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虚構の勇者

◆◆◆◆◆





 ━━目を醒ませ、悠希!!





 深い水底に沈む意識にまではっきりと届いた、魂を震わせる様な、ありったけの感情が込められた全身全霊の叫びに。

 自己と外界を隔てていた見えない壁は撃ち破られた。

 途端に、強烈な喉元の絞扼感と息苦しさを感じる。
 苦しさに霞みかける視界の中では。
 陰鬱な狂気をその顔に貼り付けた隻腕の『シャドウ』が、残された片手で首を掴んで潰そうとしてきていた。

 五体満足の状態ではあるが、これでは身動きの取り様が無い。
 もがいて逃れようとするも赤子の様なその手の力は異常な程強く、抵抗すれば抵抗する程、喉元の圧迫感は増大していく。

 その時。
 右手に握られた軍刀の存在に気が付いた。

 無我夢中でそれを『シャドウ』の腹部へと突き刺すと。
『シャドウ』は金切り声を上げてその場をのたうち回り、此方の喉を絞めていた手を投げ出す様にして離した。

 混乱から醒めぬままそれでも状況を把握しようと辺りを見回すと、其処は『シャドウ』と己しか存在しない虚ろな闇の中で、花村達の姿は何処にも見当たらない。

 今は何時だ、ここは何処だ、花村達は何処へ。

 疑問は後から後から沸き上がってくる。
 一体何がどうなっているんだ?
 困惑が深まったその時。

「早くこの手を掴め、悠希!!」

 上方から必死に此方を呼ぶ花村の声が聴こえてくる。
 反射的に上を見上げると。
 其処だけ闇が晴れている場所から花村が身を乗り出して、此方に手を精一杯伸ばしていた。
 状況はまだ呑み込み切れないが。
 地獄に垂らされた糸に縋り付く様に、差し伸べられているその手に向かってこちらも精一杯手を伸ばした。

 指先が僅かに触れ合うと、花村はそれを手繰り寄せる様にして手首を掴み、一気呵成に此方を引き揚げて抱き抱えてくれる。

 途端に眩しくなる視界に思わず瞼を閉じた。
 閉ざされた視界の中、風を切る感触を肌で感じる。

 目を開けると、自分は花村に手首を掴まれたままジライヤに花村諸共抱えられている状態であった。

 ふと振り返ると、『シャドウ』が纏うブロックの勇者がのたうち回る様に暴れている。
 それから距離を取った場所に降り立ったジライヤは、そっとこちらを壊れ物を扱うかの様に優しく下ろしてくれた。

 これは何だ。
 これはどんな状況だ……?
 一体、何が起きている?

 手を見ても、誰の血にも塗れてはいない。
 刀はこの手には握られておらず、『シャドウ』に突き刺してそれっきりだ。
 まだ今の所は、誰も殺した形跡は無い。

 周りを見回すと、未だ手首を掴んだままの花村だけではなく、里中さんが、天城さんが、巽くんが、りせが、クマが。
 何事も無かったかの様に掠り傷程度の状態で立っていた。


 何だ、これは。
 自分はまた、逃避する為に、自分に都合の良い“夢”を見ているのか……?

 ……自分の弱さに、殆嫌気が差してくる。
 “現実”から目を反らして虚構に逃避するなど、唾棄すべき行為以外の何物でも無いと言うのに。

 今度は、何だ……?
 花村が都合よく助けてくれたと言う“夢”なのか?

 擦り切れた思考では、最早何も真面に考えられない。
 その時。

「おい、悠希、しっかりしろ!!
 大丈夫か!?」

 こちらの手を掴んだままだった花村が、焦った様に顔を覗き込んで来る。
 心から此方を気遣う様なその顔に、磨耗しきった何かが僅かに動きそうになる。

 ……。
 ……“悠希”?

 狂った無間地獄の中で、花村が此方を『悠希』と呼んだ事は未だ一度たりともなく、出会ってから今まで一度も無い事だ。

 ここは、先程までの地獄の中とは、“違う”のではないだろうか。
 明確な根拠など何処にも無いのに、そんな益体も無い身勝手な希望が頭を擡げてくる。

「はな……むら……」

 花村の名を呼んだ。
 その行為に、意味は、無い。
 “夢”なのかどうかなど、問うた所で正しい答えが返って来る筈も無く。
 言わねばならぬ何かも、皆目見当も付かなかったのだから。
 だが、自分の声は、何処か縋る様な響きを秘めていた。

「おい、本当に大丈夫か、悠希?
 やっぱアイツに捕まっていた時に何かされてたんじゃ……!」

 名前を呼んだ途端に、慌てる様に周りを見回して、花村は皆を呼ぶ。
 すると途端に皆は急いで此方に駆け寄って来た。
 皆に揉みくちゃにされるが、状況の整理に忙しくそれ所では無い。

 アイツ……?
 捕まっていた……?

