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虚構の勇者

◇◇◇◇◇





 久保美津雄を無事警察に引き渡した後簡単な事情聴取を受る事になったのだが、それは花村と巽くんが引き受けてくれたので、自分は里中さん達と一緒に二人が帰ってくるのをフードコートで待った。
 少し日が傾き始めた時間帯だからか、或いは茹だる様な暑さの所為かは分からないが、何時もよりもフードコートの人影は心なしか少ない。

 軽い喧騒に紛れて、何処か遠くで蝉が煩く合唱しているのが聴こえてくる。
 軽く汗ばむ様な熱気に、頭が少し茫とした。
 あぁ……この光景は、まるで……。

「鳴上?」

 その時。
 いつの間にか帰ってきていた花村が、心配そうな声音で背後から軽くこちらの肩を叩いてくる。
 それに、振り返ろうとしたその時。

 ──視界に鮮血が飛び散った、……様な気がした。

 思わず思考が一瞬停まり、直ぐ様幻影を打ち払う為に目をきつく瞑って頭を振った。

 あれは“夢”だ、『シャドウ』の精神攻撃に依って見せられていた“悪夢”に過ぎない。
 あれらは“現実”ではないし、実際に起きた事ではない。
 自分は、ただそれを“現実”と誤認して錯覚しているだけだ……!

 必死に自分に言い聞かせるが、早鐘の様に打ち鳴らされた様な動悸は中々治まらない。

 そうだ、あれは“夢”だ。
 冷静になれ、よく思い返せ。
 あれは全て時間軸が狂っていた。
 前後の時間や状況に一切の整合性が取れていなかったではないか……!
 何度も何度も同じ時を繰り返したり、何度も何度も殺したり殺されたり……。
 そんな事は有り得ない。
 それは現実的には起こり得ない事だ!

 此方に戻って冷静になった頭では、ちゃんと理屈を理解はしていた。
 今自分が居る此処こそが、“現実”なのだと。
 しかし、知覚的には“現実”との識別が不可能な終わらない“悪夢”は、確実に己を蝕んでいた。

 ふとした瞬間に、唐突に“夢”と“現実”の境が曖昧になってしまう。
 “夢”の中の一場面が、ランダムに再生されていく。
 ふと見詰めた手が血に塗れていると錯覚したり、目の前の花村達が血塗れになっていると錯覚したり、ふとした瞬間に手に刀で肉を切り裂く生々しい感触が蘇ったりと……。
 明らかに、異常な状況であった。

 自分の認識が異常を来しているのは、自覚しているのに。
 それをどうすれば良いのかは分からない。

「おい、鳴上?
 どうかしたのか?」

 花村が、心配そうに見詰めてきた。
 心配してくれているのは、分かっている。
「大丈夫」「何もない」と返すべきだとも、分かっている。
 それなのに。
 その表情が、あの穏やかに狂わせていく“悪夢”の中の花村の表情と完全に重なった。
 途端に、今感じている“現実”が色褪せる様にして消え、あの“悪夢”の中に居る様な感覚を覚える。

 違う、違う、違う……!
 それは“現実”ではない、有りもしなかった事だ。
 それに囚われてはいけない……!

 理性はそう声を荒げるも、まるで蟻地獄の中をもがきながら滑り落ちていくかの様に、“悪夢”の残滓から逃れられない。

「はな、むら……」

 凍り付きそうな舌を動かして、辛うじて花村の名前を呼んだ。
 いや、呼んだつもりになったと言う方が正しい。
 最早、自分がちゃんと“現実”で話しているのかすら、あやふやになっているからだ。

「……ゆうき、と……。
 悠希と、呼んでくれないか……。
 すまない、頼む……」

 自分の頭の中でどれ程考えても無駄であるのなら、最早自分以外の誰かに、あの“悪夢”の中とは明確に違う部分を作るしかなかった。
 それに縋りでもしないと、今のこの状態では狂っていく一方だ。
 花村は急な頼みに少し戸惑った様な顔をしたが、直ぐに頷いてくれた。

