Found Me
◆◆◆◆◆
【2011/06/22】
やはり昨晩の《マヨナカテレビ》に映ったのは、『久慈川りせ』なのだろう、と意見は大まかに一致した。
里中さんもあの《マヨナカテレビ》には少し違和感を覚えた様ではあるが、あの特徴的な髪型は見間違えるとは思えない。
とにかく、一旦丸久さんによって様子見をしようという事になったのだが、天城さんと里中さんはどうやら今日は何か用事がある様なので、巽くんと花村との三人で向かう事になった。
花村がやたらとソワソワしているので、店……というよりも『久慈川りせ』に会っても迷惑は掛けないようにしっかりと釘を刺しておく。
まあ、豆腐を買いにいく用事もあったので序でで丁度良い。
一昨日・昨日と、一応豆腐を買いに行こうと寄ってみたのだが、人だかりが凄過ぎてかは分からないが、店は閉まったままであった。
……今日は開いていると良いのだが……。
◇◇◇◇◇
商店街の一角、丸久豆腐店の前は異様な人だかりが出来ていた。
車道を我が物顔にはみ出ている野次馬が邪魔で、道を行くトラックなどの車両が立ち往生しかけている。
そこに何故か足立さんが誘導灯で車両の誘導を行い、交通整理をしていた。
「こんにちは、足立さん。
交通整理中ですか?」
声を掛けると、足立さんもこちらに気が付いた様だ。
足立さんは疲れた様な顔で答えてくれる。
「ああ、悠希ちゃんか。
いやねぇ……『久慈川りせ』見たさに野次馬が次々に車で押し掛けてきて、商店街の真ん中で止まろうとしてくるからね。
交通課が人手不足って事で、応援に駆り出されてるってワケ……。
朝からずっとこの調子なんだよね……」
「それは……お疲れ様です」
朝からこの人だかりだったのか……。
それは大変だっただろう。
まあ、こんなに野次馬が集る様な事稲羽ではそうそう起きないだろうから、ただ事では無いのだろう。
本来なら刑事の仕事では無いのだろうけれども、駆り出されてしまったというのなら仕方無い。
…………。
足立さんがここに居るという事は、叔父さんもここに居るのだろうか?
「悠希ちゃんは何の用?
もしかして、『久慈川りせ』を見に来たとか?」
一応、目的としては『久慈川りせ』の様子を見に来たのであるが……。
「一応お豆腐を買いに来たのですが……。
まあ、その時に序でに会えれば良いな、という程度の下心なら多少は」
「あー……成る程ねぇ。
でも、この人だかりじゃあ買い物するのも難しいかもしれないね」
確かに。
この人だかりを掻き分けて店に入るのは一苦労だろう。
…………。
しかし、野次馬たちに全く動きが見られない。
ザワザワとはしているが、目的の『久慈川りせ』に会えたのならもっと騒いでいるのではないのだろうか?
……久慈川りせは店先には居ないのかもしれない。
まあこんな騒ぎになっているのだし、それも無理は無いか。
「はい、失礼、ちょっと道空けて……おーい、足立!
ん?悠希か。
お前たち、こんな所で一体何を……」
その時、叔父さんが人混みを掻き分けてこちらにやって来た。
そして、横にいる巽くんに目を留め、驚いた様な顔をする。
「巽完二……?
悠希、こいつと仲が良かったのか……?」
「ええ。巽屋さんに行った時の縁で。
巽くん、裁縫とか刺繍とかとても詳しいんですよ。
私、巽くんの一番弟子なんです」
そう叔父さんに答えると、巽くんが後ろで照れた様な焦った様な顔をしているが、それは無視だ。
「……裁縫? ああ、染物屋の息子だからか?
……まあ、なら良いが……。
それで、三人してこんな所でどうしたんだ?」
叔父さんの鋭く射抜く様な視線が突き刺さる。
その目をジッと見詰め返しながら答えた。
「買い物です。
今晩は豆腐ハンバーグにしようと思ってて」
「あー……、そういやお前、ここの豆腐よく買ってたな……。
で、悠希はそれで良いとして、残り二人は何しに来たんだ?」
叔父さんからジロリと視線を向けられた花村は、しどろもどろになりながら答える。
「えっと、『久慈川りせ』に会いに来たんです。
その……俺、ファンなんで。
完二は……まあ、俺が引っ張ってきたっつーか、その……」
叔父さんは花村と巽くんを交互に見て、「ハァ……」と溜め息を吐いた。
そして鋭い目付きで花村を見て、しっかりと釘を刺す。
「……まあ、良いだろう。
だが、幾ら芸能人でもここは自宅だ。
迷惑にならないように、行動は弁えろよ」
そして、交通整理を続けていた足立さんを連れて、叔父さんは何処かへと立ち去って行った。
「あのデカ、先輩の知り合いっスか?」
叔父さんとの関係性が分からなかったのか、巽くんは首を傾げながら訊ねてくる。
「知り合いというか、私の母方の叔父さん。
稲羽では叔父さんの家に居候させて貰ってるんだ」
「へー……、先輩の叔父貴がデカたぁね……。
てかもしかして、先輩、あのデカに疑われてるんスか?」
「あー……まあ、ね。
天城さんとか巽くんとか、一時的にとは言え行方不明になった人と、親しくなっているから。
それに、巽くんがあっちに放り込まれる前に巽屋に行ったのも、家電売り場をウロウロしてるの知られてるし……。
怪しまれる要素はあるから、仕方無い」
本当に、こちらの行動だけを見ると不審な事この上ない。
犯人として疑われているのでは無いだろうけれど、事件に何かしがた関わっているのではと疑われているのだろう。
まあ、被害者の救出という形で事件に関与しているのは事実ではあるのだけど。
「何か話したりはしてねえんスか?」
「話して分かって貰える様なモノでもないからな……。
話した所で、正気を疑われるか、……無駄に疑われて動き辛くなるか、だろうし」
実際に見てみない事には、『シャドウ』も『ペルソナ』もあの世界も、到底信じられる様な代物では無い。
実際に連れて行けば、流石に信じてくれるのかも知れないけれども……。
……しかし、何が起こるのか分からないあの世界に、多少の力の向き不向きはあれどシャドウへの対抗手段を持つペルソナ使い以外は、不用意に招くべきでは無いと思う。
ペルソナ使い以外がもしシャドウに遭遇すれば、一方的に嬲り殺しにされるだけである。
里中さんの時については、考えが甘かったと言わざるをえない。
あの時も一歩間違えれば大惨事だった。
もう、それと同じ轍を踏む訳にはいかないのである。
叔父さんの目の前でテレビに手を突っ込んでみるのも良いのかも知れないが、その場合自分をあの世界に連れて行けと言われるのがオチであろうし、もしそうでなくとも、叔父さんは幾らペルソナの力を扱えると云えども公的な立場としては一介の高校生である自分たちが命の危険も有り得る場所で戦う事は良しとはしない。
だが、【犯人】が犯行を重ねる中、被害者を救出する為には、ペルソナ使いだけでチームを組んであの世界を探索するのが一番効率的で、最も確実で安全な方法なのだ。
…………。
……心苦しいが、今のまま黙って活動を続ける方が、現段階に於いては最善の道だろう。
「あー……。
ま、確かにそっスね」
巽くんも納得した様に頷く。
その時、野次馬たちに動きがあった。
……どうやら『久慈川りせ』の姿が見えなかったらしく、退散する事にしたらしい。
一人が豆腐屋の前を離れると、それに続くかの様にゾロゾロとその場を去っていく。
……あっと言う間に人だかりは姿を消した。
「えっ、『りせちー』居ねーの?
