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虚構の勇者

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 ドスッと手に伝わる感触で、意識が一気に浮かび上がった。

 急に視覚が認識される事で一気に溢れ返った情報量に、クラリと目眩を感じそうになる。
 一度目を瞑って首を振って目眩を取り払おうとすると、ふと鼻腔に染み付く様な鮮烈な鉄臭さ──血の臭いに気付き、ハッと目を開けて己の正面へと顔を向けると。

「……はな、む……ら……?」

 全身をズタズタに斬られ、胸の辺りを血で紅く染め上げた花村が、そこに居た。
 弾かれた様に周りを見渡すと、そこには血の海に沈む、《《皆だったモノ》》が、物言う事無く転がっている。


 何だこれは。何なんだ、これは。
 さっきまで、家で、一緒に、皆と、楽しくて穏やかな時間を過ごしていた筈なのに。
 訳が分からない。
 視界が、グラグラと揺れているかの様な錯覚を感じる。

 何で、何で、何で、何で、何で、何で、何が、何が、何を、何で、どうして、何で、一体、何が──

 最早自分が何をしているのか、何をしていたのか、何処にいるのか、今が何時なのか、何でこんな状況なのか、何一つとして分からない。

 半ば錯乱した様な状態で、ふと、己の手に視線を落とすと。
 固く握った刀は、束まで血に染まり。
 そして──

 ──その刀身は、花村の胸を貫いていた。

 短く悲鳴を上げて、慌てて刀を花村から引き抜いてそれを投げ棄てる。
 高い音を立てて地に落ちた刀は、刀身を濡らす血で線を引く様に遠くへと滑っていった。
 刀が引き抜かれた瞬間花村は僅かに呻き、そして倒れそうになりそれを咄嗟に支える。
 とてもか細く虫の息ではあったが花村はまだ息をしていた。
 まだ、生きている。
 混乱と恐慌状態に襲われながらも、その事実が僅かに理性的な判断を可能とさせた。
 取り敢えず、この体勢では花村に負荷がかかり過ぎるので、そっと花村を地に寝かせる。

 次は、そうだ、治さないと。
 ペルソナの……ペルソナの力なら、きっと……!

 一目見ただけで致命傷である事は分かっていた。
 今の花村の状態が、単に《《まだ死んでいない》》と言うだけである事も。
 それでも、そんな“現実”を受け入れられる訳など、無かった。

「今、治すから……!
 直ぐに痛いのは、終わるから……、だから……」

 花村の胸に手を当てて、ペルソナを呼ぼうと意識を集中させた。
 《女教皇》の『キクリヒメ』を呼び出す。
 そして《サマリカーム》を使うが、花村の傷は全く塞がらない。

 ──ペルソナの力が、及ぶ範囲では、無い。

 その事を理解して、絶望に突き落とされ、気が狂いそうになる。
 だが、それを認める訳にはいかなかった。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も──
 《サマリカーム》を、《ディアラハン》を。
 狂った様にかけ続けた。
 魔法を使い過ぎて、頭が割れる様に痛む。
 目が霞み、指先に力が入らなくなっていく。
 召喚状態を維持出来ず、キクリヒメの姿が消える。
 それでも、と。
 目を閉じてもう一度呼び出そうと集中しようとする。

 その時。
 花村の胸に当てていた手に、そっと何かが乗せられた。
 その感触に集中が途切れ、目を開けてしまう。
 すると、

「──っ! どうして……!」

 花村は、そっとこちらの手に己の手を重ね、そして……死が迫ってると言うのに、何故か柔らかな表情を浮かべて、そして……そして……。
 微かに首を横に、振っていた。
『もう良い』と、その穏やかな目は、言外にそう伝えてきていて……。

「止めろ、やめてくれ、花村……。
 そんな目をするな……、生きる事に、しがみついてくれ……。
 だから──……」

 死にたくないと訴えてくれるなら、何れ程良かっただろう。
 恨み事をぶつけてくるのなら、何れ程救われただろうか。

「花村を傷付けたのは、お前をそんな状態になるまで斬り刻んだのは、私なんだろ……?!
 ……なんで、何でそれで、そんな顔をする、何で……」

 その先はもう言葉にはならなかった。
 嗚咽ですらない音が、自分の口から漏れる。

 花村の目に僅かにでも憎しみがあれば、怒りがあれば、……いっそ絶望に染まっていれば。
 その方がどんなに良かっただろうか。
 こんな穏やかな目で見詰められては、何を言えば良いのか、何をしてやれば良いのか、分からなくなる。

