漢の世界
◆◆◆◆◆
小さい頃から裁縫や絵を描くことが好きだった。
家が染め物屋だから、そういったモノに触れる機会も多かった……と言うのもそれの一因かもしれない。
フワフワとしたもの、丸っこいもの、世間的に『可愛い』と言われるものも、大好きだった。
……だが……。
「……何だ、ここは……」
目が覚めると、そこは知らない場所だった。
視界が白く閉ざされている。
これは……湯気、か?
酷く暑い場所だ。
汗が滝の様に滴り落ちてゆく。
ここは何処だ。
何故オレはこんな場所に居る。
直前の記憶を思い出そうにも、どうにも頭に霞でもかかっているかの様にハッキリとしない。
家に居た……?
いや、何かに呼ばれて出ていったのだったか……?
フワフワと、考えが纏まらない。
暑さに浮かされて、頭までやられてしまったみたいだ。
湯気に覆われた周りを見回していると、何かが分厚い湯気の向こうで蠢いているのを感じた。
「誰だテメェ、出てきやがれ!」
恫喝する様にドスを効かせた声を上げるが、湯気の向こうから返って来たのは、こちらを嘲笑う様な声だった。
━━巽完二。喧嘩ばかりの、ロクでなしの不良……。
「何だとコラァッ!!」
怒鳴り返しても、声は全く怯まない。
━━暴走族潰して、自分が総長になって、今はお山の大将気取りかよ。
「テメェ、勝手な事言ってんじゃねぇっ!
オレはそんなモン、成った覚えねぇぞ!!」
暴走族を潰したのは、お袋が夜眠れなくなっていたからだ。
それなのに、そんな集団の総長になるとか、それこそ有り得ない。
この前の腹が立つ特番の後、色んな奴等がそう噂しているらしいとは知っていたが、全くの事実無根である。
━━最近カツアゲしてんのも、どうせお前なんだろ?
「違う! オレじゃねぇっ!!
決め付けてんじゃねぇぞ!!」
カツアゲなんて、そんな事する訳がない。
自分より弱い人間を脅して金を奪うなんて、最低の行為だ。
オレはそんな事、絶対にやらない。
━━どうせ巽完二だ。アイツはそういう奴だ。
どうせとは何だ。
知りもしないクセに、勝手な事ばかり言い募りやがって……!
姿を見せもしないで勝手な事ばかり言って嘲笑ってくるとは、フザけてやがる……!
「フザけんな!
姿も見せないでコソコソと勝手な事ばっか言いやがって!
出てこい! 締めてやるっ!!」
苛立つ気持ちを抑える事もせずにそう怒鳴ると、急に空気が変わったのを肌で感じた。
『フフフ……。
また、そうやって《恐い不良》のフリをしちゃってる……。
勝手な事言うな? 嘘ばっかり……』
奇妙に裏返ってノイズがかった様な声だが……、何故かオレはその声を知っている様な気がした
「なっ……今度は誰だ……?」
異様なモノをその声から感じとり、微かに後退る。
『恐くて、喧嘩も強い、不良の完二。
……とっても《男らしい》よね?
だから、君は《そう思われたい》んだよね?
でも、本当は違う』
熱い湯気の向こうから姿を現したのは━━
「……オレ……?」
何故か褌だけを纏った、オレ自身にそっくりのヤツだった。
だけれども、その表情はオレとは全く違う。
オレはあんな表情を浮かべたりなんかしない。
コイツは何だ?
何で、オレそっくりの顔をしているんだ?
『そう、……ボクはキミ……キミはボクだよ』
目の前の奴は肯定する様に頷くが、オレがここに居るのに、目の前の奴もオレだなんて事は有り得ない。
何処のどいつの仕業かは知らないが、変装だか何だかしているのだろう。
「テメェ、何フザけた事言ってやがる!
大体此処は何処だっ!!