ガセネタって事か!? マジで!?」
野次馬たちの言葉に、花村が素っ頓狂な声を上げ、肩をガックリと落として見るからに落胆する。
その落胆ぶりに、巽くんが噴き出した。
それに噛み付いた花村を宥めながら、取り敢えずは人だかりが捌けた店内へ行ってみる事にする。
……? ……店には何時もの店主さんの姿が見えない。
奥の方には割烹着を来て布巾を着けた誰かが何やら作業をしていた。
「あのーすみません、お豆腐を買いたいのですが」
そう声を掛けると、居住区画と繋がっている店の奥から何時もの店主さんがやって来る。
「はいはいお客さんかい?
おや、悠希ちゃん。
いつも有り難うねえ」
「いえ、ここのお豆腐、とても美味しいですから。
……外、大変でしたね。
今は、少し波が引いたみたいですけど。
あ、絹を二丁お願いします」
「いえいえ、おおきに。
絹二丁、お願いね」
丁度店の奥で電話が鳴って、それを取りに店の奥に戻ろうとした店主さんが店の奥で作業していた人にそう声を掛けると、「はーい」という返事があって、ビニール袋に入れた絹ごし豆腐を持ってきてくれた。
代金と引き換えにそれを受け取る。
「……はい、絹二丁ね」
「ありがとう。
……あなたが、『久慈川りせ』さんかな?」
豆腐を持ってきてくれたのは、割烹着を着た同年代位の女の子だ。
ツインテールの特徴的な髪型等から、恐らくは彼女が件の『久慈川りせ』さんなのだろう。
しかし、CMとかで時折見掛けた様な明るい雰囲気は欠片も無く、何処か疲れた様な、そんな暗く感情に乏しい顔をしている。
「……えっと、そうだけど」
「うそ…ホントに、りせちー?」
途端に興奮した様に、花村が身を乗り出した。
しかし久慈川さんはそんな花村に暗い雰囲気で返す。
「……だから、何?」
テレビ等で見る“アイドル”の『りせちー』とは全く様子が違うからか、花村は戸惑った様に言葉に詰まってしまった。
花村がそんな様子なので、こちらが本題を切り出す。
「えっと……、最近この辺り、ちょっと物騒で……。
変な事に久慈川さんが巻き込まれるかもしれないから、警告に来たんだ」
「……へぇ……」
久慈川さんは特に興味も無い感じでそれを聞いている。
そしてその後を、戸惑いから回復した花村が継いだ。
「えっとさ、……“真夜中に映るテレビ”の事って知ってる?
つっても深夜番組とかじゃなくて……。
んー、説明がちょい難しいんだけど……」
《マヨナカテレビ》をどう説明するべきなのか、花村が迷っていると。
久慈川さんが口を開いた。
「……昨日の夜のやつ?
……《マヨナカテレビ》だっけ?」
久慈川さんは既に《マヨナカテレビ》の事を知っていたらしい。
しかも、実際に昨晩のものを見た様である。
花村が驚いた様に声を上げた。
「えっ、見たの?!」
「噂、前に知り合いから聞いてたし。
見たのは、昨日のが初めてだったけど。
……でも、昨日映ってたの、私じゃないから。
あの髪形で水着、撮った事無い……」
そう説明した久慈川さんは俯いた。
視線は自分自身の胸部に向かっている。
「それに……、胸、あんなに無いし……」
そう言われ、花村の視線が久慈川さんの胸へと向く。
「えっと、あー……なるほど……、確かに、言われてみれば……」
「……花村……、女性に対してのその発言……。
デリカシーに欠けてるぞ」
沁々とそう呟きながら久慈川さんの胸をガン見する花村の頭に、軽く手刀を落とす。
「って、あー、何言ってんの俺!?
あ、その、ごめん!