「あ、ああ……。
 その、本当に大丈夫なのか、悠希?」

 花村に名を呼ばれた途端に、意識は“現実”へと固定される。
 “悪夢”の残滓は、既に跡形も無く何処かへ消えていた。
 だから、心配そうにする花村を安心させる為に、ゆっくりと頷く。

「……ああ、もう、大丈夫だ。
 急に変な頼み事をして、すまなかった」

「あ……いや……別に名前で呼ぶのは構わねーけど……。
 ……やっぱり、あの時に何かあったのか?」

 少し訊ね辛そうに、花村が尋ねてくる。
『シャドウ』の攻撃から助け出してくれたのは、花村だ。
 その時に、何かを見たのかもしれない。
 ……だが、自分が見せられていたモノを伝えても、花村を困惑させるだけだろう。
 だから、詳しくは語らない事にした。

「……大した事は、無いさ。
 少し……悪い夢を見せられていただけだから」

 事実としては夢を見せられていただけなのだから、嘘を述べてはいない。
 主観的には、少しどころの“悪夢”では無かったのだが。

 花村はそれ以上は無理に踏み込もうとはせず、だが気遣わし気に此方を見詰めてきた。
 それに対して、少々ぎこちなくはあったが、何とか笑みを取り繕って返す。

 花村は何故か複雑そうな表情を浮かべて一瞬口を開きかけるが、結局は何も言わずに席についたのだった。



◇◇◇◇◇



 皆が揃った所で、今回の件についての情報の整理を始める。

 久保美津雄は、“力”とは無縁なただの“模倣犯”であろう事。
 久保美津雄が彼方の世界に落とされた現場が何処かは不明であるが、少なくとも彼の自宅では無かった事。
 そこから今回の件に関しては、【犯人】の手口とは異なる部分が見受けられる事。
 何故テレビに取り上げられたりした訳でもなく、《マヨナカテレビ》に映った訳でも無い久保美津雄が、“被害者”になったのか。
 更には、【犯人】はどうやって久保美津雄の情報を入手して彼を特定したのか。

 そう言った部分を整理したり、情報の共有化を図る。
 尚、今回久保美津雄をテレビに落とした人物や、その人に近しい人物が警察関係者である可能性がある、と言う事は伏せておいた。
 憶測に過ぎぬ事で、皆に要らぬ心配をさせてはいけないからだ。

「……アイツ、結局最後まで『全部自分がやったんだ』って主張し続けてたよね……」

 議論に一段落付いた所で、ポツリと里中さんがそう溢した。
 その言葉に、皆が複雑そうな顔をする。

「“目立ちたいから”って理由でそんな事してるんだろうけど……。
 でも、そんなのって……」

 久保美津雄が諸岡先生を殺害したのは、間違いなく事実なのだろう。
 彼はその行為を裁かれるべきであるし、それは彼の一生に渡り消えない事実として残る。
 だが、やってもいない殺人までも自らの犯行だと声高に叫び続けるその理由は、自分には到底共感し得ないモノであった。
 目立ちたい、自らを見て欲しい。
 そんな願望から自ら何の益も無い虚構に溺れる久保美津雄は、恐らく既に正常な状態では無いのだろう。

「アイツの事は、後はもう警察に任せるしかないだろうな……」

 溜め息交じりに花村がそう溢す。
 久保美津雄は事実として、山野アナと小西先輩の死には何の関係も無い。
 ちゃんと捜査が行われていれば、それはただの虚言に過ぎない以上は確たる証拠は出ないだろうし立件出来ない筈だ。

 議論も終わりそろそろ夕刻が近付いてきたので、もう解散しようかとしたその時。
 急にりせが立ち上がって、“打ち上げ”をしようと言い出した。
 何故突然にそんな事を?と首を傾げていると。