テメェがオレをこんな所に連れて来やがったのかっ!?」
『ここはキミが願った世界……。
キミが望んだ、“ここ”に居る者にとっての、紛れもない《現実》さ』
意味が分からない。
コイツは一体何を言ってる?
オレがここを望んだ?
何を言っているんだ?
訳の分からない事を捲し立てて、煙にでも巻くつもりか?
「アッ? 何言ってやがる!」
『“ここ”は女なんて要らない。
キミがやりたい事をやれる《現実》……』
言っている事の意味がちっとも理解出来ない。
その時、背後で扉が開く様な音がして、誰かが入ってくる。
振り返ると、そこに居たのは見たことがある奴等ばかりだった。
『もうやめようよ、嘘つくの。
人を騙すのも、自分を騙すのも、嫌いだろ?
やりたい事をやりたいって言って、何が悪い?』
目の前の奴が、ニヤリと笑って近寄ってくる。
人を騙す?自分を騙す?
何を言ってやがる。
そうは思うが、胸がざわつくのを感じる。
ダメだ。
コイツの言う事を聞いてはいけない。
『ボクはキミの"やりたい事"だよ』
「違うっ!」
咄嗟にそう言い返した時、背後から鋭い声が飛んできた。
「巽くん! 駄目だ!!
そいつの言葉を否定しちゃ駄目なんだ!!」
何故そんな事を言ってくるのかは分からないが、そう声を上げている奴には見覚えがある。
「アンタたしか、この前の……」
数日前に、身の回りに気を付ける様に警告しに来たお節介な先輩だ。
何で、その先輩がここに?
『あー、もう……、煩いよ。
大体何で此処に女が居るのさ。
ここは男だけの場所だよ?
これだから女は嫌なんだ……。
勝手にこっちの領域を侵しに来てさ。
女のくせに、ボクの邪魔しないでよね』
目の前の奴が何をしたのかは分からないが、俄に背後が騒がしくなる。
『女は嫌いだ……。
偉そうで、我儘で、怒れば泣く、陰口は言う、チクる、試す、化ける……。
裁縫したり絵を描いてるボクを見てさ、気持ち悪いモノを見る見たいに“変人”、“変人”ってバカにして……。
で、笑いながらこう言うんだ。
"裁縫好きなんて、気持ち悪い"。
"絵を描くなんて、似合わない"』
ドクリ、と胸が痛んだ。
覚えがある言葉ばかりだ。
ギリギリと胸を締め付けられている様な錯覚すら覚える。
小学生の時に、クラスの女子に言われた言葉。
まるで、あの日に戻った様な痛みだ。
似合わない、と何度否定されただろう。
気持ち悪い、と何度言われただろう。
オレはただ、自分の好きな事をやっていただけなのに。
でも、クラスの女子たちは誰もが指を指して言うのだ。
似合わない、変だ、と。
一方的にそう言い捨てるだけだった。
反論しても、泣かれて、逆にこちらが悪者にされた。
ユラリユラリと揺れていた目の前の奴が、急に接近し、オレの肩を掴む。
ギリッと指が食い込むその傷みよりも、胸を掻き乱されているかの様な傷みの方が強い。
奴は限界まで顔を近付け、恨みを込めた様な声で言葉を吐く。
『"男のくせに"……、"男のくせに"……、"男のくせに"……!!』
身体が凍り付いた様に動けない。
今すぐにでもコイツの手を振り払わないと、と思っても、指の一本も動きやしない。
『じゃあ、男ってなんだ?
男らしいってなんなんだよ?
女は、怖いよなぁ……』
「怖く、なんか……」
貼り付いた様な舌を必死に動かして、反論する。
怖くなんて、ない。
そんな事、思ってない。
『……そうだ、男がいい……。
……男のクセにって、言わないしさ。
……だから、男がいいんだ……』
「違…う……!」
『違わないよ。
キミはボク、ボクはキミだよ……』
ニヤッと笑うソイツに、何よりも先に嫌悪感を感じた。
「━━っ! ザっ……けんな!