そんなつもりじゃなくってさ、いや、ホント!」
途端に自身の発言を顧みて慌てた様に何度も謝る花村のその様子が面白かったのか、久慈川さんは少しだけ笑った。
「ふふっ、謝り過ぎ」
自然に溢れてきたのであろうその笑みは、とても柔らかくて素敵な笑顔だ。
少なくとも、さっきまでの暗い顔よりはずっとずっと良い。
……暗い顔よりは、そうやって笑っている方が、久慈川さんはより魅力的だ。
笑ったからか少し雰囲気も柔らかくなった久慈川さんが、不思議そうに首を傾げる。
「……でも、あれが私じゃ無いとして、だったら何が映ってたんだろ?」
……確かに、不思議だ。
本人がそう言っているのだし、久慈川さん本人の映像では無いのは事実なのだろう。
もしかしたら所謂コラージュというやつなのかも知れないが……。
……実際に映されていたモノの正体が何であったのかはさておき、あれが久慈川さんに関わる何かであったのは確かだろう。
「それは……まだ分からない。
ただ、あれに映された人が、失踪……正確には誘拐されている事件が、ここ最近数件起きている。
だから、もしかしたら久慈川さんの身にもそれに近い害が及ぶかも知れない。
……だから、身の回りには気を付けてね。
特に、もし家に誰かが訪ねて来た時は……、例え知っている相手だとしても、一応気を付けて欲しい」
天城さんと巽くんの件を考えると、今回も玄関から真っ正面に来る可能性が高い。
警戒しているのとしていないのとでは、誘拐のし易さも随分と違うだろう。
事件を未然に防ぐ為にも、例え知人友人相手にでも、完全には気を赦さない様には忠告しなくてはならない。
「あー、まあ突然言われても信じらんねえよな。
けど、嘘じゃねえ。
実際に映されて被害に遭った奴らがいる。
オレもその一人だ」
「誘拐ってのは冗談でも何でもなくってさ。
俺たちの友達とかも巻き込まれて、それで色々調べてて……。
とにかく、知らせなきゃって」
巽くんと花村も、真剣な顔で久慈川さんに言う。
久慈川さんは少し考える様に黙った後、頷いた。
「……そっか、あれ、やっぱり夢じゃないんだ。
……昨日は、疲れてたけど眠れなくて。
丁度雨降ってたから、偶々、聞いてた噂、試しただけなんだけど……。
……分かった。
ありがとう。気をつける」
「そうか、良かった」
どうやら忠告するのには成功した様だ。
これで誘拐を未然に防ぐ事が出来れば良いのだけれども……。
「あっ、そうだ……」
ふと何かを思い付いた様な顔をした久慈川さんは、そう言ってショーケースから『がんもどき』を三つ取り出して袋に入れる。
「これ、みんなにオマケ。
何か、心配してくれていたみたいだし」
「ありがとう」
礼を言って『がんもどき』を受け取る。
そして、ああそれと、と久慈川さんに付け加えた。
「外で交通整理していた刑事さん、足立さんと堂島さんって言うんだけど、もしかしたら久慈川さんに何か訊いてくるかもしれない。
……その時に、私たちが忠告しに来てたってのは、出来れば黙っておいて欲しい」
「……何か不都合でもあるの?」
「堂島さんは私の叔父さんで、今お世話になっている人なんだけどね……。
前々から、あんまり事件とかに首を突っ込むなって散々言われてて……。
でもまあ、こっちも友達の事とか他にも色々と事情があるし、黙って見ているってのも出来なくってね……。
まあ、叔父さんには黙ってこっそりやってるって事なんで。
出来れば、ナイショにしてて欲しい」
事件の事を調べている事、そして解決するべく関わっている事は叔父さんには極力知られたくない。
相手が誰だとしても、ペルソナやシャドウ関連の事は関係者以外には余程切羽詰まっていない限りは話さないと決めているので、叔父さんから問い詰められても本当の事は話せない。
結局はぐらかすしか無いし、それはそれで今後の身動きが取り辛くなる。
叔父さんにも、余計な心労をかけさせてしまうだろう。
だが、あまり真剣に隠蔽しようとしていると、逆に久慈川さんには色々と不信感を抱かせてしまうかもしれない。
だから敢えて少し茶目っ気を入れながら、ナイショにしてね、と右手の人差し指を唇に当てて、ウインクする。
「そっか、そういう事なら、黙っとく」
久慈川さんはそう言って少しだけ頬を緩めて頷いてくれた。
買い物も忠告も済ませた事だし、今日はこの辺りで家へ帰るとしよう。
◇◇◇◇◇
店を出て、解散する間際にふとその存在を思い出し、鞄から包みを取り出して花村に手渡した。
「ん? どうしたんだ、鳴上」
「いや、確か花村の誕生日は今日だったよな?
だから、そのお祝い」
友人の誕生日なのだからプレゼントの一つや二つ、そう大したものでなくとも贈りたい。
今日は朝から《マヨナカテレビ》と『久慈川りせ』の事で立て込んでいたから、今の今まで頭の隅へと追いやられていたが、丁度思い出したのだから良しとしよう。
「えっ、マジか。
覚えててくれたんだな。
……なんか、スッゲー嬉しい。
ここで開けても良いか?」
パアッと顔を輝かせた花村にそう訊ねられて、「構わない」と頷いた。
花村は包みを慎重に開け、中身を取り出す。
「これって、手袋?」
「正確にはバイク用の、だな。
まあ、夏場には不要だろうけど、冬場になれば必要だろ?
少し早いだろうけど、まあ良いかな、と」
プロテクターが付いたレザー製のグローブだ。
色合いが花村好みのオレンジ調であったのと、防護性と耐久性と装着性が両立していたので、花村への誕生日プレゼントに丁度良いかと思い、先日沖奈に買い物に行った時に購入した。
サイズも目算ではあるが、恐らくは大丈夫だろうと思われる。
原付きは花村の貯金から出した様だったし、高い買い物なのでこういった小物までは手が回っていないだろうと思ったのも、購入の動機の一つだ。
「そっか、夏過ぎたらこういうのも必要になってくるよな。
ありがとう、鳴上。
大事に使うから」
花村が喜んでくれた様で何よりである。
その日はそこで解散し、各々で家路についた。
◆◆◆◆◆
日も暮れかける頃合いになると、悠希たちが帰った後も散ってはまた店の前に集ってと繰り返していた野次馬たちもめっきりと姿を消した。
野次馬たちへの対応を終えた遼太郎と足立は、丸久豆腐店に足を運ぶ。
「一先ず騒ぎは収まったみたいなんで、自分ら、取り敢えずこれで。
今後も騒がしい様なら署まで連絡ください」
「はい」
足立の言葉にりせは頷いた。
すると、遼太郎がりせに話し掛ける。
「あー、失礼、幾つか訊きたいことが」
微かにりせが首を傾げたのを了承と受け取ったのか、遼太郎は続けて質問した。
「最近、この辺りで物騒な事件が連続してるの、知ってるね?