「すまない、花村……。
 ごめん、……ごめんなさい……。
 私が、……私の、……私が、全部……」

 謝ったって、何の意味があるのか。
 謝ったら、花村の傷が治るのか?
 こんなの、自分の罪悪感を僅かにでも軽くしようとする自己弁護と、何が違うんだ。
 そう思い、恥知らずな言葉を垂れ流す自分の喉をかっ捌いてしまいたくなる衝動にかられるが。
 壊れたレコードの様に謝り続ける事を止める事は出来なかった。

 俯いて唯々謝る事しか出来ない自分の頬に、そっと柔らかく触れるモノがあった。
 死を目の前しても穏やかな目をした花村が、僅かに目を細めて、頬をそっと触れる様に撫でていた。

 そして、その唇が僅かに動く。
 何一つとして見逃すまい、と必死に読み取ったその唇の動きは……。

 ──『ぶ』『じ』『で』『よ』『か』『っ』『た』
 ──『あ』『り』『が』『と』『う』

 そして、微笑む様な表情で、そっと目を閉じた。

 衝撃に麻痺した様に、身体は動かない。
 息の仕方も、忘れてしまったかの様だ。
 凍り付いた様に動かし辛い舌を動かして、漸く言葉を紡ぐ。

「どうして…………。
 …………どうしてだ、花村……!
 ……んで、なんで……何で!
 何で、そんな……!」

 花村の身体を遠慮無く揺する。

 起きてくれ、目を開けてくれ、頼むから……!
 あんな言葉を遺言にするなよ……!
 恨んでくれよ、罵ってくれよ、憎悪してくれよ……!
 自分を殺した相手が、目の前に居るんだぞ。
 なあ、復讐しろよ。
 その感情が花村をこちらへと繋ぎ止めると言うのならば、喜んでそれを受け入れるから。
 だから……!

「死ぬな……! 死なないでくれ……!
 生きてくれ、もっと生きる事にしがみついてくれ……!」

 やりたい事いっぱいあるだろ?
 まだ【犯人】に辿り着けてすらいないだろ?

 なあ、夏休み、一緒に遊びに行くって、約束したじゃないか。
 海に行くんだって、前言ってたよな。
 皆で原付の免許取って……いや、巽くんとクマは無理だけど。
 そう言えばクマはどうするんだろ、まさか車輪を付けて牽引するのか?
 なあ、八月中頃には夏祭りがあるんだってさ。
 普段はあまり人気が無い辰姫神社の境内も、夜店が立ち並んで賑やかになるんだって。
 花村が稲羽に来たのは去年の秋だったらしいし、稲羽でのお祭りにはまだ行った事無いよな?
 初めてのお祭りなんだ、凄く楽しみだよな。
 クマとかきっとはしゃぎ回って夜店で買いまくるんじゃないだろうか。
 食べさせ過ぎない様に注意しとかないと。
 夏の終わりには花火大会もあるんだって、叔父さんが言ってたんだ。
 ほら、花火って言えば夏の風物詩だよな。
 でもきっと、打ち上げ花火だけだとちょっと寂しいから、手持ち花火を買い込んで、後で皆で鮫川辺りで花火をしよう。
 そうだ、夏休みと言えば、花村は夏休みの宿題をちゃんとやってるか?
 自分は出された日から始めたからもう終わりかけだけど、まさかとは思うが最終日まで溜めて一気にやろうとかしてないよな?
 巽くん辺りは怪しい気がするから、ちょくちょく宿題をちゃんと消化してるか、勉強会も開こうか。
 夏休みが明けて少ししたら修学旅行だよな。
 そう言えば旅行先まだ知らないんだけど、花村は知ってるか?
 まあ一応学校行事だし、そんなに変な場所じゃないとは思うんだけどな。

 なあ、秋も冬も来年の春もその先も。
 まだまだ色んな事が待っているんだぞ。
 それを、知らないまま、こんな場所で死ぬなよ。
 死ぬなよ、死ぬな、死なないで……くれ……。
 ……頼むよ。

 何処ぞの神様とやらに祈れば花村が助かるのなら、今直ぐにでもその神の敬虔な信徒になってやる。
 自分の命を捧げれば花村が死なずに済むのなら、直ぐ様この首をかっ斬って捧げる。
 だから、だから、だから、だから──

 何れ程の時間が過ぎたのだろう。
 何時間も経った気がするし、ともすれば何日も経ったのかもしれないし、ほんの数分だったのかもしれないし、もしかしたらたった数十秒だったのかもしれない。
 花村は、もう息をしていなかった。
 もう、その心臓は動く事を止めていた。
 手を握っても、その手が握り返される事は無かった。

 ──花村は、死んだ
 ──みんな、死んだ

 ──花村は、殺された
 ──みんな、殺された

 誰に?

 それは──








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