テメェ、人と同じ顔してやがって……!!」
背後で誰かが何かを叫んでいる様な気もするが、何を言っているのかは分からない。
今は兎に角、目の前のコイツの言葉を否定しなくてはならない。
《big》《b》「オレはテメェとは違うっ!《/b》《/big》
《big》《b》 テメェみてぇのが……オレなもんかよっ!!」 《/b》《/big》
そう言ってやった瞬間、立っていられない様な疲労が身体を襲う。
いや、体からどんどんと力が抜けていく。
受け身もろくに取れず、床に倒れた。
意識が薄れていく……。
視界の端が何やら光った様な気がした。
そして、優しく抱き起こされる感覚。
「巽くん、しっかり!
意識はある?!」
誰かがオレを呼んでいる……。
薄く目を開けると、あのお節介な先輩が見えた。
何で、そこに居るんだ……?
「アンタ……何でこんな所に……」
「意識はあるみたいだね、その話は後で。
今はこの場を離れないと」
お節介な先輩はそう言って、オレを抱き起こした姿勢のまま抱き抱え、何処かに移動し、オレを壁に凭れかけさせる。
薄れそうな意識の中、轟音が響いたり、誰かが叫んでいるのだけは分かった。
◇◇◇◇◇
「巽くんがやりたい事はコレなのか!?
巽くんが欲しいモノは、こんなモノなのか!?」
唐突に名前を呼ばれ、意識が少しハッキリとする。
お節介な先輩の声だ。
ぼんやりとした視界の中、先輩たちは……怪物と戦っていた。
「良いじゃないか、お裁縫が好きでも、お絵描きが好きでも!!
誰に迷惑をかけるモノでも無いだろ!
何も、変なんかじゃないさ!!」
お節介な先輩の言葉に、一気に目が覚める。
裁縫が好きでもいい、絵が好きでもいい。
変なんかじゃない。
その言葉が胸に沁みていく。
だが不意に、先輩が何を知っているのだ、とも思う。
口だけなら、言うのは簡単だ。
その言葉が、本心からのモノであるかなんて、分からない。
怪物が吼え、焦った様な先輩の声が指示を飛ばす。
そして、急に走り寄って来た先輩に抱き締められた。
突然の出来事に頭が真っ白になって硬直していると、目の前に雷でも落ちたかの様な轟音と同時に視界が真っ白に塗り潰される。
グッと、抱き締める力も強くなった。
轟音が収まり、視界が効く様になると、辺りは一変していた。
床にも壁にも酷い焦げ跡が残り、焦げ臭い煙を上げている。
「巽、くん。
怪我、……は、無い?」
気遣わし気にオレの顔を覗きこむ先輩の顔色は少し悪い。
……直感的に、この先輩に庇われたのだ、と理解した。
「オレは何ともねーけど……。アンタ……」
「そうか……。なら、良かった」
先輩こそ、大丈夫なのか。
そう訊ね返す前に、心底ホッとした様に先輩は微笑む。
そして、先輩はゴソゴソと自分の服のポケットを漁り、何かを掴み出してそれをオレの掌の上に載せた。
とても見覚えのあるそれに、思わず目を見開く。
「……! おい、アンタこれ……!」
お袋にあげた、編みぐるみだ。
それが、何でこんな所に?
何故先輩がコレを持っていたんだ?
「巽くんのお母さんに、借りたんだ。
君を探す手掛かりになる、から。
巽くんが手作りしたんだって、君のお母さんが言ってたよ……」
「……悪いかよ。
男がこんなモン作ってちゃ……」
この人も、思うのだろうか。
“変だ”と、“男らしくない”と。
だが先輩はフルフルと首を横に振った。
「悪くなんか、ないよ。
凄く、可愛い」
「かっ、可愛い……!?」
唐突に何を言っているのだ、この先輩は……!!