身の回りで、怪しいヤツは見ませんでしたか?」
「別に……今まで通りです」
りせの返答に、遼太郎は困った様に頭を掻く。
「あー、今まで通り、か……。
仕事がアイドルじゃ、ストーカーだの、ハナから怪しいのだらけって事だな……。
……どうして突然休業されたんです?」
次の質問には、りせの表情が微かに強張った。
そして、俯く様に目を伏せる。
「……疲れただけです」
「学校はどちらへ?」
「八十神高校の予定です。ここから近いし」
幾つかの質問の後、遼太郎は少し言い辛そうに切り出した。
「脅かすつもりはないんだが……あなたには、これまでの被害者と幾つか共通点がある。
だから、その……」
「……事件に巻き込まれるかも、って事ですよね……。
……分かりました、気を付けます」
遼太郎が濁した言葉の後を、りせが言う。
遼太郎と足立はそれに驚いた様な顔をするが、「話の流れで分かる」と言うりせの言葉に、少しだけ違和感を感じながらも、特に矛盾した点は無いので一応は納得した。
何か不審な人物を見掛けたり、不審な出来事があれば直ぐに連絡する様に、と遼太郎はりせに付け加える。
「あー、それと、私的な話にはなるが、うちの姪がここに豆腐を買いに来たみたいでな。
もしかしてあなたと会ったんじゃないかな?
背が俺より高い、高校生なんだが」
「その人なら、昼過ぎにお豆腐を買いに来てました」
「その時に何か話は?」
「……特には」
りせの応答に不自然な点は無かった。
りせへの質問をそこで切り上げ、遼太郎と足立は丸久豆腐店を後にする。
「この所の失踪事件……二件の殺しも含めて、警察でも掴めていない謎は多い。
その内三件……八十神高校の生徒が関わる事件で、あいつはその周りをウロウロしてやがる……。
……偶然と言われればそれまでなのかもしれんが、やはり引っ掛かるな……」
考え込む様に空を見上げた遼太郎に足立が声を掛けると、遼太郎は視線を下げて微かに首を横に振った。
「八十神高校……な。
四件の事件の内、三件がそこの生徒で、久慈川りせが通学予定なのもあそこ、……か」
「学校関係者の捜査の方も、何も出てないんですよねえ……。
このままだと、ウチらマズくないですか?
県警もそろそろ……」
立て続けにそこの生徒が被害に遭っているのだ。
何らかの関係はあるものと思われるが、被害者三人で共通項は、それこそ『八十神高校生』というその一点だけ。
捜査状況も芳しくない中、県警が捜査に介入してくるのも時間の問題なのかもしれない。
だが、そんな心配をしている暇があるなら、少しでも捜査を続けなくてはならない。
そう足立に釘を刺し、遼太郎は署の方へと戻っていった。
◆◆◆◆◆
夕飯の時間になると叔父さんも帰って来た。
どうやら叔父さんもあの後丸久豆腐店に立ち寄ったらしく、豆腐を持って帰ってきている。
……それは明日の朝の味噌汁にでも入れるとしよう。
叔父さんに予告した通りに、今晩は豆腐ハンバーグだ。
豆腐ハンバーグは初めてだったのか、「おとうふからハンバーグってつくれるんだ」と、作る最中に菜々子は感心した様な目で見ていた。
「そういや悠希、お前、今日の放課後に久慈川りせに会ったみたいだが……」
何かを考えているかの様に黙々と食べていた叔父さんがふと訊ねてきた。
箸と器を置いてからそれに答える。
「ええ、まあ。
豆腐を買った時に、久慈川さんがお店に居たので、それで」
そう答えると、途端に菜々子が驚いた様に声を上げた。
「えっ、お姉ちゃん、りせちゃんに会ったの?」
「うん、商店街のお豆腐屋さんがね、久慈川さんのお家だったんだ。
買い物に行った時に、会えたよ」
すると、『りせちー』のファンであった菜々子は、「そうなんだ! 菜々子もりせちゃんに会いたい!」と目を輝かせる。
「じゃあ、今度お豆腐屋さんに一緒に行ってみようか。
色んな人が久慈川さんに会いに来てて今大変みたいだから、行くのはもう少し先になるかもしれないけどね」
「うん、“やくそく”だよ!」
指切りをして約束すると、菜々子は嬉しそうに笑う。
余程楽しみであるらしい。
その時。話の筋がそれてしまったのを軌道修正しようとしてか、叔父さんが訊ねてきた。
「あー、それでだな……。
久慈川りせと会った時に、何か話したりとかしたのか?」
「話、ですか?
いえ、これと言って特には……。
花村はファンだったみたいで、直に会えてかなり喜んでいましたが……」
「……そう、か」
何か引っ掛かるものでもあったのか、叔父さんは困った様に頭を掻く。
……この様子だと、久慈川さんはこちらの事は叔父さんたちに黙っていてくれた様なのだけれども。
……刑事の勘か何かで引っ掛かりを感じているのだろうか?