「【事件】はまだ終わってないけど、私達が頑張ったから“模倣犯”が捕まったじゃない?
 一つの区切りって事で、パーッとやろうよ!」

 その提案に、クマと里中さんが途端に乗り気になったのかはしゃぎ始めた。

「はいはーい!
 クマはねー、ユキちゃんのお家行きたーい!
 宴会、お座敷、温泉、浴衣!
 皆でドンチャン騒ぎするクマー!」

 手を高く挙げてそうアピールするクマに、天城さんは少し困った様な顔をする。

「楽しそうだけど、今はシーズン中で空いてるお部屋が無いからちょっと無理かな……」

 そう言われると、余程期待していたのか、一気にクマは萎れてしまう。
 そんなクマに、「また今度ね」と天城さんは約束して、その頭を優しく擦った。
 そんなクマを優しく見守っていた花村は、ふと何か妙案を思い付いたかの様に此方を見る。

「打ち上げ、か……。
 なら、悠希の家とかどうだ?
 あ、いや……何の打ち上げか堂島さんに訊かれるとやり辛いか……」

 途中でその事に思い至り、「良い考えだと思ったんだけどな……」と、花村は頭を掻いた。

 確かに、叔父さんに理由を尋ねられると誤魔化すのが心苦しくなるが、今日に関してはその心配は不要である。
 久保美津雄が逮捕された事により、その処理に追われていて、今日は署の方に泊まり込みになると先程連絡が来たばかりだ。

「いや、今日は署の方に泊まり込みになるから叔父さんは家に帰ってこないし、一応確認は取るけど、理由はそんなに詳しくは訊かれないと思うぞ。
 家でやる以上は菜々子も一緒になるが、それで良いのなら私は構わない」

 皆に確認を取った所、菜々子の存在は寧ろ歓迎された。
 パーッと楽しむ事が主目的なのだから、人数は多い方が楽しい、との事だ。

「で、場所が決まったのは良いんスけど、打ち上げって何する気なんスか?」

 巽くんがそう訊ねてくる。
 確かに巽くんの言う通り、まだ場所を決めただけだ。
 具体的に何をするのかは未定である。

「何しよっかなー。
 皆でワイワイやれるのが良いよね……。
 もうそろそろ日も暮れるし、何が良いんだろ」

 里中さんが頭を捻る様にして考えている横で、天城さんがポンッと手を打って提案してきた。

「あっ、そうだ。
 もう少ししたらお夕飯時だし、皆で料理するってのはどう?」

 途端に、花村と巽くんの身体が硬直した様に固まり、顔が何やら引き攣り気味になる。
 きっと、何かと嫌な方向性に衝撃的だったカレーを思い出しているのだろう。
 が、あの悲劇を知らぬクマとりせは、天城さんの提案に途端に乗り気になる。

「おおぅ、ユキちゃんナイスアイディア!
 クマ、今日沢山動いたからもうお腹ペッコペコクマよ!」

「今日は色々あって疲れたもんね。
 私も賛成!
 ってか、悠希先輩が料理上手なのは知ってるけど、雪子先輩と千枝先輩も料理得意なの?」

 純粋に疑問に感じたりせが、そう天城さんと里中さんに訊ねると。
 二人はお互い顔を見合せ、少し考える様に首を捻ってから。
 二人同時に「まあまあ?」と答えた。
 途端に花村と巽くんの顔色が一気に悪くなる。

「いやいやいやいや、天城さんに里中さん?
 お二人とも、あの『物体X』の記憶を何処にお忘れに?
 つか、二人も作るつもりかよ!?」

 花村のツッコミに、あの惨劇がチラリと脳裡を掠めたのか、里中さんと天城さんは慌てた様にしどろもどろになりつつも弁明を始めた。

「えっ? あー、まあ、あの時は、ね、うん。
 あれからちょっとは上達したんだよ? 多分。
 それにほら、この人数分の料理を鳴上さん一人に作って貰うのはね?
 ね、雪子!」

