいそうな程に積み上げられていっているのに、あたしが出来る事など取るに足らない事ばかりで……日々雪の様に降り積もるそれらにはちっとも見合ってなどいないのだろう。
何時も傍に居た、ずっとその姿を目で追っていた。
それは、産まれ落ちたばかりの雛鳥が産まれて初めて見たモノを親と定めてその後を一生懸命に追っているのと似たようなものだったのかもしれない。
何処の誰だかも分からないあたしと、この国を導くべき立場にある彼とでは、本来ならば同じ場所に立つ事も叶わない事なのだろうけれど。
あたしがそうやって傍に居る事を、彼は笑って赦してくれた。
それは、一番最初にあたしを拾った事への責任感故であったのだろうし、彼の懐の深さ故であるのかもしれない。
時が経つのも忘れて二人して戦術についての議論を交わし、幾度も共に戦場を駆け抜けた。
何気無い一時も、重い選択を課された時も、国と国と言うとても大きなモノが動いたその時も。
あたしは彼と共に過ごした。
過去すら持たなかったあたしの中に、彼と過ごした時間が、その思い出が、想いが、空の器を満たす様に降り積もって。
彼を中心として世界が鮮やかに彩られていた。
そうやって世界に鮮やかな色を付けてくれた『それ』を、人はきっと『恋』だと言うのだろう。
ただ、『恋』と言うには、あたしの中の彼の存在は、彼へと向けるこの“想い”は、そんな矮小な概念で括れる筈も無かった。
どうしても言葉で定義するならば、彼は『あたしの“価値”』のその全てであるのだろう。
あたしがこの身この命の全てを以て差し出せる一切合切を差し出したとしても、到底彼には釣り合わないだろうけれど。
それでも、彼の為ならば、この身を投げ出す事だって怖くはない。
彼の為ならば、何だって出来るだろう。
……だけど、あたしは。
そんな彼の、何よりも大切な彼の、一番の願いを叶えてあげられなかった。
大切な人を助けたいと言うその尊い願いを、彼が必死に伸ばしたその手を、彼が助けたいと心から願ったその人の元へと届かせる事が出来なかった。
あたしは、彼の願いに応える為にそこに居たのに。
それでも、何も出来なかったのだ。
あたしは無力だった、愚かだった、自惚れていたのだ。
このちっぽけな命一つで、彼の願い全てを十全に叶えてやれるのだと、そんな途方もなく無謀な夢を見ていた。
そして、その傲慢はその代償として、彼の心を大きく傷付けたのだ。
だからこそあたしは、この“想い”を戒めた。
何よりも大切な彼に伸ばそうとしたその手を、彼の『特別』になりたいなどとそんな傲慢で恥知らずな“想い”を。
グルグルと鎖で縛り付けて心の奥底へと沈めたのだ。
『特別』になんてなれなくても良い、何時か彼に寄り添い立つ“誰か”があたしでなくても良い。
例え何時かその傍に居られなくなる日が来るのだとしても、それでもずっと彼はあたしの『特別』なのだから、彼の為に生きる事が許されるのならばそれで良かった。
だけれども──。
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