「どうかしたの?」
「あ、いや……。……何でもない」
菜々子に訊ねられ、叔父さんはそこでその話題は切り上げた。
◇◇◇◇◇
今晩も雨が降り続いている……。
そして迎えた深夜零時……。
《マヨナカテレビ》は昨晩と同様に映像を映し出す。
……胸や腰から太もも辺りが重点的に映し出されているが、やはりこれは『久慈川りせ』なのだろう。
昨晩のものよりも、顔の判別が可能な程よりハッキリと映っている。
本人そのものでは無い様だし、また『シャドウ』が映った時の様な感じでもないが……。
……何はともあれ、久慈川さんの身辺により気を付けなくてはならないだろう。
詳しい事は明日話し合う事にして、今日はもう眠る事にした。
◆◆◆◆◆
【2011/06/22】
やはり昨晩の《マヨナカテレビ》に映ったのは、『久慈川りせ』なのだろう、と意見は大まかに一致した。
里中さんもあの《マヨナカテレビ》には少し違和感を覚えた様ではあるが、あの特徴的な髪型は見間違えるとは思えない。
とにかく、一旦丸久さんによって様子見をしようという事になったのだが、天城さんと里中さんはどうやら今日は何か用事がある様なので、巽くんと花村との三人で向かう事になった。
花村がやたらとソワソワしているので、店……というよりも『久慈川りせ』に会っても迷惑は掛けないようにしっかりと釘を刺しておく。
まあ、豆腐を買いにいく用事もあったので序でで丁度良い。
一昨日・昨日と、一応豆腐を買いに行こうと寄ってみたのだが、人だかりが凄過ぎてかは分からないが、店は閉まったままであった。
……今日は開いていると良いのだが……。
◇◇◇◇◇
商店街の一角、丸久豆腐店の前は異様な人だかりが出来ていた。
車道を我が物顔にはみ出ている野次馬が邪魔で、道を行くトラックなどの車両が立ち往生しかけている。
そこに何故か足立さんが誘導灯で車両の誘導を行い、交通整理をしていた。
「こんにちは、足立さん。
交通整理中ですか?」
声を掛けると、足立さんもこちらに気が付いた様だ。
足立さんは疲れた様な顔で答えてくれる。
「ああ、悠希ちゃんか。
いやねぇ……『久慈川りせ』見たさに野次馬が次々に車で押し掛けてきて、商店街の真ん中で止まろうとしてくるからね。
交通課が人手不足って事で、応援に駆り出されてるってワケ……。
朝からずっとこの調子なんだよね……」
「それは……お疲れ様です」
朝からこの人だかりだったのか……。
それは大変だっただろう。
まあ、こんなに野次馬が集る様な事稲羽ではそうそう起きないだろうから、ただ事では無いのだろう。
本来なら刑事の仕事では無いのだろうけれども、駆り出されてしまったというのなら仕方無い。
…………。
足立さんがここに居るという事は、叔父さんもここに居るのだろうか?
「悠希ちゃんは何の用?
もしかして、『久慈川りせ』を見に来たとか?」
一応、目的としては『久慈川りせ』の様子を見に来たのであるが……。
「一応お豆腐を買いに来たのですが……。
まあ、その時に序でに会えれば良いな、という程度の下心なら多少は」
「あー……成る程ねぇ。
でも、この人だかりじゃあ買い物するのも難しいかもしれないね」
確かに。
この人だかりを掻き分けて店に入るのは一苦労だろう。
…………。
しかし、野次馬たちに全く動きが見られない。
ザワザワとはしているが、目的の『久慈川りせ』に会えたのならもっと騒いでいるのではないのだろうか?
……久慈川りせは店先には居ないのかもしれない。
まあこんな騒ぎになっているのだし、それも無理は無いか。
「はい、失礼、ちょっと道空けて……おーい、足立!
ん?悠希か。
お前たち、こんな所で一体何を……」
その時、叔父さんが人混みを掻き分けてこちらにやって来た。
そして、横にいる巽くんに目を留め、驚いた様な顔をする。
「巽完二……?
悠希、こいつと仲が良かったのか……?」
「ええ。巽屋さんに行った時の縁で。
巽くん、裁縫とか刺繍とかとても詳しいんですよ。
私、巽くんの一番弟子なんです」
そう叔父さんに答えると、巽くんが後ろで照れた様な焦った様な顔をしているが、それは無視だ。
「……裁縫? ああ、染物屋の息子だからか?
……まあ、なら良いが……。
それで、三人してこんな所でどうしたんだ?」
叔父さんの鋭く射抜く様な視線が突き刺さる。
その目をジッと見詰め返しながら答えた。
「買い物です。
今晩は豆腐ハンバーグにしようと思ってて」
「あー……、そういやお前、ここの豆腐よく買ってたな……。
で、悠希はそれで良いとして、残り二人は何しに来たんだ?」
叔父さんからジロリと視線を向けられた花村は、しどろもどろになりながら答える。
「えっと、『久慈川りせ』に会いに来たんです。
その……俺、ファンなんで。
完二は……まあ、俺が引っ張ってきたっつーか、その……」
叔父さんは花村と巽くんを交互に見て、「ハァ……」と溜め息を吐いた。
そして鋭い目付きで花村を見て、しっかりと釘を刺す。
「……まあ、良いだろう。
だが、幾ら芸能人でもここは自宅だ。
迷惑にならないように、行動は弁えろよ」
そして、交通整理を続けていた足立さんを連れて、叔父さんは何処かへと立ち去って行った。
「あのデカ、先輩の知り合いっスか?」
叔父さんとの関係性が分からなかったのか、巽くんは首を傾げながら訊ねてくる。
「知り合いというか、私の母方の叔父さん。
稲羽では叔父さんの家に居候させて貰ってるんだ」
「へー……、先輩の叔父貴がデカたぁね……。
てかもしかして、先輩、あのデカに疑われてるんスか?」
「あー……まあ、ね。
天城さんとか巽くんとか、一時的にとは言え行方不明になった人と、親しくなっているから。
それに、巽くんがあっちに放り込まれる前に巽屋に行ったのも、家電売り場をウロウロしてるの知られてるし……。
怪しまれる要素はあるから、仕方無い」
本当に、こちらの行動だけを見ると不審な事この上ない。
犯人として疑われているのでは無いだろうけれど、事件に何かしがた関わっているのではと疑われているのだろう。
まあ、被害者の救出という形で事件に関与しているのは事実ではあるのだけど。
「何か話したりはしてねえんスか?」
「話して分かって貰える様なモノでもないからな……。
話した所で、正気を疑われるか、……無駄に疑われて動き辛くなるか、だろうし」
実際に見てみない事には、『シャドウ』も『ペルソナ』もあの世界も、到底信じられる様な代物では無い。
実際に連れて行けば、流石に信じてくれるのかも知れないけれども……。
……しかし、何が起こるのか分からないあの世界に、多少の力の向き不向きはあれどシャドウへの対抗手段を持つペルソナ使い以外は、不用意に招くべきでは無いと思う。
ペルソナ使い以外がもしシャドウに遭遇すれば、一方的に嬲り殺しにされるだけである。
里中さんの時については、考えが甘かったと言わざるをえない。
あの時も一歩間違えれば大惨事だった。
もう、それと同じ轍を踏む訳にはいかないのである。
叔父さんの目の前でテレビに手を突っ込んでみるのも良いのかも知れないが、その場合自分をあの世界に連れて行けと言われるのがオチであろうし、もしそうでなくとも、叔父さんは幾らペルソナの力を扱えると云えども公的な立場としては一介の高校生である自分たちが命の危険も有り得る場所で戦う事は良しとはしない。
だが、【犯人】が犯行を重ねる中、被害者を救出する為には、ペルソナ使いだけでチームを組んであの世界を探索するのが一番効率的で、最も確実で安全な方法なのだ。
…………。
……心苦しいが、今のまま黙って活動を続ける方が、現段階に於いては最善の道だろう。
「あー……。
ま、確かにそっスね」
巽くんも納得した様に頷く。
その時、野次馬たちに動きがあった。
……どうやら『久慈川りせ』の姿が見えなかったらしく、退散する事にしたらしい。
一人が豆腐屋の前を離れると、それに続くかの様にゾロゾロとその場を去っていく。
……あっと言う間に人だかりは姿を消した。
「えっ、『りせちー』居ねーの?