 アイツとは、この状況から判断するに久保美津雄の『シャドウ』の事なのであろう。
 だが、捕まっていた、とは……?
 そもそも、あの無間地獄で目覚める前。
 自分は、一体何をしていたんだ……?

 体感時間としては遥かに昔の事であるが、必死に記憶を漁って思い出そうと努める。

 確か、『シャドウ』と戦っていて。
 それで、アイツがあのブロックの鎧を纏うのを阻止しようと、『シャドウ』を攻撃しようとして……?
 ……其処から先の記憶は、途切れている。
 気が付いたら、この手は皆の血に塗れていたのだ。

 ……今の状況から類推するに。
 自分は『シャドウ』を攻撃しようとして、逆にアイツに囚われてしまった。
 そして、何らかの攻撃を……負傷が無い所を見るに精神攻撃の類いを受けていた……、と言う事なのであろうか。

 あの無間地獄はただの精神攻撃であり、今居るここは“現実”……なのか?

 ……今の自分には、ここが“現実”なのか“夢”であるのか、その区別を付ける事が出来ない。
 ここが“現実”であれば、と。
 “現実”であって欲しいとは、心の底から思っている。
 しかし、それは自分の願望でしか無く。
 それを根拠にしてここを“現実”と断じる事は出来ない。

 掴まれている手首から感じる温もりも、滴り落ちる程に手を濡らしていた血の温かさも、どちらも同じく“現実”である様にしか感じられなかった。
 二つを正しく識別する事が……出来ない。

 故に、此処が自分の逃避願望が見せている、都合良く事実が捏造された“夢”である事を、否定しきれないのだ。

「私……は……」

 ……どうすれば、良いのだろう。
 “夢”と“現実”の境が、最早自分には分からない。
 ……それでも。
 ここが“夢”だろうと“現実”だろうと。
 花村達を、守りたいのは変わらない。
 ならば。
 ……今やるべき事は、一つである。

 一度目を閉じて、意識を集中させた。

 大丈夫、自分は戦える。
 皆を『シャドウ』に殺させたりなんかは、させない。
 自らに絡み付く“悪夢”を夢で終らせる為にも。


「来い、リリス!」

 暴れまわる『シャドウ』に止めを刺す為に、《悪魔》の『リリス』を召喚する。
 何の問題もなく現れたリリスは、妖艶さを滲ませる仕草で『シャドウ』を指差し、そこにピンポイントに豪雷を降り注がせる。

 その攻撃に既に傷付いていたブロックの鎧は一気に崩され、本体である赤子の姿の『シャドウ』が引き摺り出された。
 その腹部には、あの時に突き刺した刀が束の辺りまで深々と突き刺さっている。
 その刀を通して雷に体内が感電したらしく、『シャドウ』はビクンビクンと身体を痙攣させていた。

「ヤツフサ、《チャージ》!」

 攻撃の手を休めず、直ぐ様リリスから《刑死者》の『ヤツフサ』へと切り換える。
 そして一瞬動きを止めて力を溜めたヤツフサは、次の瞬間『シャドウ』へと疾駆し、その喉元へと食らい付いた。
 即座に振り払われた為『シャドウ』の喉笛を噛み千切る事は叶わなかったが、《連鎖の炎刃》の効果により、身を苛み続ける炎が『シャドウ』の喉元を焼く。

『今だよ! 一気に決めちゃえっ!!』

 りせに促された皆が、『シャドウ』へと攻撃を集中させる。
 すると豪々と燃え盛る焔に包まれた『シャドウ』が、絶叫しながら狙いも定めずに無茶苦茶に魔法を放ち始めた。
 本来なら自らを鎧う筈のブロックは最早意味のある形を成さず、コントロールを喪ったかの様に滅茶苦茶に飛び回っている。


 ━━アアァァァァァァボボボボボボボククククククニニニニニハハハハナナナナナナナナニニニニニニィィィィィィモモモモモモモナナナイイイィィィィィィッッッ!!