顔が熱くなるのを感じた。
「凄く丁寧に作られているし、デザインも拘ってる。
小物とかも、凄い手が込んでるし……。
本当に可愛い。
……巽くんが、こういうの本当に好きなんだって、とてもよく伝わってくる。
こんなに凄いものを作れるんだから……。
巽くん、胸を張りなよ」
……初めてだった。
オレが作った『可愛い』ものを、お袋以外の人に褒められるのは。
凄い、なんて……今まで誰にも言って貰えなかった。
胸を張れ、なんて……。
「だから、あそこで苦しんでいる君を認めてあげてね」
「アンタ、アレが何なのか知ってんのか……?」
そう訊ねると、先輩は小さく頷いて説明する。
「アレは巽くんがずっと心の奥に押し込めていた君自身の側面の一つだ。
君自身に否定されてしまったから、ああやって暴れている。
だから、受け入れてあげて欲しい。
自分自身を否定して傷付けるなんて、とても悲しいから」
アイツが、オレの側面……。
先輩の言う事を一から十まで納得して受け入れた訳ではない。
だけれど、その言葉に、思い当たる節があったのは確かだ。
「巽くんなら出来るよ。
だって君は、誰かに拒絶されてしまう辛さを、よく知っている人なんだから」
ポンポンと、先輩の手がオレの頭を軽く叩く様に撫でた。
…………分かっている。
誰かに拒絶されるのが恐い。
恐いから、……だから、自分から距離を取ろうとする。
それが、俺だ。
乱暴者を装っていれば、誰も態々近寄ってこない。
誰も近寄ってこないなら、趣味がバレる事も無いし、それを“男らしくない”だなんて拒絶される事も無い。
こんな身体もデカくてガタイも良い男の趣味が裁縫なんて誰も思わない。
きっと、知られてしまったら、“変”だと“らしくない”だと、拒絶されるだろう。
オレはただ、それを恐がっていただけなのだ。
やっと、その事に向き合う事が出来た。
◆◆◆◆◆
小さい頃から裁縫や絵を描くことが好きだった。
家が染め物屋だから、そういったモノに触れる機会も多かった……と言うのもそれの一因かもしれない。
フワフワとしたもの、丸っこいもの、世間的に『可愛い』と言われるものも、大好きだった。
……だが……。
「……何だ、ここは……」
目が覚めると、そこは知らない場所だった。
視界が白く閉ざされている。
これは……湯気、か?
酷く暑い場所だ。
汗が滝の様に滴り落ちてゆく。
ここは何処だ。
何故オレはこんな場所に居る。
直前の記憶を思い出そうにも、どうにも頭に霞でもかかっているかの様にハッキリとしない。
家に居た……?
いや、何かに呼ばれて出ていったのだったか……?
フワフワと、考えが纏まらない。
暑さに浮かされて、頭までやられてしまったみたいだ。
湯気に覆われた周りを見回していると、何かが分厚い湯気の向こうで蠢いているのを感じた。
「誰だテメェ、出てきやがれ!」
恫喝する様にドスを効かせた声を上げるが、湯気の向こうから返って来たのは、こちらを嘲笑う様な声だった。
━━巽完二。喧嘩ばかりの、ロクでなしの不良……。
「何だとコラァッ!!」
怒鳴り返しても、声は全く怯まない。
━━暴走族潰して、自分が総長になって、今はお山の大将気取りかよ。
「テメェ、勝手な事言ってんじゃねぇっ!
オレはそんなモン、成った覚えねぇぞ!!」
暴走族を潰したのは、お袋が夜眠れなくなっていたからだ。
それなのに、そんな集団の総長になるとか、それこそ有り得ない。
この前の腹が立つ特番の後、色んな奴等がそう噂しているらしいとは知っていたが、全くの事実無根である。
━━最近カツアゲしてんのも、どうせお前なんだろ?
「違う! オレじゃねぇっ!!