ガセネタって事か!? マジで!?」
野次馬たちの言葉に、花村が素っ頓狂な声を上げ、肩をガックリと落として見るからに落胆する。
その落胆ぶりに、巽くんが噴き出した。
それに噛み付いた花村を宥めながら、取り敢えずは人だかりが捌けた店内へ行ってみる事にする。
……? ……店には何時もの店主さんの姿が見えない。
奥の方には割烹着を来て布巾を着けた誰かが何やら作業をしていた。
「あのーすみません、お豆腐を買いたいのですが」
そう声を掛けると、居住区画と繋がっている店の奥から何時もの店主さんがやって来る。
「はいはいお客さんかい?
おや、悠希ちゃん。
いつも有り難うねえ」
「いえ、ここのお豆腐、とても美味しいですから。
……外、大変でしたね。
今は、少し波が引いたみたいですけど。
あ、絹を二丁お願いします」
「いえいえ、おおきに。
絹二丁、お願いね」
丁度店の奥で電話が鳴って、それを取りに店の奥に戻ろうとした店主さんが店の奥で作業していた人にそう声を掛けると、「はーい」という返事があって、ビニール袋に入れた絹ごし豆腐を持ってきてくれた。
代金と引き換えにそれを受け取る。
「……はい、絹二丁ね」
「ありがとう。
……あなたが、『久慈川りせ』さんかな?」
豆腐を持ってきてくれたのは、割烹着を着た同年代位の女の子だ。
ツインテールの特徴的な髪型等から、恐らくは彼女が件の『久慈川りせ』さんなのだろう。
しかし、CMとかで時折見掛けた様な明るい雰囲気は欠片も無く、何処か疲れた様な、そんな暗く感情に乏しい顔をしている。
「……えっと、そうだけど」
「うそ…ホントに、りせちー?」
途端に興奮した様に、花村が身を乗り出した。
しかし久慈川さんはそんな花村に暗い雰囲気で返す。
「……だから、何?」
テレビ等で見る“アイドル”の『りせちー』とは全く様子が違うからか、花村は戸惑った様に言葉に詰まってしまった。
花村がそんな様子なので、こちらが本題を切り出す。
「えっと……、最近この辺り、ちょっと物騒で……。
変な事に久慈川さんが巻き込まれるかもしれないから、警告に来たんだ」
「……へぇ……」
久慈川さんは特に興味も無い感じでそれを聞いている。
そしてその後を、戸惑いから回復した花村が継いだ。
「えっとさ、……“真夜中に映るテレビ”の事って知ってる?
つっても深夜番組とかじゃなくて……。
んー、説明がちょい難しいんだけど……」
《マヨナカテレビ》をどう説明するべきなのか、花村が迷っていると。
久慈川さんが口を開いた。
「……昨日の夜のやつ?
……《マヨナカテレビ》だっけ?」
久慈川さんは既に《マヨナカテレビ》の事を知っていたらしい。
しかも、実際に昨晩のものを見た様である。
花村が驚いた様に声を上げた。
「えっ、見たの?!」
「噂、前に知り合いから聞いてたし。
見たのは、昨日のが初めてだったけど。
……でも、昨日映ってたの、私じゃないから。
あの髪形で水着、撮った事無い……」
そう説明した久慈川さんは俯いた。
視線は自分自身の胸部に向かっている。
「それに……、胸、あんなに無いし……」
そう言われ、花村の視線が久慈川さんの胸へと向く。
「えっと、あー……なるほど……、確かに、言われてみれば……」
「……花村……、女性に対してのその発言……。
デリカシーに欠けてるぞ」
沁々とそう呟きながら久慈川さんの胸をガン見する花村の頭に、軽く手刀を落とす。
「って、あー、何言ってんの俺!?
あ、その、ごめん!