 壊れた様に雑音を撒き散らす『シャドウ』の攻撃を。
 ジライヤが風で、トモエとタケミカヅチがその肉体で、コノハナサクヤが炎で、キントキドウジが氷で以てそれを相殺してくれた。

 皆の目が、「止めは任せた」と雄弁に語っている。
 それに確りと頷いて、ヤツフサからペルソナを切り換え、吼えた。


「決めろ、イザナギ!!」


 一気に『シャドウ』の懐に飛び込んだイザナギは、燃え盛る炎ごとその手の刃で『シャドウ』の首を一刀両断し、返す刀で残った身体も切り裂く。
 身体を完全に破壊された『シャドウ』は、黒い霧を吹き出しながら暴走する前の姿へと戻ったのだった。






◇◇◇◇◇





『シャドウ』の暴走が収まって程無くして、小さく呻き声を上げながら、気絶していた久保美津雄は目を覚ました。

「気が付いたか?
 ったく、手間かけさせやがって」

 花村は身を起こそうとする久保美津雄を見下ろしながら、何処か刺のある声音でそう声を掛ける。

「なんだ……これ……。
 お前ら……、お、お前ら……一体、何なんだよ!?
 俺に何する気だよ!?」

 今の状況を全く呑み込めていない久保美津雄は、錯乱したかの様に酷く上擦った声で喚き散らした。
 酷く怯えて花村や此方を見上げる久保美津雄の姿は、呆れなどの感情は通り越して憐れにすら感じる程だ。
 そんな久保美津雄の様子を、『シャドウ』は何も言わずに虚ろな瞳で見詰めていた。

「お前を彼方に連れ戻す為に来た」

 簡潔に目的を伝えると、それが理解出来なかったのか、久保美津雄は茫然と「連れ、戻す……?」と鸚鵡返しに訊ねてくる。
 それに花村が一つ溜め息を吐いて説明した。

「警察がお前を追ってるんだよ。
 モロキン殺しの犯人……それに、その前の二件の犯人としても、な」

「俺が……殺した、犯人……」

 何も呑み込めていない様な顔で茫然としつつ久保美津雄は呟く。
 諸岡先生の件は久保美津雄の仕業であろうが、前の二件は彼の犯行では無い筈だ。
 しかし、久保美津雄は否定する素振りは見せない。

「お前が、諸岡先生を殺した犯人で間違いないか?」

 あれ程盛大に『シャドウ』を暴走させた後だ。
 抵抗する様な気力も体力も無いだろうが、万が一を考えて何時でも取り押さえられる様に久保美津雄の挙動を注視しつつ、事件について訊ねた。
 すると。

「諸岡……、殺した……。
 …………ああ。ああっ!
 そうだ、そうだよっ、ああそうだっ!!
 俺だ、俺が、俺こそがっ!!」

 狂った様な笑みを貼り付けながら、呆然としていた素振りから一転して久保美津雄は得意気に吠えた。

「俺こそが、諸岡のカスを殺してやったんだよっ!
 諸岡だけじゃないっ、あの不倫してた頭悪い女子アナもっ!
 小西とか言う女もっ!!
 俺が、全部俺がっ!
 殺してやったんだ!!
 俺こそが、全部っ! やってやったんだ!!」

 虚空を見上げて高笑いし悦に入った久保美津雄の目は、既に現実を見てはいない。
 その有り様を見詰めていた『シャドウ』は、何も言わずに黒い霧となって消滅した。

「えっ……? 何、今の……。
『シャドウ』が、消えちゃった……?」

 里中さんが信じられないとばかりに困惑する。

「はっ、はは、はははははははっっ!!
 どうだ、見ろよっ!
 ニセモノが消えやがった!
 何が“空っぽ”だ、“無”だ!
 ニセモノはニセモノらしく消えるべきなんだよっ!!」

『シャドウ』が居た場所を指差して、久保美津雄は狂った様に笑い続ける。

 ……『シャドウ』がペルソナになった様な形跡は、無い。
 つまりあの『シャドウ』は久保美津雄から完全に切り離されて、あの様子を見るに自ら消滅したのだろう。
 ……久保美津雄は、虚構に溺れ沈む事を、選んだと言う事なのかもしれない。

「何故、殺したんだ?」

 そう尋ねると、久保美津雄は待ってましたとばかりに引き攣った様に口の端を吊り上げる。

「何故って?
 町の様子を見てみろよ!
 どいつもこいつも事件事件事件!
 町中が大騒ぎだ……。
 俺がっ、やってやった事でなっ!
 そうさ、全部俺がやったんだ!
 自分だけでやってみせたんだっ!」