決め付けてんじゃねぇぞ!!」
カツアゲなんて、そんな事する訳がない。
自分より弱い人間を脅して金を奪うなんて、最低の行為だ。
オレはそんな事、絶対にやらない。
━━どうせ巽完二だ。アイツはそういう奴だ。
どうせとは何だ。
知りもしないクセに、勝手な事ばかり言い募りやがって……!
姿を見せもしないで勝手な事ばかり言って嘲笑ってくるとは、フザけてやがる……!
「フザけんな!
姿も見せないでコソコソと勝手な事ばっか言いやがって!
出てこい! 締めてやるっ!!」
苛立つ気持ちを抑える事もせずにそう怒鳴ると、急に空気が変わったのを肌で感じた。
『フフフ……。
また、そうやって《恐い不良》のフリをしちゃってる……。
勝手な事言うな? 嘘ばっかり……』
奇妙に裏返ってノイズがかった様な声だが……、何故かオレはその声を知っている様な気がした
「なっ……今度は誰だ……?」
異様なモノをその声から感じとり、微かに後退る。
『恐くて、喧嘩も強い、不良の完二。
……とっても《男らしい》よね?
だから、君は《そう思われたい》んだよね?
でも、本当は違う』
熱い湯気の向こうから姿を現したのは━━
「……オレ……?」
何故か褌だけを纏った、オレ自身にそっくりのヤツだった。
だけれども、その表情はオレとは全く違う。
オレはあんな表情を浮かべたりなんかしない。
コイツは何だ?
何で、オレそっくりの顔をしているんだ?
『そう、……ボクはキミ……キミはボクだよ』
目の前の奴は肯定する様に頷くが、オレがここに居るのに、目の前の奴もオレだなんて事は有り得ない。
何処のどいつの仕業かは知らないが、変装だか何だかしているのだろう。
「テメェ、何フザけた事言ってやがる!
大体此処は何処だっ!!
テメェがオレをこんな所に連れて来やがったのかっ!?」
『ここはキミが願った世界……。
キミが望んだ、“ここ”に居る者にとっての、紛れもない《現実》さ』
意味が分からない。
コイツは一体何を言ってる?
オレがここを望んだ?
何を言っているんだ?
訳の分からない事を捲し立てて、煙にでも巻くつもりか?
「アッ? 何言ってやがる!」
『“ここ”は女なんて要らない。
キミがやりたい事をやれる《現実》……』
言っている事の意味がちっとも理解出来ない。
その時、背後で扉が開く様な音がして、誰かが入ってくる。
振り返ると、そこに居たのは見たことがある奴等ばかりだった。
『もうやめようよ、嘘つくの。
人を騙すのも、自分を騙すのも、嫌いだろ?
やりたい事をやりたいって言って、何が悪い?』
目の前の奴が、ニヤリと笑って近寄ってくる。
人を騙す?自分を騙す?
何を言ってやがる。
そうは思うが、胸がざわつくのを感じる。
ダメだ。
コイツの言う事を聞いてはいけない。
『ボクはキミの"やりたい事"だよ』
「違うっ!」
咄嗟にそう言い返した時、背後から鋭い声が飛んできた。
「巽くん! 駄目だ!!
そいつの言葉を否定しちゃ駄目なんだ!!」
何故そんな事を言ってくるのかは分からないが、そう声を上げている奴には見覚えがある。
「アンタたしか、この前の……」
数日前に、身の回りに気を付ける様に警告しに来たお節介な先輩だ。
何で、その先輩がここに?
『あー、もう……、煩いよ。
大体何で此処に女が居るのさ。
ここは男だけの場所だよ?