そんなつもりじゃなくってさ、いや、ホント!」
途端に自身の発言を顧みて慌てた様に何度も謝る花村のその様子が面白かったのか、久慈川さんは少しだけ笑った。
「ふふっ、謝り過ぎ」
自然に溢れてきたのであろうその笑みは、とても柔らかくて素敵な笑顔だ。
少なくとも、さっきまでの暗い顔よりはずっとずっと良い。
……暗い顔よりは、そうやって笑っている方が、久慈川さんはより魅力的だ。
笑ったからか少し雰囲気も柔らかくなった久慈川さんが、不思議そうに首を傾げる。
「……でも、あれが私じゃ無いとして、だったら何が映ってたんだろ?」
……確かに、不思議だ。
本人がそう言っているのだし、久慈川さん本人の映像では無いのは事実なのだろう。
もしかしたら所謂コラージュというやつなのかも知れないが……。
……実際に映されていたモノの正体が何であったのかはさておき、あれが久慈川さんに関わる何かであったのは確かだろう。
「それは……まだ分からない。
ただ、あれに映された人が、失踪……正確には誘拐されている事件が、ここ最近数件起きている。
だから、もしかしたら久慈川さんの身にもそれに近い害が及ぶかも知れない。
……だから、身の回りには気を付けてね。
特に、もし家に誰かが訪ねて来た時は……、例え知っている相手だとしても、一応気を付けて欲しい」
天城さんと巽くんの件を考えると、今回も玄関から真っ正面に来る可能性が高い。
警戒しているのとしていないのとでは、誘拐のし易さも随分と違うだろう。
事件を未然に防ぐ為にも、例え知人友人相手にでも、完全には気を赦さない様には忠告しなくてはならない。
「あー、まあ突然言われても信じらんねえよな。
けど、嘘じゃねえ。
実際に映されて被害に遭った奴らがいる。
オレもその一人だ」
「誘拐ってのは冗談でも何でもなくってさ。
俺たちの友達とかも巻き込まれて、それで色々調べてて……。
とにかく、知らせなきゃって」
巽くんと花村も、真剣な顔で久慈川さんに言う。
久慈川さんは少し考える様に黙った後、頷いた。
「……そっか、あれ、やっぱり夢じゃないんだ。
……昨日は、疲れてたけど眠れなくて。
丁度雨降ってたから、偶々、聞いてた噂、試しただけなんだけど……。
……分かった。
ありがとう。気をつける」
「そうか、良かった」
どうやら忠告するのには成功した様だ。
これで誘拐を未然に防ぐ事が出来れば良いのだけれども……。
「あっ、そうだ……」
ふと何かを思い付いた様な顔をした久慈川さんは、そう言ってショーケースから『がんもどき』を三つ取り出して袋に入れる。
「これ、みんなにオマケ。
何か、心配してくれていたみたいだし」
「ありがとう」
礼を言って『がんもどき』を受け取る。
そして、ああそれと、と久慈川さんに付け加えた。
「外で交通整理していた刑事さん、足立さんと堂島さんって言うんだけど、もしかしたら久慈川さんに何か訊いてくるかもしれない。
……その時に、私たちが忠告しに来てたってのは、出来れば黙っておいて欲しい」
「……何か不都合でもあるの?」
「堂島さんは私の叔父さんで、今お世話になっている人なんだけどね……。
前々から、あんまり事件とかに首を突っ込むなって散々言われてて……。
でもまあ、こっちも友達の事とか他にも色々と事情があるし、黙って見ているってのも出来なくってね……。
まあ、叔父さんには黙ってこっそりやってるって事なんで。
出来れば、ナイショにしてて欲しい」
事件の事を調べている事、そして解決するべく関わっている事は叔父さんには極力知られたくない。
相手が誰だとしても、ペルソナやシャドウ関連の事は関係者以外には余程切羽詰まっていない限りは話さないと決めているので、叔父さんから問い詰められても本当の事は話せない。
結局はぐらかすしか無いし、それはそれで今後の身動きが取り辛くなる。
叔父さんにも、余計な心労をかけさせてしまうだろう。
だが、あまり真剣に隠蔽しようとしていると、逆に久慈川さんには色々と不信感を抱かせてしまうかもしれない。
だから敢えて少し茶目っ気を入れながら、ナイショにしてね、と右手の人差し指を唇に当てて、ウインクする。
「そっか、そういう事なら、黙っとく」
久慈川さんはそう言って少しだけ頬を緩めて頷いてくれた。
買い物も忠告も済ませた事だし、今日はこの辺りで家へ帰るとしよう。
◇◇◇◇◇
店を出て、解散する間際にふとその存在を思い出し、鞄から包みを取り出して花村に手渡した。
「ん? どうしたんだ、鳴上」
「いや、確か花村の誕生日は今日だったよな?
だから、そのお祝い」
友人の誕生日なのだからプレゼントの一つや二つ、そう大したものでなくとも贈りたい。
今日は朝から《マヨナカテレビ》と『久慈川りせ』の事で立て込んでいたから、今の今まで頭の隅へと追いやられていたが、丁度思い出したのだから良しとしよう。
「えっ、マジか。
覚えててくれたんだな。
……なんか、スッゲー嬉しい。
ここで開けても良いか?」
パアッと顔を輝かせた花村にそう訊ねられて、「構わない」と頷いた。
花村は包みを慎重に開け、中身を取り出す。
「これって、手袋?」
「正確にはバイク用の、だな。
まあ、夏場には不要だろうけど、冬場になれば必要だろ?
少し早いだろうけど、まあ良いかな、と」
プロテクターが付いたレザー製のグローブだ。
色合いが花村好みのオレンジ調であったのと、防護性と耐久性と装着性が両立していたので、花村への誕生日プレゼントに丁度良いかと思い、先日沖奈に買い物に行った時に購入した。
サイズも目算ではあるが、恐らくは大丈夫だろうと思われる。
原付きは花村の貯金から出した様だったし、高い買い物なのでこういった小物までは手が回っていないだろうと思ったのも、購入の動機の一つだ。
「そっか、夏過ぎたらこういうのも必要になってくるよな。
ありがとう、鳴上。
大事に使うから」
花村が喜んでくれた様で何よりである。
その日はそこで解散し、各々で家路についた。
◆◆◆◆◆
日も暮れかける頃合いになると、悠希たちが帰った後も散ってはまた店の前に集ってと繰り返していた野次馬たちもめっきりと姿を消した。
野次馬たちへの対応を終えた遼太郎と足立は、丸久豆腐店に足を運ぶ。
「一先ず騒ぎは収まったみたいなんで、自分ら、取り敢えずこれで。
今後も騒がしい様なら署まで連絡ください」
「はい」
足立の言葉にりせは頷いた。
すると、遼太郎がりせに話し掛ける。
「あー、失礼、幾つか訊きたいことが」
微かにりせが首を傾げたのを了承と受け取ったのか、遼太郎は続けて質問した。
「最近、この辺りで物騒な事件が連続してるの、知ってるね?