 目立ちたかった、自分を見て欲しかった。
 ……久保美津雄の動機は、そんな所か。

「でも、何で……」

 天城さんが理解出来ないと言いた気に溢す。
 すると、それを耳聡く聞き付けた久保美津雄は壊れた様に笑って答えた。

「はは、お前、雪子じゃん。
 今更俺と話したいとか、有り得ねぇよ。
 何でって?
 そんなの、誰でも良かったんだよッッ!
 どいつもこいつもっ! ムカつくヤツばっかだ!」

 ……久保美津雄があらゆる人間に不満を抱えていたのは確かかも知れないが、諸岡先生を殺した件についてはそんなフワフワしたモノでは無い理由があったんじゃないのだろうか。
 ……尤も、久保美津雄は既に正気とは言えない状態であり、その目は“現実”を見てはいない。
 最早此方の言葉が彼に正しく届く可能性はほぼ無いのだろう。

 久保美津雄は次第に笑う気力すら尽きたのか、黙りこんでしまった。


「……何はともあれ、早い所彼方に戻らなくてはな……」




……
…………
………………
▲▽▲▽▲▽




 随分と長い事聞いていなかった気がする店内BGMに溢れる家電売り場へと、久保美津雄を伴って帰還した。
 周囲の状況を理解出来ないのか久保美津雄は再び困惑していたが、テレビを目にするとあからさまに怯えて言葉にすらならない支離滅裂な音を溢す。
 ……その様子を見るに、久保美津雄は何者かにテレビへと落とされたのだろう、それも意識がハッキリとある状態で。

 念の為に久保美津雄単独でテレビの画面に触れさせてみたが、テレビには何の変化も無かった。
 その際の反応やこれまでの状況から、久保美津雄に彼方の世界へ行く為の“力”が元々存在していなかったのは、ほぼ間違いない。

「お前は、目が覚める前は何処に居たんだ?」

 そう訊ねてみて返ってきたのは支離滅裂な言葉で何を言いたいのかは殆ど分からなかったのだが、ただ一つ確かな事として、久保美津雄は何処かに行く為に家を出ていたらしい。
 何処に向かっていたのかは分からないが、少なくとも久保美津雄がテレビに落とされた直前に家には居なかったのは確かな様だ。

 ……【犯人】の手口と異なるその部分が引っ掛かるが……。
 しかし、久保美津雄に詳しく訊ね様としても、返ってくるのは「自分がやってやったんだ」と言う戯言ばかり。
 ……残念だが、これ以上は久保美津雄に訊ねた所で時間の無駄であろう。

 その後は、ジュネスのバックヤードの空き部屋まで連れて行った上で警察に通報した。
『ジュネスの従業員用通路を彷徨いていた不審者で、何やら様子がおかしく、話を聞いてみると人を殺したと主張しているので通報した』と言う設定である。

 警察が到着する迄に久保美津雄が逃げない様に、巽くんと花村と自分で見張る。
 俯いてブツブツと意味を成さない言葉を呟き続ける久保美津雄の様子を観察していると、突然に顔を上げてニィッと気味の悪い笑みを浮かべた。

「お前、そうだ、思い出した。
 お前、あの日、俺と雪子の仲を邪魔したウザいヤツだ。
 今まで忘れてたけど、あーぁ……お前も殺しとけば、良かったな……」

 そうとだけ言って、久保美津雄はまた俯いて虚ろにブツブツと呟き始める。
 だが、花村が勢い良く椅子を蹴る様にして立ち上がった音に驚いて、ビク付いた様に肩を跳ねさせた。

「お前っ……!」

 激しい怒りで今にも久保美津雄に殴り掛かりそうな花村の様子にも驚いたが、それを此方が止めようとする前に巽くんが花村を止めた事により驚く。

「花村先輩、こんな野郎にアンタが殴る様な価値なんか無えっスよ」

 そう言ってから、巽くんは久保美津雄につかつかと歩み寄って、その胸座を取って無理矢理立たせた。

「く、くく……。
 お、俺を殺そうっての?」

 巽くんの射殺す様な視線から目を反らしつつ、久保美津雄は虚勢を張る。
 だが。

「殺すだ? クソが、思い上がんじゃねえよ!
 てめぇにはそんな価値すらねえ!
 人を殺して粋がってるつもりかは知らねーが、てめえは人として取り返しがつかねえ事をしたんだよ!
 キッチリ償って落とし前付けやがれ!!
 くたばっていいのは、てめえのした事がどんだけ重い事か……骨身で分かった後だ!!!」

 そう啖呵を切ってから巽くんが胸座から手を離すと、久保美津雄はずるずると崩れ落ち、俯いたまま静かに震えている。
 それは、警察が到着し、署に連行されるまで続いたのであった。





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