これだから女は嫌なんだ……。
勝手にこっちの領域を侵しに来てさ。
女のくせに、ボクの邪魔しないでよね』
目の前の奴が何をしたのかは分からないが、俄に背後が騒がしくなる。
『女は嫌いだ……。
偉そうで、我儘で、怒れば泣く、陰口は言う、チクる、試す、化ける……。
裁縫したり絵を描いてるボクを見てさ、気持ち悪いモノを見る見たいに“変人”、“変人”ってバカにして……。
で、笑いながらこう言うんだ。
"裁縫好きなんて、気持ち悪い"。
"絵を描くなんて、似合わない"』
ドクリ、と胸が痛んだ。
覚えがある言葉ばかりだ。
ギリギリと胸を締め付けられている様な錯覚すら覚える。
小学生の時に、クラスの女子に言われた言葉。
まるで、あの日に戻った様な痛みだ。
似合わない、と何度否定されただろう。
気持ち悪い、と何度言われただろう。
オレはただ、自分の好きな事をやっていただけなのに。
でも、クラスの女子たちは誰もが指を指して言うのだ。
似合わない、変だ、と。
一方的にそう言い捨てるだけだった。
反論しても、泣かれて、逆にこちらが悪者にされた。
ユラリユラリと揺れていた目の前の奴が、急に接近し、オレの肩を掴む。
ギリッと指が食い込むその傷みよりも、胸を掻き乱されているかの様な傷みの方が強い。
奴は限界まで顔を近付け、恨みを込めた様な声で言葉を吐く。
『"男のくせに"……、"男のくせに"……、"男のくせに"……!!』
身体が凍り付いた様に動けない。
今すぐにでもコイツの手を振り払わないと、と思っても、指の一本も動きやしない。
『じゃあ、男ってなんだ?
男らしいってなんなんだよ?
女は、怖いよなぁ……』
「怖く、なんか……」
貼り付いた様な舌を必死に動かして、反論する。
怖くなんて、ない。
そんな事、思ってない。
『……そうだ、男がいい……。
……男のクセにって、言わないしさ。
……だから、男がいいんだ……』
「違…う……!」
『違わないよ。
キミはボク、ボクはキミだよ……』
ニヤッと笑うソイツに、何よりも先に嫌悪感を感じた。
「━━っ! ザっ……けんな!
テメェ、人と同じ顔してやがって……!!」
背後で誰かが何かを叫んでいる様な気もするが、何を言っているのかは分からない。
今は兎に角、目の前のコイツの言葉を否定しなくてはならない。
《big》《b》「オレはテメェとは違うっ!《/b》《/big》
《big》《b》 テメェみてぇのが……オレなもんかよっ!!」 《/b》《/big》
そう言ってやった瞬間、立っていられない様な疲労が身体を襲う。
いや、体からどんどんと力が抜けていく。
受け身もろくに取れず、床に倒れた。
意識が薄れていく……。
視界の端が何やら光った様な気がした。
そして、優しく抱き起こされる感覚。
「巽くん、しっかり!
意識はある?!」
誰かがオレを呼んでいる……。
薄く目を開けると、あのお節介な先輩が見えた。
何で、そこに居るんだ……?
「アンタ……何でこんな所に……」
「意識はあるみたいだね、その話は後で。
今はこの場を離れないと」
お節介な先輩はそう言って、オレを抱き起こした姿勢のまま抱き抱え、何処かに移動し、オレを壁に凭れかけさせる。
薄れそうな意識の中、轟音が響いたり、誰かが叫んでいるのだけは分かった。
◇◇◇◇◇
「巽くんがやりたい事はコレなのか!?
巽くんが欲しいモノは、こんなモノなのか!?」
唐突に名前を呼ばれ、意識が少しハッキリとする。
お節介な先輩の声だ。
ぼんやりとした視界の中、先輩たちは……怪物と戦っていた。
「良いじゃないか、お裁縫が好きでも、お絵描きが好きでも!!
誰に迷惑をかけるモノでも無いだろ!