身の回りで、怪しいヤツは見ませんでしたか?」
「別に……今まで通りです」
りせの返答に、遼太郎は困った様に頭を掻く。
「あー、今まで通り、か……。
仕事がアイドルじゃ、ストーカーだの、ハナから怪しいのだらけって事だな……。
……どうして突然休業されたんです?」
次の質問には、りせの表情が微かに強張った。
そして、俯く様に目を伏せる。
「……疲れただけです」
「学校はどちらへ?」
「八十神高校の予定です。ここから近いし」
幾つかの質問の後、遼太郎は少し言い辛そうに切り出した。
「脅かすつもりはないんだが……あなたには、これまでの被害者と幾つか共通点がある。
だから、その……」
「……事件に巻き込まれるかも、って事ですよね……。
……分かりました、気を付けます」
遼太郎が濁した言葉の後を、りせが言う。
遼太郎と足立はそれに驚いた様な顔をするが、「話の流れで分かる」と言うりせの言葉に、少しだけ違和感を感じながらも、特に矛盾した点は無いので一応は納得した。
何か不審な人物を見掛けたり、不審な出来事があれば直ぐに連絡する様に、と遼太郎はりせに付け加える。
「あー、それと、私的な話にはなるが、うちの姪がここに豆腐を買いに来たみたいでな。
もしかしてあなたと会ったんじゃないかな?
背が俺より高い、高校生なんだが」
「その人なら、昼過ぎにお豆腐を買いに来てました」
「その時に何か話は?」
「……特には」
りせの応答に不自然な点は無かった。
りせへの質問をそこで切り上げ、遼太郎と足立は丸久豆腐店を後にする。
「この所の失踪事件……二件の殺しも含めて、警察でも掴めていない謎は多い。
その内三件……八十神高校の生徒が関わる事件で、あいつはその周りをウロウロしてやがる……。
……偶然と言われればそれまでなのかもしれんが、やはり引っ掛かるな……」
考え込む様に空を見上げた遼太郎に足立が声を掛けると、遼太郎は視線を下げて微かに首を横に振った。
「八十神高校……な。
四件の事件の内、三件がそこの生徒で、久慈川りせが通学予定なのもあそこ、……か」
「学校関係者の捜査の方も、何も出てないんですよねえ……。
このままだと、ウチらマズくないですか?
県警もそろそろ……」
立て続けにそこの生徒が被害に遭っているのだ。
何らかの関係はあるものと思われるが、被害者三人で共通項は、それこそ『八十神高校生』というその一点だけ。
捜査状況も芳しくない中、県警が捜査に介入してくるのも時間の問題なのかもしれない。
だが、そんな心配をしている暇があるなら、少しでも捜査を続けなくてはならない。
そう足立に釘を刺し、遼太郎は署の方へと戻っていった。
◆◆◆◆◆
夕飯の時間になると叔父さんも帰って来た。
どうやら叔父さんもあの後丸久豆腐店に立ち寄ったらしく、豆腐を持って帰ってきている。
……それは明日の朝の味噌汁にでも入れるとしよう。
叔父さんに予告した通りに、今晩は豆腐ハンバーグだ。
豆腐ハンバーグは初めてだったのか、「おとうふからハンバーグってつくれるんだ」と、作る最中に菜々子は感心した様な目で見ていた。
「そういや悠希、お前、今日の放課後に久慈川りせに会ったみたいだが……」
何かを考えているかの様に黙々と食べていた叔父さんがふと訊ねてきた。
箸と器を置いてからそれに答える。
「ええ、まあ。
豆腐を買った時に、久慈川さんがお店に居たので、それで」
そう答えると、途端に菜々子が驚いた様に声を上げた。
「えっ、お姉ちゃん、りせちゃんに会ったの?」
「うん、商店街のお豆腐屋さんがね、久慈川さんのお家だったんだ。
買い物に行った時に、会えたよ」
すると、『りせちー』のファンであった菜々子は、「そうなんだ! 菜々子もりせちゃんに会いたい!」と目を輝かせる。
「じゃあ、今度お豆腐屋さんに一緒に行ってみようか。
色んな人が久慈川さんに会いに来てて今大変みたいだから、行くのはもう少し先になるかもしれないけどね」
「うん、“やくそく”だよ!」
指切りをして約束すると、菜々子は嬉しそうに笑う。
余程楽しみであるらしい。
その時。話の筋がそれてしまったのを軌道修正しようとしてか、叔父さんが訊ねてきた。
「あー、それでだな……。
久慈川りせと会った時に、何か話したりとかしたのか?」
「話、ですか?
いえ、これと言って特には……。
花村はファンだったみたいで、直に会えてかなり喜んでいましたが……」
「……そう、か」
何か引っ掛かるものでもあったのか、叔父さんは困った様に頭を掻く。
……この様子だと、久慈川さんはこちらの事は叔父さんたちに黙っていてくれた様なのだけれども。
……刑事の勘か何かで引っ掛かりを感じているのだろうか?
「どうかしたの?」
「あ、いや……。……何でもない」
菜々子に訊ねられ、叔父さんはそこでその話題は切り上げた。
◇◇◇◇◇
今晩も雨が降り続いている……。
そして迎えた深夜零時……。
《マヨナカテレビ》は昨晩と同様に映像を映し出す。
……胸や腰から太もも辺りが重点的に映し出されているが、やはりこれは『久慈川りせ』なのだろう。
昨晩のものよりも、顔の判別が可能な程よりハッキリと映っている。
本人そのものでは無い様だし、また『シャドウ』が映った時の様な感じでもないが……。
……何はともあれ、久慈川さんの身辺により気を付けなくてはならないだろう。
詳しい事は明日話し合う事にして、今日はもう眠る事にした。
◆◆◆◆◆