「う、うん!
 鳴上さん一人を頼りっきりにするのも良くないし。
 私は、旅館の皆に料理を見て貰ってるから、ちょっとは出来る様になったんだよ? 多分」

 いや、別に自分はこの人数分を作ったって構わないのだが……。
 それより、多分を語尾の様に使用するのは止めてくれ。
 が、まあ……。
 あの『物体X』に関しては、二人ともちゃんと反省はしていたので、アレを越える様なシロモノは作らないのではないだろうか?
 ……自分がそう思いたいだけとも言えるが。

「ふーん、そっか……。
 あ、私はね、料理は得意なんだよ?
 私も一緒に作りたいな」

 良いよね?と訊ねてくるりせに、一つ頷いた。
 どうせなら皆で作る方が楽しいだろう。
 りせの言葉を聞いたクマが何かを思い付いた様で、再び元気よく手を挙げる。

「はいはーい!
 クマ、良い事思い付いちゃいましたー!
 料理対決でモッキュモキュ! みたいなぁー!」

 純粋により楽しくする為の提案だったのだろうが……。
 “料理対決”と言う響きは、否応無くあの『物体X』の悲劇を思い起こさせる。
 そして……、あの永遠に繰り返された“悪夢”の中の一日を。

「た、対決……。
 い、良いよ、受けて立とうじゃん!」

 あの“悪夢”の欠片に意識が囚われそうになっていると。
 対決と言う言葉に、里中さんは何処か冷や汗をかきつつも賛成した。

「へぇ、対決かぁ……。
 うん、良いね!
 ふふっ、千枝先輩や雪子先輩との対決なら、多分私が勝っちゃうんじゃないかな?」

 挑発する様なりせの言葉に、途端に直前まで何処か迷っていた天城さんも乗り気になる。

「一撃で仕留めるから」

 据わった目で、天城さんはそんな宣言をしていた。
 ……仕留めてどうする気だ。
 三人……と言うよりも、りせが天城さんと里中さんの二人とお互いに煽り合う中で。

「悠希先輩も作るよね?」

 と、不意にりせが話題を振ってきた。
 “悪夢”を振り払う事に意識を取られていた為、その急な振りに僅かに戸惑ったが、それを表に出さぬ様にして頷く。
 すると、りせはそれに満足気に笑って、一つ提案してきた。

「料理対決って事は、同じメニューで揃えた方が分かりやすいよね。
 折角だし、菜々子ちゃんの好きな料理にするってのはどうかな?」

 ……成る程、それは良い考えだ。
 早速菜々子に電話して訊ねてみた所、暫し考えた後に「オムライス食べたい!」と何処かワクワクした声で答えてくれた。
 オムライスか。
 極めるのは中々難しいが、そこそこ美味しく作るだけならば割りと簡単である。
 それなら、天城さんや里中さんでも何とかなるのかもしれない。

 早速メニューを伝えると、花村と巽くんを除いた面子は乗り気になり、早速意気揚々と食品売り場へと出掛ける。
 ……同じオムライスと言うメニューを作るのに、てんでバラバラな方向に散っていく事に、一抹の不安を感じるが……。
 ……まあ、きっと変わり種のオムライスにするつもりなのだろう、多分。

「そう言や、悠希は何を作るつもりなんだ?」

 側に居た花村がそう訊ねてきたので、基本的なオムライスにする予定だと答えた。
 デミグラスソースを使ったオムライスや、バターライスと醤油を使った和風オムライスに、お好み焼き風オムライス等も候補に入れていたのだが。
 きっと菜々子が食べたいのは、……叔母さんが作ってあげていた様な、“普通”のオムライスなのだろうから。
 勿論、トマトソースは一から作るし、他にも工夫はするつもりだが、それでもスタンダードなオムライスに近いモノに仕上げるつもりである。

 各自必要なモノを買い揃えてから、菜々子が待つ家へと皆で向かった。





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