何も、変なんかじゃないさ!!」
お節介な先輩の言葉に、一気に目が覚める。
裁縫が好きでもいい、絵が好きでもいい。
変なんかじゃない。
その言葉が胸に沁みていく。
だが不意に、先輩が何を知っているのだ、とも思う。
口だけなら、言うのは簡単だ。
その言葉が、本心からのモノであるかなんて、分からない。
怪物が吼え、焦った様な先輩の声が指示を飛ばす。
そして、急に走り寄って来た先輩に抱き締められた。
突然の出来事に頭が真っ白になって硬直していると、目の前に雷でも落ちたかの様な轟音と同時に視界が真っ白に塗り潰される。
グッと、抱き締める力も強くなった。
轟音が収まり、視界が効く様になると、辺りは一変していた。
床にも壁にも酷い焦げ跡が残り、焦げ臭い煙を上げている。
「巽、くん。
怪我、……は、無い?」
気遣わし気にオレの顔を覗きこむ先輩の顔色は少し悪い。
……直感的に、この先輩に庇われたのだ、と理解した。
「オレは何ともねーけど……。アンタ……」
「そうか……。なら、良かった」
先輩こそ、大丈夫なのか。
そう訊ね返す前に、心底ホッとした様に先輩は微笑む。
そして、先輩はゴソゴソと自分の服のポケットを漁り、何かを掴み出してそれをオレの掌の上に載せた。
とても見覚えのあるそれに、思わず目を見開く。
「……! おい、アンタこれ……!」
お袋にあげた、編みぐるみだ。
それが、何でこんな所に?
何故先輩がコレを持っていたんだ?
「巽くんのお母さんに、借りたんだ。
君を探す手掛かりになる、から。
巽くんが手作りしたんだって、君のお母さんが言ってたよ……」
「……悪いかよ。
男がこんなモン作ってちゃ……」
この人も、思うのだろうか。
“変だ”と、“男らしくない”と。
だが先輩はフルフルと首を横に振った。
「悪くなんか、ないよ。
凄く、可愛い」
「かっ、可愛い……!?」
唐突に何を言っているのだ、この先輩は……!!
顔が熱くなるのを感じた。
「凄く丁寧に作られているし、デザインも拘ってる。
小物とかも、凄い手が込んでるし……。
本当に可愛い。
……巽くんが、こういうの本当に好きなんだって、とてもよく伝わってくる。
こんなに凄いものを作れるんだから……。
巽くん、胸を張りなよ」
……初めてだった。
オレが作った『可愛い』ものを、お袋以外の人に褒められるのは。
凄い、なんて……今まで誰にも言って貰えなかった。
胸を張れ、なんて……。
「だから、あそこで苦しんでいる君を認めてあげてね」
「アンタ、アレが何なのか知ってんのか……?」
そう訊ねると、先輩は小さく頷いて説明する。
「アレは巽くんがずっと心の奥に押し込めていた君自身の側面の一つだ。
君自身に否定されてしまったから、ああやって暴れている。
だから、受け入れてあげて欲しい。
自分自身を否定して傷付けるなんて、とても悲しいから」
アイツが、オレの側面……。
先輩の言う事を一から十まで納得して受け入れた訳ではない。
だけれど、その言葉に、思い当たる節があったのは確かだ。
「巽くんなら出来るよ。
だって君は、誰かに拒絶されてしまう辛さを、よく知っている人なんだから」
ポンポンと、先輩の手がオレの頭を軽く叩く様に撫でた。
…………分かっている。
誰かに拒絶されるのが恐い。
恐いから、……だから、自分から距離を取ろうとする。
それが、俺だ。
乱暴者を装っていれば、誰も態々近寄ってこない。
誰も近寄ってこないなら、趣味がバレる事も無いし、それを“男らしくない”だなんて拒絶される事も無い。
こんな身体もデカくてガタイも良い男の趣味が裁縫なんて誰も思わない。
きっと、知られてしまったら、“変”だと“らしくない”だと、拒絶されるだろう。
オレはただ、それを恐がっていただけなのだ。
やっと、その事に向き合う事が出来た。
◆◆◆◆◆